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第十章 大地の谷
大地の谷 第十五節
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「ギエエアア!」
「今だ!矢を放て!」
マティの号令とともに連合軍と谷の民達が放つ矢は、多くの鉄の鎖に巻きつられたアガエラに雨のように当たり、小さな連鎖爆発がその巨躯を揺らす。
「ラナ様!」
それを確認したレクスは、呪文の詠唱に専念したラナに呼びかける。彼女の頭上には巨大な光の玉が太陽の如き眩い輝きを放ち、周りに猛る風を巻き起こしていた。
「――形をなして槌となれ!汝の威光を矮小なる闇のものに示さんがために!光槌!」
太陽の巫女の力が練り込まれた巨大な光の束がアガエラに向けて放たれた。
「ギエアアアアアァァァッ!」
光の奔流に飲まれ、爆発の余波が周りに瓦礫の嵐が猛り狂う。
「ぐうぅっ!」
レクス達はそれぞれ爆発から身を隠す。やがて爆風が収まると、下半身しか残っていないアガエラの体がドロドロと溶けては蒸発した。それに連れてゴーレム達も次々と崩れて塵芥へと返していく。
「さっすがラナ様!よし、これで残りは死霊兵だけだ!みんなあとひと踏ん張りだよ!」
剣を掲げるレクスに応じて連合軍も鬨を挙げては残りの敵兵に畳み掛けてゆく。
一方、エリクはカイとアイシャ相手に距離を取りながら魔法と矢の撃ち合いを繰り広げていた。
「原始の海にあまねく――むっ」「たあぁっ!」
詠唱中のエリクにカイが放つ矢が妨害し、「――凍戟!」アイシャの魔法がさらに彼を追い詰める。
(さすが巫女相手に一対二では分が悪いですね。なら…)
エリクは懐からさらに一つの小瓶を二人に向けて投げ、カイが反射的にそれに目がけて矢を放った。
「させるかよっ!」
矢は見事小瓶を打ち砕いた、が、黒い靄が小瓶から飛散し、それら一つ一つが毒蛇となってカイに向けて降り注いでいく。
「あっ――」「きゃあっ!」
カイが咄嗟にアイシャを傍へと突き放した。次の瞬間、容赦なく毒蛇達に
噛み付かれるカイが地面にのたうち回る。
「うああぁぁっ!」
「ああっ!カイくんっ!」
アイシャが血相を変え、毒蛇に向けて魔法を放つ。
「――氷冽波!」
凍える冷気が毒蛇たちを瞬時に粉々の砕氷へと変えたが、ボロボロに噛まれたカイの傷口は凄まじい速さで黒く変色していく。
「ううぅ…っ!」
「カイくんっ!しっかりしてカイくん!――浄毒!」
苦悶するカイに即座に呪文で対処し、黒く蝕まれていた傷口が元に戻っていく。だがこの隙を狙い、黒い霧を右手に纏うエリクが既に二人の目前まで迫った。
「ここまでですアイシャ様。大人しく眠っていただきます」
「あっ――」
エリクが右手をかざし、眠りに誘う霧が回避不可の距離から放たれた。もはや間に合わない。
「ガオオォォン!」
「うっ!?」
周りの木々をも震撼させる雄叫びとともに、緑の光で形を成した獅子がエリク達の間に割って飛び出した。霧はかき消され、獅子の引掻きを避けるようエリクが慌てて後退する。
「精霊魔法っ?」
エリクはすぐに傍の木陰から走り出した人影を確認した。
「うっ…ミーナ…っ」「先生…!」
カイとアイシャもまた、怒りを込めた眼差しでエリクを見据えるミーナの姿を確認する。
「エリク、おぬし…っ!」
「ミーナ殿、お久しぶりです。ここに来た時は姿が見当らなかったから心配してましたよ」
悪そびれずに子供じみた笑顔を自分に向けるエリクに、ミーナは歯軋りする。
「カイくん、体は大丈夫っ?」
「う、うん。もう大丈夫だよ、アイシャは?」
アイシャにより黒い毒は全て浄化され、カイがなんとか立ち上がる。
「もうっ、私も無事ですよっ。…もう少し自分のことを心配してください…っ」
涙目になるアイシャにカイはバツが悪そうに苦笑した。
「あはは…ごめん…」
アイシャとカイの無事を確認し、ミーナはエリクに構えなおす。
「おぬしも相変わらず、その能天気な脳を奴らに操られたままのようだな。仮にもビリマ師に師事したものがなんと情けない」
「ミーナ殿もやはり怒りっぽいままですね。それにいまだご理解いただいてないようですが、私はあくまで私の意志で動いているのですよ」
杖を握る力が強くなるミーナ。
「…これ以上何も話しても意味はないようだな。ここでおぬしを拘束して、ボケたその頭を正気が戻るまで叩き続けてやる」
憤慨するミーナに応じて緑の獅子が唸り声を低く響かせる。だがそれに反してエリクは穏やかに微笑んだ。
「ははは、ミーナ殿のお仕置きほど恐ろしいものはありませんでしたね。もっとも、貴方に私を拘束することができればの話ですが」
「それを自信満々に言うものでない。周りを見よ」
「おりゃあ!」「「「おおおおおっ!」」」
ミーナと同じく加勢しに来たドーネの斧が、ついに最後の死霊兵を粉砕した。連合軍が勝ち鬨をあげると、ラナ達に率いられてミーナとともにエリクを囲むように包囲した。
「…なるほど、これでは確かに不利ですね」
余裕な表情のエリクにラナが前に出る。
「貴様がエリクだな?先生のためにも、ここは大人しく縄についてもらおうか」
「さすがの気迫です。メルベ殿が気圧されるはずですね、気高き太陽の巫女よ」
「そうか…あの時、メルベの採掘場で教団の者らを率いていたのは貴様だったんだな」
ラナは、子供の親を無残に殺した教団の男のことを思い出す。
「ええ、あの時の貴方の勇猛ぶりは今でも目に浮ぶぐらい素敵なものでしたよ。さすが三国間でその名を轟かせるヘリティア皇国の第一皇女ですね」
「御託は良い、これ以上貴様らの狼藉を許す訳にはいかない」
ラナが手で指示すると、何名かの騎士がゆっくりとエリクを囲むように迫り、ミーナが喚び出した精霊もじりじりと彼に迫っていく。
「大人しく降伏せよ。でなければ腕一本ぐらい折ることを覚悟――」
キイィィィッ!
全員が空を見上げる。叫びとともに空を横切る怪鳥からザナエルがエリクの傍へと着地する。ゆっくりと立ち上がる彼の手には、今だ血がこびり付いていた異形の短剣が握られていた。
「ザナエル様」
「用事は済んだ、潮時だな」
「ザナエルっ、貴様っ、エウトーレはどうした!?」
怒鳴るミーナにザナエルは冷たい笑い声を仮面の下から発した。
「さて、どうなりましたかな?我らに構うより、早く彼の安否を確認した方がよろしいかと。んクククク」
血塗れた異形の短剣を見せびらかせるザナエル。短剣を見たミーナは、それについてる血は勿論だが、短剣自身が発する背筋をも凍る邪悪な気配にも驚きを禁じえなかった。
スガァンッ!
頭上の空に激しい閃光と振動が爆ぜる。ウィルフレッドとギルバート、二人の魔人の光り輝く武器の迫り合いが、バチバチと火花を散らしていた。
「久々に良い運動ができたなウィルっ。それに前よりも腕あげたみたいじゃないか。平和ボケしたこの世界でも精進を忘れないとは、嬉しいぜ…っ」
「ギル…っ」
「ギルバート殿っ!」
自分を呼ぶザナエルを一瞥し、ギルバートは改めてウィルフレッドに顔を向けた。
「ウィル、さっき言ったことを忘れんなよ…俺はいつでもあんたを歓迎するからなっ!」
そして彼は力を込めてアスティル・クリスタルの力を一気に解放し「――おおっ!」「ぐおっ!」ウィルフレッドは大きく弾かれた。
それを隙にギルバートはザナエルとエリクの傍まで飛び降りては二人を抱えた。
「ザナエル!」
ラナが前に出ようとすると、ドンっ!と粉塵が巻かれ、その風圧にラナ達は思わず目を避ける。
「うわっ!」「くっ!」
ギルバートに抱えられて空中に浮ぶザナエルがラナ達に言い放つ。
「女神の巫女殿にその戦士達よ!機が熟したときにまた相まみえようぞ!んハハハハハッ!」
「まてエリクっ!まだ聞きたいことが――」「ミーナ殿!どうか達者で!」
二人を抱えたままギルバートは高速で飛翔し、民たちが必死に修復しようとする結界の亀裂を潜っては飛び去っていった。
「ギル…」
ウィルフレッドは彼らが飛び去った方向を暫く見つめ続けていた。
――――――
「エリク、明日から引続きこの短剣に混沌を吸わせよ。一日も早く覚醒させるために」
「承知しました」
飛行しているギルバートに抱えられながら、ザナエルは異形の短剣をエリクに手渡す。
「どうやら無事用事を果たせてなによりだな旦那」
「それもギルバート殿がこうして運んでくれた故。この山脈自体が強い霊気に包まれてるゆえ、我らだけでは吹雪の結界にたどり着くだけでも相当な力がかかるのだらかのお。ギルバート殿には後でしっかり労ってやらねばな、くくく」
「はは、元より仕事のうちだが、そうしてくれるのはありがたいな」
「…今回も例の魔人の勧誘に失敗したようですねギルバート殿」
エリクの言葉にギルバートが苦笑するような声を発する。
「そういう甘っちょろいところがあいつらしいけどな。なに、前にも言っただろ。あいつもいつか理解して俺のところに帰って来るさ。俺達はこの世でたった一つの家族だからな」
「…そうでしたね」
ミーナを想いながら微笑むエリクはそれ以上問わず、二人はギルバートとともに山々を飛び越えては、雲の向こう側へと消えていった。
******
「レクス様、村の方の敵もすべて排除しました。皆様のお陰でこちらに死傷者は一人も出さずに済みました。ご協力感謝致します」
戦場も落ち着き、民の戦士達を率いていたリアーヌがレクス達に一礼する。
「気にしなくていいよリアーヌ殿、これも僕達を招待してくれた君やエウトーレ殿のお陰――」
「そうだ!エウトーレ!」
その名前で彼がさきほどザナエルと一人で対峙していたことを思い出すミーナ。
「先生?」
「ラナ!エリー!それとリアーヌも何名か治癒の出来る人を連れて一緒に来てくれっ!エウトーレが――」
「がああぁぁっ!」
いきなりの叫びに全員が、地面に降りたウィルフレッドの方を見る。元の姿に戻ってへたり込む彼の全身が異常に強張り、彼は地面に爪痕を残すほど苦しそうに悶えていた。
「ウィルくん!」「ウィルさん!」「兄貴!」
ラナやエリネ達が急いで彼の元へと駆けつける。
「ウィルさん!大丈夫ですかっ?」
「くぅっ!今回は少し…力を入れすぎたようで…っ、ぐおおっ!」
「今すぐ治療しますっ!」「キュッ」
エリネが杖を掲げて治癒をかけた。今まで以上に魔力を込めているのか、エリネから発する青の輝きはいつよりも強く感じられた。
「仕方ない。エリーはここでウィルの治療を。ラナ、アイシャ、一緒について来てくれっ」
「「はいっ」」
ラナとアイシャ、そしてリアーヌはそれぞれ軍と民の中から助けになりそうな人達を集めては、急いでミーナとともに離れた。
「兄貴っ」
「…ウィルくん、ごめん。僕はちょっと騎士や兵士達の指揮を取って谷の様子を見に行かなきゃ」
「ああ…構わないさ…。行ってくれレクス。それと、カイも、アイシャの傍についてってやれ」
「え、けど兄貴は…」
「エリーが治療してくれるから、俺は大丈夫だ…っ」
「ウィルさんの言うとおりよお兄ちゃん、ここは私に任せて」
少し申し訳なさそうなカイの肩にレクスがポンと手を置き、カイはエリネとウィルフレッドをもう一度見ると、ようやく頷いた。
「…分かったよ兄貴。エリー、兄貴のこと頼むな」
「うん、任せて」
いつもどおりのエリネの笑顔にカイも安心したのか、やがてレクスとともにその場を離れた。
「どうですウィルさん?魔法、効いてます?」
ウィルフレッドはすぐには答えず、目を閉じては息を整え始めた。エリネが放つ癒しの光が温かい暖流となって、痛みに苛まれる体を優しく流れていき、ゆっくりではあるが痛みが徐々に引いていく。
「…ああ…とても楽になれたよ…」
「それは良かった。…ふふ、ウィルさんはやっぱり優しいですね」
「え?」
「さっき、お兄ちゃんがアイシャさんと一緒にいられるよう計らいましたでしょ」
「あ、ああ…あれは別にそこまで深く考えていないさ。ただ単に、カイなら多分アイシャと一緒にいたいだろうと思っただけで…」
「そういう心遣いが優しいというのですよ」
少し照れながら苦笑するウィルフレッドに、エリネは嬉しそうに微笑みながら魔法をかけ続ける。彼もまた彼女から流れる癒しの力を静かに感じていた。痛みは未だに感じるが、呼吸も落ち着き、じっと座るのに苦を感じないほどに回復すると、ふと彼はエリネの顔を見つめる。
(((俺達はこいつらとは違う存在だ)))
(((お前が彼らに害を成さない保証もまたどこにもいない)))
「あっ、ウィル、さん?」
「キュ?」
エリネが少し驚いた。ウィルフレッドが俯いたまま掴んだからだ。この世界に来てからいつも自分を癒してくれた、彼女の小さな手を。
「エリー…」
自分に向けられるか細い声に、どきっと胸が少し高鳴るエリネ。
「君達は、俺をよそ者と見ていないと言ってくれた。だから俺も、絶対に君達を傷つけない、絶対に、だ」
力強そうな口調けれど、その後ろに隠された不安の表情をエリネは聞き取り、ただ微笑んでは自分を握るその大きな手を握りかえす。
「そんなの当り前じゃないですか。私たち、ウィルさんのことずっと信じてますから」「キュキュッ」
ルルもまたエリネに賛同するようにウィルフレッドの肩に飛び移って頬ずりする。
「…ありがとう、エリー。それとルルも」「キュ~」
俯きながらルルを撫でるウィルフレッドを、エリネはいつものように優しい微笑みを向けながら治療を続けた。
******
「エウトーレ!どこだ!」「エウトーレ様!」
ラナ達を案内して四神の鍛冶場へと駆け戻ったミーナ達が、廃墟と化した鍛冶場でエウトーレの姿を探していた。本来なら封印管理継承者や谷の管理者しか入れない決まりだが、この緊急時でそれを構ってもいられないリアーヌもまた数名の民の人とともに鍛冶場に入っていた。
「あぁっ!あそこっ、エウトーレ様!」
カイ達とともに周りを見回してるアイシャは、血溜まりに倒れたままのエウトーレを発見し、リアーヌとミーナ達は火急に彼の傍へと駆けつけた。
「エウトーレ様…っ」「エウトーレっ!しっかり!」
リアーヌ達がエウトーレを囲み、ミーナが意識を失った彼を起こす。胸に開いた傷に纏いつく強烈な瘴気に思わずミーナが顔をしかめた。
「これは…邪神由来の瘴気?ラナ、アイシャっ」
ラナとアイシャが頷いては、二人で治癒をかけた。巫女の魔法に当てられて黒い瘴気がまるで生きてるかのようにうねり、おどろしい奇声を発しては、二人は聖痕に疼きを感じられた。
女神の巫女二人の力により瘴気は程なくして断末魔を発して雲散し、エウトーレの胸の傷も回復していった。
「っ、ラナちゃん、先生…」
だがそれに反して、アイシャの顔は曇ったままで、ラナとミーナもまた深刻そうな顔を浮かべたままだった。
「…ミーナ、殿…」「エウトーレっ」
ゆっくりと目を開くエウトーレの声は、今にも消えそうにか弱かった。
「エウトーレ様っ。回復なさったのですか?」
「…いいえ、リアーヌ…血が、流れすぎましたし…私の命は既に、消える寸前まで、ゾルドの瘴気に侵されています…」
「エウトーレ様…」
リアーヌとその民の声や表情は思った以上に落ち着いていた。
「だから一人で無茶をするなとあれほど…っ」
「すみません…つい…油断してしまって…ごほっ」
再び喀血するエウトーレ。
「エウトーレっ」
「ぐ…申し訳ないのですが…私の杖を…お願いします」
ラナは無言で傍に転がり落ちてる杖を、自分のマントで血を拭きながらエウトーレに手渡した。
「どうぞ」
「かたじけない、ラナ様…。リアーヌ、こちらに…」
「はい」
エウトーレのすぐ傍で跪いたリアーヌ。
「簡略な…儀式はではありますが…リアーヌ・ヴァニティ…これからは貴方が、谷の管理者として人々を導きなさい…」
慎むように頷いてはエウトーレの杖を受け取るリアーヌは、心なしか少し輝いたかのように見えた。
「ミ、ミーナ殿…あの、ザナエルが持っている短剣を、見ましたか…?」
闇色の宝珠がはめ込まれた異形の短剣を思い出しては頷くミーナ。
「ああ、あの短剣が放つ邪気、尋常ではなかったな」
「…あの短剣はゾルドより生まれたもので、まだ覚醒はしてないと、ザナエルは言ってました…正体は分かりませんが、あれは非常に危険です…どうか、ご注意なさってください…げほっ!」
「エウトーレ!」「エウトーレ殿!」
また大きく血を吐き、いよいよもって息遣いも苦しくなってきたエウトーレ。
「…時が、来たようですね」
自分を見るエウトーレに、ミーナは顔をしかめながらもゆっくりとエウトーレを寝かし、彼はいつもの超然とした微笑を皆に見せた。
「どうか悲しまないでください…死とは終わりでなく、ただ新たな旅立ちの始まりに過ぎませんから…」
リアーヌとその民達もまた、穏やかに目を閉じては祈りを捧げた。
「ガリア様の御慈悲がありますように…」
最後の力を振り絞り、エウトーレも囁いた。
「巫女様とその戦士達に、女神達の祝福を…」
目をゆっくりと閉じていくエウトーレの体が、ぼんやりと光だし、まるで大地に帰っていくように崩れていった。最後に小さく何かを囁き、ミーナが小さく目を見開いた。
塵と化して風に吹かれて消えるエウトーレに、ラナとアイシャは黙祷し、ミーナもまた立ち上がり、リアーヌ達と同じように祈りを捧げた。
「安らかに、エウトーレ殿」
【続く】
「今だ!矢を放て!」
マティの号令とともに連合軍と谷の民達が放つ矢は、多くの鉄の鎖に巻きつられたアガエラに雨のように当たり、小さな連鎖爆発がその巨躯を揺らす。
「ラナ様!」
それを確認したレクスは、呪文の詠唱に専念したラナに呼びかける。彼女の頭上には巨大な光の玉が太陽の如き眩い輝きを放ち、周りに猛る風を巻き起こしていた。
「――形をなして槌となれ!汝の威光を矮小なる闇のものに示さんがために!光槌!」
太陽の巫女の力が練り込まれた巨大な光の束がアガエラに向けて放たれた。
「ギエアアアアアァァァッ!」
光の奔流に飲まれ、爆発の余波が周りに瓦礫の嵐が猛り狂う。
「ぐうぅっ!」
レクス達はそれぞれ爆発から身を隠す。やがて爆風が収まると、下半身しか残っていないアガエラの体がドロドロと溶けては蒸発した。それに連れてゴーレム達も次々と崩れて塵芥へと返していく。
「さっすがラナ様!よし、これで残りは死霊兵だけだ!みんなあとひと踏ん張りだよ!」
剣を掲げるレクスに応じて連合軍も鬨を挙げては残りの敵兵に畳み掛けてゆく。
一方、エリクはカイとアイシャ相手に距離を取りながら魔法と矢の撃ち合いを繰り広げていた。
「原始の海にあまねく――むっ」「たあぁっ!」
詠唱中のエリクにカイが放つ矢が妨害し、「――凍戟!」アイシャの魔法がさらに彼を追い詰める。
(さすが巫女相手に一対二では分が悪いですね。なら…)
エリクは懐からさらに一つの小瓶を二人に向けて投げ、カイが反射的にそれに目がけて矢を放った。
「させるかよっ!」
矢は見事小瓶を打ち砕いた、が、黒い靄が小瓶から飛散し、それら一つ一つが毒蛇となってカイに向けて降り注いでいく。
「あっ――」「きゃあっ!」
カイが咄嗟にアイシャを傍へと突き放した。次の瞬間、容赦なく毒蛇達に
噛み付かれるカイが地面にのたうち回る。
「うああぁぁっ!」
「ああっ!カイくんっ!」
アイシャが血相を変え、毒蛇に向けて魔法を放つ。
「――氷冽波!」
凍える冷気が毒蛇たちを瞬時に粉々の砕氷へと変えたが、ボロボロに噛まれたカイの傷口は凄まじい速さで黒く変色していく。
「ううぅ…っ!」
「カイくんっ!しっかりしてカイくん!――浄毒!」
苦悶するカイに即座に呪文で対処し、黒く蝕まれていた傷口が元に戻っていく。だがこの隙を狙い、黒い霧を右手に纏うエリクが既に二人の目前まで迫った。
「ここまでですアイシャ様。大人しく眠っていただきます」
「あっ――」
エリクが右手をかざし、眠りに誘う霧が回避不可の距離から放たれた。もはや間に合わない。
「ガオオォォン!」
「うっ!?」
周りの木々をも震撼させる雄叫びとともに、緑の光で形を成した獅子がエリク達の間に割って飛び出した。霧はかき消され、獅子の引掻きを避けるようエリクが慌てて後退する。
「精霊魔法っ?」
エリクはすぐに傍の木陰から走り出した人影を確認した。
「うっ…ミーナ…っ」「先生…!」
カイとアイシャもまた、怒りを込めた眼差しでエリクを見据えるミーナの姿を確認する。
「エリク、おぬし…っ!」
「ミーナ殿、お久しぶりです。ここに来た時は姿が見当らなかったから心配してましたよ」
悪そびれずに子供じみた笑顔を自分に向けるエリクに、ミーナは歯軋りする。
「カイくん、体は大丈夫っ?」
「う、うん。もう大丈夫だよ、アイシャは?」
アイシャにより黒い毒は全て浄化され、カイがなんとか立ち上がる。
「もうっ、私も無事ですよっ。…もう少し自分のことを心配してください…っ」
涙目になるアイシャにカイはバツが悪そうに苦笑した。
「あはは…ごめん…」
アイシャとカイの無事を確認し、ミーナはエリクに構えなおす。
「おぬしも相変わらず、その能天気な脳を奴らに操られたままのようだな。仮にもビリマ師に師事したものがなんと情けない」
「ミーナ殿もやはり怒りっぽいままですね。それにいまだご理解いただいてないようですが、私はあくまで私の意志で動いているのですよ」
杖を握る力が強くなるミーナ。
「…これ以上何も話しても意味はないようだな。ここでおぬしを拘束して、ボケたその頭を正気が戻るまで叩き続けてやる」
憤慨するミーナに応じて緑の獅子が唸り声を低く響かせる。だがそれに反してエリクは穏やかに微笑んだ。
「ははは、ミーナ殿のお仕置きほど恐ろしいものはありませんでしたね。もっとも、貴方に私を拘束することができればの話ですが」
「それを自信満々に言うものでない。周りを見よ」
「おりゃあ!」「「「おおおおおっ!」」」
ミーナと同じく加勢しに来たドーネの斧が、ついに最後の死霊兵を粉砕した。連合軍が勝ち鬨をあげると、ラナ達に率いられてミーナとともにエリクを囲むように包囲した。
「…なるほど、これでは確かに不利ですね」
余裕な表情のエリクにラナが前に出る。
「貴様がエリクだな?先生のためにも、ここは大人しく縄についてもらおうか」
「さすがの気迫です。メルベ殿が気圧されるはずですね、気高き太陽の巫女よ」
「そうか…あの時、メルベの採掘場で教団の者らを率いていたのは貴様だったんだな」
ラナは、子供の親を無残に殺した教団の男のことを思い出す。
「ええ、あの時の貴方の勇猛ぶりは今でも目に浮ぶぐらい素敵なものでしたよ。さすが三国間でその名を轟かせるヘリティア皇国の第一皇女ですね」
「御託は良い、これ以上貴様らの狼藉を許す訳にはいかない」
ラナが手で指示すると、何名かの騎士がゆっくりとエリクを囲むように迫り、ミーナが喚び出した精霊もじりじりと彼に迫っていく。
「大人しく降伏せよ。でなければ腕一本ぐらい折ることを覚悟――」
キイィィィッ!
全員が空を見上げる。叫びとともに空を横切る怪鳥からザナエルがエリクの傍へと着地する。ゆっくりと立ち上がる彼の手には、今だ血がこびり付いていた異形の短剣が握られていた。
「ザナエル様」
「用事は済んだ、潮時だな」
「ザナエルっ、貴様っ、エウトーレはどうした!?」
怒鳴るミーナにザナエルは冷たい笑い声を仮面の下から発した。
「さて、どうなりましたかな?我らに構うより、早く彼の安否を確認した方がよろしいかと。んクククク」
血塗れた異形の短剣を見せびらかせるザナエル。短剣を見たミーナは、それについてる血は勿論だが、短剣自身が発する背筋をも凍る邪悪な気配にも驚きを禁じえなかった。
スガァンッ!
頭上の空に激しい閃光と振動が爆ぜる。ウィルフレッドとギルバート、二人の魔人の光り輝く武器の迫り合いが、バチバチと火花を散らしていた。
「久々に良い運動ができたなウィルっ。それに前よりも腕あげたみたいじゃないか。平和ボケしたこの世界でも精進を忘れないとは、嬉しいぜ…っ」
「ギル…っ」
「ギルバート殿っ!」
自分を呼ぶザナエルを一瞥し、ギルバートは改めてウィルフレッドに顔を向けた。
「ウィル、さっき言ったことを忘れんなよ…俺はいつでもあんたを歓迎するからなっ!」
そして彼は力を込めてアスティル・クリスタルの力を一気に解放し「――おおっ!」「ぐおっ!」ウィルフレッドは大きく弾かれた。
それを隙にギルバートはザナエルとエリクの傍まで飛び降りては二人を抱えた。
「ザナエル!」
ラナが前に出ようとすると、ドンっ!と粉塵が巻かれ、その風圧にラナ達は思わず目を避ける。
「うわっ!」「くっ!」
ギルバートに抱えられて空中に浮ぶザナエルがラナ達に言い放つ。
「女神の巫女殿にその戦士達よ!機が熟したときにまた相まみえようぞ!んハハハハハッ!」
「まてエリクっ!まだ聞きたいことが――」「ミーナ殿!どうか達者で!」
二人を抱えたままギルバートは高速で飛翔し、民たちが必死に修復しようとする結界の亀裂を潜っては飛び去っていった。
「ギル…」
ウィルフレッドは彼らが飛び去った方向を暫く見つめ続けていた。
――――――
「エリク、明日から引続きこの短剣に混沌を吸わせよ。一日も早く覚醒させるために」
「承知しました」
飛行しているギルバートに抱えられながら、ザナエルは異形の短剣をエリクに手渡す。
「どうやら無事用事を果たせてなによりだな旦那」
「それもギルバート殿がこうして運んでくれた故。この山脈自体が強い霊気に包まれてるゆえ、我らだけでは吹雪の結界にたどり着くだけでも相当な力がかかるのだらかのお。ギルバート殿には後でしっかり労ってやらねばな、くくく」
「はは、元より仕事のうちだが、そうしてくれるのはありがたいな」
「…今回も例の魔人の勧誘に失敗したようですねギルバート殿」
エリクの言葉にギルバートが苦笑するような声を発する。
「そういう甘っちょろいところがあいつらしいけどな。なに、前にも言っただろ。あいつもいつか理解して俺のところに帰って来るさ。俺達はこの世でたった一つの家族だからな」
「…そうでしたね」
ミーナを想いながら微笑むエリクはそれ以上問わず、二人はギルバートとともに山々を飛び越えては、雲の向こう側へと消えていった。
******
「レクス様、村の方の敵もすべて排除しました。皆様のお陰でこちらに死傷者は一人も出さずに済みました。ご協力感謝致します」
戦場も落ち着き、民の戦士達を率いていたリアーヌがレクス達に一礼する。
「気にしなくていいよリアーヌ殿、これも僕達を招待してくれた君やエウトーレ殿のお陰――」
「そうだ!エウトーレ!」
その名前で彼がさきほどザナエルと一人で対峙していたことを思い出すミーナ。
「先生?」
「ラナ!エリー!それとリアーヌも何名か治癒の出来る人を連れて一緒に来てくれっ!エウトーレが――」
「がああぁぁっ!」
いきなりの叫びに全員が、地面に降りたウィルフレッドの方を見る。元の姿に戻ってへたり込む彼の全身が異常に強張り、彼は地面に爪痕を残すほど苦しそうに悶えていた。
「ウィルくん!」「ウィルさん!」「兄貴!」
ラナやエリネ達が急いで彼の元へと駆けつける。
「ウィルさん!大丈夫ですかっ?」
「くぅっ!今回は少し…力を入れすぎたようで…っ、ぐおおっ!」
「今すぐ治療しますっ!」「キュッ」
エリネが杖を掲げて治癒をかけた。今まで以上に魔力を込めているのか、エリネから発する青の輝きはいつよりも強く感じられた。
「仕方ない。エリーはここでウィルの治療を。ラナ、アイシャ、一緒について来てくれっ」
「「はいっ」」
ラナとアイシャ、そしてリアーヌはそれぞれ軍と民の中から助けになりそうな人達を集めては、急いでミーナとともに離れた。
「兄貴っ」
「…ウィルくん、ごめん。僕はちょっと騎士や兵士達の指揮を取って谷の様子を見に行かなきゃ」
「ああ…構わないさ…。行ってくれレクス。それと、カイも、アイシャの傍についてってやれ」
「え、けど兄貴は…」
「エリーが治療してくれるから、俺は大丈夫だ…っ」
「ウィルさんの言うとおりよお兄ちゃん、ここは私に任せて」
少し申し訳なさそうなカイの肩にレクスがポンと手を置き、カイはエリネとウィルフレッドをもう一度見ると、ようやく頷いた。
「…分かったよ兄貴。エリー、兄貴のこと頼むな」
「うん、任せて」
いつもどおりのエリネの笑顔にカイも安心したのか、やがてレクスとともにその場を離れた。
「どうですウィルさん?魔法、効いてます?」
ウィルフレッドはすぐには答えず、目を閉じては息を整え始めた。エリネが放つ癒しの光が温かい暖流となって、痛みに苛まれる体を優しく流れていき、ゆっくりではあるが痛みが徐々に引いていく。
「…ああ…とても楽になれたよ…」
「それは良かった。…ふふ、ウィルさんはやっぱり優しいですね」
「え?」
「さっき、お兄ちゃんがアイシャさんと一緒にいられるよう計らいましたでしょ」
「あ、ああ…あれは別にそこまで深く考えていないさ。ただ単に、カイなら多分アイシャと一緒にいたいだろうと思っただけで…」
「そういう心遣いが優しいというのですよ」
少し照れながら苦笑するウィルフレッドに、エリネは嬉しそうに微笑みながら魔法をかけ続ける。彼もまた彼女から流れる癒しの力を静かに感じていた。痛みは未だに感じるが、呼吸も落ち着き、じっと座るのに苦を感じないほどに回復すると、ふと彼はエリネの顔を見つめる。
(((俺達はこいつらとは違う存在だ)))
(((お前が彼らに害を成さない保証もまたどこにもいない)))
「あっ、ウィル、さん?」
「キュ?」
エリネが少し驚いた。ウィルフレッドが俯いたまま掴んだからだ。この世界に来てからいつも自分を癒してくれた、彼女の小さな手を。
「エリー…」
自分に向けられるか細い声に、どきっと胸が少し高鳴るエリネ。
「君達は、俺をよそ者と見ていないと言ってくれた。だから俺も、絶対に君達を傷つけない、絶対に、だ」
力強そうな口調けれど、その後ろに隠された不安の表情をエリネは聞き取り、ただ微笑んでは自分を握るその大きな手を握りかえす。
「そんなの当り前じゃないですか。私たち、ウィルさんのことずっと信じてますから」「キュキュッ」
ルルもまたエリネに賛同するようにウィルフレッドの肩に飛び移って頬ずりする。
「…ありがとう、エリー。それとルルも」「キュ~」
俯きながらルルを撫でるウィルフレッドを、エリネはいつものように優しい微笑みを向けながら治療を続けた。
******
「エウトーレ!どこだ!」「エウトーレ様!」
ラナ達を案内して四神の鍛冶場へと駆け戻ったミーナ達が、廃墟と化した鍛冶場でエウトーレの姿を探していた。本来なら封印管理継承者や谷の管理者しか入れない決まりだが、この緊急時でそれを構ってもいられないリアーヌもまた数名の民の人とともに鍛冶場に入っていた。
「あぁっ!あそこっ、エウトーレ様!」
カイ達とともに周りを見回してるアイシャは、血溜まりに倒れたままのエウトーレを発見し、リアーヌとミーナ達は火急に彼の傍へと駆けつけた。
「エウトーレ様…っ」「エウトーレっ!しっかり!」
リアーヌ達がエウトーレを囲み、ミーナが意識を失った彼を起こす。胸に開いた傷に纏いつく強烈な瘴気に思わずミーナが顔をしかめた。
「これは…邪神由来の瘴気?ラナ、アイシャっ」
ラナとアイシャが頷いては、二人で治癒をかけた。巫女の魔法に当てられて黒い瘴気がまるで生きてるかのようにうねり、おどろしい奇声を発しては、二人は聖痕に疼きを感じられた。
女神の巫女二人の力により瘴気は程なくして断末魔を発して雲散し、エウトーレの胸の傷も回復していった。
「っ、ラナちゃん、先生…」
だがそれに反して、アイシャの顔は曇ったままで、ラナとミーナもまた深刻そうな顔を浮かべたままだった。
「…ミーナ、殿…」「エウトーレっ」
ゆっくりと目を開くエウトーレの声は、今にも消えそうにか弱かった。
「エウトーレ様っ。回復なさったのですか?」
「…いいえ、リアーヌ…血が、流れすぎましたし…私の命は既に、消える寸前まで、ゾルドの瘴気に侵されています…」
「エウトーレ様…」
リアーヌとその民の声や表情は思った以上に落ち着いていた。
「だから一人で無茶をするなとあれほど…っ」
「すみません…つい…油断してしまって…ごほっ」
再び喀血するエウトーレ。
「エウトーレっ」
「ぐ…申し訳ないのですが…私の杖を…お願いします」
ラナは無言で傍に転がり落ちてる杖を、自分のマントで血を拭きながらエウトーレに手渡した。
「どうぞ」
「かたじけない、ラナ様…。リアーヌ、こちらに…」
「はい」
エウトーレのすぐ傍で跪いたリアーヌ。
「簡略な…儀式はではありますが…リアーヌ・ヴァニティ…これからは貴方が、谷の管理者として人々を導きなさい…」
慎むように頷いてはエウトーレの杖を受け取るリアーヌは、心なしか少し輝いたかのように見えた。
「ミ、ミーナ殿…あの、ザナエルが持っている短剣を、見ましたか…?」
闇色の宝珠がはめ込まれた異形の短剣を思い出しては頷くミーナ。
「ああ、あの短剣が放つ邪気、尋常ではなかったな」
「…あの短剣はゾルドより生まれたもので、まだ覚醒はしてないと、ザナエルは言ってました…正体は分かりませんが、あれは非常に危険です…どうか、ご注意なさってください…げほっ!」
「エウトーレ!」「エウトーレ殿!」
また大きく血を吐き、いよいよもって息遣いも苦しくなってきたエウトーレ。
「…時が、来たようですね」
自分を見るエウトーレに、ミーナは顔をしかめながらもゆっくりとエウトーレを寝かし、彼はいつもの超然とした微笑を皆に見せた。
「どうか悲しまないでください…死とは終わりでなく、ただ新たな旅立ちの始まりに過ぎませんから…」
リアーヌとその民達もまた、穏やかに目を閉じては祈りを捧げた。
「ガリア様の御慈悲がありますように…」
最後の力を振り絞り、エウトーレも囁いた。
「巫女様とその戦士達に、女神達の祝福を…」
目をゆっくりと閉じていくエウトーレの体が、ぼんやりと光だし、まるで大地に帰っていくように崩れていった。最後に小さく何かを囁き、ミーナが小さく目を見開いた。
塵と化して風に吹かれて消えるエウトーレに、ラナとアイシャは黙祷し、ミーナもまた立ち上がり、リアーヌ達と同じように祈りを捧げた。
「安らかに、エウトーレ殿」
【続く】
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