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1. 幽霊さんとはお話しできません!

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「はぁぁぁ、自分の才能がうらめしい……もしかしなくとも神様に嫌われているのかしら」

 賀茂川の河川敷で、絃乃いとのは大きな独り言をぼやく。
 その場にしゃがみこみ、ほころびかけた蕾に向かって話し出す。

「あなたはどう思う? 好きな気持ちは誰にも負けないのに、花器を生ける器量がゼロの私はこれからどう生きたらいいのかしら。美しさを半減……いいえ、先生いわく『花を冒涜したかのような出来映え』と評される女など、誰も嫁に貰いたがらないわよね」

 群生する待宵草をぼんやりと眺める。

(つくづく、自分の不器用さに悲しくなってくるのだけど)

 夕刻に咲き始め、朝にはしぼんでしまう黄色の花弁を指先でつつく。
 美しく生けようとする気合いだけは充分だったが、いざ完成したものを見ると、級友の作品と比べるのもおこがましい。
 そして今日、今まで誰も遠慮していた一言を、とうとう先生に言わせてしまった。

(思い描いたとおりに、どうしてならないの……)

 何度目かのため息がもれる。

「私もお手本の先生みたいに飾れたら素敵よね。いつか、この夢が叶うように、あなたも応援してくれる?」

 初夏の風に揺れる花を見つめるが、当然返事はない。
 そろそろ帰ろうかと暮れゆく空を見上げる。
 朱色の空に輝くのは白い月。起き上がり、小袖と藤紫の行灯あんどん袴についた土埃を払う。

「花との語らいは終わったのですか?」
「……っ……!」

 ひとりの世界に浸っていた絃乃は、びくりと肩を揺らした。

(誰もいないと思っていたのに……っ!?)

 花に話しかけている女など、せいぜい罵倒されるのが関の山だ。しかし、周りを見渡しても声の主は見当たらない。空耳でないとすれば、一体どこから。
 悶々と考えていると、一番考えたくない可能性にたどり着いた。

「……ごっ、ごめんなさい! わわわ、私っ、幽霊さんとはお話しできません! 話し相手ならよそを当たってください!」

 姿が見えない声といえば幽霊しかいない。そう結論づけた絃乃は背筋を震わしながらも、できるだけ丁重に退場を願い出た。だが、声は尚も聞こえてきた。

「あのう」
「ひぃ! やだやだ、末永く成仏してぇぇ!」

 固く目をつぶり、再びしゃがみこむ。両手をすり合わせ、念仏を唱え始める。

「ご期待に添えずに申し訳ないのですが、幽霊ではありませんよ」
「……え?」

 幽霊からの思わぬ否定に、驚いて瞼を持ち上げた。
 土手に寝そべっていた男はむくりと体を起こし、下駄を鳴らしながら絃乃の前に立つ。

「ほら、足もちゃんと地面に着いていますし。何より、まだ人の往来が多い時間帯です」

 落ち着いた声音に、着流した井桁絣いげたがすりの足元をまじまじと見つめる。

(見たところ、浮いてる様子もない……。ということは)

 こわごわと視線を上へ移動すると、若い男と目が合う。
 優しげな双眸が印象的だった。男は安心させるためか、おどけて笑ってみせる。
 どうやら悪い人ではないらしい。けれど、心配性の絃乃は懐疑の目を向けた。

「で、では。現世に未練があって化けてきた人ではないのですか……?」
「違いますよ。生身の体ですし、今この瞬間もしっかりと生きています」

 断言する声を耳にし、強張っていた体からふっと力が抜ける。

(よかった、幽霊に話しかけられたんじゃなくて。よく考えれば、出るとしたら深夜よね)

 そこまで考え、絃乃は自分の失態に遅れて気づく。

「と、とんだ失礼を……!」
「いいえ、とんでもないです。僕が急に声をかけたせいで、驚かせてしまったようですし」

 男は気を悪くした様子はなく、立てますか、と声をかける。
 絃乃はこくりと頷く。自力で立ち上がり、改めて男に謝罪した。

「お見苦しいところを見せてしまって、ごめんなさい。他に人がいるなんて思わなくて」
「これは僕の憶測ですが。先ほどの光景は、今日に限ったことではないのでは?」
「う。……まさか、以前にもご覧になりました……?」

 図星をつかれ、上目遣いに見上げる。否定してくれることを願いながら、言葉を待つ。

「いえ、今日が初めてです」
「でしたら、どうして」
「そんなに怖い目をしないでください。なんとなく、そんな気がしただけです」

 男は困ったように両手を挙げた。言葉の真偽を確かめるべく、絃乃が注視していたからだ。
 関心の矛先を変えようと、男は慌てたように語を継ぐ。

「ところで、青の矢絣やがすりに藤紫の袴。もしや、小紫女学生の方では?」
「え、あ。……はい、そうですけれど」
「確か、華道に力を入れた学校ですよね。優秀な指導者がいるなら、これから上達しますよ」

 けれど、励ましの言葉ですら、今の絃乃には傷口に塩を塗る行為に等しい。

「華道の成績が『丙』でもですか?」
「……なるほど、それが重いため息の原因ですか」

 得心がいった様子で、男は顎をさする。

「さようでございます。私にはお花を生ける才能が皆無のようでして」

 絃乃は自嘲気味に返事した。
 良妻賢母となるため、女学校の授業はそれに準じた内容になっている。修身、国語、数学、歴史といった科目の他に、花嫁修業に関する科目がある。家事や裁縫、琴、華道の授業は多めに時間割に組み込まれ、絃乃を悩ませる原因となっている。

「……そういえば。あなたこそ、ここで何をしていたのですか?」
「ああ、草花を写生していました。ただ、思いのほか居心地がよくて、仮眠のつもりがぐっすり寝てしまったようですが」

 男は説明すると、先ほど寝そべっていた土手から帳面を持ってきた。表紙をめくり、ぱらぱらと用紙を繰っていくと、描き途中の花が描かれていた。

「……お上手ですね」
「ありがとうございます。よろしければ、ご覧になりますか」
「よろしいのですか? ぜひ!」

 女学生としての淑女らしさを忘れ、絃乃は差し出された帳面に飛びついた。
 どれも葉脈まで丹念に描きこまれている。一枚一枚が丁寧に描かれており、まるで目の前に花を見ているような錯覚を覚えた。

「……あら? 図書館でしか見たことのない花もある……」
「書物から模写することもありますので」

 すぐに答える声に納得しつつ、ページを繰っていく。

「桔梗の花言葉は『誠実』。紫苑は『君を忘れない』。福寿草は『幸福を招く』……」

 自然と自分の口からもれた声に、男が感心したように言う。

「ずいぶんと詳しいのですね」
「いえ、私の知識なんて本からかじった程度ですから。……素敵な絵でした。見せていただいて、ありがとうございました」
「こちらこそ、感想をいただけて励みになりましたよ」

 すっかり日も沈み、辺りは夜の気配で満たされていた。
 こんな時間に河川敷に降りる人間は、酔狂と思われても仕方がない。

「そろそろ帰る時間ですね。よければ途中までお送りしましょうか?」
「い、いえ。一人で大丈夫です」

 慌てて手を振って断ると、男は朗らかに笑う。

「そうですか? では、夜道にはお気をつけて」
「……ええ、ごきげんよう」

 不思議な男との出会いに奇妙な縁を感じつつ、絃乃は家路を急いだ。
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