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第五章 月の巫女と黒の魔人
月の巫女と黒の魔人 第五節
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ラナ、アイシャ、レクス、そしてカイとエリネ、ルル、ウィルフレッドは、道案内するミーナに続いて湖へと続く歩道を歩いていた。ビトレ町から湖へ行く人も多いのか、舗装された道は綺麗に整備されており、雲に綴られた青空も相まって心地良く感じられた。
「ミーナ、さっき言ったこと本当なのかよ。ウェルトレイ湖の竜と知り合いだったなんて」
カイは未だに信じられなさそうな感じだった。
「我が嘘をついても仕方ないだろう。まあ、古代竜の殆どは千年前でこの世から去ったか、人目を避けて長い眠りについているから、信じられないのも無理はないがな」
「千年前と言うと、やはり邪神戦争のせいなのか?」
「…そのとおりだ、ウィルフレッドとやら。竜とは元々、人間の文明が盛る前からこの世界で生息する強大な種族だ。智慧、肉体は勿論、中では特殊な力を持つ竜種も少なくないが、邪神戦争では女神達とともにゾルドと戦った末、その大半が命を失ってしまった。生き残った極僅かな竜達は長い休眠へと入り、いまだ地上で活動している竜は基本的に全て戦争後に生まれた若い奴らしかいない」
レクスが頷く。
「なるほどぉ、んでその中、極僅かな古代竜の生き残りで珍しく休眠していない一匹が、この先のウェルトレイ湖に棲む…えっと、なんだっけ、ザーフィ…ザーフィ…」
「ザーフィアスだ。青空竜のザーフィアス殿。奴は元々気性の激しい竜だったが、女神エテルネに調伏されて以来、女神の命によりビトレ町を守ることになってな。そのお陰で邪神戦争では本戦の方に参加せず、死なずにすんだ古代竜の一匹だ。あやつと最後に会ったのは五十年前だが、恐らく今でも湖の結界内で悠々と居眠りしながら、ビトレ町の生活を覗き見しているだろうな」
ミーナの口調は懐かしそうだった。
「五十年前って、お前いったいいくつ…ってうお!あぶね!」
顔面に飛んできた小石を間一髪でカイが回避する。
「女性の歳を聞くとは失礼なガキだ。次はきっちり当ててやるからな」
「ぐぬぬっ、やっぱ可愛くねえやこいつ」
「さっきのはお兄ちゃんが悪いんだから仕方ないでしょ」「キュキュッ」
そのやりとりにアイシャはやはり手を口に当てて艶やかに笑うと、こっそりカイに耳打ちする。
「エルフは基本的に長寿ですし、一部氏族を除いて老化しませんからね。外見から判断するのは難しいのです。実際私とラナ様も、先生の本当の年齢は知らないのですから、気になる気持ちは分からなくもないですよ」
美しく繊細な声で耳元に囁かされ、カイの顔が真っ赤に染めた。
「そ、そーデスネ。そりゃキニナリますよね、あははは」
アイシャがくすりと楽しそうに笑い、テンパるカイは実にぎこちない笑い声を上げる。ウィルフレッドと一緒に歩くエリネは彼の声に溜息つき、肩に乗るルルもそれを真似るように溜息した。
「お兄ちゃんったら、アイシャ様相手にそんなデレデレして…。迂闊に失礼なことしちゃうかどうか心配だわ」
ウィルフレッドは微笑ましそうに小さく笑う。
「なに、カイはカイなりにちゃんと考えてるところもあるから、それぐらいは弁えるさ」
「だといいんですけどね」
そんなカイを見るラナもまた小さく苦笑する。
(やれやれ、カイくん色んな意味で苦労しそうね。アイシャ姉様のこと、幻滅しなければいいんだけど…)
「それで、このザーフィアスはどう僕達に助力してくれるのかな?教団との戦いに協力してくれるとか?」
「できれば嬉しいが、それは難しいだろうな。竜は一部を除いて他の種族の事は不干渉というスタンスが基本だ。邪神戦争時もゾルドの眷属と決戦時以外は殆ど手を出してなかったと言われる。余程のことがない限り誰かのために戦うことはまずないだろう」
「じゃあどうやって…」
「さっきも言っただろう。竜の中では特殊の力を持つ奴もいると、ザーフィアス殿もまた持ってるのだ。未来視という力をな」
「へっ、未来視って…、未来のことが視えることなのっ?」
レクス達が軽く声をあげる。
「うむ、極めて珍しい力だぞ。他に未来を見通せる力は星の女神スティーナを起源とする星占術ぐらいだし、しかもまだ発展途中の分野だ。ザーフィアス殿のとは精度が違う。本来その力を借りてラナを探すつもりだったが、代わりに帝都にあった聖剣の在り処を聞くつもりだ」
「へええ、結構便利な力もあったものだなあ。王都で開催される新年宝くじの当たり色もこっそり教えてもらおうかな」
「貴方ねえ…」
ジト目でレクスを見るラナ。
「冗談、冗談だってば。そんなつまらないことを僕が聞くわけないじゃない」
「そう?結構本気だと感じたけど」
「気のせいですよきっと」
にへらと笑って誤魔化すレクス。そんな二人を余所に、ミーナは改めて後ろを振り向いてエリネやカイと話すウィルフレッドを見やった。
「…ラナ、そこにいるウィルフレッドという奴は一体何者だ?どこかの剣士だと言ってたが、本当はそうではないだろう?」
ラナは一旦レクスと見交わしてから答える。
「はい。…彼のことは後で改めて紹介します。少々事情が複雑なので」
「であろうな。良い、後でまたじっくりと話を聞くとしよう」
もう一度ウィルフレッドを見ては、ミーナは案内に専念した。
ふとアイシャが前を指差す。
「あ、あそこがウェルトレイ湖でしょうか」
一行が林を抜けると、大きな湖が目の前に広がっていた。空と山々を映し出す湖面から吹くそよ風が気持ちよく彼らを迎え、湖に続く歩道の終わりのすぐ傍に祠らしき建物があった。
「まあ、綺麗な湖ですね…。時間があればじっくりとこの景色を堪能したいところです」
「ああ、俺もそう思う…思います」
ぎこちない丁寧な言葉でアイシャに相槌打つカイ。
エリネとウィルフレッド達も、目の前の景色と涼やかな風に感慨を覚えた。
「こんなに気持ち良い風が吹く湖、初めて…。これだけでここが素敵な場所だと分かりますねウィルさん」
「そうだな…」
だがそんな彼らとは逆に、ミーナは眉をしかめていた。
「妙だな」
「どうかしましたか先生?」
ラナが問う。
「湖の底にあるはずの結界の気配を感じない…。どういうことだ?」
ミーナが不審に思った途端、エリネは湖からの異様な気配を感じ取った。
「あっ、何かが湖から浮上して――」
その言葉と同時にウィルフレッドのセンサーも、湖の底から急速に浮かび上がる物体を捉えた。
「みんな伏せろ!」
彼が大きく叫ぶと同時に、湖面が巨大な水しぶきを吹き上げては破裂した。
「きゃあ!?」「なんだあ!?」
地面に伏せたミーナ達の頭上を、青く輝く美しい鱗で覆われ、流麗な巨躯を持った竜が悲痛そうな咆哮を上げながら飛翔していた。
「ザーフィアス殿!?」
ミーナは見上げると、竜は苦悶の声を上げ続けながら、湖の反対側へと飛んでいった。
「あの竜がザーフィアスっ!?でもなんか苦しんでないかっ?」
「様子がおかしい、みんな追うぞ!」
「あ、ミーナ先生!」
ミーナに続くようアイシャ達は、おぼつかない感じで飛翔するザーフィアスの後を追った。ザーフィアスは苦痛そうに体をうねりながら飛び、数回苦悶の叫びをあげると、やがて一気に森へと墜落した。
「ザーフィアス殿!無事かザーフィアス殿!」
ミーナ達が倒れ込んだザーフィアスに駆けつけてその様子を窺った。
「凄い…、普通の竜よりも遥かに大きい。これが古代竜なのかい」
滴る水でより美しくきらめく青い鱗、普段の無骨なイメージに反して流水のようにしなやかな体躯。この状況でなければ、間違いなくその美しい形に感嘆のため息をもらすだろうとレクスは思った。
「ザーフィアス殿!聞こえるかザーフィアス殿!」
「…ミ、ミーナ殿か…」
老齢な女性の、しかし弱々しい言葉を竜が発した。
「いったいなにがあったのだ!」
「お、恐ろしい…かのような、かのようなモノが、この世に存在するなど…っ、ガフッ!」
ザーフィアスが喀血し、体が一際大きく跳ねる。
「ザーフィアス殿!」
「おっ、おいっ、これ…!」
カイの声でミーナ達が、ザーフィアスの胸に大きな穴が開いていたのに気づいた。
「この傷、誰かにやられたのかっ!?ザーフィアス殿…っ!」
「そんな、早く治療を…っ」
「いえ、もう手遅れよ」
魔法をかけようとするエリネを止めるラナ。その穴は深々と竜の心臓を一撃の元で破壊したからだ。アイシャは思わず口を覆う。
「ひどい…っ」
「アイシャ様、どうか後ろに」
レクスはそっとアイシャを後ろに退かせると、竜の胸の傷口を見る。
「この傷、出血が少ないと思ったら、周りが焼け焦げているせいなのね…。竜の鱗を一撃で貫けるなんて、いったい何に襲われたんだ?」
ウィルフレッドがその傷口を見た途端、目を大きく見張った。
(こ、この傷跡は…っ!)
「おうおう、なんだあこんなに野次馬が集まって」
後ろから男の声が響き、ウィルフレッドの体が固まった。一行が振り返ると、そこにはレクス達にとって見慣れない服を着込んだ、鋭い目つきの男が立っていた。
「悪いがそいつぁ俺の獲物なんでな。そこを引っ込んでもらおうか」
男が一歩前に踏み出す。
「な、てめえがこんなひでぇことをしたって言うのか!?この――」
「待てカイ、下がるんだっ!」
「兄貴っ!?」「ウィルさんっ?」
カイ達を後ろに退かせては前に出て構えるウィルフレッド。
「ん、おめえ…ウィル?ウィルかっ!ははっ!本当にウィルじゃねえか!」
レクス達はウィルフレッドの方を見た。男の喜びに満ちた声に反し、彼の表情はいつにもなく険しいものとなっていた。
「まさか本当に生きていたとはなっ!まったく悪運の強い奴だっ!一体どこをほっつき歩いて――」
男がまた一歩進むと、ウィルフレッドが体はを強張って警戒する。それを見た男は不敵に笑い、立ち止まった。
「はっ、どうやら感動の再会って訳にはいかないようだな」
「ギル…っ」
ウィルフレッドと同じく警戒するレクス達はその名前に聞き覚えがあった。
「ギルってまさか…ウィルくんが言っていたもう一人の異世界の魔人、ギルバート…?」
「異世界の魔人、だと?」
ミーナとアイシャが瞠目して対峙するウィルフレッドとギルバートを見た。
「どうやら自己紹介はいらねえようだな。…そう緊張するなウィル、俺は別にあんたと事を構えるためにここに来た訳じゃねえさ」
まるで旧友と話すような口調で話しかけるギルバート。少しだけ強張った体を緩めるウィルフレッドだが、依然として厳しい眼差しで彼を見据える。後ろでギルバートを警戒するラナやカイ達も、彼の物言えぬ威圧感に構えを解けずにいた。
(なんなんだこいつ…?普通に話しているだけなのに、この…背筋が凍るほどの異様な感覚は?)
ギルバートの姿を見て、カイの体がかすかに震える。ウィルフレッドに対してこのように戦慄が全身を走ることはなかった。レクス達もまた同じだった。
それはまるで、目の前のギルバートは、自分が異質な存在であることを隠そうとするウィルフレッドと反して、それを一切隠すことなく発散しているかのようだった。それでカイ達は本能的に察しているのだ。目の前のギルバートは自分達とは根本的に異なる、異質で危険な存在であるだと。
「ギル、お前はあれから何をしてきたんだ?…なぜこの竜を襲った?」
「あ?ああ、あれか、今の雇い主に頼まれたんだ。あんたに会いに来たついでに、ここに棲むトカゲを退治してくれてってよ」
「雇い主?」
「この妙な世界で右も左も分からねえ俺に手伝いをして欲しいと持ちかけてきた奴がいてな。その報酬として住処や食事、欲しいものを提供してくれるって言ってたんだ。『組織』はここにはいないし、大昔の傭兵稼業にも悪かねえと思ってな。今はそこで邪魔してるって訳だ」
手を腰に当てて実に楽しそうに語るギルバート。
「結構悪くねえ待遇だぞ。地球にはない豪勢な料理が一杯あるし、住処も一流の部屋を用意してくれてよ。ああ、あと女だ、ここの女はいいぞ、変な匂いやサイバネ改造もされてねえ、何もかもが天然もんの極上品だ」
ギルバートが晴れやかな空を見上げる。
「なかなか良い世界だなあ、ここは。空気も淀んでねえし、水は美味いときたもんだ。しかも竜だの魔法だの、アオトが嬉しくなれる面白いものも一杯あってよ。腐りきった俺たちの世界とは大違いだ。あんたとの戦いでお互いジ・エンドだと思ったが、こんな面白いところに来られたんだから、人生何かあるのか分からねえもんだ。そうだろウィル?」
どこか神妙に感じられるギルバートの声。ウィルフレッドは構えを解いたが、何か動きがあればすぐに対応できるように彼を注視し続けた。
「…俺に会いに来たと言ったな。何をするつもりなんだ?」
「そんなの決まってんじゃねぇか」
当たり前のことなのになぜ聞くような口調だった。
「ウィル、俺と一緒に来なよ。たとえ色々あったとしても、俺達は家族だ。何があっても、家族は互いを裏切らないし、家族の面倒を見るのは当たり前のことだろ?」
「ギル…」
その言葉が、ウィルフレッドに万感の思いを募らせ、顔に複雑な表情を浮かばせる。
「アオト達のことも俺は別に気にしてはいないさ。あれは言うなれば家族の喧嘩みたいなもんだからな」
(アオト…?)
その名前を聞いて、ウィルフレッドが悲痛そうな表情をしてツバメの首飾りに触れるのをラナが気づく。
「今や家族は俺とあんただけだから、なおさら互いに助け合うべきとは思わないか?こっちの待遇はいいぞ。うまい食事もあるし、女も良い奴を紹介してやるさ。それともそこの嬢ちゃん達と既にヤッているのか?意外と隅に置けねえな」
「失礼な奴だなあ。ウィルくんと同じ世界から来たなんて信じられないよ」
レクスが冷や汗をかきながら苦笑する。
「…雇い主と言ったが、誰に雇われたんだ?」
「ああ、ザナエルっていう旦那でよ、ゾルなんたらの教団のボスだったな」
「なんだって…」
ウィルフレッド達が声を上げる。
(ザナエルって確か…)
その名前をかつてメルベが口にしていたことを思い出すラナ。
「そうか…教団め、ザーフィアス殿の力が障害になると判断して排除しにきたんだな」
睨むミーナにギルバートは肩をすくめる。
「さあな、俺はただ依頼をこなすだけだ。雇い主の思惑なんざ知ったこっちゃねぇ」
「…すまないがギル、俺はそこには行かない」
「ん、なぜだ?断る理由なんてどこにもないだろ?」
「あるさ、教団は子供達を奴隷として酷使してる。俺はそういうのが一番嫌いなの、あんたも知っているだろ」
ギルバートが愉快そうに大笑いする。
「…あははははっ!確かにこれってあんたの大の地雷だったなあっ!さすが俺達のお人よしのウィルだっ!」
その言葉にウィルフレッドは嫌味を見せず、寧ろ小さく苦笑した。
「だからギル…あんたが俺のところに来てくれないか?」
「へっ!?」「兄貴っ!?」
ギルバートの顔から笑みが消えて黙り込む。レクスやカイ達をお構いせずにウィルフレッドは続けた。
「ここは地球ではない異世界だ。あんたも言っただろ?ここは『組織』もいない。地球みたいに争乱に塗れてもいない。新たに生活をするには丁度良いし、教団よりもこっちの方が俺は断然良いと思う」
「ちょっと兄貴、なに言って―」
ラナがカイを遮る。
「しっ!今は静かに話を聞こう」
ギルバートは何も言わずにただウィルフレッドを見つめた。
「ギル…俺は今でもあんたと戦いたくない。俺達は家族だ。また昔みたいに一緒に――」
「…くく、ははは…はぁーはははははははっ!」
ギルバートが突如高笑いした。まるで滑稽極まりない笑い話を聞いたように。
「な、なにがおかしいんだっ!」
カイが勇気を振り絞って叫んだ。
「ひぃーはははっ…、そりゃおかしいさ。ウィル、あんたはどうやらそこの奴らと仲良くなっているようだが、まさかこの世界の人たちが俺たちを受け入れて新しい生活ができると本気で考えてるんじゃないだろうな?」
「ギルは、そう思わないのか?」
ギルバートが苦笑する。
「当然だ。俺もここに来てそれなりにこの世界の奴らを見てきた。だから断言できるさ。いいか…」
彼の顔から笑みが失せ、空気が凍ると感じる程の冷徹な表情が浮んだ。
「ここの奴らはエリュシオンティの平和ボケ達みたいに、いや、それ以上にタチの悪いおめでたいクソ野郎ばかりだ。頭に花畑ばっかり咲かせた能無しどもだ。そんな奴らが俺達を受け入れる訳あるか」
エリネに寒気が走る。ギルバートの言葉に底の見えない悪意が篭った声の表情が垣間見えたからだ。
「だから例えあんたのお願いでも聞かねぇ。平和ボケした奴らとつるむよりは、争乱を求めるザナエルたちに協力した方がよほどマシだ」
「ギル…やはりエリュシオンティで何かあったんだな…」
「はっ、それがなくとも、俺は昔からずっと言ってきただろ、家族以外の人間は全て信用ならねぇってな。そこのやつらも、最終的に自分の身可愛さで俺もてめぇも突き放すに決まってるさ」
カイがついに我慢できずに言い返した。
「俺たちのこと何も知らないで勝手なことばかり抜かしてんじゃねぇ!兄貴を突き放すなんて絶対にするものかっ!」
エリネもまた反論する。
「そうよっ、どんなことがあってもウィルさんは私たちの大切な――」
「黙ってなガキども」
抑揚のない、だが極めて冷徹な声が二人を黙らせた。その鋭い声は心を聞く抜いたかのように不意にエリネをよろめかせ、アイシャは慌てて彼女を支える。
「エリーさんっ!」
「俺はウィルと話してるんだ。大人の話にガキが口を挟むんじゃねぇ」
「うぐっ…」
カイは彼の声に威圧されて黙りこむ。エリネはなんとか気持ちを奮い立たせて、しっかりと立ってギルバートの方向を向いた。
(なんて声の表情するの…っ。表裏のない表情してるのに、どれも氷みたいに冷えきっていて…こんな表情初めて聞いたわ)
「ギルっ」
ウィルフレッドの声で彼に向きなおすギルバートはくっと笑う。
「まあいい…という訳だ。俺はそこには行かねぇ。ザナエルへの協力もやめねぇ。じっと座ったまま平和ボケてる奴らを見つめるなんざ寒気が来るからな。それで?あんたはどうする?いつか見限ってくるかも知らねぇ奴のためにまた俺と喧嘩する気か?」
「ウィルくん…」「兄貴…」
レクスやカイ達が心配そうにウィルフレッドの背中を見る。程なくして、拳を強く握る音とともに彼は答えた。
「…あんたに理解してもらえるとは思っていないさ。ギル。答えなぞ、地球にいた時からすでに決まってたんだ」
後ろにいるラナをチラ見するウィルフレッド。
「損得なんざ関係ない、助けたい人たちを助ける…これは、悩み抜いてそれに意味があると信じて、俺がした選択なんだ」
採掘場での言葉だと理解したラナは彼に微笑み返す。
「…へっ、やっぱテメェは変わらずのお人よしだ。寧ろ嬉しくて涙がでるな。とにかく、一緒に来るつもりはないってことだな」
「ああ、俺は争乱なんざ欲しくない。あんたがここでも争乱を求めるのならば…俺は地球にいた時のように何があってもそれを止める」
ウィルフレッドの眼差しには、固い決意が秘められていた。
ラナもまた彼を支持するように毅然と立ち並んだ。
「昔話もここまでのようだな。ハルフェンに住む人として私からも告げよう。ウィルは私たちが認めた仲間だ。彼が願うのならば、私たちは決して彼を突き放しはせん。そして貴様が邪神教団に手を貸し、この世界に争乱をもたらすというのであれば、私達も決して反撃の手を緩めない、覚悟することだ…っ」
カイ達もラナに同調して頷いた。
ギルバートは自分の眼差しに動揺せず、堂々として睨むラナに向けて不敵に笑う。
「あんたは確かラナって奴だな。平和ボケた奴らばかりと思ったら、あんたみたいな胆の据わった奴もいるのか、嫌いじゃないな」
ギルバートが不敵に笑っては肩と腕を鳴らした。
「仕方ねえ、ここは仕事に戻るか…。ウィル、そのラナという女と弓なんたらを渡してもらおうか。…とは言っても、大人しく従ってはくれないよなあ?」
「当然だっ!邪神教団に与する奴に我らが屈するものかっ!」
「その通りだぜっ!」
ラナの一喝と共にカイ達全員が武器を構えると、ウィルフレッドは手を挙げて彼女達を止めた。
「みんな下がってくれ!俺がやる…っ」
「兄貴…っ!」「ウィルさん…っ!」
「奴の言う通りだ、怪我したくなかったらヒヨッコどもは下がってな」
ギルバートとウィルフレッドの間の空気がざわめき始めた。レクス達は手助けしようとも、その物言えぬ二人の迫力に思わず後ずさる。
「どうしてもやるのだな…っ」
「クライアントに面子立てる必要もあるんでな…。ついでだ、あの時の続きでもやろうじゃないか…っ!」
「ギルッ!」
張り詰めた大気が破裂した。先に動いたのはウィルフレッド。彼を中心に青い電光が奔り、眩い閃光が迸る。銀色の魔人が、捲き上げられた砂塵を突き抜けてギルバート目掛け突っ込んでいく。
「そうこなくっちゃなぁっ!」
ギルバートもまた歓喜に満ちた笑顔を浮かべた。彼を赤い電光と閃光が包むと、黒き魔人が現れてはウィルフレッドを迎撃する。
「ははぁっ!」
銀と黒の魔人がぶつかり、強烈な衝撃波が周りを揺るがせる。
「きゃああ!」
「うわあ!」
レクス達はエリネやアイシャ達をかばう。カイが改めて顔を上げると、既にその場に二人はいなかった。
「あいつ、どこに…っ!?」
「上だ!」
ミーナの声とともに見上げると、ウィルフレッドとギルバートが胸から発する電光を纏いながら飛行していた。
「おおっ!」
「ぬうっ!」
二人の魔人が恣意に飛翔しながら衝突し、その衝撃は地面に立ってるラナ達まで伝わる。弾けて離れる二人はまるで二つの色の風が吹き荒れるような高速機動で激突と離脱を繰り返して行く。
「な、なんて速さ…っ」
アイシャが驚嘆すると、ウィルフレッドとギルバートは空中で交差し続けながら遠方へと飛んでいった。
「ウィルさん!」
「僕達も追おう!」
エリネとレクス達が走り出し、ラナは一度ミーナとザーフィアスの方を見た。
「おぬし達は先に行けっ、我もすぐに追いつく!」
「はいっ」
ラナ達はウィルフレッド達が飛び離れた方向へと走り出した。
「ミ、ミーナ殿…」
もはや虫の息のザーフィアスがミーナを呼ぶ。
「ザーフィアス殿っ」
「わ、われの命の灯火が消える前に、伝えなければなるまい…あの魔人…あの黒い魔人は…危険だ…一刻も早く、対処せねば…」
「ああ、分かっておる」
「彼奴だけではない…」
「え」
「あの銀色の魔人も…同じだ…」
「ウィルが?」
ミーナが目を見開く。
「あの二人の魔人が、未来の星象を、因果を乱しておる…しかも途轍もなく恐ろしい結末に向かわせるように…早急に、排除せねば…」
「まさか、視たというのか?未来を?」
「よいな、ミーナ殿…異世界から来た魔人を、この世界に属さない彼らを、排除するのだ…でなければ…取り返しのっ、つ、つかない、ことに…っ」
ザーフィアスが一際大きく唸ると、目を永遠に閉じた。
「ザーフィアス殿っ、ザーフィアス殿っ!」
【続く】
「ミーナ、さっき言ったこと本当なのかよ。ウェルトレイ湖の竜と知り合いだったなんて」
カイは未だに信じられなさそうな感じだった。
「我が嘘をついても仕方ないだろう。まあ、古代竜の殆どは千年前でこの世から去ったか、人目を避けて長い眠りについているから、信じられないのも無理はないがな」
「千年前と言うと、やはり邪神戦争のせいなのか?」
「…そのとおりだ、ウィルフレッドとやら。竜とは元々、人間の文明が盛る前からこの世界で生息する強大な種族だ。智慧、肉体は勿論、中では特殊な力を持つ竜種も少なくないが、邪神戦争では女神達とともにゾルドと戦った末、その大半が命を失ってしまった。生き残った極僅かな竜達は長い休眠へと入り、いまだ地上で活動している竜は基本的に全て戦争後に生まれた若い奴らしかいない」
レクスが頷く。
「なるほどぉ、んでその中、極僅かな古代竜の生き残りで珍しく休眠していない一匹が、この先のウェルトレイ湖に棲む…えっと、なんだっけ、ザーフィ…ザーフィ…」
「ザーフィアスだ。青空竜のザーフィアス殿。奴は元々気性の激しい竜だったが、女神エテルネに調伏されて以来、女神の命によりビトレ町を守ることになってな。そのお陰で邪神戦争では本戦の方に参加せず、死なずにすんだ古代竜の一匹だ。あやつと最後に会ったのは五十年前だが、恐らく今でも湖の結界内で悠々と居眠りしながら、ビトレ町の生活を覗き見しているだろうな」
ミーナの口調は懐かしそうだった。
「五十年前って、お前いったいいくつ…ってうお!あぶね!」
顔面に飛んできた小石を間一髪でカイが回避する。
「女性の歳を聞くとは失礼なガキだ。次はきっちり当ててやるからな」
「ぐぬぬっ、やっぱ可愛くねえやこいつ」
「さっきのはお兄ちゃんが悪いんだから仕方ないでしょ」「キュキュッ」
そのやりとりにアイシャはやはり手を口に当てて艶やかに笑うと、こっそりカイに耳打ちする。
「エルフは基本的に長寿ですし、一部氏族を除いて老化しませんからね。外見から判断するのは難しいのです。実際私とラナ様も、先生の本当の年齢は知らないのですから、気になる気持ちは分からなくもないですよ」
美しく繊細な声で耳元に囁かされ、カイの顔が真っ赤に染めた。
「そ、そーデスネ。そりゃキニナリますよね、あははは」
アイシャがくすりと楽しそうに笑い、テンパるカイは実にぎこちない笑い声を上げる。ウィルフレッドと一緒に歩くエリネは彼の声に溜息つき、肩に乗るルルもそれを真似るように溜息した。
「お兄ちゃんったら、アイシャ様相手にそんなデレデレして…。迂闊に失礼なことしちゃうかどうか心配だわ」
ウィルフレッドは微笑ましそうに小さく笑う。
「なに、カイはカイなりにちゃんと考えてるところもあるから、それぐらいは弁えるさ」
「だといいんですけどね」
そんなカイを見るラナもまた小さく苦笑する。
(やれやれ、カイくん色んな意味で苦労しそうね。アイシャ姉様のこと、幻滅しなければいいんだけど…)
「それで、このザーフィアスはどう僕達に助力してくれるのかな?教団との戦いに協力してくれるとか?」
「できれば嬉しいが、それは難しいだろうな。竜は一部を除いて他の種族の事は不干渉というスタンスが基本だ。邪神戦争時もゾルドの眷属と決戦時以外は殆ど手を出してなかったと言われる。余程のことがない限り誰かのために戦うことはまずないだろう」
「じゃあどうやって…」
「さっきも言っただろう。竜の中では特殊の力を持つ奴もいると、ザーフィアス殿もまた持ってるのだ。未来視という力をな」
「へっ、未来視って…、未来のことが視えることなのっ?」
レクス達が軽く声をあげる。
「うむ、極めて珍しい力だぞ。他に未来を見通せる力は星の女神スティーナを起源とする星占術ぐらいだし、しかもまだ発展途中の分野だ。ザーフィアス殿のとは精度が違う。本来その力を借りてラナを探すつもりだったが、代わりに帝都にあった聖剣の在り処を聞くつもりだ」
「へええ、結構便利な力もあったものだなあ。王都で開催される新年宝くじの当たり色もこっそり教えてもらおうかな」
「貴方ねえ…」
ジト目でレクスを見るラナ。
「冗談、冗談だってば。そんなつまらないことを僕が聞くわけないじゃない」
「そう?結構本気だと感じたけど」
「気のせいですよきっと」
にへらと笑って誤魔化すレクス。そんな二人を余所に、ミーナは改めて後ろを振り向いてエリネやカイと話すウィルフレッドを見やった。
「…ラナ、そこにいるウィルフレッドという奴は一体何者だ?どこかの剣士だと言ってたが、本当はそうではないだろう?」
ラナは一旦レクスと見交わしてから答える。
「はい。…彼のことは後で改めて紹介します。少々事情が複雑なので」
「であろうな。良い、後でまたじっくりと話を聞くとしよう」
もう一度ウィルフレッドを見ては、ミーナは案内に専念した。
ふとアイシャが前を指差す。
「あ、あそこがウェルトレイ湖でしょうか」
一行が林を抜けると、大きな湖が目の前に広がっていた。空と山々を映し出す湖面から吹くそよ風が気持ちよく彼らを迎え、湖に続く歩道の終わりのすぐ傍に祠らしき建物があった。
「まあ、綺麗な湖ですね…。時間があればじっくりとこの景色を堪能したいところです」
「ああ、俺もそう思う…思います」
ぎこちない丁寧な言葉でアイシャに相槌打つカイ。
エリネとウィルフレッド達も、目の前の景色と涼やかな風に感慨を覚えた。
「こんなに気持ち良い風が吹く湖、初めて…。これだけでここが素敵な場所だと分かりますねウィルさん」
「そうだな…」
だがそんな彼らとは逆に、ミーナは眉をしかめていた。
「妙だな」
「どうかしましたか先生?」
ラナが問う。
「湖の底にあるはずの結界の気配を感じない…。どういうことだ?」
ミーナが不審に思った途端、エリネは湖からの異様な気配を感じ取った。
「あっ、何かが湖から浮上して――」
その言葉と同時にウィルフレッドのセンサーも、湖の底から急速に浮かび上がる物体を捉えた。
「みんな伏せろ!」
彼が大きく叫ぶと同時に、湖面が巨大な水しぶきを吹き上げては破裂した。
「きゃあ!?」「なんだあ!?」
地面に伏せたミーナ達の頭上を、青く輝く美しい鱗で覆われ、流麗な巨躯を持った竜が悲痛そうな咆哮を上げながら飛翔していた。
「ザーフィアス殿!?」
ミーナは見上げると、竜は苦悶の声を上げ続けながら、湖の反対側へと飛んでいった。
「あの竜がザーフィアスっ!?でもなんか苦しんでないかっ?」
「様子がおかしい、みんな追うぞ!」
「あ、ミーナ先生!」
ミーナに続くようアイシャ達は、おぼつかない感じで飛翔するザーフィアスの後を追った。ザーフィアスは苦痛そうに体をうねりながら飛び、数回苦悶の叫びをあげると、やがて一気に森へと墜落した。
「ザーフィアス殿!無事かザーフィアス殿!」
ミーナ達が倒れ込んだザーフィアスに駆けつけてその様子を窺った。
「凄い…、普通の竜よりも遥かに大きい。これが古代竜なのかい」
滴る水でより美しくきらめく青い鱗、普段の無骨なイメージに反して流水のようにしなやかな体躯。この状況でなければ、間違いなくその美しい形に感嘆のため息をもらすだろうとレクスは思った。
「ザーフィアス殿!聞こえるかザーフィアス殿!」
「…ミ、ミーナ殿か…」
老齢な女性の、しかし弱々しい言葉を竜が発した。
「いったいなにがあったのだ!」
「お、恐ろしい…かのような、かのようなモノが、この世に存在するなど…っ、ガフッ!」
ザーフィアスが喀血し、体が一際大きく跳ねる。
「ザーフィアス殿!」
「おっ、おいっ、これ…!」
カイの声でミーナ達が、ザーフィアスの胸に大きな穴が開いていたのに気づいた。
「この傷、誰かにやられたのかっ!?ザーフィアス殿…っ!」
「そんな、早く治療を…っ」
「いえ、もう手遅れよ」
魔法をかけようとするエリネを止めるラナ。その穴は深々と竜の心臓を一撃の元で破壊したからだ。アイシャは思わず口を覆う。
「ひどい…っ」
「アイシャ様、どうか後ろに」
レクスはそっとアイシャを後ろに退かせると、竜の胸の傷口を見る。
「この傷、出血が少ないと思ったら、周りが焼け焦げているせいなのね…。竜の鱗を一撃で貫けるなんて、いったい何に襲われたんだ?」
ウィルフレッドがその傷口を見た途端、目を大きく見張った。
(こ、この傷跡は…っ!)
「おうおう、なんだあこんなに野次馬が集まって」
後ろから男の声が響き、ウィルフレッドの体が固まった。一行が振り返ると、そこにはレクス達にとって見慣れない服を着込んだ、鋭い目つきの男が立っていた。
「悪いがそいつぁ俺の獲物なんでな。そこを引っ込んでもらおうか」
男が一歩前に踏み出す。
「な、てめえがこんなひでぇことをしたって言うのか!?この――」
「待てカイ、下がるんだっ!」
「兄貴っ!?」「ウィルさんっ?」
カイ達を後ろに退かせては前に出て構えるウィルフレッド。
「ん、おめえ…ウィル?ウィルかっ!ははっ!本当にウィルじゃねえか!」
レクス達はウィルフレッドの方を見た。男の喜びに満ちた声に反し、彼の表情はいつにもなく険しいものとなっていた。
「まさか本当に生きていたとはなっ!まったく悪運の強い奴だっ!一体どこをほっつき歩いて――」
男がまた一歩進むと、ウィルフレッドが体はを強張って警戒する。それを見た男は不敵に笑い、立ち止まった。
「はっ、どうやら感動の再会って訳にはいかないようだな」
「ギル…っ」
ウィルフレッドと同じく警戒するレクス達はその名前に聞き覚えがあった。
「ギルってまさか…ウィルくんが言っていたもう一人の異世界の魔人、ギルバート…?」
「異世界の魔人、だと?」
ミーナとアイシャが瞠目して対峙するウィルフレッドとギルバートを見た。
「どうやら自己紹介はいらねえようだな。…そう緊張するなウィル、俺は別にあんたと事を構えるためにここに来た訳じゃねえさ」
まるで旧友と話すような口調で話しかけるギルバート。少しだけ強張った体を緩めるウィルフレッドだが、依然として厳しい眼差しで彼を見据える。後ろでギルバートを警戒するラナやカイ達も、彼の物言えぬ威圧感に構えを解けずにいた。
(なんなんだこいつ…?普通に話しているだけなのに、この…背筋が凍るほどの異様な感覚は?)
ギルバートの姿を見て、カイの体がかすかに震える。ウィルフレッドに対してこのように戦慄が全身を走ることはなかった。レクス達もまた同じだった。
それはまるで、目の前のギルバートは、自分が異質な存在であることを隠そうとするウィルフレッドと反して、それを一切隠すことなく発散しているかのようだった。それでカイ達は本能的に察しているのだ。目の前のギルバートは自分達とは根本的に異なる、異質で危険な存在であるだと。
「ギル、お前はあれから何をしてきたんだ?…なぜこの竜を襲った?」
「あ?ああ、あれか、今の雇い主に頼まれたんだ。あんたに会いに来たついでに、ここに棲むトカゲを退治してくれてってよ」
「雇い主?」
「この妙な世界で右も左も分からねえ俺に手伝いをして欲しいと持ちかけてきた奴がいてな。その報酬として住処や食事、欲しいものを提供してくれるって言ってたんだ。『組織』はここにはいないし、大昔の傭兵稼業にも悪かねえと思ってな。今はそこで邪魔してるって訳だ」
手を腰に当てて実に楽しそうに語るギルバート。
「結構悪くねえ待遇だぞ。地球にはない豪勢な料理が一杯あるし、住処も一流の部屋を用意してくれてよ。ああ、あと女だ、ここの女はいいぞ、変な匂いやサイバネ改造もされてねえ、何もかもが天然もんの極上品だ」
ギルバートが晴れやかな空を見上げる。
「なかなか良い世界だなあ、ここは。空気も淀んでねえし、水は美味いときたもんだ。しかも竜だの魔法だの、アオトが嬉しくなれる面白いものも一杯あってよ。腐りきった俺たちの世界とは大違いだ。あんたとの戦いでお互いジ・エンドだと思ったが、こんな面白いところに来られたんだから、人生何かあるのか分からねえもんだ。そうだろウィル?」
どこか神妙に感じられるギルバートの声。ウィルフレッドは構えを解いたが、何か動きがあればすぐに対応できるように彼を注視し続けた。
「…俺に会いに来たと言ったな。何をするつもりなんだ?」
「そんなの決まってんじゃねぇか」
当たり前のことなのになぜ聞くような口調だった。
「ウィル、俺と一緒に来なよ。たとえ色々あったとしても、俺達は家族だ。何があっても、家族は互いを裏切らないし、家族の面倒を見るのは当たり前のことだろ?」
「ギル…」
その言葉が、ウィルフレッドに万感の思いを募らせ、顔に複雑な表情を浮かばせる。
「アオト達のことも俺は別に気にしてはいないさ。あれは言うなれば家族の喧嘩みたいなもんだからな」
(アオト…?)
その名前を聞いて、ウィルフレッドが悲痛そうな表情をしてツバメの首飾りに触れるのをラナが気づく。
「今や家族は俺とあんただけだから、なおさら互いに助け合うべきとは思わないか?こっちの待遇はいいぞ。うまい食事もあるし、女も良い奴を紹介してやるさ。それともそこの嬢ちゃん達と既にヤッているのか?意外と隅に置けねえな」
「失礼な奴だなあ。ウィルくんと同じ世界から来たなんて信じられないよ」
レクスが冷や汗をかきながら苦笑する。
「…雇い主と言ったが、誰に雇われたんだ?」
「ああ、ザナエルっていう旦那でよ、ゾルなんたらの教団のボスだったな」
「なんだって…」
ウィルフレッド達が声を上げる。
(ザナエルって確か…)
その名前をかつてメルベが口にしていたことを思い出すラナ。
「そうか…教団め、ザーフィアス殿の力が障害になると判断して排除しにきたんだな」
睨むミーナにギルバートは肩をすくめる。
「さあな、俺はただ依頼をこなすだけだ。雇い主の思惑なんざ知ったこっちゃねぇ」
「…すまないがギル、俺はそこには行かない」
「ん、なぜだ?断る理由なんてどこにもないだろ?」
「あるさ、教団は子供達を奴隷として酷使してる。俺はそういうのが一番嫌いなの、あんたも知っているだろ」
ギルバートが愉快そうに大笑いする。
「…あははははっ!確かにこれってあんたの大の地雷だったなあっ!さすが俺達のお人よしのウィルだっ!」
その言葉にウィルフレッドは嫌味を見せず、寧ろ小さく苦笑した。
「だからギル…あんたが俺のところに来てくれないか?」
「へっ!?」「兄貴っ!?」
ギルバートの顔から笑みが消えて黙り込む。レクスやカイ達をお構いせずにウィルフレッドは続けた。
「ここは地球ではない異世界だ。あんたも言っただろ?ここは『組織』もいない。地球みたいに争乱に塗れてもいない。新たに生活をするには丁度良いし、教団よりもこっちの方が俺は断然良いと思う」
「ちょっと兄貴、なに言って―」
ラナがカイを遮る。
「しっ!今は静かに話を聞こう」
ギルバートは何も言わずにただウィルフレッドを見つめた。
「ギル…俺は今でもあんたと戦いたくない。俺達は家族だ。また昔みたいに一緒に――」
「…くく、ははは…はぁーはははははははっ!」
ギルバートが突如高笑いした。まるで滑稽極まりない笑い話を聞いたように。
「な、なにがおかしいんだっ!」
カイが勇気を振り絞って叫んだ。
「ひぃーはははっ…、そりゃおかしいさ。ウィル、あんたはどうやらそこの奴らと仲良くなっているようだが、まさかこの世界の人たちが俺たちを受け入れて新しい生活ができると本気で考えてるんじゃないだろうな?」
「ギルは、そう思わないのか?」
ギルバートが苦笑する。
「当然だ。俺もここに来てそれなりにこの世界の奴らを見てきた。だから断言できるさ。いいか…」
彼の顔から笑みが失せ、空気が凍ると感じる程の冷徹な表情が浮んだ。
「ここの奴らはエリュシオンティの平和ボケ達みたいに、いや、それ以上にタチの悪いおめでたいクソ野郎ばかりだ。頭に花畑ばっかり咲かせた能無しどもだ。そんな奴らが俺達を受け入れる訳あるか」
エリネに寒気が走る。ギルバートの言葉に底の見えない悪意が篭った声の表情が垣間見えたからだ。
「だから例えあんたのお願いでも聞かねぇ。平和ボケした奴らとつるむよりは、争乱を求めるザナエルたちに協力した方がよほどマシだ」
「ギル…やはりエリュシオンティで何かあったんだな…」
「はっ、それがなくとも、俺は昔からずっと言ってきただろ、家族以外の人間は全て信用ならねぇってな。そこのやつらも、最終的に自分の身可愛さで俺もてめぇも突き放すに決まってるさ」
カイがついに我慢できずに言い返した。
「俺たちのこと何も知らないで勝手なことばかり抜かしてんじゃねぇ!兄貴を突き放すなんて絶対にするものかっ!」
エリネもまた反論する。
「そうよっ、どんなことがあってもウィルさんは私たちの大切な――」
「黙ってなガキども」
抑揚のない、だが極めて冷徹な声が二人を黙らせた。その鋭い声は心を聞く抜いたかのように不意にエリネをよろめかせ、アイシャは慌てて彼女を支える。
「エリーさんっ!」
「俺はウィルと話してるんだ。大人の話にガキが口を挟むんじゃねぇ」
「うぐっ…」
カイは彼の声に威圧されて黙りこむ。エリネはなんとか気持ちを奮い立たせて、しっかりと立ってギルバートの方向を向いた。
(なんて声の表情するの…っ。表裏のない表情してるのに、どれも氷みたいに冷えきっていて…こんな表情初めて聞いたわ)
「ギルっ」
ウィルフレッドの声で彼に向きなおすギルバートはくっと笑う。
「まあいい…という訳だ。俺はそこには行かねぇ。ザナエルへの協力もやめねぇ。じっと座ったまま平和ボケてる奴らを見つめるなんざ寒気が来るからな。それで?あんたはどうする?いつか見限ってくるかも知らねぇ奴のためにまた俺と喧嘩する気か?」
「ウィルくん…」「兄貴…」
レクスやカイ達が心配そうにウィルフレッドの背中を見る。程なくして、拳を強く握る音とともに彼は答えた。
「…あんたに理解してもらえるとは思っていないさ。ギル。答えなぞ、地球にいた時からすでに決まってたんだ」
後ろにいるラナをチラ見するウィルフレッド。
「損得なんざ関係ない、助けたい人たちを助ける…これは、悩み抜いてそれに意味があると信じて、俺がした選択なんだ」
採掘場での言葉だと理解したラナは彼に微笑み返す。
「…へっ、やっぱテメェは変わらずのお人よしだ。寧ろ嬉しくて涙がでるな。とにかく、一緒に来るつもりはないってことだな」
「ああ、俺は争乱なんざ欲しくない。あんたがここでも争乱を求めるのならば…俺は地球にいた時のように何があってもそれを止める」
ウィルフレッドの眼差しには、固い決意が秘められていた。
ラナもまた彼を支持するように毅然と立ち並んだ。
「昔話もここまでのようだな。ハルフェンに住む人として私からも告げよう。ウィルは私たちが認めた仲間だ。彼が願うのならば、私たちは決して彼を突き放しはせん。そして貴様が邪神教団に手を貸し、この世界に争乱をもたらすというのであれば、私達も決して反撃の手を緩めない、覚悟することだ…っ」
カイ達もラナに同調して頷いた。
ギルバートは自分の眼差しに動揺せず、堂々として睨むラナに向けて不敵に笑う。
「あんたは確かラナって奴だな。平和ボケた奴らばかりと思ったら、あんたみたいな胆の据わった奴もいるのか、嫌いじゃないな」
ギルバートが不敵に笑っては肩と腕を鳴らした。
「仕方ねえ、ここは仕事に戻るか…。ウィル、そのラナという女と弓なんたらを渡してもらおうか。…とは言っても、大人しく従ってはくれないよなあ?」
「当然だっ!邪神教団に与する奴に我らが屈するものかっ!」
「その通りだぜっ!」
ラナの一喝と共にカイ達全員が武器を構えると、ウィルフレッドは手を挙げて彼女達を止めた。
「みんな下がってくれ!俺がやる…っ」
「兄貴…っ!」「ウィルさん…っ!」
「奴の言う通りだ、怪我したくなかったらヒヨッコどもは下がってな」
ギルバートとウィルフレッドの間の空気がざわめき始めた。レクス達は手助けしようとも、その物言えぬ二人の迫力に思わず後ずさる。
「どうしてもやるのだな…っ」
「クライアントに面子立てる必要もあるんでな…。ついでだ、あの時の続きでもやろうじゃないか…っ!」
「ギルッ!」
張り詰めた大気が破裂した。先に動いたのはウィルフレッド。彼を中心に青い電光が奔り、眩い閃光が迸る。銀色の魔人が、捲き上げられた砂塵を突き抜けてギルバート目掛け突っ込んでいく。
「そうこなくっちゃなぁっ!」
ギルバートもまた歓喜に満ちた笑顔を浮かべた。彼を赤い電光と閃光が包むと、黒き魔人が現れてはウィルフレッドを迎撃する。
「ははぁっ!」
銀と黒の魔人がぶつかり、強烈な衝撃波が周りを揺るがせる。
「きゃああ!」
「うわあ!」
レクス達はエリネやアイシャ達をかばう。カイが改めて顔を上げると、既にその場に二人はいなかった。
「あいつ、どこに…っ!?」
「上だ!」
ミーナの声とともに見上げると、ウィルフレッドとギルバートが胸から発する電光を纏いながら飛行していた。
「おおっ!」
「ぬうっ!」
二人の魔人が恣意に飛翔しながら衝突し、その衝撃は地面に立ってるラナ達まで伝わる。弾けて離れる二人はまるで二つの色の風が吹き荒れるような高速機動で激突と離脱を繰り返して行く。
「な、なんて速さ…っ」
アイシャが驚嘆すると、ウィルフレッドとギルバートは空中で交差し続けながら遠方へと飛んでいった。
「ウィルさん!」
「僕達も追おう!」
エリネとレクス達が走り出し、ラナは一度ミーナとザーフィアスの方を見た。
「おぬし達は先に行けっ、我もすぐに追いつく!」
「はいっ」
ラナ達はウィルフレッド達が飛び離れた方向へと走り出した。
「ミ、ミーナ殿…」
もはや虫の息のザーフィアスがミーナを呼ぶ。
「ザーフィアス殿っ」
「わ、われの命の灯火が消える前に、伝えなければなるまい…あの魔人…あの黒い魔人は…危険だ…一刻も早く、対処せねば…」
「ああ、分かっておる」
「彼奴だけではない…」
「え」
「あの銀色の魔人も…同じだ…」
「ウィルが?」
ミーナが目を見開く。
「あの二人の魔人が、未来の星象を、因果を乱しておる…しかも途轍もなく恐ろしい結末に向かわせるように…早急に、排除せねば…」
「まさか、視たというのか?未来を?」
「よいな、ミーナ殿…異世界から来た魔人を、この世界に属さない彼らを、排除するのだ…でなければ…取り返しのっ、つ、つかない、ことに…っ」
ザーフィアスが一際大きく唸ると、目を永遠に閉じた。
「ザーフィアス殿っ、ザーフィアス殿っ!」
【続く】
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