152 / 188
琥珀の慟哭
琥珀の慟哭73
しおりを挟む
しばらくすると、担当の看守の宮野がやってきた。宮野は相変わらずの無表情で、南田はそれに大分慣れた気がしてきた。
「南田。おはよう。調子はどうだ?」
「おはようございます。宮野さん」
「ああ、そうだ。お前に面会だ。10時からだけど、大丈夫か?」
「誰ですか?」
南田は面会相手が誰でも断ろうと思った。宮野は相変わらず無表情で南田を見る。その目は何か言いたげだった。
「それは。それはお前の実の母親だよ。元木弥生さんって人」
「……母さん………」
南田の目が少しだけ潤んだ。宮野は南田の顔を覗き込む。南田はこの時、伊藤の言っていたことがわかった。
伊藤が言った「お前の欲しいと思っているもの」だ。その「欲しいもの」は母親からの愛情だったのかもしれない。
南田は今更、気付いた自身の感情を心の中で嘲笑した。宮野は南田の顔を見つめた。
「マジで母親だったか」
「ええ。俺を棄てた後、元木という人と結婚したんです」
「そうか。じゃあ、面会は承諾ってことでいいか?」
「いいえ。承諾しないでください。俺は……会いません」
「何故?本当に後悔はないか?もしかしたら、これが……最後かもしれないぞ」
宮野はいつになく真剣な表情になっていた。宮野の表情はこれまでよりも豊かになっていた。
何か思うことがあるのだろう。無表情に見える宮野は実のところ、感情豊かな人なのかもしれない。南田はそれが解り難いだけなのだろうと思った。
「そうかもしれませんね。でも、俺は後悔しないです。だって、俺は死ぬから」
「……死ぬってなぁ。まあ、お前は死刑囚だ。これから話すことは俺の独り言だ。適当に聞いてくれ」
「自分語りですか?宮野さんってそういうタイプでした?」
「ああ、自分語りだ。いいか?俺には母親違いの妹がいた。妹が殺された話はしたか?」
「殺された話しですか?」
南田は少し前に見た宮野の思い出を振り返った。確か、同級生に妹が殺されていた。
「まあ、その妹と俺は腹違いの兄弟だ。俺は親父の最初の妻の子で、妹は次に再婚した妻の子。親父は俺を毛嫌いし、妹だけを可愛がった。親父は俺に向かって言った「お前は俺に似ていて反吐が出る」って。俺はそれから親父と関わることを止めた。妹が殺された後、俺はもう完全に実家に帰ることも、親父やお袋に会うことも止めた。それからしばらくして、親父はがんになった。もうあと余命いくばくかになり、母さんが俺に連絡してきた「もう最後だから会ってあげない?」って」
「行ったんですか?」
「この話の流れからして行ったと思うか?」
「いや、思いません」
「俺は行かなかった。理由は親父を許せなかったからだ。まあ、家族のことを知らない人からすると、親と和解しないのはクズだの、親不孝ものだって言うだろう。反吐が出るって言葉だけじゃなく、色々なことが俺は許せなかった」
宮野は口をかみ締めた。南田はその表情を見た。宮野と父親の間にあった溝は深かったのが覗えた。宮野の目が微かに動いているようだった。
「で、俺は見舞いに行かず、親父は死んだ。後日、母親から手紙が来た。親父が最後に行き絶え絶えに成りながら「これまでお前を蔑み、反吐が出るって言ってすまなかった」と伝えてくれと」
「宮野さんは……会わなかったことを後悔しています?」
「後悔?そうだな。この流れからすると後悔しているんだろうな。後悔なのかもしれない。ただ、この複雑な思いを俺は抱えている。だから。俺は南田に母親に会ってほしいと……思う」
宮野の表情はこれまでよりずっと、感情が見えた。強く後悔してほしくないという思いが見えた。
「宮野さん」
「これは俺のできなかったことを、お前に託しているのだろう。押し付けがましくて、すまない」
「そんなことはありません」
「だだの看守が死刑囚に肩入れするのも可笑しいな。俺も伊藤みたいなことをやっている。俺はお前が……殺したと思っていない」
「宮野さん。俺はもう罪を背負う覚悟はできています。正直言うと、母親にどんな顔をして会えばいいのか解らないんです。昔は憎んでいましたよ。俺を気色悪いと言い放った母親の弥生を。だけれど、気色悪いと思う気持ちが解ります。だって、知るはずのないことを知っている。これほど、恐ろしいことはない。見たくて見てるんじゃないんです。見えてしまうんです。でも、その事情を親にだけはわかってもらいたかった」
南田は涙を流した。手の甲で涙を拭うと、宮野がハンカチを差し出した。
南田は無言で、ハンカチを受け取る。
「俺は特殊能力が何かよく知らない。伊藤の苦悩も、お前自身の苦悩も。けれど、俺は多少なりとも、親と子の絆はあると信じたい。解らないけどな」
「そうですか。俺は華子さんのおかげで母さんを憎まないで済みました。だから、俺にとって大事な人は華子さんだったんです」
「そうか。じゃあ、お前はその華子さんのために罪を被るのか?」
「華子さんのため、というか俺自身がそうするべきだと思うからです。俺が生きていても良いことなんてないのですから」
「………命の選別なんてできないだろう。この命が世の名に必要か、なんて。ただ、お前がやっていないと思っているだけだ」
「……ありがとうございます。高校生のとき、あなたのような人たちに会いたかったです」
「で、母親には会うのか?」
宮野は南田に礼を言われ、少しだけ照れているように見えた。それを誤魔化すように聞いた。
「そうですね。迷います。俺がやっていないと信じてくれる宮野さんの期待に応えるべきなのかとも思えてきます」
「そうか。俺はお前が後悔しないことを願っている」
「後悔ですか。後悔するばかりが人生なのかもしれないとすら思えてきました」
南田は自嘲するように笑った。その様子は痛々しかった。二人の間にしばらくの沈黙が続く。宮野は南田の顔を見る。
「………会いますよ」
「会うのか?」
「ええ。後生ですから」
「後生か。そうか。解った。じゃあ、承諾してくる」
「ありがとうございます。宮野さん」
「いや、礼はいい。じゃあ、後でな」
宮野は南田の独房を後にした。南田は宮野の後姿を見届けた。
琥珀の慟哭 73 了
「南田。おはよう。調子はどうだ?」
「おはようございます。宮野さん」
「ああ、そうだ。お前に面会だ。10時からだけど、大丈夫か?」
「誰ですか?」
南田は面会相手が誰でも断ろうと思った。宮野は相変わらず無表情で南田を見る。その目は何か言いたげだった。
「それは。それはお前の実の母親だよ。元木弥生さんって人」
「……母さん………」
南田の目が少しだけ潤んだ。宮野は南田の顔を覗き込む。南田はこの時、伊藤の言っていたことがわかった。
伊藤が言った「お前の欲しいと思っているもの」だ。その「欲しいもの」は母親からの愛情だったのかもしれない。
南田は今更、気付いた自身の感情を心の中で嘲笑した。宮野は南田の顔を見つめた。
「マジで母親だったか」
「ええ。俺を棄てた後、元木という人と結婚したんです」
「そうか。じゃあ、面会は承諾ってことでいいか?」
「いいえ。承諾しないでください。俺は……会いません」
「何故?本当に後悔はないか?もしかしたら、これが……最後かもしれないぞ」
宮野はいつになく真剣な表情になっていた。宮野の表情はこれまでよりも豊かになっていた。
何か思うことがあるのだろう。無表情に見える宮野は実のところ、感情豊かな人なのかもしれない。南田はそれが解り難いだけなのだろうと思った。
「そうかもしれませんね。でも、俺は後悔しないです。だって、俺は死ぬから」
「……死ぬってなぁ。まあ、お前は死刑囚だ。これから話すことは俺の独り言だ。適当に聞いてくれ」
「自分語りですか?宮野さんってそういうタイプでした?」
「ああ、自分語りだ。いいか?俺には母親違いの妹がいた。妹が殺された話はしたか?」
「殺された話しですか?」
南田は少し前に見た宮野の思い出を振り返った。確か、同級生に妹が殺されていた。
「まあ、その妹と俺は腹違いの兄弟だ。俺は親父の最初の妻の子で、妹は次に再婚した妻の子。親父は俺を毛嫌いし、妹だけを可愛がった。親父は俺に向かって言った「お前は俺に似ていて反吐が出る」って。俺はそれから親父と関わることを止めた。妹が殺された後、俺はもう完全に実家に帰ることも、親父やお袋に会うことも止めた。それからしばらくして、親父はがんになった。もうあと余命いくばくかになり、母さんが俺に連絡してきた「もう最後だから会ってあげない?」って」
「行ったんですか?」
「この話の流れからして行ったと思うか?」
「いや、思いません」
「俺は行かなかった。理由は親父を許せなかったからだ。まあ、家族のことを知らない人からすると、親と和解しないのはクズだの、親不孝ものだって言うだろう。反吐が出るって言葉だけじゃなく、色々なことが俺は許せなかった」
宮野は口をかみ締めた。南田はその表情を見た。宮野と父親の間にあった溝は深かったのが覗えた。宮野の目が微かに動いているようだった。
「で、俺は見舞いに行かず、親父は死んだ。後日、母親から手紙が来た。親父が最後に行き絶え絶えに成りながら「これまでお前を蔑み、反吐が出るって言ってすまなかった」と伝えてくれと」
「宮野さんは……会わなかったことを後悔しています?」
「後悔?そうだな。この流れからすると後悔しているんだろうな。後悔なのかもしれない。ただ、この複雑な思いを俺は抱えている。だから。俺は南田に母親に会ってほしいと……思う」
宮野の表情はこれまでよりずっと、感情が見えた。強く後悔してほしくないという思いが見えた。
「宮野さん」
「これは俺のできなかったことを、お前に託しているのだろう。押し付けがましくて、すまない」
「そんなことはありません」
「だだの看守が死刑囚に肩入れするのも可笑しいな。俺も伊藤みたいなことをやっている。俺はお前が……殺したと思っていない」
「宮野さん。俺はもう罪を背負う覚悟はできています。正直言うと、母親にどんな顔をして会えばいいのか解らないんです。昔は憎んでいましたよ。俺を気色悪いと言い放った母親の弥生を。だけれど、気色悪いと思う気持ちが解ります。だって、知るはずのないことを知っている。これほど、恐ろしいことはない。見たくて見てるんじゃないんです。見えてしまうんです。でも、その事情を親にだけはわかってもらいたかった」
南田は涙を流した。手の甲で涙を拭うと、宮野がハンカチを差し出した。
南田は無言で、ハンカチを受け取る。
「俺は特殊能力が何かよく知らない。伊藤の苦悩も、お前自身の苦悩も。けれど、俺は多少なりとも、親と子の絆はあると信じたい。解らないけどな」
「そうですか。俺は華子さんのおかげで母さんを憎まないで済みました。だから、俺にとって大事な人は華子さんだったんです」
「そうか。じゃあ、お前はその華子さんのために罪を被るのか?」
「華子さんのため、というか俺自身がそうするべきだと思うからです。俺が生きていても良いことなんてないのですから」
「………命の選別なんてできないだろう。この命が世の名に必要か、なんて。ただ、お前がやっていないと思っているだけだ」
「……ありがとうございます。高校生のとき、あなたのような人たちに会いたかったです」
「で、母親には会うのか?」
宮野は南田に礼を言われ、少しだけ照れているように見えた。それを誤魔化すように聞いた。
「そうですね。迷います。俺がやっていないと信じてくれる宮野さんの期待に応えるべきなのかとも思えてきます」
「そうか。俺はお前が後悔しないことを願っている」
「後悔ですか。後悔するばかりが人生なのかもしれないとすら思えてきました」
南田は自嘲するように笑った。その様子は痛々しかった。二人の間にしばらくの沈黙が続く。宮野は南田の顔を見る。
「………会いますよ」
「会うのか?」
「ええ。後生ですから」
「後生か。そうか。解った。じゃあ、承諾してくる」
「ありがとうございます。宮野さん」
「いや、礼はいい。じゃあ、後でな」
宮野は南田の独房を後にした。南田は宮野の後姿を見届けた。
琥珀の慟哭 73 了
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
リモート刑事 笹本翔
雨垂 一滴
ミステリー
『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。
主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。
それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。
物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。
翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?
翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」
百門一新
ミステリー
雪弥は、自身も知らない「蒼緋蔵家」の特殊性により、驚異的な戦闘能力を持っていた。正妻の子ではない彼は家族とは距離を置き、国家特殊機動部隊総本部のエージェント【ナンバー4】として活動している。
彼はある日「高校三年生として」学園への潜入調査を命令される。24歳の自分が未成年に……頭を抱える彼に追い打ちをかけるように、美貌の仏頂面な兄が「副当主」にすると案を出したと新たな実家問題も浮上し――!?
日本人なのに、青い目。灰色かかった髪――彼の「爪」はあらゆるもの、そして怪異さえも切り裂いた。
『蒼緋蔵家の番犬』
彼の知らないところで『エージェントナンバー4』ではなく、その実家の奇妙なキーワードが、彼自身の秘密と共に、雪弥と、雪弥の大切な家族も巻き込んでいく――。
※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
旧校舎のフーディーニ
澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】
時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。
困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。
けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。
奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。
「タネも仕掛けもございます」
★毎週月水金の12時くらいに更新予定
※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。
※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる