上 下
13 / 77

ウィル視点Ⅰ

しおりを挟む
「ど、どうしましょう」

 走っていくエレンの後ろ姿を見てシエラは呆然としていた。
 シエラは気立てがいい娘だから別に僕をエレンから奪おうとかそんな大それたことを考えていた訳ではなく、ただ好意をそのまま表してくれていただけなのだろう。だからきっとシエラがきっかけになって僕とエレンが決裂してしまったことを気に病んでいるに違いない。

 全く、エレンも僕に怒るのはいいけど、もう少しシエラが気に病まないように気を遣ってあげればいいのに。彼女は僕がシエラと話しているのがよほど気にかかるのか、シエラに対する当たりが強い気がする。
 そう思って僕は内心溜め息をつく。

「シエラは何も気にしなくていい」
「ええ、でも……」
「それよりもせっかく僕のためにクッキーを焼いてくれたんだろう? それをくれないか?」
「は、はい」

 戸惑いながらもシエラは僕にクッキーの残りを差し出してくれる。
 一口食べるとシエラの気持ちがこもった優しい味が口の中に広がり、僕も少し落ち着きを取り戻す。

 そもそもなぜこんなことになってしまったのか。
 婚約が決まった当初、エレンは真面目で気立てがいい娘、と評判だったので僕はほっとしたものだ。爵位は下でも、実際一緒に暮らしていくにあたって気になるのは人柄ではないか。

 それから彼女とは何回か会った。
 基本的に彼女は常に僕に気を遣ってくれているし、料理や裁縫など多芸でもあった。だから些細な違和感を抱きつつも、僕は穏やかに彼女との日々を過ごしていた。

 が、そんな僕に違和感の正体を気づかせてくれたのはシエラだった。

 ある日、僕がリーン家の屋敷に赴いた時のことである。
 その日はたまたまエレンではなく、シエラが僕を出迎えた。シエラは僕の姿を見ると、ぱっと花が咲くような笑みを浮かべた。その笑顔を見た瞬間、これが心からの笑顔だと分かってしまった。もちろんエレンもこれまで僕に笑顔を向けてくれていたが、あれは作り物に過ぎない。
 シエラの笑顔を見た時僕はそれに気づいてしまった。

「あなたがウィルさんですね? いつも姉がお世話になっております、妹のシエラと言います」
「いや、こちらこそいつもエレンにはお世話になっているよ」

 シエラの表情からは僕に対する無邪気な好意が感じられた。
 エレンとシエラは姉妹というだけあってよく似ているが、だからこそ二人の決定的な違いに気づいてしまったのだろう。
 エレンが僕に対してすることは全部義務感で仕方なくやっていることであり、彼女の本心からやっていることではないのだ、と。
 その証拠にシエラの笑顔はこんなにも美しい。
 そしてシエラが作ってくれたクッキーはエレンが作ってくれた料理に比べて技術は拙いのに、真心が感じられた。

 それ以来、エレンと話しているといつもそれが気になるようになってしまった。
 エレンはいつも僕が好みそうな話題を選んでくるし、屋敷に招く時は僕が喜びそうな料理を用意してくれる。
 でもそれはそうしたら僕が喜ぶ、ということを知っていて計算でやっているに違いない。笑顔だって心からのものではない。彼女はきっと僕と一緒にいても全く楽しいと思っていないのだろう。そう思うと、しゃべっていても全然楽しくないし、料理を食べても全然味がしなくなっていた。

 例えるなら、彼女と話すのは人形と話しているようだし、彼女の料理を食べるのはゴムの塊でも食べているかのようだ。
 僕も出来るだけ婉曲にそれを伝えようとしたが、エレンは全くそれを理解せず、むしろどんどん悪化していった。

 そんな風に彼女と無味乾燥な時間を過ごすのが僕は次第に苦痛になってきた。

 それでも彼女との関係をどうにか続けたのはシエラの存在があったからだ。
 エレンの屋敷に行けばシエラがいる。シエラと会えばまた僕に無垢な笑顔を見せかける。

 彼女と会うことだけを目的に僕は彼女との関係を続けていた。
 だから彼女を僕の屋敷に招くなんてごめんだった。

 とはいえ、今日のエレンはいつもより一際酷かった。彼女は何を勘違いしたのか、いつもよりもよりも無理矢理、それこそ感情を殺して準備をしたようだった。
 そんな作り物のようなもてなしを受けて僕はずっと気分が悪くて仕方ないと言うのに。

 だから彼女が激怒して去っていったのを見て、僕の方もようやく解放されたような気持ちになったと言う訳であった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

【第一章完結】相手を間違えたと言われても困りますわ。返品・交換不可とさせて頂きます

との
恋愛
「結婚おめでとう」 婚約者と義妹に、笑顔で手を振るリディア。 (さて、さっさと逃げ出すわよ) 公爵夫人になりたかったらしい義妹が、代わりに結婚してくれたのはリディアにとっては嬉しい誤算だった。 リディアは自分が立ち上げた商会ごと逃げ出し、新しい商売を立ち上げようと張り切ります。 どこへ行っても何かしらやらかしてしまうリディアのお陰で、秘書のセオ達と侍女のマーサはハラハラしまくり。 結婚を申し込まれても・・ 「困った事になったわね。在地剰余の話、しにくくなっちゃった」 「「はあ? そこ?」」 ーーーーーー 設定かなりゆるゆる? 第一章完結

【完結】婚姻無効になったので新しい人生始めます~前世の記憶を思い出して家を出たら、愛も仕事も手に入れて幸せになりました~

Na20
恋愛
セレーナは嫁いで三年が経ってもいまだに旦那様と使用人達に受け入れられないでいた。 そんな時頭をぶつけたことで前世の記憶を思い出し、家を出ていくことを決意する。 「…そうだ、この結婚はなかったことにしよう」 ※ご都合主義、ふんわり設定です ※小説家になろう様にも掲載しています

今さら後悔しても知りません 婚約者は浮気相手に夢中なようなので消えてさしあげます

神崎 ルナ
恋愛
旧題:長年の婚約者は政略結婚の私より、恋愛結婚をしたい相手がいるようなので、消えてあげようと思います。 【奨励賞頂きましたっ( ゚Д゚) ありがとうございます(人''▽`)】 コッペリア・マドルーク公爵令嬢は、王太子アレンの婚約者として良好な関係を維持してきたと思っていた。  だが、ある時アレンとマリアの会話を聞いてしまう。 「あんな堅苦しい女性は苦手だ。もし許されるのであれば、君を王太子妃にしたかった」  マリア・ダグラス男爵令嬢は下級貴族であり、王太子と婚約などできるはずもない。 (そう。そんなに彼女が良かったの)  長年に渡る王太子妃教育を耐えてきた彼女がそう決意を固めるのも早かった。  何故なら、彼らは将来自分達の子を王に据え、更にはコッペリアに公務を押し付け、自分達だけ遊び惚けていようとしているようだったから。 (私は都合のいい道具なの?)  絶望したコッペリアは毒薬を入手しようと、お忍びでとある店を探す。  侍女達が話していたのはここだろうか?  店に入ると老婆が迎えてくれ、コッペリアに何が入用か、と尋ねてきた。  コッペリアが正直に全て話すと、 「今のあんたにぴったりの物がある」  渡されたのは、小瓶に入った液状の薬。 「体を休める薬だよ。ん? 毒じゃないのかって? まあ、似たようなものだね。これを飲んだらあんたは眠る。ただし」  そこで老婆は言葉を切った。 「目覚めるには条件がある。それを満たすのは並大抵のことじゃ出来ないよ。下手をすれば永遠に眠ることになる。それでもいいのかい?」  コッペリアは深く頷いた。  薬を飲んだコッペリアは眠りについた。  そして――。  アレン王子と向かい合うコッペリア(?)がいた。 「は? 書類の整理を手伝え? お断り致しますわ」 ※お読み頂きありがとうございます(人''▽`) hotランキング、全ての小説、恋愛小説ランキングにて1位をいただきました( ゚Д゚)  (2023.2.3)  ありがとうございますっm(__)m ジャンピング土下座×1000000 ※お読みくださり有難うございました(人''▽`) 完結しました(^▽^)

【完結】結婚しておりませんけど?

との
恋愛
「アリーシャ⋯⋯愛してる」 「私も愛してるわ、イーサン」 真実の愛復活で盛り上がる2人ですが、イーサン・ボクスと私サラ・モーガンは今日婚約したばかりなんですけどね。 しかもこの2人、結婚式やら愛の巣やらの準備をはじめた上に私にその費用を負担させようとしはじめました。頭大丈夫ですかね〜。 盛大なるざまぁ⋯⋯いえ、バリエーション豊かなざまぁを楽しんでいただきます。 だって、私の友達が張り切っていまして⋯⋯。どうせならみんなで盛り上がろうと、これはもう『ざまぁパーティー』ですかね。 「俺の苺ちゃんがあ〜」 「早い者勝ち」 ーーーーーー ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。 完結しました。HOT2位感謝です\(//∇//)\ R15は念の為・・

愛されない花嫁は初夜を一人で過ごす

リオール
恋愛
「俺はお前を妻と思わないし愛する事もない」  夫となったバジルはそう言って部屋を出て行った。妻となったアルビナは、初夜を一人で過ごすこととなる。  後に夫から聞かされた衝撃の事実。  アルビナは夫への復讐に、静かに心を燃やすのだった。 ※シリアスです。 ※ざまあが行き過ぎ・過剰だといったご意見を頂戴しております。年齢制限は設定しておりませんが、お読みになる場合は自己責任でお願い致します。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

【完結】お前なんていらない。と言われましたので

高瀬船
恋愛
子爵令嬢であるアイーシャは、義母と義父、そして義妹によって子爵家で肩身の狭い毎日を送っていた。 辛い日々も、学園に入学するまで、婚約者のベルトルトと結婚するまで、と自分に言い聞かせていたある日。 義妹であるエリシャの部屋から楽しげに笑う自分の婚約者、ベルトルトの声が聞こえてきた。 【誤字報告を頂きありがとうございます!💦この場を借りてお礼申し上げます】

処理中です...