17 / 29
17. 頼んでもいいの?
しおりを挟む
秋の空は気まぐれだ。朝は快晴だったのに、急に空が暗くなったかと思えば、屋根にぽたぽたと天のしずくが降り注ぐ。やまない雨音を聞きながら、絃乃はため息をついた。
掃除当番を終えた今、下校する女学生の姿はまばらだ。
帰っていく級友を遠い目で見つめていると、校門から傘を差した雛菊が戻ってくるところだった。
「あら、雛菊。帰ったのではなかったの?」
「今日は、ばあやが遅くてね。今から帰るところなんだけど、もしかして傘がないんじゃないかしらと思って」
「大正解……」
校門のところでは、視線に気づいたのか、御園家の乳母が会釈している。
雛菊は当然のように傘を絃乃のほうへ傾け、片目をつぶった。
「私が家まで送るわ」
「でも着物が濡れちゃうわ」
「大丈夫よ。親友が困っているんですもの。困ったときはお互い様よ」
気持ちはありがたいが、なんだか気が引ける。視線をさまよわせていると、雛菊が言葉を重ねる。
「それに今日はお稽古や家の用事もないし、絃乃とゆっくり話して帰りたい気分なの。ね、たまにはいいでしょう?」
「うーん。だけど……」
説得が難航していると踏んだのか、彼女の乳母も近づいてきて、目尻の皺を深めて微笑みかける。二人の視線に囲まれ、分が悪いのを感じ取った。
「それがようございます。絃乃様のお屋敷は幸い近いですし、少し寄り道するだけなら問題ないでしょう」
「ほら、ばあやもこう言っているし。そうと決まったら、長居は無用よ。帰りましょう」
強引に雨の下に連れ出されるようにして、二人で風呂敷を胸に抱え込んで濡れた道を歩く。革ブーツはすぐに雨水で色が変わっていた。
人通りの少ない道を進んでいると、雛菊が少し声を抑えて話しかけてくる。
「ねえ、弟さんのことだけど……」
糸のように細い雨が降りしきる中、雛菊は言いよどむように一度言葉を止め、深呼吸してから口を開いた。
「私の婚約者が警官だっていうのは前に話したわよね。もしかしたら、弟さんを探すのに役に立てるかもしれないと思って」
「え?」
「ほら、探偵に頼むのはお金もかかるでしょう。警官なら人捜しは職務の範囲だし、見つからない可能性のほうが高いかもだけど」
近所の雨だれが規則正しく打つ音を聞きながら、思いがけない提案に目を丸くする。自然と歩く速度もゆるやかになる。
脳内で言われた意味をかみ砕き、やっと理解が回ったところで、遠慮がちに言う。
「……頼んでもいいの?」
「もちろん。ただまあ、今は忙しいみたいだから、仕事の空き時間とかになるかもしれないけれど。優しい人だから、きっと力を貸してくれると思うわ」
「雛菊……ありがとう」
感謝の言葉を伝えると、雛菊は照れ隠しのように小さく笑った。
「とはいっても、あまり期待はしないでね?」
「うん。その気持ちだけでも充分、嬉しいから。本当にありがとう」
本当は抱きしめて感動を伝えたいところだったが、外なので自重する。けれど、思っていることは伝わったようで、苦笑いが返ってきた。
家の前に着くと、傘を持った新入りの女中が外で待っていた。届けに行くかどうか、悩んでいたらしい。
転生後の問題は山積みだ。しかしながら、自分の周りには、こうして心配してくれる人がいる。一人で悩んで、うじうじしてられない。
体は冷えていたが、心はぽかぽかと温かくなっていた。
◆◇◆
生乾きの髪を梳いていると、玄関のほうで物音がした。襖を少し開けると、父親の声が聞こえた。今夜は遅い帰りだ。
水を飲もうと廊下に出たところで、声が近づく。
「まあまあ、たくさん飲んできたのですね」
「……若者から飲み比べを挑まれてな。つい飲み過ぎた」
「ほどほどにしていただかなくては。もう若くはないのですから」
「……善処する」
母親にたしなめられた父親が声を小さくする。そして思い出したように、ああ、とつぶやいた。
「そろそろ、娘の将来のことも考えなければならないな」
自分の話題になったため、反射的に自室に引き返して襖を静かに閉める。耳をそばだてて続く会話に集中する。
「婚約者を定められるのですか?」
「級友の中には、もう結納を済ませている娘もいるはずだ」
「それは、そうですが……少し早いのではありませんか? あの子にはもっと自由な時間が必要でしょう」
「ふむ。婚約者の選別にはじっくり時間をかけるべきか。絃乃の晴れ姿も早く見てみたいと思ったのだが」
廊下から聞こえてきた声は、ちょうど自室の前を通り過ぎていく。
「これも時代の流れでしょう。今はわたくしたちのときとは違います。大切な娘だからこそ、その伴侶となる男性は娘を幸せにしてくれる者でないと」
「今の絃乃に結婚は早かったか」
「そうですわ。花嫁修業もまだなのに、せっかちに決めることではありませんわ」
遠のいていく声を聞きながら、絃乃は細い息を吐いた。
「危なかった……母様のおかげで回避できたけれど、危うく私に婚約者ができるところだった」
婚約者が決まれば、詠介への想いも捨てなければならなくなる。
前世からの恋心を忘れられる日が来るかはわからないが、この恋は自分が納得する形で終わらせたい。
自由恋愛がまだ認められない世の中、拒む権利は自分にはない。
(この恋に終わりが来るのだとしても。せめて、もう一度、ちゃんと気持ちだけでも伝えておきたい……)
幕引きは自分の手で。
両手をぎゅっと握りしめ、自由にできる時間は残り少ないのだと改めて感じた。
掃除当番を終えた今、下校する女学生の姿はまばらだ。
帰っていく級友を遠い目で見つめていると、校門から傘を差した雛菊が戻ってくるところだった。
「あら、雛菊。帰ったのではなかったの?」
「今日は、ばあやが遅くてね。今から帰るところなんだけど、もしかして傘がないんじゃないかしらと思って」
「大正解……」
校門のところでは、視線に気づいたのか、御園家の乳母が会釈している。
雛菊は当然のように傘を絃乃のほうへ傾け、片目をつぶった。
「私が家まで送るわ」
「でも着物が濡れちゃうわ」
「大丈夫よ。親友が困っているんですもの。困ったときはお互い様よ」
気持ちはありがたいが、なんだか気が引ける。視線をさまよわせていると、雛菊が言葉を重ねる。
「それに今日はお稽古や家の用事もないし、絃乃とゆっくり話して帰りたい気分なの。ね、たまにはいいでしょう?」
「うーん。だけど……」
説得が難航していると踏んだのか、彼女の乳母も近づいてきて、目尻の皺を深めて微笑みかける。二人の視線に囲まれ、分が悪いのを感じ取った。
「それがようございます。絃乃様のお屋敷は幸い近いですし、少し寄り道するだけなら問題ないでしょう」
「ほら、ばあやもこう言っているし。そうと決まったら、長居は無用よ。帰りましょう」
強引に雨の下に連れ出されるようにして、二人で風呂敷を胸に抱え込んで濡れた道を歩く。革ブーツはすぐに雨水で色が変わっていた。
人通りの少ない道を進んでいると、雛菊が少し声を抑えて話しかけてくる。
「ねえ、弟さんのことだけど……」
糸のように細い雨が降りしきる中、雛菊は言いよどむように一度言葉を止め、深呼吸してから口を開いた。
「私の婚約者が警官だっていうのは前に話したわよね。もしかしたら、弟さんを探すのに役に立てるかもしれないと思って」
「え?」
「ほら、探偵に頼むのはお金もかかるでしょう。警官なら人捜しは職務の範囲だし、見つからない可能性のほうが高いかもだけど」
近所の雨だれが規則正しく打つ音を聞きながら、思いがけない提案に目を丸くする。自然と歩く速度もゆるやかになる。
脳内で言われた意味をかみ砕き、やっと理解が回ったところで、遠慮がちに言う。
「……頼んでもいいの?」
「もちろん。ただまあ、今は忙しいみたいだから、仕事の空き時間とかになるかもしれないけれど。優しい人だから、きっと力を貸してくれると思うわ」
「雛菊……ありがとう」
感謝の言葉を伝えると、雛菊は照れ隠しのように小さく笑った。
「とはいっても、あまり期待はしないでね?」
「うん。その気持ちだけでも充分、嬉しいから。本当にありがとう」
本当は抱きしめて感動を伝えたいところだったが、外なので自重する。けれど、思っていることは伝わったようで、苦笑いが返ってきた。
家の前に着くと、傘を持った新入りの女中が外で待っていた。届けに行くかどうか、悩んでいたらしい。
転生後の問題は山積みだ。しかしながら、自分の周りには、こうして心配してくれる人がいる。一人で悩んで、うじうじしてられない。
体は冷えていたが、心はぽかぽかと温かくなっていた。
◆◇◆
生乾きの髪を梳いていると、玄関のほうで物音がした。襖を少し開けると、父親の声が聞こえた。今夜は遅い帰りだ。
水を飲もうと廊下に出たところで、声が近づく。
「まあまあ、たくさん飲んできたのですね」
「……若者から飲み比べを挑まれてな。つい飲み過ぎた」
「ほどほどにしていただかなくては。もう若くはないのですから」
「……善処する」
母親にたしなめられた父親が声を小さくする。そして思い出したように、ああ、とつぶやいた。
「そろそろ、娘の将来のことも考えなければならないな」
自分の話題になったため、反射的に自室に引き返して襖を静かに閉める。耳をそばだてて続く会話に集中する。
「婚約者を定められるのですか?」
「級友の中には、もう結納を済ませている娘もいるはずだ」
「それは、そうですが……少し早いのではありませんか? あの子にはもっと自由な時間が必要でしょう」
「ふむ。婚約者の選別にはじっくり時間をかけるべきか。絃乃の晴れ姿も早く見てみたいと思ったのだが」
廊下から聞こえてきた声は、ちょうど自室の前を通り過ぎていく。
「これも時代の流れでしょう。今はわたくしたちのときとは違います。大切な娘だからこそ、その伴侶となる男性は娘を幸せにしてくれる者でないと」
「今の絃乃に結婚は早かったか」
「そうですわ。花嫁修業もまだなのに、せっかちに決めることではありませんわ」
遠のいていく声を聞きながら、絃乃は細い息を吐いた。
「危なかった……母様のおかげで回避できたけれど、危うく私に婚約者ができるところだった」
婚約者が決まれば、詠介への想いも捨てなければならなくなる。
前世からの恋心を忘れられる日が来るかはわからないが、この恋は自分が納得する形で終わらせたい。
自由恋愛がまだ認められない世の中、拒む権利は自分にはない。
(この恋に終わりが来るのだとしても。せめて、もう一度、ちゃんと気持ちだけでも伝えておきたい……)
幕引きは自分の手で。
両手をぎゅっと握りしめ、自由にできる時間は残り少ないのだと改めて感じた。
0
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
絶対零度の王子さま(アルファポリス版)
みきかなた
恋愛
「お前は友達なんかじゃねーよ。」
高校の卒業式、人生最大の勇気を振り絞り告白したのに、待っていたのは彼の冷たい一言でした。
ビビりでチキンな山城七海と、『絶対零度』とあだ名される藤原一佳(いちか)の、高校二年生から社会人まで、まったりのんびりジレジレのラブコメディです。
ムーンライトノベルズからの転載です。
明治ハイカラ恋愛事情 ~伯爵令嬢の恋~
泉南佳那
恋愛
伯爵令嬢の桜子と伯爵家の使用人、天音(あまね)
身分という垣根を超え、愛を貫ぬく二人の物語。
******************
時は明治の末。
その十年前、吉田伯爵は倫敦から10歳の少年を連れ帰ってきた。
彼の名は天音。
美しい容姿の英日混血の孤児であった。
伯爵を迎えに行った、次女の桜子は王子のような外見の天音に恋をした。
それから10年、月夜の晩、桜子は密に天音を呼びだす。
そして、お互いの思いを知った二人は、周囲の目を盗んで交際するようになる。
だが、その桜子に縁談が持ち上がり、窮地に立たされたふたりは……
******************
身分違いの、切ない禁断の恋。
和風&ハッピーエンド版ロミジュリです!
ロマンティックな世界に浸っていただければ嬉しく思います(^▽^)
*著者初の明治を舞台にしたフィクション作品となります。
実在する店名などは使用していますが、人名は架空のものです。
間違いなど多々あると思います。
もし、お気づきのことがありましたら、ご指摘いただけると大変助かりますm(__)m
異世界初の悪役令嬢に転生しました~悪役令嬢語しか話せないなんて!どなたか正確に翻訳してくださいまし~
めしめし
恋愛
普通のアラサー派遣社員である神野恵(かみのめぐみ)。
駄女神の陰謀により車に二度もはねられ、とどめにイケメンの頭突きにより非業の最後を迎えてしまう。
そんな彼女の使命は、異世界初の悪役令嬢になること。
「あなたには常に悪役令嬢として振舞ってもらいます。生まれた時から悪役令嬢のあなたは、歳を重ねるごとにパワーアップするわ。あなたの悪名はギロチンされるまで続くのよ。」
さりげなく、「ギロチン」って言った?
「あなたの魅力に王太子殿下もベロベロよ!とことんまで惚れさせてやりなさい!
そしてバッサリと切り捨てるのよ。」
それって一番あかんやつやん…。
転生した彼女は、生まれながらにして悪役令嬢語を獲得。
話す言葉全てが悪役令嬢語に翻訳されてしまうのだ。
「いくら無能なお兄様でも、ここで死なれては寝覚めが悪くってよ(みんな準備で忙しいから、私だけでもと様子を見にきました。)」
「だってドリアーヌ様のように派手な色でごまかさなければいけないほど、自分の容姿に困ってはございませんわ。(ドリアーヌ様は、素敵な色のドレスをお召しですね。)」
ツンデレとはまた違った強制執行される悪役令嬢語。
さらに選択肢システムで、悪役令嬢らしさをパワーアップ。
1.これであなたもクールビューティ!真っ黒なドレス
2.セクシーさを協調!全身シースルーのベージュドレス
3.末代まで語られるインパクト!怪獣の着ぐるみ
感動あり、笑いあり、笑いあり、笑いありのスーパーコメディファンタジー。
異世界初の悪役令嬢になるべく転生された神野恵改め、メリー・アンポワネットの運命はいかに!?
【完結】悪役令嬢のトゥルーロマンスは断罪から☆
白雨 音
恋愛
『生まれ変る順番を待つか、断罪直前の悪役令嬢の人生を代わって生きるか』
女神に選択を迫られた時、迷わずに悪役令嬢の人生を選んだ。
それは、その世界が、前世のお気に入り乙女ゲームの世界観にあり、
愛すべき推し…ヒロインの義兄、イレールが居たからだ!
彼に会いたい一心で、途中転生させて貰った人生、あなたへの愛に生きます!
異世界に途中転生した悪役令嬢ヴィオレットがハッピーエンドを目指します☆
《完結しました》
乙女ゲームのヒロインをいじめるいじめっ子グループのリーダーに転生したので悪役を演じきってみせましょう
水竜寺葵
ファンタジー
あらすじ
病気により死亡した亜由美(あゆみ)が次に転生した世界は自分が好きな恋愛ゲームの世界で、いじめっ子グループのリーダーだった。前世の記憶が戻った時はすでに物語が始まりを迎える学園生活をしていて今更物語を変える事ができない状況に。
そのため主人公がちゃんと攻略相手達と出会えるように必死に悪役を演じているのだがなぜか主人公になつかれ物語の展開が少し変わってしまう。さらにはいじめっ子達を毛嫌いするはずの攻略相手達や主人公達と敵対する非攻略相手達にまで好かれてしまった。彼女の人生はそこから少しずつ変わっていってしまう。
亜由美心の声「主人公をいじめる悪役令嬢に付き従ういじめっ子グループのリーダーで直ぐにやられるだけのモブキャラのはずでは!?」
毎週月曜午前3時更新です。
※注意※
この物語はいじめっ子グループのリーダーとなったモブキャラ転生の主人公のお話です。序盤にはいじめのシーンが出てきます苦手な方はご注意下さい。
大正政略恋物語
遠野まさみ
恋愛
「私は君に、愛など与えない」
大正時代。
楓は両親と死に別れ、叔父の堀下子爵家に引き取られた。
しかし家族としては受け入れてもらえず、下働きの日々。
とある日、楓は従姉妹の代わりに、とある資産家のもとへ嫁ぐことになる。
しかし、婚家で待っていたのは、楓を拒否する、夫・健斗の言葉で・・・。
これは、不遇だった少女が、黒の国・日本で異端の身の青年の心をほぐし、愛されていくまでのお話。
平和的に婚約破棄したい悪役令嬢 vs 絶対に婚約破棄したくない攻略対象王子
深見アキ
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢・シェリルに転生した主人公は平和的に婚約破棄しようと目論むものの、何故かお相手の王子はすんなり婚約破棄してくれそうになくて……?
タイトルそのままのお話。
(4/1おまけSS追加しました)
※小説家になろうにも掲載してます。
※表紙素材お借りしてます。
悪役令嬢は婚約破棄したいのに王子から溺愛されています。
白雪みなと
恋愛
この世界は乙女ゲームであると気づいた悪役令嬢ポジションのクリスタル・フェアリィ。
筋書き通りにやらないとどうなるか分かったもんじゃない。それに、貴族社会で生きていける気もしない。
ということで、悪役令嬢として候補に嫌われ、国外追放されるよう頑張るのだったが……。
王子さま、なぜ私を溺愛してらっしゃるのですか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる