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第三章:歩き種
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荒れ果てた山が、まず映った。
あたし達はスマホから少し離れて、祭壇の上に一塊になり、背伸びしたり目を凝らしたりしながら動画を見ていた。
「先輩、もうちょっと大きい画面のやつ買おうよ。もしくは今からタブレットPCに切り替える、とか」
「ううむ、そうするべきかな……。どうですか御老人、何か判りますか?」
婆ちゃんは瞬きをした後、懐から老眼鏡を出すと、一振りしてかける。
「これは裕子が一人で撮っているのか? 」
「そのようですね。彼女はとある理由から撮影スタッフ全員に逃げられたようなので」
ああ、御霊大炎上、そこまで行ってたか……。
あたしは目を細めて画面を見る。一人称視点、POV、ちょっと前に流行って今も根強く作られ続けているフェイクドキュメンタリーな映像だ。
「前に見た御霊桃子の番組と雰囲気が違うな……」
「いや、普段は心霊バラエティドキュメンタリーといった趣だ。こんな似非ブレアウィッチではない。スタッフに逃げられ、一発逆転を狙って――というのが理由の一つだろうが、どうも、彼女は炎上騒ぎが無くても、いずれは人造神虫をネットに流すつもりだったらしい。世界の終わりが来るぞ的なイベントを、年末に計画していたようなのだ」
あたしは顔を顰めた。
「御霊は知ってて、そんな事やるつもりだったのかね……」
真木は肩をすくめ、婆ちゃんに片眉を上げた。婆ちゃんは頭を振る。
「あれは知識としては知っているはずだ。何しろ恵子を生贄にしろと言ったぐらいじゃから。だが、本物は、一度も見ていないはずじゃ。それに……もしかしたら知識自体も不完全だったかもしれんな。さっきも言ったが神虫は発芽したなら、人の体に入れて運ぶのじゃ。しかし、生贄が無い場合、『芽』は近くの人間に無理やり入ろうとするから、素早く桐の箱に封ぜねばならん。しかし――箱を持っていたなら、ガタガタ音がするものだろう? そんな音は聞こえんが……。箱に封ぜねば、その場で腐り果てる、と本にはあった」
「ふーむ、となると……『映像に収める』事だけが目的だったのではないですかね?」
婆ちゃんが成程、と頷く。
「全体ではなく、映像に一部分だけ――コピーをしようとしたわけか。成程な、半端な知識からひねり出した、どうしようもない計画じゃな」
あたしは真木の肩越しに婆ちゃんを見た。
「素人考えだけど、そんなに巧い事いかないでしょ?」
「勿論じゃ。構造の全容が判らないものを一部分切り取っても、それが上手く動くかは誰にもわからん。『動かない』なら、まだ良いが、『暴走する』などということがあったなら、本来の『浄化作用』も期待できん」
あたしは、あーと間抜けな相槌を打って、ちょっと顔を前に出す。
動画は相変わらず山道を走っている映像だ。
「……ねえ婆ちゃん、この山って、ここの裏の禿げ山?」
「そうじゃ。博人は御山と呼んで聖地としておった。勿論理由はある。他の山よりも地脈が集まっている山なのじゃ。城岩の北西……いやこれは余談じゃな。まあ、ともかく裕子は御山に種を植えこんだようじゃ。元は緑豊かな山じゃが、今は酷いか?」
「一部分のみ、草木一本生えておりませんな。で、御老人、種はこちらにあったのですね?」
「そうじゃ。ここの地下の宝物殿に保管してあった。いや、危なくて処理できないんでほったらかし、というのが正しい。儂はそれを持ち出される夢を見てな、ここに駆けつけたんじゃが、一歩遅かった」
「ははあ、裕子さんが持ち出す最中に出くわしましたか」
あたしはええっと声を上げた。
「じゃあ、婆ちゃんをふんじばったのって御霊桃子!?」
婆ちゃんは頷き、助手らしき男達が数人、と言った。
真木が、それは――と言い淀んで首を捻った。
「御霊桃子の助手……か? 連中の顔を覚えていますか?」
「いや、スキーマスク、というのか? 顔をすっぽり覆うマスクをつけておった。全員男なのは間違いない」
あたしは唸った。
「うちの大学に来た時も、助手の男を四、五人連れてきてたぜ。そいつらの顔ならボンヤリと覚えてるぞ」
真木は、ふむと目を瞑った。
「参考にさせてもらうが多分、そいつらじゃない。さっき言った通り、スタッフには逃げられているんだ。それにスタッフは御霊桃子のHPに全員顔写真が上がっている。顔が割れてる連中の顔を隠しても意味が無いからね」
「じゃあ、婆ちゃんを簀巻きにしたのは、どこのどいつらだったんだ?」
真木は鼻の頭を掻いた。
「まあ、問題だね。だが、今はそれは後回しにしよう。ちなみに御老人、それは何日前の事ですか?」
「八日前じゃ。動画の日付は?」
「き、昨日だっけ? ってか婆ちゃん、そんなに縛られてたの? 大丈夫? 病院行く? いや、それよりご飯は――」
「心配無用じゃ。三月断食したこともある」
すげぇ。あたしは五時間で根を上げること必至だぜ。
「むう! あれか!」
真木の声に、あたしと婆ちゃんはスマホに目を凝らす。
カメラ、多分ヘッドセット型の物だが、それが何度も振り向く。周りの山は木々が茂っているのに、御霊桃子がいる辺りには雑草一本生えていない。そんな茶色の山肌にひどく真っ黒くて大きな物がちらちらと映る。
「でかっ! あれが――」
あたしが喋ってる最中に社が大きく軋んだ。と、ぱらりと乾いた音がした。見れば米結界の一部が弾けて飛び散っていた。次の瞬間、祭壇の前の床に何かが湧いた。
それは黒く小さい点に見えた。
しかし、その点はあっという間に大きく、そして立体化した。黒い球体だ。それは表面をぷるぷると波立たせながら、大きくなり続け、やがて回り出した。最初はゆっくりと、そして段々と速く、回転するごとに更に大きくなっていく。
そして、唐突に何かが飛び出した。
足だ。真っ黒い油のようにとろとろと流動しているのに、針金のように細くまとまっている。そして、その先についているのは、ちゃんと人の足の形をしている塊だ。
足は見る間に本体と共に太く大きくなる。
「こりゃ、また……」
真木はそう言うと眼帯をずらすと、あら? と呑気な声を出して首を傾げた。
「どうしたんだよ? なんか見えんのか?」
真木は腕を組んで、困ったことに見えるな、と言った。
「僕はてっきり、黒い連中と同じだと思ってたんだが――いや、これは『人造』なんだよな。疑似生命体だ。つまり、生き物の一種か。
だから、か? 光――生命の痕跡の赤や緑の光が見える。真っ黒の周りを色とりどりの光が蠢いて……いや、待てよ……そもそも――もしかしたら――」
「目を逸らすな! 動くぞ!」
婆ちゃんの叫びに、あたしと真木が緊張する。
大きさは軽自動車ぐらいだろうか。目も口もない、流動して渦巻く真っ黒い塊。そこからやけに生々しい人間みたいな真っ黒の足だけが突き出している。
ぼちゅっ。
芽が足を動かすたびに、水を含んだ雑巾を叩きつけたような音が響く。
ぼちゅっ。
ぼちゅっ、ぼちゅっ。
よたよたと、千鳥足という表現がぴったりな動き。
「なんだこりゃ、酔っぱらってるのか?」
「いや、そうではない。察するに、コピーされた状態がまだ熟し切って――」
真木の予想解説が終わらないうちに、ふらふらと動いていた芽は突如滑るようにあたし達に向かってきた。
「うわっ、キモっ!」
足音が動きよりもはるかに遅くやってくることに叫ぶあたしの横で、婆ちゃんも滑るように、さっとあたし達の前に飛び出した。床に、さっき結界を張った時に余ったらしい米をばらまく。
ひぃっ! と女の悲鳴みたいな声が響いた。
今のが、こいつの声か!?
芽は米の上でたたらを踏んだ。どこに足をつけるべきか、と悩んでいるのか、ろくろの上で回転する粘土みたく胴体部分を伸縮させ、ゆらゆらと妙に生々しい爪先で床を探っている。
婆ちゃんはそんな芽に無造作に歩み寄った。
芽はゆるゆると体をのけ反らせる。と、中心から二つに裂け始めた。
巨大な真っ黒い貝。
べちゃべちゃと音を立ててながら、大きく広く、限界まで開いた芽は、床を蹴って、婆ちゃんに雪崩のように襲いかかった。
あたしは思わず一歩踏み出していた。
「ばっ、京さん! よせっ」
真木が手を伸ばすのを潜り抜け、あたしは婆ちゃんの後ろに駆け寄る。
婆ちゃんに何かあったら――そうだ、あの夢みたいな事になったら、今度はあたしが手を掴まなきゃ!
次の瞬間、芽は破裂した。
体が凹むような衝撃と音。床が揺れて、あたしは片膝をついた。
真っ黒い靄のような物が渦を巻きながら辺りを吹き荒れ、チリチリと音を立てながら消えてゆく。その向こうから婆ちゃんが杭を突き上げたポーズで立っているのが見えてきた。
「やった! さすが婆ちゃ――」
次の瞬間、あたしの目の前が真っ暗になった。
あたし達はスマホから少し離れて、祭壇の上に一塊になり、背伸びしたり目を凝らしたりしながら動画を見ていた。
「先輩、もうちょっと大きい画面のやつ買おうよ。もしくは今からタブレットPCに切り替える、とか」
「ううむ、そうするべきかな……。どうですか御老人、何か判りますか?」
婆ちゃんは瞬きをした後、懐から老眼鏡を出すと、一振りしてかける。
「これは裕子が一人で撮っているのか? 」
「そのようですね。彼女はとある理由から撮影スタッフ全員に逃げられたようなので」
ああ、御霊大炎上、そこまで行ってたか……。
あたしは目を細めて画面を見る。一人称視点、POV、ちょっと前に流行って今も根強く作られ続けているフェイクドキュメンタリーな映像だ。
「前に見た御霊桃子の番組と雰囲気が違うな……」
「いや、普段は心霊バラエティドキュメンタリーといった趣だ。こんな似非ブレアウィッチではない。スタッフに逃げられ、一発逆転を狙って――というのが理由の一つだろうが、どうも、彼女は炎上騒ぎが無くても、いずれは人造神虫をネットに流すつもりだったらしい。世界の終わりが来るぞ的なイベントを、年末に計画していたようなのだ」
あたしは顔を顰めた。
「御霊は知ってて、そんな事やるつもりだったのかね……」
真木は肩をすくめ、婆ちゃんに片眉を上げた。婆ちゃんは頭を振る。
「あれは知識としては知っているはずだ。何しろ恵子を生贄にしろと言ったぐらいじゃから。だが、本物は、一度も見ていないはずじゃ。それに……もしかしたら知識自体も不完全だったかもしれんな。さっきも言ったが神虫は発芽したなら、人の体に入れて運ぶのじゃ。しかし、生贄が無い場合、『芽』は近くの人間に無理やり入ろうとするから、素早く桐の箱に封ぜねばならん。しかし――箱を持っていたなら、ガタガタ音がするものだろう? そんな音は聞こえんが……。箱に封ぜねば、その場で腐り果てる、と本にはあった」
「ふーむ、となると……『映像に収める』事だけが目的だったのではないですかね?」
婆ちゃんが成程、と頷く。
「全体ではなく、映像に一部分だけ――コピーをしようとしたわけか。成程な、半端な知識からひねり出した、どうしようもない計画じゃな」
あたしは真木の肩越しに婆ちゃんを見た。
「素人考えだけど、そんなに巧い事いかないでしょ?」
「勿論じゃ。構造の全容が判らないものを一部分切り取っても、それが上手く動くかは誰にもわからん。『動かない』なら、まだ良いが、『暴走する』などということがあったなら、本来の『浄化作用』も期待できん」
あたしは、あーと間抜けな相槌を打って、ちょっと顔を前に出す。
動画は相変わらず山道を走っている映像だ。
「……ねえ婆ちゃん、この山って、ここの裏の禿げ山?」
「そうじゃ。博人は御山と呼んで聖地としておった。勿論理由はある。他の山よりも地脈が集まっている山なのじゃ。城岩の北西……いやこれは余談じゃな。まあ、ともかく裕子は御山に種を植えこんだようじゃ。元は緑豊かな山じゃが、今は酷いか?」
「一部分のみ、草木一本生えておりませんな。で、御老人、種はこちらにあったのですね?」
「そうじゃ。ここの地下の宝物殿に保管してあった。いや、危なくて処理できないんでほったらかし、というのが正しい。儂はそれを持ち出される夢を見てな、ここに駆けつけたんじゃが、一歩遅かった」
「ははあ、裕子さんが持ち出す最中に出くわしましたか」
あたしはええっと声を上げた。
「じゃあ、婆ちゃんをふんじばったのって御霊桃子!?」
婆ちゃんは頷き、助手らしき男達が数人、と言った。
真木が、それは――と言い淀んで首を捻った。
「御霊桃子の助手……か? 連中の顔を覚えていますか?」
「いや、スキーマスク、というのか? 顔をすっぽり覆うマスクをつけておった。全員男なのは間違いない」
あたしは唸った。
「うちの大学に来た時も、助手の男を四、五人連れてきてたぜ。そいつらの顔ならボンヤリと覚えてるぞ」
真木は、ふむと目を瞑った。
「参考にさせてもらうが多分、そいつらじゃない。さっき言った通り、スタッフには逃げられているんだ。それにスタッフは御霊桃子のHPに全員顔写真が上がっている。顔が割れてる連中の顔を隠しても意味が無いからね」
「じゃあ、婆ちゃんを簀巻きにしたのは、どこのどいつらだったんだ?」
真木は鼻の頭を掻いた。
「まあ、問題だね。だが、今はそれは後回しにしよう。ちなみに御老人、それは何日前の事ですか?」
「八日前じゃ。動画の日付は?」
「き、昨日だっけ? ってか婆ちゃん、そんなに縛られてたの? 大丈夫? 病院行く? いや、それよりご飯は――」
「心配無用じゃ。三月断食したこともある」
すげぇ。あたしは五時間で根を上げること必至だぜ。
「むう! あれか!」
真木の声に、あたしと婆ちゃんはスマホに目を凝らす。
カメラ、多分ヘッドセット型の物だが、それが何度も振り向く。周りの山は木々が茂っているのに、御霊桃子がいる辺りには雑草一本生えていない。そんな茶色の山肌にひどく真っ黒くて大きな物がちらちらと映る。
「でかっ! あれが――」
あたしが喋ってる最中に社が大きく軋んだ。と、ぱらりと乾いた音がした。見れば米結界の一部が弾けて飛び散っていた。次の瞬間、祭壇の前の床に何かが湧いた。
それは黒く小さい点に見えた。
しかし、その点はあっという間に大きく、そして立体化した。黒い球体だ。それは表面をぷるぷると波立たせながら、大きくなり続け、やがて回り出した。最初はゆっくりと、そして段々と速く、回転するごとに更に大きくなっていく。
そして、唐突に何かが飛び出した。
足だ。真っ黒い油のようにとろとろと流動しているのに、針金のように細くまとまっている。そして、その先についているのは、ちゃんと人の足の形をしている塊だ。
足は見る間に本体と共に太く大きくなる。
「こりゃ、また……」
真木はそう言うと眼帯をずらすと、あら? と呑気な声を出して首を傾げた。
「どうしたんだよ? なんか見えんのか?」
真木は腕を組んで、困ったことに見えるな、と言った。
「僕はてっきり、黒い連中と同じだと思ってたんだが――いや、これは『人造』なんだよな。疑似生命体だ。つまり、生き物の一種か。
だから、か? 光――生命の痕跡の赤や緑の光が見える。真っ黒の周りを色とりどりの光が蠢いて……いや、待てよ……そもそも――もしかしたら――」
「目を逸らすな! 動くぞ!」
婆ちゃんの叫びに、あたしと真木が緊張する。
大きさは軽自動車ぐらいだろうか。目も口もない、流動して渦巻く真っ黒い塊。そこからやけに生々しい人間みたいな真っ黒の足だけが突き出している。
ぼちゅっ。
芽が足を動かすたびに、水を含んだ雑巾を叩きつけたような音が響く。
ぼちゅっ。
ぼちゅっ、ぼちゅっ。
よたよたと、千鳥足という表現がぴったりな動き。
「なんだこりゃ、酔っぱらってるのか?」
「いや、そうではない。察するに、コピーされた状態がまだ熟し切って――」
真木の予想解説が終わらないうちに、ふらふらと動いていた芽は突如滑るようにあたし達に向かってきた。
「うわっ、キモっ!」
足音が動きよりもはるかに遅くやってくることに叫ぶあたしの横で、婆ちゃんも滑るように、さっとあたし達の前に飛び出した。床に、さっき結界を張った時に余ったらしい米をばらまく。
ひぃっ! と女の悲鳴みたいな声が響いた。
今のが、こいつの声か!?
芽は米の上でたたらを踏んだ。どこに足をつけるべきか、と悩んでいるのか、ろくろの上で回転する粘土みたく胴体部分を伸縮させ、ゆらゆらと妙に生々しい爪先で床を探っている。
婆ちゃんはそんな芽に無造作に歩み寄った。
芽はゆるゆると体をのけ反らせる。と、中心から二つに裂け始めた。
巨大な真っ黒い貝。
べちゃべちゃと音を立ててながら、大きく広く、限界まで開いた芽は、床を蹴って、婆ちゃんに雪崩のように襲いかかった。
あたしは思わず一歩踏み出していた。
「ばっ、京さん! よせっ」
真木が手を伸ばすのを潜り抜け、あたしは婆ちゃんの後ろに駆け寄る。
婆ちゃんに何かあったら――そうだ、あの夢みたいな事になったら、今度はあたしが手を掴まなきゃ!
次の瞬間、芽は破裂した。
体が凹むような衝撃と音。床が揺れて、あたしは片膝をついた。
真っ黒い靄のような物が渦を巻きながら辺りを吹き荒れ、チリチリと音を立てながら消えてゆく。その向こうから婆ちゃんが杭を突き上げたポーズで立っているのが見えてきた。
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