黒い花

島倉大大主

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第二章:田沢京子

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 つーわけで、あたしは御霊桃子に思いっきり良い音の往復ビンタをかましたのであった。
 そして、その一部始終は向こうのスタッフにカメラで撮られており、怒り狂った御霊は、それを自分のサイトではなく、視聴制限の無い動画サイトで世界に向けて公開したのだった。一応抗議のメールはしたのだが、とっくに動画は拡散されていた。
 御霊の思惑は今となってはわからない。ネット上であたしに対する非難を集め、自分が受けた痛みの何千倍もの屈辱を味わわせる……とかそんな感じだったのかなとは思う。
 ところが、意外な結果というやつが訪れた。
 あたしはちょっとした有名人になった。
 先にも書いた通り、動画には一部始終が撮られていた。御霊はそれを我に正義ありとばかりに『編集無し』でアップしたのだ。
 結果、あたしには『どんな理由があろうと暴力はいけない』『それいじょういけない』という至極真っ当な、非難というよりダメだぞっという注意が少し来ただけだった。
 対して御霊には、まあ、詳細は皆さんネットでのまとめをご覧になってご存知のように種々様々なご意見が寄せられた。そしてお約束のように御霊はSNS上で判り易く発狂。高校生を罵倒し、小学生を痛罵し、主婦層に喧嘩を売り、右に左に暴言を振りまきまくり、結果、超特大の大炎上騒動を引き起こしたのだ。
 おかげで現在進行形であたしのビンタ動画は拡散されているらしく、なんとあたしのファンなるものまで現われ始めた。
 御霊大炎上が七月の中旬。そして今までにあたしに面会を求めてきたファンという名の『珍獣を写真に撮りてえ人々』は六人――本日、朝っぱらからあたしを呼びだした目の前のアホで七人目、と思っていたが、保美の言う通りどうやらその類の人間ではないようだ。
 男はあたしを見ると陽気に声を上げた。
「いやあ、どうもどうも、こんな朝早くからアポも無しで押しかけてしまって大変申し訳ないですねぇ! ……おやぁ?」
 男はじろじろとあたしを見ているので、あたしも男をじっくりと観察した。
 妙な奴だ、というのが第一印象だ。
 上下の黒のスーツ。埃一つついていない上に、どう見ても高級な感じがする。シャツに革靴、真っ赤なネクタイも(色はどうかと思う)しかり。
 背はひょろりと高く、腕も足も細い。白い物が混じったウェーブのかかった髪を後ろで束ねているが、肌の張りや声から察するに、あたし+五~六歳位ではないだろうか。
 あたしを見る時に独特な頸の動きをする所から、真っ黒な蛇を連想する。
 だが、そこまでは、まあ普通というか探せば、どっかにいるタイプだ。
 妙だ、と思った理由は、この男が左目に真っ黒い眼帯をつけている為である。あたしは失礼だと思いながらも、チラチラ見るよりはましだと思い、まじまじと見た。
「気になりますか、これ」
 男はやや甲高い声で、口元に笑みを浮かべていた。
「申し訳ないけど、大変気になる。怪我?」
 男は、ま、そのようなもんですと肩を竦めた。あたしは頭を下げた。
「大変申し訳ありません。好奇心を抑えられない性質なんです」
「いやいや! 別に構わないですよ! 何しろ僕の方もこれから君に失礼なことを言うかもしれないですから!」
 眉を顰めるあたしにウィンクすると男は滑らかな動作でポケットに手を突っ込むと、スマホを取りだした。
 片目の黒蛇か。
「これなんですがね――」
 男は動画を再生し始めた。勿論、オカ研が作成した怪談動画のあたしが担当したパートである。
「いや、実にこれは面白い怪談動画ですねぇ。え? お世辞? いやいや、本音ですよ。十四回もリピートしてしまった。特にこのパートが興味深い。ところで、僕はこのパートの喋っている人に面談を求めたんですが、君が来た。君はどう見ても動画の喋っている女性ではない。はてさて、これはどういう事なんでしょうか?」
「安全の為にいきなり本人に会わせるわけには、いかないじゃないですか?」
「おやおや、それはとても残念ですな! だが、君は――そう! あのビンタ動画の人だろう!いや、あれはぶっちゃけスカッとしたよ。音が良かった! まるで柏手(かしわで)だ。僕はビンタ動画から怪談動画に辿りついたんだけどね、あのビンタは拡散されているらしいねえ」
 あたしはどうも、と頭を丁寧に下げた。
「さて、あたしはあの怪談パートを担当したものです。ご質問等、ご意見等がございましたら、あたしがうけたまわって、後で郵送なりメールなりで返答をお送りいたします」
「ふーむ……表にいる会長さんから何か聞ききませんでしたか?」
 あたしは片眉を上げた。
「ああ、何でも動画で喋っている人の長年の疑問に答えるとかなんとか……と言われましてもねえ」
 男はあたしをじっと見ると、眼帯に手をかけそれを少しずらした。影になった左目がちらりと見えたが、照明も点けていない半地下の所為か、暗くてまるで黒い穴が開いているようだった。一瞬、その奥で何か緑色の靄のような物が動いているように見えた。
 男はすぐに眼帯を戻すと、懐から名刺を取り出した。あたしは受け取って目を走らせる。
「……真木悟郎まきごろう。有限会社、真木商店代表取締役? 社長さんすか」
 男、真木悟郎はほつれた髪を後ろに撫でつける。
「社長と呼ぶのはやめてほしいですねぇ。有限会社とあるけど、とりあえず名乗っとけという感じですから。大体僕はまだ二十六ですしね。ちなみに中退しましたが、この大学に在籍しておりました」
「ああ、じゃあ先輩でいいすか?」
 真木は指をぴんっと一本立てた。
「それ、実にいい! ところで裏面を見てくれることを期待しているのですがね」
「……『特殊管理とくしゅかんり産業廃棄物さんぎょうはいきぶつの処理及び保管』。ああ、油とかダイオキシンとかを扱うんでしたっけ?」
「いやいや、それは特別管理産業廃棄物。よく見てくださいよ、『特殊』とあるでしょう? 僕が扱うのは全然違うものなんですよ」
「はあ、成程……あ、あたしは田沢京子と申します。では、動画のかたへの質問の方をお聞きしましょうか」
「ああ……ところで田沢君、友人は君の事を何と呼ぶのかな?」
「下の方の名前でけいちゃんとか京さんとか隊長とか」
「隊長とは?」
「渾名っす。気にせんといて」
「むう、では京さん、でいいかな? よし、京さん、ちょっと妄想を言わせていただこう」
 あたしは腕を組んで、肩を軽く竦めた。真木は机の端に腰かけると顎に手をやった。
「違うなら違うと言ってくれたまえ。あの動画は実は君の体験だ。あの喋っている人物は代役、君の友人、サークルの他の会員といったところではないかな?」
 あたしはしばらく真木をじっと見つめた。
「……根拠は?」
「勘だ。君はいわゆる霊能力者の類ではないかな? 霊が嗅げる見える感じれる、どれかは判らないが動画から判断するに、見える聞こえるというタイプではないかな」
 あたしは何も言わず、真木の座っている机の端の反対側に腰かけた。今は二人で並んで教壇を見ている状態である。中々に異様な光景だ。
「ええっと、先輩は産廃業者さんなんですよね? いきなりそっち系の話をしちゃいますか。まあ、失礼ながら、ここにきてる時点で普通じゃねーなーとは思ってましたけど」
「京さん、普段なら僕はこういうやり取りは大好きなんだけどね、今は時間が無いかもしれないんだ。僕が下調べもあまりしないで来たのは『焦り』と『狂喜』の所為だ」
「よくわからんが、先輩は、あの怪談の体験者に話を聞くと『焦り』から抜け出せるってわけ? 『狂喜』の方は知らねーけど……そういや長年の疑問に答えをどうこうってのはなんなんすか?」
 真木はううんと唸る。
「京さん、君はその……現実の生活に違和感を抱えてはいまいか?」
 あたしは、はあ? と声を上げた。
「なんですか、そりゃ?」
 真木は立ち上がると、あたしの前に来て顔を近づけてくる。
「例えば、幼少期に記憶していた事象に対し、今確認をしてみると違いが生じている」
「まあ、そりゃいっぱいあるよ。でも子供の頃の記憶とか認識とか、そういうのはなあ。あたし書店を『かきみせ』って読んでたくらいだしなあ」
「いやその、君の国語能力の低さ云々はどうでもよくてね、そうだなあ、例えば……昔、確かにいたはずの人が実は存在しなかった、とか」
 あたしは小さく笑った。
「お、ネットで読んで知ってるぞ、それ。違う世界から毒電波が流れ込んできて、頭が混乱しちゃうんだろ」
「いや、そっちのアレじゃない。毒電波は毒電波で別にあるんだが――まあ、それは置いておいて、どうかな? そういう経験はないかな? 人じゃなくてもいい。ペットとか、そう地形でも――」
 突然、ぽんっと何かが頭の中で組み合わさったような小さな衝撃があたしを襲った。
「あ! そうだそうだ、あれがあった。うちの横のゴミ捨て場になってる所が昔は――」
 真木が手を打つ。
「動画の中で出てきたゴミ捨て場! ……そうか、動画の中で行き止まりという看板があるのによく車が入ってきて、『おっかしいなあ、ここ前は道が向こうまで通ってませんでしたっけ?』とか言うんだったな!」
「そうなんだよ! いや、結構そういう人が多くてさ、でもなんだか昔はあそこが通れたような――……あ」
 あたしは口を開けたまま固まってしまった。真木は渋い顔になる。
「君があの動画の体験者だと認めてくれて嬉しいんだがね……京さん、その顔は人前ではしない方が良いと思うねえ」
 あたしは口を閉じ、やれやれと溜息をついた。
「間抜けだなー。ま、ご推察の通り、あたしが動画のネタの体験者、なんだがね……あれ、夢の話だぞ」
 真木は夢ぇと素っ頓狂な声を上げた。
「あたし、ガキの頃から割と酷い夢ばっかり見ててね、今朝も酷い夢を見たりしたんだけどね。で、怪談動画を作るって話が出た時、偶々あの夢をみて、しかもあたしって夢を確立五十パーくらいで忘れない特技があってね。ほら、夢って大体忘れちゃうもんだろ? 
 まあ、その夢すっげぇインパクトがあったんで、忘れようたって忘れられなかったんだけどさ、ま、丁度いいやって思って、一部改編してそれを演劇部の知り合いに喋ってもらったってわけ」
「京さん、何故にそんなにニコニコしているのかね?」
「いやあ、あたしのパートで初めての反応だったからねえ。個人的には中々怖いと思うんだけど、他人が聞いたら間抜けな話なんじゃないかなって思ってたから、お世辞とか社交辞令としても嬉しいもんだよ。インターホンのくだりだけは創作だけど、良かったろ?」
 真木はしばらくあたしをじっと見ていたが、右の人差し指をぴっと立てた。
「質問。葦田のおばちゃんは創作?」
「いや。実在するね、うちの二件隣に。今になってみると、実名はまずかったと反省しておりますな」
「質問二。黒い連中は創作?」
「いや、あの黒い連中が出てきてなんか喋ってる部分は夢のまま。元の夢は玄関の扉が開いてたんだよ」
「では質問三。連中が喋った言葉、あれは本当に判らなかった?」
 あたしは、さてね、と言った。
「夢ってのは覚めるとインパクトのある部分以外は曖昧になるからなあ。あれだけ覚えてただけでも奇跡じゃね?」
 真木はふむ、と呟くと右の小指をぴっと立てた。
「黒い染み、あれは本当にあるのかな?」
 あたしは頷いた。
「ああ。妙な染みだぜ。洗っても引っ掻いても落ちないんだ。一週間前かな、親父が玄関の周りのタイル全部取り替えたんだけど、次の日になったらおんなじ所にまた染みができてて――」
 真木はあたしの肩を強く叩いた。 
「今から君の家に向かうぞ。ここまでは自転車? そうか、バスか。なら僕の車に乗っけていく。行くぞ!」
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