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第十八章 邪神胎動
邪神胎動 第三節
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半壊した皇城のダンスホール。地面に刺された邪神剣が集める人々の感情の混沌が、血管のような形を成して、妖しげな鼓動音をあげる真上の邪神の卵に吸い上げられる。卵の前にある柱に縛られているエリネは、嗚咽しながら愛する人の名を連呼していた。
「ウィルさん…ウィルさぁん…っ」
たとえ逆三角により息苦しくなっていても、ウィルフレッドの傍で彼の痛みを癒せないことの方がよほど辛いものだった。
「しっかりしてエリーちゃん。ウィルくんはきっと無事よ。そしてきっとカイくん達と一緒にまた戻ってくるわ…っ」
「アイシャさん…っ」
辛そうにしながらも、アイシャはなんとか笑顔を作りながらエリネを励ます。
「んクク、健気ですな。今でも勇者を信じるその心、気質を体現する女神ルミアナの巫女に実に相応しい」
アイシャは返事しない、ただ毅然とした眼差しをザナエルに向けるだけ。彼は低く嗤う。
「よい、存分に思いたまえ。愛もまた混沌の一側面。ゾルド様の糧であるが故に」
一方、息を辛うじて整えながら、ラナは終始オズワルドの方を睨み続けた。そんなオズワルドの顔は無表情でありながらも、その瞳には確かな感情が篭っていた。
「先ほどからずっと私から目を離さないですね、ラナ様。そんなに私が憎いのでしょうか」
「オズワルド…」
ヒルダが刺された時の、激情に駆られたラナの顔は今や鳴りを潜め、どこか平然としていた。
「貴様、本当の目的はいったいなんなのだ。皇国を乱して民を苦しめ、変異体に成れ果てて己の姉を殺してまで、一体なにを望んでいる?」
「そういえば、時が来たら改めて私の本当の目的をお伝えすると約束していましたね」
ゆっくりとラナの前に立ち、オズワルドは語った。
「貴女ですよ、ラナ様。全ての全ては、貴女のその凜とした目を私に向けさせるためにしたことなのです」
「え…」
アイシャやエリネが声をあげるが、当のラナはただオズワルドを見据えていた。
まるで触れえざるものだと理解しているように、オズワルドはラナの髪に触れないよう指を近づけ、続けた。
「淡白な人生だった。名誉も富みも恋も私に何の意味をなさず、ただオズワルドという役を演じ続けるだけの日々。けれどあの日。貴女が初めて社交界にデビューしたあの日。私の人生に貴女は火をつけてくれました」
シルビアの前でビクターを制裁したあの光景が再び彼の胸を焼いた。
「実に眩しかった…。何者にも屈さない気高き心、燃えるような眼差し。この虚無に満ちた心にどれ程熱い火を投げ込んだのか想像もつかないでしょう。それから私はいつも密かに貴女を見てきた。多くの貴族らをひれ伏せ、従い、罰して打ちひしぐ…しかして決して慾に溺れない高潔な姿…。今思えば、その時すでにエテルネの巫女としての性質を現していたかも知れませんね」
ラナは表情を変えない。オズワルドは彼女に触れないように注意しながら、手をラナの顔をなぞる。その声はかすかに興奮に震えていた。
「枕を共にするような無粋は無意味だ。平穏の下にある繋がりも、所詮は淡白な人生の延長でしかない。憎しみでも怒りでもいい…、貴女の眩き目に全てを燃やす太陽の如き強い感情を宿し、それで私を穿つように注目して、この冷めた心を焼き続けて欲しかった。胸を燻るこの焦がれをもっと燃やしてほしかった…。それだけが私の願い、私の全て…っ」
エリネが思わず震える。
「そんな…そんなことのために…貴方は教団と手を組んだっていうの…っ?」
「愛を体現する星の女神の巫女なら理解してくれると思いましたがね。いまの三女神の教義には受け入れがたいのは事実ですが、私のこの気持ちもまた愛の表現の一つなのですよ」
顔を強くしかめるアイシャ。
「狂ってます、あなた…っ」
「…やはりそうだったか。母上を刺した後に私を見る貴様の目を見れば、なんとなく察しはつく」
ラナは軽蔑するように鼻を鳴らした。
「蓋を開けてみれば哀れとさえ感じられるみすぼらしい欲とは…。これならまだ世界征服の方が余程マシだ。まったく、こんなくだらない男に命を捧げていたとは、シルビアやメディナが不憫でならないな。それに、これから私はゾルドの生贄にされるのだぞ。貴様はそれでいいのか?」
どこか自己陶酔にも似た笑みがオズワルドの顔に浮かべる。
「その瞬間まで、貴女の燃える目が私を見ればそれで十分ですよ。火花の輝きは刹那的だからこそ美しいのと同じように、その目から私を穿つ最後の眼差しを、しっかりとこの心に焼きつけますから」
「結局ただの刹那的な快楽主義者とは、つくづく哀れな奴だな。そんなことを教えて私が貴様の思い通りになると思っているのか」
「思っていませんよ。それでこそ誇り高き貴女らしいし、そうでなければ意味がありません。なかなかのジレンマですね。…ですがそれでも、時が来ましたら貴女はきっとその目を私に向けるのでしょう」
二人はこれ以上会話を交わさなかった。オズワルドはただ暗き願望をその氷のような顔にある瞳に宿しながら、ラナは息を上げながらも瞳に揺るがない強き意志を燃やしながら、互いを見据えた。
エリクが他の信者達とともに何かを運んで作業している中、人間形態に戻り、ウィルフレッドが飛ばされた穴をずっと見据えるギルバートにザナエルが声をかけた。
「そなたには重ね重ね礼を申し上げねばなりませんな、ギルバート殿。例のメルセゲルというクリスタルのお陰で、ゾルド様はついに復活目前まできた。強化案のアイデアといい、今までの働きといい。実に感謝しきれん」
ギルバートの返事は、どこか気が抜けていた。
「礼には及ばねぇ。転移機能はメルセゲル自体さえあれば実行できるものだ。もっとも、ダメージを受けた状態であのデカブツや転送用の鉄箱を一杯転移させたんだ。これ以上の大きな運用はもう無理だ」
「これでも十分だ。して、今回の礼については…」
「いらねえよ。もうどうでもいい。それよりも今は静かになりてぇんだ。引っ込んでくれねえか」
「承知…」
彼の不遜な口調に特に不快とも思わず、ザナエルは下がった。
「! ラナちゃん、あれ…っ!」
アイシャの一声で、ラナとエリネはホールの異変に察した。ボロボロになった壁や床から、空の暗雲のように赤みを帯びたタールがどろりと沸き始める。邪神の卵の鼓動音とともにブクブクとそこから獣の唸りや呻き声が聞こえてくる。ザナエルがせせら笑う。
「んクククク、始まったか」
******
「う、うぅ…いって…大丈夫か、ルル…?」
「キュウ…」
体中に響く痛みに耐えながら、カイはゆっくりと目を開いて、懐に抱いたルルの安否を確認する。先ほど逆三角の影響を受けてたからか、彼とルルはどちらも虚脱してはいるが、命に別状はないようだ。
「ぐぅ…、みんな無事か…っ」
ミーナが杖で体を支えて立ち上がる。レクスやアラン、ルヴィア達の声が聞こえてきた。
「な、なんとか…生きてるよ…」
「こちらも…無事です…」
「私も一応は…システィは?」
「は、はい…まだ少し、目が回りますが…」
「父さん、怪我はありませんか?」
「問題ない、ルイ…。ジュリアスも無事だな」
「はい…」
ロバルト達の無事にミーナがホッと安堵する。他にもカレス、ルシアら等、先ほどホールに残っていた人々もみな周りに倒れ込んでいたが、次々と立ち上がり始める。
「おい…みんなっ、あれ!」
カイの一声で、ミーナ達は彼が指差す方向、帝都の方を見た。一行は帝都を見渡せる郊外の小さな丘の方に飛ばされているため、今の帝都の様子がはっきりと見えていた。
それぞれ禍々しい三色のオーラを輝かせながら帝都中心部を囲む逆三角の塚。その中央にある、皇城を完全に包み込んだ闇黒のドーム。その表面に血にも似た赤い模様を脈動させ、それに合わせておどろおどろしい鼓動音が発せられる。さながら邪神を孕む子宮のように。
その鼓動音に、帝都内に響く人々の悲鳴と怨嗟が混ざって伝わってくる。空を覆う暗雲に滲むおぞましい赤色と相まって、まるで世界が終わりを迎えるかのような光景を呈していた。
先ほどの逆三角展開の衝撃のせいか、帝都が誇る二重城壁が所々倒壊し、そこから皇国の民達が懸命に逃げ出そうとする。空を覆う闇黒の雲に雷が走り、郊外にある三国軍勢の駐屯地の混乱極まる様相を照らし出す。
「あれが…逆三角って奴なのか、ミーナ…」
「間違いない。あの赤い柱…塚から採掘場でひろった欠片と同じ呪詛の力を感じられる。緑の奴からはソラ町の呪われし作品のと同じ奴で、紫の塚はカスパー町のだな…」
思わず息を呑むカイ。こうして離れて眺めるだけでも、意識が軽く混乱に落ちそうな感覚を感じてしまうのに、さきほど自分達があの中にいたのを思うと背筋にゾッと寒気が走る。
「レクス様~~~っ!カイ~~~っ!」
「ボルガっ!」
「ドーネのおっさん!」
女神連合軍と、ロバルトや他の貴族らに属する騎士や兵士達が、帝都から飛ばされた主たちを見て彼らに向かって駆けつけた。
「レクス様!ご無事でしたか…!」
ランブレが息を上げながらレクスに駆けつける。
「なんとかねっ、騎士団のみんなは無事なのかいっ?」
「一応は。ただ帝都の異変にみな混乱しており、一部の人達があの岩柱のせいでパニックに陥っています。レクス様、帝都にいったい何があったのですかっ?ラナ様たちはどちらにっ?」
「それが…」
「がああぁぁぁーーーーっ!」
突如後ろからウィルフレッドの絶叫が響いた。
「あっ!ウィルくんっ!」
「兄貴!」
全身に赤いエネルギーラインが走るウィルフレッドの顔が痛みで歪み、激痛のあまりに上着をビリビリと破っては、頭を何度も地面に叩きつける。カイとミーナ達が慌てて彼の傍に駆けつける。
「兄貴!しっかりしてくれ兄貴!」
ダメ押しで治癒をかけるミーナ。
「だめだ、やはりエリーでなければ…っ、ウィルっ!」
「あがあぁ…っ!あああぁぁ…っ!」
ピシィ、と、まるで乾いた大地が裂けたような白い亀裂が、ウィルフレッドの腕を走った。かつてのキースやサラ達みたいに。
「あ、兄貴…っ!」
「ウィル、おぬし…っ!」
「うあぁっ!だ、だめだ…っ、こんな、こんな時に…!がああぁっ!」
頭を強く抑え、今にも狂いそうなウィルフレッドにレクスが強く呼びかけた。
「ウィルくんっ!こっちを見て!落ち着くんだ!」
「あが…っ!レ、レクス…っ」
「ウィルくん、酷かも知れないけど、自力でなんとか頭を冷やして落ち着くんだ!もし君がここで精神崩壊したら、誰もエリーちゃん達を助けることができなくなるよ!」
目に血を走らせるウィルフレッドが大きく震えた。
「エ、エリー…っ」
「そうだよっ、エリーちゃんを助けるためにも、ここは堪えるんだ…!」
「エリー…、エリーを、助ける…っ、ううぅ…!」
胸のアスティル・クリスタルを強く抑え、首につけた二つのペンダントを強く握りしめながら、崩壊しかける己の心を必死に保とうとするウィルフレッド。
「ぐうぅ…っ!うおぉぉ…っ!」
ガクガクと体を震えながら、ウィルフレッドは必死に呼吸を落ち着かせようとする。
「ううぅ…っ、ぅ…っ」
「ウィル、くん…っ」
ウィルフレッドと同じぐらい辛い顔を浮かべるレクスに、彼はなんとか笑顔を作り出す。
「も、もう、大丈夫だ…レクス…。ありがとう…、お陰で、精神が壊れずに、済んだよ…」
レクスは強く唇を噛み締めた。精神崩壊には耐えたようだが、エリネがいなければ彼を苛む肉体崩壊の痛みを和らげることができない。いまはただ、ひたすら彼に耐えてもらうしかなかった。
ロバルトやシスティら貴族達、先ほど駆けつけた騎士、兵士達が続々とウィルフレッドのところへと集まる。ランブレはおずおずとレクスに声をかけた。
「レクス様…」
困惑と不安の眼差しで自分を見る騎士達を見て、レクスはいったん目を閉じた。ホールから飛ばされる前に、自分に向けられたラナの眼差しを思い出す。自分への強き信頼を込めた目だった。
(…分かってるさ、ラナちゃん)
決意が拳を握る力として表し、彼は毅然と立ち上がる。
「みんな、落ち着いて聞いてくれ」
レクスはランブレ達に帝都で起こったことを説明した。
「そんな…邪神が…今そこで復活しようと…っ?」
「それに、巫女達がみな、囚われて…?」
それを聞いた人々はみな驚きと失意、そして絶望に染めていた。ルヴィアが沈痛に答える。
「残念ながらレクス殿が言っているのは事実です。神器が砕かれたことも含めて…」
人々が騒然とする。ある人は膝をつき、ある人はまだそれを受け入れずに状況を理解しようと震えていた。明日に教団に向かって雄々しく進軍し、命をかけて戦おうとする決心が容易く打ち砕かれる。
「だから言っただろうがっ!魔人なぞ勇者に選ぶべきではないと!」
ヘリティアのジルコが怒鳴る。
「あの魔人のせいで今や神器が砕かれ、邪神が復活しようとしている!どれもこれも魔人が巫女様を騙ったせいだ!」
「その通りだ!」
それが呼び水となって、他の人々へと連鎖する。
「寧ろあの魔人、こうなることを狙って教団と密かに結託してたではないのかっ!?」
「なにデタラメ言いやがる!兄貴がそんなことする訳ねえじゃねえか!」
カイが怒鳴り返す。
「デタラメなものか!実際神器は同じ魔人の手によって砕かれたのだぞ!」
その言葉にウィルフレッドは最後のエリネの顔を思い出し、強く顔をしかめる。
「みな静まらんかっ!」
「今はお互い言い争う時ではないのですよ!」
「しかし、ロバルト陛下!ルヴィア様!」
不安と恐怖が怒りと衝動を生み、それが波紋のように広がっていく。
ミーナが強く杖を握りしめた。
(やはり支えとなる巫女達が囚われたのが痛手過ぎるか。それともこの急激に広がる不和もあの逆三角による影響か…っ?)
ジュリアスやルドヴィグ達も懸命に人々を落ち着かせようとするが、混乱はますます膨らんでいく一方で――
「黙らんか痴れものどもがっっっ!!!」
争いが一瞬にして鎮まった。突然の一喝に人々はみな呆気をとられ、カイまでもが意外な声の出所に驚く。
「…と、ラナ様ならこう叱ったりして、ね」
「レ、レクス様…っ?」
てへっといつもの間抜けた顔を見せるレクス。
「みんな忘れたのかい、ラナ様が言ってたこと。僕達が今まで勝ち続け来られたのは、女神様のご加護があっただけじゃなくて、心に信ずるに値する信念があってこそからだよ」
帝都へ進軍する前のラナの演説が、一部人達の耳に再び響く。初めて聞く他の人達の心にも、その言葉の力が広がっていく。
「ええっと、続きはこうだったっけ。…最後に僕達を支え、勝利をもたらすのは、この世全ての心にある女神という名の善性、良き物事への信念に他ならないって。たとえ世界が闇に覆われようとも、守るべき物事を、愛すべき人たちを忘れてはならない。その気持ちこそが、邪神に抗って勝利を掴む真なる力だから、って」
それはまるで、先ほどまで不安と焦燥に駆られた人々の心を照らす太陽の光の如き言葉だった。
「君達の戦いは、誰かの責任を追及するためのものかい?違うでしょ、理由は様々だけど、最終的には君達にとって価値ある人々や物事を守るためだよね。たとえラナ様達がここにいなくても、その理由が消えることはない。だったらここでジタバタしてても何も始まらないよ。難しい顔をして暴れるよりも、今僕達が出来ることに集中しようじゃないか」
「レクス様…」
これからちょっとした仕事を片付けるかのような軽い笑顔に、カイがつられて笑顔になる。緊張しきっている人々にも効いたのか、また怒鳴り出す人はもはやいなかった。レクスのその姿に、アランが感慨の笑顔を浮かべた。
(レクス殿…やはり貴方は…)
「レクス殿の言うとおりだっ」
ルドヴィグが強き声で応える。
「それに俺達はまだ完全に敗北した訳ではないっ。殆どの兵力は帝都郊外にいたお陰であの結界から免れている。反撃できる力は十分あるぞ!」
ジュリアスとルヴィア達が頷く。
「…確かに、そうかもしれませんが…」
それでも、未だに不安を感じる貴族が囁いた。
「神器が砕かれたいま、私達はどうやって邪神と戦うのですか…?」
「神器ならまだあるっ、戦う力ならちゃんとあるぞっ!」
カイは未だに輝きを放つ神弓フェリアを彼らに見せる。
「け、けど、神弓でさえも、あの黒い結界の中で力は削がれてたではないですか」
「それに三神器が揃うこともなく、巫女様が囚われたままで、あのザナエルとやらが持つあの邪神剣とゾルドに対抗する手立てはあるのですか?」
「そんなことやってみなきゃ分からねえじゃねえかっ!」
「でも確かに、あの結界と邪神剣は大きな問題だよね…」
レクスはいまだ苦しそうなウィルフレッドの治療を試みるミーナに問うた。
「ミーナ殿どうなんだい?何か良い案ある?」
ミーナの顔は芳しくなかった。
「この状況で嘘をついても意味ないから、率直に言おう…打つ手は一つもないのが現実だ」
「本当なの?」
「逆三角対策やそのための道具は未完成のまま帝都に置いていているし、恐らく先ほどの衝撃で既に破壊されているだろう。そして何よりも、ゾルドを封じるための封印秘法は、神器、巫女、勇者三つの要素のどれかが欠けても構築できない。神器の鍛冶場が破壊され、いまからそれを作ろうとも現実的じゃないのだ。悔しいが、まさに八方ふさがりだ。さすがの我でもお手上げと言わざるを得ない…」
苦しみに耐えるウィルフレッドは血が滲むほど歯軋りする。
「ミーナ、みんな、すまない…俺の…俺のせいで…っ、エリー…っ!」
「ウィル…」
何か慰めの言葉をかけようとも、ミーナは何も言えなかった。
(ザーフィアス殿、おぬしが言う取り返しのつかないこととは、こう言うことだったのか…?)
「むぅ、困ったね…」
立ち上がるレクスが手を顎に当てて考え込む。
「ミーナ殿までお手上げになるなんて…。このまま策なしに逆三角の結界内に突っ込んでは、さっきの二の舞になってしまうし…」
「――――」
「うん?」
何か聞こえたような気がしたレクスが振り向いた方向に、アランとカイ達も顔を向けた。
「―――様ぁ」
声がする方向から、二人の人影が必死に丘を登ってやってくる。おぼろげに見えるその二人の姿にアランが瞠目する。
「お、おお…っ」
「―――レクス様ぁ…!」
レクスとカイもようやく見えてきたその姿に大きく目を見開いた。
「うそ…マティっ!?」
「まじかよ!マティ様じゃねえかっ!」
遠方から主の名を呼ぶマティとともに、何かの包みを背負って駆けつける人影もアランに向けて叫んでいた。
「―――お父様…っ!」
「クラリス!クラリスかっ!」
アランはこれまでにない悦びの顔を浮かべて娘を迎えた。
「やはり生きていたのだな、クラリス…っ」
「はい、お父様…っ。お父様も、よくぞご無事で…っ」
「レクス様!みなさま!」
「マティ!あははっ!」
レクスが喜びのあまりにマティに抱きつく。マティは少し恥ずかしながらもレクスと抱擁を交わした。
「マティ!本当に心配したよ!てっきりどこかで迷子になったと…っ」
「ほんとだよマティ様!凄く心配したんだぞ!」
「ははは、ご心配をかけて申し訳ありません。…それよりも、いまは何がどうなっているのですか?あの岩柱がなぜ帝都に?ラナ様達は?それにウィル殿のあの様子は…」
ミーナの治療を受けてるウィルフレッドは激痛に耐えながら、マティを一瞥した。
「そうだね。まずお互い情報を確認しておこうか。マティの方にも色々とあったようだし」
レクスは一度クラリスの方を見ると、マティと互いの情報を交換した。
「まさか…ラナ様たちが、あの結界の中に…」
「うん。君が教団の本拠地で見たあの岩柱…逆三角の塚を、ギルバートの力を借りて直接ここに飛ばしてね。そのせいでラナ様達は囚われ、ゾルドは復活目前。神器のヴィータも砕かれてまさに絶体絶命ってところだよ」
クラリスが震える。
「そんな…っ、せっかく聖剣をここまで運んできたのに、ラナ様があの中に…っ」
アランがクラリスの背中にある包みを見た。
「ではクラリス。それがそうなのか?」
「はい」
包みを背中から下して開くと、金色の淡い兆しの輝きを熱く発する聖剣ヘリオスがあらわになった。人々がざわめく。
「おおっ、間違いないっ。あれは我が皇国が誇る聖剣ヘリオスだ…っ!」
クラリスが暗い表情を見せる。
「ですが父上、ラナ様が囚われたとなれば、聖剣を覚醒させるには…」
「それなら心配は要らない。ラナ様が選んだ勇者ならば、すでにここにいますよ」
「えっ?」
アランはクラリスから聖剣を受け取り、勇者となるべき人の前へとそれを持ち運んだ。
「…どうか受け取ってください、レクス殿」
「え、ええっ、レクス様がっ!?」
マティとともに人々が再び騒ぎ出す。
「アラン殿…」
アランは微笑みながらレクスに頷いた。
「ラナ様もきっと望んでいるはずです。貴方がこれを取り、代わりに人々を導くことを」
「はは、本当はあまり僕の柄じゃないけどね」
お互いに笑顔を交わすと、レクスは躊躇わずに聖剣の柄を握った。
小さな太陽が誕生したかのような輝きが聖剣から放たれる。かつてカイが神弓を覚醒させた時のように。
「お、おお…っ、聖剣がっ…」
驚嘆する人々の注目の下、レクスは聖剣ヘリオスを鞘から抜いた。暗雲を打ち払う黄金の光が金色の剣から発し、周りを照らす。先ほどまで絶望に打ちひしがれた人々の心に僅かな希望を灯すほどの、強き温かみを帯びた光だった。カイが持つ神弓もまた、それに共鳴するかのように淡い光で応える。
(レクス様…そうですか、貴方とラナ様は、そこまで強い絆を築き上げてたのですね)
主の眩いその姿に、マティは深い感慨を覚えた。
「な、なんと神々しい…、これが聖剣ヘリオスの覚醒せし姿かっ」
「これならなんとかやれそうか?」
ヘリオスの輝きに人々の何名かは希望が芽生えるが、レクスは慎重だった。
「ミーナ殿、実際どうかな。覚醒した神器二つで、あの逆三角をなんとかできそうかい?」
ミーナはフェリアとヘリオス、帝都にある逆三角を交互に見ては、やはり顔を横に振った。
「難しいだろうな。逆三角は三女神と相反する三つ…いや、正確には四つの要素で作られた結界だ。二つの女神の神器だけでは、魔法の要素的に大きく押し負けるだろう。それにたとえ逆三角を突破できても、ゾルドを封印する秘法はやはり三つの神器がなければ構築できないのだ」
「くそっ!本当になにも手がねえのかよ…!」
カイが悔しく舌打ちをし、人々の心に再び諦めの影が覆う。
「――いいえ、まだ望みはあります」
どこからともなく響く、美しい声だった。レクス達がどよめく。
「えっ、えっ、なにっ、ミーナ殿何か言ったっ?」
「いや、我はなにも――」
「あっ、みんなあそこ!」
カイが指差す方向にレクス達が顔を向ける。そこには、一羽の美しい青い鳥が羽ばたいていた。
「えっ、鳥…!?鳥が喋って――」
「大丈夫ですレクス様」
マティがなだめた。
「先ほど教団に襲われた私とクラリスは、このお方に助けられたのです」
「このお方…?」
そういえば青い鳥に何かデジャヴを感じたと思い出したレクスが振り返ると、柔らかな青の光が鳥を包み込む。
「うわ、な、なんだっ?」
光が収まると、全員が思わず息を呑んだ。星空の輝きを思い出させる美しい青の衣を纏い、青き銀河を連想させる青髪をなびかせる、神々しい女性がそこに立っていた。
【続く】
「ウィルさん…ウィルさぁん…っ」
たとえ逆三角により息苦しくなっていても、ウィルフレッドの傍で彼の痛みを癒せないことの方がよほど辛いものだった。
「しっかりしてエリーちゃん。ウィルくんはきっと無事よ。そしてきっとカイくん達と一緒にまた戻ってくるわ…っ」
「アイシャさん…っ」
辛そうにしながらも、アイシャはなんとか笑顔を作りながらエリネを励ます。
「んクク、健気ですな。今でも勇者を信じるその心、気質を体現する女神ルミアナの巫女に実に相応しい」
アイシャは返事しない、ただ毅然とした眼差しをザナエルに向けるだけ。彼は低く嗤う。
「よい、存分に思いたまえ。愛もまた混沌の一側面。ゾルド様の糧であるが故に」
一方、息を辛うじて整えながら、ラナは終始オズワルドの方を睨み続けた。そんなオズワルドの顔は無表情でありながらも、その瞳には確かな感情が篭っていた。
「先ほどからずっと私から目を離さないですね、ラナ様。そんなに私が憎いのでしょうか」
「オズワルド…」
ヒルダが刺された時の、激情に駆られたラナの顔は今や鳴りを潜め、どこか平然としていた。
「貴様、本当の目的はいったいなんなのだ。皇国を乱して民を苦しめ、変異体に成れ果てて己の姉を殺してまで、一体なにを望んでいる?」
「そういえば、時が来たら改めて私の本当の目的をお伝えすると約束していましたね」
ゆっくりとラナの前に立ち、オズワルドは語った。
「貴女ですよ、ラナ様。全ての全ては、貴女のその凜とした目を私に向けさせるためにしたことなのです」
「え…」
アイシャやエリネが声をあげるが、当のラナはただオズワルドを見据えていた。
まるで触れえざるものだと理解しているように、オズワルドはラナの髪に触れないよう指を近づけ、続けた。
「淡白な人生だった。名誉も富みも恋も私に何の意味をなさず、ただオズワルドという役を演じ続けるだけの日々。けれどあの日。貴女が初めて社交界にデビューしたあの日。私の人生に貴女は火をつけてくれました」
シルビアの前でビクターを制裁したあの光景が再び彼の胸を焼いた。
「実に眩しかった…。何者にも屈さない気高き心、燃えるような眼差し。この虚無に満ちた心にどれ程熱い火を投げ込んだのか想像もつかないでしょう。それから私はいつも密かに貴女を見てきた。多くの貴族らをひれ伏せ、従い、罰して打ちひしぐ…しかして決して慾に溺れない高潔な姿…。今思えば、その時すでにエテルネの巫女としての性質を現していたかも知れませんね」
ラナは表情を変えない。オズワルドは彼女に触れないように注意しながら、手をラナの顔をなぞる。その声はかすかに興奮に震えていた。
「枕を共にするような無粋は無意味だ。平穏の下にある繋がりも、所詮は淡白な人生の延長でしかない。憎しみでも怒りでもいい…、貴女の眩き目に全てを燃やす太陽の如き強い感情を宿し、それで私を穿つように注目して、この冷めた心を焼き続けて欲しかった。胸を燻るこの焦がれをもっと燃やしてほしかった…。それだけが私の願い、私の全て…っ」
エリネが思わず震える。
「そんな…そんなことのために…貴方は教団と手を組んだっていうの…っ?」
「愛を体現する星の女神の巫女なら理解してくれると思いましたがね。いまの三女神の教義には受け入れがたいのは事実ですが、私のこの気持ちもまた愛の表現の一つなのですよ」
顔を強くしかめるアイシャ。
「狂ってます、あなた…っ」
「…やはりそうだったか。母上を刺した後に私を見る貴様の目を見れば、なんとなく察しはつく」
ラナは軽蔑するように鼻を鳴らした。
「蓋を開けてみれば哀れとさえ感じられるみすぼらしい欲とは…。これならまだ世界征服の方が余程マシだ。まったく、こんなくだらない男に命を捧げていたとは、シルビアやメディナが不憫でならないな。それに、これから私はゾルドの生贄にされるのだぞ。貴様はそれでいいのか?」
どこか自己陶酔にも似た笑みがオズワルドの顔に浮かべる。
「その瞬間まで、貴女の燃える目が私を見ればそれで十分ですよ。火花の輝きは刹那的だからこそ美しいのと同じように、その目から私を穿つ最後の眼差しを、しっかりとこの心に焼きつけますから」
「結局ただの刹那的な快楽主義者とは、つくづく哀れな奴だな。そんなことを教えて私が貴様の思い通りになると思っているのか」
「思っていませんよ。それでこそ誇り高き貴女らしいし、そうでなければ意味がありません。なかなかのジレンマですね。…ですがそれでも、時が来ましたら貴女はきっとその目を私に向けるのでしょう」
二人はこれ以上会話を交わさなかった。オズワルドはただ暗き願望をその氷のような顔にある瞳に宿しながら、ラナは息を上げながらも瞳に揺るがない強き意志を燃やしながら、互いを見据えた。
エリクが他の信者達とともに何かを運んで作業している中、人間形態に戻り、ウィルフレッドが飛ばされた穴をずっと見据えるギルバートにザナエルが声をかけた。
「そなたには重ね重ね礼を申し上げねばなりませんな、ギルバート殿。例のメルセゲルというクリスタルのお陰で、ゾルド様はついに復活目前まできた。強化案のアイデアといい、今までの働きといい。実に感謝しきれん」
ギルバートの返事は、どこか気が抜けていた。
「礼には及ばねぇ。転移機能はメルセゲル自体さえあれば実行できるものだ。もっとも、ダメージを受けた状態であのデカブツや転送用の鉄箱を一杯転移させたんだ。これ以上の大きな運用はもう無理だ」
「これでも十分だ。して、今回の礼については…」
「いらねえよ。もうどうでもいい。それよりも今は静かになりてぇんだ。引っ込んでくれねえか」
「承知…」
彼の不遜な口調に特に不快とも思わず、ザナエルは下がった。
「! ラナちゃん、あれ…っ!」
アイシャの一声で、ラナとエリネはホールの異変に察した。ボロボロになった壁や床から、空の暗雲のように赤みを帯びたタールがどろりと沸き始める。邪神の卵の鼓動音とともにブクブクとそこから獣の唸りや呻き声が聞こえてくる。ザナエルがせせら笑う。
「んクククク、始まったか」
******
「う、うぅ…いって…大丈夫か、ルル…?」
「キュウ…」
体中に響く痛みに耐えながら、カイはゆっくりと目を開いて、懐に抱いたルルの安否を確認する。先ほど逆三角の影響を受けてたからか、彼とルルはどちらも虚脱してはいるが、命に別状はないようだ。
「ぐぅ…、みんな無事か…っ」
ミーナが杖で体を支えて立ち上がる。レクスやアラン、ルヴィア達の声が聞こえてきた。
「な、なんとか…生きてるよ…」
「こちらも…無事です…」
「私も一応は…システィは?」
「は、はい…まだ少し、目が回りますが…」
「父さん、怪我はありませんか?」
「問題ない、ルイ…。ジュリアスも無事だな」
「はい…」
ロバルト達の無事にミーナがホッと安堵する。他にもカレス、ルシアら等、先ほどホールに残っていた人々もみな周りに倒れ込んでいたが、次々と立ち上がり始める。
「おい…みんなっ、あれ!」
カイの一声で、ミーナ達は彼が指差す方向、帝都の方を見た。一行は帝都を見渡せる郊外の小さな丘の方に飛ばされているため、今の帝都の様子がはっきりと見えていた。
それぞれ禍々しい三色のオーラを輝かせながら帝都中心部を囲む逆三角の塚。その中央にある、皇城を完全に包み込んだ闇黒のドーム。その表面に血にも似た赤い模様を脈動させ、それに合わせておどろおどろしい鼓動音が発せられる。さながら邪神を孕む子宮のように。
その鼓動音に、帝都内に響く人々の悲鳴と怨嗟が混ざって伝わってくる。空を覆う暗雲に滲むおぞましい赤色と相まって、まるで世界が終わりを迎えるかのような光景を呈していた。
先ほどの逆三角展開の衝撃のせいか、帝都が誇る二重城壁が所々倒壊し、そこから皇国の民達が懸命に逃げ出そうとする。空を覆う闇黒の雲に雷が走り、郊外にある三国軍勢の駐屯地の混乱極まる様相を照らし出す。
「あれが…逆三角って奴なのか、ミーナ…」
「間違いない。あの赤い柱…塚から採掘場でひろった欠片と同じ呪詛の力を感じられる。緑の奴からはソラ町の呪われし作品のと同じ奴で、紫の塚はカスパー町のだな…」
思わず息を呑むカイ。こうして離れて眺めるだけでも、意識が軽く混乱に落ちそうな感覚を感じてしまうのに、さきほど自分達があの中にいたのを思うと背筋にゾッと寒気が走る。
「レクス様~~~っ!カイ~~~っ!」
「ボルガっ!」
「ドーネのおっさん!」
女神連合軍と、ロバルトや他の貴族らに属する騎士や兵士達が、帝都から飛ばされた主たちを見て彼らに向かって駆けつけた。
「レクス様!ご無事でしたか…!」
ランブレが息を上げながらレクスに駆けつける。
「なんとかねっ、騎士団のみんなは無事なのかいっ?」
「一応は。ただ帝都の異変にみな混乱しており、一部の人達があの岩柱のせいでパニックに陥っています。レクス様、帝都にいったい何があったのですかっ?ラナ様たちはどちらにっ?」
「それが…」
「がああぁぁぁーーーーっ!」
突如後ろからウィルフレッドの絶叫が響いた。
「あっ!ウィルくんっ!」
「兄貴!」
全身に赤いエネルギーラインが走るウィルフレッドの顔が痛みで歪み、激痛のあまりに上着をビリビリと破っては、頭を何度も地面に叩きつける。カイとミーナ達が慌てて彼の傍に駆けつける。
「兄貴!しっかりしてくれ兄貴!」
ダメ押しで治癒をかけるミーナ。
「だめだ、やはりエリーでなければ…っ、ウィルっ!」
「あがあぁ…っ!あああぁぁ…っ!」
ピシィ、と、まるで乾いた大地が裂けたような白い亀裂が、ウィルフレッドの腕を走った。かつてのキースやサラ達みたいに。
「あ、兄貴…っ!」
「ウィル、おぬし…っ!」
「うあぁっ!だ、だめだ…っ、こんな、こんな時に…!がああぁっ!」
頭を強く抑え、今にも狂いそうなウィルフレッドにレクスが強く呼びかけた。
「ウィルくんっ!こっちを見て!落ち着くんだ!」
「あが…っ!レ、レクス…っ」
「ウィルくん、酷かも知れないけど、自力でなんとか頭を冷やして落ち着くんだ!もし君がここで精神崩壊したら、誰もエリーちゃん達を助けることができなくなるよ!」
目に血を走らせるウィルフレッドが大きく震えた。
「エ、エリー…っ」
「そうだよっ、エリーちゃんを助けるためにも、ここは堪えるんだ…!」
「エリー…、エリーを、助ける…っ、ううぅ…!」
胸のアスティル・クリスタルを強く抑え、首につけた二つのペンダントを強く握りしめながら、崩壊しかける己の心を必死に保とうとするウィルフレッド。
「ぐうぅ…っ!うおぉぉ…っ!」
ガクガクと体を震えながら、ウィルフレッドは必死に呼吸を落ち着かせようとする。
「ううぅ…っ、ぅ…っ」
「ウィル、くん…っ」
ウィルフレッドと同じぐらい辛い顔を浮かべるレクスに、彼はなんとか笑顔を作り出す。
「も、もう、大丈夫だ…レクス…。ありがとう…、お陰で、精神が壊れずに、済んだよ…」
レクスは強く唇を噛み締めた。精神崩壊には耐えたようだが、エリネがいなければ彼を苛む肉体崩壊の痛みを和らげることができない。いまはただ、ひたすら彼に耐えてもらうしかなかった。
ロバルトやシスティら貴族達、先ほど駆けつけた騎士、兵士達が続々とウィルフレッドのところへと集まる。ランブレはおずおずとレクスに声をかけた。
「レクス様…」
困惑と不安の眼差しで自分を見る騎士達を見て、レクスはいったん目を閉じた。ホールから飛ばされる前に、自分に向けられたラナの眼差しを思い出す。自分への強き信頼を込めた目だった。
(…分かってるさ、ラナちゃん)
決意が拳を握る力として表し、彼は毅然と立ち上がる。
「みんな、落ち着いて聞いてくれ」
レクスはランブレ達に帝都で起こったことを説明した。
「そんな…邪神が…今そこで復活しようと…っ?」
「それに、巫女達がみな、囚われて…?」
それを聞いた人々はみな驚きと失意、そして絶望に染めていた。ルヴィアが沈痛に答える。
「残念ながらレクス殿が言っているのは事実です。神器が砕かれたことも含めて…」
人々が騒然とする。ある人は膝をつき、ある人はまだそれを受け入れずに状況を理解しようと震えていた。明日に教団に向かって雄々しく進軍し、命をかけて戦おうとする決心が容易く打ち砕かれる。
「だから言っただろうがっ!魔人なぞ勇者に選ぶべきではないと!」
ヘリティアのジルコが怒鳴る。
「あの魔人のせいで今や神器が砕かれ、邪神が復活しようとしている!どれもこれも魔人が巫女様を騙ったせいだ!」
「その通りだ!」
それが呼び水となって、他の人々へと連鎖する。
「寧ろあの魔人、こうなることを狙って教団と密かに結託してたではないのかっ!?」
「なにデタラメ言いやがる!兄貴がそんなことする訳ねえじゃねえか!」
カイが怒鳴り返す。
「デタラメなものか!実際神器は同じ魔人の手によって砕かれたのだぞ!」
その言葉にウィルフレッドは最後のエリネの顔を思い出し、強く顔をしかめる。
「みな静まらんかっ!」
「今はお互い言い争う時ではないのですよ!」
「しかし、ロバルト陛下!ルヴィア様!」
不安と恐怖が怒りと衝動を生み、それが波紋のように広がっていく。
ミーナが強く杖を握りしめた。
(やはり支えとなる巫女達が囚われたのが痛手過ぎるか。それともこの急激に広がる不和もあの逆三角による影響か…っ?)
ジュリアスやルドヴィグ達も懸命に人々を落ち着かせようとするが、混乱はますます膨らんでいく一方で――
「黙らんか痴れものどもがっっっ!!!」
争いが一瞬にして鎮まった。突然の一喝に人々はみな呆気をとられ、カイまでもが意外な声の出所に驚く。
「…と、ラナ様ならこう叱ったりして、ね」
「レ、レクス様…っ?」
てへっといつもの間抜けた顔を見せるレクス。
「みんな忘れたのかい、ラナ様が言ってたこと。僕達が今まで勝ち続け来られたのは、女神様のご加護があっただけじゃなくて、心に信ずるに値する信念があってこそからだよ」
帝都へ進軍する前のラナの演説が、一部人達の耳に再び響く。初めて聞く他の人達の心にも、その言葉の力が広がっていく。
「ええっと、続きはこうだったっけ。…最後に僕達を支え、勝利をもたらすのは、この世全ての心にある女神という名の善性、良き物事への信念に他ならないって。たとえ世界が闇に覆われようとも、守るべき物事を、愛すべき人たちを忘れてはならない。その気持ちこそが、邪神に抗って勝利を掴む真なる力だから、って」
それはまるで、先ほどまで不安と焦燥に駆られた人々の心を照らす太陽の光の如き言葉だった。
「君達の戦いは、誰かの責任を追及するためのものかい?違うでしょ、理由は様々だけど、最終的には君達にとって価値ある人々や物事を守るためだよね。たとえラナ様達がここにいなくても、その理由が消えることはない。だったらここでジタバタしてても何も始まらないよ。難しい顔をして暴れるよりも、今僕達が出来ることに集中しようじゃないか」
「レクス様…」
これからちょっとした仕事を片付けるかのような軽い笑顔に、カイがつられて笑顔になる。緊張しきっている人々にも効いたのか、また怒鳴り出す人はもはやいなかった。レクスのその姿に、アランが感慨の笑顔を浮かべた。
(レクス殿…やはり貴方は…)
「レクス殿の言うとおりだっ」
ルドヴィグが強き声で応える。
「それに俺達はまだ完全に敗北した訳ではないっ。殆どの兵力は帝都郊外にいたお陰であの結界から免れている。反撃できる力は十分あるぞ!」
ジュリアスとルヴィア達が頷く。
「…確かに、そうかもしれませんが…」
それでも、未だに不安を感じる貴族が囁いた。
「神器が砕かれたいま、私達はどうやって邪神と戦うのですか…?」
「神器ならまだあるっ、戦う力ならちゃんとあるぞっ!」
カイは未だに輝きを放つ神弓フェリアを彼らに見せる。
「け、けど、神弓でさえも、あの黒い結界の中で力は削がれてたではないですか」
「それに三神器が揃うこともなく、巫女様が囚われたままで、あのザナエルとやらが持つあの邪神剣とゾルドに対抗する手立てはあるのですか?」
「そんなことやってみなきゃ分からねえじゃねえかっ!」
「でも確かに、あの結界と邪神剣は大きな問題だよね…」
レクスはいまだ苦しそうなウィルフレッドの治療を試みるミーナに問うた。
「ミーナ殿どうなんだい?何か良い案ある?」
ミーナの顔は芳しくなかった。
「この状況で嘘をついても意味ないから、率直に言おう…打つ手は一つもないのが現実だ」
「本当なの?」
「逆三角対策やそのための道具は未完成のまま帝都に置いていているし、恐らく先ほどの衝撃で既に破壊されているだろう。そして何よりも、ゾルドを封じるための封印秘法は、神器、巫女、勇者三つの要素のどれかが欠けても構築できない。神器の鍛冶場が破壊され、いまからそれを作ろうとも現実的じゃないのだ。悔しいが、まさに八方ふさがりだ。さすがの我でもお手上げと言わざるを得ない…」
苦しみに耐えるウィルフレッドは血が滲むほど歯軋りする。
「ミーナ、みんな、すまない…俺の…俺のせいで…っ、エリー…っ!」
「ウィル…」
何か慰めの言葉をかけようとも、ミーナは何も言えなかった。
(ザーフィアス殿、おぬしが言う取り返しのつかないこととは、こう言うことだったのか…?)
「むぅ、困ったね…」
立ち上がるレクスが手を顎に当てて考え込む。
「ミーナ殿までお手上げになるなんて…。このまま策なしに逆三角の結界内に突っ込んでは、さっきの二の舞になってしまうし…」
「――――」
「うん?」
何か聞こえたような気がしたレクスが振り向いた方向に、アランとカイ達も顔を向けた。
「―――様ぁ」
声がする方向から、二人の人影が必死に丘を登ってやってくる。おぼろげに見えるその二人の姿にアランが瞠目する。
「お、おお…っ」
「―――レクス様ぁ…!」
レクスとカイもようやく見えてきたその姿に大きく目を見開いた。
「うそ…マティっ!?」
「まじかよ!マティ様じゃねえかっ!」
遠方から主の名を呼ぶマティとともに、何かの包みを背負って駆けつける人影もアランに向けて叫んでいた。
「―――お父様…っ!」
「クラリス!クラリスかっ!」
アランはこれまでにない悦びの顔を浮かべて娘を迎えた。
「やはり生きていたのだな、クラリス…っ」
「はい、お父様…っ。お父様も、よくぞご無事で…っ」
「レクス様!みなさま!」
「マティ!あははっ!」
レクスが喜びのあまりにマティに抱きつく。マティは少し恥ずかしながらもレクスと抱擁を交わした。
「マティ!本当に心配したよ!てっきりどこかで迷子になったと…っ」
「ほんとだよマティ様!凄く心配したんだぞ!」
「ははは、ご心配をかけて申し訳ありません。…それよりも、いまは何がどうなっているのですか?あの岩柱がなぜ帝都に?ラナ様達は?それにウィル殿のあの様子は…」
ミーナの治療を受けてるウィルフレッドは激痛に耐えながら、マティを一瞥した。
「そうだね。まずお互い情報を確認しておこうか。マティの方にも色々とあったようだし」
レクスは一度クラリスの方を見ると、マティと互いの情報を交換した。
「まさか…ラナ様たちが、あの結界の中に…」
「うん。君が教団の本拠地で見たあの岩柱…逆三角の塚を、ギルバートの力を借りて直接ここに飛ばしてね。そのせいでラナ様達は囚われ、ゾルドは復活目前。神器のヴィータも砕かれてまさに絶体絶命ってところだよ」
クラリスが震える。
「そんな…っ、せっかく聖剣をここまで運んできたのに、ラナ様があの中に…っ」
アランがクラリスの背中にある包みを見た。
「ではクラリス。それがそうなのか?」
「はい」
包みを背中から下して開くと、金色の淡い兆しの輝きを熱く発する聖剣ヘリオスがあらわになった。人々がざわめく。
「おおっ、間違いないっ。あれは我が皇国が誇る聖剣ヘリオスだ…っ!」
クラリスが暗い表情を見せる。
「ですが父上、ラナ様が囚われたとなれば、聖剣を覚醒させるには…」
「それなら心配は要らない。ラナ様が選んだ勇者ならば、すでにここにいますよ」
「えっ?」
アランはクラリスから聖剣を受け取り、勇者となるべき人の前へとそれを持ち運んだ。
「…どうか受け取ってください、レクス殿」
「え、ええっ、レクス様がっ!?」
マティとともに人々が再び騒ぎ出す。
「アラン殿…」
アランは微笑みながらレクスに頷いた。
「ラナ様もきっと望んでいるはずです。貴方がこれを取り、代わりに人々を導くことを」
「はは、本当はあまり僕の柄じゃないけどね」
お互いに笑顔を交わすと、レクスは躊躇わずに聖剣の柄を握った。
小さな太陽が誕生したかのような輝きが聖剣から放たれる。かつてカイが神弓を覚醒させた時のように。
「お、おお…っ、聖剣がっ…」
驚嘆する人々の注目の下、レクスは聖剣ヘリオスを鞘から抜いた。暗雲を打ち払う黄金の光が金色の剣から発し、周りを照らす。先ほどまで絶望に打ちひしがれた人々の心に僅かな希望を灯すほどの、強き温かみを帯びた光だった。カイが持つ神弓もまた、それに共鳴するかのように淡い光で応える。
(レクス様…そうですか、貴方とラナ様は、そこまで強い絆を築き上げてたのですね)
主の眩いその姿に、マティは深い感慨を覚えた。
「な、なんと神々しい…、これが聖剣ヘリオスの覚醒せし姿かっ」
「これならなんとかやれそうか?」
ヘリオスの輝きに人々の何名かは希望が芽生えるが、レクスは慎重だった。
「ミーナ殿、実際どうかな。覚醒した神器二つで、あの逆三角をなんとかできそうかい?」
ミーナはフェリアとヘリオス、帝都にある逆三角を交互に見ては、やはり顔を横に振った。
「難しいだろうな。逆三角は三女神と相反する三つ…いや、正確には四つの要素で作られた結界だ。二つの女神の神器だけでは、魔法の要素的に大きく押し負けるだろう。それにたとえ逆三角を突破できても、ゾルドを封印する秘法はやはり三つの神器がなければ構築できないのだ」
「くそっ!本当になにも手がねえのかよ…!」
カイが悔しく舌打ちをし、人々の心に再び諦めの影が覆う。
「――いいえ、まだ望みはあります」
どこからともなく響く、美しい声だった。レクス達がどよめく。
「えっ、えっ、なにっ、ミーナ殿何か言ったっ?」
「いや、我はなにも――」
「あっ、みんなあそこ!」
カイが指差す方向にレクス達が顔を向ける。そこには、一羽の美しい青い鳥が羽ばたいていた。
「えっ、鳥…!?鳥が喋って――」
「大丈夫ですレクス様」
マティがなだめた。
「先ほど教団に襲われた私とクラリスは、このお方に助けられたのです」
「このお方…?」
そういえば青い鳥に何かデジャヴを感じたと思い出したレクスが振り返ると、柔らかな青の光が鳥を包み込む。
「うわ、な、なんだっ?」
光が収まると、全員が思わず息を呑んだ。星空の輝きを思い出させる美しい青の衣を纏い、青き銀河を連想させる青髪をなびかせる、神々しい女性がそこに立っていた。
【続く】
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