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第三章

その二 タルタロス:失礼、大公様!

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 照明を受け、キラキラと輝く血。そして、落下する首に浮かんだ引き攣った表情。
 パイクの顔は残酷大公の像の剣の先に突き刺さり、ぐしゃりと歪んだ。先ほどよりも大きい悲鳴と、下品な歓声が方々から上がる。と、銃声が立て続けに響き、カスパールに撃たれた男達も落下していった。
 残酷大公の傷はみるみる塞がっていく。呆然として見上げるマヤの顔を、残酷大公は血まみれの顔で見下ろすとマイクにがなった。

『楽しんだかね!? わが娘よ!』

 その一言に静寂が、続いてざわめきが起きた。ジャン以外の人間がマヤからじりじりと離れていく。残酷大公は大袈裟に胸に手をやって会釈した。

『娘よ! 嬉しいぞ! 父の贈り物を着てくれているとはね!』

 マヤは足が震えるのを感じた。
 こいつは何を言ってるんだ? 私が――残酷大公の娘?
「じょ、冗談は――」

『貴様の力を知っているぞ! 娘よ! 人の命を吸い取る怪物よ! よくぞ生きてこれたものだ! あの女は、どうやら制御装置を作ったようだが、それにしてもよく自制できたものだ! 親として! 褒めて遣わす!』

 マヤはぐらりとよろけ、ジャンにもたれかかった。
 なるほど、母さんの言うとおりだった。こんな父親なら知らない方が――幸せだ。
「…………か、母さんを何故捨てた?」
 残酷大公は二度三度目を瞬かせると、のけ反って笑い始めた。

『ははは! ははははは! ははははははははは!! 
 吾輩があの女を捨てた! 目の端に残像としても残らなかった、あの女を捨てた!? 
 お前は嘘の塊なのだ! 
 マヤぁ? 何だその名は? 
 吾輩がつけた立派な名前を忘れたのかね、娘よ!』

「……え?」
 残酷大公はケラケラと笑い続けた。

『愚か! いや、希望にすがっていたというべきか? 
 お前は人間ではない。心当たりはあるのだろう? 
 土砂崩れを掘り起し、あの女を掘り出した時、お前の目はどうなっていた? 
 さあ、収穫の時だ! お前は成長してしまったから殺すしかない! 父として、この世で最高の絶望と苦痛を与えてやろう。さあ、ここに来い――

 ヴィルジニー!』

 マヤは、自分の中で食い違っていた何かが噛みあったのを感じた。あの夢での手の感触は――自分の手で撫でまわされる、あってはならない感触――だった……。


「失礼、大公様!」


 その声に、マヤは我に返った。肩に回された手の重さ。ちょっと生臭い体臭。こちらを見下ろす目の奥にある激しい感情! 
 マヤはジャンの腹に顔をゆっくりとうずめ、腰にしっかりと手をまわした。そこでようやく自分が震え、泣いているのに気が付いた。

『んん? なんだ、手品師? まだ、そこにいたか。
 許す! 何でも申してみよ!』

 残酷大公の言葉に、ジャンは恭しく礼をし、頭を下げたまま話す。
「ジャン・ラプラスと申します。どうぞ、お見知りおきを」

『はん! それで?』

「こちらの淑女とは、旅の途中で知己を得まして……まあ、なんと言いますか、くされ縁とでも申しますかね。まったく大飯ぐらいのガサツな女性なのではございますが――」

『簡潔に述べよ!』

 ジャンは雷光のような速さで懐からモーゼルを抜くと、顔を上げずに速射した。
「この女に手を出したら、お前を殺すってことだ……おっと、もう撃っちまったか」
 残酷大公は、再び血しぶきをあげ、吹き飛んだ。周囲から悲鳴と怒号、驚愕のどよめきが上がる。と、床に縫いつけられたように、もがいていたマルガレータと呼ばれた女が、息も絶え絶えに立ち上がった。
「逃げろ!」
 ジャンの叫びにマルガレータは青ざめた顔でちらりと振り返ると、人混みを掻き分け、走り出した。残酷大公は立ち上がると、紅い液体を首に打つ。
 だが、ジャンの撃った弾は両目を吹き飛ばしていた。
 
『く、くそっ! 視えぬ……誰ぞ、そいつを殺せ!』

「マヤ! 逃げるぞ!」
「お、おう! でもどこに? 海に飛び込む? 昼にも言ったけど自信が――」
「いいから来い!」
 ジャンがマヤの手を掴むのと同時に、、ガスマスクの男、カスパールと階層警察がロビーになだれ込んできた。
「動くな、貴様らぁ!」
 ジャンがうんざりしたような声を出した。
「おやおや、バカンツ君のご登場だ」
「え? あ! あいつハインツだったのか! 
 あ! ドーヴィルで蹴られた痕を化粧で隠してのか! なるほどね~……」
 マヤは靴を半分脱ぐと、思いっきり回し蹴りを放った。
「喰らえ! このクソ野郎!」
 マヤの靴は狙いたがわず、飛んでいき、ハインツはそれを片手で受け止めた。だが、ついで飛んできたもう片方でマスクが吹き飛んだ。
「くっ……くそアマぁあああああぁぁぁああああああああああああ!!!」
 ハインツは涎と鼻血をまき散らしながら、マヤ達を追って階段を駆け上がった。
 
ジャンは自分の部屋に飛び込むと鍵をかけ、視線を上に上げた。マヤはすぐにジャンの意を組むと、椅子を持ってきて部屋の中央に据える。
「ジャンさん先に行って!」
「何を言って――ああ、くそっ」
 ジャンは、マヤが苦笑いしながらスカートを摘まむのを見て、ひらりと椅子の背もたれに立ち、通風管の格子蓋をずらす。
 ドアが乱暴にノックされ始めた。
 ジャンは飛びあがると、狭い通風孔に体をあっという間にねじ込んだ。クローゼットから取り出したブーツを履きながらマヤが呆れたような声を上げる。
「まるで、ナメクジだねえ!」
「もうちょっとまともな物に例えろ! 早く上がってこい!」
「はいはい、ちょっと待っててよ」
 マヤはそういうと眼鏡を外した。その目が紅く光る。
「おい、何を――」
 ジャンが言い終える前に、マヤはベッドに飛びついた。豪奢で巨大な、座ると沈み込むベッドをマヤは軽々と引きずり、持ち上げるとドアにどかりと立てかけた。
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