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第七章 小休止

小休止 第一節

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「報告します!ラナ皇女を先頭とした連合軍の攻勢により第二陣が撃破されました!」
カーナ街の占領軍を率いるブマ公爵のテント内に、街の解放のために攻勢をしかけた女神連合軍との戦況を伝令が報告する。

「なに!?魔法隊は!?森で待ち伏せしていた兵士達は何をしておったっ!丘からやつらの横腹を就くはずの赤槍騎士団もいたはずであろうがっ!」
「それが…魔法隊の射撃はアイシャ王女の結界で殆ど防ぎられ、森の兵士達は川を遡ってきた敵軍勢により裏をかかれてしまい、全滅…っ。赤槍騎士団も陽動作戦に陣形を乱されて壊滅しました…っ」

「あの百戦錬磨のラーム団長が出し抜かれただと…っ?おのれ…敵軍に相当な手練れの軍師がいることかっ。ええいっ、砲兵に大砲の用意せよっ、こうなったら敵兵が本陣に近いたところで一斉射撃して殲滅――」

「た、大変ですブマ様!火薬が…大砲用の火薬が全部破壊されました…っ」
「なんだと!?」
「衛兵によれば、銀髪の男が陣地内に忍び込んで、火薬を保管しているテントに火をつけたもようで…先に運ばれた火薬も水をかけられて湿ってしまい、もはや使い物になりませんっ」

「報告!ラナ皇女が騎兵百名を率いて本陣へと突っ込んできますっ!」
「ぐ、ぐぬぬ…っ」「ブマ様…」
「…やむをえん、白旗を揚げよ、わが軍の完敗だ」




ラナ一行が女神連合軍を結成してからは、エステラ王国を目指しながらヘリティア皇国により占領された街や都市を次々と解放していった。レクスの戦略、ウィルフレッド達の支援にラナとアイシャの巫女としてのカリスマを元に、連戦連勝の快進撃が続いていた。

最初は数百名しかなかったその軍勢も、解放された町や他の領地の領主からの支援、投降した占領軍から吸収したヘリティア軍などで急激に成長し、いまや数千名近くの軍力を擁するようになった。

その噂は瞬く間に大陸全土へと行き渡り、ラナはその勢いに乗って自分こそが真なる皇女だと公言し、教団が暗躍し始めたこと、オズワルドの不義を糾弾した。国王ロバルトを初めとするルーネウス国の諸侯は当然連合軍を支持したが、オズワルドはそれらを全て否定し、皇女と巫女の名を騙り、教団暗躍の作り話で人々の不安を煽るルーネウス王国の陰謀だと反論した。

結局、ラナ達はやはり最初の予定通りエステラ王国と教会国の協力を求めるよう旅を続けた。


******


同時刻、ルーネウス王国のとある森で、件の包みを持ったアランの娘クラリスが、連合軍の噂を聞いてラナ達と合流するよう移動していた。

「はあ…はあ…この調子なら…あと数日かければ…ラナ様に、追いつく、はず…っ」
包みを大事に抱えたクラリスは必死に道を急ぐ。慌てて帝都を離れて路銀がほとんどないせいで馬を調達できずにいた彼女は、時おり追手らしき怪しい視線を感じてはそれを撒くのに時間が掛かってしまい、ラナ達となかなか合流できずにいた。

道中で何度か包みの安否を確認し、ラナと、彼女とともにいるはずの父アランを思う。
(ラナ様、お父様、栄光あるヘリティア騎士の一人として、必ずこれを届いて見せます…っ)

クラリスは懸命に走ると、ふと足を止めた。
(? この声は…)
森の前方から、何か騒がしそうな声が聞こえた。クラリスは警戒しながらゆっくりと進み、やがて森の境界を抜けると、そこは崖の上にあり、眼前には大きな空き地が開いていた。
「これは…っ」

ただっ広い空き地で、ヘリティア皇国の旗を揚げる軍と、ルーネウス王国の旗を揚げる軍が交戦を広げていた。雄々しく突撃のときを上げて進む騎兵隊が、迎撃の陣形を構えた兵士達のなかへと突っ込む。重装備の騎士達が互いにぶつかり合い、激突する鎧と剣戟の金属音をも凌ぐ大砲の爆音があちこち響きまわっていた。

(あの旗…ウェルズ公のものね。あいつは確かオズワルドと親しい仲のはず。もう一方は…ルーネウスの地方貴族の旗かしら?)

茂みに身を隠しながら崖の上で両軍の戦いを観察するクラリス。戦の流れはどうやら既に決しているようだ。ヘリティア皇国軍は敗退しており、ルーネウス軍は雄叫びをあげながら最後の一押しをしていた。

(オズワルドの奴、いいざまね)
自国の軍が敗退するのはあまり心地良いとは言えないが、それが逆賊オズワルドの手の者だと思うと、寧ろ逆に喜ばしいと感じられた。

(にしても困ったわ。ラナ様のところに行くにはここを通らなければならないけど、回り道してる暇なんてないのに…)

どう進むべきか逡巡する中、クラリスは遠くの空に染められた一点の赤色に気付く。
(何かしら、鳥…?)

それがそんな生易しいものでないことを、彼女はすぐ知ることになった。赤色の鳥と思わしき光の中に黒い何かが哄笑した。
「はぁーははははっ!」
漆黒の告死鳥―黒き魔人アルマの手に一振りの槍が握られ、そのままルーネウスの軍勢に突っ込んだ。

鎧の破片が混じり入った赤い血肉の飛沫が飛散った。魔人は空へと急上昇すると、ありえない旋回軌道で地上目がけて再突進した。大地を揺るがす衝撃と巻き上がる砂塵とともに二度目の血肉の花びらが咲いた。

あまりにも突然の出来事に理解が追いつかないルーネウス側の進軍が止まる。事情を知っているヘリティア側の指揮官が大至急、すでに敗退している兵士達の撤退を急かした。

「はっ、まったく、平和ボケした奴らが揃ってしてよ…」
軽蔑と憎悪の混じった声が響くと、砂塵が散っていく。そこには空で滞空している黒き魔人が、その蒼白なサイバネアイでルーネウスの騎士と兵士達を睨んでいた。

「う、うあぁ…っ」
ようやく状況を理解した兵士達が、目の前の恐ろしき怪物に恐怖の呻き声をあげる。
「うっ、うろたえるなっ!」
辛うじて心を保つ凜とした騎士の一声が彼らを激励する。

「おのれヘリティアめ…っ!こんな恐ろしい魔獣モンスターまで使いおって!だが我らルーネウスの誇りにかけて!民のために!王のために決して負けはせんぞっ!」
「そうだ!侵略者なぞに負けてたまるものかっ!」
「「「うおおおぉぉっ!」」」

騎士達の雄叫びとともに兵士達も恐怖を克服し、目の前の敵に向けて弓矢と魔法を浴びせた。だが当然、それらがアルマに効くわけでもなく、矢は弾かれ、魔法の炎と凍りも傷一つつけられない。それでもルーネウス軍は攻撃をやめなかった。敬愛する王と、守るべき家族と、己の誇りのために。

そんな騎士達の雄叫びに反して、攻撃を一切避けずに受け止める魔人は不気味なほど沈黙したままだ。
「…くくっ、誇りだの王だの、ご大層な言葉あげて戦争ときたもんだ…こんな子供遊びが戦争だと?」

魔人はゆらりと槍を持ち上げる。
「ふざけるな…戦争ってのはなぁ…」
真紅の電光が美しくも不気味に槍に奔る。
「こういうのを言うんだぁっ!」

まるで死神の鎌が命を収穫するかのような赤の軌跡が、戦場の一端から一端まで大きな爪痕を抉り出した。血しぶきと肉片が時間差を置いて空から騎士や兵士達に降り注ぐ。

「オラオラオラァーーーッ!」
魔人が飛翔した。ドラゴンをも上回る速度でデタラメな飛翔機動の軌跡を刻みながら、真っ赤な光弾を鮮血の雨とともに戦場中に降らせた。

騎士達の雄叫びは瞬時に阿鼻叫喚へと塗り替えられた。大地を震撼させる衝撃とともに人々の体がボロ雑巾のように高く吹き飛ばされ、或いはそのまま消し炭と化して行く。誇りと勇気はもはや砕かれ、誰もがただ死から逃れるよう、

「そうだっ!逃げろっ!叫べっ!そして覚えとけっ!その必死さこそが生きるってことをなぁぁっ!」
細かい爆撃をやめ、滞空して腕をかざすと、今度は赤い光の束がルーネウス軍の砲兵達を、魔法隊を、本陣を文字通り薙ぎ払っていく。光が過ぎ通った跡が更に猛烈な爆発が炸裂し、巻き起こした業火が絶叫と悲鳴をも飲み込んでいく。

それはもはや戦いではない。この世界に存在するはずもない異形が、魔人が思うがままにその暴威を振るう一方的な殺戮に他ならなかった。

ほどなくして、大勢の軍隊が埋め尽くしていた空き地に、生きてる人は誰一人いなかった。ヘリティア軍は既に後退し、ごく僅かに生き残ったルーネウス軍の兵士や騎士も一目散に森へと逃げ込み、焼け野原と化した大地には無数の躯だけが横たわっていた。ただその黒き魔人を除いて。

「…クク、はははははーーーっ!」
嫌悪に満ちた声ではなく、心の底から満足したような声で、黒き魔人、ギルバートは大きく笑い出した。

(な、なに…あれはなんなの?いったい何が起きたの?)
クラリスは目の前に起こったことを理解しようとした。地球では日常茶飯事の光景ではあるが、ハルフェンこの世界において目の前の異様な事象自体が、怒り狂ったドラゴンの猛威とは根本的に違う異質なものだった。彼女の体は無意識にガタガタと震えていた。

(は、早くここから、逃げないと…っ)
だが次の瞬間、その震えがぴたりと止まるほど、彼女の体が凍りついた。はるか遠くの空き地で立っている黒き魔人が、

(え、ま、まさか私を見てるの…っ!?)
クラリスが体を無理やり動かそうとすると、既に遅かった。魔人が遠くにある空き地から、ほぼ一瞬でクラリスが身を隠している茂みの前へと飛び降りた。

「きゃああっ!?」
クラリスは茂みから半ば転ぶような勢いで飛ばされ、地面に尻餅ついてしまう。ギルバートもまた、一歩前にでて彼女の前に立った。
「なんだお前、さっきの奴らの偵察兵か?」
「あ…あぁ…」

歯をガチガチと言わせ、クラリスは漆黒の魔人姿のギルバートを見上げた。この世界の人知を超え、この世に属さない鋼鉄の異形。その目に睨まれるだけで異界へと連れ去られそうなほどに現実味のない異質さに、彼女の全本能が恐怖を訴えた。

「ん?それは…」
ギルバートは、クラリスがそれでも決して手放さない包みの方を見やる。彼女はまた一段と震えた。恐れからではない、敬愛なるあるじのラナと、親愛なる父と母のこと、そして自分が果たさなければならない使命が、恐怖に支配されようとした彼女の理性を呼び戻した。

「く…っ!」
クラリスは己を奮い立たせて、数歩退いては効くかも知らない剣を抜いて構えた。

「……」
クラリスとギルバートは暫くそのまま見つめあった。
全身が震えながらも、包みを抱える手と剣を握る手を決して緩めず、恐怖に負けまいと必死な眼差しでギルバートを睨み返した。永遠とも思われる時間が続く。

「…へっ、まあいい、そいつの確保は今回の依頼にはねえからな」
「え…」
ギルバートのナノマシンランスが光り、腕の結晶へと吸い込まれていた。
「運が良かったな嬢ちゃん。あんたはただの通りすがりのようだし、俺はストレス発散して丁度気分が良いところなんだ」

困惑するクラリスをよそに、ギルバートは身を翻す。
「せっかく命拾いしたんだから、他の奴に捕まらないようにな」
ドンッ、と砂塵が巻き上げられる。

「きゃあっ!?」
クラリスが恐る恐る顔を上げると、そこにギルバートの姿はどこにもなく、ただ遠くの空に一点の赤色だけが遠のいていた。

助かったことを認識すると、クラリスは再び腰が抜けてぺたんと地面に座り込み、包みを強く抱きしめては震える。
(め、女神様っ、ご加護に感謝しますっ!ラナ様、お父様…っ!)

体の震えが収めるまで、彼女はずっとそのまま感謝と祈りを捧げ続けていた。


******


「ご報告します、ザナエル様」
「…申し上げよ」
邪神教団の祭壇の間で、空に浮ぶ水晶に祈りを捧げる作業を監督しているザナエルにエリクが声をかける。以前よりも一際大きくなった漆黒の水晶は不気味なオーラを発し続け、その中身に何かが胎動する影もまたより一層に映るようになっていた。

「巫女達はさきほどカーナ街の占領軍を打ち負かし、ブマ殿は投降した模様です」
「ほう、どうやら巫女殿の進軍は順調に進んでるようだな、結構結構」
報告の内容に反し、ザナエルは喜びの声を上げた。

「そうですね。それと、やはり巫女達による進撃によりルーネウス王国の側の士気は大きく鼓舞されてるようで、今まで国境で拮抗状態にあったいくつかの戦線ではヘリティア側が敗退し始めてる様子も見られます。ですが幸い、ギルバート殿が良い仕事をしてくれていますので、戦況はおおむね膠着状態を維持しています」
「ククク、正に魔人殿様々よな。帰ったら丁重に労ってやらねば」

その言葉とほぼ同時に、祭壇の間にギルバートが大きく扉を開けて入ってきた。
「おう、ザナエルの旦那、エリクもいるのか。仕事終わったぜ、お望みどおりウェルズとやらと対峙してた敵軍を一通り殲滅したぞ」
「これはギルバート殿、お勤めご苦労。無事ことを成し遂げてなによりだ。報酬は既にそなたの私室に用意してある。女どもの身だしなみもな」
「へっ、さすが旦那、用意周到じゃないかつ」

「なに、仕事の働きに相応な返しをするは当然よ。それにこの前提供してくれた変異体ミュータンテスとやら、実に興味深い玩具だ。それに応えるためにこれぐらいの用意はせんと。そなた風に言うと、大事な提携対象であるからな」
「ははぁ、しゃれてるね旦那っ。だが忘れんなよ。残骸から持ち出したのはあんたらに渡したその数本分だけだ。使い切ったらそれで終わりだからよ。んじゃお言葉に甘えてじっくり楽しんでくるわ」

ギルバートが軽く手を振るうと口笛を吹きながら最大の間から出て行くのを見送ると、エリクはザナエルに耳打ちした。
「…あのままでよろしいのですかザナエル様?」
「なにがだ?」
「確かにギルバート殿のお陰でこちらの計画は予想以上に順調に進んでますが、しょせんは異邦人です。その想像を絶する力は一歩間違えれば私たちに害を及ぼす可能性もあります。念のため、意志拘束の呪いなどの枷をかけておいた方がよろしいのでは…」

エリクが言うと実に皮肉だとザナエルは心の中で笑いながら答えた。
「クク、心配性だな。だがエリクよ、何かの計画を遂行しているとき、失敗に一番繋がりやすいことがなんなのか知っておるか」
「いえ」

「相手を甘く見ることにあるのだよ。巫女たちに対してもそうであるし、ましてやギルバート殿の力は我らとは全く異質なものだ。我らの呪いが効くかどうかも分からないまま、うかつに手を出しては藪蛇になりかねん。食べ物と女だけで強大な力が我らに協力してくれると考えれば寧ろ安いと思うべきであろう」
「…確かにおっしゃる通りですね」

ザナエルは水晶に再び顔を向ける。
「それよりも、他の作業の進捗はどうなっておる」
「はい、短剣の方ですが、ラナ達連合軍の蜂起に合わせ、オズワルド殿が皇国各地の工作員を動かして争乱を広げたお陰で順調に力を蓄えております。まだ暫くかかりますが、覚醒するのも時間の問題でしょう」

「そうか。オズワルドめにも感謝せねばな。エステラ王国の件以来、各国王族の警戒が高まって中々つけ入る隙が見つからなかったが、彼が手引きしたお陰で我らもようやく本格的に行動することができたのだから」

「ええ、そしてについてですが、第一の方はラナ達が採掘場をいくつか解放したせいで多少遅れが見られますが、進捗に大きな影響はありません。ただ、第二、特に第三の塚は予定よりもかなり遅れているようです」
「ふむ…第一はともかく、第三の方はその性質もあって素材を集めるのが難しいからな。無理もない」
「いかがいたしましょう。もう少し、素材作成の場所を増やしてみるとか」
「いや、あまり増やしすぎてはかえって目立つ」

暫く考え込むザナエル。
「…そうだな、ここは一つ、ギルバート殿から頂いた玩具を利用してみるか」
ザナエルのどこか嗜虐的で楽しそうな笑い声が、他の信者たちの祈りの声に混ざり、祭壇の間に響いた。



【続く】

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