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女のもつ三つの性質について(7)
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「鶴来君はいいよね、きれいな顔立ちで」
それは、真尋がまだ三角大学に入ったばかりの、一年生の頃の事だった。納涼祭の名物企画の一つ、一刻寮美人コンテストで、真尋は入賞してしまった。自分から参加したのでは無い、一年生男子は全員参加しなくてはならなかったからだ。
真尋は、女装した自分が思っていたより母に似ていてげんなりしていた。しかし、自分がげんなりしている状況を説明するには長々と身の上話をしなくてはならず、しかもたいしておもしろい話でもなかったので、あまり触れないようにしていた。
自分よりももっと過激であったり、話題をさらう扮装をした者もいて、そうした中で上手に隠れていたつもりでも、審査員の上級生にやたらと気に入られてしまい、忌まわしくも優勝などしたものだから、皆はおもしろがってもちあげるし、女子寮にいる同級生も茶化して楽しんでいた。
……それでも、真尋は思っていた。これは、幼少時の母から浴びせられたような言葉とはそもそも性質が違うのだと。一過性のもの、与えられた役割を演じるロールプレイング・ゲームのノンプレイヤーキャラクターのようなもので、男子寮の美人コンテストで優勝してしまった人間を適度のイジる、程度のものだった。
笑って流せば、数時間後には皆忘れる、だから、カリカリする必要は無い、受け流そう。そう思っていた。
実際、大半はそうだった。しかし、三楽茜だけは違っていた。
「色が白いから化粧映えしただけだろ、俺、あんまり特徴が無いし」
どうして自分はこんな風に相手の機嫌をとるように取り繕っているんだろうと思いながら、真尋は茜に言った。それはまったく思ってもいない事ではなかったし、偶々扮装をつけてくれた上級生の化粧の技術がよかったのは事実であったのだから。
「んー、今の女装ってわけじゃなくてさ、入学した時から思ってた、ハンサム、とか、そういうのじゃなくて、バランスがよい、腕の確かな職人が、『美しく』作ろうとして作ったような顔立ち」
「……それって、褒め言葉じゃないよな」
全く褒められているような気がしなくて、真尋は言った。
「ゴメン、気を悪くしたなら謝るよ、なんかさ、もったいないっていうか、もって生まれたものの違いに愚痴を言いたくなっただけ」
そう言って笑う茜の目はちっとも笑っていなかった。茜自身は、素直に言えば『美人』の部類には入らない。本人も美しく装う事を放棄しているようなところがあって、ほとんど化粧もしないし、着ている服も既製服の、どうかすると男物を好んで着ているようなところがあった。
けれど、そんな風な茜であったが、絵筆を持つと非凡なところを見せた。納涼祭の立て看板や、飾り付け、ポスター、のぼりなど、デザインや、手を動かす場面で、ぱっと目を惹くものがあるな、と、思うと、それは茜の手によるものだった。
すぐれた美意識と、美意識の高さゆえに、己の顔立ちについて納得ができていない、短いやりとりではあったが、真尋は茜にそんな印象を持った。
「あんなすごい絵描いておいて、もって生まれた、とか言うか?」
真尋が言うと、茜は驚いたような顔をして答えた。
「すごいって、あの絵が?」
「すごいよ、大きさもそうだし、あのサイズに描いてバランス崩さないってすごいと思うけど」
「……そんな風に言われたの、初めてかも」
茜は、褒められた事に戸惑い、驚いているように見えた。
「え、でも、褒められた事ない?」
「なかったよ、私が褒められたのは勉強だけ」
「勉強か、まあ、それも、できたんだろうけど、あまり人前で絵を描いた事がなかったとか?」
「芸術選択は美術じゃなかったし、子供の頃は友達に下手って言われてたし」
「じゃあ練習したとか?」
「絵を描くのは好きだったけど……」
「それなら、好きこそものの、ってヤツだなあ、でも、自分で自分の技術はわからないから、知らなかったんだろ、俺は三楽の絵、好きだと思うけど」
真尋が言うと、茜は戸惑いながらも微笑んだ。
ああ、自分の努力で獲得した力を褒められると、人はこんな風によい顔をするものなのか、と、真尋はしみじみ思った。
そしてこうも思った。自分が顔貌について言われる時、どうにも居心地が悪いのは、それは生まれ持ったものだからゆえだったのかもしれない、と。
学究心において獲得した知識や教養といったものたちに、救われてきたのはとどのつまりそういう事なのだと。
茜と話をしているうちに、自分では言語化できていなかったものが、ぼんやりと形になって、すとんと腑に落ちた。
「ありがとう」
唐突に真尋は言った。
「それってこっちのセリフなんだけど」
唐突に感謝の言葉を言われて、茜の方も驚いているようだ。
「まあ、俺も色々心に屈託があったって事さ」
そう言いながら、真尋は、茜のどことなく自己評価が低い事、自分を卑下しがちなところはどこからくるのだろう、と、思った。
自分が、母の影響で容貌に対してネガティブな感情を持つようになったように、茜がとかく自分を貶めるのにも理由があるように思えたのだ。
「三楽もさ、自信もてばいいと思うんだけど」
真尋が言うと、
「……鶴来君みたいな人には、わからないと思うよ」
柔和だった表情が固くなり、心を閉ざすのと同時に、茜の前には壁ができた。
もしかしたら、自分の姿も他人から見たらそうなのかもしれない。真尋は思いながら、今、真尋が気づいたように、茜も、己の持ちえるものに気づき、努力によって勝ち得たものを尊く思える事ができればいいのに、と、祈った。
それは、真尋がまだ三角大学に入ったばかりの、一年生の頃の事だった。納涼祭の名物企画の一つ、一刻寮美人コンテストで、真尋は入賞してしまった。自分から参加したのでは無い、一年生男子は全員参加しなくてはならなかったからだ。
真尋は、女装した自分が思っていたより母に似ていてげんなりしていた。しかし、自分がげんなりしている状況を説明するには長々と身の上話をしなくてはならず、しかもたいしておもしろい話でもなかったので、あまり触れないようにしていた。
自分よりももっと過激であったり、話題をさらう扮装をした者もいて、そうした中で上手に隠れていたつもりでも、審査員の上級生にやたらと気に入られてしまい、忌まわしくも優勝などしたものだから、皆はおもしろがってもちあげるし、女子寮にいる同級生も茶化して楽しんでいた。
……それでも、真尋は思っていた。これは、幼少時の母から浴びせられたような言葉とはそもそも性質が違うのだと。一過性のもの、与えられた役割を演じるロールプレイング・ゲームのノンプレイヤーキャラクターのようなもので、男子寮の美人コンテストで優勝してしまった人間を適度のイジる、程度のものだった。
笑って流せば、数時間後には皆忘れる、だから、カリカリする必要は無い、受け流そう。そう思っていた。
実際、大半はそうだった。しかし、三楽茜だけは違っていた。
「色が白いから化粧映えしただけだろ、俺、あんまり特徴が無いし」
どうして自分はこんな風に相手の機嫌をとるように取り繕っているんだろうと思いながら、真尋は茜に言った。それはまったく思ってもいない事ではなかったし、偶々扮装をつけてくれた上級生の化粧の技術がよかったのは事実であったのだから。
「んー、今の女装ってわけじゃなくてさ、入学した時から思ってた、ハンサム、とか、そういうのじゃなくて、バランスがよい、腕の確かな職人が、『美しく』作ろうとして作ったような顔立ち」
「……それって、褒め言葉じゃないよな」
全く褒められているような気がしなくて、真尋は言った。
「ゴメン、気を悪くしたなら謝るよ、なんかさ、もったいないっていうか、もって生まれたものの違いに愚痴を言いたくなっただけ」
そう言って笑う茜の目はちっとも笑っていなかった。茜自身は、素直に言えば『美人』の部類には入らない。本人も美しく装う事を放棄しているようなところがあって、ほとんど化粧もしないし、着ている服も既製服の、どうかすると男物を好んで着ているようなところがあった。
けれど、そんな風な茜であったが、絵筆を持つと非凡なところを見せた。納涼祭の立て看板や、飾り付け、ポスター、のぼりなど、デザインや、手を動かす場面で、ぱっと目を惹くものがあるな、と、思うと、それは茜の手によるものだった。
すぐれた美意識と、美意識の高さゆえに、己の顔立ちについて納得ができていない、短いやりとりではあったが、真尋は茜にそんな印象を持った。
「あんなすごい絵描いておいて、もって生まれた、とか言うか?」
真尋が言うと、茜は驚いたような顔をして答えた。
「すごいって、あの絵が?」
「すごいよ、大きさもそうだし、あのサイズに描いてバランス崩さないってすごいと思うけど」
「……そんな風に言われたの、初めてかも」
茜は、褒められた事に戸惑い、驚いているように見えた。
「え、でも、褒められた事ない?」
「なかったよ、私が褒められたのは勉強だけ」
「勉強か、まあ、それも、できたんだろうけど、あまり人前で絵を描いた事がなかったとか?」
「芸術選択は美術じゃなかったし、子供の頃は友達に下手って言われてたし」
「じゃあ練習したとか?」
「絵を描くのは好きだったけど……」
「それなら、好きこそものの、ってヤツだなあ、でも、自分で自分の技術はわからないから、知らなかったんだろ、俺は三楽の絵、好きだと思うけど」
真尋が言うと、茜は戸惑いながらも微笑んだ。
ああ、自分の努力で獲得した力を褒められると、人はこんな風によい顔をするものなのか、と、真尋はしみじみ思った。
そしてこうも思った。自分が顔貌について言われる時、どうにも居心地が悪いのは、それは生まれ持ったものだからゆえだったのかもしれない、と。
学究心において獲得した知識や教養といったものたちに、救われてきたのはとどのつまりそういう事なのだと。
茜と話をしているうちに、自分では言語化できていなかったものが、ぼんやりと形になって、すとんと腑に落ちた。
「ありがとう」
唐突に真尋は言った。
「それってこっちのセリフなんだけど」
唐突に感謝の言葉を言われて、茜の方も驚いているようだ。
「まあ、俺も色々心に屈託があったって事さ」
そう言いながら、真尋は、茜のどことなく自己評価が低い事、自分を卑下しがちなところはどこからくるのだろう、と、思った。
自分が、母の影響で容貌に対してネガティブな感情を持つようになったように、茜がとかく自分を貶めるのにも理由があるように思えたのだ。
「三楽もさ、自信もてばいいと思うんだけど」
真尋が言うと、
「……鶴来君みたいな人には、わからないと思うよ」
柔和だった表情が固くなり、心を閉ざすのと同時に、茜の前には壁ができた。
もしかしたら、自分の姿も他人から見たらそうなのかもしれない。真尋は思いながら、今、真尋が気づいたように、茜も、己の持ちえるものに気づき、努力によって勝ち得たものを尊く思える事ができればいいのに、と、祈った。
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