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第二章 私と618

2:混乱:六月十八日午後三時から 六月十九日午前十時辺りまで 1

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 私の地元では、震災時と違い、停電は一切起きなかった。
 なので市内の交通機関に混乱はなかったのだが、ガソリンスタンドには、やはり車の大行列ができており、コンビニ、スーパー等は駐車場が満車のようで、警察官が所々で交通整理にあたり、少しづつではあるが非日常的な光景が広がりつつあった。

 私は、妻に帰宅が遅くなる旨をメールで知らせると、知人であるXの家に向かった。

 Xは中学からの馴染で、家族ぐるみの付き合いである。X宅に到着すると、妻もこちらに向かっているとXの細君に教えられた。
 応接室に通されると、Xはいつもは深く腰掛けるソファーから腰を浮かせた状態で、リモコン片手にテレビを睨んでいた。傍らにはノートパソコンとスマートフォン。いずれもネットの巨大掲示板や、大手SNSが開かれており、リアルタイムの情報がずらずらと流れていた。

「どうなってる?」
 私の質問に、Xは口を開こうとした途端に、着信があった。
 電話をかけてきたのはYという男で、この後、Zという男を伴って、やはりXの家に来るそうだ。
 彼らは、やはり中学の頃からの馴染であり、時たまこうして集まっては、同じ趣味に浸っているのだ。
 妻たちは、そんな我々を『悪趣味だ』と苦笑いして見守ってくれていたのだが、618事件後は、何度か一緒に参加するようになった。というか、どうやら秘かに妻同士で集まって、海外の過激な奴に『はまって』いるらしい。

 Yと電話が終わったXに、私は同じ質問をした。
「どうなってる?」
「五大都市は確定で、九州や北海道でも未確認だが発生したって情報が出てる。
 東京、大阪、京都に電話が繋がらない。これは政府と電話会社が規制を発表したからだ。メールやSNSは繋がるな。
 ちなみに旧ドンだ。サングと言ってもいいかもな」
 Xはそう言って、ペットボトルの茶をあおった。
「まったく走らないのか? 早足とかは?」
「いや、まったく走らないらしい。階段は上がるが、足以外を使う段差は無理。
 いや、これは噂レベルだ。信じるな。
 ところで――」
 XはノートPCで動画を再生した。
「動画サイトから落としてきた。弱点は、お約束通り、『頭』だわ」

        ――――――――――――――

 再生された動画は、薄暗い路地裏で、拘束した中年男性のゾンビが道路に転がされている場面から始まった。投稿者は日本語を話している。

『い、今から、ゾンビをどうやったら殺せるのかためします』

 早口でそう言った男性投稿者は、最初は遠慮がちに、物干し竿のような棒で、頭を叩いていた。小さな切り傷がつき、アスファルトに血が飛び散る。
 ゾンビは唸り声をあげ、体を激しく動かした。と、拘束に使っていた紐が緩み始める。投稿者が、うわっ、という言葉を連呼し始め、ゾンビはどんどん拘束を解いていく。
 私は、息を飲み、早くやれ、と思わず呟く。
 
 ゾンビの動きが止まった。

 紐がばらりと解け、ゾンビはゆっくりと立ち上がり始めた。
 この投稿者はヘッドセットタイプのカメラを着けていたので、彼の動揺と恐怖が動画から直に伝わってきた。
 画面がガタガタと揺れ、ゾンビがこちらに一歩踏み出し、私の呼吸が荒くなる。

 瞬間――投稿者が雄たけびをあげて、ゾンビに殴りかかった。
 武器はブロックである。画面がぶれ、二度三度とブロックが振り下ろされ、ゾンビはたちまち、路上に倒れ伏した。左の側頭部が縦に裂け、鼻と目から赤黒い血が流れ始める。
 投稿者は、一線を越えたことで、覚悟が決まり落ち着いたのだろう。痙攣を繰り返す度に、ブロックでゾンビの頭を的確に殴りつけた。
 ややあって、ゾンビは完全に動きを止めた。
 投稿者は先程の物干し竿を、ゾンビの口に突っ込むと、開閉させ、圧を加え、何の反応も無い事を確認すると、ふうと息を吐いた。
『以上です。弱点は頭です。頭を破壊すれば、動かなくなります』
 私も息を吐いた。
 動かなくなったゾンビは、当り前だが、酷い有様の死体にしか見えなかった。
『……最悪の気分です』
 そこで動画は終わった。

        ――――――――――――――

 Xは、どうだ、と私に聞いてきた。
「お前、これできるか?」
「できない、と言ってる場合じゃなくなるんだろうな」
「まあな。いずれ、こっちに来るだろうしな……」
「東京の情報は何かあるか?」
「SNS経由は不確定なものが多すぎて餞別できん。
 だから、直で聞いてみたんだが、混乱してる奴が大多数で、どうにもこうにも……。
 だが、まあ――制圧よりも避難が優先され始めたらしいってのは聞けた。
 電車が所々で停まってるのは、間違いない。
 車は高速やら国道で大渋滞。これも間違いない。」

 早口でまくしたてたXは、額を拭うと椅子に深く腰掛け、満足そうな笑みを浮かべた。
「乗ってたら雪隠詰めだ。加速度的に増えるぞ」
 目をキラキラさせているX。

 そういえば、大学時代に酒を飲みながら、こういう状況になったら、一体何を優先してやるべきか、と議論したことがある。
 Xは、まずは情報を集めまくると嬉しそうに語った。

 映像にネットの記録、通話記録なんてのも良い。とにかく、集めるだけ集めて、事態が収まったら、それを時系列順に並べるんだ。それから――

 我々は笑いながら、それから? と先を促した。

 それから――俺はもう疲れた、って感じの台詞を言うのさ。

 ウィンクしながらのXの台詞に、全員が、それはいい! と賛成し、笑いながら乾杯をしたものだ。

 今、正にその状況なわけで、隣にいるだけで、Xの興奮が私にも伝染してくるようだった。(勿論、私もできるだけ情報を集め、メモを残した。それによってこれは書かれているのである)

「本当に……こっちに来るかな?」
 私の質問に、Xは間違いなく来るぞ、と茶を再び飲む。
「さっきの電話な、Yからなんだが、あいつ独断で、こっちにくる車と電車をどうにかする気らしい。あいつさ、映画でそういう所で『ぬかる』のが、様式美だが我慢ならんと、大学の頃言ってただろ?」
「ああ、覚えてる覚えてる。
『そうじゃないだろ! まずはハイウェイを封鎖しろ!』 とか言ってたな。いや、まさか、本気なのかね? クビ覚悟か?」
「ふん、まあクビになったら本望なんじゃねーかな」
「ああ~……。そういうシチュエーション妄想して、よく喋ってたなあ。チャンス到来ってわけか。しかし、それにしたって、ホントにやるとは天晴だね」
 そういうシチュエーション、とは

『ゾンビから人を守るために、法律を犯して、ゾンビ騒動終息後に糾弾される』

 である。
 ここでポイントは『命は投げ出さない』という所であろうか。
 Yは、とにかくゾンビとガチで戦いたがっていた、のであろう。
 知力、体力、時の運、そして権力等、持てる力の全てを使って、ゾンビという『具現化された天災』をねじ伏せたいという願望。これは怪獣映画と同じかもしれない。
 Xはニヤニヤ笑っている。
「なに他人事みたいに言ってんだよ。下手すりゃ俺達も巻き添えだぜ?」
「そりゃまた、どうして?」
 私のわざとらしい声に、Xは声を出して笑った。
「お前も俺も、協力する気満々だからさ! 絶対にやるだろ!?」
 私達は笑った。
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