77 / 160
第十章:不安、戸惑い、それでも好き
7
しおりを挟む
「加藤君……、あのさ……」
終わらせる勇気はない。けど続ける勇気もない。僕だけのものにしたい。でもアイドルの加藤君も応援したい。好きだとはっきり言って欲しい。だけど絶対に言わせちゃいけない。
そんな矛盾だらけの感情。
こんなの……狂って当然だろ。
「比呂人」
下の名前で呼ばれ、はっとした。そう呼ばれたのは、キスをしたあの日以来だった。
まだ呼ばれ慣れていない。だからそう呼ばれると、体の芯が溶けそうになる。
「先に喋るのは俺だ」
風呂に入る前、呼び止められていたことを思い出す。
握られていた手がそっと離され、加藤君は控えめに話し出した。
「俺のせいだよな、あんたに迷惑かけてる」
膝の上で拳を作った加藤君が、ぐっと俯く。
「ごめん……軽はずみだった」
それは、全部知っているような口ぶりだった。僕が今朝ついた嘘も見抜いている。仕事をして帰ってきたことを分かっているみたいだ。
何の話?ととぼけるのは、僕の得意分野だ。加藤君くらいならきっと騙せる。けどそんな気力ひとつ……今の僕には残ってなかった。
精神的にも肉体的にも困憊しているこの状態でヘラヘラ笑えるほど、僕も強くない。目を瞑ればすぐにでも眠れそうだ。もっとも、眠って全部忘れたいのかもしれないけど。
「たぶん、明日以降は客足が減ると思うから」
何を根拠にそんなことを言うのかは分からない。
僕は嫌というほど女の子たちの申し出を断り、罵声を浴びせられ、殴られて……。何日続いていると思っているのだろうか。
もうすぐ二週間だぞ?
だけど、加藤君は悪くない。加藤君を攻めるのは可笑しい。僕が加藤君を好きだからいけないんだ。こんな感情さえなければ、僕はきっと森本くんのように楽しんで仕事を出来ただろう。絶好調な売り上げに笑い合えたはずなんだ。
ため息を吐きそうになってぐっと堪えると、加藤君はパッと明るい笑顔を作って、俯いていた顔を上げた。
「俺さ、明日から仙台なんだ」
コンサートの話だろう。
「……そ」
いつものように返事した。
「……前乗りするから……三日間くらい、帰らない」
何故か突然真顔になって、そう補足する。
三日間……。
前までなら三日くらい平気で家を空けていた。だから別に、今更三日くらい僕にはなんてことはない。なんなら少し都合がいいくらいだ。
「そ」
頷いた僕に、加藤君は眉を寄せ、また俯いた。そして。
「……それだけか」
悲しそうな声を出すから、僕はまるで我に返ったかのように意識がはっきりした。
「あ、ごめ……っ! 頑張ってきて! 怪我とかしないように……」
「もういい」
言葉を遮り、加藤君は僕を黙らせた。
それは唐突なほどに急な機嫌の悪さだった。悲しそうな声はあの一言のみ。僕を黙らせた声は、心臓に悪いくらい不機嫌声だった。まるでずっとずっと怒っていたみたいな……、今まで我慢して我慢して限界を迎えたような、そんな空気を加藤君は全身に纏っていた。
……怒らせた。
終わらせる勇気はない。けど続ける勇気もない。僕だけのものにしたい。でもアイドルの加藤君も応援したい。好きだとはっきり言って欲しい。だけど絶対に言わせちゃいけない。
そんな矛盾だらけの感情。
こんなの……狂って当然だろ。
「比呂人」
下の名前で呼ばれ、はっとした。そう呼ばれたのは、キスをしたあの日以来だった。
まだ呼ばれ慣れていない。だからそう呼ばれると、体の芯が溶けそうになる。
「先に喋るのは俺だ」
風呂に入る前、呼び止められていたことを思い出す。
握られていた手がそっと離され、加藤君は控えめに話し出した。
「俺のせいだよな、あんたに迷惑かけてる」
膝の上で拳を作った加藤君が、ぐっと俯く。
「ごめん……軽はずみだった」
それは、全部知っているような口ぶりだった。僕が今朝ついた嘘も見抜いている。仕事をして帰ってきたことを分かっているみたいだ。
何の話?ととぼけるのは、僕の得意分野だ。加藤君くらいならきっと騙せる。けどそんな気力ひとつ……今の僕には残ってなかった。
精神的にも肉体的にも困憊しているこの状態でヘラヘラ笑えるほど、僕も強くない。目を瞑ればすぐにでも眠れそうだ。もっとも、眠って全部忘れたいのかもしれないけど。
「たぶん、明日以降は客足が減ると思うから」
何を根拠にそんなことを言うのかは分からない。
僕は嫌というほど女の子たちの申し出を断り、罵声を浴びせられ、殴られて……。何日続いていると思っているのだろうか。
もうすぐ二週間だぞ?
だけど、加藤君は悪くない。加藤君を攻めるのは可笑しい。僕が加藤君を好きだからいけないんだ。こんな感情さえなければ、僕はきっと森本くんのように楽しんで仕事を出来ただろう。絶好調な売り上げに笑い合えたはずなんだ。
ため息を吐きそうになってぐっと堪えると、加藤君はパッと明るい笑顔を作って、俯いていた顔を上げた。
「俺さ、明日から仙台なんだ」
コンサートの話だろう。
「……そ」
いつものように返事した。
「……前乗りするから……三日間くらい、帰らない」
何故か突然真顔になって、そう補足する。
三日間……。
前までなら三日くらい平気で家を空けていた。だから別に、今更三日くらい僕にはなんてことはない。なんなら少し都合がいいくらいだ。
「そ」
頷いた僕に、加藤君は眉を寄せ、また俯いた。そして。
「……それだけか」
悲しそうな声を出すから、僕はまるで我に返ったかのように意識がはっきりした。
「あ、ごめ……っ! 頑張ってきて! 怪我とかしないように……」
「もういい」
言葉を遮り、加藤君は僕を黙らせた。
それは唐突なほどに急な機嫌の悪さだった。悲しそうな声はあの一言のみ。僕を黙らせた声は、心臓に悪いくらい不機嫌声だった。まるでずっとずっと怒っていたみたいな……、今まで我慢して我慢して限界を迎えたような、そんな空気を加藤君は全身に纏っていた。
……怒らせた。
1
お気に入りに追加
86
あなたにおすすめの小説
目標、それは
mahiro
BL
画面には、大好きな彼が今日も輝いている。それだけで幸せな気分になれるものだ。
今日も今日とて彼が歌っている曲を聴きながら大学に向かえば、友人から彼のライブがあるから一緒に行かないかと誘われ……?
イケメン俳優は万年モブ役者の鬼門です
はねビト
BL
演技力には自信があるけれど、地味な役者の羽月眞也は、2年前に共演して以来、大人気イケメン俳優になった東城湊斗に懐かれていた。
自分にはない『華』のある東城に対するコンプレックスを抱えるものの、どうにも東城からのお願いには弱くて……。
ワンコ系年下イケメン俳優×地味顔モブ俳優の芸能人BL。
外伝完結、続編連載中です。
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない
タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。
対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる