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第十章:不安、戸惑い、それでも好き

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「加藤君……、あのさ……」

 終わらせる勇気はない。けど続ける勇気もない。僕だけのものにしたい。でもアイドルの加藤君も応援したい。好きだとはっきり言って欲しい。だけど絶対に言わせちゃいけない。
 そんな矛盾だらけの感情。

 こんなの……狂って当然だろ。

「比呂人」

 下の名前で呼ばれ、はっとした。そう呼ばれたのは、キスをしたあの日以来だった。
 まだ呼ばれ慣れていない。だからそう呼ばれると、体の芯が溶けそうになる。

「先に喋るのは俺だ」

 風呂に入る前、呼び止められていたことを思い出す。
 握られていた手がそっと離され、加藤君は控えめに話し出した。

「俺のせいだよな、あんたに迷惑かけてる」

 膝の上で拳を作った加藤君が、ぐっと俯く。

「ごめん……軽はずみだった」

 それは、全部知っているような口ぶりだった。僕が今朝ついた嘘も見抜いている。仕事をして帰ってきたことを分かっているみたいだ。
 何の話?ととぼけるのは、僕の得意分野だ。加藤君くらいならきっと騙せる。けどそんな気力ひとつ……今の僕には残ってなかった。

 精神的にも肉体的にも困憊しているこの状態でヘラヘラ笑えるほど、僕も強くない。目を瞑ればすぐにでも眠れそうだ。もっとも、眠って全部忘れたいのかもしれないけど。

「たぶん、明日以降は客足が減ると思うから」

 何を根拠にそんなことを言うのかは分からない。
 僕は嫌というほど女の子たちの申し出を断り、罵声を浴びせられ、殴られて……。何日続いていると思っているのだろうか。

 もうすぐ二週間だぞ?
 だけど、加藤君は悪くない。加藤君を攻めるのは可笑しい。僕が加藤君を好きだからいけないんだ。こんな感情さえなければ、僕はきっと森本くんのように楽しんで仕事を出来ただろう。絶好調な売り上げに笑い合えたはずなんだ。

 ため息を吐きそうになってぐっと堪えると、加藤君はパッと明るい笑顔を作って、俯いていた顔を上げた。

「俺さ、明日から仙台なんだ」

 コンサートの話だろう。

「……そ」

 いつものように返事した。

「……前乗りするから……三日間くらい、帰らない」

 何故か突然真顔になって、そう補足する。

 三日間……。
 前までなら三日くらい平気で家を空けていた。だから別に、今更三日くらい僕にはなんてことはない。なんなら少し都合がいいくらいだ。

「そ」

 頷いた僕に、加藤君は眉を寄せ、また俯いた。そして。

「……それだけか」

 悲しそうな声を出すから、僕はまるで我に返ったかのように意識がはっきりした。

「あ、ごめ……っ! 頑張ってきて! 怪我とかしないように……」
「もういい」

 言葉を遮り、加藤君は僕を黙らせた。
 それは唐突なほどに急な機嫌の悪さだった。悲しそうな声はあの一言のみ。僕を黙らせた声は、心臓に悪いくらい不機嫌声だった。まるでずっとずっと怒っていたみたいな……、今まで我慢して我慢して限界を迎えたような、そんな空気を加藤君は全身に纏っていた。

 ……怒らせた。


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