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第二章

その八 ソドム:理性的ではない助言と合法的な金ぇ……

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 ジャンは、むふうと小さく息を吐いた。
「まあ、陽光降り注ぐカフェテラスで話す話題じゃないわな。他にもまだいたが――」
「ね、ねえ! その人たちって幸せなのかな? そのババアは……幸せ、なんだよな?」

 ジャンは、マヤをじろりと見た。マヤは真剣な顔をしている。
 こりゃ参った。前言撤回だ。前者も下手をすると、ありうるぞ……。

「おい、もしかしてお前、ガンマの話を引きずってるのか? あいつの言う事なんぞ、気にしていたら――」
「だ、だって! ふ、不幸せ、よりは、その……」
「連中が幸せかどうかは本人達しかわからんぞ」
 マヤは頭をガリガリと掻いて、恥ずかしそうな顔になった。
「それはそうなんだけどさ……。その、世間一般の人とあたしって違うわけでしょ。じゃあ、一般の人と違う、あたしの知らない幸せの形があるんじゃないのかなあって、ふっと思ったら止まらなくなっちゃって……」
「ふん。つまりは、自分に見合った幸せを教えてくれなかった母親を恨み始めてるってことか? どうだ?」
 マヤはショックを受けたような顔をした後、俯いた。
「……わからないよ。ここで親父に会えずに色々考えてると――あたしって、なんで普通じゃないんだろうとか、何で母さんはあたしに黙ってたんだろうとか、母さんはあたしの事をどう思ってたんだろうとか、凄くもやもやして……」
 マヤは髪をかきむしった。
「なんだかなあ! あの招待状が来るまで、あたしの力って変だけど便利だなって思ってたくらいなのにさ……。
 使い方さえ間違わなければ、ダイナマイトみたいに便利なものだと思ってたのにさ……。
 もしかしたら、親父はあたしの力の所為で、列車の連中みたいなのに追いかけ回されるから、あたしと母さんをあえて捨てたのかも……。
 となると――母さんを不幸にして、おまけに死なせたのも、あたしの所為ってことにならない? 母さんはそれを、実はその――そういう風に思ってて、で、あたしをその――」
 マヤは鼻をすすった。 ジャンは鋭く舌打ちした。
「馬鹿が! 完全に考え過ぎだ。ちなみにな、父親には絶対に会えよ」
「……会わなきゃ駄目かな?」
「ああ」
「……そう思う理由を教えてくれないかな?」

 ジャンはくそっと小さく呟き、マヤを睨んだ。マヤはずっと下を向いている。
「……俺は捨て子だった」
 マヤは驚いて顔を上げた。
「え! そう……なの?」
 ジャンは腕を組んで、目を閉じた。
「俺は気が付いたら、汚い工場にいた。朝から晩まで重労働で、ろくに食事も取らせてもらえず、給金すらもらえない。給金というもの自体を知らなかった。知ったら即座に嫌になって、そこを夜に逃げ出し、次の朝には旅芸人の一座に転がり込んで、まあ、色々あって今に至る。で、しばらく経って、物書きを始めた時に、俺はとてつもない事実に気が付いて悲しくなったもんだ」
「…………」
「俺には『親がいなくて悲しい』という感情が無い。半分は判るだろ? 俺は、魚のように勝手に産まれて、勝手に死んでいくんだ。仮に自分に子供ができても、どうしたらいいかわからないだろうな」
「……あの、ゴメン。もう、いいよ……」
「マヤ、父親には絶対に会え。結末がどんなにくだらなくても、そして悲惨でも、それはお前にとって必要な事なんだ。いいか、この機会を逃せば、きっと永遠に謎は謎のままだ。お前は永遠に紅茶に映るぼんやりした自分を見つめ続け、くだらん考えで自分や、大切な物を腐らせていくことになる」
「……永遠」
「勿論、追求しないのも立派な選択だ。逃げるのは卑怯じゃない。お前の勘が、例えば命の危機を感じるのなら、逃げるのは正解だ。だから、最後の選択はお前に任せる。俺の助言は、俺自身の感情が入ってる。理性的な助言じゃない」

 ジャンは残りの紅茶をぐっと飲み干した。
 マヤはしばらく下を向いていたが、ややあってジャンに顔を向けると微笑んだ。
 ジャンは、その笑顔にぎくりと体を震わし、椅子の上で身じろぎした。
「ありがとう。助言を心に深く留めておくよ」
「そ、そうか。まあ、与太話だと思ってくれ」
 マヤも残りの紅茶を一気に飲み干した。そして、深呼吸すると、ううんと唸った後、両手で頬を勢いよく張った。

「いよしっ!」
「さて、どうする気だ? 父親を捜しに行くか?」
 マヤは椅子を蹴って立ち上がると、腰に手を当て、にかっと笑う。
「いや! どうせ明日、部長さんから詳細が聞けるし、手がかりもない! 
 
 つまり探しには行かない!!
 
 というか、探してすぐに見つかるようなら、こんな手の込んだことにはならないと思うんだ!」
 先程とは打って変わったマヤのはきはきとした口調に、ジャンは面食らった。
「う、うむ……そう言ってしまえばそうなんだが。なんか、お前、ふり幅激しくない?」
 マヤは指をチッチッチと振った。
「時代は動いているのですぞ、ジャン君!
 というわけで私、マヤ・パラディールは悩んで、うじうじするのをやめました!
 今から刹那的な幸せを追及するとします!」 
 ジャンは唖然とし、頭を振った。
「ある意味、尊敬するよ……」
 マヤはびしりとジャンを指差した。
「では、私マヤ・パラディールは、あなた、ジャン・ラプラスを護衛として雇います!」
「ご、護衛!?」
「そう! あたしはこれから遊びまくりますんで、ジャンさんはあたしを守ってください。
 いや、言い方が面白くないかな……。
 安全かつ楽しい一時が過ごせるように、『エスコート』してください! 
 報酬は金庫から好きなだけ、もってけドロボー!!」
「えぇ~……」

 マヤはにやにやとジャンに笑いかけた。
「いやあ、ジャンさんにも悪い話じゃないでしょ~。招待状にはどーせ何かしら裏があるんだろうし、うろうろしてれば、汽車の時みたく向こうから接触があるだろうしね?
 それをジャンさんも待ってるわけでしょ? 大体、あたしをソドムに送り届けるって依頼は達成したんだから、今は暇でしょ?」
 ジャンは渋面を作ってしばらく考え込んでいたが、やがて大きな溜息をついた。
「……反論が見つからん。護衛を引き受けよう」

 マヤはやったねとジャンに抱き着いた。ジャンは目を白黒させる。
「こ、こら、そういうのではなく、護衛――」
「けっけっけ! 依頼人の機嫌を損ねると、ゴーレムのそばに行って、色々喋っちゃうぞ!」
「ああ、もう! わかったよ! 要するに遊びにつきあえばいいんだろ!?」
「ほほほほ! ようやく素直になりましたわね」
 澄ました顔でそう言うと、マヤはくねくねと怪しげな『しな』を作り、ジャンの腕を取った。
「さて、何処からにいたしますかしらん?」
「……いや、昨日から、ずっと思ってるんだが、その間違った淑女感の起源は何処なんだ?」
「ああ、うちの村のアポリーヌ婆さん……が昔、酔っぱらってやったマリー・アントワネットの親戚のナントカ皇后かな」
「どこの誰だよ!?」
「さあ、出発だ! まずはカレーだな! 食うぞ~」
「待て待て! まずは部屋に戻らせてくれ! ここでは飲食は無料だが、遊ぶとなると金が必要になってくる」
「へへへ、金ならあたしが唸るほど持ってますぜ、旦那ぁ。合法的な奴をねぇ……」
「けけっ! 依頼人自らおごってくれるとは、俺より太っ腹だな!」
 マヤはジャンの腹をつまみながら笑った。
 しかし、食事時にはまだ早い、というジャンの反論を受け、まずは映画を観に行こうという提案をマヤは呑んだのだった。
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