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寮食堂に歌え!

ようこそ、千錦寮へ(1)

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「入学式直前の入寮ではダメなんですか?」

 志信は、昨今ではめずらしくなった家庭用固定電話で、千錦寮からの連絡を受けていた。
 電話の相手は、学生寮委員会の人間と名乗っていて、生徒がそんな事務作業的な事もやるのか、と、少し驚いていた。

「オリエンテーションをするんですよ、できれば入学式の三日前には到着しておいて欲しいんです」

 言われてみれば、確かに、部屋の方の準備もあるだろうし、入学式にいきなり行くのも混乱するだろうな、と、志信は今更思った。

 手続きの時にもらった資料によれば、布団と当面の生活用品さえあれば何とかなりそうだし(机やベッドなどの大きめの家具は備え付けのものがあり、冷蔵庫、洗濯機は共同で、布団をあらかじめ送って、身の回りの物はかばん一つで充分だと考えていた)、ここでごねても仕方が無いと考え、志信は電話で入寮日を調整した。

 同じ関東で、移動にチケットを手配するような場所に住んでいるわけでは無いので、『この日』と、決めてしまえばいつでも旅立てる状況ではあった。

 かくして、志信は再びあの、大学構内を一直線に貫く道を歩いていた。

 大きめの旅行用ボストンバッグには、愛用の筆記用具と文庫本、数日分の着替え、そして入学式用のスーツが入っている。大学でも使いそうな辞書類や本、布団は既に宅配で送ってあった。既に届いているだろう。

 食器類は大学近くのホームセンターで揃えるつもりなので、身軽な旅立ちだった。

 大学構内の桜は既に満開で、手続きの時には気づかなかった桜並木になっている道を歩きながら、志信は新生活への期待に胸を膨らませていた。

 残念なのは、大学四年間寝起きする場所がかなりの老朽化した建物だという事だが、実は内装は思ったほどに残念では無かった。壁紙や床材などは、一度交換しているのだろう。高校の頃、校外学習で宿泊した宿舎か、少し古めの病院といった印象で、『夢のような住まい』にはほど遠いけれども、健康かつ文化的な生活を送るには充分だと、志信には思えた。

 寮にたどり着いたのは午前十時、女子寮である千錦寮側では無く、男子寮側、一刻寮の受付の方へと指示されていた志信は、男女学生寮が林立する敷地内への門を通り、そのまま一刻寮、正面玄関へ回った。

 受付には、既に先客が居て、手続きをしていた。その、先客の出で立ちを見て、志信は思わず二度見した。

 黒い帽子、黒いトレンチコート、どどめに、黒い編み上げのブーツ。
 さらに、指先の出ているこれまた黒い皮の手袋。こだわりのワンポイントなのか、スーツの襟元から、真紅のシャツがのぞいていた。

 指出し手袋の甲の部分に五芒星の縫い取りが無いのが不思議なほどに、その装束はコスプレじみていた。

 ビ……ビジュアル系? 一瞬、志信はわが目を疑ったが、いかついアクセサリーなどはついていない。

 そんな彼が手にしているのはどこで買ったのかジュラルミンケースだ。

 見た目の印象をそのまま言うと、探偵か陰陽師、それも、コミックかアニメの、といった出で立ちだ。

 今、この場で、手続きをしているという事は、志信同様新入生という事なのだろうが……。

「あ、手続き終わった人から、こっちへお願いしまーす」

 正面ロビーは、新入生受付をする為の長机が一つあり、対応に女生徒が一人、ロビーから見える小部屋の扉が開け放たれて、そこで数人が、オリエンテーションのような事をやっているようだ。

 受付を済ませた黒衣のコスプレ男が、誘導の男性の指示に従って、四苦八苦しながらブーツを脱ぎ、スリッパでフロアタイルをペタペタと歩く様はなんとも奇妙だった。
 志信が受付の女性に、入寮許可の書類を取り出して渡すと、

「あ、あなたが志信さんね」

 と、反応があった。

「事務処理の時に、ちょっと話題になったの、男子寮の方と間違えてるんじゃないかって」

 悪意の無い様子で、彼女は言った。
 志信の方も、この反応には慣れていて、いつもの事だと笑った。

「でも、いい名前ね、志を信じるって」

 そう言って、その女性は微笑んだ。
 男みたいな名前と言われる事はよくあったが、いい名前だと言われたのは初めてで、志信は少し照れながら手続きをし、先ほどのコスプレ氏に続いて小部屋へ入った。

 十二畳ほどの畳敷きの部屋には、既に三人ほど先客らしい新入生が待っていた。

 志信以外は全員男性で、コスプレ氏以外は志信同様、ユニクロ固め無印添えか、全身ファッションセンターしまむらか、というほどに、いかにも地方から出てきた感満載の普段着だった。

「えー、じゃあ、四人になったんで、説明始めちゃうね」

 小部屋の奥に陣取っている、上級生とおぼしき男性が、受付で渡された資料を元に説明を始めた。

 彼は、理学部三年、いぬい佳雅丸ががまると名乗った。新入生歓迎会実行委員長なのだという。

 説明は、基本的な寮生活に関するオリエンテーションでは無く、この先、ゴールデンウィークまで続くという、新入生歓迎の為の行事についての説明だった。

 大きいものとしては三つ、入寮式と、地区別運動会、一年生交流会。他に、ブロックと呼ばれる数部屋ごとのグループで歓迎会的なものもあるらしいが、実行委員会で仕切っているのはその三つと、新歓期に継続的に行うというスタンプラリーについての説明があった。

 入寮式は入学式前日の夜に、地区別運動会は四月最後の土曜日、一年生交流会はゴールデンウィーク明け最初の土曜日で、一年生交流会の開催をもって一連の歓迎会行事は終わるらしい。

 行事への参加は任意だし、入学式以降は、各学科での活動や、サークルに力を入れる者もいる。
 どちらを優先するのも本人の自由ではあるが、地区別運動会は寮内で同郷の知り合いを作る好機なので、参加を勧められた。

 また、最後の一年生交流会は、実行委員はオブザーバーとしての参加で、実質的な仕切りは一年生達が自主的に行うものであるらしい。

 志信は、一方的に歓迎されるだけならば楽だが、自分から色々働きかけるのは正直めんどうだな、と、思ったが、参加は強制では無いと言われて、気楽に聞いていた。

 委員長の乾は、なかなかに話上手で、適度に新入生をいじりながら話を進めていたが、わざとなのか、コスプレ氏には敢えて触れずにいた。

 志信を含めた他二名は、コスプレ氏の事が気になって気になって仕方がないのだけれど、上級生の話をさえぎる事はどうにも憚られ、チラチラと様子を見ながら、乾の話を傾聴していた。

「んじゃあ、新入生紹介用の写真を撮るんで、あっちに移動してもらえるかな?」

 中庭に通じるサッシがあり、ぽつんと一本だけ植えられている桜の木の下で、実行員らしい二人が、三脚とカメラを準備して待っていた。

 ロビーに脱いでおいた靴を持って中庭へ出ると、案の定コスプレ氏が編み上げブーツを履くのに四苦八苦しているのが見えた。

 ……あのブーツにこだわりがあるのか、衣装にこだわりがあるのか、ともかく、緑のスリッパはためらわず履いたあたり、ものすごく美意識が高いようには見えず、つっこむべきか放置すべきか、悩ましい人物だ、と、志信は思った。

「えーっと、じゃあ、まずは、卯野さん、からいこうか」

 呼ばれて、志信は戸惑いながら桜の下でポーズをとらされた。
 ぎこちない様子で数枚撮り、順繰りにコスプレ氏の番になった。

「お待たせ、じゃあ、最後になっちゃったけど、辰巳君?」

 コスプレ氏は辰巳と言うらしい、その場にいた志信以外の一年生二人も、辰巳氏に注目した。

「ジョージです」

 辰巳氏は、顔の前で腕をクロスにするようなポーズをつけて言った。

「僕の事は、ジョージと呼んで下さい」

 お願いだから誰かつっこんであげて! と、志信は思ったが、辰巳には不思議な迫力のようなものがあって、誰も言い返せなかった。

「えっと、じゃあ、こっちでお願いできるかな、辰巳……譲二君?」

 先輩は、プロフィールが書いてあるとおぼしき紙を見ながら、再度辰巳を呼び、写真撮影を促した。

 ひとしきり説明が終わると、各部屋へ案内するべく、ロビーにはアテンド役らしい上級生が待っていた。

 志信の迎えは女子寮である千錦寮から一名、男子寮からは二名いた。

「なんだ、自分、ずいぶんおもしれーかっこーしてんな!」

 誰もがつっこめずにいた辰巳(自称:ジョージ)の服装に、周囲の空気など一切読まない様子で迎えの上級生の一人がつっこんだ。

 辰巳(自称:ジョージ)は、無言で下を向いている。
 こころなしか赤面しているように見えた。

「何だ、それ、罰ゲームか何か?」

 上級生のつっこみは容赦が無い。

「馬橋、お前、ちょっと黙ってろ」

 もう一人いた迎えの上級生がたしなめたが、馬橋と呼ばれた上級生は、かまわずに辰巳の手をひいた。

「なんか、おもしろそーな奴だな、俺、馬橋まばし慎吾しんご、えーっと、辰巳ってのは」

「俺です」

 辰巳(自称:ジョージ)は下を向いたまま手を上げた。

「おおお! 君が辰巳? 俺、同室、じゃ、俺らはこれで」

 やけに声の大きな馬橋は辰巳の手を引いて階段を昇って行ってしまった。

 階段の上の方から、何やらぼそぼそ話す辰巳の声と、相づちをうっている様子の馬橋の大声が聞こえてきた。

「何だ、自分、大学デビューかい、まあいいや、おもしろそーな奴ってのはわかった」

 そんな声が聞こえてきて、残された一同は辰巳(自称:ジョージ)のぎこちなさ、服装のちぐはぐさに妙に納得し、腑に落ちた気持ちで、それぞれの部屋へ向かった。
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