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第一章 奪われた秘宝
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月宮殿では侍女たちが準備に奔走していた。廊下を忙しなく行き来し、隣国の使者をもてなすための料理の配膳、式典の最終調整に、やることは山のようにあった。
「姫様。太陽の皇国から親善大使殿が到着されました」
姫と呼ばれた少女は紫色の瞳を伏せ、小さく息をつく。
「……わかってはいたけれど、今回も皇族の方は出席しないのね」
「そのようです」
侍女は素っ気なく答え、御帳台に座る主を見据えた。
「女王陛下も祭壇へ向かっているはずです。ディアナ姫様もお急ぎください」
「ええ。今、行くわ」
立ち上がると、千早に描かれた月の模様が揺れる。
ディアナは白銀色の前髪を横に払いのけ、離宮へと急いだ。
(式典は大事な行事だけど……腑に落ちない)
相手側が皇族を参加させないのは、この式典を軽んじているからに他ならない。そんな形式だけの行事をする意味があるのか。
(いえ、意味は他にあったわね)
前を歩く侍女が引き戸を開き、ディアナは離宮の最奥へ足を踏み入れた。
祭壇の前にいた直垂姿の宮司が振り返る。目礼をすると、ちょうど女王と親善大使が姿を現した。横に避け、侍女と一緒にうつむく。
足音が遠のいたのを耳で確認し、ゆっくりと頭を上げる。
(あら? 親善大使殿はご高齢の方じゃなかったかしら)
祭壇前に佇むのは、記憶にある白髪の老人ではなく、もっと若い青年だった。二十歳の女王よりは年上だが、それでも五歳ほどしか変わらないだろう。
大使の後ろに控えた書記官は、彼よりさらに若い。見た目が派手な大使とは正反対で、実直そうな細い男だった。
それぞれが定位置に着いたのを確認し、宮司が高らかに宣言する。
「両国の和平条約が締結されて三百年となる節目を祝し、これより記念式典を執り行いたいと思います。まずは友好の証として、盃の交換をお願いいたします」
親善大使は書記官から紅の盃を、女王は侍女長から黄金の盃を受けとった。宮司つきの女官が盃に甘酒をそそいでいく。
「太陽の精霊の祝福を」
「月の精霊の祝福を」
互いに決まりの言葉を述べ、交換した盃にそっと口をつける。
その様子を見届けた宮司は恭しく頭を下げた。
「両国のさらなる繁栄を祝し、また、大地の精霊への感謝を捧げ、ここから新たな関係の礎を築くことを宣言いたします」
堅苦しい式典が終わり、場所を移して親睦の宴が始まった。
*
ディアナは将校たちの挨拶もそこそこに、百合園の奥に逃げていた。
(お姉様の片腕になることが目標なのに、縁談の話なんて冗談じゃないわ)
侍女に連れられた先にいたのは、女王が品定めしたという優秀な武官たちがいた。彼らは気取った感じはなく、むしろ好感が持てた。
けれども結婚となると、今まで頑張ってきた努力は無に帰してしまう。
(これじゃ、何のために勉強に打ちこんできたのかわからないわ。それに恋だの愛だのといった感情は私には不必要だし)
満月の王国では十五歳から成人とされる。未婚の淑女は親族からの紹介などで、生涯の伴侶を探すのが普通だ。先月に誕生日を迎えた妹のために、婚約者を選定する女王の行動は何も不自然ではない。
だが年頃の乙女にはありがたい気遣いでも、がむしゃらに勉学に励んできたディアナにとっては困惑させる案件でしかなかった。
(……それに、私を娶っても何のメリットもないはず)
数百年前とは違い、王国民でも精霊を使える者は半数近くまで減った。しかし、そういった者たちは力を封じこめた精霊札を日常生活に役立てている。
ところがディアナは精霊札すら満足に使いこなせないため、女王の血縁であることすら疑う噂すら流れている。「新月の巫女」という呼び名は皮肉としか言いようがない。
そんな女を妻にしても後ろ指をさされるのが関の山だ。
ゆえに、本心から結婚を望む男などいない。自分の出世のために女王に取り入ろうとする者以外は。
「君がユリア女王の妹だね?」
若い男の声にディアナは身を固くした。
体の向きを変えると、さっきまで貴族の姫たちと談笑していた親善大使が、ワイングラスを片手に朗らかな笑顔を浮かべていた。
「……はい。ディアナ・ミルレインと申します」
太陽の皇国特有の赤髪を揺らし、大使は爽やかに言う。
「ハイネ・シュベルツだよ、よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
気さくな口調に驚きつつも笑みを返す。
(うーん。ちょっと変わった人なのかしら)
和平条約を結んだ国とはいえ、昔の禍根はそうそう消えることはない。友好国とは名ばかりで、どちらも本心では敵国という意識が根強い。そのため、水面下では未だ火花を散らす間柄のはず、なのだが。
「僕は親善大使として、いろんな国を回っているんだけど。学業が優秀な人材を探すのも仕事の一環でね。君とぜひ、話がしたいと思っていたんだよ」
ハイネは国同士のわだかまりを気にした素振りはなく、まるで友人のような親しさで話しかけてくる。思いもよらない対応に、ディアナは気の抜けた声を出す。
「は、はあ……」
「単刀直入に言うと、留学する気はないかい? 我が国は国籍を問わず、立派な成績保持者を歓迎している。専門的な研究機関も備わっているし、充実したカリキュラムになっていると思うよ。勉強が好きなら、ぜひ君にも来てほしいな」
それは思ってもみない誘いだった。保守的な女王なら即座に断るだろう。
答えを躊躇していると、ハイネがうかがうように声音を低くする。
「どうかな? 悪い話ではないと思うんだけど」
「……お気持ちは嬉しいです。ですが、私が行くのは余計ないさかいが起こるかと」
「あー、まあ。ないとは言い切れないね」
すぐさま認める言葉に、やっぱり、という思いが募る。
(学校には行ったことがないし、とても魅力的なお誘いだけど。敵国にむざむざ行くような真似、お姉様がお許しになるわけないし)
諦めるしかないと自分に言い聞かせる。その考えが伝わったのか、ハイネは薄く息をついてから口を開いた。
「だけど国が違えば当然、考えも違ってくる。多少のいざこざは、どこに行ってもあるよ。君は相手のことを知る努力もせずに、関係を断ち切ってしまうのかい? 将来は女王を補佐する者として、広い視野は必要だと思うけどね」
諭す口調は穏やかだった。静かに見つめられ、ディアナは口を引き結んだ。
たまに下町へ行くこともあるが、それでも行動範囲はかなり限られている。それは友好関係でも同じことが言える。
(狭い鳥かごの中では、大空の広さも自由も知らないまま、ってことかしら)
いろんな人と触れてこそ、得るものもあるだろう。先入観だけで人を判断し、相手が何を考えているのか知ろうとしないのは愚者のすることだ。
女王を支えるためには広い見聞が必要だ。それは、月宮殿に閉じこもっているだけでは手に入らないものだった。
(私はお姉様の役に立ちたい。そのためなら……)
心が揺れていると、第三者の声が割って入る。
「ハイネ様」
「ん? ああ、君か。すまない、ディアナ殿。ちょっと外させてもらうよ」
踵を返そうとした背を、とっさに呼び止める。
「あの! 少し、考えるお時間をいただけませんか」
ハイネは驚いた顔から、すぐに柔らかな笑みに切り替えた。
「もちろん。考えが変わったら、いつでも言って。僕なりのサポートはさせてもらうから」
「……ありがとうごさいます」
「いい返事を期待しているよ」
ハイネは背中越しに片手を上げ、歩き出した。かたわらの書記官が小さく礼をし、ハイネの後に付き従う。去っていく彼らを見送ると、頃合いを見ていたように侍女が近寄る。
「姫様。あまり大使殿に気を許されませんように」
「……ええ」
「和平条約を結んでいるとはいえ、それは表面上のもの。内心では何を企んでいるのか、わかりませぬ。姫様に近づき、女王陛下に危害を加えるつもりかもしれません。ご自身の立場をお忘れなきように」
「わかっているわ」
改めて言われなくても、そんなことは百も承知だ。
しかし、ハイネの言葉はいつまでも耳から消えなかった。
「姫様。太陽の皇国から親善大使殿が到着されました」
姫と呼ばれた少女は紫色の瞳を伏せ、小さく息をつく。
「……わかってはいたけれど、今回も皇族の方は出席しないのね」
「そのようです」
侍女は素っ気なく答え、御帳台に座る主を見据えた。
「女王陛下も祭壇へ向かっているはずです。ディアナ姫様もお急ぎください」
「ええ。今、行くわ」
立ち上がると、千早に描かれた月の模様が揺れる。
ディアナは白銀色の前髪を横に払いのけ、離宮へと急いだ。
(式典は大事な行事だけど……腑に落ちない)
相手側が皇族を参加させないのは、この式典を軽んじているからに他ならない。そんな形式だけの行事をする意味があるのか。
(いえ、意味は他にあったわね)
前を歩く侍女が引き戸を開き、ディアナは離宮の最奥へ足を踏み入れた。
祭壇の前にいた直垂姿の宮司が振り返る。目礼をすると、ちょうど女王と親善大使が姿を現した。横に避け、侍女と一緒にうつむく。
足音が遠のいたのを耳で確認し、ゆっくりと頭を上げる。
(あら? 親善大使殿はご高齢の方じゃなかったかしら)
祭壇前に佇むのは、記憶にある白髪の老人ではなく、もっと若い青年だった。二十歳の女王よりは年上だが、それでも五歳ほどしか変わらないだろう。
大使の後ろに控えた書記官は、彼よりさらに若い。見た目が派手な大使とは正反対で、実直そうな細い男だった。
それぞれが定位置に着いたのを確認し、宮司が高らかに宣言する。
「両国の和平条約が締結されて三百年となる節目を祝し、これより記念式典を執り行いたいと思います。まずは友好の証として、盃の交換をお願いいたします」
親善大使は書記官から紅の盃を、女王は侍女長から黄金の盃を受けとった。宮司つきの女官が盃に甘酒をそそいでいく。
「太陽の精霊の祝福を」
「月の精霊の祝福を」
互いに決まりの言葉を述べ、交換した盃にそっと口をつける。
その様子を見届けた宮司は恭しく頭を下げた。
「両国のさらなる繁栄を祝し、また、大地の精霊への感謝を捧げ、ここから新たな関係の礎を築くことを宣言いたします」
堅苦しい式典が終わり、場所を移して親睦の宴が始まった。
*
ディアナは将校たちの挨拶もそこそこに、百合園の奥に逃げていた。
(お姉様の片腕になることが目標なのに、縁談の話なんて冗談じゃないわ)
侍女に連れられた先にいたのは、女王が品定めしたという優秀な武官たちがいた。彼らは気取った感じはなく、むしろ好感が持てた。
けれども結婚となると、今まで頑張ってきた努力は無に帰してしまう。
(これじゃ、何のために勉強に打ちこんできたのかわからないわ。それに恋だの愛だのといった感情は私には不必要だし)
満月の王国では十五歳から成人とされる。未婚の淑女は親族からの紹介などで、生涯の伴侶を探すのが普通だ。先月に誕生日を迎えた妹のために、婚約者を選定する女王の行動は何も不自然ではない。
だが年頃の乙女にはありがたい気遣いでも、がむしゃらに勉学に励んできたディアナにとっては困惑させる案件でしかなかった。
(……それに、私を娶っても何のメリットもないはず)
数百年前とは違い、王国民でも精霊を使える者は半数近くまで減った。しかし、そういった者たちは力を封じこめた精霊札を日常生活に役立てている。
ところがディアナは精霊札すら満足に使いこなせないため、女王の血縁であることすら疑う噂すら流れている。「新月の巫女」という呼び名は皮肉としか言いようがない。
そんな女を妻にしても後ろ指をさされるのが関の山だ。
ゆえに、本心から結婚を望む男などいない。自分の出世のために女王に取り入ろうとする者以外は。
「君がユリア女王の妹だね?」
若い男の声にディアナは身を固くした。
体の向きを変えると、さっきまで貴族の姫たちと談笑していた親善大使が、ワイングラスを片手に朗らかな笑顔を浮かべていた。
「……はい。ディアナ・ミルレインと申します」
太陽の皇国特有の赤髪を揺らし、大使は爽やかに言う。
「ハイネ・シュベルツだよ、よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
気さくな口調に驚きつつも笑みを返す。
(うーん。ちょっと変わった人なのかしら)
和平条約を結んだ国とはいえ、昔の禍根はそうそう消えることはない。友好国とは名ばかりで、どちらも本心では敵国という意識が根強い。そのため、水面下では未だ火花を散らす間柄のはず、なのだが。
「僕は親善大使として、いろんな国を回っているんだけど。学業が優秀な人材を探すのも仕事の一環でね。君とぜひ、話がしたいと思っていたんだよ」
ハイネは国同士のわだかまりを気にした素振りはなく、まるで友人のような親しさで話しかけてくる。思いもよらない対応に、ディアナは気の抜けた声を出す。
「は、はあ……」
「単刀直入に言うと、留学する気はないかい? 我が国は国籍を問わず、立派な成績保持者を歓迎している。専門的な研究機関も備わっているし、充実したカリキュラムになっていると思うよ。勉強が好きなら、ぜひ君にも来てほしいな」
それは思ってもみない誘いだった。保守的な女王なら即座に断るだろう。
答えを躊躇していると、ハイネがうかがうように声音を低くする。
「どうかな? 悪い話ではないと思うんだけど」
「……お気持ちは嬉しいです。ですが、私が行くのは余計ないさかいが起こるかと」
「あー、まあ。ないとは言い切れないね」
すぐさま認める言葉に、やっぱり、という思いが募る。
(学校には行ったことがないし、とても魅力的なお誘いだけど。敵国にむざむざ行くような真似、お姉様がお許しになるわけないし)
諦めるしかないと自分に言い聞かせる。その考えが伝わったのか、ハイネは薄く息をついてから口を開いた。
「だけど国が違えば当然、考えも違ってくる。多少のいざこざは、どこに行ってもあるよ。君は相手のことを知る努力もせずに、関係を断ち切ってしまうのかい? 将来は女王を補佐する者として、広い視野は必要だと思うけどね」
諭す口調は穏やかだった。静かに見つめられ、ディアナは口を引き結んだ。
たまに下町へ行くこともあるが、それでも行動範囲はかなり限られている。それは友好関係でも同じことが言える。
(狭い鳥かごの中では、大空の広さも自由も知らないまま、ってことかしら)
いろんな人と触れてこそ、得るものもあるだろう。先入観だけで人を判断し、相手が何を考えているのか知ろうとしないのは愚者のすることだ。
女王を支えるためには広い見聞が必要だ。それは、月宮殿に閉じこもっているだけでは手に入らないものだった。
(私はお姉様の役に立ちたい。そのためなら……)
心が揺れていると、第三者の声が割って入る。
「ハイネ様」
「ん? ああ、君か。すまない、ディアナ殿。ちょっと外させてもらうよ」
踵を返そうとした背を、とっさに呼び止める。
「あの! 少し、考えるお時間をいただけませんか」
ハイネは驚いた顔から、すぐに柔らかな笑みに切り替えた。
「もちろん。考えが変わったら、いつでも言って。僕なりのサポートはさせてもらうから」
「……ありがとうごさいます」
「いい返事を期待しているよ」
ハイネは背中越しに片手を上げ、歩き出した。かたわらの書記官が小さく礼をし、ハイネの後に付き従う。去っていく彼らを見送ると、頃合いを見ていたように侍女が近寄る。
「姫様。あまり大使殿に気を許されませんように」
「……ええ」
「和平条約を結んでいるとはいえ、それは表面上のもの。内心では何を企んでいるのか、わかりませぬ。姫様に近づき、女王陛下に危害を加えるつもりかもしれません。ご自身の立場をお忘れなきように」
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