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学園祭準備①
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「なー、小松さんってあだ名とかないの?」
「ないよ」
あと一か月と少しで開催される学園祭に向けて、クラスでの話し合いが始まった。
学園祭のクラス委員はすぐ決まったので、綾音たちは学園祭で何をしたいか、席の近い6人と話し合っている。
そこで、開は全く関係のない話を始めた。
単純に考えれば不毛だが、開がそのような態度をとる理由が綾音にはわかっていた。
会話がうまく進まないのだ。
その原因はどう考えても自分にあると綾音は思った。綾音の周囲にいる5人のなかで綾音と積極的に会話をするのは、開だけである。それ以外の4名は、いつも緊張の面持ちで綾音を見る。しかも、敬語だ。
「小松さん、どう思います?」と話しかけてもらえるだけ有り難かったが、やはり悲しいものがある。綾音も4人も緊張していて、何の同様も見えないのは開だけだった。
相手に悪意が見えないだけに、綾音は自分の人脈の狭さと、愛想の無さを恨んだ。
「なーんだ、あったらからかってやろうと思ったのに」
開は片手で頬杖をつき、つまらなそうな素振りをしてから、全員を見回した。
「で、何やりたいか、か。とりあえずさー、去年はみんな何やったの」
「…男女逆転メイド喫茶」
「謎解き」
「海賊映画のパロディ」
開の質問に、皆が次々と答えていく。
「俺と森は縁日。で、小松さんは?」
「…ゾンビのお化け屋敷だったよ」
綾音が答えると、これまで綾音に遠慮がちだった4人が急に目を輝かせた。
「小松さん、元5組なんすか?あのゾンビ屋敷?学年優勝はもちろん、三年の一部クラスの人気投票も抜いたっていう」
「はい、そうでした…」
「すごいっすね。さすがです」
4人とも相変わらず恭しい。
ちくりと小さな針で刺されるような、本当に小さな痛みを感じながらも、綾音は会釈をして話を切り出した。
「あの、一組さんのメイド喫茶もすごかったです。本当に…」
去年の学園祭は働きづめで、他のクラスは回っていない。
しかし、一年生用の上履きの男子生徒がメイド服を着て移動しているところは確かに見た。とても印象が強くて、忘れる方が難しいくらいだった。
「そーいや翔子ちゃんと静ちゃんはめっちゃかわいかったな。写真あるけど小松さん見る?」
開は笑いながらスマートフォンを取り出す。すると、1組だったらしい外山と新田は必死で画面を隠した。
「小松さん、絶対見ないで!頼んます!」
「小松さん、マジで面白いから絶対見た方がいいよ!」
開は無邪気に笑いながら外山と新田をかいくぐって綾音に写真を見せようと奮闘する。
「黒瀬!お前ふざけんな」
「森!綿引!俺らを守れよ!」
「俺はお前らがどうなろうとどうでもいい」
まるで小学生の小競り合いのようだった。
こんな風に誰かとじゃれ合ったことは、記憶の限りない。なんだか微笑ましくなって、綾音の口角は小さく上がった。
「‥‥笑ったの初めて見た」
5人が急に動きを止めた。
開以外の4人は特に目を丸くし、本当に珍しいものを見たかのような表情を浮かべている。
あまりの驚かれように、綾音は再び無表情を作った。人前で笑えるようになりたいが、笑ったら笑ったで驚かれてしまう。
「ロボットじゃねーんだから笑うに決まってんだろ。つーかお前ら他人行儀なその敬語、やめろよな」
開は少し不機嫌そうな声をあげて、4人をほんの少しだけ睨みつける。すると外山が「てっきり、こういうの怒る側かと思ってたから」とつぶやいた。
「いや、全然。面白かったよ」
「ちゃんとやりなよ」なんて典型的な注意を誰かにしたことは、綾音の記憶の上では一度もない。
やはり生真面目で融通の効かない人間だと思われているのか、と綾音は気落ちした。覚悟の上とはいえ、やはり堪える。
「で、写真は?見たい?」
開は気を取り直したように綾音に笑いかける。
そしてスマートフォンのスリープをといた丁度そのとき、教卓の前に立ったクラス委員が近づいてきた。
「そこ、黒瀬くんたちの班、ちゃんと話し合ってるの?」
「親睦を深めてました」
開は悪びれもせず、スマートフォンを制服のポケットにしまった。
各班での話し合いが終わって、クラス全体の意見は「お化け屋敷」にまとまった。
すぐに掃除の時間になって、綾音が机を運んでいると開が落胆した様子で話しかけてくる。
「あいつらの女装写真消されちった」
「見てみたかったけど残念」
「死ぬほど悔しいわ、静ちゃんなんてミスコン出られるくらい可愛いのに」
2人で談笑していると、後ろからクラスメイトの、特に男子たちの小さな声が聞こえてきた。
「小松さんと黒瀬って、絡みあるんだ」
やはり、人気者の開と綾音とは、似合わない組み合わせらしい。
だいぶ前から、いや、そもそも最初から気付いていたことではあったが、忘れかけていた。あっけなく突きつけられた周囲からの印象に、絡め取られそうになる。
「真面目でクールでポーカーフェイス、一匹狼の小松さん」でいた方が、綾音には楽なのだった。
綾音は開から離れようと別の列にある机の方へ移動しようとする。なんだか、もう、「意外」には疲れてしまった。寂しいけれど、悲しい思いをしたくなかった。
すると、開は綾音とのすれ違いざまに、すかさず声をかけた。
「ねー、1週間で全クリすんのにさ、モンスターどうやって育てたの?」
いつもの静かで落ち着きのある声ではなく、教室中に聞こえそうな大きな声だった。しかも、突然全く脈絡のない、ゲームの話題をしてきた。
綾音は驚きながらも、無視する訳にもいかず振り向く。
「・・・レベル上げして、努力値をなるべく高くするのと、あとは、一撃技で仕留めるとか、色々あるよ」
年下のいとこに付き合って懸命に覚えたゲームだから、他の人に聞いたほうが強くなれるのではないかと思う。
綾音がまた机の方に向かって歩みを進めようとすると、遠巻きに綾音を見ていた人たちが、急に歩み寄ってきた。
「小松さん、ゲームするの?」
「う、うん。するよ」
動揺する綾音を見ながら、開は口元を緩める。
「小松さんは1週間で全クリしてるよ」
開が今度はいつもの涼やかな声で援護射撃のようにそう言うと、周りの人々はさらに目を輝かせて綾音に寄ってきた。
「え、意外。コツ教えて。全然クリアできないんだよ」
ああ、このためか、と綾音はちらりと開の方を見た。唐突にゲームの話を振って来たのは、周りの印象を壊すための助け舟だったのだろう。開は腰の辺りでとても小さくピースしている。
‥‥また、助けてもらった。
シンクの掃除が終わって教室掃除を手伝いに来た美青も綾音の方に笑顔で向かってきた。それも手伝って、綾音は今までにない大人数と話すことになった。任せられた仕事でのミーティング以外でこんな経験はなく、新鮮だった。
掃除が終わって部活へと向かう直前、綾音は教室から出ていこうとする開を呼び止める。
「黒瀬くん、さっきはありがとう」
表情がこわばってしまうことは百も承知の上だが、どうしても感謝を伝えたかった。
「…え?なにが?」
開はあくまでおどけてみせるつもりである。口元をゆるませて、少し肩をすくめた。
「いや、黒瀬くんのおかげで、みんなと話せたから」
綾音は誤魔化されまい、と必死に口を動かす。最近になって気付いたが、開は感謝をすぐに受け取ってくれない。親切なのか、それともこちらをからかっているのかは分からないが、できれば、迷惑でなければ「ありがとう」の言葉くらいはすぐに受け取ってほしい。
開は綾音の付け足した言葉を聞くと、一瞬真剣な顔をした後、いたずらっぽく微笑んだ。
「最近池田と仲良くなったよね。呼び方変わったみたいだし。俺も池田に倣って『綾音ちゃん』って呼ぼうかなー」
「・・・へ?」
たしかに、綾音は「小松さん」と呼ばれやすいことを気にしていたが、思わず目を見開いた。
畏まった呼び方なんていらないとは思っていたけれど、開がけろりとした顔でいきなり随分と距離を縮めようとしてきたことに動揺する。
「じょーだん、じゃね」
綾音が反応するのを待たずに開は笑いながら言って、小さく手を振り、走り去っていってしまった。
綾音はしばらく経ってから手を振り返していないことに気付く。無駄だと分かりながらも、開の遠い背中に小さく手を振った。
そのまま真っ直ぐに武道場へと歩きだそうとしたのだが、急に、ぞくりとしたものが背中に走った。
なんだろう。気味が悪い。
綾音は幽霊をまったく信じていない訳ではないが、スピリチュアルなものに深い造詣は一切ない。
夕方なのに一体何を考えているのかと思いながら、ゆっくり後ろを振り返ると、クラスメイトの君山洸が腕を組んで仁王立ちしていた。
彼はその緑の涼やかな瞳で、こちらをじろりと睨みつけてきているように見える。非常に端正な顔立ちのせいで、余計に恐ろしい。
綾音は震えが来るのを感じて、黙って立ち尽くした。するとほんの数秒後、君山は大きな足音を立てながら男子トイレに入っていく。
何の用事もないのだろうか。それなら好都合だ、と綾音は足早に武道場に向かった。
失礼だが、君山にはなるべく関わりたくないのだ。
君山洸は、二つの意味でかなりの有名人である。まずは、その容姿だ。
色素の薄いきめ細かな肌と、アッシュの髪色、陽にあたると少しだけ緑に輝く瞳に、細身かつ長身の体躯。端正かつ個性的なその容姿が人目を惹かないわけはない。そして、これらはなんと、すべて生まれつきのものらしい。親族に海外出身の人間はいないということまで噂になっているので、驚きである。
二つ目は、これが最も彼が有名になっている主な理由なのだが、「大変な人間嫌い」として悪名高い振る舞いだ。
君山は、ものを投げるような激しい口調で暴言を吐き、荒々しい立ち居振る舞いをする人物なのだという。もちろん、人付き合いもとにかく悪いらしい。君山を知る女子曰く、彼は、「究極の残念なイケメン」なのだ。
綾音は一年生のときは君山とは違うクラスだったが、その名は耳に届いていた。たしか、入学してすぐのこと、クラスメイトの女子が「4組にとんでもない美男子がいるらしいから、みんなで見に行こう」と色めきだっていた。
そして、見学に行った彼女たちは、震えて青ざめた顔をしながら戻って来た。
「すごい睨まれ方をして、『誰だ。帰れ』と怒鳴られた」と。
綾音も、実のところ睨まれたのは二回目である。その騒ぎがあった後、偶然、君山がひとり廊下で歩いているのを見たときだった。噂のとおりの白くて綺麗な肌にアッシュの髪色、普段は目立たないが陽に当たると少し緑に輝く瞳がとても美しくて、思わず見とれてしまったのだ。芸術品みたいだ、と。
君山はすぐに綾音の視線に気付いたようで、ぎろりとした鋭い目つきで綾音をにらんだ。綾音はすぐに視線を逸らし、会釈をして5組の教室に入った。君山は大きな足音を立てて不機嫌そうに去っていった。
『見るな。俺は物じゃない』そう言われた気がした。
噂とは違うところが一つあった。常に荒々しい振る舞いをする、と言われていたが、綾音に気付く前の君山の歩き方は、大人しいものだった。荒々しいどころか、静謐で、品の良ささえあった。そして綾音は深く反省したのである。
あそこまでの個性をもった美男子だ。ずっと優れた容姿のことで大騒ぎされてばかりで、これまでもたまったものではなかっただろう。そして知らない人に会う度に騒がれ、擦り寄られ、観察される。彼に対して芸術品みたいだ、なんて、失礼極まりなかったのだ。
だから君山洸と書かれた名簿を見たとき、綾音は内心ぞっとした。彼は自分を覚えてはいないだろうが、また無礼を働いたらどうしようかと不安になってしまった。
君山は噂通り人付き合いが良くないようで、いつも一人でいるようだった。それに、悪評高い振る舞いのせいか「触らぬ神に祟りなし」という感じで、誰も彼に近寄らないのである。ほんの一部の女子が、気付かれないように横顔をちらちらと見ているくらいだ。美しい顔を見られれば、たとえ睨まれようとも構わないらしい。
そんな君山は自分から他人に構うことはないはずだから、まさか何もしていないのに睨まれるなんてことがあるとは思わなかった。それとも、なにかしたのだろうか。あのときは君山に背を向けていたから、観察なんてしていない。今更になって、一年生のときの無礼を咎められている―――?
綾音は武道場に向かいながら、まだひやりとしたものに包まれていた。
「こんにちは。今日は小手返しと四方投げをやりましょう。まずは受身からお願いします」
綾音は気まずさを振り払いながら道着に着替え、礼をしてから武道場に入り、部員たちに練習メニューを発表した。
「ないよ」
あと一か月と少しで開催される学園祭に向けて、クラスでの話し合いが始まった。
学園祭のクラス委員はすぐ決まったので、綾音たちは学園祭で何をしたいか、席の近い6人と話し合っている。
そこで、開は全く関係のない話を始めた。
単純に考えれば不毛だが、開がそのような態度をとる理由が綾音にはわかっていた。
会話がうまく進まないのだ。
その原因はどう考えても自分にあると綾音は思った。綾音の周囲にいる5人のなかで綾音と積極的に会話をするのは、開だけである。それ以外の4名は、いつも緊張の面持ちで綾音を見る。しかも、敬語だ。
「小松さん、どう思います?」と話しかけてもらえるだけ有り難かったが、やはり悲しいものがある。綾音も4人も緊張していて、何の同様も見えないのは開だけだった。
相手に悪意が見えないだけに、綾音は自分の人脈の狭さと、愛想の無さを恨んだ。
「なーんだ、あったらからかってやろうと思ったのに」
開は片手で頬杖をつき、つまらなそうな素振りをしてから、全員を見回した。
「で、何やりたいか、か。とりあえずさー、去年はみんな何やったの」
「…男女逆転メイド喫茶」
「謎解き」
「海賊映画のパロディ」
開の質問に、皆が次々と答えていく。
「俺と森は縁日。で、小松さんは?」
「…ゾンビのお化け屋敷だったよ」
綾音が答えると、これまで綾音に遠慮がちだった4人が急に目を輝かせた。
「小松さん、元5組なんすか?あのゾンビ屋敷?学年優勝はもちろん、三年の一部クラスの人気投票も抜いたっていう」
「はい、そうでした…」
「すごいっすね。さすがです」
4人とも相変わらず恭しい。
ちくりと小さな針で刺されるような、本当に小さな痛みを感じながらも、綾音は会釈をして話を切り出した。
「あの、一組さんのメイド喫茶もすごかったです。本当に…」
去年の学園祭は働きづめで、他のクラスは回っていない。
しかし、一年生用の上履きの男子生徒がメイド服を着て移動しているところは確かに見た。とても印象が強くて、忘れる方が難しいくらいだった。
「そーいや翔子ちゃんと静ちゃんはめっちゃかわいかったな。写真あるけど小松さん見る?」
開は笑いながらスマートフォンを取り出す。すると、1組だったらしい外山と新田は必死で画面を隠した。
「小松さん、絶対見ないで!頼んます!」
「小松さん、マジで面白いから絶対見た方がいいよ!」
開は無邪気に笑いながら外山と新田をかいくぐって綾音に写真を見せようと奮闘する。
「黒瀬!お前ふざけんな」
「森!綿引!俺らを守れよ!」
「俺はお前らがどうなろうとどうでもいい」
まるで小学生の小競り合いのようだった。
こんな風に誰かとじゃれ合ったことは、記憶の限りない。なんだか微笑ましくなって、綾音の口角は小さく上がった。
「‥‥笑ったの初めて見た」
5人が急に動きを止めた。
開以外の4人は特に目を丸くし、本当に珍しいものを見たかのような表情を浮かべている。
あまりの驚かれように、綾音は再び無表情を作った。人前で笑えるようになりたいが、笑ったら笑ったで驚かれてしまう。
「ロボットじゃねーんだから笑うに決まってんだろ。つーかお前ら他人行儀なその敬語、やめろよな」
開は少し不機嫌そうな声をあげて、4人をほんの少しだけ睨みつける。すると外山が「てっきり、こういうの怒る側かと思ってたから」とつぶやいた。
「いや、全然。面白かったよ」
「ちゃんとやりなよ」なんて典型的な注意を誰かにしたことは、綾音の記憶の上では一度もない。
やはり生真面目で融通の効かない人間だと思われているのか、と綾音は気落ちした。覚悟の上とはいえ、やはり堪える。
「で、写真は?見たい?」
開は気を取り直したように綾音に笑いかける。
そしてスマートフォンのスリープをといた丁度そのとき、教卓の前に立ったクラス委員が近づいてきた。
「そこ、黒瀬くんたちの班、ちゃんと話し合ってるの?」
「親睦を深めてました」
開は悪びれもせず、スマートフォンを制服のポケットにしまった。
各班での話し合いが終わって、クラス全体の意見は「お化け屋敷」にまとまった。
すぐに掃除の時間になって、綾音が机を運んでいると開が落胆した様子で話しかけてくる。
「あいつらの女装写真消されちった」
「見てみたかったけど残念」
「死ぬほど悔しいわ、静ちゃんなんてミスコン出られるくらい可愛いのに」
2人で談笑していると、後ろからクラスメイトの、特に男子たちの小さな声が聞こえてきた。
「小松さんと黒瀬って、絡みあるんだ」
やはり、人気者の開と綾音とは、似合わない組み合わせらしい。
だいぶ前から、いや、そもそも最初から気付いていたことではあったが、忘れかけていた。あっけなく突きつけられた周囲からの印象に、絡め取られそうになる。
「真面目でクールでポーカーフェイス、一匹狼の小松さん」でいた方が、綾音には楽なのだった。
綾音は開から離れようと別の列にある机の方へ移動しようとする。なんだか、もう、「意外」には疲れてしまった。寂しいけれど、悲しい思いをしたくなかった。
すると、開は綾音とのすれ違いざまに、すかさず声をかけた。
「ねー、1週間で全クリすんのにさ、モンスターどうやって育てたの?」
いつもの静かで落ち着きのある声ではなく、教室中に聞こえそうな大きな声だった。しかも、突然全く脈絡のない、ゲームの話題をしてきた。
綾音は驚きながらも、無視する訳にもいかず振り向く。
「・・・レベル上げして、努力値をなるべく高くするのと、あとは、一撃技で仕留めるとか、色々あるよ」
年下のいとこに付き合って懸命に覚えたゲームだから、他の人に聞いたほうが強くなれるのではないかと思う。
綾音がまた机の方に向かって歩みを進めようとすると、遠巻きに綾音を見ていた人たちが、急に歩み寄ってきた。
「小松さん、ゲームするの?」
「う、うん。するよ」
動揺する綾音を見ながら、開は口元を緩める。
「小松さんは1週間で全クリしてるよ」
開が今度はいつもの涼やかな声で援護射撃のようにそう言うと、周りの人々はさらに目を輝かせて綾音に寄ってきた。
「え、意外。コツ教えて。全然クリアできないんだよ」
ああ、このためか、と綾音はちらりと開の方を見た。唐突にゲームの話を振って来たのは、周りの印象を壊すための助け舟だったのだろう。開は腰の辺りでとても小さくピースしている。
‥‥また、助けてもらった。
シンクの掃除が終わって教室掃除を手伝いに来た美青も綾音の方に笑顔で向かってきた。それも手伝って、綾音は今までにない大人数と話すことになった。任せられた仕事でのミーティング以外でこんな経験はなく、新鮮だった。
掃除が終わって部活へと向かう直前、綾音は教室から出ていこうとする開を呼び止める。
「黒瀬くん、さっきはありがとう」
表情がこわばってしまうことは百も承知の上だが、どうしても感謝を伝えたかった。
「…え?なにが?」
開はあくまでおどけてみせるつもりである。口元をゆるませて、少し肩をすくめた。
「いや、黒瀬くんのおかげで、みんなと話せたから」
綾音は誤魔化されまい、と必死に口を動かす。最近になって気付いたが、開は感謝をすぐに受け取ってくれない。親切なのか、それともこちらをからかっているのかは分からないが、できれば、迷惑でなければ「ありがとう」の言葉くらいはすぐに受け取ってほしい。
開は綾音の付け足した言葉を聞くと、一瞬真剣な顔をした後、いたずらっぽく微笑んだ。
「最近池田と仲良くなったよね。呼び方変わったみたいだし。俺も池田に倣って『綾音ちゃん』って呼ぼうかなー」
「・・・へ?」
たしかに、綾音は「小松さん」と呼ばれやすいことを気にしていたが、思わず目を見開いた。
畏まった呼び方なんていらないとは思っていたけれど、開がけろりとした顔でいきなり随分と距離を縮めようとしてきたことに動揺する。
「じょーだん、じゃね」
綾音が反応するのを待たずに開は笑いながら言って、小さく手を振り、走り去っていってしまった。
綾音はしばらく経ってから手を振り返していないことに気付く。無駄だと分かりながらも、開の遠い背中に小さく手を振った。
そのまま真っ直ぐに武道場へと歩きだそうとしたのだが、急に、ぞくりとしたものが背中に走った。
なんだろう。気味が悪い。
綾音は幽霊をまったく信じていない訳ではないが、スピリチュアルなものに深い造詣は一切ない。
夕方なのに一体何を考えているのかと思いながら、ゆっくり後ろを振り返ると、クラスメイトの君山洸が腕を組んで仁王立ちしていた。
彼はその緑の涼やかな瞳で、こちらをじろりと睨みつけてきているように見える。非常に端正な顔立ちのせいで、余計に恐ろしい。
綾音は震えが来るのを感じて、黙って立ち尽くした。するとほんの数秒後、君山は大きな足音を立てながら男子トイレに入っていく。
何の用事もないのだろうか。それなら好都合だ、と綾音は足早に武道場に向かった。
失礼だが、君山にはなるべく関わりたくないのだ。
君山洸は、二つの意味でかなりの有名人である。まずは、その容姿だ。
色素の薄いきめ細かな肌と、アッシュの髪色、陽にあたると少しだけ緑に輝く瞳に、細身かつ長身の体躯。端正かつ個性的なその容姿が人目を惹かないわけはない。そして、これらはなんと、すべて生まれつきのものらしい。親族に海外出身の人間はいないということまで噂になっているので、驚きである。
二つ目は、これが最も彼が有名になっている主な理由なのだが、「大変な人間嫌い」として悪名高い振る舞いだ。
君山は、ものを投げるような激しい口調で暴言を吐き、荒々しい立ち居振る舞いをする人物なのだという。もちろん、人付き合いもとにかく悪いらしい。君山を知る女子曰く、彼は、「究極の残念なイケメン」なのだ。
綾音は一年生のときは君山とは違うクラスだったが、その名は耳に届いていた。たしか、入学してすぐのこと、クラスメイトの女子が「4組にとんでもない美男子がいるらしいから、みんなで見に行こう」と色めきだっていた。
そして、見学に行った彼女たちは、震えて青ざめた顔をしながら戻って来た。
「すごい睨まれ方をして、『誰だ。帰れ』と怒鳴られた」と。
綾音も、実のところ睨まれたのは二回目である。その騒ぎがあった後、偶然、君山がひとり廊下で歩いているのを見たときだった。噂のとおりの白くて綺麗な肌にアッシュの髪色、普段は目立たないが陽に当たると少し緑に輝く瞳がとても美しくて、思わず見とれてしまったのだ。芸術品みたいだ、と。
君山はすぐに綾音の視線に気付いたようで、ぎろりとした鋭い目つきで綾音をにらんだ。綾音はすぐに視線を逸らし、会釈をして5組の教室に入った。君山は大きな足音を立てて不機嫌そうに去っていった。
『見るな。俺は物じゃない』そう言われた気がした。
噂とは違うところが一つあった。常に荒々しい振る舞いをする、と言われていたが、綾音に気付く前の君山の歩き方は、大人しいものだった。荒々しいどころか、静謐で、品の良ささえあった。そして綾音は深く反省したのである。
あそこまでの個性をもった美男子だ。ずっと優れた容姿のことで大騒ぎされてばかりで、これまでもたまったものではなかっただろう。そして知らない人に会う度に騒がれ、擦り寄られ、観察される。彼に対して芸術品みたいだ、なんて、失礼極まりなかったのだ。
だから君山洸と書かれた名簿を見たとき、綾音は内心ぞっとした。彼は自分を覚えてはいないだろうが、また無礼を働いたらどうしようかと不安になってしまった。
君山は噂通り人付き合いが良くないようで、いつも一人でいるようだった。それに、悪評高い振る舞いのせいか「触らぬ神に祟りなし」という感じで、誰も彼に近寄らないのである。ほんの一部の女子が、気付かれないように横顔をちらちらと見ているくらいだ。美しい顔を見られれば、たとえ睨まれようとも構わないらしい。
そんな君山は自分から他人に構うことはないはずだから、まさか何もしていないのに睨まれるなんてことがあるとは思わなかった。それとも、なにかしたのだろうか。あのときは君山に背を向けていたから、観察なんてしていない。今更になって、一年生のときの無礼を咎められている―――?
綾音は武道場に向かいながら、まだひやりとしたものに包まれていた。
「こんにちは。今日は小手返しと四方投げをやりましょう。まずは受身からお願いします」
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