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16. ここで会ったのも何かの縁だ
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馴染みの甘味処を通り過ぎようとしたところで、小紫女学校指定の藤紫の袴が見えた。
手前の席に座っている女性の頭には大ぶりの青いリボン、その正面には若い男が座っている。異質な光景に気になって近づくと、男が口を開く。
「それじゃ、話をまとめますと。不審な物音がして起き上がったあなたは、怪盗鬼火の去っていく足音を聞いたと」
「ええ、そういうことになります」
可愛らしい声で頷く彼女の言葉に、男がふむふむと頷く。そのくたびれたスーツは記憶にある背中と重なった。
「篝さん……?」
絃乃が名前を呼びかけると、男が振り返る。不思議そうな顔から一転、握りしめていた鉛筆をマイクのように向ける。
「ああ、百合子お嬢さんのお友達の! そうか、お嬢さんは小紫女学校に通っているんでしたね」
「白椿絃乃です。篝さんは何を?」
「何って、取材ですよ。このお嬢さんのお宅に怪盗が現れたと聞いたので、詳しい話を聞いていたところです」
篝の真向かいに座っていた女学生は二人を見比べ、こてんと首を傾けた。
「お姉様は、篝様のお知り合いなのですか?」
「え、ええ。まあ」
「そうでしたの。わたくし、世間知らずで……。言われるままについてきてしまって、不安でしたの。お姉様の知人なら心配は無用ですわね」
「そ、そうね。この人は大丈夫よ」
乙女ゲームの攻略対象の一人だ。ある意味、身元はしっかりしている。
おとなしそうな下級生はおもむろに立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。髪を結わえていたリボンが一緒にお辞儀する。
「それでは、わたくしはこれで。大福、ごちそうさまでした」
「ああ。取材のご協力、ありがとう」
「お姉様もごきげんよう」
律儀に挨拶をしていく下級生を見送り、絃乃は篝を見下ろす。その視線を受けて、彼は気まずいように顎をさすりながら、視線を横にそらす。
「俺って、そんなに危ないやつに見える?」
「危ないというか、格好が……その、うさんくさいですよね」
「うぐ。意外とハッキリ言うね。これ、結構気に入っているんだけどな。上司のお古だが、着心地は抜群なんだ」
それはゲームの台詞と同じ言い訳で、思わず小さく笑うと、篝が苦笑した。
今世で会うのは二回目だが、前世での思い出があるからか、昔なじみと会ったような気分だ。篝もヒロインの友人と知っているからか、砕けた雰囲気になっている。
「ここで会ったのも何かの縁だ。よければ、ごちそうするよ」
「……では、お言葉に甘えますね」
下級生が座っていた席に腰を下ろす。持っていた風呂敷は隣の席に置いた。
「何がいい?」
「そうですね、私も大福がいいです」
「わかった。遠慮なく食べてくれ」
あまり待たずに注文したものが運ばれてきて、目線で食べるように促される。
もちもちとした食感の後、くどくない甘みが口の中に広がる。上品な餡に舌鼓を打ち、口の端についた片栗粉を指先で簡単にぬぐう。
すると、取材の資料をまとめているのか、小さな帳面に書き込んでいた篝がふと顔を上げた。話をする頃合いを待っていたのかもしれない。
「百合子お嬢さんは、その後どうだ? 婚約者殿と仲良くやっているか」
てっきり怪盗鬼火の話題が振られると思っていただけに、拍子抜けする。と同時に、なんだか不憫な気持ちを抱いてしまう。
「……やっぱり、まだ彼女のことが好きなんですか?」
「仮にそうだとしても、俺は見守る派だ。気になっていた女性の幸せを願って何が悪い」
「あ、開き直りましたね」
半眼して見やるが、篝はこたえた様子はなく、声のトーンを低くして問う。
「雪之丞は音沙汰なしか? しつこくつきまとっているって言っていただろ」
「そうですね。百合子が婚約して諦めたんじゃないですか。婚約後は名前も聞きませんし」
「……で、藤永ってやつは信頼の置ける男なのか?」
緊張した面持ちで答えを待っている篝に、絃乃はため息をつく。
要するに百合子についての話を聞ける人物だから、ごちそうしてくれたのだろう。
「聞きたい質問はそれですか。興信所に知り合いがいるって言っていませんでした?」
「興信所に行くまでもない。あいつは嘘みたいに紳士な男だ。疑ってかかっても何も出てこねぇよ」
「一度敗北したような言い方ですね」
「だが、そういうやつほど腹に一物抱えているもんだろ? 品行方正の裏側が知りてぇんだよ、俺は」
確かにそれは一理ある。
前回会ったときのことを思い返し、何か気になる部分はなかったかと考える。しかし、ゲームの知識と合わせてみても、彼の心配は杞憂だと思えた。
「友人の立場から言わせてもらいますけど……彼は、うっかり好きになる女性が数多くいると思います。そのぐらい魅力的です。欠点らしい欠点は見当たりません」
「……そうだろうとも」
「今度はすねちゃいましたか。一人ぐらいはいるんじゃないですか? 嘘みたいな紳士が」
実は筆無精という短所があるのだが、これは秘密にしておいていいだろう。
(それ以外は完璧だものね。篝さんが嫉妬するのもわかるけれど……)
八尋は、昔の恋人とのやりきれない思いを乗りこえた後、一途に愛を囁く。きれいな思い出の中ではなく、今を生きているヒロインと愛を育むのだ。
それこそ漫画のような展開だが、現に乙女ゲームの攻略対象なのだから、当然といえば当然の流れだ。それに、裏で画策する邪な思いを抱くような人物設定ではない。
そんな裏事情を知らない篝は、腕を組んで背もたれにもたれかかる。
「……俺はな、百合子お嬢さんには幸せになってもらいたいんだ。結婚後に不幸になるような結末は回避してほしいんだ」
本当に好きなのだということが伝わってきて、不意に切なさがこみ上げてくる。
(百合子とは結ばれないルートだから、彼の相手役は不在なのよね)
複雑な気持ちを押し隠し、絃乃は明るい声で話題を変える。
「どこが好きなんです? 百合子のこと」
「…………なんてことを聞くんだ?」
口に手を当てて驚き、信じられないといった反応が返ってきて、聞いてほしくないことなんだと当たりをつける。
そうだとわかれば、好奇心がくすぐられても仕方のないことで。
「いいじゃないですか、減るものでもないし。第一、その恋はもう実らないのは確定しているんですから」
「……お嬢さんも、だいぶ外行きの顔が剝がれてきたな」
「篝さんには素でもいいかなって。何というか、親戚のおじさまみたいな……」
「俺はおじさんじゃねぇ」
即座に否定が入ったが、軽く聞き流すことにした。
「それで? どこに惚れちゃったんですか? やっぱり顔ですか? 容姿ですか?」
「お前、楽しんでいるだろ……」
「否定はしません」
「華族の令嬢って聞いていたんだがな……。もう一人の友人をつかまえるべきだったか?」
「今さら後悔しても遅いですよ。それに、雛菊には婚約者がいます」
「人選を誤ったな……」
本気で後悔しているらしく、うなだれてしまった。
しかし、それとこれとは話が別だ。ゲームでは聞けなかったことが、今なら聞ける。こんな機会を逃す手はない。
絃乃は追及の手をゆるめず、有無を言わさない笑顔で告げる。
「誰にも言いませんから、そろそろ教えてくださいよ」
言葉に詰まった様子の篝は大げさほどに息を吐き出し、頭をわしゃわしゃと掻く。
「……全部だよ、全部。惚れたやつのことは、全部ひっくるめて好きになって当然だろう」
「ははあ、そうきましたか」
「なんだよ。あんた、性格悪いぞ……?」
「そうですか。それはたぶん……」
前世の記憶があるからじゃないですか?
口の中で答えて、絃乃は自分の失態を悟った。普段は絃乃として振る舞っていたつもりだが、今は完全に前世モードだった。
三十路ともなると、教育係に指名されることも少なくない。教育係をしていた延長で、年下男子の恋愛相談を受けたこともある。つい前世のくせで、ほいほい聞き出してしまったが、花も恥じらう乙女である自覚が足りなかったかもしれない。
(いけない、いけない。今は香凜じゃなくて絃乃だった。気をつけなくちゃ)
先ほどから篝の視線が痛い。咳払いでごまかすと、篝が言葉の先を促す。
「たぶん、なんだよ?」
「……篝さんと打ち解けてきた証しってことですよ」
「それはそれは、光栄なことだな……」
まったく心がこもっていない声で、遠い目をしている。次からは対応に注意しよう。今は十代のうら若き乙女。そう自分に言い聞かせ、残りの大福を胃の中に収めた。
手前の席に座っている女性の頭には大ぶりの青いリボン、その正面には若い男が座っている。異質な光景に気になって近づくと、男が口を開く。
「それじゃ、話をまとめますと。不審な物音がして起き上がったあなたは、怪盗鬼火の去っていく足音を聞いたと」
「ええ、そういうことになります」
可愛らしい声で頷く彼女の言葉に、男がふむふむと頷く。そのくたびれたスーツは記憶にある背中と重なった。
「篝さん……?」
絃乃が名前を呼びかけると、男が振り返る。不思議そうな顔から一転、握りしめていた鉛筆をマイクのように向ける。
「ああ、百合子お嬢さんのお友達の! そうか、お嬢さんは小紫女学校に通っているんでしたね」
「白椿絃乃です。篝さんは何を?」
「何って、取材ですよ。このお嬢さんのお宅に怪盗が現れたと聞いたので、詳しい話を聞いていたところです」
篝の真向かいに座っていた女学生は二人を見比べ、こてんと首を傾けた。
「お姉様は、篝様のお知り合いなのですか?」
「え、ええ。まあ」
「そうでしたの。わたくし、世間知らずで……。言われるままについてきてしまって、不安でしたの。お姉様の知人なら心配は無用ですわね」
「そ、そうね。この人は大丈夫よ」
乙女ゲームの攻略対象の一人だ。ある意味、身元はしっかりしている。
おとなしそうな下級生はおもむろに立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。髪を結わえていたリボンが一緒にお辞儀する。
「それでは、わたくしはこれで。大福、ごちそうさまでした」
「ああ。取材のご協力、ありがとう」
「お姉様もごきげんよう」
律儀に挨拶をしていく下級生を見送り、絃乃は篝を見下ろす。その視線を受けて、彼は気まずいように顎をさすりながら、視線を横にそらす。
「俺って、そんなに危ないやつに見える?」
「危ないというか、格好が……その、うさんくさいですよね」
「うぐ。意外とハッキリ言うね。これ、結構気に入っているんだけどな。上司のお古だが、着心地は抜群なんだ」
それはゲームの台詞と同じ言い訳で、思わず小さく笑うと、篝が苦笑した。
今世で会うのは二回目だが、前世での思い出があるからか、昔なじみと会ったような気分だ。篝もヒロインの友人と知っているからか、砕けた雰囲気になっている。
「ここで会ったのも何かの縁だ。よければ、ごちそうするよ」
「……では、お言葉に甘えますね」
下級生が座っていた席に腰を下ろす。持っていた風呂敷は隣の席に置いた。
「何がいい?」
「そうですね、私も大福がいいです」
「わかった。遠慮なく食べてくれ」
あまり待たずに注文したものが運ばれてきて、目線で食べるように促される。
もちもちとした食感の後、くどくない甘みが口の中に広がる。上品な餡に舌鼓を打ち、口の端についた片栗粉を指先で簡単にぬぐう。
すると、取材の資料をまとめているのか、小さな帳面に書き込んでいた篝がふと顔を上げた。話をする頃合いを待っていたのかもしれない。
「百合子お嬢さんは、その後どうだ? 婚約者殿と仲良くやっているか」
てっきり怪盗鬼火の話題が振られると思っていただけに、拍子抜けする。と同時に、なんだか不憫な気持ちを抱いてしまう。
「……やっぱり、まだ彼女のことが好きなんですか?」
「仮にそうだとしても、俺は見守る派だ。気になっていた女性の幸せを願って何が悪い」
「あ、開き直りましたね」
半眼して見やるが、篝はこたえた様子はなく、声のトーンを低くして問う。
「雪之丞は音沙汰なしか? しつこくつきまとっているって言っていただろ」
「そうですね。百合子が婚約して諦めたんじゃないですか。婚約後は名前も聞きませんし」
「……で、藤永ってやつは信頼の置ける男なのか?」
緊張した面持ちで答えを待っている篝に、絃乃はため息をつく。
要するに百合子についての話を聞ける人物だから、ごちそうしてくれたのだろう。
「聞きたい質問はそれですか。興信所に知り合いがいるって言っていませんでした?」
「興信所に行くまでもない。あいつは嘘みたいに紳士な男だ。疑ってかかっても何も出てこねぇよ」
「一度敗北したような言い方ですね」
「だが、そういうやつほど腹に一物抱えているもんだろ? 品行方正の裏側が知りてぇんだよ、俺は」
確かにそれは一理ある。
前回会ったときのことを思い返し、何か気になる部分はなかったかと考える。しかし、ゲームの知識と合わせてみても、彼の心配は杞憂だと思えた。
「友人の立場から言わせてもらいますけど……彼は、うっかり好きになる女性が数多くいると思います。そのぐらい魅力的です。欠点らしい欠点は見当たりません」
「……そうだろうとも」
「今度はすねちゃいましたか。一人ぐらいはいるんじゃないですか? 嘘みたいな紳士が」
実は筆無精という短所があるのだが、これは秘密にしておいていいだろう。
(それ以外は完璧だものね。篝さんが嫉妬するのもわかるけれど……)
八尋は、昔の恋人とのやりきれない思いを乗りこえた後、一途に愛を囁く。きれいな思い出の中ではなく、今を生きているヒロインと愛を育むのだ。
それこそ漫画のような展開だが、現に乙女ゲームの攻略対象なのだから、当然といえば当然の流れだ。それに、裏で画策する邪な思いを抱くような人物設定ではない。
そんな裏事情を知らない篝は、腕を組んで背もたれにもたれかかる。
「……俺はな、百合子お嬢さんには幸せになってもらいたいんだ。結婚後に不幸になるような結末は回避してほしいんだ」
本当に好きなのだということが伝わってきて、不意に切なさがこみ上げてくる。
(百合子とは結ばれないルートだから、彼の相手役は不在なのよね)
複雑な気持ちを押し隠し、絃乃は明るい声で話題を変える。
「どこが好きなんです? 百合子のこと」
「…………なんてことを聞くんだ?」
口に手を当てて驚き、信じられないといった反応が返ってきて、聞いてほしくないことなんだと当たりをつける。
そうだとわかれば、好奇心がくすぐられても仕方のないことで。
「いいじゃないですか、減るものでもないし。第一、その恋はもう実らないのは確定しているんですから」
「……お嬢さんも、だいぶ外行きの顔が剝がれてきたな」
「篝さんには素でもいいかなって。何というか、親戚のおじさまみたいな……」
「俺はおじさんじゃねぇ」
即座に否定が入ったが、軽く聞き流すことにした。
「それで? どこに惚れちゃったんですか? やっぱり顔ですか? 容姿ですか?」
「お前、楽しんでいるだろ……」
「否定はしません」
「華族の令嬢って聞いていたんだがな……。もう一人の友人をつかまえるべきだったか?」
「今さら後悔しても遅いですよ。それに、雛菊には婚約者がいます」
「人選を誤ったな……」
本気で後悔しているらしく、うなだれてしまった。
しかし、それとこれとは話が別だ。ゲームでは聞けなかったことが、今なら聞ける。こんな機会を逃す手はない。
絃乃は追及の手をゆるめず、有無を言わさない笑顔で告げる。
「誰にも言いませんから、そろそろ教えてくださいよ」
言葉に詰まった様子の篝は大げさほどに息を吐き出し、頭をわしゃわしゃと掻く。
「……全部だよ、全部。惚れたやつのことは、全部ひっくるめて好きになって当然だろう」
「ははあ、そうきましたか」
「なんだよ。あんた、性格悪いぞ……?」
「そうですか。それはたぶん……」
前世の記憶があるからじゃないですか?
口の中で答えて、絃乃は自分の失態を悟った。普段は絃乃として振る舞っていたつもりだが、今は完全に前世モードだった。
三十路ともなると、教育係に指名されることも少なくない。教育係をしていた延長で、年下男子の恋愛相談を受けたこともある。つい前世のくせで、ほいほい聞き出してしまったが、花も恥じらう乙女である自覚が足りなかったかもしれない。
(いけない、いけない。今は香凜じゃなくて絃乃だった。気をつけなくちゃ)
先ほどから篝の視線が痛い。咳払いでごまかすと、篝が言葉の先を促す。
「たぶん、なんだよ?」
「……篝さんと打ち解けてきた証しってことですよ」
「それはそれは、光栄なことだな……」
まったく心がこもっていない声で、遠い目をしている。次からは対応に注意しよう。今は十代のうら若き乙女。そう自分に言い聞かせ、残りの大福を胃の中に収めた。
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