黒い花

島倉大大主

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第四章:黒い花

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 広げた地図の上に写真が数枚置かれている。それぞれが一つのアパートを様々な角度から撮影したもののようだ。野町さんがごつい指で写真を軽く叩く。
「これが君が見た――霊視したアパートでいいかな? この二階の一番左端の部屋?」
「……うーん確信はないです。全体像を見たのは一瞬だったから。ドアの形状は――同じに見えます」
「よし。住所を確認した電柱はここかな?」
 野町さんは地図を指し示し、タブレットで地図ソフトを呼び出すと立体モードに切り替える。このモードはソフト会社の社員が地道に撮った写真を組み合わせて簡単な立体地図が見れるようになっている。
 あたしは表示された電柱をタップして角度を変える。
 ああ、これだ。住所が書かれてたタグに見覚えがある。と、すると――
 画面に指を当て左に回すと視点がアパートの方を向く。あの時見た角度と同じだ。
「ここです。この二階の一番左端で間違いないです」
「よし。じゃあ、次は中だ」
 黒づくめの年嵩の方がバインダーを開いた。不動産屋でよく見る味もそっけもない、線で描かれた部屋の見取り図が一番上にある。
「ここが玄関。トイレに居間。居間の隣が和室。居間からベランダに出れる。どうかな?」
 野町さんの質問に、あたしは記憶を探る。
「間違いないと思います」
 年嵩の男がペンを取り出すと和室に丸を付け口を開いた。
「ここに要救助者が二人? 間違いないですね?」
「はい。女の子と大人の女性。女性の方は天然痘……その、病気、みたいでした。全身に発疹ができていて膿みたいなのが流れてました。丸くて大きな発疹です」
 年嵩の男性がもう一人の男に目配せする。男はスマホ取り出すと、写真をあたしに掲示した。
「こんな風ですか?」
 そこには肌が大きな発疹に覆われた、アフリカ系の子供が写っていた。
「……似ています」
 男の人達は野町さんに頷いて、車から降りて行った。
 一方、真木は、どこからか紙コップを探し出してきたらしく、それを並べてポットからコーヒーを注ぎだした。
「あの、さっきのお二人は、これ飲まないんですか?」
「大丈夫よ、京子ちゃん。彼らは既に飲んでるから」
 前の運転席から香織さんの声がした。野町さんはコーヒーを一口飲んで唸った。
「薄くないか?」
 香織さんは溜息をつくと座席の間から頭を出してきた。手にはインスタントコーヒーの瓶が握られている。
「文句があるなら、自分で足せばぁ? まったく、そんなんだからいつまで経っても彼女の一人もできないのよ~。ねー京子ちゃん?」
「いや、その……はは……」
 困るあたしを見て、ぷひょーとか声を立てて笑っている真木。その脇を野町さんが高速で鋭く突いた。おあうっと体をブーメランみたく曲げる真木に目もくれず、野町さんは書類を睨みながら口を開いた。
「ゴミ屋、お前の考えは?」
「そ、そうですねえ、彼女ができないのは野町さんが――あ、いや、そんなに睨まんでくださいよ、こういう時は笑った方が良いんですがねえ……」
 そうよねえ、野町っちは真面目すぎるのよねー、と香織さん。
 ん? じゃあ、さっきから緊張感のない明るい話題をしてるのは、わざとなの?
 真木はどこから出したかわからないプラスプーンでコーヒーの粉を足すと、くるくるとかき混ぜながら、顎を擦った。
「病状ですが、皮膚炎などではないですね。あの教団の本から考えまするに過去に政権が傾くレベルで伝染した病、つまり天然痘ではないかと。そして一之瀬裕子は、それを『召喚』した、と考えるのが妥当ではないかと」
 あたしは頬が引き攣るのを感じた。
「じゃあ先輩、あの寝てた人は、やっぱり御霊桃子がぶちまけた病気にかかった、と?」
「多分、そうなんだよ京さん。ただ――実際の天然痘と同じ性質を持ってるかどうかは疑問だね。野町さん、この女性の通院記録は?」
 野町さんは手帳を取り出すと、中ほどを開いた。
「あの部屋に住んでいる二人、朝霧未海と朝霧琴音の二人に、ここ最近の通院記録はない」
 朝霧未海。
 未海ちゃん。
 早く――早く助けなくちゃいけない。
 ひたり、とあたしの額に尖った冷たいものが当たった。真木の指だった。
「落ち着きたまえ、京さん」
 そのまま、軽く、くんと押され、あたしは長く息を吐いた。野町さんが続ける。
「朝霧琴音は今朝、仕事場に熱があって体がだるいから休むと連絡をした。その時点で膿疱ができていれば病院に行くだろう」
 真木が頷いた。
「物の本で読む、天然痘の症状ではないですねえ。天然痘は一度熱が下がって小康状態の後に膿疱が全身に広がるのですな。大体、潜伏期間を無視してますしね。
 まあ変異した、もしくは改造された天然痘を使ったバイオテロの線も捨てがたいのですが、どっちにしろ進行が速すぎる。症状だけが次々と高速で現れる病気なんて聞いたことが無いですよ」
「ということはワクチンは効かない?」
「恐らくは。これは病気、ウィルスによる人体の変異というよりも、強い概念が肉体を変異させている『さわり』、『霊障』と言った方が良いかもしれません。つまり、一之瀬裕子は『向こう』から、『天然痘の症状を拾い上げた』んですよ。そしてそれを取り込んで、武器として使っているのです。
 これは『呪い』と言い換えてもいいですね。
 『呪的感染』、とでも言いますか。意志の力で人の体を変化させる。手かざしで気を送り込んで人を癒す治療の逆を彼女はやっている、というわけです」
 真木がえへんと胸を張ると、野町さんは唸って、シートを叩き、さっぱり判らん! と吠えて車から出て行ってしまった。あたしは真木の近くに寄った。
「『向こう』って、山で言ってた、『黒の世界』ってやつか?」
 真木はええ、と答え、コーヒーを啜った。
「よし、では幽体離脱中に言えなかった、諸々の説を述べるとしますかな。京さん、よろしいかな? うん、嫌だって言っても喋りますよ、そりゃあ!
 えー、さて……我々とは違う幾つもの世界のうち、今回に深くかかわるものを、『黒の世界』と仮称する。
 また、神虫の開花、まあ爆発だね。これが『黒の世界への物体の転移』を引き起こす現象とする。
 いいね?
 では、転移した物はどうなるか? これは朝霧未海の母親の症例を基礎に考える。恐らくは、こちらの世界と同じ形では存在していない」
「……潜伏期間無しで症状だけが出たって所か」
「そうだ。この転移は、そう――判り易く例えるならデータ化だ。御霊桃子は自分がアクセスできる『黒の世界』から、自分が一番アクセスしやすい天然痘の症状のデータの一部分を引っ張ってきて、自分の武器にしているのだ。
 そして、これは僕の脳への回答でもある」
 あたしは、あっと声を上げた。
「先輩の目と脳の半分も、歩き種みたいなものなのか!」
「恐らくはね。『黒の世界』と現実の僕の肉体が絡み合って安定している分、僕の方が完成形と言えるんだろうね。つまり、僕の脳が異様な知識を引っ張って来れるのは、膨大なデータバンクに常時接続しているからなんだよ。
 さて――という事はだよ? 太古より、『黒の世界』は『廃棄場』として機能していたのではないか、と推測できるんじゃあないか?」
「そ、それは、あれか、邪悪な知識はこの世からポイーってやつ」
 真木は顔をくしゃりと歪めた。
「もっとエレガントに放逐と言ってくれたまえよ! まあ、ともかく、そういうことだろうね。だって日本が人造神虫を作れて、海外で作れないって理由はないからね!」
「じゃ、じゃあ、黒い連中と染みは?」
「染みの方は、移動しない、囁かないという点から推測すると、転移によって発生した『世界の穴』ではないかと考える。つまり、あの染みは『黒の世界』まで、色々な世界を貫通している穴なのだ。勿論、僕達の世界では閉じているのだけども、まだ薄くしか閉じていないのだ。よって目視できるが、触れない。そして『その場所に開いた穴』であるから、洗浄しようがタイルを張り替えようが、関係ないのだな。
 そして黒い連中だが――あれはやはり生きている。中身は多分、爆発で『黒の世界化』された様々なものだ。勿論人間も含まれる。だから、時折、複数の意志を観測できるのだ」
「……ん? 爆発で黒い連中は産み出されたって事か?」
「いや……。黒い連中は爆発で『切り離された』モノ達なんだよ。
 開花する際――これに関しては二通りが考えられるのだけども、一つは『黒の世界までの穴が開く』、もう一つは『黒の世界自体がこちらに顔を出す』なんだが、どちらにしろ穴は塞がるわけだ。しかし、これは人工的に強引に起きた現象だから、極めて不安定だ。
 だから、周囲に小さな穴が開くし、『黒の世界』自体もちぎれて、欠片が残留してしまう」
 あたしは、瞬きをして、たっぷり十秒ほど黙った後、頭に浮かんだ恐ろしい疑問を口に出した。
「それってさ……その、欠片自体が移動したりしてるってことは、その『黒の世界』自体も『生きてる』ってことにならねえか?」
 真木は、にやりと笑った。
「良い考え方だ。僕らの世界だって、大きい視点で見れば生き物だという人もいる。
 神虫現象について、あの本では自然現象と記してあった。
 だが、それは我々人類の立場から見た場合だ。
 『黒の世界』側から見た場合はどうか?
 僕は『本来の神虫現象』とは『黒の世界の捕食行為』ではないかと考える。あの世界は様々な世界の一部を喰っている。いや、喰うというよりも、消化はせずに、取り込んでカサを増しているだけなのかもしれない。
 だから僕は様々な知識を引き出せるし、転移した物体も、別の形で残っている。
 つまり黒い連中は『黒の世界の縮図』なのだ。そして、人形なのは、人の割合が多いからだろうね。彼らは人の世界に対してどう思っていると思う?」
 あたしは想像する。
 どこまでも、上も下も時間も、そして自分すらもない、黒い場所。そこに光が見えたら、自分だったらどう思うだろうか? 
 いや、そもそも思うこと自体できないんじゃなかろうか? だって自分が無いのだから。
 でも、昔は人だったわけだから、幾ら分解されていても、多分、何処かで人と同じような思考が浮かんで――きっと光が羨ましくて、光に触れたくて、そして、あたし達の普通の生活をしている連中が妬ましくて……。
 あたしの意見に真木は頷き、話を続ける。
「そんな所だろうね。そして、同時に彼らは『黒の世界』でもある。切り離され――とは言っても、恐らくは酷く細い線で繋がっているとは思うのだけども――まあ、どちらにしろ不安定になっているのだから、大きな本体へと戻りたいと考えるのではなかろうか」
「ああ、つまりは、御霊桃子は今、歩き種と融合し、黒い連中や先輩の脳みそと同じく、『黒の世界』と繋がってるわけか。
 で、黒い連中は、向こうと繋がってるから開花を察せるし、先輩は知識を引き出せる。
 んで、連中は開花が近いから、囁いたり、動いたりしてたってわけか……」
 
 また、あれが咲く。

 あれが咲いてしまう。

 恐ろしい。でも、近づきたい。

 帰りたい。
 
 真木はあたしの思いを断ち切るように話を続け、眼帯をめくった。
「ま、そんな所だろうね。勿論、これで確定だ、なんてことは絶対に言えないんだがね。
 そして僕の目だ。これは『黒の世界』が獲物をどう見ているか、の回答ではないかと考えている。どうかな、京さん、この話は?」
 あたしは、首を振った。
「……規模がデカすぎて、どうもこうも……。
 まあ、ともかく、ゴミ捨て場の世界と先輩が繋がってるわけだな? ……流石はゴミ屋、ってところじゃね?」
 真木は、ぽかんとした顔をした後、おお! といつものように満面の笑顔になった。
「いいぞ、いいぞ! 流石だ流石! いやあ、この仕事を始めて本っ当に良かった!」
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