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第十四章 逆三角

逆三角 第二節

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他の森よりも深く木々が茂り、古く巨大な樹木が物言えぬ神秘的な雰囲気を醸し出す古い森。三国の国境から離れ、深い森のわりに見通しの良いその森の中を、マティは馬を走らせていた。騎乗技術がよいのか、馬がよいのか、大樹の根が生え茂る森でも、マティは悠々と馬と共に進んでいく。

(懐かしいものです。ここに戻るのはいつぶりでしょうか)

育ちの土地に懐かしむマティは、かつてレクスの父ロムネスとの出会いを想起し、彼の身を案じた。
(ラナ様やウィル殿もいるのに、やはりつい心配してしまいますね…)
心の中で苦笑すると、何かを鋭く感じたマティは手綱を引き、馬が嘶きながら停止した。馬から下りたマティは手を地面にあて、尖った耳をすませた。

(…数匹の馬が森の中を走ってる?まさかエル族の同胞たち?いや、走り方が乱暴すぎる、これは…)
マティは急いで近くの木々に馬の手綱を締めると、音の方向に向かって駆け出した。

身を隠せる茂みの中に隠れ、マティは音の方向に集中する。
(この音…、三匹、いや、四匹か。相当急いでいるようですが…)
しばらくして、遠くから接近してくる四匹の黒馬と、それに乗っている黒装束の人達が見えた。不気味な赤い独眼の頭巾を被り、黒装束には踊る悪魔のシンボルがあった。

(邪神教団っ?まさか、パルデモンの本拠地に帰ろうとしてる?)
さらに注意深く観察すると、四名のうち一人が何らかの包みを背負っており、もう一匹の馬には、気を失っている女性一人が縛られていた。
(あの方、彼らにさらわれて…?)

教団兵が段々と近づくなか、マティは茂みの中で剣に手を置いた。
(…このまま彼らの後を追って本拠地まで案内してもいいのですが、攫われた方がいるのなら話は別ですね)
どのように彼女を助けようと逡巡するその時、四名の教団兵はいきなり馬を止まらせた。

(! まずい、気付かれたっ…?)
教団兵らは何かを警戒するようにそれぞれ武器を抜き出しては周りを警戒する。
(…? 私の位置をつかめていないのでしょうか…。―――いえ、これはっ)

ピイィィィィィッ

独特な口笛と共に周りの木陰から次々と矢が放たれる。縛られた女性なぞお構いなしに、四名の教団兵に向けて。
「シィッ!」「――黒瘴壁ネクリムルス
武器と魔法で矢の雨を全て防ぐと、樹木の上と茂みから次々と奇妙な民族装束を着たエルフ達が次々と現れ、教団兵を囲んだ。

「災厄の黒衣をまとう不浄なるもの達よ。ここがわがエル族の聖なる森だと知った上でその薄汚い足を踏み入れたのか?」
リーダー格の一人のエルフの青年が、落ち着きながらも強い敵意をはらんだ声で教団兵を問い質した。マティはその青年を見て心の中で声をあげる。
(テムシー…っ)

教団兵は意も介さずに互いにヒソヒソと話し合うと、包みをもった教団兵は一気に馬を走らせ、包囲網を突破しようとした。
「行かさない!」
テムシーが手をあげると、エル族の戦士達が次々と矢を放ち、槍を構えてはそれを阻止しようとした。だが。

「シャッ!」「――黒炎喰ネクリフィム!」
残り三名の放つ毒針にナイフ、魔法が矢を打ち落として戦士達の行く手を阻む。突進した教団兵も何かの包みを前へと投げ出すと、視界を遮る黒い霧が彼の周りを包み、それに巻き込まれた戦士数名が苦しみ出す。
「うあ!げほげほ!」
「ぬうっ!冒涜の力を我らの森に持ち込んでおって!」

戦士達の包囲を突破し、黒い霧から馬ごと飛び出て走り去ろうとする教団兵に、マティは離れた茂の中から飛び出しては小さな何かを彼に目がけて投げ出した。
「ふんっ!」
投げ出されたそれは見事教団兵の背中の包みに命中し、彼はそれに気付かないまま走り去っていった。

一方、馬上からおりた三名の教団兵相手とエル族の戦士達は思いのほか拮抗していた。緻密な連係、熟練した身のこなしと悪辣な毒武器や魔法は、たとえ人数が劣っていても容易に倒せる相手ではない。
「はあっ!」
テムシーの斧の一撃を教団兵はひらりとかわし、仕返しに毒仕込みのナイフが投げつけられる。
「あまい!」

大きな斧を軽々と振り回してはそれらを全て打ち落とす。だがそれはブラフだった。テムシーの注意が逸らされてるうちに、もう一人の教団兵が木々の影を伝わり、彼の死角をついてすぐ横へと移動していた。
「ぬっ!?」
「シャッ!」

テムシーが斧を構えなおすよりも早く、教団兵の毒入りカタールが突き出される。
「テムシー!」
それよりもさらに凌駕する速さで、マティの剣の一撃が教団兵を横から切り倒した。
「ぎゃっ!」
「マティ…!?」

残り二名となっては、さすがの教団兵もエル族の戦士には叶わないようだ。
「がはっ!」
エル族の矢に撃たれて倒れ、残り一人となった教団兵は戦士達に囲まれる。
「観念しろ不浄なるものよ、大人しく降伏して制裁を―――」
戦士達の勧告の終わりも待たずに、教団兵は服の下にある仕掛けを作動した。
「ハァァッッ!」

ズドンと教団兵が爆散し、爆風と共に黒い霧が一面に広がっていく。
「うあ!」「けほけほ!」
先ほどのように霧に触れた戦士達が急激に苦しみ出す。彼らは急いで霧から離れては、懐から薬草を取り出して体を癒す。

「―――風よ」
テムシーが放つ魔法の風が黒い霧を吹き払っていった。
「災厄め、仲間を逃がす時間稼ぎのつもりか」
逃げた教団兵を追うのは無理だと悟ったテムシーは、縛られた女性を乗せた馬を落ち着かせようとするマティの方に顔を向けた。マティもまた彼を見つめ返す。

「久しぶりですねテムシー。息災で何よりです」
「…何しに戻ってきた、マティ。君はすでに一族から追放された身、もうここに戻ることは許されないのを忘れたか」
テムシーの口調に敵意はないものの、マティを歓迎するようなものでもなかった。

「戻った訳ではありません。ここから先のパンデモン山脈に用があるだけです」
「あの魔の山に?」
「この森を通るのが、あそこへの一番の近道ですから」
暫くマティ達は黙したまま互いを見つめた。

「やはり君は『変わり者のマティ』だな。どんな用で災厄が堕ちたあの地に行こうとする?まさか先ほどの不浄の者達の仲間になったと?」
「その逆ですよ。そこに彼らの、邪神教団の本拠地があると睨んで、これから調査しに行くんです。…彼らを災厄と言うには、その正体を知っているのですねテムシー」

テムシーは無表情のまま答える。
「奴らは結構前から山の向こうから出入りし始めた。以前は森を避けるようにしていたが、最近になって我らの森をよく横切るようになって、正直迷惑になっている」
(それはつまり、何かを急いでいる…?)

「その割には、そちらから何か行動をしているようには見えませんね?」
「当然だ。我々は外界に一切関与せず、ただ静かに自然とともにある。その掟さえも忘れたか」
「忘れる訳ないでしょう。けど邪神教団の目的は邪神の復活です。エル族も無関係な話ではないと思いますが」
「自然の、運命の赴くままに生きる。ただそれだけだ」
「相変わらずの石頭ですね。昔から何も変わってはいない」

「う、うぅ…」
馬上の女性が呻き声をあげてはゆっくりと目を開いた。
「目が覚めましたか?」
「う、あ…ここは…私は…きゃあっ!」
目覚めるなりに黒馬がさらに暴れる。マティは果断と女性を馬上から引き摺り下ろすと、黒馬は嘶いては走り去った。

「ちょっ、どうなってるのですかこれはっ…あ…っ」
強烈な痺れに襲われた女性は悶えた。
「じっとしてください。…どうやら薬を飲まされたようですね」
目がまわる女性を抱え、手を彼女の顔の前にかざして容態を確認するマティ。

「マティ、そのよそ者を渡せ。森に踏み入った罰として制裁する」
「な、なに…」
女性が困惑する中、マティが長い溜息をつく。
「本気で言ってるのですかテムシー。彼女はさらわれただけで、不本意で入ってきただけなんですよ?」
「関係ない。掟はそうなっているのだから」

マティの顔が軽くしかめた。
「いまだに口が開けば掟ばっかり…今になっても自分で物事を考えることができないのですか」
テムシーとマティをおろおろとした視線で交互に見る女性を床に下ろし、マティは腰の剣に手を置いた。

「貴方がたが森に引き篭もるのなら勝手にしてください。ですがもし彼女に手を出すというのなら、その前に私が相手します」
周りの戦士達が武器をマティに向ける。
「相変わらず、掟に背く変わり者だな」
「頑なに変わろうとしない貴方と同じようにね」
テムシーとマティは暫く睨み合った。

「………里へ戻るぞ。負傷者を手伝え」
「テムシー、それでは掟が…」
「『命の貸し借りは決して残すな』。それもまた掟。さっきマティは俺を助けた。それを返すのなら長老達も文句は言わないだろう」
その言葉に戦士達はやがて次々と武器を下ろし、負傷者達を運んでいく。

「二度とここに戻るな、マティ。次は容赦しない」
「肝に銘じておきます、テムシー。…お元気で」
振り返りもせずに、テムシーは他の人達と共に森の奥へと消えていった。
マティと、未だに状況を飲み込めない女性を残して。


******


マティの馬が繋がれた大樹に背を持たせ、マティから受け取った薬草汁を飲み干した女性は徐々に身体の痺れが消え、体力と意識も回復していく。
「もう大丈夫のようですね。完全回復するには時間が要りますから、無理は禁物ですよ」
「はい、ありがとうございます…。すみませんが、さっきのは一体…」

少し苦笑するマティ。
「なんでもありませんよ。貴方が気に悩むことではありません。それよりもその服の意匠…もしかしたらヘリティアの方ですか?」
まだ少し意識が朦朧としてる女性が答える
「ええ。そういう貴方はルーネウスの?しかもエルフの…」
「そうです。不躾で申し訳ありませんが、貴方はなぜ邪神教団にさらわれてたのですか?」
「邪神…教団…?…………あっ!!!」

何か重要なことを思い出したように彼女は眼を見開く。
「そうだわ、教団…!私をさらってた教団の人達は!?」
「ご安心を、一人逃げましたが、残りの人達はみな倒されました」
「包みはっ?彼らは何か包みを持ってましたかっ!?」
「包み?そういえば確かに、逃げた人の背中にそれらしきものが――」
「なんてこと…っ!早く、早く追わないと…っ、うぅっ!」

無理やり立ち上がるも、足がふらついて倒れそうになる女性をマティが慌てて支えた。
「大丈夫ですか?ですからまだ無理は――」
「そうは言ってられないのです!はやく、早くあの包みを取り戻さないと、取り返しのつかないことに…っ!」
(取り返しのつかないこと…?)

「申し訳ないのですが、貴方の馬を貸してくださいっ、後で必ず――」
「どうか落ち着いてください。私も彼らを追ってるのですから、一緒に行きますよ。それよりも一体何を奪われたのですか?」
「そ、それは……」
都合が悪いのだろうか、女性が答えるのに難色を示しているを見ると、マティは馬の手綱を木からほどき、そのまま乗りかかった。

「とにかく彼を追いながら話しましょう。どうか手を」
「は、はい」
マティの手を取って後ろに乗ると、彼は軽く口笛を吹き、森の中にキラキラと輝く光の軌跡が現れた。

「これは…っ?」
「コダマ鳥の羽から作った追跡用の霊粉で、さきほど教団の人に着けたものです。どうかしっかり掴まってください。ハイッ!」
マティが手綱を振るうと馬が走り出す。さっきのように木々の茂る森の中を悠々と抜けていきながら。

「すっ、すごい…っ!この馬、どこかの霊馬ですかっ?」
「どこにでもある良い子ですよ。ちょっと精霊の言葉で内なる力を少し呼び覚ましただけです」
エルフの業がよほど珍しいのか、女性は驚嘆するように目を見開いていた。
「これも何かのご縁、もしよろしければ、貴方のお名前をお聞きしても?」
「…えっ、あ、そうですね…。私はクラリス、クラリス・ハウゼンと申します」

馬が急停止した。
「きゃあっ!ちょっと、どうしたのですかいきなりっ?」
マティが驚きの顔でクラリスを振り返った。
「クラリス…っ?もしや、アラン殿のご息女のクラリス殿っ?」
「えっ…、貴方、どうして父のことを…」

ガルシアの館での話がマティの頭の中を過ぎった。
「では、奪われた包みというのは、まさか聖剣ヘリオス…っ」
「なっ、聖剣まで知って…貴方いったいってきゃ!」

マティが再び馬を走らせた、先ほど以上の速度で。
「これは確かに、取り返しのつかないことになりますね…っ」


******


「おぉ…これは…っ」
この旅でもはや聞き慣れたウィルフレッドの驚嘆の声があがった。エステラ王国へとついに足を踏み入れた連合軍が最初に到達した町、フィロースの不思議な光景を見たからだ。

爽やかに茂った森の中で建てられた町の建物は、さながら周りの自然と調和するように建てられていた。木材で作られた木屋は、まるでいまだに成長しているように瑞々しい新緑の芽を出しており、石造りの家も色鮮やかな花々が蔦を伸ばしては香ばしい匂いを振り撒いている。歩道など至るところに施された模様や意匠もヘリティア、ルーネウスとは一線を画し、森自体と不思議な調和感を出していた。

「凄ぇ…なんていうか、森がそのまんま町になってる感じがする…」
初めてエステラに足を踏み入るカイも実に周りの景色を面白そうに見回す。ルーネウスなどとはまったく異なる方向性の服装を着た町の人々は、人間だけでなくドワーフやエルフの姿も良く見られた。

町の外で町長との挨拶を終えて中へと踏み入れたカイやラナ達に、町の人達が親切に穏やかな声で挨拶する。
「フィロースへようこそ、巫女様。道中大変疲れたのでしょう。休みを邪魔する野暮なことはしませんから、どうかゆっくりしていってくださいね」
「朝露亭でしたらここから真っ直ぐで行けますよ。道中に美味しい焼きパンを売ってる店もありますから、おやつとして買っておくのをおすすめします」

見知らぬ人に親切に声をかける人々。町なのに人を恐れずに囀る鳥達に、自然と一体化したかのような町の風貌。ハルフェンに来て随分と立つが、ウィルフレッドは今まで以上にメルヘンチックなおとぎ話に入り込んだ気分になった。

レクスが気持ちよく背を伸ばした。
「んっ、ん~~~ほんと、相変わらずエステラ王国の町は中を歩くだけでも気持ちいよね~」
ウィルフレッドの隣で歩いてるエリネも、肩のルルを撫でながらとても楽しそうに周りに耳を傾ける。
「はいっ。エステラは初めてですけど、全体の雰囲気がとても落ち着いているし、町のみなさんも穏やかに親切で、とても心地良く感じられますっ」
アイシャも頷く。
「エステラの地元の町は初めてですけど、王都セレンティアよりものどかで素敵な雰囲気がしますね」

先頭でラナと一緒に歩くミーナが頷く。
「うむ。前にも言ったように、エステラ王国は建国の祖カーナの生まれである、エルフのゼフ族の影響を大きく受けてるからな。調和を重視する思想のもと、その建物などの文化は非常にエルフ寄りだ」

ウィルフレッドは自分に笑顔で小さく会釈する町のエルフに少し照れながら頷き返す。
「他の町と比べてみな落ち着いているのも、そういう思想の賜物ってことか。それになんとなく他のところよりもエルフやドワーフが多い気がするが、これもその影響によるものか?」

ラナが代わりに答えた。
「ええ。開祖がエルフということもあるし、ドワーフとエルフは人間以上に自然に居たがる傾向が強いから、自然との調和を重視するエステラ王国は彼らにとっても住みやすいのよ。もちろん、マティやドーネみたいな、完全に人間ヒューマ社会に溶け込んだ人達もいるけどね」

やがて今日の宿、朝露亭に到着したウィルフレッド達は、ビャクヤホタル入りのシャンデリアや、ステンドグラス並みに色鮮やかな窓にも賞賛の声をあげていた。宿の主人と宿泊の確認を済ませたラナ達がロビーに集まった。

「それじゃ今朝で打ち合わせした通り、夕食までは自由時間になるわ。ここから出たら町への駐屯なしに王都まで一直線だから、今回が最後にのんびりできる時間になると思う。しっかりと休んでいきなさい」
「りょ~かいっ」

この時、エリネを除いた全員がウィルフレッドに相槌を打ち、彼は少し落ち着かずに彼らとエリネを交互に見る。レクスやアイシャ達が力強く頷きながら親指を立てるのを見ると、腹をくくっては自分の隣にに立っているエリネに声をかけた。

「そ…その…エリー…」
「? ウィル、さん?」
エリネが少しどきっと胸が高鳴った。彼の声の表情に、緊張さとなんともいえない熱が篭っていたから。

「その…」
いったんゴクリと唾を飲んでから、彼は震えた声で言い出した。
「よければ…いっ、一緒に…町を回って…で、ででっ…デート、しない、か?」


【続く】

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