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第二章 ヤミテラ
2-2:デパート地階:感染
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男が立っていた。
暑いからだろう、スーツを肩にかけた痩せた男だった。眼鏡の右のレンズにひびが入っていて、顔は真っ青だった。
男はまっすぐ前を向いていたが、なんというか――どこも見ていないように感じた。
(編:お約束の目の描写なので、もう少し細かくお願いいたします)
(メモ:瞳孔が開きっぱなしの点を強調か)
(W:『うちカラ』でも指摘した、618フィクションお約束の目の描写である。業界内でも、特に理由も無く『お約束』という扱いで定着しているようだ。編集氏は上からアドバイスを受けたそうだが、理由を聞いても『そういうものだから』としか言われなかったそうである)
二瓶が俺の肩をつつき、口パクで『やべえ』とやる。俺も頷くと、そそくさと距離をとる。
代わって、さっきの男性店員――名札には佐藤正勝と印刷されている――が男に近づいた。
「あの、すいませんが、お客様――」
佐藤さんが声をかけながら、左手を差し出す。
少々お時間をもらえますか? というやんわりとした制止目的のハンドサインのつもりだったんじゃないかと思う。
ともかく
男は、その手に噛みついた。
体ごと覆い被さるように、男は佐藤さんの手を掴み、口を開くと、何の躊躇もなく、人差し指から小指までを、根元までぱっくりと口の中に入れた。
かごりっと、柔らかさを抜けて、硬い物を噛んだ音が響き、佐藤さんは感電でもしたかのように体をびくりと震わせ、片足で跳ね、いたっ! と大声を上げた。
「……はい?」
俺の隣で二瓶が、目をぱちぱちさせ、変な声を出す。
「ちょ、ちょっと! お、お客様っ いたっ、痛いって! かまな――か、噛むなよ!」
叫ぶ佐藤さんをよそに、男はがりっがりっと、顔を小刻みに動かしながら、手を噛み続けている。佐藤さんは、ふっふっ、と短く息を吐くと、指を引き抜こうと腕を突っ張らせ、駄目と判るや、無事な右手で、男の額をびしゃりと叩いた。
「あ! 佐藤さん、暴力は――」
二瓶はそこで言葉を止めた。
男の口元から血がだらだらと滴り始めた。
ぐちゃっぐちゃっと、肉を噛む音が辺りにやけに大きく響く。
野次馬も他の店員も、俺も、二瓶も、頭をタオルで抑えたおばさんも、皆が固まっていた。
佐藤さんは、がくりと片膝をつき、こちらを振り返った。
「こ、こいつ――おお、お、俺の指――」
佐藤さんは涙目で顔を歪め、そこまで言うと、はあっと小さく息を吐き、がくがくと震えだし、白目を剥くと、脱力した。
ごきりっと凄い音がした。
佐藤さんが、ずるずると床に伸びる。
「指が――」
二瓶の平坦な声。
男が、だらりと口を開くと、噛みちぎられた指が四本、赤黒い糸を引きながら、べちゃりと床に落ちた。
小さく流れるJPOPらしき店内音楽と、どこか遠くから聞こえるクラクションの音。上は人が多いのだろうか、やけにざわつきが聞こえる気がした。
俺は、更に男から一歩距離をとった。野次馬と店員の人垣も一歩下がって広くなる。
肩に怪我をしてるぞ、と誰かが囁く。
成程、男が一歩こちらに踏み出すと、肩にかけていたスーツが落ち、その下が真っ赤に染まっているのが判った。
「お、お客様――」
果敢にも、というか無謀にも、二瓶が一歩、男に近づいた。
「も、申し訳ありませんが! その――け、警備室まで、一緒に来てもらえますでしょうか。あの、ぼ、暴行として、警察に――」
声を張り上げているが、語尾が震えている。ゲームで長時間闘ったボスに、いよいよ最後の一撃を与える時に、彼女はこんな感じになる。そして、汗と緊張で操作をミスして、コントローラーをぶん投げるのまでが様式美だ。
男は、やはりどこも見ていないように思えた。そして、黄色く濁ったその両目は、ぐりぐりと痙攣するように左右バラバラに動いていた。
(メモ:目の描写追加。編集にこういう感じで良いか要確認)
「く、薬か何かやってるんじゃ――」
すぐ後ろから男性の声がした。肩越しにちらりと目をやると、真っ青な顔をした、ザ・気弱って感じのサラリーマンが、ガラケー片手に、汗を流しながらじりじりと後ろに下がっていくところだった。
「……やってると思う? あれ、マジでキメてると思う?」
二瓶が声を潜めて聞いてくる。とはいえ、緊張の為か、微妙に声がデカい。俺は、ふへっと笑い声を出した。
「人を突き飛ばして、指ガシガシ齧って、シラフでございまぁす、てほうがこえーよ……」
「ははーははは……うん、警察呼ぶか、警察ぅ」
二瓶は乾いた笑い声を上げ、スマホを取り出す。
「圏外だろ?」
俺のツッコミに、二瓶はギョッとしスマホと俺をそれぞれ二度見した。
その時、どこか遠く――多分上の階から、がしゃんがしゃん、と何かが割れる大きな音が立て続けに聞こえた。大勢の叫び声というか、どよめきみたいな物も聞こえ始めた。追い打ちとばかりに、赤ん坊の金切り声が被さる。
タオルおばさんが、天井を見上げた。
「何これ? ちょっと――何なのこれ?」
男が、唸り声を上げた。
人の声というより、酷く太った犬みたいな、低く重い声だった。
と、バンバンバタン! とものすごい音を立て、エスカレーターを、また誰かが転がり落ちてきた。
「おいおいおいおい……」
思わず、声が口から洩れる。
何だ?
何が起きてるんだ?
エスカレーターの上から、大きな悲鳴と、どどどっという大きな音が聞こえる。
『押さないでくださーい!』という拡声器を通したような声が聞こえた。
『並んでください!』
『二列で! 押さないで! 危険です!』
「え? ……避難誘導――してる?」
二瓶の呟きに、俺の鼓動がまた速くなり始めた。
避難誘導?
地震?
いや、揺れてないよな? じゃあ、火事?
でも、火災報知器とか鳴ってないぞ――
転がり落ちてきた人物が立ち上がった。
首が斜め後ろに捻じれ、顔が天井を見上げている。そして、喉から何か、赤黒い物が飛び出している。
女性だ。スーツを着た、髪の長い女性。喉から出ているのは、多分――骨だ。
首が折れて、骨が飛び出しちゃったんだ……その証拠に、ほら! 一歩踏み出すごとに、頭がぐらぐらと、買い物袋に入った西瓜のように揺れているじゃないか……。
「ゾンビだ」
誰かが――野次馬か店員かは判らないが、とにかく誰かがそう言った。
ゾンビ?
は?
あれ――ゾンビ?
あの、うおー、がおーって人食って、ふらふら歩きまわるゲームとかの――
マジもんの……本物のゾンビ?
俺がそんな感じで、ぼんやりとしてると、またも誰かが転がり落ちてきた。
今度は二人――いや、三人が、絡まりながら転げ落ちてきた。
「おいおいおいおいおいおいおい!」
思わず、俺は叫んでいた。
何だ?
何だこれ!?
「あ……」
二瓶が、小さく声を上げる。
佐藤さんがゆっくりと立ち上がり始めたのだ。
「さ、佐藤さぁん! 危ないですよ! マジ危ないですよ! さと――」
佐藤さんは、首を動かさず、体ごとこちらを向いた。
さっきの歪んだままの表情で、佐藤さんは口を大きく開き、涎を垂らしながら唸り声を上げた。
人垣が崩れ、皆が逃げ出し始めた。
(W:一般に618関連のゾンビは、感染から発症まで、短くて三分位と言われている。つまり佐藤氏がゾンビ化するのは、いささか早いと思われるのだが……この部分は本当にフィクションなのだろうか?
これは、一部で言われている、『世代を重ねるごとに発症スピードが徐々に遅くなっていく』という説を、後押しする記述なのではないだろうか?)
暑いからだろう、スーツを肩にかけた痩せた男だった。眼鏡の右のレンズにひびが入っていて、顔は真っ青だった。
男はまっすぐ前を向いていたが、なんというか――どこも見ていないように感じた。
(編:お約束の目の描写なので、もう少し細かくお願いいたします)
(メモ:瞳孔が開きっぱなしの点を強調か)
(W:『うちカラ』でも指摘した、618フィクションお約束の目の描写である。業界内でも、特に理由も無く『お約束』という扱いで定着しているようだ。編集氏は上からアドバイスを受けたそうだが、理由を聞いても『そういうものだから』としか言われなかったそうである)
二瓶が俺の肩をつつき、口パクで『やべえ』とやる。俺も頷くと、そそくさと距離をとる。
代わって、さっきの男性店員――名札には佐藤正勝と印刷されている――が男に近づいた。
「あの、すいませんが、お客様――」
佐藤さんが声をかけながら、左手を差し出す。
少々お時間をもらえますか? というやんわりとした制止目的のハンドサインのつもりだったんじゃないかと思う。
ともかく
男は、その手に噛みついた。
体ごと覆い被さるように、男は佐藤さんの手を掴み、口を開くと、何の躊躇もなく、人差し指から小指までを、根元までぱっくりと口の中に入れた。
かごりっと、柔らかさを抜けて、硬い物を噛んだ音が響き、佐藤さんは感電でもしたかのように体をびくりと震わせ、片足で跳ね、いたっ! と大声を上げた。
「……はい?」
俺の隣で二瓶が、目をぱちぱちさせ、変な声を出す。
「ちょ、ちょっと! お、お客様っ いたっ、痛いって! かまな――か、噛むなよ!」
叫ぶ佐藤さんをよそに、男はがりっがりっと、顔を小刻みに動かしながら、手を噛み続けている。佐藤さんは、ふっふっ、と短く息を吐くと、指を引き抜こうと腕を突っ張らせ、駄目と判るや、無事な右手で、男の額をびしゃりと叩いた。
「あ! 佐藤さん、暴力は――」
二瓶はそこで言葉を止めた。
男の口元から血がだらだらと滴り始めた。
ぐちゃっぐちゃっと、肉を噛む音が辺りにやけに大きく響く。
野次馬も他の店員も、俺も、二瓶も、頭をタオルで抑えたおばさんも、皆が固まっていた。
佐藤さんは、がくりと片膝をつき、こちらを振り返った。
「こ、こいつ――おお、お、俺の指――」
佐藤さんは涙目で顔を歪め、そこまで言うと、はあっと小さく息を吐き、がくがくと震えだし、白目を剥くと、脱力した。
ごきりっと凄い音がした。
佐藤さんが、ずるずると床に伸びる。
「指が――」
二瓶の平坦な声。
男が、だらりと口を開くと、噛みちぎられた指が四本、赤黒い糸を引きながら、べちゃりと床に落ちた。
小さく流れるJPOPらしき店内音楽と、どこか遠くから聞こえるクラクションの音。上は人が多いのだろうか、やけにざわつきが聞こえる気がした。
俺は、更に男から一歩距離をとった。野次馬と店員の人垣も一歩下がって広くなる。
肩に怪我をしてるぞ、と誰かが囁く。
成程、男が一歩こちらに踏み出すと、肩にかけていたスーツが落ち、その下が真っ赤に染まっているのが判った。
「お、お客様――」
果敢にも、というか無謀にも、二瓶が一歩、男に近づいた。
「も、申し訳ありませんが! その――け、警備室まで、一緒に来てもらえますでしょうか。あの、ぼ、暴行として、警察に――」
声を張り上げているが、語尾が震えている。ゲームで長時間闘ったボスに、いよいよ最後の一撃を与える時に、彼女はこんな感じになる。そして、汗と緊張で操作をミスして、コントローラーをぶん投げるのまでが様式美だ。
男は、やはりどこも見ていないように思えた。そして、黄色く濁ったその両目は、ぐりぐりと痙攣するように左右バラバラに動いていた。
(メモ:目の描写追加。編集にこういう感じで良いか要確認)
「く、薬か何かやってるんじゃ――」
すぐ後ろから男性の声がした。肩越しにちらりと目をやると、真っ青な顔をした、ザ・気弱って感じのサラリーマンが、ガラケー片手に、汗を流しながらじりじりと後ろに下がっていくところだった。
「……やってると思う? あれ、マジでキメてると思う?」
二瓶が声を潜めて聞いてくる。とはいえ、緊張の為か、微妙に声がデカい。俺は、ふへっと笑い声を出した。
「人を突き飛ばして、指ガシガシ齧って、シラフでございまぁす、てほうがこえーよ……」
「ははーははは……うん、警察呼ぶか、警察ぅ」
二瓶は乾いた笑い声を上げ、スマホを取り出す。
「圏外だろ?」
俺のツッコミに、二瓶はギョッとしスマホと俺をそれぞれ二度見した。
その時、どこか遠く――多分上の階から、がしゃんがしゃん、と何かが割れる大きな音が立て続けに聞こえた。大勢の叫び声というか、どよめきみたいな物も聞こえ始めた。追い打ちとばかりに、赤ん坊の金切り声が被さる。
タオルおばさんが、天井を見上げた。
「何これ? ちょっと――何なのこれ?」
男が、唸り声を上げた。
人の声というより、酷く太った犬みたいな、低く重い声だった。
と、バンバンバタン! とものすごい音を立て、エスカレーターを、また誰かが転がり落ちてきた。
「おいおいおいおい……」
思わず、声が口から洩れる。
何だ?
何が起きてるんだ?
エスカレーターの上から、大きな悲鳴と、どどどっという大きな音が聞こえる。
『押さないでくださーい!』という拡声器を通したような声が聞こえた。
『並んでください!』
『二列で! 押さないで! 危険です!』
「え? ……避難誘導――してる?」
二瓶の呟きに、俺の鼓動がまた速くなり始めた。
避難誘導?
地震?
いや、揺れてないよな? じゃあ、火事?
でも、火災報知器とか鳴ってないぞ――
転がり落ちてきた人物が立ち上がった。
首が斜め後ろに捻じれ、顔が天井を見上げている。そして、喉から何か、赤黒い物が飛び出している。
女性だ。スーツを着た、髪の長い女性。喉から出ているのは、多分――骨だ。
首が折れて、骨が飛び出しちゃったんだ……その証拠に、ほら! 一歩踏み出すごとに、頭がぐらぐらと、買い物袋に入った西瓜のように揺れているじゃないか……。
「ゾンビだ」
誰かが――野次馬か店員かは判らないが、とにかく誰かがそう言った。
ゾンビ?
は?
あれ――ゾンビ?
あの、うおー、がおーって人食って、ふらふら歩きまわるゲームとかの――
マジもんの……本物のゾンビ?
俺がそんな感じで、ぼんやりとしてると、またも誰かが転がり落ちてきた。
今度は二人――いや、三人が、絡まりながら転げ落ちてきた。
「おいおいおいおいおいおいおい!」
思わず、俺は叫んでいた。
何だ?
何だこれ!?
「あ……」
二瓶が、小さく声を上げる。
佐藤さんがゆっくりと立ち上がり始めたのだ。
「さ、佐藤さぁん! 危ないですよ! マジ危ないですよ! さと――」
佐藤さんは、首を動かさず、体ごとこちらを向いた。
さっきの歪んだままの表情で、佐藤さんは口を大きく開き、涎を垂らしながら唸り声を上げた。
人垣が崩れ、皆が逃げ出し始めた。
(W:一般に618関連のゾンビは、感染から発症まで、短くて三分位と言われている。つまり佐藤氏がゾンビ化するのは、いささか早いと思われるのだが……この部分は本当にフィクションなのだろうか?
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