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第一章 逃亡の道
ヴィクトリア
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カラヴァド王国はエルメキア大陸中部から北東部に位置している。
大陸の北西から中北には召喚者である勇者ジャンヌが建国にかかわったモルディア皇主国と、ここ三十年余りで周辺の小国を急激な勢いで纏め上げたガリア帝国という二大大国がある。
カラヴァドの北西には天然の要害マクティーラ山脈が連なりガリア帝国の大侵攻を防いでいる。その山脈の端、平地が接しているラステル伯爵領がその防衛を一手に引き受けている状態だ。
カラヴァド王国の首都ロアンはブリエ内海の湖畔南部に位置している。
ブリエ内海はマクティーラ山脈の水源から大量の清流が入り込む大陸最大の湖である。名前に海と付いてはいるが海と思われるほどの大きさというだけで塩水湖ではない。
そのブリエ内海湖半東部はひろくノルディア大森林につづいていて、周辺には王族の狩り場がひろがっている。
「一つ狂うと何もかも狂うものだな。もっともその一つが十一年もまえでは、もはや修正のしようもないか……」
第三騎士団団長ビクトリア・ルグランは王宮の執務室から城外、ブリエ内海の湖畔をのぞむ風景を眺めてひとり呟いた。
開け放たれた窓からは湖風が流れ込み、ヴィクトリアの金色の髪をあおる。風に散らされた髪の一本一本がきらきらと煌めき、宝石をちりばめたようだ。
ほんらいは凜とした眉の眉尻はさがり、碧い瞳には悔恨が色濃くゆらめいていた。
「あのころは、国の未来を創ることに夢と希望をもっていたはずだが……」
ヴィクトリアは反乱の日、ロルカンドの身柄をおさえるべく王宮を走った。その道すがら王の居室に向かうロルカンド導師とかち合ったのだ。
彼女は瞬間の驚愕を押し殺しロルカンド導師を一刀のもとに切り捨てた。
彼のうしろに続いていたアルカードにも斬撃を放とうとしたところ、ロルカンドの最後の力で幻惑の魔法をつかわれてしまい、アルカードの逃亡を許してしまった。
だが当初の、ロルカンド導師をどう無力化するかという目的は、思わぬかたちで果たすことができたのだった。
それは反乱を起こしたドナルド大公にとって、最も重要な要素の一つだった。
ロルカンド導師をへたに生かしておいては、いつどこから反撃されるかもしれないからだった。
彼は、〈星堕とし〉と呼ばれる戦略級の大魔法が使えるこの世界有数の大魔導師だったのだからだ。
だが、偶然の機会だったとはいえ、長い年月教示をうけた相手をその手にかけた衝撃はヴィクトリアの心の内に重い澱のように沈んでいた。
湖風がまた彼女の頬をなで髪をゆらす。
この王宮の執務室は、ここ数日の彼女の居城だ。
風に煽られた湖面に、陽の光が反射して、淡い光を部屋の中にゆらめかせている。
しかし北に向いたこの部屋は一日じゅう陽が差さずうす暗いのだ。副団長のフローラには部屋を移すようにと再三進言されている。しかし王都を一望できる南寄りの部屋に移る心の整理はいまだついていなかった。
「軟弱なものだな。名前ばかりが世に知れて……、私の心を理解する者は数少なくなってゆく」
彼女の脳裏に、遙か昔に失った友の顔がよぎる。
「失ったものをいつまでも、もうことは決してしまったというのに……サラスティア」
窓を据えつけた岩壁に手をそえ、その手に頭をつけて視線をさまよわせる。その思考は心の内にはいり込んでしまっていた。
「ヴィクトリアさま……、またそのように——いまの貴女を目にしたら、貴女につき従い今回の反乱に加担した部下たちはどのよう思うのでしょうね」
「……ああっ、フローラ。——いつのまに入ってきたんだ?」
「ノックはしましたよ。——まったく、いまのあなたならば私でも楽に暗殺できそうでしたよ。お気をつけください」
「まったく、清廉の白百合さまは、私に対しては鬼百合さまだな」
ヴィクトリアは一瞬まえまでの女々しい雰囲気を消し、フローラにくだけた言葉を返した。
「その呼び名はおやめください。ならば、私はヴィクトリアさまのことをこれから黄金の薔薇さまと呼びますよ」
第三騎士団副団長フローラ・サージェントは、ふかい包容力をたたえた相貌にいたずらじみた微笑みを浮かべて言った。
カラヴァドには、その美貌から薔薇にたたえられる女騎士が三人いる。
一人は、陽光に光り輝く黄金の薔薇。第三騎士団団長、ヴィクトリア・ルグラン。
一人は、月光に濡れる紫の薔薇。近衛騎士団、アラフィス親衛隊隊長、カーラ・エシュリー。
一人は、焔を秘めた赤い薔薇。近衛騎士団、アラフィス親衛隊副隊長、アイナ・カンター。
だがそれ以外の花にたとえられる女騎士もまだいるのだ。
それが、清廉の白百合とたとえられる。第三騎士団副団長、フローラ・サージェントだ。
彼女は、確かに美人だが相貌だけを見れば、市井の商店や宿屋の看板娘といった感じの親しみやすい顔立ちであり薔薇にたとえられる三人の美貌にはほど遠い。だが、彼女は戦女神ともたたえられるヴィクトリアの脇に、清楚な包容力を感じさせる微笑みを浮かべてつねに控えており、王国の騎士や兵士たちの心を大いに慰めていた。それは、彼女がすでに一人の男の細君だとわかっていてさえ変わらぬ崇拝だ。
「私も、それは遠慮したいな。うわさ話で話されるぶんにはいいが、つねにそのように呼ばれるのは、よほど自意識過剰のようではないか。……ところで、調べはついたのか? ただ小言をいいに来たのではないのだろう?」
ヴィクトリアとフローラは、ふたりだけのときだけに見せる気やすいやりとりをしていたが、ヴィクトリアのさいごの問いで、ふたりは瞬時に騎士団の団長と副団長の立場に切り替わった。
「いまのところ大まかにですが、だいたいの調べはつきました。……やはり、アーノルド王はドナルドさまの手で弑逆されたようです」
「やはりそうか、あのとき王の居室には父上と父上の配下の者が向かったが……よもや、エメラリア王妃まで——ということはあるまいな。彼女はファルディア王国への切り札だ。無為なことはしないとは思うが」
「はい、エメラリアさまは藍の塔に幽閉されたようです、塔への回廊はドナルドさまの私兵が常時監視しており、我々第三騎士団も近づくことができません」
「そうか、……父上は私も信用していないのだな。その心の内を見せない用心深さが今回の反乱を成功させたのだろうが。王宮を制圧したあとも、事後処理の会話以外に話したおぼえがない。……愛し、つくしても、その愛情をえられぬというのは虚しいものだな」
「ヴィクトリアさま、また私に同じことを言わせるのですか? あなたは肉親の情を捨てられなかった。そして、私たちはそんなあなたと共に行く道を選んだのです。さきはまだ分かりません。ただ、今回の反乱を国のために最大限に活かすことこそが、これからさき私たちに必要なことではないでしょうか」
フローラの報告に、またヴィクトリアの表情が曇り泣きごとが口をつく。沈み込む彼女の心をすくいあげるようにフローラが叱咤の言葉をかけた。
「分かっている、分かっているんだそんなことは。ただ、どうしようもなく心が重いんだ」
「やはり、部屋を移りましょう。午後にでも移れるように手配します。——ああっ、ヴィクトリアさまの不服申し立ては受け付けませんのでそのつもりで」
フローラは、この陽光の戦女神の生まれ変わりのようなヴィクトリアの内面が、情のふかい非常に女らしいものであることを知っている。だから、このような薄暗い部屋に何日も詰めていることが彼女の内面に微妙な影響を与えていることも十分に理解していた。
いまの彼女を、もはやこの部屋に留めておくことはできないとフローラは強攻策にでたのだった。
「……おまえはその外見で、かなりの者をたばかっているよな。本性を知ったら信者たちはどう思うか」
ヴィクトリアの言葉は、恨みがましい言い振りだが、自分をおもんばかっての直言だと理解している。だからその表情に険はない。
だからフローラも、わざとらしく憮然としたように装う。
「失礼な、私はヴィクトリアさまの、その外見に似合わぬ繊細さを支えねばなりませんので、わざとこのように接っしているのです」
「すまないフローラ、話がそれたな。……ところで、レオナール将軍やバルステロどのはどうしている?」
「お二人も、王宮の別棟に丁重に幽閉しております。随時説得はしていますが……心変わりはなさらないでしょう。ただ、ヨアス副将軍が協力を申し出ています」
「見返りは、将軍職というところか?」
「そうです。騎士修学院の栄えある一期生としては見事な変心ぶりですね」
フローラの顔には、10年以上の付き合いであるヴィクトリアでさえ、そう何度も見たことのない、侮蔑の表情が浮かんでいた。
「そういうな。ヨアスどのもこのような事態でも起きぬかぎり、将軍の目はないのだからな。しかし、バルステロを抑えられたのは良いが、第二騎士団はどんなようすだ? あそこほど団長への忠誠が厚い騎士団もないだろう」
バルステロ・オコナー。
ヴィクトリアより二歳年長の三二歳で、平民出としてはじめて騎士修学院を主席で卒業し、騎士団長までのぼり詰めた男だ。自身の努力は確かにあるが、ここまでのぼり詰めるための切っ掛け、王立騎士修学院を設立し、しかも、常備軍としてのノンブル騎士団を創設したアーノルド王の英明さに心酔している男だ。
彼の第二騎士団には平民出の騎士が多く、その結束もノンブル騎士団中随一なのだ。
「彼らは、第二騎士団の兵舎に立てこもって臨戦態勢を整えています。さらに、副団長のジグモンドどのがバルステロどのの解放を要求して王宮に連日詰めかけております。そろそろ、アーノルド王が急な悪疾に倒れたのを良いことに、ロルカンドさまを抱き込んだラステル家が王権を壟断。それに荷担した嫌疑という名目での拘束は厳しくなっていますね。しかも、アラフィスさま付きの親衛隊が城下に『ドナルド大公反乱』の噂を広くばらまいてくれたようですので、そちらの問いあわせにも苦心しています。幸いワルターさまが城外で噂を否定して回ってくださいましたので大事になりませんでしたが、一度広がった噂を消すことは難しいですね。ただ、反乱の直後に第五騎士団がラステル領に移動したことで、こちらの流した情報に真実味が増しました。それだけが救いです」
フローラは、聞く人に安心感をあたえる声で、この入り組んだ状況をゆっくりと解きほぐすように語った。
「ワルターどのか、あの方にも重荷を背負わせてしまったな。父上の計画をもはや覆すことがむずかしい段階で知ったとはいえ。市井の者たちを——ひいては、カラヴァドの混乱を最小限でとどめるためにわれらに荷担してくださったのだ。……その思いには応えなければな。しかし、第五騎士団がラステル領に逃走したのは意外だった。アルカードが何やら手を打ったかと思ったが、あやつも人の子、とっさの出来事には弱いとみえる」
ワルター・フリューゲルはヴィクトリアの夫よりも三歳年下の三五歳ではあるが、その歳の差を感じさせぬ夫の親友だ。
だが、一度信じればそのすべてを受けいれて、義父であるドナルドの言葉を素直に信じてしまうような夫と違い。現状を自身の眼をとおして認識して、王国、そして市井の者たちがもっとも被害を被らないようにと行動したことがヴィクトリアには理解できていた。『王国騎士の模範』とまでいわれた男だ、自分たちの行動が国を傾ける事態になったのならば変節漢と罵られようとドナルド大公に敵対する道を歩むだろう。
「ところで親衛隊のあの者から連絡は? アラフィスさまの行方が分からねば次の手が打てないのではないですか?」
ワルターの思惑を心に浮かべ、思考の淵に落ち込みそうになったヴィクトリアを、フローラが引き戻した。
「まだアラフィスたちと合流できていないのだろう、伝書の鳥を飛ばすにしても人目につくわけにはいくまい。いまは気を長く持つしかないな」
「私は、あの者は好きではありません。何を考えているのか分かりませんし、いつ寝首をかかれるか気が気ではありません。正直、ヴィクトリアさまの近くから居なくなってくれて安心しています」
「私も、あの者は好きではないさ、父上がなぜあの者をそばに寄せるのか正直理解に苦しむ。どちらにしても、アラフィスの逃亡をゆるした時点で、父と従兄弟どのの対決は確定してしまったのだ。対決のときまでに、できるだけ足場を固めておかなければならないだろう」
ヴィクトリアの顔には、引き返すことのできない決意の色がある。
「それでレオパードさまがひきいる第四騎士団をロンバルディ公爵領へつかわせたのですか?」
「今後の展開がどうなろうと、食料は確実に押さえておかねばならないからな。旦那さまならば間違いないだろう、誠実に、そして堅実にものごとをはこぶことにかけては右に出る者はいないからな。それに、ロンバルディ公に我々にこそ大義ありと認めてもらうには、あのひとの誠実さは武器になる。そうなれば、諸侯の情勢もだいぶかわるだろう。ああっ、……あと第六騎士団のようすはどうだ?」
夫のことを頭に浮かべ少し柔らかい雰囲気を浮かべていたヴィクトリアが思い出したように言う。
「ベアトリス・リシャールですね。あの者も粗忽なように振るまいながらなかなか腹の内を見せない娘ですので。ただ、今のところはわれわれに反旗をひるがえすつもりはないようです。完全にようす見を決め込んでいる感じですね」
ベアトリス・リシャールはこの年の初めに第六騎士団団長になったばかりの女性だ。
彼女は女性の騎士団長としては最年少の二四歳で団長に任命された才媛だ。しかも、女性として騎士修学院を主席で卒業した二人目の女騎士だった。
「そう言えばあの娘。野の野草にたとえられておもしろいことを言っていたそうだな」
「『野草? ——野草ってのは踏まれてもつぎの春になればまた咲くもんさ。……いいね。ならアタシは何があっても生き残れるてことだよね』ですか?」
それは、薔薇にたとえられる女騎士のたとえ話にフローラとベアトリスを加え、ベアトリスを名の無い野草とすることで落ちとするたとえ話を、ベアトリスが聞いたときに言った言葉だった。
大陸の北西から中北には召喚者である勇者ジャンヌが建国にかかわったモルディア皇主国と、ここ三十年余りで周辺の小国を急激な勢いで纏め上げたガリア帝国という二大大国がある。
カラヴァドの北西には天然の要害マクティーラ山脈が連なりガリア帝国の大侵攻を防いでいる。その山脈の端、平地が接しているラステル伯爵領がその防衛を一手に引き受けている状態だ。
カラヴァド王国の首都ロアンはブリエ内海の湖畔南部に位置している。
ブリエ内海はマクティーラ山脈の水源から大量の清流が入り込む大陸最大の湖である。名前に海と付いてはいるが海と思われるほどの大きさというだけで塩水湖ではない。
そのブリエ内海湖半東部はひろくノルディア大森林につづいていて、周辺には王族の狩り場がひろがっている。
「一つ狂うと何もかも狂うものだな。もっともその一つが十一年もまえでは、もはや修正のしようもないか……」
第三騎士団団長ビクトリア・ルグランは王宮の執務室から城外、ブリエ内海の湖畔をのぞむ風景を眺めてひとり呟いた。
開け放たれた窓からは湖風が流れ込み、ヴィクトリアの金色の髪をあおる。風に散らされた髪の一本一本がきらきらと煌めき、宝石をちりばめたようだ。
ほんらいは凜とした眉の眉尻はさがり、碧い瞳には悔恨が色濃くゆらめいていた。
「あのころは、国の未来を創ることに夢と希望をもっていたはずだが……」
ヴィクトリアは反乱の日、ロルカンドの身柄をおさえるべく王宮を走った。その道すがら王の居室に向かうロルカンド導師とかち合ったのだ。
彼女は瞬間の驚愕を押し殺しロルカンド導師を一刀のもとに切り捨てた。
彼のうしろに続いていたアルカードにも斬撃を放とうとしたところ、ロルカンドの最後の力で幻惑の魔法をつかわれてしまい、アルカードの逃亡を許してしまった。
だが当初の、ロルカンド導師をどう無力化するかという目的は、思わぬかたちで果たすことができたのだった。
それは反乱を起こしたドナルド大公にとって、最も重要な要素の一つだった。
ロルカンド導師をへたに生かしておいては、いつどこから反撃されるかもしれないからだった。
彼は、〈星堕とし〉と呼ばれる戦略級の大魔法が使えるこの世界有数の大魔導師だったのだからだ。
だが、偶然の機会だったとはいえ、長い年月教示をうけた相手をその手にかけた衝撃はヴィクトリアの心の内に重い澱のように沈んでいた。
湖風がまた彼女の頬をなで髪をゆらす。
この王宮の執務室は、ここ数日の彼女の居城だ。
風に煽られた湖面に、陽の光が反射して、淡い光を部屋の中にゆらめかせている。
しかし北に向いたこの部屋は一日じゅう陽が差さずうす暗いのだ。副団長のフローラには部屋を移すようにと再三進言されている。しかし王都を一望できる南寄りの部屋に移る心の整理はいまだついていなかった。
「軟弱なものだな。名前ばかりが世に知れて……、私の心を理解する者は数少なくなってゆく」
彼女の脳裏に、遙か昔に失った友の顔がよぎる。
「失ったものをいつまでも、もうことは決してしまったというのに……サラスティア」
窓を据えつけた岩壁に手をそえ、その手に頭をつけて視線をさまよわせる。その思考は心の内にはいり込んでしまっていた。
「ヴィクトリアさま……、またそのように——いまの貴女を目にしたら、貴女につき従い今回の反乱に加担した部下たちはどのよう思うのでしょうね」
「……ああっ、フローラ。——いつのまに入ってきたんだ?」
「ノックはしましたよ。——まったく、いまのあなたならば私でも楽に暗殺できそうでしたよ。お気をつけください」
「まったく、清廉の白百合さまは、私に対しては鬼百合さまだな」
ヴィクトリアは一瞬まえまでの女々しい雰囲気を消し、フローラにくだけた言葉を返した。
「その呼び名はおやめください。ならば、私はヴィクトリアさまのことをこれから黄金の薔薇さまと呼びますよ」
第三騎士団副団長フローラ・サージェントは、ふかい包容力をたたえた相貌にいたずらじみた微笑みを浮かべて言った。
カラヴァドには、その美貌から薔薇にたたえられる女騎士が三人いる。
一人は、陽光に光り輝く黄金の薔薇。第三騎士団団長、ヴィクトリア・ルグラン。
一人は、月光に濡れる紫の薔薇。近衛騎士団、アラフィス親衛隊隊長、カーラ・エシュリー。
一人は、焔を秘めた赤い薔薇。近衛騎士団、アラフィス親衛隊副隊長、アイナ・カンター。
だがそれ以外の花にたとえられる女騎士もまだいるのだ。
それが、清廉の白百合とたとえられる。第三騎士団副団長、フローラ・サージェントだ。
彼女は、確かに美人だが相貌だけを見れば、市井の商店や宿屋の看板娘といった感じの親しみやすい顔立ちであり薔薇にたとえられる三人の美貌にはほど遠い。だが、彼女は戦女神ともたたえられるヴィクトリアの脇に、清楚な包容力を感じさせる微笑みを浮かべてつねに控えており、王国の騎士や兵士たちの心を大いに慰めていた。それは、彼女がすでに一人の男の細君だとわかっていてさえ変わらぬ崇拝だ。
「私も、それは遠慮したいな。うわさ話で話されるぶんにはいいが、つねにそのように呼ばれるのは、よほど自意識過剰のようではないか。……ところで、調べはついたのか? ただ小言をいいに来たのではないのだろう?」
ヴィクトリアとフローラは、ふたりだけのときだけに見せる気やすいやりとりをしていたが、ヴィクトリアのさいごの問いで、ふたりは瞬時に騎士団の団長と副団長の立場に切り替わった。
「いまのところ大まかにですが、だいたいの調べはつきました。……やはり、アーノルド王はドナルドさまの手で弑逆されたようです」
「やはりそうか、あのとき王の居室には父上と父上の配下の者が向かったが……よもや、エメラリア王妃まで——ということはあるまいな。彼女はファルディア王国への切り札だ。無為なことはしないとは思うが」
「はい、エメラリアさまは藍の塔に幽閉されたようです、塔への回廊はドナルドさまの私兵が常時監視しており、我々第三騎士団も近づくことができません」
「そうか、……父上は私も信用していないのだな。その心の内を見せない用心深さが今回の反乱を成功させたのだろうが。王宮を制圧したあとも、事後処理の会話以外に話したおぼえがない。……愛し、つくしても、その愛情をえられぬというのは虚しいものだな」
「ヴィクトリアさま、また私に同じことを言わせるのですか? あなたは肉親の情を捨てられなかった。そして、私たちはそんなあなたと共に行く道を選んだのです。さきはまだ分かりません。ただ、今回の反乱を国のために最大限に活かすことこそが、これからさき私たちに必要なことではないでしょうか」
フローラの報告に、またヴィクトリアの表情が曇り泣きごとが口をつく。沈み込む彼女の心をすくいあげるようにフローラが叱咤の言葉をかけた。
「分かっている、分かっているんだそんなことは。ただ、どうしようもなく心が重いんだ」
「やはり、部屋を移りましょう。午後にでも移れるように手配します。——ああっ、ヴィクトリアさまの不服申し立ては受け付けませんのでそのつもりで」
フローラは、この陽光の戦女神の生まれ変わりのようなヴィクトリアの内面が、情のふかい非常に女らしいものであることを知っている。だから、このような薄暗い部屋に何日も詰めていることが彼女の内面に微妙な影響を与えていることも十分に理解していた。
いまの彼女を、もはやこの部屋に留めておくことはできないとフローラは強攻策にでたのだった。
「……おまえはその外見で、かなりの者をたばかっているよな。本性を知ったら信者たちはどう思うか」
ヴィクトリアの言葉は、恨みがましい言い振りだが、自分をおもんばかっての直言だと理解している。だからその表情に険はない。
だからフローラも、わざとらしく憮然としたように装う。
「失礼な、私はヴィクトリアさまの、その外見に似合わぬ繊細さを支えねばなりませんので、わざとこのように接っしているのです」
「すまないフローラ、話がそれたな。……ところで、レオナール将軍やバルステロどのはどうしている?」
「お二人も、王宮の別棟に丁重に幽閉しております。随時説得はしていますが……心変わりはなさらないでしょう。ただ、ヨアス副将軍が協力を申し出ています」
「見返りは、将軍職というところか?」
「そうです。騎士修学院の栄えある一期生としては見事な変心ぶりですね」
フローラの顔には、10年以上の付き合いであるヴィクトリアでさえ、そう何度も見たことのない、侮蔑の表情が浮かんでいた。
「そういうな。ヨアスどのもこのような事態でも起きぬかぎり、将軍の目はないのだからな。しかし、バルステロを抑えられたのは良いが、第二騎士団はどんなようすだ? あそこほど団長への忠誠が厚い騎士団もないだろう」
バルステロ・オコナー。
ヴィクトリアより二歳年長の三二歳で、平民出としてはじめて騎士修学院を主席で卒業し、騎士団長までのぼり詰めた男だ。自身の努力は確かにあるが、ここまでのぼり詰めるための切っ掛け、王立騎士修学院を設立し、しかも、常備軍としてのノンブル騎士団を創設したアーノルド王の英明さに心酔している男だ。
彼の第二騎士団には平民出の騎士が多く、その結束もノンブル騎士団中随一なのだ。
「彼らは、第二騎士団の兵舎に立てこもって臨戦態勢を整えています。さらに、副団長のジグモンドどのがバルステロどのの解放を要求して王宮に連日詰めかけております。そろそろ、アーノルド王が急な悪疾に倒れたのを良いことに、ロルカンドさまを抱き込んだラステル家が王権を壟断。それに荷担した嫌疑という名目での拘束は厳しくなっていますね。しかも、アラフィスさま付きの親衛隊が城下に『ドナルド大公反乱』の噂を広くばらまいてくれたようですので、そちらの問いあわせにも苦心しています。幸いワルターさまが城外で噂を否定して回ってくださいましたので大事になりませんでしたが、一度広がった噂を消すことは難しいですね。ただ、反乱の直後に第五騎士団がラステル領に移動したことで、こちらの流した情報に真実味が増しました。それだけが救いです」
フローラは、聞く人に安心感をあたえる声で、この入り組んだ状況をゆっくりと解きほぐすように語った。
「ワルターどのか、あの方にも重荷を背負わせてしまったな。父上の計画をもはや覆すことがむずかしい段階で知ったとはいえ。市井の者たちを——ひいては、カラヴァドの混乱を最小限でとどめるためにわれらに荷担してくださったのだ。……その思いには応えなければな。しかし、第五騎士団がラステル領に逃走したのは意外だった。アルカードが何やら手を打ったかと思ったが、あやつも人の子、とっさの出来事には弱いとみえる」
ワルター・フリューゲルはヴィクトリアの夫よりも三歳年下の三五歳ではあるが、その歳の差を感じさせぬ夫の親友だ。
だが、一度信じればそのすべてを受けいれて、義父であるドナルドの言葉を素直に信じてしまうような夫と違い。現状を自身の眼をとおして認識して、王国、そして市井の者たちがもっとも被害を被らないようにと行動したことがヴィクトリアには理解できていた。『王国騎士の模範』とまでいわれた男だ、自分たちの行動が国を傾ける事態になったのならば変節漢と罵られようとドナルド大公に敵対する道を歩むだろう。
「ところで親衛隊のあの者から連絡は? アラフィスさまの行方が分からねば次の手が打てないのではないですか?」
ワルターの思惑を心に浮かべ、思考の淵に落ち込みそうになったヴィクトリアを、フローラが引き戻した。
「まだアラフィスたちと合流できていないのだろう、伝書の鳥を飛ばすにしても人目につくわけにはいくまい。いまは気を長く持つしかないな」
「私は、あの者は好きではありません。何を考えているのか分かりませんし、いつ寝首をかかれるか気が気ではありません。正直、ヴィクトリアさまの近くから居なくなってくれて安心しています」
「私も、あの者は好きではないさ、父上がなぜあの者をそばに寄せるのか正直理解に苦しむ。どちらにしても、アラフィスの逃亡をゆるした時点で、父と従兄弟どのの対決は確定してしまったのだ。対決のときまでに、できるだけ足場を固めておかなければならないだろう」
ヴィクトリアの顔には、引き返すことのできない決意の色がある。
「それでレオパードさまがひきいる第四騎士団をロンバルディ公爵領へつかわせたのですか?」
「今後の展開がどうなろうと、食料は確実に押さえておかねばならないからな。旦那さまならば間違いないだろう、誠実に、そして堅実にものごとをはこぶことにかけては右に出る者はいないからな。それに、ロンバルディ公に我々にこそ大義ありと認めてもらうには、あのひとの誠実さは武器になる。そうなれば、諸侯の情勢もだいぶかわるだろう。ああっ、……あと第六騎士団のようすはどうだ?」
夫のことを頭に浮かべ少し柔らかい雰囲気を浮かべていたヴィクトリアが思い出したように言う。
「ベアトリス・リシャールですね。あの者も粗忽なように振るまいながらなかなか腹の内を見せない娘ですので。ただ、今のところはわれわれに反旗をひるがえすつもりはないようです。完全にようす見を決め込んでいる感じですね」
ベアトリス・リシャールはこの年の初めに第六騎士団団長になったばかりの女性だ。
彼女は女性の騎士団長としては最年少の二四歳で団長に任命された才媛だ。しかも、女性として騎士修学院を主席で卒業した二人目の女騎士だった。
「そう言えばあの娘。野の野草にたとえられておもしろいことを言っていたそうだな」
「『野草? ——野草ってのは踏まれてもつぎの春になればまた咲くもんさ。……いいね。ならアタシは何があっても生き残れるてことだよね』ですか?」
それは、薔薇にたとえられる女騎士のたとえ話にフローラとベアトリスを加え、ベアトリスを名の無い野草とすることで落ちとするたとえ話を、ベアトリスが聞いたときに言った言葉だった。
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