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第四章

48. 籠の鳥になるつもりはありません

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 庭が見渡せる大きな窓を開け、真下をのぞきこむ。
 エルライン伯爵家の邸宅は二階建てだが、貴族の屋敷だけあって、高低差は庶民の家よりもはるかに大きい。
 窓の横でふわりと揺れるカーテンを視界の隅にとらえ、前世で読んだ漫画のワンシーンを回想する。犯人の手から逃れるために、危機が迫った主人公がカーテンを命綱にして窓から地上へ降り立つ。
 その姿を自分に当てはめてみるが、颯爽と着地する姿が想像できない。

「うーん。漫画みたいに窓から降りるのは……やっぱり無謀よね……」

 となると、奥の手を使うしかない。
 イザベルはベッドに座り、枕元に忍ばせていた愛読書を取り出す。ページをめくり、しおり代わりに挟んでいた古い羊皮紙を抜き取った。
 拝借したままだった見取り図を広げ、自分が知っている道と照らし合わせる。

(……あった! これがきっと隠し通路ね)

 前回のお忍びは、使用人通路を使って外に出た。だがあの道は、リシャールも知っているため、先回りされたらおしまいだ。
 残る選択肢は、当主だけが知る隠し通路。有事の際にしか使われない避難経路を指でたどり、邸宅の裏へと抜ける道を見つける。
 続いて自室の位置を探す。クローゼット横にある鏡の場所に、黒い鍵の絵が描かれている。他の場所も調べると、書斎や家族の寝室にも同じ絵があった。

(これって隠し扉のマーク……かしら?)

 見取り図をポケットにしまいこみ、物は試しにと鏡の前で足を止める。目の前には、つり目がちの少女が不満げな顔で立っていた。
 現在、イザベルは自宅で軟禁中の身である。
 それもこれも、リシャールとジークフリートの二人が揃って「一人にしておくと、また屋敷を抜け出しかねない」などと言ったせいだ。朝食も部屋に運んできて、ほとぼりが冷めるまで閉じ込めておく魂胆が見え見えだ。
 イザベルの不満を紛らわすためか、朝食のメニューは好物ばかりだったので、美味しくいただいた。しかし、このまま籠の鳥になるつもりはない。
 城下町には犯人が潜伏中だ。確かに外出は控えるべきだろう。そこまでは理解できるが、安全のためという名目のもと、自室に押し込めるのはいかがなものか。
 昨夜から客室にはジークフリートが休んでおり、リシャールは厨房に飲み物を取りに行かせている。

(抜け出すなら、今しかない)

 お忍び用に用意していたフードつきローブを羽織り、姿見の位置を横にずらす。
 すると、隠されていた扉が出てきた。壁面と同じ柄だが、取っ手がついている。ゆっくりと扉を前に押し出すと、細い通路に出た。ギリギリ一人が通れるほどの狭さだ。
 早くしないと、リシャールが戻ってきてしまう。
 焦る手で鏡を元の位置に戻し、扉をゆっくりと閉める。完全に閉めると、光源がなくなった。あたり一面には漆黒の闇が広がる。

(しまったわ。ろうそくを持ってくるんだった……)

 けれども、もう後戻りはできない。今戻れば、きっと鉢合わせしてしまう。
 ここは記憶を頼りに先に進むしかない。
 それにしても、長年使われていない道だからだろうか。風が通らないせいか、空気が埃っぽい。袖を口元に当て、薄暗い道を壁伝いに進んだ。

      *

 いつもの紅茶ではなく、ブレンドしたハーブティーを用意して主人の部屋を訪れると、そこはもぬけの殻だった。
 念のため、見張り番に置いていた庭師の息子に尋ねると、部屋を出入りした者はいないと震える声で答えた。窓を調べたが、侵入者が押し入った形跡もない。
 客室でくつろいでいたジークフリートに事のあらましを伝えると、なんとも言えない顔をされた。責められるのを覚悟したが、彼は諦めたように告げた。

「こうなっては仕方がない。まずは彼女の捜索だ」
「かしこまりました」

 踵を返そうと半歩下がったところで、労わるような声が届く。

「君の責任ではない。あまり気に病むな。イザベルに振り回されることは慣れているだろう?」
「……ジークフリート様は落ち着いていらっしゃいますね」
「なんとなく、こうなるような気がしていた」
「それは、婚約者の勘ですか」

 リシャールはイザベルの専属執事だ。まだ執事見習いという身分ではあるが、彼女のお世話は昔から自分だけの特権だった。
 対するジークフリートは、イザベルの幼なじみでありながら、未来の夫でもある。お互いイザベルのそばにいても、その関係性は大きく異なる。
 主人のことはよく知ってるつもりでも、婚約者しか知らない一面もあるだろう。
 そもそも、婚約者と執事では踏みこめる領域が違う。疎外感を覚えるのは間違いだとわかっている。それでも、心のどこかで孤独を感じてしまう。
 ジークフリートは椅子から立ち上がり、リシャールの真正面に立つ。

「本当の意味で、イザベルは僕に心を許していない。実質のところ、婚約者とは名ばかりだ。君の方がはるかに信用されている」
「そんなことは……ありません」
「君の前でなら、彼女は素の自分をさらけだせる。僕の前にいるときは、だいたい猫を被っているからな」

 思ってもみないことを言われ、瞠目する。

「イザベルのことなら、僕より君の方が詳しいだろう。ときどき、僕は君がうらやましく思うよ」
「それは……なぜですか?」
「伯爵令嬢として……いや、次期公爵の婚約者として振る舞う彼女は、いつも窮屈そうだ。被らなくてはならない猫を被り、レディとして恥じないように気を配っている。それを強いているのは……僕の肩書きだ」

 常より砕けた雰囲気に変わったのを見て、リシャールは肩の力を抜く。ドアに背中を持たれかけるが、咎める声はない。
 今ここにいるのは、執事と公爵令息ではなく、旧知の友人だからだ。
 リシャールは目をすがめ、憎たらしいほど立ち姿まで絵になる男に尋ねる。

「公爵家の肩書きがわずらわしい、ということですか」
「……どうだろうな。それなりに責任はあるが、おかげで不自由のない生活が送れているし。将来、イザベルに金銭面で苦労をかける心配はないと思う」

 断言する声も低すぎず、耳に心地いい。発音に変な訛りもなく、聞き取りやすい速度のため、聞いている相手に安心感を与える。
 だが、彼は公爵家の嫡男だ。きっと、そうなることがわかって話している。口調を少し変えたのは、こちらの警戒心を緩めるためだろう。

(どこまでも食えない人ですね……)

 心の中で悪態をついていると、ジークフリートが腕組みをしながら唸るように言った。

「なぁ、リシャール。僕はやはり、君を嫌いにはなれない」
「……はい?」
「以前、君にイザベルに近づくなと警告されたな。もちろん、君がイザベルのことを大事にしていることは理解しているよ。だがそれは、仕えるべき主人として? あるいは、密かに慕う相手として?」

 息を呑んだ。そのぐらい、驚きが大きかった。
 しかし、答えはひとつだ。わざわざ考えるまでもない。

「執事が主人を一番に考えている理由は、主人としてに決まっているじゃないですか」

 望んだ答えと違っていたのか、ジークフリートの顔には落胆の色があった。

「……こう見えて、僕は君に一目を置いているんだ。リシャールは適度にイザベルに自由を与えながら見守っている。それは、彼女のことを家族のように大事にしているからだろう?」
「…………黙秘権を行使します」
「それが答えか。ならば、彼女の専属執事として、協力を願いたい」
「……っ……」
「僕もイザベルを探しに行く。効率よく捜索するなら、彼女をよく知る者がいると心強い。供を願えるだろうか」

 遠回しに信頼していると言われ、息が詰まる。
 命令ではなく、あくまで協力と表現した彼には頭が上がらない。

(イザベル様もジークフリート様も、本当によく似ていらっしゃる)

 身分は違えど、イザベルを心配する気持ちは同じだ。たとえ、彼が婚約者として不義理な行いをしていても、今だけは目をつぶらなくてはならない。
 一刻も早く、後先も考えずに突っ走る主人の無事を確かめるために。
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