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第四章
55. 海よりも谷よりも深い理由
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犯人たちは無事、憲兵の手によって牢屋へ連行された。
リシャールとジークフリートは、注目を集めていたイザベルを隠すようにして、エルライン家に連れ戻した。その後、ジークフリートは疲れたような顔をして帰っていった。
要注意人物として扱われた感が否めなかったが、リシャールに湯浴みを勧められるまま、沐浴と着替えを済ませ、一息ついたときには日が暮れていた。
無断外出については、リシャールがごまかしてくれたので、夕食の席は滞りなく済んだ。てっきり逆上した母親の前に生け贄よろしく差し出されるかと思っていたので、その点に関しては感謝しかない。
外は夜の静けさに包まれている。就寝の支度も済んだ今なら、邪魔が入る心配もない。
白い湯気が立ちのぼるティーカップをソーサーに戻し、イザベルは口火を切った。
「それで? 話っていうのは、何の話なのかしら。今はわたくししかいないのだから、座ってちょうだい」
リシャールは逡巡した末、真向かいの席に腰を下ろした。まるで最終面接に臨むように、両拳を膝に置いた姿勢のまま口だけを開く。
「お嬢様は魔女の存在を信じますか?」
「……魔女? おとぎ話に出てくるような魔女のこと?」
「そうです」
前世で魔女といえば、十代前半の主人公のアニメが思い浮かぶが、もっと古式ゆかしい存在のことだろう。
イザベルは顎に人差し指を当てて考え込む。
「昔はいたかもしれないとは思うけど、今はわからないわね。仮にいたとしても、簡単には会えない存在なんじゃないかしら」
「さようでございますか」
「婚約破棄の件は……魔女が関わっているのね?」
「…………」
沈黙が肯定の証しだった。
「話してくれないかしら。どうして、あなたがここまでするのか。話の内容によっては、婚約破棄できるよう、わたくしも協力するわ」
「……魔女の……予知夢があったのです。イザベル様とジークフリート様が結婚なさると将来、魔女狩りが行われだろう、と」
魔女狩りとは、絵本によくある、魔女を悪として断罪するものだろう。
問題は彼がなぜ魔女を守ろうとしているか、ということだ。
(リシャールは大事な人が不幸にならないために、裏で婚約破棄を画策していたのよね。ということは、そこまでして彼が守りたい人は??魔女?)
相手は身内なのか、一方的に恋する相手なのかはわからない。けれど、主人に宣戦布告するほどに大切な女性であることは間違いない。
(でも魔女の予知夢って……当たるのかしら)
外れることを微塵にも思ってもいない翡翠の瞳に見つめられ、予知夢はほぼ外れないことを確信する。
「リシャールは……魔女狩りを阻止したいのね?」
「そのとおりです」
「回りくどく婚約破棄に持ちこむ前に、私を暗殺すれば話が早いのではなくて? それをしない理由は何かしら」
見習いとはいえ、彼はイザベル付きの執事だ。毒殺もたやすいはず。むしろ、年を老けさせる毒薬を飲ませたのはリシャールという可能性もある。
だが、その推測は彼の苦笑で吹き飛んだ。
「私はあなたには生きて幸せになってほしいのです」
いつもの無駄にキラキラしたエフェクトを背景にした笑顔ではない。
切なげで、笑おうとしたけど失敗したような、不器用な微笑みだ。本心を述べているのだと直感した。
心はぐらぐらと揺れたが、悪役令嬢の矜持にかけて、虚勢は保たねばならない。彼の胸中を、真意を、まだ完全に把握できていない。
「敵だと宣戦布告の上、さんざん嫌がらせをしておいて、その言葉を信じろと?」
「……お嬢様の言い分はもっともです。ですが、あなたの言葉に私は救われたことがあります。お嬢様には、しかるべき別のお相手とご結婚していただきたいのです」
「わたくしの言葉?」
「ええ。不器用な上に失敗続きで旦那様からお叱りを受けていたとき、『あなたはわたくしの執事なのだから、失敗の責は主人であるわたくしが背負います。だから失敗を恐れず、前を向いて生きなさい』と十歳のお嬢様に言われました」
確かあまりにも不憫で見ていられなかったから、思わず口を出したのだ。でも、六年も前のことをまだ覚えているなんて想像だにしなかった。
不器用だったはずの彼は器用になり、立派な執事に成長している。これもひとえに影で努力をしてきた賜物だろう。
恩義を感じてくれているのはうれしいが、こちらはきっぱりはっきりと敵認定を受けた身。
(さて、どうしましょうか……。乙女ゲームに魔女なんて存在は出てこなかったし)
問題はそこである。魔女という要素はゲームには一切出てこなかった。
ゲームの趣旨はあくまで乙女ゲーム。自分好みの男性キャラの好感度を上げ、用意されたイベントをこなし、正しい選択肢を選ぶことによって、最高のエンディングを迎えることができるのだ。
魔法や魔女といったファンタジーの要素は『薔薇の君と紡ぐ華恋』にはなかった。自由時間に会いに行く攻略キャラを選び、画面下に表示される二択や三択の選択肢を選ぶという一般的なゲームだった。
腑に落ちない点といえば、ずっと疑問だったことがある。
どうしてゲームの終盤、イザベルが老婆に姿を変えたのか。テロップの説明では毒薬としか書かれていなかったが、魔女の秘薬だった可能性もあるのではないか。
(一般的に、毒薬って生死に関わるものよね。それが昔話のように老婆に姿を変化させるなんて効能、よく考えれば、まるで魔法みたい……)
仮に、魔法の薬だったとしたら辻褄も合う。
おそらく、リシャールは魔女と親しい仲なのだろう。魔女狩り防止のために、最後の手段として、魔女の秘薬を手に入れる。婚約者が行方をくらませたとなれば、ジークフリートも諦めるより他ない。
結果、予知夢で知り得た未来を覆すことができる。
(うーん。……だけど、リシャールがそんなことをするとは思えないのよね)
もしや、ゲーム内のイザベルは、専属執事から嫌われていたのだろうか。しかしながら、それを知るすべはない。
もうここはゲームと似て非なる世界だ。イザベルはもちろん、登場人物の性格や行動も少しずつ公式設定とズレが生じている。
「ねえ、ひとつ聞いておきたいのだけど」
「なんでしょうか」
「……あなた、わたくしに怪しい薬を飲ませる気はある?」
リシャールは数秒固まった後、黒いキラキラしたエフェクトをバックに、見ほれてしまうほどの笑顔を向けた。これは静かにお怒りのときの顔だ。
「一体、何の心配をしているのかは知りませんが……私がイザベル様にそんな怪しげな薬を飲ませるわけないでしょう」
「だ……だけど。最終手段として、それしか方法がないのだとしたら、わからないでしょう?」
「…………魔女の力を私利私欲のために使おうとは思いません。第一、それは彼女が一番嫌うことです。それに恩義を感じている方に、苦しめるようなものを飲ませる必要性がわかりません」
はっきりと否定され、イザベルは目を丸くした。
嘘を言っている様子はない。翡翠の瞳の中には反応に困ったイザベルが映っている。リシャールは笑顔をキープしたまま、主人の答えを静かに待っている。
そこから導き出される真実はひとつだった。
「リシャール……あなたって本当にわたくしが好きなのね」
「は?」
「あ、この場合は、主人を思いやる自分が好きなのかしら」
しみじみと言い直すと、リシャールが目を細めて無言で圧力をかけてきた。見下されているようで視線が痛い。言葉を間違ったと思うが、すでに遅い。
萎縮するように体を縮こませていると、小さなため息の後、半音低い声が聞こえてきた。
「……好きは好きでも、お仕えする主人としてです」
ぼやくような言葉は昔馴染みのような気安さがあり、イザベルは息を飲んだ。
リシャールは明後日の方向を見ている。完璧執事を演じていた彼の仮面が外れ、不機嫌そうな横顔がさらされる。
(素直な言葉が返ってくるなんて、明日は槍でも降ってくるかしらね……)
イザベルは立ち上がり、窓枠に手を置く。
星空のカーテンに包まれた空は、藍色と黒を混ぜたような色で染められた中、点々と小さな星が瞬いていた。
リシャールとジークフリートは、注目を集めていたイザベルを隠すようにして、エルライン家に連れ戻した。その後、ジークフリートは疲れたような顔をして帰っていった。
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無断外出については、リシャールがごまかしてくれたので、夕食の席は滞りなく済んだ。てっきり逆上した母親の前に生け贄よろしく差し出されるかと思っていたので、その点に関しては感謝しかない。
外は夜の静けさに包まれている。就寝の支度も済んだ今なら、邪魔が入る心配もない。
白い湯気が立ちのぼるティーカップをソーサーに戻し、イザベルは口火を切った。
「それで? 話っていうのは、何の話なのかしら。今はわたくししかいないのだから、座ってちょうだい」
リシャールは逡巡した末、真向かいの席に腰を下ろした。まるで最終面接に臨むように、両拳を膝に置いた姿勢のまま口だけを開く。
「お嬢様は魔女の存在を信じますか?」
「……魔女? おとぎ話に出てくるような魔女のこと?」
「そうです」
前世で魔女といえば、十代前半の主人公のアニメが思い浮かぶが、もっと古式ゆかしい存在のことだろう。
イザベルは顎に人差し指を当てて考え込む。
「昔はいたかもしれないとは思うけど、今はわからないわね。仮にいたとしても、簡単には会えない存在なんじゃないかしら」
「さようでございますか」
「婚約破棄の件は……魔女が関わっているのね?」
「…………」
沈黙が肯定の証しだった。
「話してくれないかしら。どうして、あなたがここまでするのか。話の内容によっては、婚約破棄できるよう、わたくしも協力するわ」
「……魔女の……予知夢があったのです。イザベル様とジークフリート様が結婚なさると将来、魔女狩りが行われだろう、と」
魔女狩りとは、絵本によくある、魔女を悪として断罪するものだろう。
問題は彼がなぜ魔女を守ろうとしているか、ということだ。
(リシャールは大事な人が不幸にならないために、裏で婚約破棄を画策していたのよね。ということは、そこまでして彼が守りたい人は??魔女?)
相手は身内なのか、一方的に恋する相手なのかはわからない。けれど、主人に宣戦布告するほどに大切な女性であることは間違いない。
(でも魔女の予知夢って……当たるのかしら)
外れることを微塵にも思ってもいない翡翠の瞳に見つめられ、予知夢はほぼ外れないことを確信する。
「リシャールは……魔女狩りを阻止したいのね?」
「そのとおりです」
「回りくどく婚約破棄に持ちこむ前に、私を暗殺すれば話が早いのではなくて? それをしない理由は何かしら」
見習いとはいえ、彼はイザベル付きの執事だ。毒殺もたやすいはず。むしろ、年を老けさせる毒薬を飲ませたのはリシャールという可能性もある。
だが、その推測は彼の苦笑で吹き飛んだ。
「私はあなたには生きて幸せになってほしいのです」
いつもの無駄にキラキラしたエフェクトを背景にした笑顔ではない。
切なげで、笑おうとしたけど失敗したような、不器用な微笑みだ。本心を述べているのだと直感した。
心はぐらぐらと揺れたが、悪役令嬢の矜持にかけて、虚勢は保たねばならない。彼の胸中を、真意を、まだ完全に把握できていない。
「敵だと宣戦布告の上、さんざん嫌がらせをしておいて、その言葉を信じろと?」
「……お嬢様の言い分はもっともです。ですが、あなたの言葉に私は救われたことがあります。お嬢様には、しかるべき別のお相手とご結婚していただきたいのです」
「わたくしの言葉?」
「ええ。不器用な上に失敗続きで旦那様からお叱りを受けていたとき、『あなたはわたくしの執事なのだから、失敗の責は主人であるわたくしが背負います。だから失敗を恐れず、前を向いて生きなさい』と十歳のお嬢様に言われました」
確かあまりにも不憫で見ていられなかったから、思わず口を出したのだ。でも、六年も前のことをまだ覚えているなんて想像だにしなかった。
不器用だったはずの彼は器用になり、立派な執事に成長している。これもひとえに影で努力をしてきた賜物だろう。
恩義を感じてくれているのはうれしいが、こちらはきっぱりはっきりと敵認定を受けた身。
(さて、どうしましょうか……。乙女ゲームに魔女なんて存在は出てこなかったし)
問題はそこである。魔女という要素はゲームには一切出てこなかった。
ゲームの趣旨はあくまで乙女ゲーム。自分好みの男性キャラの好感度を上げ、用意されたイベントをこなし、正しい選択肢を選ぶことによって、最高のエンディングを迎えることができるのだ。
魔法や魔女といったファンタジーの要素は『薔薇の君と紡ぐ華恋』にはなかった。自由時間に会いに行く攻略キャラを選び、画面下に表示される二択や三択の選択肢を選ぶという一般的なゲームだった。
腑に落ちない点といえば、ずっと疑問だったことがある。
どうしてゲームの終盤、イザベルが老婆に姿を変えたのか。テロップの説明では毒薬としか書かれていなかったが、魔女の秘薬だった可能性もあるのではないか。
(一般的に、毒薬って生死に関わるものよね。それが昔話のように老婆に姿を変化させるなんて効能、よく考えれば、まるで魔法みたい……)
仮に、魔法の薬だったとしたら辻褄も合う。
おそらく、リシャールは魔女と親しい仲なのだろう。魔女狩り防止のために、最後の手段として、魔女の秘薬を手に入れる。婚約者が行方をくらませたとなれば、ジークフリートも諦めるより他ない。
結果、予知夢で知り得た未来を覆すことができる。
(うーん。……だけど、リシャールがそんなことをするとは思えないのよね)
もしや、ゲーム内のイザベルは、専属執事から嫌われていたのだろうか。しかしながら、それを知るすべはない。
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「ねえ、ひとつ聞いておきたいのだけど」
「なんでしょうか」
「……あなた、わたくしに怪しい薬を飲ませる気はある?」
リシャールは数秒固まった後、黒いキラキラしたエフェクトをバックに、見ほれてしまうほどの笑顔を向けた。これは静かにお怒りのときの顔だ。
「一体、何の心配をしているのかは知りませんが……私がイザベル様にそんな怪しげな薬を飲ませるわけないでしょう」
「だ……だけど。最終手段として、それしか方法がないのだとしたら、わからないでしょう?」
「…………魔女の力を私利私欲のために使おうとは思いません。第一、それは彼女が一番嫌うことです。それに恩義を感じている方に、苦しめるようなものを飲ませる必要性がわかりません」
はっきりと否定され、イザベルは目を丸くした。
嘘を言っている様子はない。翡翠の瞳の中には反応に困ったイザベルが映っている。リシャールは笑顔をキープしたまま、主人の答えを静かに待っている。
そこから導き出される真実はひとつだった。
「リシャール……あなたって本当にわたくしが好きなのね」
「は?」
「あ、この場合は、主人を思いやる自分が好きなのかしら」
しみじみと言い直すと、リシャールが目を細めて無言で圧力をかけてきた。見下されているようで視線が痛い。言葉を間違ったと思うが、すでに遅い。
萎縮するように体を縮こませていると、小さなため息の後、半音低い声が聞こえてきた。
「……好きは好きでも、お仕えする主人としてです」
ぼやくような言葉は昔馴染みのような気安さがあり、イザベルは息を飲んだ。
リシャールは明後日の方向を見ている。完璧執事を演じていた彼の仮面が外れ、不機嫌そうな横顔がさらされる。
(素直な言葉が返ってくるなんて、明日は槍でも降ってくるかしらね……)
イザベルは立ち上がり、窓枠に手を置く。
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