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第一章
その十三 ぶらり旅:淑女
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「ドーヴィルは一次大戦の前までは貴族の保養地だったんだ。今は少し寂れたがね、昔を懐かしんで訪れる人もいるんで、他に比べりゃあ賑わってはいるよ」
「へえ……昔はもっと凄かったってことかぁ……」
ジャンとマヤが並んで歩く通りの両側には、巨大な建物が並んでいた。
「あのへんてこな木は、もしかしてヤシの木か!」
マヤは駆け寄ると、幹に触って驚きの声をあげた。
「うわっ、こうなってるのか! こりゃ凄い! 」
「こら、デイジー! 急ぐんだから、うろうろするな!」
マヤはぽかんとし、ああそうかと納得し、ジャンの隣に戻った。
馬車をドーヴィル手前で降りた二人は、手近にあった厩で服を換え、変装した。ジャンは何処から取り出したのか真っ白な上着を身に着け、マヤは鬘をかぶってドレスを脱ぐと、ジャンが闇ボクシング場で用意してもらった服に着替えたのだ。
今、マヤは道化師デイジーとして歩いている。赤いつけ鼻をつけ、試しに子供達の前で踊ってみると大層喜ばれた。ジャンがいつの間にか風船を膨らまし、子供に配っていく。マヤは子供達にもみくちゃにされながら更に踊り、今に至るのである。
「いやあ、しかし踊ったなあ! 子ども達大喜びだったねえ!」
それから声を潜めてジャンを小突く。
「しかも追手は町の反対側ときた!」
ジャンは苦笑いした。
子供達の親は、テニスやゴルフをしたり、酒を飲んだりで、まったく相手にしてくれない。だからといって、海には子供だけでは入れない。結果、暇を持て余し、町の中で遊んでいるのだ。
すると、自然、情報が耳に入ってくる。今夜、どこでパーティが開かれるか、どこの土産物屋がぼってるか、なんてのは子供達の間では常識だ。
そして、数日前から、町に観光客に見えない『軍服を着たおっかない連中』がいるというのも常識だったのだ。マシュマロとキャンディーとダンスを行使すると、今、『そういう連中が大勢』ドーヴィルの駅に集まっている、ということが聞きだせた。
「お菓子と踊りで町の状況が把握できるとは、安上がりで助かるよ。連中は汽車で移動してくると考えたか。どうりでドーヴィルに簡単に入れたわけだ。まあ、連中も、駅じゃなくてソドムへの待合所手前で俺達を押さえるつもりだと思うがな」
「どうするの?」
「なんとかして突破する。手段は選ばん。おい、そんな顔をするな。列車の時みたいな事には、多分ならん。人が多いからな。それに待合所に一歩でも入れば、連中は何もできなくなるんだ」
「そりゃまたどうして?」
「ソドムの立札がある場所は残酷大公の領地に『なる』んだよ」
「へ? 『なる』? うーん、領事館みたいなもの?」
ジャンは空を見上げた。
「そんなところだ。とりあえず飯でも食うか」
二人が入ったレストランは人がごった返していた。二人は人を縫うように進むと、砂浜にせり出した白木で作られたバルコニーに出た。ジャンは椅子とテーブルを軽く掃って砂を落とすと、マヤに座るように促し、慣れた感じでウェイターに幾つか注文をした。
「いいトコだなあ。風が気持ちいいや!」
マヤはうんと伸びをすると、辺りを見渡しジャンに囁いた。
「で、いいの? こんな目立つところに座ってさ」
ジャンは売り子から買った新聞を広げると、足を組んだ。
「目立つからこそ、手出しはできん。それに、ここの料金は料理が来た時に払うんだ」
「なるほどねえ。逃げやすくて襲われにくい開けた場所か。流石じゃない?」
「ふん、褒められても嬉しくはないね。これで飯を食ってるんだ。基礎だよ、基礎」
ジャンは真面目くさった目を新聞の上から覗かせ、片眉を上げた。
「とはいえ、連中が、がむしゃらに来たら手段は限られてくるぞ。泳ぎに自信は?」
「あー、川なら泳いだことあるけど、海は違うんでしょ? 自信は無いなあ」
料理が運ばれてきた。
マヤはスープを口に運ぶ。鮮烈な味が口中に広がった。
「あ、塩辛い! 美味しいなこれ!」
「ムール貝のスープだ。身がぷりぷりしているな」
ジャンは大きなエビを器用にフォークで切り開くと、その身を細かくしソースに絡めた。
「ふむ、ワタを使っているのか。濃厚だな」
「ワタ? ああ、内臓か。へえ……美味いなあ!」
「お前は美味いしか言わないのか、デイジー」
マヤは背筋を伸ばすと、下唇を突き出した。
「大変美味しゅうございます。淑女である私の舌の上で広がる濃厚な甘さとくさみ。まさに海からの贈り物ですわね、ほほ」
「……お前の淑女感は間違っていると言ったら驚くか?」
マヤは肩を竦めた。
「だってさー、淑女なんて研究しようったって、遠くから眺めたり立ち聞きしたり、本で読んで想像するだけだもの」
ジャンはナプキンで口を拭う。
「淑女ってのは喋り方やマナーの問題じゃない。心根だよ。魂と言ってもいいかもな。まあ、最低限のマナーは必要だが」
「へえ、そう!」
マヤはスープをずずっと音を立てて飲み、軽くげっぷをした。
ジャンは豆をフォークで突き刺すと、さっとマヤの口に放り込んだ。あまりの早業にマヤはむせた。
「げほっ、ちょっ、げほげほ!」
「下品な女は好かないね」
「うるせえやい! 好かれようとは思ってないやい!」
二人の食事はそれから二十分ほど続き、最後に大きなリンゴのパイが運ばれてきた。一口食べるとマヤは、頭を振って喜んだ。
「くぅ~っ、美味しい! 母さんのパイを思い出す!」
ジャンは小さく、ああ、と声を出した。
「なに?」
「いや、昨夜からの小さな疑問に決着がついただけさ」
ジャンは懐中時計を見ると、頷いた。
「さて、行ってみるか。人が一番多い時間帯になったな」
「へえ……昔はもっと凄かったってことかぁ……」
ジャンとマヤが並んで歩く通りの両側には、巨大な建物が並んでいた。
「あのへんてこな木は、もしかしてヤシの木か!」
マヤは駆け寄ると、幹に触って驚きの声をあげた。
「うわっ、こうなってるのか! こりゃ凄い! 」
「こら、デイジー! 急ぐんだから、うろうろするな!」
マヤはぽかんとし、ああそうかと納得し、ジャンの隣に戻った。
馬車をドーヴィル手前で降りた二人は、手近にあった厩で服を換え、変装した。ジャンは何処から取り出したのか真っ白な上着を身に着け、マヤは鬘をかぶってドレスを脱ぐと、ジャンが闇ボクシング場で用意してもらった服に着替えたのだ。
今、マヤは道化師デイジーとして歩いている。赤いつけ鼻をつけ、試しに子供達の前で踊ってみると大層喜ばれた。ジャンがいつの間にか風船を膨らまし、子供に配っていく。マヤは子供達にもみくちゃにされながら更に踊り、今に至るのである。
「いやあ、しかし踊ったなあ! 子ども達大喜びだったねえ!」
それから声を潜めてジャンを小突く。
「しかも追手は町の反対側ときた!」
ジャンは苦笑いした。
子供達の親は、テニスやゴルフをしたり、酒を飲んだりで、まったく相手にしてくれない。だからといって、海には子供だけでは入れない。結果、暇を持て余し、町の中で遊んでいるのだ。
すると、自然、情報が耳に入ってくる。今夜、どこでパーティが開かれるか、どこの土産物屋がぼってるか、なんてのは子供達の間では常識だ。
そして、数日前から、町に観光客に見えない『軍服を着たおっかない連中』がいるというのも常識だったのだ。マシュマロとキャンディーとダンスを行使すると、今、『そういう連中が大勢』ドーヴィルの駅に集まっている、ということが聞きだせた。
「お菓子と踊りで町の状況が把握できるとは、安上がりで助かるよ。連中は汽車で移動してくると考えたか。どうりでドーヴィルに簡単に入れたわけだ。まあ、連中も、駅じゃなくてソドムへの待合所手前で俺達を押さえるつもりだと思うがな」
「どうするの?」
「なんとかして突破する。手段は選ばん。おい、そんな顔をするな。列車の時みたいな事には、多分ならん。人が多いからな。それに待合所に一歩でも入れば、連中は何もできなくなるんだ」
「そりゃまたどうして?」
「ソドムの立札がある場所は残酷大公の領地に『なる』んだよ」
「へ? 『なる』? うーん、領事館みたいなもの?」
ジャンは空を見上げた。
「そんなところだ。とりあえず飯でも食うか」
二人が入ったレストランは人がごった返していた。二人は人を縫うように進むと、砂浜にせり出した白木で作られたバルコニーに出た。ジャンは椅子とテーブルを軽く掃って砂を落とすと、マヤに座るように促し、慣れた感じでウェイターに幾つか注文をした。
「いいトコだなあ。風が気持ちいいや!」
マヤはうんと伸びをすると、辺りを見渡しジャンに囁いた。
「で、いいの? こんな目立つところに座ってさ」
ジャンは売り子から買った新聞を広げると、足を組んだ。
「目立つからこそ、手出しはできん。それに、ここの料金は料理が来た時に払うんだ」
「なるほどねえ。逃げやすくて襲われにくい開けた場所か。流石じゃない?」
「ふん、褒められても嬉しくはないね。これで飯を食ってるんだ。基礎だよ、基礎」
ジャンは真面目くさった目を新聞の上から覗かせ、片眉を上げた。
「とはいえ、連中が、がむしゃらに来たら手段は限られてくるぞ。泳ぎに自信は?」
「あー、川なら泳いだことあるけど、海は違うんでしょ? 自信は無いなあ」
料理が運ばれてきた。
マヤはスープを口に運ぶ。鮮烈な味が口中に広がった。
「あ、塩辛い! 美味しいなこれ!」
「ムール貝のスープだ。身がぷりぷりしているな」
ジャンは大きなエビを器用にフォークで切り開くと、その身を細かくしソースに絡めた。
「ふむ、ワタを使っているのか。濃厚だな」
「ワタ? ああ、内臓か。へえ……美味いなあ!」
「お前は美味いしか言わないのか、デイジー」
マヤは背筋を伸ばすと、下唇を突き出した。
「大変美味しゅうございます。淑女である私の舌の上で広がる濃厚な甘さとくさみ。まさに海からの贈り物ですわね、ほほ」
「……お前の淑女感は間違っていると言ったら驚くか?」
マヤは肩を竦めた。
「だってさー、淑女なんて研究しようったって、遠くから眺めたり立ち聞きしたり、本で読んで想像するだけだもの」
ジャンはナプキンで口を拭う。
「淑女ってのは喋り方やマナーの問題じゃない。心根だよ。魂と言ってもいいかもな。まあ、最低限のマナーは必要だが」
「へえ、そう!」
マヤはスープをずずっと音を立てて飲み、軽くげっぷをした。
ジャンは豆をフォークで突き刺すと、さっとマヤの口に放り込んだ。あまりの早業にマヤはむせた。
「げほっ、ちょっ、げほげほ!」
「下品な女は好かないね」
「うるせえやい! 好かれようとは思ってないやい!」
二人の食事はそれから二十分ほど続き、最後に大きなリンゴのパイが運ばれてきた。一口食べるとマヤは、頭を振って喜んだ。
「くぅ~っ、美味しい! 母さんのパイを思い出す!」
ジャンは小さく、ああ、と声を出した。
「なに?」
「いや、昨夜からの小さな疑問に決着がついただけさ」
ジャンは懐中時計を見ると、頷いた。
「さて、行ってみるか。人が一番多い時間帯になったな」
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