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第十三章 ウィルフレッド
ウィルフレッド 第七節
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ギルバートを隊長としたクァッドフォース社での日々が暫く続いた。企業からの暴動鎮圧への協力要請、シティ間戦争への支援…。企業傭兵なだけに、仕事は殆ど戦闘から離れない。その内容はただ棒立ちするだけで済める簡単なものから、生死の瀬戸際に何度も立たせられるハードなものまで様々だが、より裏世界へと深く踏み入る仕事をこなすことになったのは、あの日からだった。
「全員、集まったようだね」
クァッドフォース本社にある重鎮用の会議室に、俺やアオトは訳も分からず呼ばれた。ギルバートも一緒だが、彼の表情は俺達と違ってどこか楽しそうに見えた。
「ウィルフレッド。そしてアオト・カンナギ。君達の今までのデータにぜんぶ目を通してもらった。…少し、気になるところもいくつあるが、中々良い成果を出してる」
全身黒ずくめのスーツとサングラスをつけた男は、手元の端末から投射されるホログラムの数々に目を通す。ギルバートの元である程度培った直感が、目の前の男がただの社員でないことを告げている。
「話を続く前に一つ告げておこう。これから話す内容は口外無用だし、君達に拒否権は無い。契約をした時から、その命は我々のものになってるのを忘れるな」
アオトが緊張で唾を飲んだ。
「とはいえ、内容自体はそう悪いものではない。…ウィルフレッド。アオト・カンナギ。君達二名はこれから、クァッドフォース社の社員でなく、『組織』のエージェントとして引き続きギルバートの元で働いてもらう」
「『組織』…ですか?」
その言葉を復唱する俺の傍でギルバートが意味ありげに笑う。スーツの男はサングラスを押し上げ、続いた。
「そうだ。正式名称はない、ただの『組織』。元々このクァッドフォース社は『組織』に属する数多くの会社の一つで、資金ソースとしては勿論、人員育成など様々な役割を担っている。今までの成果を見て、『組織』の『上層部』は、君達二人はエージェントに足り得る素質を持ってると判断した。…そこのギルバートの推薦もあって、な」
俺とアオトは得意げな顔のギルバートを見て、すぐに理解した。彼は元から、この『組織』の一員なのだと。
「一度『組織』に入れば、指紋も含め今度こそ君達は完全に表社会から消えることになる。以前以上に制約も厳しくなるが、その分見返りも大きい。最先端の装備、成果と地位に応じた福利厚生。評価がよければ、個人からの要求もある程度受けいれられる。…ミハイルが君達を招いた時の対応がその最もたる例だな。『組織』は、古臭い抑制ばかりの管理を良しとはしない」
ミハイルがジェーンを助けた時のことを思い出す。
「後で専用の生体チップに取り替えるなど、正式加入の手続きがたくさんある。三十分後、ギルバートと一緒に屋上のヘリポートで待機するように。以上だ」
男が部屋から出ても、俺とアオトは依然として状況が飲み込めずにいた。
「ギルバート隊長…あなた、元からその『組織』の一員だったのですか…?」
「ああ、そういうことだアオト。…はははっ、二人共なにおかしな顔をしやがるっ」
「そ、その…『組織』というのは、具体的にどのようなもので…?」
「簡単に言えば、社会の裏側で真に世界を動かすところだ、ウィル」
「世界を…動かす…」
「実際に入ってみりゃ分かるさ。とにかくっ、これで二人とも晴れて昇進だっ。早く仕度をしてこい!これからはますます忙しくなるからな!」
「「は、はいっ!」」
こうして俺とアオトは本格的に『組織』の一員となった。そこがただの水面下で提携する企業連合とは違って、正真正銘の大きな秘密結社なのはすぐに分かった。
生体チップの取替えやエージェントとして必要な生体部品などの新調は、三大シティを除いて今の地球でもっとも繁栄しているシティの一つ、サイファーシティで行われた。かつて北米と呼ばれた大陸で建てられたこのシティは、旧時代の遺物が最も多く埋蔵されているため、この大陸における経済や探索活動などの中心となっている。そのシティ最大最高の摩天楼、エンパイアタワーの地下に『組織』の施設の一つがある。
初めてそこに到着した俺とアオトは、最初にシティから出た時のように目を輝かせていた。タワーがいる繁華街のお洒落な雰囲気は勿論、洗練されたタワーのデザインや、地下施設に随所配備されたこの時代最先端の技術と設備の数々に俺達はただ舌を巻くばかりで、同施設に分配された俺やアオトの私室も、クァッドフォース社時代のワンルームの私室よりも広く綺麗なものとなっていた。アオトが童話を集め始めたのもその頃だったな。
最初の任務に装備を当てられた時も、驚嘆する声は止まらなかった。
「うそっ、ウィル見てっ。これ、人工筋肉入りの最先端プロテクトスーツだよ!?それにこのスナイパーライフルっ、ミカヅキ社製の最高傑作MC-010SRっ!あとこのサポート端末っ、処理速度も今までのとは大違いだよ!」
だが当然、その分だけに『組織』のエージェントとしての仕事は今まで以上に多様に複雑で、危険だった。前の会社のような戦闘任務は勿論で、ギャングの闘争を気付かれずに裏工作して誘発させる。企業要員の暗殺や機密情報入手のための潜入に、企業が極秘開発している兵器の破壊、あるいは逆に、『組織』の新兵器のテストを行うなど。その度に俺とアオトはギルバートや他の専門係に必要なスキルや知識を叩き込まれる。それらの任務の厳しさと辛さは、場合によっては今まで以上に厳しく過酷なものだった。待遇がいいのも頷ける。
――――――
「はぁー…っ、はぁー…っ」
月の明かりも通らない、蒸し暑い変異ジャングル。無残に引き裂かれて倒れこんだ傭兵やタウンの人達の死体の下で、俺はひっそりと息を潜めた。暗がりから聞こえる物音が、全てアーダイン社製の生体兵器の呼吸音に聞こえてくる。アオトやギルバートとはぐれてから三日目、いまや生き残りの子供を気に掛ける余裕もない。ギルバートの教えを何度も心の中で繰返し、極限のサバイバルをしながら、ただひたすらあいつを仕留めるチャンスを伺っていた。
――――――
「今すぐ封鎖ゲートを起動させろウィル!」
「けど隊長!まだ中に人が…っ」
「ウィルスが漏れ出したらこのシティの大半の人が死ぬんだぞ!あんたもアオトも含めてなっ!」
「…っ!」
「まっ、待ってくれ!置いてかない――」
ウィルス兵器が漏れ出したラボから懸命に走り出た俺は、封鎖ゲートで助けを求める研究員達をウィルスごと閉じ込めた。隣のモニターに泣き喚きながら苦しみもがき、皮膚が爛れて死んでいく研究員達の顔がはっきりと見える。
任務を終えたその夜、俺は一睡もできずにベッドでただ泣き続けた。
――――――
「ウィル!あの子っ、爆弾を――」
トロムシティ。『組織』に属する末端銀行のテロリスト占領事件。アオトが叫ぶ中、歩き出た少年から眩い光が走った。徐々に意識が戻ると、周りは阿鼻叫喚と血の色に包まれていた。銀行の奥からまた一人爆弾を抱えた子供が走り出し、今度は迷いもせずにトリガーを引いた。
「…ここにいたんだ。ウィル」
その日の夜。現場の処理が終えた銀行の残骸の前で造花を置いた俺に、アオトが話しかける。
「これは…?」
「…俺の迷いのせいで亡くなった人達の…、それとあの子達へのだ」
目を閉じて、祈れる神もないまま、ただ安らかにと心で黙祷する。
「気休めなのは分かってる。その子達に選択する自由…そもそも選択できることさえ知らない彼らに、誰かがこうやって追悼してあげれる人が一人でもいれば、と思って…」
かつてレッドロックシティの子達を思い出し、思わず苦笑する。
「ようはあの時と同じ…自分が気持ちよくなるために勝手にこうしているだけだ。滑稽なのはわか――」
「別にいいんじゃないかな」
「え?」
「どうせ今のご時世、みんな自分の都合で生きてるんだよ。だからウィルが自分のためにこんなことするのも全然ありだよ。笑いたい人がいれば笑わせてあげればいいさ」
そう言っては、アオトは懐から一枚の合成クッキーを取り出し、俺が投げた造花のところに添えた。
「ほら、これで僕も同じ、自分が気持ちよくするためのお人よし、だね」
「…ありがとう、アオト…」
「お礼は別に良いって。今までウィルにはずっと助けられっぱなしだからね。…でもあとで、また僕の童話コレクションの感想を教えてくれると嬉しいなあ」
アオトの笑顔に、温かい気持ちが溢れる。過酷で苦しい日々の中、アオトや、この前彼が俺に見せてくれた童話のコレクションは、大きな心の支えの一つとなっていた。
そしてエージェントとしての任務もまた、全て陰鬱なものばかりと言う訳でもなかった。
――――――
「第三班!そこの建物の奴らを黙らせろ!ギルバート!そっちのチームで援護しろ!」
「分かってらぁ!ウィル!アオト!スモークとチャフ!」
「「了解!」」
過激集団とシティアーミーが銃火を交わす旧世紀の大陸間弾道ミサイルの発射基地。その広場に向けて、俺とアオトがそれぞれグレネードを投げ出し、セントリーガンのセンサーや敵の装甲歩兵を撹乱しながら火力サポートしていく。
スモークやチャフの援護下で銃火を潜り、シティアーミーの指揮官ロジャーが指示を出す。
「あそこの通気孔だ!ブライアン!爆薬をもってこい!電子工兵!ここのトラップを解除しろ!」
「アオト!手伝ってやれ!」
「はい!」
ロジャーやアオト達が爆薬を通気孔のメッシュ網に設置しながら、俺とギルバートは降下用のロープを急ぎ用意する。周りのミサイルサイロ発射口が次々と大きな音を立てて開き、けたたましいサイレンが基地内全体に鳴り響く。
「ここからが正念場だ!新型弾道ミサイルがシティに向けて発射される前に管制室を制圧しなければ、地球はまた永い冬時代に逆戻りだぞ!」
「ロジャ殿ーの言うとおりだウィル!アオト!ここはいっちょ、世界を救うヒーローにでもなってみようじゃないかっ!はははっ!」
今までに無く興奮しているギルバート、そして今のシチュエーションに俺とアオトは、戦いへの怖れ以外に少なからず現場の熱に当てられていた。
メッシュ網に設置された爆弾が連鎖爆発して孔が開けられたと同時に、電子工兵が通気孔のセンサーやトラップを停止させた。
「今だ!行け行け行けーーー!」
老兵ロジャーの指示とともに、俺達はローブで次々と闇の大釜の底へと降下していった。
――――――
シティとも呼べない小さなタウンの小屋で、俺達はそこの住民のリーダーであるルーシーと、いまも迫り来るサイバネ傭兵団『ヘルハウンド』の対処について話し合っていた。
「どうしても離れてくれないのかルーシー」
「離れてどこへ行こうというのだ?私達はみなここで生まれ、育てられた。代々生活してきたこの土地を、今更企業の都合で奪われてたまるか…っ!」
「…ギルバート隊長」
傍で悠々と座りながらナイフを弄んでいるギルバートに俺はお願いした。
「『ヘルハウンド』の奴らを撃退するまでここで滞在しても構いませんか?」
「僕からもお願いします隊長。ピックアップのビーグルが来るまでまだ十分時間があります。タイムリミットギリギリまで手助けしても…」
研ぎ澄まされたナイフに映る自分の目をみつめるギルバート。
「…あんたら、10人ものサイバネ化ベテラン傭兵相手に、戦闘訓練をロクにも受けてない民間人と俺達三人だけで迎え撃つというのか?任務のターゲットを既に回収済みなのに?」
俺とアオトは返答せず、ただ強い決意を込めて彼を見つめ続けた。
「…くくく、あははははっ!最高じゃねえかっ!いいぜっ!ミッションを完遂できりゃ上も文句言えねえからなっ!だがあんたらにはしっかりと俺の指示通りに動いてもらうぜルーシーさんよぉっ!」
――――――
荒野にある廃墟と化したシティのなかで、管理AIの暴走により大量生産された半生体の機械歩兵たちが、生あるものの息の根を止めるために闊歩している。その一つの建物の中に、俺は装備の簡易メンテを終わらせては苦悩していた。
「眠れないのかい、少年」
「キース中尉…」
任務遂行の道中で成り行きに一緒に行動することになったキースが穏やかな声で俺を呼ぶ。暫くして彼らと共にアルマとなることなんて、その時当然想像もできなかった。
「俺は…分からないです…この選択が本当に正しいかどうか…」
沈む俺の背に、キースがその大きな手で軽く叩いた。
「この世に正しいという事実は無い。あるのは無数の選択とそれが生み出す結果だけだ。そして結果はまた選択を育み、さらに結果が生まれる…あんたがあの子を助けたのも一つの選択で、結果として俺達はここにいる。それだけさ」
「中尉…」
「キースでいい。とにかく、今はここをどう脱出するだけに考えよう。悩むのはその後で良い。…あんたらの隊長殿も似たようなこと教えてただろう?」
「…はい」
「そういうこった。ちなみにサラのことは気にしなくていい。あいつ、愚痴は良く言うが本心は大抵逆なことが多いから。あ、これはあいつに言わないでくれよ。でないとまた首絞められそうだから」
ここに来て始めて俺は苦笑した。
「ここからの夜番は俺がするから、あんたは早く寝なさんな。明日は大仕事になるぞ」
――――――
時には浮雲のような理念の苛烈さに酔い、時には夢みる少年のように熱狂することも少なくない。助け合う誰かとの出会いも含めてそれは時に心の支えにもなった。だがそれ以上に戦いの毎日を切り抜けることが出来たのは、他ならぬ今の自分にとって唯一の友人でもあるアオトと、師でもあり戦友でもあるギルのお陰だった。
――――――
「アオトっ!メディキットをもってこい!早く!」
「は、はいっ!」
「ごふっ!ふぅ…っ!ふぅ…っ!」
大きく喀血して激痛に耐える中、アオトが慌しくバッグを漁る声と、血がとめどなく流れる自分の腹をギルが必死に押さえているのを理解するだけで精一杯だった。
「しっかりしろウィル!脱出ポイントはすぐ目の前だっ、パーティが控えてるのにこんなところで死ぬなんて許さねえぞ…っ!」
メディキットを持って来たアオトとともに腹の傷口をギルが処理する。建物の外では敵企業の爆撃機によるとめどない空爆の音が聞こえてくる。
「た、隊長…、俺を、置いといてください…このままじゃ、ただの、足手まといです…っ」
俺の言葉に、ギルとアオトは互いを見て面白おかしそうに笑い出す。
「ははっ、聞いたかよアオト。いつものお人よしなウィルが置いてくれって言ってるぞ」
「ほんと、立場が逆ならウィルだって僕達を置いてくことはしないのに」
「アオト…隊長…」
俺を担がれて立ち上がらせるギルがいつもの不敵な笑いを見せる。
「忘れたのかウィル、家族はお互いを見捨てない。泣き言を言う前にまずは足を動かせってんだ」
――――――
『組織』専用の真っ白な病室で、ベッドに伏せてる俺にギルとアオトが見舞いに来てくれた。
「よう、生きてるかウィル」
「隊長…アオト…」
「先生は命に別状はないから、あと一日観察すれば退院できるんだって」
「まったく、無駄にお人よしで悪運も強いから始末が追えねえなてめぇはよっ」
機嫌よさそうなギルと、自分を見て安心したかのような顔をしているアオト。生死をさ迷ってたこともあってか、沸き上がる気持ちに思わず手に力が入る。
「…ありがとう、隊長…。あなたがいなければ、俺はもうとっくに死んで…アオトも…いつも俺の我がままに付き合って…」
二人はどこか怪訝そうに互いを見て、ギルが小さく笑う。
「言っただろ、家族はお互いを見捨てないってな。ウィル、今のあんたの家族は誰だ?」
「…隊長と、アオト、です…」
涙がこぼれる俺の肩に、ギルは力強く叩いた。
「ならこれぐらいのこと、当たり前ってモンだ。気にするな」
「隊長…っ」
「ギルでいい、アオトもこれからは俺のことをそう呼べ。家族として、これからもよろしくやって行こうじゃないかっ」
――――――
ギルにこの残酷極まりない世界で生き抜く術を叩き込まれてくれたからこそ、俺はアオトとともに数多の戦いを生き抜いた。そしてギルのお陰で生死の瀬戸際で何度も助けられ、今まで生き延びることができた。何よりも、ギルの言う家族は、かつて独りでストリートをさ迷う自分にとって、ジェーンの存在と同等な存在として俺の心の糧となっていた。
こうして、この混沌とした地球で、『組織』に入ってから俺達は数多の思惑に巻き込まれ、数多の人達と出会い、長い歳月が流れていった。
******
エリネの周りの景色が再び靄にかかり、ミーナが状況を確認する。
「む、魔法が少し不安定になっている。安定させるまで少しそこで休んでくれ、エリー」
「はい」
エリネが小さく深呼吸をし、部屋にいるレクス達も、何かのドラマにのめり込んだ状態からやっと一息つけるような感じで息を吐いた。
「ふぅ~~~っ、これはまた、なんていうか…正に波乱万丈っていう感じだよね、ウィルくんの経歴って」
「それでも言い切れねえぐらいだよ…めちゃくちゃすぎるだろ…兄貴の世界って…」
魂の持たない殺戮兵器の数々、誇りも信念もなく砲火が飛び交う戦場、狂ったサイバーカルティスト達の狂気に、水面下で行われた非人道実験。生物兵器。企業の陰謀。自分では理解しきれないほどの衝撃的な光景が未だにありありと目に浮んできて、軽くめまいさえ感じるカイ。
「あんな世界で…命があんなに軽い世界で、兄貴は生きてきて…しかも…しかも兄貴まで子供を…。もう何がなんだか分からねえよ…」
「別にそう難しい話じゃないわ」
苦悩するカイにラナは毅然とした顔で話す。
「ウィルくんはただ彼の世界で必死に生き抜こうとしていた。ただそれだけの話よ」
「で、でもさ…爆弾を持った子供もそうだし、あのラボって所に…逃げ遅れた人達を閉じ込めるなんて…他に何か手が――」
「それはないわね。あの状況、たとえウィルくんの世界に疎い私でも、まず他にやり方はなかったって断言できるわ」
カイは辛そうにつぐんだ。
「恐らくそれがウィルの世界の特質なのかもしれんな」
「特質って…さっきミーナが言ってた、兄貴の世界は俺達みたいに女神や魂の概念なんて全然無いってことか?」
レクスが頷く。
「そうだね。ウィルくんの世界を僕達が必要以上に冷たく残酷に見える理由の一つだと思う」
アイシャが沈痛そうに胸を押さえる。
「辛いときに祈れる女神様もない。加護を与えてくださる精霊もいない…。とても、想像できないです…。そんな世界で…ウィルくん達はずっと生きて…」
ラナがアイシャの背に優しく手を添える。
「一応私達の世界もやりきれないことがない訳ではないわ。けれどウィルくんの世界は構成が複雑なだけに、そういう出来事の規模も頻度もこちらとは桁違いになってるのよ」
小さく溜息するレクス。
「まさに桁違いだよねぇほんと。数百人もの命に関わる決断なんて、例え王族でも一生に一度立ち会うかどうかも分からないよ。なのにそれがあそこまで頻繁に直面しなければならないなんて…。こっちならとっくに心が壊れてもおかしくないなあ。…つくづくハードだよね、ウィルくんの世界は」
「それだけに、ウィルくんはがんばってたと思うわ」
陰鬱とした雰囲気を払うかのように、優しい口調と笑顔を浮かべるラナ。
「みんなもちゃんと見てたでしょう。多くのどうしようもない状況で、ウィルくんはいつも最後まで彼なりの最善なやり方を模索してたわ。ジェーンさんの影響とはいえ、あの世界でそこまでの善性を今でも持っていることが寧ろ驚きね」
「そうです…そうなんです…っ」
ずっと黙り込んでたエリネがようやっと声を出した。
「私、感じるんです。そんな時のウィルさんは、いつも諦めたくなくて、自分なりで誰かを助けようとして、それができない時は、いつも心の奥に痛みを悲しみを押し殺して…っ」
自分が知る優しいウィルフレッドの姿と、魂の繋がりで伝わる想像以上に複雑で深い彼の無念の気持ちが重なり、エリネの胸を強く締め付け、涙が零れた。
「ウィルさん…っ」
そんなエリネにラナ達はただ温かく見守った。
「でも、似たようなことが私達の世界もある以上、こちらがああいう風にならない保証はないわ。ウィルくんが見せた彼の世界の記憶は、警鐘として私達なりに受け止めておかないと」
「ラナ様の言うとおりだね。…それとさ、僕としてちょっと意外なのが、あのギルバートのことだよね」
「ああ、俺も意外だったよ。教団に与してるあのクソ野郎が、まさかあそこまで仲間思いだなんて…。なんか凄く複雑な気分だよな…」
「ウィルくんの世界みたいな複雑さになると、さすがにそのあたりの感覚は曖昧になるわね。気になるのは、彼が何故ウィルくんと敵対するようになったのか」
「それってやっぱ、例の『組織』で何かあったのかな…。魔人の体はあの『組織』の仕業によるものだって兄貴は言ってたし」
「『組織』か…僕は最初てっきり邪神教団みたいなものだと思ったけど、どうもそれ以上にタチの悪いところだと感じるよねえ…」
「うむ。あの恐ろしい変異体やアスティル・クリスタルを作り出した正体不明の『組織』…。教団とはまた違うベクトルの不気味さを孕んでるな。これからの記憶もそれが深く関わってくるに違いない。…よし、魔法が安定したぞ、エリー頼めるか」
「はい、前に進めばいいのですね」
「エリー、気をつけて進めよ。俺達もちゃんと見てるからな」
「うん、ありがとうお兄ちゃん」
カイに激励され、背を真っ直ぐ伸びて深呼吸すると、エリネは再び前へと進み出した。
【続く】
「全員、集まったようだね」
クァッドフォース本社にある重鎮用の会議室に、俺やアオトは訳も分からず呼ばれた。ギルバートも一緒だが、彼の表情は俺達と違ってどこか楽しそうに見えた。
「ウィルフレッド。そしてアオト・カンナギ。君達の今までのデータにぜんぶ目を通してもらった。…少し、気になるところもいくつあるが、中々良い成果を出してる」
全身黒ずくめのスーツとサングラスをつけた男は、手元の端末から投射されるホログラムの数々に目を通す。ギルバートの元である程度培った直感が、目の前の男がただの社員でないことを告げている。
「話を続く前に一つ告げておこう。これから話す内容は口外無用だし、君達に拒否権は無い。契約をした時から、その命は我々のものになってるのを忘れるな」
アオトが緊張で唾を飲んだ。
「とはいえ、内容自体はそう悪いものではない。…ウィルフレッド。アオト・カンナギ。君達二名はこれから、クァッドフォース社の社員でなく、『組織』のエージェントとして引き続きギルバートの元で働いてもらう」
「『組織』…ですか?」
その言葉を復唱する俺の傍でギルバートが意味ありげに笑う。スーツの男はサングラスを押し上げ、続いた。
「そうだ。正式名称はない、ただの『組織』。元々このクァッドフォース社は『組織』に属する数多くの会社の一つで、資金ソースとしては勿論、人員育成など様々な役割を担っている。今までの成果を見て、『組織』の『上層部』は、君達二人はエージェントに足り得る素質を持ってると判断した。…そこのギルバートの推薦もあって、な」
俺とアオトは得意げな顔のギルバートを見て、すぐに理解した。彼は元から、この『組織』の一員なのだと。
「一度『組織』に入れば、指紋も含め今度こそ君達は完全に表社会から消えることになる。以前以上に制約も厳しくなるが、その分見返りも大きい。最先端の装備、成果と地位に応じた福利厚生。評価がよければ、個人からの要求もある程度受けいれられる。…ミハイルが君達を招いた時の対応がその最もたる例だな。『組織』は、古臭い抑制ばかりの管理を良しとはしない」
ミハイルがジェーンを助けた時のことを思い出す。
「後で専用の生体チップに取り替えるなど、正式加入の手続きがたくさんある。三十分後、ギルバートと一緒に屋上のヘリポートで待機するように。以上だ」
男が部屋から出ても、俺とアオトは依然として状況が飲み込めずにいた。
「ギルバート隊長…あなた、元からその『組織』の一員だったのですか…?」
「ああ、そういうことだアオト。…はははっ、二人共なにおかしな顔をしやがるっ」
「そ、その…『組織』というのは、具体的にどのようなもので…?」
「簡単に言えば、社会の裏側で真に世界を動かすところだ、ウィル」
「世界を…動かす…」
「実際に入ってみりゃ分かるさ。とにかくっ、これで二人とも晴れて昇進だっ。早く仕度をしてこい!これからはますます忙しくなるからな!」
「「は、はいっ!」」
こうして俺とアオトは本格的に『組織』の一員となった。そこがただの水面下で提携する企業連合とは違って、正真正銘の大きな秘密結社なのはすぐに分かった。
生体チップの取替えやエージェントとして必要な生体部品などの新調は、三大シティを除いて今の地球でもっとも繁栄しているシティの一つ、サイファーシティで行われた。かつて北米と呼ばれた大陸で建てられたこのシティは、旧時代の遺物が最も多く埋蔵されているため、この大陸における経済や探索活動などの中心となっている。そのシティ最大最高の摩天楼、エンパイアタワーの地下に『組織』の施設の一つがある。
初めてそこに到着した俺とアオトは、最初にシティから出た時のように目を輝かせていた。タワーがいる繁華街のお洒落な雰囲気は勿論、洗練されたタワーのデザインや、地下施設に随所配備されたこの時代最先端の技術と設備の数々に俺達はただ舌を巻くばかりで、同施設に分配された俺やアオトの私室も、クァッドフォース社時代のワンルームの私室よりも広く綺麗なものとなっていた。アオトが童話を集め始めたのもその頃だったな。
最初の任務に装備を当てられた時も、驚嘆する声は止まらなかった。
「うそっ、ウィル見てっ。これ、人工筋肉入りの最先端プロテクトスーツだよ!?それにこのスナイパーライフルっ、ミカヅキ社製の最高傑作MC-010SRっ!あとこのサポート端末っ、処理速度も今までのとは大違いだよ!」
だが当然、その分だけに『組織』のエージェントとしての仕事は今まで以上に多様に複雑で、危険だった。前の会社のような戦闘任務は勿論で、ギャングの闘争を気付かれずに裏工作して誘発させる。企業要員の暗殺や機密情報入手のための潜入に、企業が極秘開発している兵器の破壊、あるいは逆に、『組織』の新兵器のテストを行うなど。その度に俺とアオトはギルバートや他の専門係に必要なスキルや知識を叩き込まれる。それらの任務の厳しさと辛さは、場合によっては今まで以上に厳しく過酷なものだった。待遇がいいのも頷ける。
――――――
「はぁー…っ、はぁー…っ」
月の明かりも通らない、蒸し暑い変異ジャングル。無残に引き裂かれて倒れこんだ傭兵やタウンの人達の死体の下で、俺はひっそりと息を潜めた。暗がりから聞こえる物音が、全てアーダイン社製の生体兵器の呼吸音に聞こえてくる。アオトやギルバートとはぐれてから三日目、いまや生き残りの子供を気に掛ける余裕もない。ギルバートの教えを何度も心の中で繰返し、極限のサバイバルをしながら、ただひたすらあいつを仕留めるチャンスを伺っていた。
――――――
「今すぐ封鎖ゲートを起動させろウィル!」
「けど隊長!まだ中に人が…っ」
「ウィルスが漏れ出したらこのシティの大半の人が死ぬんだぞ!あんたもアオトも含めてなっ!」
「…っ!」
「まっ、待ってくれ!置いてかない――」
ウィルス兵器が漏れ出したラボから懸命に走り出た俺は、封鎖ゲートで助けを求める研究員達をウィルスごと閉じ込めた。隣のモニターに泣き喚きながら苦しみもがき、皮膚が爛れて死んでいく研究員達の顔がはっきりと見える。
任務を終えたその夜、俺は一睡もできずにベッドでただ泣き続けた。
――――――
「ウィル!あの子っ、爆弾を――」
トロムシティ。『組織』に属する末端銀行のテロリスト占領事件。アオトが叫ぶ中、歩き出た少年から眩い光が走った。徐々に意識が戻ると、周りは阿鼻叫喚と血の色に包まれていた。銀行の奥からまた一人爆弾を抱えた子供が走り出し、今度は迷いもせずにトリガーを引いた。
「…ここにいたんだ。ウィル」
その日の夜。現場の処理が終えた銀行の残骸の前で造花を置いた俺に、アオトが話しかける。
「これは…?」
「…俺の迷いのせいで亡くなった人達の…、それとあの子達へのだ」
目を閉じて、祈れる神もないまま、ただ安らかにと心で黙祷する。
「気休めなのは分かってる。その子達に選択する自由…そもそも選択できることさえ知らない彼らに、誰かがこうやって追悼してあげれる人が一人でもいれば、と思って…」
かつてレッドロックシティの子達を思い出し、思わず苦笑する。
「ようはあの時と同じ…自分が気持ちよくなるために勝手にこうしているだけだ。滑稽なのはわか――」
「別にいいんじゃないかな」
「え?」
「どうせ今のご時世、みんな自分の都合で生きてるんだよ。だからウィルが自分のためにこんなことするのも全然ありだよ。笑いたい人がいれば笑わせてあげればいいさ」
そう言っては、アオトは懐から一枚の合成クッキーを取り出し、俺が投げた造花のところに添えた。
「ほら、これで僕も同じ、自分が気持ちよくするためのお人よし、だね」
「…ありがとう、アオト…」
「お礼は別に良いって。今までウィルにはずっと助けられっぱなしだからね。…でもあとで、また僕の童話コレクションの感想を教えてくれると嬉しいなあ」
アオトの笑顔に、温かい気持ちが溢れる。過酷で苦しい日々の中、アオトや、この前彼が俺に見せてくれた童話のコレクションは、大きな心の支えの一つとなっていた。
そしてエージェントとしての任務もまた、全て陰鬱なものばかりと言う訳でもなかった。
――――――
「第三班!そこの建物の奴らを黙らせろ!ギルバート!そっちのチームで援護しろ!」
「分かってらぁ!ウィル!アオト!スモークとチャフ!」
「「了解!」」
過激集団とシティアーミーが銃火を交わす旧世紀の大陸間弾道ミサイルの発射基地。その広場に向けて、俺とアオトがそれぞれグレネードを投げ出し、セントリーガンのセンサーや敵の装甲歩兵を撹乱しながら火力サポートしていく。
スモークやチャフの援護下で銃火を潜り、シティアーミーの指揮官ロジャーが指示を出す。
「あそこの通気孔だ!ブライアン!爆薬をもってこい!電子工兵!ここのトラップを解除しろ!」
「アオト!手伝ってやれ!」
「はい!」
ロジャーやアオト達が爆薬を通気孔のメッシュ網に設置しながら、俺とギルバートは降下用のロープを急ぎ用意する。周りのミサイルサイロ発射口が次々と大きな音を立てて開き、けたたましいサイレンが基地内全体に鳴り響く。
「ここからが正念場だ!新型弾道ミサイルがシティに向けて発射される前に管制室を制圧しなければ、地球はまた永い冬時代に逆戻りだぞ!」
「ロジャ殿ーの言うとおりだウィル!アオト!ここはいっちょ、世界を救うヒーローにでもなってみようじゃないかっ!はははっ!」
今までに無く興奮しているギルバート、そして今のシチュエーションに俺とアオトは、戦いへの怖れ以外に少なからず現場の熱に当てられていた。
メッシュ網に設置された爆弾が連鎖爆発して孔が開けられたと同時に、電子工兵が通気孔のセンサーやトラップを停止させた。
「今だ!行け行け行けーーー!」
老兵ロジャーの指示とともに、俺達はローブで次々と闇の大釜の底へと降下していった。
――――――
シティとも呼べない小さなタウンの小屋で、俺達はそこの住民のリーダーであるルーシーと、いまも迫り来るサイバネ傭兵団『ヘルハウンド』の対処について話し合っていた。
「どうしても離れてくれないのかルーシー」
「離れてどこへ行こうというのだ?私達はみなここで生まれ、育てられた。代々生活してきたこの土地を、今更企業の都合で奪われてたまるか…っ!」
「…ギルバート隊長」
傍で悠々と座りながらナイフを弄んでいるギルバートに俺はお願いした。
「『ヘルハウンド』の奴らを撃退するまでここで滞在しても構いませんか?」
「僕からもお願いします隊長。ピックアップのビーグルが来るまでまだ十分時間があります。タイムリミットギリギリまで手助けしても…」
研ぎ澄まされたナイフに映る自分の目をみつめるギルバート。
「…あんたら、10人ものサイバネ化ベテラン傭兵相手に、戦闘訓練をロクにも受けてない民間人と俺達三人だけで迎え撃つというのか?任務のターゲットを既に回収済みなのに?」
俺とアオトは返答せず、ただ強い決意を込めて彼を見つめ続けた。
「…くくく、あははははっ!最高じゃねえかっ!いいぜっ!ミッションを完遂できりゃ上も文句言えねえからなっ!だがあんたらにはしっかりと俺の指示通りに動いてもらうぜルーシーさんよぉっ!」
――――――
荒野にある廃墟と化したシティのなかで、管理AIの暴走により大量生産された半生体の機械歩兵たちが、生あるものの息の根を止めるために闊歩している。その一つの建物の中に、俺は装備の簡易メンテを終わらせては苦悩していた。
「眠れないのかい、少年」
「キース中尉…」
任務遂行の道中で成り行きに一緒に行動することになったキースが穏やかな声で俺を呼ぶ。暫くして彼らと共にアルマとなることなんて、その時当然想像もできなかった。
「俺は…分からないです…この選択が本当に正しいかどうか…」
沈む俺の背に、キースがその大きな手で軽く叩いた。
「この世に正しいという事実は無い。あるのは無数の選択とそれが生み出す結果だけだ。そして結果はまた選択を育み、さらに結果が生まれる…あんたがあの子を助けたのも一つの選択で、結果として俺達はここにいる。それだけさ」
「中尉…」
「キースでいい。とにかく、今はここをどう脱出するだけに考えよう。悩むのはその後で良い。…あんたらの隊長殿も似たようなこと教えてただろう?」
「…はい」
「そういうこった。ちなみにサラのことは気にしなくていい。あいつ、愚痴は良く言うが本心は大抵逆なことが多いから。あ、これはあいつに言わないでくれよ。でないとまた首絞められそうだから」
ここに来て始めて俺は苦笑した。
「ここからの夜番は俺がするから、あんたは早く寝なさんな。明日は大仕事になるぞ」
――――――
時には浮雲のような理念の苛烈さに酔い、時には夢みる少年のように熱狂することも少なくない。助け合う誰かとの出会いも含めてそれは時に心の支えにもなった。だがそれ以上に戦いの毎日を切り抜けることが出来たのは、他ならぬ今の自分にとって唯一の友人でもあるアオトと、師でもあり戦友でもあるギルのお陰だった。
――――――
「アオトっ!メディキットをもってこい!早く!」
「は、はいっ!」
「ごふっ!ふぅ…っ!ふぅ…っ!」
大きく喀血して激痛に耐える中、アオトが慌しくバッグを漁る声と、血がとめどなく流れる自分の腹をギルが必死に押さえているのを理解するだけで精一杯だった。
「しっかりしろウィル!脱出ポイントはすぐ目の前だっ、パーティが控えてるのにこんなところで死ぬなんて許さねえぞ…っ!」
メディキットを持って来たアオトとともに腹の傷口をギルが処理する。建物の外では敵企業の爆撃機によるとめどない空爆の音が聞こえてくる。
「た、隊長…、俺を、置いといてください…このままじゃ、ただの、足手まといです…っ」
俺の言葉に、ギルとアオトは互いを見て面白おかしそうに笑い出す。
「ははっ、聞いたかよアオト。いつものお人よしなウィルが置いてくれって言ってるぞ」
「ほんと、立場が逆ならウィルだって僕達を置いてくことはしないのに」
「アオト…隊長…」
俺を担がれて立ち上がらせるギルがいつもの不敵な笑いを見せる。
「忘れたのかウィル、家族はお互いを見捨てない。泣き言を言う前にまずは足を動かせってんだ」
――――――
『組織』専用の真っ白な病室で、ベッドに伏せてる俺にギルとアオトが見舞いに来てくれた。
「よう、生きてるかウィル」
「隊長…アオト…」
「先生は命に別状はないから、あと一日観察すれば退院できるんだって」
「まったく、無駄にお人よしで悪運も強いから始末が追えねえなてめぇはよっ」
機嫌よさそうなギルと、自分を見て安心したかのような顔をしているアオト。生死をさ迷ってたこともあってか、沸き上がる気持ちに思わず手に力が入る。
「…ありがとう、隊長…。あなたがいなければ、俺はもうとっくに死んで…アオトも…いつも俺の我がままに付き合って…」
二人はどこか怪訝そうに互いを見て、ギルが小さく笑う。
「言っただろ、家族はお互いを見捨てないってな。ウィル、今のあんたの家族は誰だ?」
「…隊長と、アオト、です…」
涙がこぼれる俺の肩に、ギルは力強く叩いた。
「ならこれぐらいのこと、当たり前ってモンだ。気にするな」
「隊長…っ」
「ギルでいい、アオトもこれからは俺のことをそう呼べ。家族として、これからもよろしくやって行こうじゃないかっ」
――――――
ギルにこの残酷極まりない世界で生き抜く術を叩き込まれてくれたからこそ、俺はアオトとともに数多の戦いを生き抜いた。そしてギルのお陰で生死の瀬戸際で何度も助けられ、今まで生き延びることができた。何よりも、ギルの言う家族は、かつて独りでストリートをさ迷う自分にとって、ジェーンの存在と同等な存在として俺の心の糧となっていた。
こうして、この混沌とした地球で、『組織』に入ってから俺達は数多の思惑に巻き込まれ、数多の人達と出会い、長い歳月が流れていった。
******
エリネの周りの景色が再び靄にかかり、ミーナが状況を確認する。
「む、魔法が少し不安定になっている。安定させるまで少しそこで休んでくれ、エリー」
「はい」
エリネが小さく深呼吸をし、部屋にいるレクス達も、何かのドラマにのめり込んだ状態からやっと一息つけるような感じで息を吐いた。
「ふぅ~~~っ、これはまた、なんていうか…正に波乱万丈っていう感じだよね、ウィルくんの経歴って」
「それでも言い切れねえぐらいだよ…めちゃくちゃすぎるだろ…兄貴の世界って…」
魂の持たない殺戮兵器の数々、誇りも信念もなく砲火が飛び交う戦場、狂ったサイバーカルティスト達の狂気に、水面下で行われた非人道実験。生物兵器。企業の陰謀。自分では理解しきれないほどの衝撃的な光景が未だにありありと目に浮んできて、軽くめまいさえ感じるカイ。
「あんな世界で…命があんなに軽い世界で、兄貴は生きてきて…しかも…しかも兄貴まで子供を…。もう何がなんだか分からねえよ…」
「別にそう難しい話じゃないわ」
苦悩するカイにラナは毅然とした顔で話す。
「ウィルくんはただ彼の世界で必死に生き抜こうとしていた。ただそれだけの話よ」
「で、でもさ…爆弾を持った子供もそうだし、あのラボって所に…逃げ遅れた人達を閉じ込めるなんて…他に何か手が――」
「それはないわね。あの状況、たとえウィルくんの世界に疎い私でも、まず他にやり方はなかったって断言できるわ」
カイは辛そうにつぐんだ。
「恐らくそれがウィルの世界の特質なのかもしれんな」
「特質って…さっきミーナが言ってた、兄貴の世界は俺達みたいに女神や魂の概念なんて全然無いってことか?」
レクスが頷く。
「そうだね。ウィルくんの世界を僕達が必要以上に冷たく残酷に見える理由の一つだと思う」
アイシャが沈痛そうに胸を押さえる。
「辛いときに祈れる女神様もない。加護を与えてくださる精霊もいない…。とても、想像できないです…。そんな世界で…ウィルくん達はずっと生きて…」
ラナがアイシャの背に優しく手を添える。
「一応私達の世界もやりきれないことがない訳ではないわ。けれどウィルくんの世界は構成が複雑なだけに、そういう出来事の規模も頻度もこちらとは桁違いになってるのよ」
小さく溜息するレクス。
「まさに桁違いだよねぇほんと。数百人もの命に関わる決断なんて、例え王族でも一生に一度立ち会うかどうかも分からないよ。なのにそれがあそこまで頻繁に直面しなければならないなんて…。こっちならとっくに心が壊れてもおかしくないなあ。…つくづくハードだよね、ウィルくんの世界は」
「それだけに、ウィルくんはがんばってたと思うわ」
陰鬱とした雰囲気を払うかのように、優しい口調と笑顔を浮かべるラナ。
「みんなもちゃんと見てたでしょう。多くのどうしようもない状況で、ウィルくんはいつも最後まで彼なりの最善なやり方を模索してたわ。ジェーンさんの影響とはいえ、あの世界でそこまでの善性を今でも持っていることが寧ろ驚きね」
「そうです…そうなんです…っ」
ずっと黙り込んでたエリネがようやっと声を出した。
「私、感じるんです。そんな時のウィルさんは、いつも諦めたくなくて、自分なりで誰かを助けようとして、それができない時は、いつも心の奥に痛みを悲しみを押し殺して…っ」
自分が知る優しいウィルフレッドの姿と、魂の繋がりで伝わる想像以上に複雑で深い彼の無念の気持ちが重なり、エリネの胸を強く締め付け、涙が零れた。
「ウィルさん…っ」
そんなエリネにラナ達はただ温かく見守った。
「でも、似たようなことが私達の世界もある以上、こちらがああいう風にならない保証はないわ。ウィルくんが見せた彼の世界の記憶は、警鐘として私達なりに受け止めておかないと」
「ラナ様の言うとおりだね。…それとさ、僕としてちょっと意外なのが、あのギルバートのことだよね」
「ああ、俺も意外だったよ。教団に与してるあのクソ野郎が、まさかあそこまで仲間思いだなんて…。なんか凄く複雑な気分だよな…」
「ウィルくんの世界みたいな複雑さになると、さすがにそのあたりの感覚は曖昧になるわね。気になるのは、彼が何故ウィルくんと敵対するようになったのか」
「それってやっぱ、例の『組織』で何かあったのかな…。魔人の体はあの『組織』の仕業によるものだって兄貴は言ってたし」
「『組織』か…僕は最初てっきり邪神教団みたいなものだと思ったけど、どうもそれ以上にタチの悪いところだと感じるよねえ…」
「うむ。あの恐ろしい変異体やアスティル・クリスタルを作り出した正体不明の『組織』…。教団とはまた違うベクトルの不気味さを孕んでるな。これからの記憶もそれが深く関わってくるに違いない。…よし、魔法が安定したぞ、エリー頼めるか」
「はい、前に進めばいいのですね」
「エリー、気をつけて進めよ。俺達もちゃんと見てるからな」
「うん、ありがとうお兄ちゃん」
カイに激励され、背を真っ直ぐ伸びて深呼吸すると、エリネは再び前へと進み出した。
【続く】
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