クズ男はもう御免

Bee

文字の大きさ
上 下
36 / 70

35 わだかまりを解く

しおりを挟む
 体についた水気を適当に拭い、レイズンは部屋に用意されてあったガウンを貸りて、そのままベッドに横になった。
 
 このベッドはアーヴァルの邸宅にあるような豪華で重厚なものではなく、もっとシンプルで小さく可愛らしいものだ。

 部屋自体もあちらの邸宅とは随分と趣が異なり、こちらの屋敷にはかわいい花柄の明るい壁紙が貼られ、家具類も丸っこくて全体的にちょっと女性っぽい。
 さすがにリネンは男性でも使えるシンプルなものではあるが、可愛らしさは隠しきれない。

 もともとこういう屋敷は主人に仕える使用人らが住む家らしく、きっとこの家もそうで、ここは侍女が使う用に整えられていたのだろう。

 こじんまりとしていて、あの広く重苦しいアーヴァルの邸宅にいるより遥かに落ち着く。
 
 レイズンはベッドに寝転がったまま横を見た。そこには同じように寝転んだハクラシスが、片肘をついた体勢でこちらを見ている。
 
 寝返りをうてばぶつかる距離に、あの狭いベッドを思い出す。
 
(なんだか小屋にいるときに戻ったみたいだな……)
 
 懐かしくなって思わずレイズンが微笑むと、ハクラシスも目を細めてレイズンを見た。笑うと目の端に、優しい皺が刻まれた。
 
「……今日、最初にあの庭でお前を見たとき、夢を見ているのかと思った」
 
 そう独り言のように小さく呟きながら、ハクラシスはレイズンの頭を撫でる。
 
「だがお前に閣下と呼ばれて、目が覚めた。小隊長ではなく、閣下などと……まるで他人かのように。会った早々口を開けば俺と別れると言いだして、俺の知らぬ間に何があったのかと驚き……お前に起こった変化が恐ろしかった」
 
「すみませんでした……。俺、小隊長殿とは別れないといけないと思って……。小隊長殿は奥さんと暮らしているのに、俺はもう邪魔者でしかないって、そう思ってて」
 
「そんなふうに思わせた俺に責任がある。ずっと一緒にいたのに、お前にルルーのことを言わなかったことがいけなかった。そのことを言っておけばこんなことにならなかったのに、亡くなって、縁が切れて、もうそれで終いだと、言う必要もないと思い込んでいた」
 
 ハクラシスはすまなそうに、今日は思いがけずたくさん泣いたレイズンの目元を親指で撫でた。
 
「……気になっていたことを聞いてもいいですか」
 
「ああ」
 
「なんでルルーさんの肖像を部屋に飾ってなかったんですか?」
 
 ずっと気になっていた。
 例えそんな契約結婚であっても仲睦まじく暮らしてきたのなら、貴族なのだし肖像の一枚でもあるのが普通だ。それなのにそれを偲ばせるものすら、ハクラシスの部屋にはなかった。
 
「……火事ですべて焼けてしまって、出征していた俺の手元には何も残らなかった。何か遺したくても、ルルーの実家と交渉できるような立場ではなかったしな。それに、俺のせいで死なせてしまったのに、そんな俺が彼の肖像を堂々と飾っていいはずがない」
 
 レイズンは自分の顔を撫でるハクラシスの手を取って、黙って握りしめた。

 ルルーがあんな目にあったのは戦のせいであり、誰のせいでもないはずなのに、自分のせいだと余計な罪まで背負いこむハクラシス。

 レイズンが訪ねていかなければ、きっと何もないあの小屋で、じっと身を潜めて孤独に生きていくつもりだったのだろう。
 
「……俺、前に小隊長殿は奥さん一筋だって話を聞いていて……だからずっとなんで奥さんの肖像がどこにもないんだろうって、そう思っていたんです。本当に大事だから、俺には見せたくないのかなって。俺の体を触ってくれないのも、俺の前で服を脱いでくれないのも、きっと奥さんのことが一番好きで忘れられないから、俺に本気になれないからだって、そう思っていたんです」
 
 その言葉を聞いて、ハクラシスがガバッと起き上がり、心外だと言わんばかりに眉を顰めた。 
 
「……いつもお前に触っていただろう」
 
「俺がお願いした時だけですよね。頭を撫でたりはしてくれてましたけど、夜一緒に寝る時も、抱き枕のようにして眠るだけで、俺がお願いしないと素肌には触ってくれなかった」
 
「……」
 
 ハクラシスは言い返せないのか、言葉を詰まらせた。
 
「あといつも俺ばかり裸で、小隊長殿は服を着たままです。そりゃ勃たないから脱ぐ必要はないのかもしれないですけど! ……俺だってこう……肌と肌を密着させたいっていうか……」
 
「そ……、それは、だな……」
 
「あと、好きとも愛しているとも言ってくれなかった。だから俺はずっと小隊長殿は同情心から俺の告白を承諾して、俺と無理矢理付き合ってくれているんだと、そう思っていました」
 
 もうここまできたら言いたいこと全部言ってやれとばかりに、レイズンは思っていることを全てぶちまけた。
 
 もちろん小屋にいた時、ちゃんとハクラシスからの愛情は感じていた。けれどそれが性愛からくるものなのか同情心からくるものなのか、それが分からなかった。
 しかも奥さんのことを言ってくれなかったので、余計に気持ちがこんがらがることになっていたのだ。
 
 嫌味や文句のように聞こえてもいい。呆れられたとしても、不満をぶちまけるのは今しかないと、そう思った。

 だけどそんなことを言っても、ハクラシスはどうせうまいこと自分を宥めてはぐらかすんだろうと、レイズンは内心思っていたのだが……その反応は意外なものだった。


「だ、断じて違う!!」
 
「ひっ」
 
 いきなりハクラシスが大きな声を出し、レイズンの体を鷲掴みにしたので、それに驚いたレイズンがビクッと体を跳ねさせた。
 
「……その、……違う、違うんだレイズン。すまなかった。まさかお前がそんなふうに思っているとは夢にも思わなかった。……俺はたぶん、お前が考えている以上にお前のことを愛している」
 
 その言葉に、今度はレイズンがガバッと起き上がった。
 
「ほんと……?」
 
「本当だ。すまない、言い訳をさせてもらう」
 
 その言葉にレイズンは急いで体をハクラシスのほうに向き直し、前のめりに座り込んだ。
 
「お前の体に触らない、という話だが……、まあ、なんだ、その……正直なことを言えば、俺はお前の体に溺れるのが怖かった。俺はもうお前よりかなりの年上で、言うなればもう爺いだ。そんな俺がお前のような若い男に溺れ、見境がなくなるのが怖かったんだ。不能であっても性欲はあるし、お前のきれいな体を堪能できるならそうしたい。だが一度自分の思うようにしてしまうと、歯止めがきかなくなるのではと不安だった。……それにお前にオッサンがねちっこくがっついているとも思われたくなかった」
 
「え、あ……そう…………」
 
 ちょっと意外だった。
 不能でも性欲はある。そう言われると確かに、性欲のない男が恋人に使う張型など自ら作るはずがない。
 それにさっきだって、体を洗って後ろを掻き出すだけだったのに、思ったよりねちっこかった気がする。
 
「え、あの、じゃあ服を脱がないのはなんで……」
 
「……老いぼれた体をお前に見せる勇気がない。ルルーほどではないが、あの内乱でひどい怪我もした。それに……」
 
「そ、それに?」
 
「……勃たないものをお前に見せたくなかったし、触られたくもなかった。どうやっても勃たないものを、お前はきっと気にするだろう。自分だから勃たないとか変に勘繰って、傷つけてしまうのではと心配だった」
 
 あのハクラシスが、そんなことを考えていたなんてと、正直レイズンは驚いていた。

 奥さんのことが理由でないなら、てっきりそこまで本気じゃなかったハクラシスが適当に相手をしていただけだと思っていたのに。
 
(あの小隊長殿が……)
 
 何でもできて強くてカッコよくて、渋い大人の余裕を漂わすハクラシスに、こんな一面があるとは思わなかった。
 
「……はーー…………すまんなレイズン。ひどく情けない姿をみせた」
 
 とうとう言ってしまったとばかりに、ハクラシスは両手で顔を覆ってしまった。

 レイズンはハクラシスが初めて見せる落ち込んだ姿が可愛らしくて愛しくて、堪らず抱きついた。
 
「へへ……小隊長殿~~!」
 
「レイズン……」
 
 無理矢理顔から手を剥がし、レイズンがはしゃぐように唇を寄せると、ハクラシスも安堵したように笑顔を見せて口づけし、レイズンを抱きしめた。
 
「……久々に聞いたな、その笑い声。その声を聞くとホッとするな。心が穏やかになる。今日閣下と呼ばれた時はショックだったが、その後探しに出たときに、お前が小隊長と呼んでくれたのは嬉しかった」
 
「……俺も謝らないと……。小隊長殿を疑うなんて……本当にすみませんでした。俺……ほんとなら小隊長殿に顔向けできないですよね。浮気したも同然ですから……」
 
「……アーヴァルが俺とお前との再会を阻み、俺とルルーの関係を利用して、お前を惑わせたのがいけない。一言俺に言えばすむことを……。最初から俺と会えていれば、こんなことにはならなかった」
 
 だが理由はともあれ、レイズンが体を差し出してしまったのは事実なのだ。

 あまりにも情けなくて思わず滲み出る涙をごまかすように、レイズンがハクラシスの首元に顔を埋めぐりぐりと擦りつけると、ハクラシスが頭を撫でてくれた。
 
(小隊長殿の匂い……)
 
 さきほど湯を使ったときに湯気で匂いが落ちたのか、今のハクラシスからはあの香水ではなくいつものハクラシスの匂いがして、レイズンの心もホッと緩む。
 
「さて、これからどうしたものか」
 
「……まだ小隊長殿は帰れないんですよね」
 
「そうだな。そろそろ一段落といったところだが……王陛下が俺を素直に帰らせるかどうか。……レイズン、お前はどうする? 騎士団に残るか? それとも先にあの小屋へ帰るか……。お前はどうしたい? 俺としてはできればお前をすぐにでもアーヴァルから遠ざけたいが……」
 
 でもまた離れるのも心配だと、その顔に書いてある。

「……俺、小隊長殿といたいです。……もし叶うならあの小屋には、二人で戻りたい」
 
 レイズンのその言葉に、ハクラシスが愛おしそうに目を細めた。
 
「……まだしばらくかかるぞ。それでもいいのか」
 
「はい。せっかくなので俺は弓兵部隊で頑張ります。ここを出るときは俺も連れて出てください」
 
「ああ、分かった。……アーヴァルにはもうお前に手を出さないよう釘をさしておく」
 
「へへ」
 
 レイズンはぎゅーっと力いっぱいハクラシスを抱きしめるとすぐに手を離し、突然ガバッと立ち上がった。
 
「ではそろそろ俺は寮に戻りますね!」
 
「おいなんだ、今日はここに泊まらないのか?」
 
 ここに泊まるものだと思い込んでいたハクラシスは、レイズンのあまりの切り替えの早さに、呆気に取られた顔をした。
 しかしそんなハクラシスを尻目に、レイズンはさっさとかけてあった隊服に着替え始めた。
 
「俺も名残惜しいですが、やはりここには居辛いです。明日も朝早いので寮に戻ります」
 
「ルルーも泊まると思っているぞ」
 
「申し訳ありません。さすがにやっぱり朝、ルルーさんと顔を合わせるのは気まずいです……」
 
 この流れでは、ハクラシスと一晩同じ部屋で寝ることになる。そうしたらどうしてもイチャイチャしたくなるし、それを断るくらいなら、寮に戻ったほうがいいとレイズンは考えた。

 奥さんがいる家でイチャイチャするのは、やっぱり嫌なのだ。
 
 その言葉にハクラシスもそうかと残念そうに溜息を吐くと、「なら俺が寮に送っていこう」と提案した。

 しかしそれを聞いたレイズンの顔が、先程までの笑顔から渋いものに変わった。
 
「……なぜそんな顔をするんだ」
 
 喜ぶだろうと思っていたハクラシスは、レイズンから予想と違う反応が返ってきてかなり不満そうだ。

 今日はずっと一緒にいられると思ったレイズンがいきなり帰ると言い出したのだから、送っていこうとなるのは自然な流れだ。
 しかしレイズンの立場からすれば、離れ難いとか何とか言って寮の部屋にまで来られるのは困るのだ。
 
「いや、だってですね、小隊長殿が寮にいるところを誰かに見られたら、騒ぎになってしまうので、……ちょっと遠慮します」
 
 今度はハクラシスが渋面を作った。
 
「騒ぎだと? そんな、大袈裟な……」
 
「大袈裟ではありませんよ! 小隊長殿は普段なかなか姿を現さないから、団員の間ではレアもの扱いされているんですよ。そんな人が寮に現れたら大注目を浴びますよ。しかも俺と一緒なのがバレたら……! ただでさえ俺は部隊で浮いた存在なのに、何を言われるか……」
 
 いまだにレイズンが弓兵部隊の推薦のことで、騎士団長を体で落としたとかそんな噂をしている者もいるのだ。まあ落としたのではないが嘘ではなく、ほぼほぼ事実みたいなものではあるのだが、勝手な憶測で噂を流す者がいる以上、こんな大きな火種を投下したくはない。面倒なことになるのが目に見えている。
 
「……レアもの……。まあいい。確かに俺たちが若い頃も、普段来ないはずの場所に怖い上官が現れた時は大騒ぎになったからな。そういうことなら仕方がない。では、庭まで送ろう。それならいいだろう」
 
「すみません、わがままを言って。では庭までお願いします」
 
 レイズンは着替え終わると、ベッドから降りるハクラシスに向かって、誘うように手を差し出した。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼第2章2025年1月18日より投稿予定 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

神獣様の森にて。

しゅ
BL
どこ、ここ.......? 俺は橋本 俊。 残業終わり、会社のエレベーターに乗ったはずだった。 そう。そのはずである。 いつもの日常から、急に非日常になり、日常に変わる、そんなお話。 7話完結。完結後、別のペアの話を更新致します。

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...