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学園祭一日目②

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眼鏡を付けているのと付けていないのとでは、開の印象は全く違う。もちろん、見慣れた制服姿をしていないこともあるが、別人のように見えるのだ。

「ごめんなさい…。似てるとは思ったんだけど」

綾音は開から少し目を逸らした。毎日話をしているのに、あれだけの至近距離にいて開だと確信できなかったことは、少しバツが悪い。
開はまた眼鏡をかけて、綾音に微笑みかけていた。

「俺実行委員だからさ、朝早いんだよ。コンタクトしてる暇がなくてさ」

やはり眼鏡があるのとないのとでは、かなり印象が違った。眼鏡をかけている方が冷たい印象になる。開本来の少し影を感じさせるような儚い雰囲気もそれを手伝っているように思えた。眼鏡をしていない開の方が、どちらかと言えば近寄りやすい感じがした。

「あの、黒瀬くん、さっきはありがとう」

言い忘れていた礼を言って、綾音は再び看板を持ち上げた。仕事に戻りたいけれど、せっかく会えた今のうち、開に、一つだけ訊きたいことがある。なんと訊いたらいいか、綾音は言葉選びに迷っていた。

「幽霊にしては怖くないな」

開は綾音の格好を吟味するように視線を向ける。特に血糊を少し付けた白装束を見ている。さながら評論家だ。

「改善点はありますか。これでも頑張ったんだけど」

綾音が大真面目に返すと、開は一気に吹き出した。綾音は大笑いする開は初めて見たので、思わず目を見開いた。
開は「いや、ごめんごめん冗談だよ」と腹を抱えている。
開はいつもにこやかだが、ここまで笑っていることはなかった。
その様子を見ているうちに、綾音はもしかして、開は先ほど綾音が幽霊扱いされていたことをフォローしてくれているのではないかと気が付いた。あまりにずれた返事をしてしまった気がして、綾音は身体が冷えていくのを感じた。
そのまましばらくすると、開が落ち着きを取り戻した。綾音は、質問するなら今だと思って話しかける。

「あの、黒瀬くん去年」

そう綾音が口を開くと同時に、偶然開も口を開いた。綾音はすぐに話すのを止め、開の方に耳を傾けた。

「あっ、話止めてごめん。小松さんもしかして、にまた一人で働いてるわけじゃないよな?ほら、熱中症になりそうになってたじゃんか。今年は池田がいるから大丈夫だよな?」

それを聞いて、綾音の予想は確信に変わった。
今日の開の出で立ちは一年生の学園祭のときに甲斐甲斐しく綾音を助けてくれたその人と瓜二つだ。落ち着いた物腰をしていたから、当時は先輩だと思っていたけれど、違った。
先ほど中学校の同級生たちに絡まれてしまったとき、この人が開だったらと思った。
眼鏡をしているけれど、濡鴉の髪色も、声色も開そのものだったから。
そして、もしこの人が開だったら、綾音が一年生のときに学園祭で助けてくれた男子生徒も開ということになる。
そんな運命みたいなこと、あり得ないとすぐに思った。そんなおとぎ話のようなことはあり得ないからだ。けれど、そうではなかった。お守り代わりにしていたあの付箋をくれたのも、二年生になってから誰からも貰ったことのない種類の優しさをくれたのも、そして今また助けてくれたのも、開だったのだ。
「どうせ背負わされるのだから、最初から自分一人でやればいい」そんな綾音の諦めを優しく否定してくれたのは、開が初めてだった。

「で、小松さんの話って?去年が何?」

「黒瀬くん、去年の学園祭でも私のこと助けてくれたんだよね。覚えてくれてたんだね。ありがとう‥‥」

開の話をよく聞く前に、綾音は言葉を発していた。堰を切ったように言葉が溢れて来た。

「気が付かなくてごめんなさい。私、黒瀬くんだって分からなくて。声も違ってたし、印象も違ってたから‥‥。私、本当に人と関わった事がないから、いつも鈍感なの。ごめんね‥‥」

綾音の声は弱々しく、震えていた。何かしらの感情が溢れてきていることは違いないのだが、綾音は自分で自分が何を思っているのか、全く分からなくなってしまっている。感情の収拾がつかない。綾音には、いつも自分自身を俯瞰で見る癖がある。今も「時間の無駄だ。黒瀬くんを拘束するな」と考える綾音がいるのだが、それでもどうにもならなかった。

「小松さんがポーカーフェイスとか、本当に信じられないよな」

開は後ろで腕を組んで、陽炎かげろうを思わせるような儚い笑みをうかべていた。
そのあまりに優しい表情を見ると、綾音はなぜか泣きそうになってしまう。だから、その笑顔が嬉しい反面、やめて欲しいとも思う。
綾音は開に恋情を抱いていることは認めているが、それを伝える気は更々なかった。だから、想いをこぼしてしまいそうになるような仕草はあまり見たくないのだ。矛盾した思いが溢れてしまって、どうにかなりそうだった。

「あの、本当にありがとう。私、今年は大丈夫だから」

「うん」

「黒瀬くんもお仕事お疲れ様です。無理しないでね」

綾音は開のもとから離れようと、通り一遍の挨拶をしてから早足で開の前を後にした。

「小松さん」

後ろから開の優しい声が聞こえてきて、振り返る。

「ごめん。やっぱなんでもない。今日はたぶんもう会えないから、また明日な」

「うん」

やっぱり開が好きだ。そう思いながら、綾音は看板を両手で持って小走りした。
同級生たちにまた会ったらなんて心配は、どこかに吹き飛んでいた。
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