上 下
10 / 20
01『黒沼あい話』(2016)

08:相野々

しおりを挟む
 次の土曜日、学校から帰って来たオレは、成果のほどを訊いてみた。
 ユキはこくこくと頷く。なにかしらの新たな発見があったんだろう。


「ん。本当にいだっけ」


 向こうのお宅から借りてきたというアルバムを、妹は手にしていた。
 そこに挟まれていた、一枚のカラー写真を抜き取る。その写真が、大事に扱われていたのがよくわかる。
 ファインダーに満面の笑みを向けた、ユキと瓜二つの少女がそこには佇んでいた。


「おじいさん、泣いてたね。おゆきちゃんに会えたのが、すっごく嬉しかったみたい。この写真も、もらって行っていいって!」


 その写真を、ユキはじっと見つめる。そのおじいさんから聞いたという経緯を、妹は話し始めた。


「その人の話によると、三十年前くらいに、お兄ちゃんと全く同じシチュエーションで、おゆきちゃんと遭遇したんだって。そのときも名前がわかんなかったけど、自分がいたのは『黒沼だ』って答えたらしいの」


 ユキと初めて会った日の晩、オレたちが訊いたときも「黒沼」と答えていた。


「それから何年かしたあと、黒沼に落ちたんだって。消防隊も出て必死の捜索をしたんだけど、結局見つからずじまいになって……」


「いまに至る、と?」


 口籠くちごもる妹の代わりに、オレが話を締めくくった。
 忽然《こつぜん》と人ひとり消え失せたのだとしたら、当時の新聞に載っていてもおかしくないほど、世間を騒然とさせた大事件だったかもしれない。
 今度、当時の新聞記事を読める機会があったら読みたいものだ。
 辺鄙へんぴな一村で起こった出来事できごとなら載っていない可能性もあるが。


     ☆


 いつの間にか九月になっていた。
 なにげなくカレンダーを眺めていたオレは、ふとそんなことを感じた。


 毎年、九月の第三日曜日に、鶴ヶ池周辺で祭りが開催される。
 村の特産品を使ったイベントが行われ、全国各地から毎年二万人以上の人々が訪れる。


 その日は、見事なまでのイベント日和びよりだった。夜になって、辺りが暗くなり始める。
 オレが部活終わりで到着したとき、その人は浴衣ゆかた姿で待っていた。


 鶴ヶ池荘の外に、木の柵で囲まれた一角がある。
 その中に設けられた足湯スペースでユキと妹は、投げ出した足を気持ち良さそうに浸けさせていた。


「朝からいたのか?」


「うん。ピラミッド大会もやったよ」


 妹は快活に答える。
 その大会は、十三時頃から十四時頃に行われるイベントで、村の特産品を台の上へ積み上げていき、その高さを競ったものだ。
 確か、歴代最高記録が一二〇センチだったか、それとも一三〇センチだったか。


 柵の中へ足を踏み入れるまでもなく、周辺には温泉特有の匂いが漂っている。
 ラミネート加工の紙が複数枚、柵の内側へ貼られていた。
 そこには「菅江真澄はこんな人」や「菅江真澄も訪れた景勝地『鶴ヶ池』」などと書かれている。


   ☆


 江戸時代後期を生きた紀行家「菅江真澄」
 当時、ここ鶴ヶ池にも訪れ、季節を彩る山々と風光に嘆称を惜しまず「またなき処なり」と記し、和歌を添えています。
 "きしべなる 松のみどりも 影さして 千代もすむらし 鶴の池水"


   ☆


 鶴ヶ池を見るだけに飽き足らず、温泉に入るはぐれ虫もおります。
 しつけが行き届かず、大変ご迷惑をおかけしますが、そんなはぐれ虫を見かけた際は、網で救って頂ければ幸いです。
 ご面倒お掛け致しますが、何卒なにとぞよろしくお願い申し上げます。


   ☆


 すくうと救うが、かかっているのかな。利用者に向けてのお願いが書かれた紙を見て、そんなどうでもいいことを思った。
 妹が足湯から上がり、持参のタオルで足を拭いている間、オレは「鶴ヶ池おんせん館『足湯』の温泉成分、禁忌症・適応症【浴用】」を眺める。


   ☆


『成分』
 一、源泉名……新相野々温泉。
 二、泉質……ナトリウム・カルシウム―硫酸塩・塩化物泉(低張性 弱アルカリ性 高温泉)。
 三、泉温……源泉:六十二・五度、使用位置:四十三・〇度。
 四、温泉の主な成分(一キログラム中)……硫酸イオン:一四三〇・〇ミリグラム、ナトリウムイオン:七一三・五ミリグラム、塩素イオン:四六四・一ミリグラム、カルシウムイオン:二二四・四ミリグラム、炭酸水素イオン:六十八・九ミリグラム、カルシウムイオン:十・五ミリグラム。
 五、温泉の分析年月日:平成十七年八月二十五日。


『禁忌症・適応症』
 一、
 浴用の禁忌症……急性疾患(特に熱がある場合)、活動性の結核、悪性腫瘍、重い心臓病、呼吸不全、腎不全、出血性疾患、高度の貧血、その他一般に病勢びょうせい進行中の疾患、妊娠中(特に初期と末期)。
 二、
 浴用の適応症……動脈硬化症、きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病。
 療養泉の適応症……神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、打ち身、関節のこわばり、くじき、慢性消化器病、痔疾じしつ、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進。
 三、入浴の方法及び注意事項……別に掲示の注意事項をお読み下さい。
 四、禁忌症・適応症決定年月日……平成十八年四月十一日。
 ※禁忌症・適応症は全身浴した場合のものです。飲用は出来ませんので、ご遠慮願います。


   ☆


 ユキも立ち上がり、近くに畳んであったタオルで足を拭く。
 それから二人はサンダルをき、オレたち三人は並んで歩き始めた。


 灯りのともった屋台が並ぶ通りを道なりに進む。
 ここは普段、車も行きう道路だが、この日ばかりは通行止めされていた。
 鶴ヶ池のほとりでは、大勢の人たちがひしめき合い、周囲に歓声が木霊こだまする。
 十八時半を回って、ちょうど祭りも終盤となり、花火大会が始まっていた。


 妹が屋台のほうへ突っ走っていく。本当に、花より団子だな。
 そしてユキのほうからも、盛大に腹の虫が聞こえた。
 彼女は恥ずかしそうに、ほほを朱に染める。肌が白いだけに、その変化は余計に大きい。


「なにか買ってやるよ」


 オレは財布を取り出して、屋台へと向かった。
 屋台を巡りつつ、ときどき見上げて花火を眺める。


「第十七号~~」


 男性の声が響き渡り、あとに女性のアナウンスが続いた。
 どこが提供した花火か、淡々とした口調で説明していく。


 食べ物を両手に持ち、階段を駆け登って擁壁ようへきの上へ向かった。
 ここは毎年、オレたち二人の特等席の場所だったが、今年はユキがいる。


 この祭りは、今年で三十回目ほどの歴史だ。ユキが現れた時代と重なる。
 もしかしたら、記念すべき第一回目に居合わせていたかもしれないが、微妙なところだ。
 結局、新聞記事も発見するには至らなかったわけだし、正確に何年前かはわからない。


 コンクリートの地面にビニール袋を広げ、オレは芝生しばふの上に寝っ転がる。
 袋の上に置いた食べ物を摘みながら、オレとユキと妹の三人は、夜空に咲く大輪を鑑賞した。


 花火大会も二十時に差しかかり、祭りの大トリとなる「水中花火ショー」が始まる。
 こんなときに尿意を催した妹は「ちょっとトイレ~」と言って擁壁を下りて行ってしまった。
 この地域出身のシンガーソングライターが歌っている曲が、BGMとして会場中に流れる。


 今日は辛いことがあったかもしれない。でも明日になれば、きっといい日になる。
 そんな内容の歌詞だった。テレビでも幾度いくどとなく聞いたことのある歌である。
 その曲に合わせ、打ち上がった花火が水面に映り、壮大な一枚絵のようになった。


 照らされたユキの横顔に、オレはちらりと目を向ける。
 ツルと出会ってから、たった四ヶ月しか経っていないが、いろんな場所へ行ったものだ。
 いろんなことがありすぎて、一度に思い返すのは難しい。


 いまだに正しい答えは見つかっていない。過去へ戻る方法も、いまを生きていく手段も。
 このときアレをしておけばよかった、と後悔する以前に、オレにはどうすることもできなかった問題だ。


 遠い昔に過ぎ去った事実を見つめて項垂うなだれているより、まだ可能性のある未来を見つめて、同じ失敗を繰り返さないようにしなければならない。
 それが過去に対する、たった一つの、せめてものつぐないではないか。


「過去には戻れない。だから、未来を生きるしかないんだ……」


 名言っぽく言ったが、これは至極当然のことだった。オレなんかに言われるまでもなく、だからこそ苦しいのだ。
 ならば最後に、いま流れている曲の歌詞を引用して、物語の締めくくりに相応ふさわしい(?)台詞せりふを吐くことにした。


 ユキがそれを、どう捉えるかはわからない。
「ありがとう」と感謝するかもしれないし、「無責任なこと言うな」って怒るかもしれない。
 もしかしたら、それ以前に「パクるな」って注意するかもしれない。


 しかし、いても立ってもいられない。なにか、ユキに対して言ってやれないだろうか。
 ここ数週間の彼女の顔は、とても見ていられるものではなかった。
 昼間は元気に振る舞っていても、夜中に泣いている声を、何度も聞いたことがある。


 聞こえるか聞こえないかの距離で、オレはぼそりと呟く。
 前方を真っ直ぐに見つめ、打ち上がり続ける花火の光を浴び、眩しくもないのに目を細めた。


「大丈夫。笑い合えたら、きっといい日になるよ」


 花火に照らされた彼女の顔に、笑みが浮かんでいるのを一瞬、目の端に捉えたような気がした。


(了)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫が留守のとき新妻が男に襲われた!! ああ、どうしたらいいの!!

マッキーの世界
大衆娯楽
新婚夫婦の新妻。 「あなた、いってらっしゃい」 新妻はかわいらしい笑顔で夫を見送る。 「ああ、いってくるよ」 玄関先で熱いキスをする2人。 マイカは出勤した夫を

連れ子が中学生に成長して胸が膨らむ・・・1人での快感にも目覚て恥ずかしそうにベッドの上で寝る

マッキーの世界
大衆娯楽
連れ子が成長し、中学生になった。 思春期ということもあり、反抗的な態度をとられる。 だが、そんな反抗的な表情も妙に俺の心を捉えて離さない。 「ああ、抱きたい・・・」

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

少しエッチなストーリー集

切島すえ彦
大衆娯楽
少しエッチなストーリー集です。

ロリっ子がおじさんに種付けされる話

オニオン太郎
大衆娯楽
なろうにも投稿した奴です

美しいお母さんだ…担任の教師が家庭訪問に来て私を見つめる…手を握られたその後に

マッキーの世界
大衆娯楽
小学校2年生になる息子の担任の教師が家庭訪問にくることになった。 「はい、では16日の午後13時ですね。了解しました」 電話を切った後、ドキドキする気持ちを静めるために、私は計算した。 息子の担任の教師は、俳優の吉○亮に激似。 そんな教師が

お盆に白装束の巨乳美女が現れて・・・心霊体験

マッキーの世界
大衆娯楽
「ああ、やっぱりお湯に浸かると気持ちいいな」 いつもシャワーばかりの俺。 今日は休みだから、ゆっくり湯船に入れる。 ただ、1人で入っているのもなんだか虚しくなってくるんだよね。 「ああ、美女と入りたいなあ」とスタイルが良い女性を妄想しちまう。

処理中です...