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第五章

その四 決闘場:本質

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「……終わった?」
 マヤの言葉と共に、肉塊はずるずると力なく決闘場からはみ出し、下に垂れさがっていく。
「みたいだな……さて、船を出るぞ。早くしないと爆発しちまう。マヤ、お前の部屋の金は諦め――」
「……ジャンさん!」

 マヤの叫びにジャンは振り返った。
 肉塊が再び膨らみ始めていた。
 垂れ下がった肉が張りを取り戻し、ゴキゴキと音を鳴らしながら、寄り集まっていく。
 やがて、その中央から一本の塊が突き出た。それはぬるぬると粘液を飛び散らせながら、枝分かれすると、手のような形になっていく。

 ジャンは即座に発砲した。
 だが、もう一本突き出された肉塊が盾のような形をとり、銃弾を受け止める。
 盾の向こうで肉塊全体が立ち上がり始め、徐々に姿を成していった。

 それは巨大な牛のような怪物だった。

 皮膚が無い、筋肉がむき出しの、下半身が無い巨大な牛。その眼窩は暗く穿たれた穴。粘液を垂らす口からは出鱈目な大きさの歯が突きだし、長さの違う二本の湾曲した真っ黒い角が、ずるずると頭部からせり出す。その手にも巨大な不揃いの爪が生えてきた。
 決闘場が新しく発生した重さに、きしみ傾き始めていた。
 マヤが目を剥く。
「な、なんだよ、こりゃ……」
 ジャンが舌打ちをした。
「恐らくは――ホムンクルスの材料の一つ――いや、本質だな。
 こいつをベースに全てが始まったのかもしれない」
「……原材料、ってこと?」
「ああ、千年以上前のな。そんな遥か昔の要素が今でもずっと残っていて、それが暴走を始めたってところか……。
 ガンマの野郎、こうなるってのをわかってて、こっちに丸投げしやがったんだな!」

 怪物は突如、肉塊のままの下半身を波打たせ、二人に突進してきた。ジャンはマヤを抱えて、後ろに跳び退りながら爪の一撃をかわした。
 マヤはその速度に驚愕する。
「でかいのに速い!」
 怪物は体を雑巾を絞るように回転させながら直立させた。
 巨大だった。六メートルはあろうか。怪物はそのまま口を開くと――見えない拳で殴られたような衝撃をマヤは感じた。二人は弾き飛ばされる。マヤは決闘場を転がり、ジャンは決闘場から再び落下した。辺りに墓場のような匂いが漂う。どうやら、空気を凄まじい勢いで、吐きかけただけらしい。
「ジャンさん! 無事!?」
 下に目をやると、ジャンはワイヤーでぶら下がりながら、銃を発砲していた。
 あの巨大な残酷大公の像が台座を離れ、壁をよじ登りながら通路に剣を突きこんでいるのだ。悲鳴と物の壊れる音が響き、レイとダイアナが転がるように通路に出てきた。

「レイ! ダイアナ! 走れ!」
 ジャンはワイヤーを放ち、残酷大公像の剣を絡め取ると、通路の反対側にワイヤーの片方を打ち込んだ。残酷大公像の動きが止まる。だが、レイとダイアナのいる通路に、槍を持った石像ゴーレムと、翼を持ったライオンのようなゴーレムが現れた。
 レイが、どひゃあと叫んだ。
「す、すげぇ! いや、そんなこと言ってる場合じゃねえな!」
「モンキー! 早く逃げるわよ!」
 二人は手近な部屋に飛び込むも、すぐに飛び出す。と、その扉を破って仏像のゴーレムが現れた。二人が三方向から囲まれる中、ジャンは残酷大公像が剣を振り回さないように踏ん張っていた。
「おい! なんとか逃げろ! こっちは手一杯だ!」
「ナントカと言われましてもねえ~……」
 じりじりと迫るゴーレム達に、レイは薄笑いを浮かべながらダイアナを庇って吹き抜けの壁に背中をつけた。
「レイ! どうしよう……」
「なあに、いざとなったら、飛んで逃げるさ……」
 マヤは意識を集中し、力を足に集める。決闘場から飛んで、レイたちのいる通路まで飛べば、あの二人を――
 怪物がずるずると近づいてきた。決闘場がぐらぐらと揺れる。
 駄目だ――これじゃ下手をすると壁に激突して、あたしがあの二人に迷惑をかけることになる。なら、こっちの決着をつければ、きっとゴーレムの動きも――
 マヤは決心を固めると、足にギュッと力を込めた。

 遂にマヤは、怪物と向かい合った。                    

 客たちが散り散りになったせいで、マヤに流れ込む力は弱くなっていた。傷は塞がったものの、痛みはまだ酷かった。下腹がずくずくと脈打っているようだ。
 マヤは足元に転がった、砕けたアゾットの切っ先を拾い上げた。

 逃げようとしていたハインツは、マヤが立ち上がるのを目にし、ルガーの狙いを定めた。一連の戦いに麻痺していた、階層警察官達がそれを見て騒ぎ出す。
「ハインツ! 何をしているんだ!?」
「やめろ! 大公は死んだんだ! 俺達を解放しろ!」
 ハインツはせせら笑った。
「お前らはこのまま船と一緒に消えちまえ。だが、あの女は――」
 俺の計画をとことん邪魔し、嘲った女!
「死ね――」

 頓狂な声と共に、処刑台と廊下を繋ぐドアが破られ、ターバンを頭に巻いた小太りの男が闖入してきた。
「グスターヴ・ヨハンセン参上! 処刑人カスパール! 彼らを解放せよ!! かの作家仕込みの東洋の神秘、バリツを受けてみよ!」
「あん?」
 ハインツが振り返るよりも早く、ヨハンセンは踊りかかった。繰り出された手刀をハインツはひょいとかわすと、足を払う。
「ぬわーっ!?」
 ヨハンセンは顔面を豪快に擦りながら、壁まで滑って行った。
 後ろ手に縛られ、座らされていた階層警察官達の盛大な溜息が唱和する。ハインツはヨハンセンの尻に狙いを定めた。
「どいつもこいつも、俺の邪魔ばかりする!」
 階層警察官の栗毛の青年が立ち上がると、火線に飛び出す。銃弾が発射され、栗毛の青年は脇腹から血を吹きだしヨハンセンの横に倒れた。
「ああっ! き、貴様あ!」
 激昂したヨハンセンは立ち上がるも、向けられたルガーの銃口に固まった。
「何故だ、虫けら? どうして、こんなことをする? こいつらとお前は何の関係もないのだろう? 偽善者共め! 反吐が出る!」

「そこまでです」

 落ち着いた、それでいて刺すような声に、ハインツが振り返ると、ロングデイがすぐ後ろに立っていた。彼女の氷のような目に、侮蔑と怒りがたぎっていた。
 ハインツはルガーを向けようとしたが、それよりも早く何かが彼の顔に、一撃を加えた。驚いて手をやると、みるみる顔が腫れあがってくるのがわかる。
 ロングデイの肩越しに現れた、蛇――エレンは鎌首をもたげると、今度はハインツの首筋に噛みつく。焼けるような痛みにハインツは喘ぐと、ルガーを落とした。体が震え、四肢の感覚がなくなっていく。たまらずハインツは床に突っ伏した。
 ヨハンセンは栗毛の青年を抱き起すと、ロングデイに驚いた顔を向けた。
「お前……エレンは無毒の蛇じゃなかったのか?」
 ロングデイはふむ、とエレンを撫でた。
「そうじゃなかったみたいね」
 ヨハンセンは抱き寄せてキスしたい衝動を何とか抑え、青年に肩を貸して立たせた。
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