偽りの満月の姫

仲室日月奈

文字の大きさ
上 下
6 / 14
第二章 敵国の人間

1

しおりを挟む
 太陽の皇国。光の皇帝が統治する国であり、長年、満月の王国とは敵対関係にある。
 三百年前は両国はひとつの国家だった。民族間の争いが勃発し、国は分裂して何年も戦が続いた。だが、ある事件をきっかけに停戦条約を締結して今に至る。

「なんなの、このまぶしさ……! 目を開けていられない」

 煌々と降りしきる太陽の光。それは生まれて初めて味わうディアナにとって、禍々しい存在に等しかった。目がくらむような光線に耐えかね、目元を覆う。
 満月の王国と同じく、三百年前に太陽と月を失った国。それがこの国だ。

「うう。目に毒だわ」

 ふらふらと歩いていると、目の前からどんっと人がぶつかってくる。

「あ、ごめんなさ……」
「よそ見して歩いているんじゃねぇ!」

 容赦なく浴びせる怒声に、びくりと体をすくませる。

(こ、この人、怖い!)

 これまで侍女から散々に悪口を囁かれてきたが、どれも間接的だった。これほど直接的に敵意を向けられた経験なんて一度もなかった。

(女王の妹だから、今まで面と向かって言う人なんていなかったし)

 しかし、ここは満月の王国ではない。今までのように飾りだけの地位が守ってくれることはない。ディアナは敵国の人間でしかなく、好意は期待するだけ無駄だ。

(気を引き締めなきゃ。自分のことは自分で守らないと……)

 姉から言われた言葉を思い出し、震え上がった体を奮起させる。異変に気づいたのは、そのときだった。

「……私の鞄!」

 鞄の取っ手を握っていた左手は、今はもぬけの殻で。
 先ほど悪態をついた男は、視界のどこにも見当たらなかった。

「と、とにかく探さないと!」

 足がもつれそうになりながらも商店街を駆ける。けれども男はおろか、投げ捨てられた鞄も見つからない。

「はあっ、はあっ……あれが、書状がないと入れてもらえないのに……どうしよう」

 すぐに息が上がる自分が口惜しい。これまで文机に向かう時間が長かったせいか、持久力はあまりない方だ。

「何か困り事か?」
「きゃあ!」

 いきなり声をかけられ、肩が飛び跳ねる。おずおずと振り向くと、見覚えのない青年が不思議そうな顔で立っていた。

(わあ、整った顔。顎もしゅっとして、吸い込まれそうな金色の瞳がきれい)

 赤銅色の髪が耳元から編まれ、右の肩口にかかっている。まるで神話に出てきそうな美男子に思わず目を奪われる。

「おい、聞いているのか?」
「あ……実は今、すごく困ったことになっていて!」

 勢いよく答えると、彼はぶっきらぼうに言葉を促した。

「なんだ。言ってみろ」
「港からここへ来る道すがら、うっかり大事な鞄をひったくられたの。あの中には命よりも大事なものがあるのに。あれがないと……私、行くところがないわ」

 重要な密命を帯びた身。このまま、おめおめと帰国できるはずもない。
 そして、かの学園の敷地に入るには、国家間で交わされた書状が必須だった。

「それなら俺も手伝おう。どんなやつだった?」
「え、ええと……男の人で、体格はがっしりしている感じで……背は普通くらい」

 親切な申し出に戸惑いながらも答えると、青年が手で制した。

「……ちょっと待ってくれ。怪しい気配を探すから」

 そう言うなり、目をつぶった。その途端、彼の体の周りに小さな風が湧き上がる。優しく包み込むような風の膜は、彼が一歩足を踏み出したことで雲散霧消する。

「この近くにはもういないな。地道に探すしかないか」
「そ、そうですよね」
「聞き込みしながら、手分けてして探すのがいいだろう」
「……見つかるでしょうか」

 絶望感を漂わせながら声を絞り出すと、ため息が聞こえてきた。

「ここで凹んでいても状況は変わらない。命よりも大事なものが入っていたんだろう? 鞄の特徴は」
「……色は白で、四角い旅行鞄です。取っ手が茶色で」
「わかった。俺はこっちから探してみるから、お前はあっちを頼む」

 商店街まで戻り、二手に分かれる。ディアナは道行く人に質問しては空振りを繰り返し、路地裏に捜索の手を広げた。人一人がやっと通れるかという細道には、樽や木箱が無造作に積み上げられている。その合間を縫うように歩くが、先ほどの男は見つからない。

(せめて鞄だけでも見つかれば……)

 先ほどのことを振り返ってみても、迂闊としか言いようがない。ここは太陽の皇国。地面に降り立った瞬間から、もっと気を引き締めるべきだった。

(これじゃ国にも戻れない。お姉様に合わせる顔もないわ……)

 自分の失態に泣きそうになる。だけど、泣いていても何の解決にもならない。目尻にたまった涙を手の甲でぬぐい、頭を上げる。
 空にはまぶしいほどの太陽が昇り、視界はいつもよりずっと明るい。満月の王国とは全然違う。頭上を海鳥が通り過ぎていくのを呆然と見つめる。
 ため息を飲み込んで、両手で頬を叩く。パンッと小気味いい音がした。

(反省は後よ、ディアナ! 今やるべきことは書状の奪還!)

 気持ちを奮い立たせていると、袖を引かれた。何だろうと視線を下げると、そこにはつぎはぎの服を着た幼い女の子が立っていた。
 大粒の瞳は太陽の光できらりと輝き、ジッとディアナを見上げている。
 屈んで女の子と同じ目線に合わせると、ぷくぷくの手がディアナの白銀色の髪をつかむ。

「お姉ちゃんの髪、きれいな色ね」
「……ありがとう。これは月の色なの。でも、あなたの赤い髪も鮮やかで素敵よ」
「そうかな? わたしはお姉ちゃんの色の方がすき。きらきらしているもん」

 名残惜しそうに手を離し、女の子は半歩下がった。

「お母さんとお父さんは? はぐれちゃったのかな?」
「ママとパパはお店にいるよ。わたしはお散歩中なの。落とし物があったらママに教える係なの」
「……落とし物を? じゃあ、このくらいの白い鞄を見かけなかった?」

 身振り手振りで大きさを伝えると、女の子はうーんとね、と頭を左右に揺らす。ほどなくして、両手を合わせて頷いた。

「あったよ」
「え、本当っ! 今どこにあるか、わかる?」
「お店にあるよ。ついてきて」

 思ったより、しっかりとした足取りで先導していく。てってってとリズミカルに歩く後ろをついていくと、宿屋に着いた。
 彼女は躊躇なくドアを開け、カランカランと鈴の音が鳴り響く。

「ママ。帰ったよー」
「あら、今度は早い帰りね。何か見つかった?」
「落とし物をした人を見つけてきた」

 そこでディアナの存在に気づいたのか、女将がぺこりと頭を下げる。ディアナもお辞儀を返し、いそいそと近づく。

「あの……旅行鞄を取られまして。白い鞄なんですが、ここにあると聞いて……」

 女将はゆるく編み込んだ三つ編みを揺らし、まあ、と驚いた顔を見せた。

「ええ、ええ。ありますよ。この子がさっき見つけてきましてね。あたしが運んだんですが、ちょっとお待ちくださいね」

 受付の奥に引っ込むと、すぐに荷物を持って戻ってくる。机の上に置かれたそれは、探していた形と同じもので。

「これ?」
「こ、これです!」

 涙目で肯定すると、女将が苦笑した。いつの間にか、女の子は女将の足にくっついてディアナと鞄を見上げている。

「念のため、中身も確認してみて。何か紛失していないか」
「はいっ」

 ロックを解除し、ぱかんっと鞄を開ける。早速、入っている荷物を確認する。だが予想と違って荒らされた様子はなく、服は折りたたんで置かれたままだ。服の合間に入れていた書状もある。

「どう? ちゃんと荷物は残っている?」
「あ、はい。財布の中身は空になっていますが、他の荷物は無事みたいです」
「災難だったわね。この辺も最近治安が悪くなってきているから。旅行客は特に狙われやすいから、しっかり警戒しておかないと」
「以後気をつけます……」

 しみじみと言うと、女将は声のトーンを落とす。

「あなた、今夜の宿はどうするの? 手持ちがないんでしょう?」
「あ、ええと。これから寮に行くので大丈夫です」

 答えると、女将はあからさまにホッとしたような顔を見せた。

「ならいいけど。道中気をつけるのよ」

 友好条約を結んだとはいえ、両国の溝は今もなお深い。白銀色の髪というだけで、遠ざけたくなる気持ちもわからなくはない。

「拾ってくださって、ありがとうございました。助かりました」

 深々と頭を下げると、女の子が前に出てきて、同じようにぺこりとお辞儀をする。その様子が可愛らしくて、つい笑ってしまう。つられて女の子も笑顔になった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

【完結】反逆令嬢

なか
恋愛
「お前が婚約者にふさわしいか、身体を確かめてやる」 婚約者であるライアン王子に言われた言葉に呆れて声も出ない レブル子爵家の令嬢 アビゲイル・レブル 権力をふりかざす王子に当然彼女は行為を断った そして告げられる婚約破棄 更には彼女のレブル家もタダでは済まないと脅す王子だったが アビゲイルは嬉々として出ていった ーこれで心おきなく殺せるー からだった 王子は間違えていた 彼女は、レブル家はただの貴族ではなかった 血の滴るナイフを見て笑う そんな彼女が初めて恋する相手とは

いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と

鳳ナナ
恋愛
伯爵令嬢アムネジアはいじめられていた。 令嬢から。子息から。婚約者の王子から。 それでも彼女はただ微笑を浮かべて、一切の抵抗をしなかった。 そんなある日、三回目の婚約破棄を宣言されたアムネジアは、閉じていた目を見開いて言った。 「――女神の顔も三度まで、という言葉をご存知ですか?」 その言葉を皮切りに、ついにアムネジアは本性を現し、夜会は女達の修羅場と化した。 「ああ、気持ち悪い」 「お黙りなさい! この泥棒猫が!」 「言いましたよね? 助けてやる代わりに、友達料金を払えって」 飛び交う罵倒に乱れ飛ぶワイングラス。 謀略渦巻く宮廷の中で、咲き誇るは一輪の悪の華。 ――出てくる令嬢、全員悪人。 ※小説家になろう様でも掲載しております。

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

決めたのはあなたでしょう?

みおな
恋愛
 ずっと好きだった人がいた。 だけど、その人は私の気持ちに応えてくれなかった。  どれだけ求めても手に入らないなら、とやっと全てを捨てる決心がつきました。  なのに、今さら好きなのは私だと? 捨てたのはあなたでしょう。

処理中です...