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第十七章 決戦前夜
決戦前夜 第五節
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「やっときたかウィル。…ほう、なかなか様になってるではないか」
皇城のダンスパーティ会場で、レクスの案内でこの世界の社交用正装に着替えたウィルフレッドにミーナが声をかける。着慣れない服のせいか、ウィルフレッドは少し気恥ずかしそうに襟を正した。首につけてる双色蔦のペンダントとツバメの首飾りがチャリリと鳴る。
「そ、そうだろうか。こういうタイプの服は今まで着たこともないから、あまりよく分からないが」
レクスが彼の背中を叩く。
「大丈夫だよウィルくん。ラナ様のご好意で選んだこのヘリティア様式の正装、体格の良い君にはぴったり似合ってると保証するさ」
「そ、そうか…」
「キュッ、キュウ~~」
口を手で隠しながら照れるウィルフレッドの肩で、さきほどルヴィアから手渡されたルルが同意するように鳴いた。
「けど、俺がこのパーティに出場して良いのだろうかミーナ」
ウィルフレッドは、自分に異様な視線を向ける何名かの貴族たちをチラ見する。
「問題ない。お主のことは既に周りに知り渡っておるし、出場しないと却って変な噂がつくものだからな。これから迎える教団との決戦において、そういう不和の火種は避けなければ」
「そうだよ。女神軍結成時のことはウィルくんも覚えてるはずだよ。それに、エリーちゃんが他の人とラストダンスするのは嫌でしょ」
ラストダンスの意味をアイシャ達から教えられたウィルフレッドが力強く頷く。
「…ああ、それだけは嫌だな」
「そういうこと。だから気にしなくていいよ。何かあったら僕達がフォローするからさ」
「ありがとう、レクス、ミーナ。君達には何から何までお世話になって…」
「気にするな。寧ろ我としては、未だにおぬしの体を治せない自分の不甲斐なさに恥を感じるばかりだ…」
ミーナは複雑そうに苦笑し、とんがり帽子のつばを深く被る。
「それこそ気にしないでくれ、俺は――」
この時、入場を告げるためのファンファーレがダンスホールに響いた。
「ぬ、どうやらやっと来たようだな」
ミーナとウィルフレッド達、そして会場にいる全ての人が、ダンスホールの一端、三女神や三位一体のシンボル等が描かれた旗によって華やかに飾られたステージの方に注目した。
すでにステージで立っているロバルト、近衛騎士カレスとルシアが付き添うヒルダ、そしてルヴィア達。彼らの後ろに立つ司会役が高らかに告げる。
「皆様ご静粛に!これより入場するは三国の王女!我ら三女神の使徒たる巫女様達、そしてその勇者様である!まずはアイシャ殿下により勇者として見初められた、輝ける神弓フェリアの使い手、ルーネウスのブラン村のカイ・ジェリオ様のご入場っ!」
ホールに響く拍手の中で、神弓フェリアを背負いながら正装しているカイがルーネウスの騎士達を従って入場した。
(う、うひゃああぁぁ~~~~…っ、すっげぇ…!三国の騎士やロバルト陛下達が一同に集まってら…っ!)
初めての上流階級の舞踏会、そして名門貴族でさえも数年に一度見るかどうか分からないこの盛況に、カイは思わず緊張して歩きがコチコチと固まる。
(い、いや、しっかりしろ俺っ)
神弓を強く握りしめては胸を張るカイ。
(今の俺は勇者カイだ。アイシャと一緒にがんばって、互いに支えていくって決めたんだっ。こんなところで無様晒してちゃ世話ないからなっ)
最初のぎこちない動きはすぐに消え、真っ直ぐロバルト達の前に歩いて立つカイは丁寧に一礼をする。ロバルトは満足そうな眼差しをし、ヒルダとともに返礼する。ミーナが感心そうに頷いた。
「カイの奴、しっかりしている。もう軽々と青二才とは呼べんな…」
「あはは、本当にそうだよね」
拍手をあげるステージ下の諸侯や騎士達に手を振って挨拶するカイは、ウィルフレッド達を見て得意げな笑みを見せる。ウィルフレッドも彼のことを心の底から喜んでいるように笑顔を返した。弟の成長を見るのはこういう気分なのだろうかと、キースのことを思い出してしんみりする彼であった。
「続いて!優美なる勇者ロジェロの血を受け継ぐルーネウス王国の第三王女!美しき月の女神ルミアナ様の使徒たる月の巫女!アイシャ・フェルナンデス・ルーネウス殿下のご入場ーーーっ!」
先ほど以上の沸騰ぶりを会場が見せる中、王女の冠を被り、美しい王家のドレスを纏ったアイシャが、兄のジュリアスのエスコートの下で入場する。
普段からその優雅さをひしひしと感じさせるアイシャだが、今回のためにおめかしした彼女は持ち前の美しさを遺憾なく披露していた。歩く動き一歩一歩が人の目を引くほどの流麗さで、それにあわせて靡く髪と揺れるドレスに、男女問わず誰もが見とれる。美を体現する月の女神ルミアナその人と思わせるほどの姿に、カイは思わず赤面する。
ヒルダ達に一礼をしたあと、アイシャをカイの隣へと連れていくジュリアス。
「中々似合ってますよ、カイくん。残念ながら今回は君とアイの結婚式ではないから、ラストダンスまではどうか我慢して欲しい」
「い゛っ!?」「お兄様…っ!」
ジュリアスのからかいに赤面する二人を、後方で控えてるルドヴィグが苦笑する。
「困った兄さんだ。大人の余裕と言うべきか…」
ファンファーレが再び響き、司会役が再度高らかに告げる。
「そして、慈悲深き勇者ダーナの血を受け継ぐ、エステラ王国の第二王女!夜空に輝く星の女神スティーナ様の使徒たる星の巫女!エリネ・セインテール様こと、ティア・スフィア・エステラ殿下のご入場っ!」
「キュキュッ!キュ!」
興奮するルルを落ち着かせるよう撫でながら、ウィルフレッドは即座に目のズーム機能で入場方向を確認した。美しい星の意匠がなされたドレスで着飾ったエリネがシスティのエスコートとともに入場した。彼女の愛らしさを損なわず、かつ王女らしい高貴さをかもし出すその新しい晴れ姿に、彼の胸が軽く動悸する。
「エリー様、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫システィさん。…その、下にウィルさんはいます?」
システィは下の人混みからすぐにウィルフレッドの姿を確認した。
「はい、ご心配なく、ちゃんとこちらを見ていますよ」
「っ、良かった」
安心するエリネにシスティは安堵し、ウィルフレッドもまたエリネ達が自分の方を見るのを確認して安心する。レクスが軽くウィルフレッドの肩に手を置く。
「エリーちゃんのことは心配しないでウィル。さっき言ったように、ラストダンスまでのフォローは僕達がちゃんとするから」
「…ああ」
まるでクライマックスを迎えるかのように、盛大なファンファーレが三度響いた。レクスが首を長くしてステージを眺める。
「おっ、いよいよだね」
「皆様ご静粛に!最後に!誇り高き勇者ダリウスの血を受け継ぐ、我がヘリティア皇国の第一皇女!女神連合軍の総指揮官にして、あまねく万物を照らす太陽の女神エテルネ様の使徒たる太陽の巫女!ラナ・ヘスティリオス・ヘリティア殿下のご入場であるっ!」
近衛騎士アランのエスコートとともに、輝くばかりのドレス姿でラナが入場した。それはいつもの自信溢れる風格に加え、柔らかな物腰さも感じられる上位者としての風貌だった。万雷の拍手がホールに満ちる。
「うひゃ~~~、ラナ様のホームグラウンドとはいえ、やっぱ凄い人気だなあ」
「ああ。俺の世界でも誰か一人にこれほど熱狂するのは有名歌手のコンサートぐらいだな」
ヒルダとロバルト達に一礼した後、ラナはダンスホールにいる全ての人達に向けて手を上げ、ホールは一瞬にして静まり返った。
「三国の諸侯ならびに騎士たちよ、こたびに帝都の奪還に助力した方や、最後の戦いに助力するがために赴いてきた方含め、このラナ、皇国を代表してここで改めて御礼を申し上げます。邪神教団の卑劣な罠によってわが父、先帝エイダーンは命を落とした。それがきっかけでヘリティアとルーネウスはすべきでない戦争を繰り広げ、数え切れない数の尊い命が亡くなりました。ですがそれも今日限り。こちらにおわすルーネウス国王ロバルト陛下と母君のヒルダ皇妃、そして調停役のエステラ王国の代表たるルヴィア殿下に代わり、このラナがここで正式に宣言します。ヘリティア皇国とルーネウス王国の戦争はここにて終結しました!私達は千年続いてきた親交を取り戻し、エステラ王国とともに再び手を取り合って未来へと進むことになるでしょうっ!」
会場で歓声があがり、ホールの外には終戦を示す三色の花火が放たれる。城下町の皇国民や郊外の兵士達が高らかに女神と巫女の名を称えた。
ラナが再度手を上げ、ホールが再び静まり返る。
「ですが戦いの本番は寧ろこれからですっ。正体を現した邪神教団はいま、その本拠地と思しきパルデモン山脈で着々と邪神の復活の準備を進んでいる。しかし、私達もまた覚醒した神器を携える勇者、三女神様の巫女ら、そして何よりも、同じ高貴な志を抱く諸君らがここに集まっています。来るべき決戦に備え、今宵でどうか再び己の決意を、理念を確認し、互いに手を取り合うべきことをもう一度思い出して欲しいっ!私達はみな三女神様の子ら、善良なるハルフェンの民、邪悪なる邪神の教徒に決して屈しないっ!」
拍手と歓声が再びホールに響き渡り、ファンファーレが鳴ると、楽団が軽快な音楽を流してパーティの開幕を宣告した。ロバルトがラナに声をかける。
「在りし日のエイダーンを思い出させる見事な演説だ、ラナ殿。彼もきっと君を誇りに思っているだろう」
「ありがとうございます、ロバルト様。父上の親友である貴方がそう言ってくれて、とても嬉しく存じます」
ヒルダもまた微笑むと、改めてラナや隣のアイシャ、エリネ、カイ達に頷く。
「さあ、行きなさい。今宵は貴方達が主役ですから」
「ええ。みんな行きましょう」
ラナとアイシャ達がステージから下に降りた途端、さっそく大勢の騎士、諸侯らが踊りに誘うよう彼女達を囲んだ。標的となる筆頭はやはりまずはラナだった。
「ラナ様、どうか私めに貴女と踊る名誉を与えてくれませんか?」
「私からもお願いします。巫女様であるラナ様と踊れることができれば、子々孫々自慢話にすることができますからね」
まだ勇者を選んでおらず、次期皇位継承者として確定している彼女にアプローチをかけようとするものが大勢いるのは当たり前だった。
「皆様ありがとうございます。全員と踊れるとは限りませんので、どうかご容赦くださいね」
場慣れしたようにお世辞をして、ルーネウスの騎士一人に手を差し出すラナ。それを遠目で見たレクスが感心する。
(ヘリティア皇女としてまず戦争相手だったルーネウスの人と踊るのか。さすがラナちゃんだ)
ふと、騎士と踊り始めるラナとレクスの目が合い、二人は互いにくすりと笑った。
(分かってるよラナちゃん、お楽しみはここぞって時でないと、ね)
「アイシャ様、すでに勇者を持つ貴女を誘うのは僭越というものですが、それを承知して踊りを申し込みたいと思います」
「おっと抜け駆けはいけませんことよ。私もアイシャ様に踊りを申し込もうとしたところですから」
たとえ既に勇者を選んだアイシャでも、単に巫女と踊る名誉を求める人や、これからのことを踏まえて先に良い関係を築こうとする諸侯らにすぐ囲まれてしまう。
「ご謙遜を。ダンスはみんなで楽しむものですから、喜んで皆様と踊り致しますよ」
そんな彼らに、アイシャは実に手馴れた感じで対応していく。その様子を観察していたカイはあまり良い感じはしなかったが、同時に感心もしていた。
(アイシャすげぇな…。本気で楽しもうとする人はともかく、妙に嫌な感じする奴にも丁寧に扱うんだから…)
とはいえ、彼にもまたすぐに同じように大勢の女性達が囲んできた。
「勇者様!どうか私を踊り相手として選んでいただけませんかっ?」
「えっ?」
「だってカイ様、勇者様ですけどまだアイシャ様と婚姻を結んだ訳ではないですよねっ?まだアプローチするチャンスありますよねっ?」
「ええっ?」
「まぁっ、顔をこんなに赤くして、カイ様かわいい~っ」
「ええぇっ!?」
大勢の賑やかな貴族女子に囲まれるカイを、レクスやミーナ達は温かい視線で見守った。
「あはは、カイくんったらめっちゃモテモテだね。良く見たら年上のお姉さん達が多そうだし、彼ってそういう子に好かれる体質なのかなあ」
「まあ、女性に慣れる良い機会にはなるな」
一方、ウィルフレッドの視線はずっと、大勢の人達に囲まれてるエリネの方を見た。
「ティア様、私がしっかりエスコートしますので、どうか私とダンスすることを許してくださいますか」
「リードでしたら私の方が余程上手だと自負します。ぜひ私にこそその名誉を与えてください」
「皆様方っ、そう一気に押し寄ってはティア様が困りますっ。少しスペースを――」
護衛としてのシスティが貴族らを押し留める中、エリネは軽く顔をしかめていた。
(うぅ、声が凄くごちゃごちゃしてる…)
本心から踊りの栄誉が欲しい声。腹に一物を抱えてる声。ねっとりと纏わりつくようないやらしい声。セレンティアの会議場ですでに経験したのに、今回はそれ以上の量が波のように押し寄せてきて、彼女は思わず耳を塞ぎたくなる。
(エリー…っ)
「! ちょっとウィルくん」
レクスはエリネを助けようとするウィルフレッドの腕を掴んだ。
「レクス…っ」
「大丈夫、心配ないよ。僕達がちゃんとフォローするって言ったでしょ?」
この時、エリネ達を囲む人達の後ろから穏やかながらも力強い声が響いた。
「みなさま、申し訳ございません。少し道を開けてくれませんか?」
「あっ、ルドヴィグ王子!」
いつもの颯爽とした雰囲気をまとうルドヴィグに、貴族達はすぐ道を開けた。
「ルドヴィグ様…」
困惑してるシスティに、ルドヴィグは爽やかに笑顔を見せると、エリネに一礼した。
「巫女様、よろしければどうか俺を貴方のダンス相手にしていただけますか?」
「あ、私…」
システィと同じぐらい困惑してるエリネに、ルドヴィグが耳打ちする。
「ご心配なく、アイ達から貴女とウィル殿のことをフォローするよう言われてますから」
「アイシャさん達が…」
それを聞いて少しホッとしたエリネは、ルドヴィグの手を取った。
「はい、よろしくお願いします」
「皆様方、申し訳ありませんが俺がさきに巫女様と踊っていただきます。どうかご容赦ください」
「い、いえっ、滅相もないですっ」
「ルドヴィグ様でしたらこちらも意見はございませんよっ」
貴族達はそそくさとその場を離れ、システィもほっとすると、ルドヴィグは丁寧にエリネの手を引いた。
「ラストダンスまでの辛抱ですよ。兄もあとでフォローしますから、今はどうか踊りを楽しんでください」
「はいっ」
エリネが人混みから解放され、一安心するウィルフレッドの背中を叩くレクス。
「ああやってみんなでエリーちゃんと躍れば、悪い虫にたかられる心配はないよ。だから何でも自力で解決しようとしないで。ラナ様も言ったでしょ。僕達をもっと信頼してって」
ふと、一部人達がレクスに向かって歩いてくる。
「おっと、僕にもお客さんが来たようだね。それじゃウィルくん、君には窮屈に感じるかもしれないけど、エリーちゃんのことは任せて、君なりにパーティを楽しんでよ。…食べ物は結構美味しいしさ」
最後にウィンクをして、レクスは貴族達の方に移動した。
「レクスの言うとおりだウィル。明日はパルデモン山脈に向かって進軍が始まる。あのギルバートとの決戦に備えて、今はゆっくり休んでくれ」
「…ああ、そうするよ」
ミーナが頷くと、手にグラスを持ってヒルダ達のところへと向かった。
――――――
何度か楽団の曲が変わり、ホールの人々が踊りと歓談に興じるなか、ウィルフレッドは隅の柱に背を持たせ、その光景を静かに眺めていた。聴覚機能の性能を上げると、実に様々な声が聞こえてくる。ラナ達巫女への率直な賞賛に、どう接近すべきかのたくらみ。平民出身のカイに対する小言に憧れ。そして、自分への囁き。
(あの人が噂の…?)
(ああ、この前もう一人の魔人と戦ってるのを見ました)
(なんか…変な雰囲気をする人ですね…)
(マナを持たない異物だ。変に感じるのもあたりまえさ)
それら言葉を、ウィルフレッドは特に気にしてはいなかった。元の世界で既に慣れたことだから。今の彼にはそれ以上に、目の前の光景に感慨を覚えていた。
(アオト…みんな…)
胸のツバメの首飾りに触れ、ありし日の出来事が思い浮かぶ。
(ちぃっ、なんでアタシがこんなキショイドレスを着ななきゃなんねえんだ)
(そう言いなさんなサラ。今回の任務を遂行するにはパーティへの参加が必要だからな)
(キースの言うとおりだよ。異星人の技術を確保してる噂のある企業から情報を盗むためにも、ここはちょっとだけ我慢してね)
(ははっ、それにしてもアオトのコーデがここまでぴったりとはなぁ。馬子にも衣装とは良くいうじゃねえかサラ)
(てめぇギル!それ以上言うと殺すぞ!)
(無駄にサラを挑発しないでくれギル、あと10分で任務が始まるんだから…)
(あはは、後でサラと一緒に会場に入るのはウィルだもんね。でもそういうウィルのスーツ姿もとても似合ってるよ。普通にやり手の重役に見える)
(いんやあ、どちらかというと恋多きプレイボーイって感じしないかな)
(キース…)
(とにかく、任務が終わったら全員きっちりしばいてやるから覚悟しとけよ!)
五人の談笑の記憶が、ウィルフレッドの胸を熱くし、涙を我慢するように天井を仰いだ。今この場に、この世界に入り込んだのは自分でなくアオト達だったらどうなったのか。サラは毒づきながらも、ここのビールやワインを楽しんでたのだろうか。キースなら案外、ルーネウスで彫刻家として生活していたのかもしれない。アオトは言わずもなが、きっと自分以上にはしゃいでここでの暮らしを満喫していたに違いない。
けど、そうはなってない。アオトもキースもサラももはやこの世にはなく、ここにいる自分もまた残り僅かな寿命しかいない。その事実を改めて認識して、我慢していた涙が一筋流れた。
同じチームの生き残りのギルバートとは、恐らくもう戦いを避けることは望めないだろう。地球にいた時から覚悟はしていたが、それでもこの世界でならひょっとしたらいきなり考えが変わることもあるのではないかと密かな期待を抱いていた。だが未だにギルバートは頑なに考えを曲げない。いや、寧ろそれこそ彼らしいとも言えた。
(キース、サラ、アオト…もうすぐ俺もみんなのところに行く。けどその前に、俺はきっとギルを止めて見せる。アオト、君との約束を守るためにも…)
ツバメの首飾りを強く握りしめて改めて決意するウィルフレッド。この時に限っては、彼の心は地球のあの頃に戻っていた。
――――――
楽団が奏でる穏やで美しい旋律の中で、まだ踊りに慣れてないエリネはルドヴィグのリードの元、一歩一歩とステップを踏んでいく。
「そう。とても上手ですエリーさん」
「ルイ様の指導がうまいからですよ。…わわっ」
「おおっと、気をつけてください」
バランスの崩れそうなエリネを、ルドヴィグは極力体に触れないよう支えて踊るを続けた。その光景を傍から見守るシスティは満足そうだった。
(さすが、最も勇者らしいと評価されてるルドヴィグ王子。実に紳士的です)
唐突に、一つの考えがシスティの頭を過ぎった。だが彼女は頭を振ってそれを振り払った。
(だめだめ、エリー様はそういうの求めてはいないし、既に決心ついてるエリー様に失礼だっ。それに…)
同じくエリネを見ているウィルフレッドを一瞥し、軽く唇を噛み締めた。
だんだんと踊りに慣れてきたエリネに、ルドヴィグは賞賛する。
「うん。これだけ上手ければ、ウィル殿とのラストダンスも問題なくいけますね」
「そ、そうでしょうか…。えへへ、そうだといいなあ…」
照れながら俯いてるエリネの顔はとても幸せそうだった。
「…エリーさんは本当に、ウィル殿のことが好きなんだね」
「えっ」
顔を真っ赤に染めてしまうエリネ。ルドヴィグは自分達をずっと見てるウィルフレッドに笑顔を送ってから続いた。
「異世界からの方が、創世の女神の巫女と恋仲になる…。不思議な縁があるものです。差し支えなければ、エリーさんは彼のどこに惹かれたのか教えてくれるかい?」
「それは…」
話すのが少し恥ずかしく感じながらも、エリネは語った。
「優しいというのは勿論なんですけど、ウィルさんは…声の表情が特別なんです」
「声の表情が特別?」
「私も上手く言えませんけど…私達の世界ではありえない人生を送ってきたあの人の声の表情は、とても悲しいのにとても優しくて…それが凄く綺麗な声に聞こえて…」
(((エリー)))
ウィルフレッドが自分の名を呼ぶ声が頭に浮び、幸福な紅潮がエリネの頬を染める。
「その優しさを私に向けてくれるのが、凄く嬉しいんです。ずっと傍にいたいと思うくらいに…」
幸せの表情を見せるエリネに、ルドヴィグもまたつられて微笑む。
「巫女にここまで思われるとは羨ましい限りですね。そんな彼になりたいと思う人も多そうです」
「…それは、ないと思います」
「え」
「ウィルさん自身も含めて、きっと誰もあの人みたいにはなりたくないと思いますよ」
それはとても複雑そうで、切ない苦笑だった。
「ルドヴィグ様、失礼ですが、そろそろ交代しても構いませんかな?」
二人に声をかけたのはレクスだった。タイミングを計らって割って入ろうとする貴族達が軽く舌打ちする。
「ああ、勿論だ。エリーさん、どうもありがとう。後のウィル殿とのダンスも楽しんでくれ」
「はい、ありがとうございますルイ様」
レクスとともに離れていくエリネを見送るルドヴィグは、既に自分から視線を外したウィルフレッドの方を見た。
(ハルフェンではありえない人生、か…)
ふとルドヴィグは、ウィルフレッドと同じようにエリネを見つめているシスティに気付く。
「失礼、システィ殿、システィ殿?」
「…あわぁっ!?」「うおっ!?」
いきなり呼ばれたシスティがあげる声に驚くルドヴィグ。
「あっ、ル、ルドヴィグ様っ!?すみません!気付いてませんでした…っ」
「ははは、いいさ別に。それよりもシスティ殿、せっかくだから俺と一曲、踊ってくれないかな?」
「え、えぇっ!?私とっ?」
一度周りをきょろきょろと見回しては、改めて自分を指差す。
「……私と、ですかっ?」
信じられないような顔を浮かべるシスティ。
「で、ですが私、エリー様を見守らないと…っ、そ、それに私のようなしがない騎士が、ル、ルドヴィグ王子と踊るだなんてそんな畏れ多いことを…っ」
オーバー気味なシスティの反応に、ルドヴィグは思わず可愛らしいと思ってしまった
「大丈夫。エリーさんはレクス殿やアイがちゃんとフォローするし、壁の花を放置するのは、男性の恥だからね」
「いっ、あっ、いやっ、でも」
「失礼するね」
「いぃっ!?」
ルドヴィグが流麗にシスティの手を引いて、軽やかにステップを踏み出した。システィ本人の思考は半ば停止しているため、リードも意外とすんなりにいけたようだった。
【続く】
皇城のダンスパーティ会場で、レクスの案内でこの世界の社交用正装に着替えたウィルフレッドにミーナが声をかける。着慣れない服のせいか、ウィルフレッドは少し気恥ずかしそうに襟を正した。首につけてる双色蔦のペンダントとツバメの首飾りがチャリリと鳴る。
「そ、そうだろうか。こういうタイプの服は今まで着たこともないから、あまりよく分からないが」
レクスが彼の背中を叩く。
「大丈夫だよウィルくん。ラナ様のご好意で選んだこのヘリティア様式の正装、体格の良い君にはぴったり似合ってると保証するさ」
「そ、そうか…」
「キュッ、キュウ~~」
口を手で隠しながら照れるウィルフレッドの肩で、さきほどルヴィアから手渡されたルルが同意するように鳴いた。
「けど、俺がこのパーティに出場して良いのだろうかミーナ」
ウィルフレッドは、自分に異様な視線を向ける何名かの貴族たちをチラ見する。
「問題ない。お主のことは既に周りに知り渡っておるし、出場しないと却って変な噂がつくものだからな。これから迎える教団との決戦において、そういう不和の火種は避けなければ」
「そうだよ。女神軍結成時のことはウィルくんも覚えてるはずだよ。それに、エリーちゃんが他の人とラストダンスするのは嫌でしょ」
ラストダンスの意味をアイシャ達から教えられたウィルフレッドが力強く頷く。
「…ああ、それだけは嫌だな」
「そういうこと。だから気にしなくていいよ。何かあったら僕達がフォローするからさ」
「ありがとう、レクス、ミーナ。君達には何から何までお世話になって…」
「気にするな。寧ろ我としては、未だにおぬしの体を治せない自分の不甲斐なさに恥を感じるばかりだ…」
ミーナは複雑そうに苦笑し、とんがり帽子のつばを深く被る。
「それこそ気にしないでくれ、俺は――」
この時、入場を告げるためのファンファーレがダンスホールに響いた。
「ぬ、どうやらやっと来たようだな」
ミーナとウィルフレッド達、そして会場にいる全ての人が、ダンスホールの一端、三女神や三位一体のシンボル等が描かれた旗によって華やかに飾られたステージの方に注目した。
すでにステージで立っているロバルト、近衛騎士カレスとルシアが付き添うヒルダ、そしてルヴィア達。彼らの後ろに立つ司会役が高らかに告げる。
「皆様ご静粛に!これより入場するは三国の王女!我ら三女神の使徒たる巫女様達、そしてその勇者様である!まずはアイシャ殿下により勇者として見初められた、輝ける神弓フェリアの使い手、ルーネウスのブラン村のカイ・ジェリオ様のご入場っ!」
ホールに響く拍手の中で、神弓フェリアを背負いながら正装しているカイがルーネウスの騎士達を従って入場した。
(う、うひゃああぁぁ~~~~…っ、すっげぇ…!三国の騎士やロバルト陛下達が一同に集まってら…っ!)
初めての上流階級の舞踏会、そして名門貴族でさえも数年に一度見るかどうか分からないこの盛況に、カイは思わず緊張して歩きがコチコチと固まる。
(い、いや、しっかりしろ俺っ)
神弓を強く握りしめては胸を張るカイ。
(今の俺は勇者カイだ。アイシャと一緒にがんばって、互いに支えていくって決めたんだっ。こんなところで無様晒してちゃ世話ないからなっ)
最初のぎこちない動きはすぐに消え、真っ直ぐロバルト達の前に歩いて立つカイは丁寧に一礼をする。ロバルトは満足そうな眼差しをし、ヒルダとともに返礼する。ミーナが感心そうに頷いた。
「カイの奴、しっかりしている。もう軽々と青二才とは呼べんな…」
「あはは、本当にそうだよね」
拍手をあげるステージ下の諸侯や騎士達に手を振って挨拶するカイは、ウィルフレッド達を見て得意げな笑みを見せる。ウィルフレッドも彼のことを心の底から喜んでいるように笑顔を返した。弟の成長を見るのはこういう気分なのだろうかと、キースのことを思い出してしんみりする彼であった。
「続いて!優美なる勇者ロジェロの血を受け継ぐルーネウス王国の第三王女!美しき月の女神ルミアナ様の使徒たる月の巫女!アイシャ・フェルナンデス・ルーネウス殿下のご入場ーーーっ!」
先ほど以上の沸騰ぶりを会場が見せる中、王女の冠を被り、美しい王家のドレスを纏ったアイシャが、兄のジュリアスのエスコートの下で入場する。
普段からその優雅さをひしひしと感じさせるアイシャだが、今回のためにおめかしした彼女は持ち前の美しさを遺憾なく披露していた。歩く動き一歩一歩が人の目を引くほどの流麗さで、それにあわせて靡く髪と揺れるドレスに、男女問わず誰もが見とれる。美を体現する月の女神ルミアナその人と思わせるほどの姿に、カイは思わず赤面する。
ヒルダ達に一礼をしたあと、アイシャをカイの隣へと連れていくジュリアス。
「中々似合ってますよ、カイくん。残念ながら今回は君とアイの結婚式ではないから、ラストダンスまではどうか我慢して欲しい」
「い゛っ!?」「お兄様…っ!」
ジュリアスのからかいに赤面する二人を、後方で控えてるルドヴィグが苦笑する。
「困った兄さんだ。大人の余裕と言うべきか…」
ファンファーレが再び響き、司会役が再度高らかに告げる。
「そして、慈悲深き勇者ダーナの血を受け継ぐ、エステラ王国の第二王女!夜空に輝く星の女神スティーナ様の使徒たる星の巫女!エリネ・セインテール様こと、ティア・スフィア・エステラ殿下のご入場っ!」
「キュキュッ!キュ!」
興奮するルルを落ち着かせるよう撫でながら、ウィルフレッドは即座に目のズーム機能で入場方向を確認した。美しい星の意匠がなされたドレスで着飾ったエリネがシスティのエスコートとともに入場した。彼女の愛らしさを損なわず、かつ王女らしい高貴さをかもし出すその新しい晴れ姿に、彼の胸が軽く動悸する。
「エリー様、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫システィさん。…その、下にウィルさんはいます?」
システィは下の人混みからすぐにウィルフレッドの姿を確認した。
「はい、ご心配なく、ちゃんとこちらを見ていますよ」
「っ、良かった」
安心するエリネにシスティは安堵し、ウィルフレッドもまたエリネ達が自分の方を見るのを確認して安心する。レクスが軽くウィルフレッドの肩に手を置く。
「エリーちゃんのことは心配しないでウィル。さっき言ったように、ラストダンスまでのフォローは僕達がちゃんとするから」
「…ああ」
まるでクライマックスを迎えるかのように、盛大なファンファーレが三度響いた。レクスが首を長くしてステージを眺める。
「おっ、いよいよだね」
「皆様ご静粛に!最後に!誇り高き勇者ダリウスの血を受け継ぐ、我がヘリティア皇国の第一皇女!女神連合軍の総指揮官にして、あまねく万物を照らす太陽の女神エテルネ様の使徒たる太陽の巫女!ラナ・ヘスティリオス・ヘリティア殿下のご入場であるっ!」
近衛騎士アランのエスコートとともに、輝くばかりのドレス姿でラナが入場した。それはいつもの自信溢れる風格に加え、柔らかな物腰さも感じられる上位者としての風貌だった。万雷の拍手がホールに満ちる。
「うひゃ~~~、ラナ様のホームグラウンドとはいえ、やっぱ凄い人気だなあ」
「ああ。俺の世界でも誰か一人にこれほど熱狂するのは有名歌手のコンサートぐらいだな」
ヒルダとロバルト達に一礼した後、ラナはダンスホールにいる全ての人達に向けて手を上げ、ホールは一瞬にして静まり返った。
「三国の諸侯ならびに騎士たちよ、こたびに帝都の奪還に助力した方や、最後の戦いに助力するがために赴いてきた方含め、このラナ、皇国を代表してここで改めて御礼を申し上げます。邪神教団の卑劣な罠によってわが父、先帝エイダーンは命を落とした。それがきっかけでヘリティアとルーネウスはすべきでない戦争を繰り広げ、数え切れない数の尊い命が亡くなりました。ですがそれも今日限り。こちらにおわすルーネウス国王ロバルト陛下と母君のヒルダ皇妃、そして調停役のエステラ王国の代表たるルヴィア殿下に代わり、このラナがここで正式に宣言します。ヘリティア皇国とルーネウス王国の戦争はここにて終結しました!私達は千年続いてきた親交を取り戻し、エステラ王国とともに再び手を取り合って未来へと進むことになるでしょうっ!」
会場で歓声があがり、ホールの外には終戦を示す三色の花火が放たれる。城下町の皇国民や郊外の兵士達が高らかに女神と巫女の名を称えた。
ラナが再度手を上げ、ホールが再び静まり返る。
「ですが戦いの本番は寧ろこれからですっ。正体を現した邪神教団はいま、その本拠地と思しきパルデモン山脈で着々と邪神の復活の準備を進んでいる。しかし、私達もまた覚醒した神器を携える勇者、三女神様の巫女ら、そして何よりも、同じ高貴な志を抱く諸君らがここに集まっています。来るべき決戦に備え、今宵でどうか再び己の決意を、理念を確認し、互いに手を取り合うべきことをもう一度思い出して欲しいっ!私達はみな三女神様の子ら、善良なるハルフェンの民、邪悪なる邪神の教徒に決して屈しないっ!」
拍手と歓声が再びホールに響き渡り、ファンファーレが鳴ると、楽団が軽快な音楽を流してパーティの開幕を宣告した。ロバルトがラナに声をかける。
「在りし日のエイダーンを思い出させる見事な演説だ、ラナ殿。彼もきっと君を誇りに思っているだろう」
「ありがとうございます、ロバルト様。父上の親友である貴方がそう言ってくれて、とても嬉しく存じます」
ヒルダもまた微笑むと、改めてラナや隣のアイシャ、エリネ、カイ達に頷く。
「さあ、行きなさい。今宵は貴方達が主役ですから」
「ええ。みんな行きましょう」
ラナとアイシャ達がステージから下に降りた途端、さっそく大勢の騎士、諸侯らが踊りに誘うよう彼女達を囲んだ。標的となる筆頭はやはりまずはラナだった。
「ラナ様、どうか私めに貴女と踊る名誉を与えてくれませんか?」
「私からもお願いします。巫女様であるラナ様と踊れることができれば、子々孫々自慢話にすることができますからね」
まだ勇者を選んでおらず、次期皇位継承者として確定している彼女にアプローチをかけようとするものが大勢いるのは当たり前だった。
「皆様ありがとうございます。全員と踊れるとは限りませんので、どうかご容赦くださいね」
場慣れしたようにお世辞をして、ルーネウスの騎士一人に手を差し出すラナ。それを遠目で見たレクスが感心する。
(ヘリティア皇女としてまず戦争相手だったルーネウスの人と踊るのか。さすがラナちゃんだ)
ふと、騎士と踊り始めるラナとレクスの目が合い、二人は互いにくすりと笑った。
(分かってるよラナちゃん、お楽しみはここぞって時でないと、ね)
「アイシャ様、すでに勇者を持つ貴女を誘うのは僭越というものですが、それを承知して踊りを申し込みたいと思います」
「おっと抜け駆けはいけませんことよ。私もアイシャ様に踊りを申し込もうとしたところですから」
たとえ既に勇者を選んだアイシャでも、単に巫女と踊る名誉を求める人や、これからのことを踏まえて先に良い関係を築こうとする諸侯らにすぐ囲まれてしまう。
「ご謙遜を。ダンスはみんなで楽しむものですから、喜んで皆様と踊り致しますよ」
そんな彼らに、アイシャは実に手馴れた感じで対応していく。その様子を観察していたカイはあまり良い感じはしなかったが、同時に感心もしていた。
(アイシャすげぇな…。本気で楽しもうとする人はともかく、妙に嫌な感じする奴にも丁寧に扱うんだから…)
とはいえ、彼にもまたすぐに同じように大勢の女性達が囲んできた。
「勇者様!どうか私を踊り相手として選んでいただけませんかっ?」
「えっ?」
「だってカイ様、勇者様ですけどまだアイシャ様と婚姻を結んだ訳ではないですよねっ?まだアプローチするチャンスありますよねっ?」
「ええっ?」
「まぁっ、顔をこんなに赤くして、カイ様かわいい~っ」
「ええぇっ!?」
大勢の賑やかな貴族女子に囲まれるカイを、レクスやミーナ達は温かい視線で見守った。
「あはは、カイくんったらめっちゃモテモテだね。良く見たら年上のお姉さん達が多そうだし、彼ってそういう子に好かれる体質なのかなあ」
「まあ、女性に慣れる良い機会にはなるな」
一方、ウィルフレッドの視線はずっと、大勢の人達に囲まれてるエリネの方を見た。
「ティア様、私がしっかりエスコートしますので、どうか私とダンスすることを許してくださいますか」
「リードでしたら私の方が余程上手だと自負します。ぜひ私にこそその名誉を与えてください」
「皆様方っ、そう一気に押し寄ってはティア様が困りますっ。少しスペースを――」
護衛としてのシスティが貴族らを押し留める中、エリネは軽く顔をしかめていた。
(うぅ、声が凄くごちゃごちゃしてる…)
本心から踊りの栄誉が欲しい声。腹に一物を抱えてる声。ねっとりと纏わりつくようないやらしい声。セレンティアの会議場ですでに経験したのに、今回はそれ以上の量が波のように押し寄せてきて、彼女は思わず耳を塞ぎたくなる。
(エリー…っ)
「! ちょっとウィルくん」
レクスはエリネを助けようとするウィルフレッドの腕を掴んだ。
「レクス…っ」
「大丈夫、心配ないよ。僕達がちゃんとフォローするって言ったでしょ?」
この時、エリネ達を囲む人達の後ろから穏やかながらも力強い声が響いた。
「みなさま、申し訳ございません。少し道を開けてくれませんか?」
「あっ、ルドヴィグ王子!」
いつもの颯爽とした雰囲気をまとうルドヴィグに、貴族達はすぐ道を開けた。
「ルドヴィグ様…」
困惑してるシスティに、ルドヴィグは爽やかに笑顔を見せると、エリネに一礼した。
「巫女様、よろしければどうか俺を貴方のダンス相手にしていただけますか?」
「あ、私…」
システィと同じぐらい困惑してるエリネに、ルドヴィグが耳打ちする。
「ご心配なく、アイ達から貴女とウィル殿のことをフォローするよう言われてますから」
「アイシャさん達が…」
それを聞いて少しホッとしたエリネは、ルドヴィグの手を取った。
「はい、よろしくお願いします」
「皆様方、申し訳ありませんが俺がさきに巫女様と踊っていただきます。どうかご容赦ください」
「い、いえっ、滅相もないですっ」
「ルドヴィグ様でしたらこちらも意見はございませんよっ」
貴族達はそそくさとその場を離れ、システィもほっとすると、ルドヴィグは丁寧にエリネの手を引いた。
「ラストダンスまでの辛抱ですよ。兄もあとでフォローしますから、今はどうか踊りを楽しんでください」
「はいっ」
エリネが人混みから解放され、一安心するウィルフレッドの背中を叩くレクス。
「ああやってみんなでエリーちゃんと躍れば、悪い虫にたかられる心配はないよ。だから何でも自力で解決しようとしないで。ラナ様も言ったでしょ。僕達をもっと信頼してって」
ふと、一部人達がレクスに向かって歩いてくる。
「おっと、僕にもお客さんが来たようだね。それじゃウィルくん、君には窮屈に感じるかもしれないけど、エリーちゃんのことは任せて、君なりにパーティを楽しんでよ。…食べ物は結構美味しいしさ」
最後にウィンクをして、レクスは貴族達の方に移動した。
「レクスの言うとおりだウィル。明日はパルデモン山脈に向かって進軍が始まる。あのギルバートとの決戦に備えて、今はゆっくり休んでくれ」
「…ああ、そうするよ」
ミーナが頷くと、手にグラスを持ってヒルダ達のところへと向かった。
――――――
何度か楽団の曲が変わり、ホールの人々が踊りと歓談に興じるなか、ウィルフレッドは隅の柱に背を持たせ、その光景を静かに眺めていた。聴覚機能の性能を上げると、実に様々な声が聞こえてくる。ラナ達巫女への率直な賞賛に、どう接近すべきかのたくらみ。平民出身のカイに対する小言に憧れ。そして、自分への囁き。
(あの人が噂の…?)
(ああ、この前もう一人の魔人と戦ってるのを見ました)
(なんか…変な雰囲気をする人ですね…)
(マナを持たない異物だ。変に感じるのもあたりまえさ)
それら言葉を、ウィルフレッドは特に気にしてはいなかった。元の世界で既に慣れたことだから。今の彼にはそれ以上に、目の前の光景に感慨を覚えていた。
(アオト…みんな…)
胸のツバメの首飾りに触れ、ありし日の出来事が思い浮かぶ。
(ちぃっ、なんでアタシがこんなキショイドレスを着ななきゃなんねえんだ)
(そう言いなさんなサラ。今回の任務を遂行するにはパーティへの参加が必要だからな)
(キースの言うとおりだよ。異星人の技術を確保してる噂のある企業から情報を盗むためにも、ここはちょっとだけ我慢してね)
(ははっ、それにしてもアオトのコーデがここまでぴったりとはなぁ。馬子にも衣装とは良くいうじゃねえかサラ)
(てめぇギル!それ以上言うと殺すぞ!)
(無駄にサラを挑発しないでくれギル、あと10分で任務が始まるんだから…)
(あはは、後でサラと一緒に会場に入るのはウィルだもんね。でもそういうウィルのスーツ姿もとても似合ってるよ。普通にやり手の重役に見える)
(いんやあ、どちらかというと恋多きプレイボーイって感じしないかな)
(キース…)
(とにかく、任務が終わったら全員きっちりしばいてやるから覚悟しとけよ!)
五人の談笑の記憶が、ウィルフレッドの胸を熱くし、涙を我慢するように天井を仰いだ。今この場に、この世界に入り込んだのは自分でなくアオト達だったらどうなったのか。サラは毒づきながらも、ここのビールやワインを楽しんでたのだろうか。キースなら案外、ルーネウスで彫刻家として生活していたのかもしれない。アオトは言わずもなが、きっと自分以上にはしゃいでここでの暮らしを満喫していたに違いない。
けど、そうはなってない。アオトもキースもサラももはやこの世にはなく、ここにいる自分もまた残り僅かな寿命しかいない。その事実を改めて認識して、我慢していた涙が一筋流れた。
同じチームの生き残りのギルバートとは、恐らくもう戦いを避けることは望めないだろう。地球にいた時から覚悟はしていたが、それでもこの世界でならひょっとしたらいきなり考えが変わることもあるのではないかと密かな期待を抱いていた。だが未だにギルバートは頑なに考えを曲げない。いや、寧ろそれこそ彼らしいとも言えた。
(キース、サラ、アオト…もうすぐ俺もみんなのところに行く。けどその前に、俺はきっとギルを止めて見せる。アオト、君との約束を守るためにも…)
ツバメの首飾りを強く握りしめて改めて決意するウィルフレッド。この時に限っては、彼の心は地球のあの頃に戻っていた。
――――――
楽団が奏でる穏やで美しい旋律の中で、まだ踊りに慣れてないエリネはルドヴィグのリードの元、一歩一歩とステップを踏んでいく。
「そう。とても上手ですエリーさん」
「ルイ様の指導がうまいからですよ。…わわっ」
「おおっと、気をつけてください」
バランスの崩れそうなエリネを、ルドヴィグは極力体に触れないよう支えて踊るを続けた。その光景を傍から見守るシスティは満足そうだった。
(さすが、最も勇者らしいと評価されてるルドヴィグ王子。実に紳士的です)
唐突に、一つの考えがシスティの頭を過ぎった。だが彼女は頭を振ってそれを振り払った。
(だめだめ、エリー様はそういうの求めてはいないし、既に決心ついてるエリー様に失礼だっ。それに…)
同じくエリネを見ているウィルフレッドを一瞥し、軽く唇を噛み締めた。
だんだんと踊りに慣れてきたエリネに、ルドヴィグは賞賛する。
「うん。これだけ上手ければ、ウィル殿とのラストダンスも問題なくいけますね」
「そ、そうでしょうか…。えへへ、そうだといいなあ…」
照れながら俯いてるエリネの顔はとても幸せそうだった。
「…エリーさんは本当に、ウィル殿のことが好きなんだね」
「えっ」
顔を真っ赤に染めてしまうエリネ。ルドヴィグは自分達をずっと見てるウィルフレッドに笑顔を送ってから続いた。
「異世界からの方が、創世の女神の巫女と恋仲になる…。不思議な縁があるものです。差し支えなければ、エリーさんは彼のどこに惹かれたのか教えてくれるかい?」
「それは…」
話すのが少し恥ずかしく感じながらも、エリネは語った。
「優しいというのは勿論なんですけど、ウィルさんは…声の表情が特別なんです」
「声の表情が特別?」
「私も上手く言えませんけど…私達の世界ではありえない人生を送ってきたあの人の声の表情は、とても悲しいのにとても優しくて…それが凄く綺麗な声に聞こえて…」
(((エリー)))
ウィルフレッドが自分の名を呼ぶ声が頭に浮び、幸福な紅潮がエリネの頬を染める。
「その優しさを私に向けてくれるのが、凄く嬉しいんです。ずっと傍にいたいと思うくらいに…」
幸せの表情を見せるエリネに、ルドヴィグもまたつられて微笑む。
「巫女にここまで思われるとは羨ましい限りですね。そんな彼になりたいと思う人も多そうです」
「…それは、ないと思います」
「え」
「ウィルさん自身も含めて、きっと誰もあの人みたいにはなりたくないと思いますよ」
それはとても複雑そうで、切ない苦笑だった。
「ルドヴィグ様、失礼ですが、そろそろ交代しても構いませんかな?」
二人に声をかけたのはレクスだった。タイミングを計らって割って入ろうとする貴族達が軽く舌打ちする。
「ああ、勿論だ。エリーさん、どうもありがとう。後のウィル殿とのダンスも楽しんでくれ」
「はい、ありがとうございますルイ様」
レクスとともに離れていくエリネを見送るルドヴィグは、既に自分から視線を外したウィルフレッドの方を見た。
(ハルフェンではありえない人生、か…)
ふとルドヴィグは、ウィルフレッドと同じようにエリネを見つめているシスティに気付く。
「失礼、システィ殿、システィ殿?」
「…あわぁっ!?」「うおっ!?」
いきなり呼ばれたシスティがあげる声に驚くルドヴィグ。
「あっ、ル、ルドヴィグ様っ!?すみません!気付いてませんでした…っ」
「ははは、いいさ別に。それよりもシスティ殿、せっかくだから俺と一曲、踊ってくれないかな?」
「え、えぇっ!?私とっ?」
一度周りをきょろきょろと見回しては、改めて自分を指差す。
「……私と、ですかっ?」
信じられないような顔を浮かべるシスティ。
「で、ですが私、エリー様を見守らないと…っ、そ、それに私のようなしがない騎士が、ル、ルドヴィグ王子と踊るだなんてそんな畏れ多いことを…っ」
オーバー気味なシスティの反応に、ルドヴィグは思わず可愛らしいと思ってしまった
「大丈夫。エリーさんはレクス殿やアイがちゃんとフォローするし、壁の花を放置するのは、男性の恥だからね」
「いっ、あっ、いやっ、でも」
「失礼するね」
「いぃっ!?」
ルドヴィグが流麗にシスティの手を引いて、軽やかにステップを踏み出した。システィ本人の思考は半ば停止しているため、リードも意外とすんなりにいけたようだった。
【続く】
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