薄明宮の奪還

ria

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第1部.アドニア 第2章

1.王家の血

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「本当に、どうしてしまったの? 君は」

涼しげな瞳を面白そうに輝かせ、優雅な仕草でちょっと小首をかしげてみせながら、レスターは飲み物のグラスを差し出した。

軽くウェーブのかかった白っぽい金髪が、さらりと肩に流れる。
今日も緑と金と白を基調にした華やかな出で立ちで、それが本当によく似合っていた。

「……ありがとう」
受け取ったアイリーンは、わざとその質問を無視してグラスを口に運んだ。

レスターでなくとも、この宴に出席した皆がそう思っているにちがいない。
昨日に引き続き今日もまた、自分が宴の席にいるなんて。

アイリーンはそんなことは百も承知だったが、もちろん、理由は誰にも話せない。



平和で豊かなアドニアでは、ちょっとした晩餐会や舞踏会、音楽会、誰かの誕生祝いやその他の祝い事、お披露目などとといった名目で、夜ごと、貴族の屋敷のどこかしらで宴が催されている。

その気になれば、毎晩でも宴に出られるのだった。

もちろん前もって送られてくる招待状が必要だが、王家の姫君・若君となると、飛び入りでも断られるわけがない。

そんな知恵をつけてくれたのも、今日はここ、ローゼンタール伯爵家で舞踏会があると教えてくれたのも、ここに出席するためにエスコート役を買ってくれたのも、レスターだった。



踊りが一段落し、人々は広間で音楽に興じたり、軽い食事をとったりして、一休みしている。

趣を凝らした明かりが無数に灯された美しい庭園を、ゆっくりと散策するカップルたちや、庭園のあちらこちらに設けられたベンチや東屋にくつろいで、話に花を咲かせる若者たちもいた。

レスターとアイリーンがいるのは、そんな庭園の隅のベンチの一つだった。

「びっくりしたよ。君が、相談したいことがあると侍女をよこした時には。宴に出るにはどうすればいいか教えて欲しい、とは……あんなに宴嫌いだったくせに、どういう心境の変化だい?」

聞かれても、アイリーンには答えようがない。
昨夜のことは、誰にも話す気にはなれなかった。
たとえ話したところで、信じてはもらえないだろう。

「……いえ別に、何も……」
「……」

真顔になるとなまじ顔立ちが整っている分、怜悧な印象になるレスターが、鋭い、探るような視線を向けてくる。

内心、身が縮むような思いだったが、アイリーンは努めて落ち着いている振りをした。

けれど、明らかに不審に思っている様子の兄に、何をどう言って切り抜ければいいかもわからない。

しかしアイリーンにとってありがたいことに、レスターはそれ以上詮索しようとはせず、急に態度を切り替えて、いつもの軽い調子で口を開いた。

「まあ、夜遊びに目覚めてくれたのなら、ぼくとしては嬉しい限りだけどね。ふふ……」

レスターは、女性なら誰もがうっとりしてしまいそうな極上の微笑みを、アイリーンに向けた。

「何なら、もっと他の楽しみも、教えてあげようか?」

間合いをつめて肩に手を回そうとする彼をあわててかわし、アイリーンは立ち上がった。
「あっ、あのっ、お兄様、竪琴を弾いてくださらない? もしお嫌でなければ」

レスターはわざとらしくため息をついた。
「せっかくこうして二人きりになれたのに、竪琴なんか弾いたら、皆が集まってきてしまうよ。それでもいいの?」

“二人きりって……何なの? いったいどうしたのかしら……私をあんなに嫌っていたくせに”

またしても何と返事をして良いやらわからず、黙りこんでしまったアイリーンに苦笑いを浮かべ、レスターは竪琴を手に取った。

「まぁいいよ。君がそう言うなら。リクエストはあるかい?」

「できれば、昨日弾いてらしたあの曲を……。何だか、聞き覚えがあるんです」

「だから言ったろう? 『一曲目は君に捧げる』って。あれは君の母上がよく歌っていた曲だよ」

アイリーンは驚いてレスターの顔を見返した。
「……私の、母様が?」

「覚えてないのかい? そうだね……君はまだ、3つになるかならないかだった。無理もない」

母のことは、ほとんど何も覚えていなかった。
しかし4つ年上のこの兄なら……、そうだ、母の顔も覚えているに違いない。


アイリーンの目に、不意に、熱いものがこみあげてきた。

不安だった。どうしていいのかわからない。

ずっと寂しい思いをしてきたけれど、今ほど強く切実に、母が生きていてくれたら、と願ったことはなかった。

しかし月を振り仰ぐふりをして、彼女は涙を押し戻した。

実の父にさえ甘えることのできない境遇が、彼女の心を強くし、人前で涙を見せることを許さないのだった。

彼女が泣けるのはティレルの前だけだった。
ティレルに会いたかった。
会って、今こそ、色々なことを聞きたかった。

けれども、次の満月の夜まで、あと5日。
それまで、彼女はたった一人であの男と対峙しなければならないのだ。

こうしている今も、あの男は、どこかで隙を伺っている。石を奪うために。

そう思うと、庭園の木立の暗がりが、気になって仕方なかった。
今まで大嫌いだった人混みが、今は一番安心できる。

レスターにどう思われようと、人々が何とうわさしようと、とにかく満月の夜まで、出来る限り一人にならないようにするしかない……。

アイリーンは自分を励ますように、強く手と手を握りしめた。


そんなアイリーンの様子を知ってか知らずか、レスターは黙って竪琴をつま弾いて調律をしていた。

そして、曲を弾き出した。

竪琴を弾いている時の彼は、普段の彼とは別人だった。

長いまつげを伏せ、真摯に竪琴を弾くさまは、遠く深い思索の底に沈んでいるように見える。

談笑していた辺りの人々も、美しい音色に引き込まれ、知らずしらずのうちに耳をそばだてて聞き入っていた。

静かで、透明な旋律が、穏やかな波のように広がっていく。

辺りの空気がしんと深まり、澄んだ水の底にいるように感じられた。

やがて曲はゆっくりと盛り上がりを見せ、主旋律を繰り返す。
歌詞をつけずに弾くだけなら、それほど長い曲ではなかった。

また曲の最初に戻って弾き続けながら、レスターが言った。

「君の母上は、遠いエンドルーアから嫁いできて、やっぱり寂しかったんだろうね。

 幼かったぼくですら、こうして覚え込んでしまうほど、よくこの曲を歌っていた。

 この曲にはエンドルーアの起源と、それにかかわる女神フレイヤの伝説を歌った、長い長い歌詞がついていたはずだけど……悪いね、ぼくは覚えていないんだ」

とすると、やはり、あの歌声はあの男のものだったのだ。

そう思ったアイリーンは、ハタと思い当たった。

そうだわ……どうして気がつかなかったんだろう。
あの石は母の形見。であれば、石がエンドルーアから来たものであることは、たぶん間違いない。

そして、私はエンドルーア王家の血を引いている。
あの男が“呪われた王家の血”と言ったのは、アドニアではなくエンドルーア王家のことなんだわ。

“同類”、と言った言葉もそれで説明がつく。
石を奪いに来たあの男も、エンドルーア王家につながりのある人間。

ではティレルも……?
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