なんとなく怖い話

島倉大大主

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第七話

食虫花 下

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 俺達は食虫植物だ。

 金髪は二階の窓から畳に降りると、いつものようにそう思った。

 植物が他の植物を殺さなくても生きていけるように、人間は殺人をしなくても生きていける。

 だが、俺達はそれを許された存在なのだ。

 殺人というプラスアルファによって、俺達の精神は潤され、大きく育っていく。
 常人の何倍も、何千倍もだ。
 しかも、俺達の前に転がり込んでくるのは、社会という名の一種の自然環境において、『いらない』連中なのだ。そういう連中は俺達の精神の養分になって、『ようやく』人の役に立てた――つまり人間として完成するわけだ。

 刺青がナイフを抜いた。痩せがメリケンサックをはめる。太っちょが細く強靭なロープを両手でしならせる。
 金髪の笑顔が更に深くなる。

 感謝してほしいもんだ。
 何の目的も無く、臭い匂いを出しながらダラダラ生きる人生から解放されるんだからな。
 でもどうせ、おっさんも今までの連中と同じく、喚いて暴れて漏らすに決まってる。俺達には一片の感謝もしないに決まってるんだ。

 ピンク髪が小さな注射器を取り出した。

 だから、せめて楽しませてくれないとな。
 今日はどうするか。足の指を一本ずつ切ってみようか? 太腿に包丁を入れて縦に裂いてみようか? 麻酔を打って止血して、どれだけもつか試してみようか? 目や鼻をとったら、どうなるんだろうか?

 ショートボブが小さな銃を取り出す。
 金髪はしかめっ面で、それをしまっておけと手で合図した。

 疲れた時なんかに最後の後始末として使うのにはいいけども、銃は基本的にはつまらない。やはり手でやらないと、面白くない……。

 金髪達は足音を忍ばせ、階段を降りて行った。
 家に仕掛けたカメラで、男が居間に敷いた布団に入ったのは確認した。今はスマホを切っていて確認できない。だからトイレに起きた時に鉢合わせしてしまう可能性もある。
 金髪はそれは避けたいと願った。
 寝ている間に筋弛緩剤と、局部麻酔、そして止血処理をしてから目覚めさせ色々するのが楽しいのだ。
 刺青はそれは大丈夫だと請け合った。
 家の中を監視して一週間。
 男が夜中にトイレに行くことは一回も無かった。朝起きぬけに大量に放尿するのだ。

 とするなら――クライマックスはあのおっさんが盛大に漏らす所だな――

 ピンク髪が嬉々としてそれを録画して、何度もそれを見て笑い、セックスをするだろう。そして十日も経てば忘れちまうだろう。
 おっさんはフォルダにつっこまれた古い動画ファイルにすぎなくなるだろう……。

 金髪の楽しい妄想は、唐突に中断された。
 男は布団の中にいなかった。

「……どういうことだ? トイレか?」
 刺青が首を振った。
「トイレは廊下の突き当たりだ。明かりが漏れてない」
 トイレのドアを痩せがさっと開け、太っちょがロープを構えた。
「……いねえぞ」
 ショートボブが台所から顔を出した。
「こっちにもいない。一階にはいないんじゃないの?」
 ピンク髪がスマホを立ち上げ、監視カメラを呼び出す。金髪が横から覗き込んだ。
「どうだ?」
「今確認してるー……あれ、起きたよあのおっさん」
 画面を見ると、男が布団からむくりと上半身を起した映像が流れている。
「いつだ?」
「えっと~……え? ……三分前、かな」
 刺青と痩せがぎょっとして顔を見合わせた。ふとっちょがか細い声を出した。
「俺達に気づいたのかよ。すげえな」
 金髪はじっと画面に見入った。
 男はそのまま立ち上がり、窓の方に歩いていくとフレームアウトした。窓が開閉する音がし、数秒後、金髪達が居間に入ってきた。
 金髪はゆっくりと居間の奥にある窓の方に目を向ける。
 家の前の道を男が俯きながら走って行く。
「いたぞ! あれだあれだ!」
 痩せが叫び、刺青とショートボブが裏口から飛び出した。
 サンダル履きの所為か、年齢の所為か、そんなにはスピードが速くない。
 金髪は寝床の横に男のスマホが転がっているのを見つけた。履歴を確認すると、二時間前の自分達との会話が最後だった。

 警察には連絡していない。
 ここから一番近い交番は、商店街の外れだ。

 馬鹿な奴だ。自分から飛び込みやがった。

 金髪達は追跡を開始した。



 男が商店街に入り、交番の前まで来るとそこには痩せと刺青が待っていた。足の速い二人は、裏道を使って男を追い抜いたのだ。
 男は慌てて踵を返すが、通りの向こうから金髪とショートボブが走って来るのを目にして、硬直する。
 金髪は笑った。

 深夜、というのが運のつきだ。
 これがもう少し早い時間なら、飲食店が結構開いていて助けを求められたろうが、今の時間では通行人すらいない。
 それでも叫んで暴れれば、警官が来るかもしれない。
 だが、この手の中年のくたびれた男は、人に迷惑をかけないように振る舞うのが骨の髄まで染みついているものだ……。

 金髪の予想通り、男は細い路地駆け込み、盛大にゴミ箱をひっくり返し走り続けた。刺青と痩せ、ショートボブが追い、遅れて到着したピンク髪と太っちょと共に金髪が続く。

 そして、こういう連中は『隠れる度胸』も無い。

 せせら笑う金髪の遥か前で、男はみじめに走り続けた。スピードがどんどん落ちていく。
 刺青と痩せ、ショートボブは馬鹿にした笑い声をあげながら小走りで追いかけている。

 さて、どうする?
 どこか手頃な場所はここらにあっただろうか?
 眠らせて、いつものクラブの上まで運ぶには距離がありすぎる。

 物思いにふけっていた金髪の前で、男がさっと角を曲がった。

 先行の三人が立ち止まって、ちらりと振り返った。
 金髪は苦笑した。

 体力切れか。
 やれやれ、こりゃ下手すると心臓麻痺ですぐに死んじまうかもな。

 金髪は角まで来ると、向こうを覗きこんだ。
 誰もいない直線の道が延々と続いている。左右は塀が続いている。
 全員が顔を見合わせた。
 六人から見て、右手に錆びついたドアがあった。倉庫跡だろうか、三階建てのボロボロのコンクリートのこじんまりとした建物だ。
「よりによって、こんな狭い所に隠れたのかあ」
 ピンク髪の言葉に呼応するかのように、建物の中から物がひっくり返る音がした。太っちょが甲高い笑い声をあげるとドアを開けて中を覗く。
 ひっという男の小さな悲鳴が聞こえた。
 六人は建物の中に入った。
 窓が塞がれているらしく暗い。埃と、何か妙な臭いが金髪の鼻をつく。
「うわ、くっさ! おじさん、こんな所に隠れてどうしたいわけ~?」
 ピンク髪の馬鹿にしたような声に金髪以外が盛大に笑った。

 ……なんだ?

 金髪は臭いをかぎ続ける。
 反吐――汗――血? 

 がしゃりと音がする。
 辺りが完全に暗闇になる。扉が閉まったのだ。痩せが舌打ちをするとスマホを翳して扉に戻った。金属製の取っ手を掴むも、あれっと声を上げる。
「動かねえぞ」
 金髪の腹の辺りに何かがざわざわと生まれつつあった。

 なんだ?
 これは何が起きてる?
 どうしてここは、こんな臭いがするんだ?
 今入ってきた扉が――金属製の重い扉が勝手に閉まって開かなくなるってのは、一体どうしてだ?


「食虫花ってのが昔の本に載っててね……」

 暗闇の中から声がした。
 すぐ近くから――いや、遠くからか、スマホの光が次々と照らす殺風景な床や壁。転がった金属製のバケツに汚れた柱。
 金髪はピンク髪のスマホをひったくると、その柱を照らした。
 真っ黒い手形が無数についている。
 いや――これはただの黒じゃない。乾いた血だ。ひび割れたコンクリートの方形の柱に、血の手形が無数についているのだ。ショートボブが銃を抜く。

「ああ、やめといたほうがいいね。僕は暗い所でも目が効くけど、君は効かないでしょ。友達を撃っちゃうよ」

 刺青がナイフを抜いた。痩せもメリケンサックをはめるがその手は震えている。ピンク髪はきょろきょろと辺りに目を走らせている。
 金髪が声を上げた。
「おっさん、あんたか? 随分舐めた真似してくれるじゃないか。俺達を閉じ込めて、どうしようって――」
「食虫花――知ってる? むかーしむかしのいい加減な本にはね、食虫植物を誇張したお化けみたいな花が載っていたんだ。花から虫をおびき寄せる匂いを出してね、時には人を食べちゃう、とかなんとか……」
 轟音が響き、辺りが二度明るくなる。
 どさりと何か重い物が倒れる音がした。
「やった! 当たった! ざまあみろ、クソが!」
 勝ち誇ったショートボブの声に拍手が応えた。
「お見事。確かに命中だ。喉に一発、太腿に一発。太った彼はもう助からない。勿論君達もなんだけどね……」

 ピンク髪が狂ったようにスマホで辺りを照らすと、壁にもたれかかるように太っちょが倒れていた。喉を抑え、その指の間から血が溢れ出している。
「さて、話を戻そうか。
 僕はね、大人になってからそれが自分にピッタリだって気がついたんだ。虫を誘う臭いを出す食虫花。食虫植物の中にも微量だけどそういう匂いを出すものもいるらしいね。でも僕の場合は凄くてね、続々と寄って来るんだ」
 さっと辺りが明るくなった。
 金髪は驚愕する。
 建物の天井が遥か上にあったからだ。つまり二階三階の床が無いのである。そして窓も一切ない。後からコンクリートで埋めてしまったようだ。
 自分達は今、がらんとしたコンクリートの箱の中にいる。
 目の前の狂人と一緒に。

 男は全裸だった。横にはきちんとたたんだ服が置いてある。

「君達は僕を殺す気で近寄ってきたんだろう? いやあ、最初は君達が中々行動を起こさないから、物取りか詐欺集団だと思って警察に電話するところだったよ」
 男はそう言うと、口に手を当て、俯くと肩を震わした。
「一体どうしてすぐに行動を起こさないんだと色々考えてね……ぷっ……まさか、はは! まさか僕が『いたぶられていた』なんてね! 思いもつかなくて、気がついた時は笑い死にしそうになったよ!」
 男はのけ反ると吠えるように笑った。その笑い声に金髪は思わず後ずさる。

「いやはや……しかし今月は君達で五人目でね――あ、五組目と言った方が良いのかな? 困ったものだよねえ。多すぎるよ」
 男の手がさっと動く。
 えぐっという声を上げ、ショートボブが喉を抑えて蹲った。その手の透間から、透明な細いチューブのような物が飛び出しており、見る間に赤黒く染まったそこから血が断続的に吹き出し始めた。
 ピンク髪が悲鳴をあげ、刺青が舌打ちをすると男に飛びかかる。ショートボブは喉から手を離し、銃を両手で構えた。途端に喉のチューブから血が盛大に吹き出し、蛙のような声を上げて仰向けに倒れる。
「あらら、窒息しちゃったか。それ、先を尖らせたガラス管なんだけどね、抜こうとしちゃダメだよ。先に『かえし』がついてるからね。抜いたら喉の肉が抉れちゃうぞ」
 男の言葉を意図的に無視したのか、それとも聞こえなかったのか、ピンク髪は泣きわめきながらガラス管に手をかける。ショートボブは抵抗しようとしたが、それより早く管は一気に引き抜かれてしまった。
 げうっという声と共に、ショートボブの首が千切れて転がった。
 ピンク髪は自分の足元に転がった首をじっと見つめ、小さく笑い始めた。

「ああ、こりゃまた面倒が省けたな。感謝するよ、お嬢さん」
 男はピンク髪にそう声をかけると、自分に向かって突き出されたナイフを最小限の動きでかわし、刺青の手を脇に挟んだ。そのまま何の躊躇も無く刺青の目に指を入れ、悲鳴を上げる暇を与えず首を後ろに捩じり折った。
 痙攣する逆さまの入れ墨の顔を見て、痩せが泣きだした。
 男は血まみれのまま、すたすたと金髪に近づいてきた。
「ところでね、ちょっとした質問があるんだ。
 君達から見て僕はどう映ったのかな? それを聞かせてもらえるかな? 若者の権利云々を言ってたけどそれは建前でしょう? 君達は肉体的にも精神的にも僕の事がいたぶりやすい――そう考えたのかな? いやあ、流石に襲われ過ぎでね、もうちょっと数をセーブしたいんだよねえ……」
 金髪は男を睨みつけ、歯を食いしばった。
 汗がだらだらと額を流れ落ちる。

 ありえない!
 こんなことはありえない!
 俺達は――俺は選ばれた人間なんだ! 精神的にも肉体的にも、普通の人間よりも一回りも二回りも凄いんだ! 強いんだぞ! 負けないんだぞ!

 男は困ったように微笑み、すたすたと服が畳んである場所に戻ると、何かを拾い上げた。
「……あまりこういうのは好きじゃないんだけどね、そう――君達は猫を殺したしね、そこら辺で僕はストレスがあるんだよね。今の質問にも答えてほしいし……」
 男は手にしたリモコンのスイッチを入れた。
 壁に設置されたスピーカーから大音量でクラシックが流れだす。
「クラシックは悲鳴と血に合う……そう思わないかな、殺人者君?」
 金髪は口を開いたが声は出なかった。男はうふふと肩を震わした。
「僕は実は……拷問は好きじゃない――いや! ゴメン、それは嘘だよね。好きじゃなくちゃできない。ずっとやってれば、上手くもなるし、愛着もわくものだからね」
 男はそう言ってうやうやしく頭を下げた。

「というわけで、大変申し訳ないけどね、君達をこれから拷問することにしたから……ああ!」

 男は額をぴしゃりと打った。
「そうだそうだ、こういう言い方をしなきゃね!
 ……今から君達を拷問して、それから滅茶苦茶に殺すから!」

 金髪は動けなかった。
 いや、動かないのだ、と考えた。
 いつもリーダーを気取り、狭い世界で人間を見下してきた彼は、最後のプライドとして決して男には屈しまいと考えたのだ。
 だが、男がニコニコしながら痩せに歩み寄って、泣きじゃくる彼の鼻を引きちぎり、小さく笑い続けるピンク髪の首をねじ切った時、金髪は盛大に漏らし、命乞いをし始めた。

 勿論それは聞き届けられなかったが、男は金髪の答えに感謝の意を示した。


 男は振り返った。
 じっと立ったまま耳を澄ます。また音楽が聞こえた気がしたのだ。
 男は苦笑して頭を掻いた。
 もうシュトラウスはやめておこう。
 男は空腹を覚えたが、少し薄くなった頭を掻くと苦笑し、我慢することにした。

 中年に必要なのは我慢なのだ。
 我慢こそが事態を解決してくれるものなのだ。
 例えば笑う事を我慢したから、今回は色々と収穫を得る事が出来たのだ。

 男は背筋を伸ばすと、胸を張って裏路地を急いだ。
 
 こうすれば、気弱そうに見られないらしいから、少しはマシになるかもしれない……。
 
 真っ黒な空の縁が、薄青く変わり始めた。
 そろそろ夜が明けてしまうようだ。
 男は溜息をつく。
 中年になると徹夜は体に酷く悪い、という同僚の言葉を思い出したからだ。

 だから、次は――なんとか夕方に始めたいものだ、と男は思った。
 了
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