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第四章
42. お揃いになりました
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珍しく断りを入れたお願いに、一拍の間を置いて、こくりと頷く。
今度は力任せな抱きつき方ではなく、姉妹や子どもを包み込むような力加減で抱きしめられる。
「ふふ、イザベルの髪っていい匂いがするわね。しかし、抱き心地抜群の柔らかさといい、成長途中の小さな体といい、あなたは本当に女神が与えた傑作ね」
「人を美術品のように喩えないでちょうだい」
すかさず抗議すると、褒め言葉だったんだけどね、と弁解の声が届く。
「ああ、それにしても、このツヤツヤした髪を撫でる時間も久しぶりだわねえ……。そうだ、今日は同じ髪型にしてお揃いにしましょうよ。ちょうどリボンの予備もあることだし」
「え。ポニーテールってこと?」
「別に支障はないでしょう? イザベルも髪は長いのだし、首元が涼しくなるわよ」
言うや否や、ジェシカは自前の櫛を使って手早く結い上げて、リボンでしっかりと結ぶ。
いつもは下ろしたままだった髪が高い位置でくくられたせいか、首の周りがすーすーとして、少し落ち着かない。けれど、暑苦しさからは解放されて、何だか気分も清々しい。
「あ、本当ね。涼しい……」
「でしょ?」
得意げに笑うジェシカは、ちょうど登校してきたレオンを一瞥し、イザベルを見やった。
「そうそう、聞いたわよ。レオン様と避暑地で過ごしたらしいわね」
「……あれはさすがに予想していなかったわ」
「逆に予想できた人がいたらすごいわよ。それで? レオン様は女性不信になってはいないの?」
後半は小声で尋ねられ、イザベルはレオンを見つめる。
金髪碧眼は相変わらず美しく、見ているだけでも神々しいオーラをまとっている。見た目だけはやはり王子様である。改めて意識すると、あまりの眩しさで着席する様子も直視できず、天井を眺めながら数日前に受け取った手紙の内容を振り返る。
一時期は女性に迫られることに怯えていたらしいが、今は適度な距離であれば平気になった、と書かれていたはずだ。
「もう大丈夫みたいよ。いきなり抱きつくのはダメだろうけど、今までどおりに接するぐらいなら平気……だと思う」
「なんだかんだ言って、このクラスで殿下相手に対等に話せるのはイザベルくらいだからね。いざってときは頼んだわよ」
「そんなこと……ないと思うけれど」
「何言っているの。王族を怒らせたら不敬罪で罰せられるかもしれないのに、どこ吹く風で殿下をあしらえるのはイザベルくらいよ」
確かに身に覚えがある。お菓子で釣ったり、執拗に追いかけ回したりするのはイザベルくらいだろう。どれも彼がツンデレ王子だと知ったうえでの行動だから、攻略知識がなかったら、自分も遠巻きで見ているだけだったかもしれない。
(うん?だけど、中等部からの付き合いだから、記憶が戻る前から今の関係のはずよね。となると、無意識にレオン王子の本質を見抜いていたのかしら)
自分の能力も侮れないと自画自賛していると、後ろの髪をふわりと持ち上げられた。一瞬、頭の重みが軽くなる。
「へえ、この髪型もいいね」
後ろからでもわかる、男性にしては少し高いトーンの声。イザベルが振り向くと、彼の手から自分の髪がするりと抜けた。
「ク、クラウド……お、おはよう」
「おはよう」
おどけたようにクラウドが笑うと、黒縁の眼鏡が少しズレる。けれど、ブリッジを押し上げて眼鏡を直す姿でさえ、胸が高鳴る。自然と彼の指先に目が釘付けになってしまう。
(でも、前みたいなドキドキとは違う……)
クラウドが好きだった。ゲーム画面越しに口説かれてから心を鷲づかみにされ、これが現実だったらいいのにと何度願ったことか。
しかし今、どうしようもなく会いたいと思う相手は、ジークフリートだ。形だけの婚約者を演じていたはずだったのに、恋い慕う気持ちは日に日に募っていく。
彼の顔を思い浮かべるだけで、恥ずかしさと嬉しさがせめぎあう。心が今にも暴れ出しそうになる。冷静では、いられなくなる。
(だけど、この恋は成就しない)
その結末を望んだのは誰でもない、自分なのだから。
前世の恋が報われないばかりか、今世の恋も実ることはない。本当の気持ちに蓋をして、フローリアの恋を応援すると決めた。
ゲームの主人公は彼女だ。悪役令嬢枠のイザベルが幸せになるわけにいかない。友人の幸せを望むのなら、恋路を邪魔するのではなく、見守る方法が正しい。
そう思うのに、胸に鈍い痛みが襲う。
(ここはゲームの世界だけど、ゲームみたいに、簡単に気持ちは割り切れないわね)
乙女ゲーム内なら、複数の攻略キャラと恋愛をすることに罪悪感もなかった。いろんなタイプと疑似恋愛をすることこそ、乙女ゲームの醍醐味だからだ。
とはいえ、ゲームのキャラクターにだって心がある。今まで積み重ねてきたものは、ただのゲームシナリオではない。
フローリアとジークフリートが寄り添う場面を想像するだけで、息が詰まりそうになる。けれど、その狂おしい感情も含めて、イザベルのものだ。
(いつか、この気持ちも思い出にできる。きっと、大事な思い出になる)
自分自身に言い聞かせるように胸に手を当て、苦しい気持ちを吐息とともに吐き出した。
*
お昼のサロンでは、クラウドとレオンが温室のカフェスペースで談笑していた。前までレオンに迫っていた女の先輩方は、その姿を遠巻きに見つめるだけだ。
深紅のソファを見やると、ジークフリートが定位置で座って待っていた。ノート集めを手伝ってもらったジェシカと別れ、イザベルは婚約者の元へ急ぐ。
「ジークフリート様。お待たせしてしまいましたか?」
「いや。授業が早く終わったから、一足早く来ただけだ。軽食を用意させたが、食べられそうか?」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
昔からの付き合いだと、夏バテ気味なのもお見通しらしい。
蒸し暑い夏は、食が細くなりがちだ。胃もたれがしそうなメニューはできれば避けたいのが本音である。
やがて、サンドイッチ、ハーブを練りこんだソーセージのサイドメニューがテーブルに並べられる。
「いただきます」
できたての卵サンドを一口かじる。もちもちの食パンに、半熟卵とマヨネーズを合わせたシンプルな一品だが、濃い色の黄身は味も濃厚だ。
暑さで疲労した体に染み渡る。
素朴な美味しさを噛み締めていると、ジークフリートがつぶやく。
「髪型を……変えたのか」
「あ、はい。ジェシカからお揃いにしようと提案されて……」
「なるほど……」
頷いたものの、ジークフリートは何かを考え込むように、イザベルをジッと見つめる。
注視されながらだと食事もしにくい。口元をナプキンでぬぐい、真横に座る婚約者に向き直る。
「やはり、似合いませんか?」
「……いや、そんなことは……」
言い淀んだうえに、視線をさっと外された。
地味に傷ついたイザベルはムカッとして、強気に言い返す。
「でも顔を背けていらっしゃいますし、そんなに見苦しいようなら、すぐにリボンをほどきますが」
後ろ手でリボンに手をかけたところで、その腕をジークフリートがつかむ。
「ほどかなくていい」
「え、ですが……」
「目を合わせなかったのは単に気恥ずかしかったからだ」
息継ぎもせずに早口に言われ、イザベルは首を横にこてんと倒す。
「恥ずかしい? どうしてですか?」
「…………」
「あの、なにか不都合な点でもありましたか?」
意味がわからず、再度問いかけると、ジークフリートが前髪をかきあげて嘆息した。くしゃくしゃに乱れた前髪から、恨めしげな瞳がこちらを見上げる。
しかし、ダークブラウンの瞳は戸惑うように揺れ、怒っているというよりも羞恥心と葛藤しているようでもあった。
よく見れば、ほんのりと耳たぶが赤い。もしや顔まで赤いのか、とイザベルが覗き込むようにすれば、片手で顔をさっと覆い隠されてしまう。
一体なんなのだ、と見つめていると、ジークフリートがかすれた声で答えた。
「いつもと違う髪型をされると、首筋を目で追ってしまって……自制心が利かなくなりそうだ」
今度はイザベルが真っ赤になる番だった。
今度は力任せな抱きつき方ではなく、姉妹や子どもを包み込むような力加減で抱きしめられる。
「ふふ、イザベルの髪っていい匂いがするわね。しかし、抱き心地抜群の柔らかさといい、成長途中の小さな体といい、あなたは本当に女神が与えた傑作ね」
「人を美術品のように喩えないでちょうだい」
すかさず抗議すると、褒め言葉だったんだけどね、と弁解の声が届く。
「ああ、それにしても、このツヤツヤした髪を撫でる時間も久しぶりだわねえ……。そうだ、今日は同じ髪型にしてお揃いにしましょうよ。ちょうどリボンの予備もあることだし」
「え。ポニーテールってこと?」
「別に支障はないでしょう? イザベルも髪は長いのだし、首元が涼しくなるわよ」
言うや否や、ジェシカは自前の櫛を使って手早く結い上げて、リボンでしっかりと結ぶ。
いつもは下ろしたままだった髪が高い位置でくくられたせいか、首の周りがすーすーとして、少し落ち着かない。けれど、暑苦しさからは解放されて、何だか気分も清々しい。
「あ、本当ね。涼しい……」
「でしょ?」
得意げに笑うジェシカは、ちょうど登校してきたレオンを一瞥し、イザベルを見やった。
「そうそう、聞いたわよ。レオン様と避暑地で過ごしたらしいわね」
「……あれはさすがに予想していなかったわ」
「逆に予想できた人がいたらすごいわよ。それで? レオン様は女性不信になってはいないの?」
後半は小声で尋ねられ、イザベルはレオンを見つめる。
金髪碧眼は相変わらず美しく、見ているだけでも神々しいオーラをまとっている。見た目だけはやはり王子様である。改めて意識すると、あまりの眩しさで着席する様子も直視できず、天井を眺めながら数日前に受け取った手紙の内容を振り返る。
一時期は女性に迫られることに怯えていたらしいが、今は適度な距離であれば平気になった、と書かれていたはずだ。
「もう大丈夫みたいよ。いきなり抱きつくのはダメだろうけど、今までどおりに接するぐらいなら平気……だと思う」
「なんだかんだ言って、このクラスで殿下相手に対等に話せるのはイザベルくらいだからね。いざってときは頼んだわよ」
「そんなこと……ないと思うけれど」
「何言っているの。王族を怒らせたら不敬罪で罰せられるかもしれないのに、どこ吹く風で殿下をあしらえるのはイザベルくらいよ」
確かに身に覚えがある。お菓子で釣ったり、執拗に追いかけ回したりするのはイザベルくらいだろう。どれも彼がツンデレ王子だと知ったうえでの行動だから、攻略知識がなかったら、自分も遠巻きで見ているだけだったかもしれない。
(うん?だけど、中等部からの付き合いだから、記憶が戻る前から今の関係のはずよね。となると、無意識にレオン王子の本質を見抜いていたのかしら)
自分の能力も侮れないと自画自賛していると、後ろの髪をふわりと持ち上げられた。一瞬、頭の重みが軽くなる。
「へえ、この髪型もいいね」
後ろからでもわかる、男性にしては少し高いトーンの声。イザベルが振り向くと、彼の手から自分の髪がするりと抜けた。
「ク、クラウド……お、おはよう」
「おはよう」
おどけたようにクラウドが笑うと、黒縁の眼鏡が少しズレる。けれど、ブリッジを押し上げて眼鏡を直す姿でさえ、胸が高鳴る。自然と彼の指先に目が釘付けになってしまう。
(でも、前みたいなドキドキとは違う……)
クラウドが好きだった。ゲーム画面越しに口説かれてから心を鷲づかみにされ、これが現実だったらいいのにと何度願ったことか。
しかし今、どうしようもなく会いたいと思う相手は、ジークフリートだ。形だけの婚約者を演じていたはずだったのに、恋い慕う気持ちは日に日に募っていく。
彼の顔を思い浮かべるだけで、恥ずかしさと嬉しさがせめぎあう。心が今にも暴れ出しそうになる。冷静では、いられなくなる。
(だけど、この恋は成就しない)
その結末を望んだのは誰でもない、自分なのだから。
前世の恋が報われないばかりか、今世の恋も実ることはない。本当の気持ちに蓋をして、フローリアの恋を応援すると決めた。
ゲームの主人公は彼女だ。悪役令嬢枠のイザベルが幸せになるわけにいかない。友人の幸せを望むのなら、恋路を邪魔するのではなく、見守る方法が正しい。
そう思うのに、胸に鈍い痛みが襲う。
(ここはゲームの世界だけど、ゲームみたいに、簡単に気持ちは割り切れないわね)
乙女ゲーム内なら、複数の攻略キャラと恋愛をすることに罪悪感もなかった。いろんなタイプと疑似恋愛をすることこそ、乙女ゲームの醍醐味だからだ。
とはいえ、ゲームのキャラクターにだって心がある。今まで積み重ねてきたものは、ただのゲームシナリオではない。
フローリアとジークフリートが寄り添う場面を想像するだけで、息が詰まりそうになる。けれど、その狂おしい感情も含めて、イザベルのものだ。
(いつか、この気持ちも思い出にできる。きっと、大事な思い出になる)
自分自身に言い聞かせるように胸に手を当て、苦しい気持ちを吐息とともに吐き出した。
*
お昼のサロンでは、クラウドとレオンが温室のカフェスペースで談笑していた。前までレオンに迫っていた女の先輩方は、その姿を遠巻きに見つめるだけだ。
深紅のソファを見やると、ジークフリートが定位置で座って待っていた。ノート集めを手伝ってもらったジェシカと別れ、イザベルは婚約者の元へ急ぐ。
「ジークフリート様。お待たせしてしまいましたか?」
「いや。授業が早く終わったから、一足早く来ただけだ。軽食を用意させたが、食べられそうか?」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
昔からの付き合いだと、夏バテ気味なのもお見通しらしい。
蒸し暑い夏は、食が細くなりがちだ。胃もたれがしそうなメニューはできれば避けたいのが本音である。
やがて、サンドイッチ、ハーブを練りこんだソーセージのサイドメニューがテーブルに並べられる。
「いただきます」
できたての卵サンドを一口かじる。もちもちの食パンに、半熟卵とマヨネーズを合わせたシンプルな一品だが、濃い色の黄身は味も濃厚だ。
暑さで疲労した体に染み渡る。
素朴な美味しさを噛み締めていると、ジークフリートがつぶやく。
「髪型を……変えたのか」
「あ、はい。ジェシカからお揃いにしようと提案されて……」
「なるほど……」
頷いたものの、ジークフリートは何かを考え込むように、イザベルをジッと見つめる。
注視されながらだと食事もしにくい。口元をナプキンでぬぐい、真横に座る婚約者に向き直る。
「やはり、似合いませんか?」
「……いや、そんなことは……」
言い淀んだうえに、視線をさっと外された。
地味に傷ついたイザベルはムカッとして、強気に言い返す。
「でも顔を背けていらっしゃいますし、そんなに見苦しいようなら、すぐにリボンをほどきますが」
後ろ手でリボンに手をかけたところで、その腕をジークフリートがつかむ。
「ほどかなくていい」
「え、ですが……」
「目を合わせなかったのは単に気恥ずかしかったからだ」
息継ぎもせずに早口に言われ、イザベルは首を横にこてんと倒す。
「恥ずかしい? どうしてですか?」
「…………」
「あの、なにか不都合な点でもありましたか?」
意味がわからず、再度問いかけると、ジークフリートが前髪をかきあげて嘆息した。くしゃくしゃに乱れた前髪から、恨めしげな瞳がこちらを見上げる。
しかし、ダークブラウンの瞳は戸惑うように揺れ、怒っているというよりも羞恥心と葛藤しているようでもあった。
よく見れば、ほんのりと耳たぶが赤い。もしや顔まで赤いのか、とイザベルが覗き込むようにすれば、片手で顔をさっと覆い隠されてしまう。
一体なんなのだ、と見つめていると、ジークフリートがかすれた声で答えた。
「いつもと違う髪型をされると、首筋を目で追ってしまって……自制心が利かなくなりそうだ」
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