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12 大いなる勘違い
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レイズンは小屋に続く暗い山道を、ハクラシスに上腕を掴まれたまま歩いていた。
酔いはすっかりと覚め、もうよろけず歩けるのに、ハクラシスは腕をしっかりと掴んだまま離してくれない。
レイズンはほとんど引っぱられるようにして、山道を歩いていた。
以前は生い茂る草木で獣道同様だったこの道も、寒くなった今は立ち枯れて、広く歩きやすい。
おかげでレイズンは、ハクラシスに腕を掴まれたままでも、草木に足を取られずに済んだ。
(まずい。小隊長殿すごく怒ってるな……。なんでここまで飲んじゃったんだ俺は)
腕を掴んだまま無言でずんずん歩くハクラシスを見ながら、レイズンはどう謝るべきかとそのことばかりを考えていた。
少し飲んで帰る程度ならハクラシスも怒らなかっただろう。
だがまさか時間を忘れ、酔い潰れるまで飲んでしまうとは……。しかも家の仕事を放置して遊び呆けるなんて、そりゃ怒られて当たり前だ。
……それにこんなに遅くなって、きっとひどく心配したに違いない。
「あ、あの、……小隊長殿、すみません、俺……」
「…………」
レイズンが何かを言ってもハクラシスは無言のままだ。とても気まずい。
道が開けて小屋が見えてくる。
暗闇に魔獣避けの斧がぼんやりと光り、その家の周囲にはハクラシスが用意した戸板が立て掛けられているのが分かった。
ハクラシスは小屋のドアを開け、レイズンをぐいと室内に押し込んだ。
明かりを灯すと、おろおろするレイズンを尻目に、自分はいつも座る椅子にドカッと腰を下ろし、気を鎮めようとするかのように細く息を吐いた。
レイズンは、持っていた肉とドライフルーツの入った袋をテーブルの上にそっと置いた。
「小隊長殿……、その……」
もう一度あらためて謝罪しようと口を開くと、ハクラシスがそれを遮った。
「……謝罪はいい。レイズン、金をたかられたとか、本当にそういうことも何もなかったんだな?」
「はい、何もありません。ただ……ちょっと一人で街へ出て浮かれてしまっただけです」
「それならいい。……俺はお前にああしろこうしろと言うつもりはないし、ルールで縛り付けるつもりもない。だから今日みたいに、一人で街へ出て酒場で飲んだり、誰かに会ったりするのはお前の自由だ。好きにすればいい。……ただ何も知らされていないと、何かあったのかと心配する」
「はい……すみませ……」
「謝罪はいい」
怒りを隠し諭すように話すハクラシスに、レイズンはシュンとして肩を落とした。
もしかして呆れられてしまったのだろうか。
……これ以上聞きたくないし話しもする気がない、そんな突き放したような言い方だ。
もう何も言いたくないほどガッカリさせてしまったのだとしたら……。レイズンは泣きたくなった。
どうせなら小隊にいた頃のように、ガミガミと怒られたほうが、謝罪し挽回する余地がある分まだマシだった。
「レイ……」
レイズンがしゅんとした顔で黙って突っ立っていると、ハクラシスが何か言いかけた。
呼ばれた気がしてレイズンが顔をあげると、ハクラシスは何も言わず口をつぐんでしまった。
そしてしばらくの沈黙のあと、もうこの話は終わりだと言わんばかりに、ハクラシスが就寝の時刻を告げた。
「…………レイズン、夜も遅い。酒が入っているから眠いだろう。もう寝なさい」
「……はい……。おやすみなさい」
きっと本当はまだ怒っているのだろう。
ハクラシスは他所を向いたまま、一度もレイズンを見なかった。
こんな気まずい雰囲気で一日を終えるのは初めてで、言い訳することも許されなかったレイズンは、肩を落としたまま自室に入った。
酒はまだ体に残ってはいたが、酔いなどもう体のどこにも残ってない。頭はいつも以上に冷えて醒めている。
(俺、小隊長殿に見放されたのかな)
もっと何かいろいろ言われるかと思ったのだ。
レイズンを連れてきたブーフのことや、なんでこんな時間になったのかとか、根掘り葉掘り聞かれるかと思ったのに。
結局何も聞かれず『自由にしろ』と突き放されたのだ。
こんなしょうもないことで嫌われるか? とも頭の片隅で考えたが、信頼とはほんの些細なことで失うものなのである。
ブーフには、また後日飲もうと断っていればこんなことにならなかったのだ。
ブーフは悪くない。
……いや、そんなこともない。事の発端はブーフだ。
ブーフにも責任の一端はある。
でも久々にできた年の近い友人に、浮かれた自分が一番悪い。
枕に顔をグリグリと押し付け、レイズンは反省と後悔を織り交ぜながら、一人唸り悶々とした。
——そんなふうにレイズンが眠れぬ夜を過ごしたこの夜、この山には今年最初の雪がハラハラと舞い落ちた。
小さな花弁のようにふわふわと舞い落ちる雪は、二人の住むこの小さな家を冷たく包んだ。
「小隊長殿、雪が降っていますね」
朝起きるなり、レイズンは部屋から顔を出し、キッチンのある部屋にいたハクラシスにそう声をかけた。
昨晩のことをまだ引きずってはいたが、雪のおかげで何気なさを装い声をかけることができた。
だがハクラシスの返事はそっけなく、「ああ、そうだな」と、それだけだった。
いや、いつも言葉数は少ないのだが、それでももう少し「はしゃぐんじゃないぞ」とか「今日は暖かくしておきなさい」とか、そんなことを言ってくれたり、嬉しそうなレイズンの様子に少し笑ってくれたりとかしてくれるのだが。
(……やっぱりまだだめか……。これ以上嫌われないように大人しくしないとな……)
これ以上言うべき言葉が見つからず、すごすごと自室に引っ込み、肩を落としながら服を着替えた。
窓の外を見ると、ハラハラと雪が舞い降り、さきほどよりも量を増した雪が窓に貼り付いては消えていく。雪は止む気配もなく、冷えた室内で着替えている間、冷気に触れた肌へうっすらと鳥肌が立つ。
この様子だとおそらく今日中には雪が積もりだし、外には出られなくなるだろう。
雪によって外部と遮断された完全密閉の空間の中、二人だけで過ごす冬ごもりが始まるのだ。
(あー……そっか、今日から完全に冬ごもりか……)
豪雪の経験のないレイズンは、まだ冬ごもりがどんなものかピンときていない。
しかし
気まずすぎる。気まずすぎてどうしたらいいか、レイズンには分からない。
確かに距離を置きたいとは思ったが、こんな雰囲気になることは望んでいなかった。
これから一週間。いや、雪解けや天候の悪化を加味し、さらに冬ごもりの期間が延びると考えると……
その間に関係を修復できないと、非常に辛い冬ごもりになることだけは、いやでも分かった。
(冬ごもりのために、いろいろ準備したのになぁ)
これまでハクラシスとともに、冬ごもり期間でも普段通りに鬱々とせず過ごせるよう、いろいろと準備をしてきた。
薪を割ったり、野菜を干したり、水や肉の確保、雪から家を守るための対策。
レイズンだって果実酒を仕込んだり、ジャムを作ったり、暇になれば二人でゲームをしようと街でゲーム盤を買ったり、密かにこのはじめての冬ごもりを楽しみにしていた。
それなのにゲームどころじゃなくなってしまった。
のろのろとズボンを履き替えると、部屋を出た。そして朝食を作るためにキッチンに立つ。そこにはすでにハクラシスが湯を沸かすために立っていた。
気まずさを押し殺して、パンを取り出しながら「今日はサンドイッチでもいいですかね」とわざと明るく声をかけると「ああ」とだけ返ってくる。
レイズンはハムを切り、それをパンに乗せ野菜と挟み、皿に盛って出す。ハクラシスは湯が沸くと、茶葉を入れたポットに湯を注ぎ、机に置く。レイズンは何も言えず、その間二人とも無言だった。
「……レイズン」
ギスギスとした雰囲気の中、朝食を食べ始めてからしばらくすると、やっとハクラシスが口を開いた。
「はい! なんでしょう」
目一杯サンドイッチを口に詰め込んでいたレイズンは、不意打ちに驚いて口からボロッと野菜を落としながらも、慌てて返事をした。
「窓の外を見れば分かるが、もう雪が積もる種類のものに変わった。数時間もしないうちに、積もった雪で歩くのが困難になるだろう。……もし雪の間、街で過ごしたいのなら、出るなら今のうちだ」
「……え?」
レイズンは最初、ハクラシスが言っている意味が分からなかった。
(街で過ごしたいなら今のうち?)
それはどういう意味なのか。
ハクラシスがレイズンともう一緒に居たくないから、出て行けということなのか。
「小隊長殿、それは、……俺に出て行けということですか」
「いや、そういうことじゃない。……雪の間、ここに居たら何もできない。街なら多少の雪でも店は開いているし、昨日の男とも自由に会える」
「は……?」
レイズンの動揺とはうらはらに、ハクラシスは動じる様子なく残ったサンドイッチを口に入れる。
髭についたパンクズを手巾で払うと、畳んで皿の横に置いた。
「俺とここにいても鬱屈するだけだろう。俺のことはいい。宿代も出してやるから、そうしなさい」
もう決まったような口ぶりだった。
レイズンが茫然としている間に、ハクラシスは食べ終わった食器を持って席を立った。
「雪の時期が終わって、ここに戻りたくなったら戻ってくればいい。街が気に入ったなら、ずっといてもいい。誰と暮らそうがお前の自由だ。ここに縛るつもりは毛頭ない」
それだけ言い、使った食器をざっと洗うとハクラシスは自室に戻ろうとした。
「小隊長殿!!」
ドアを開けようとノブに手をかけた時、レイズンが焦ったように声をかけた。
ハクラシスが振り向くとレイズンは、食べかけのサンドイッチを皿に散らばせ、椅子から立ち上がっていた。
その表情はきっと今にも泣きそうで、まるで道に置いて行かれた子供のように見えただろう。
「小隊長殿! 意味が分かりません! 俺に出ていけということですか? なんで俺がここより街のほうがいいと思うんです? これまで冬支度を一緒に整えたじゃないですか! 昨日のことは謝ります。出ていけなんて言わないでください」
顔をくしゃくしゃにしてそう必死にハクラシスに懇願した。
「俺はここに居たいんです……。街で一人で住むなんてできません」
「……街の者はお前に親切だ。あそこなら移住しても歓迎してくれるだろう。住む場所も働く場所もある。……それに昨日の男だっているだろう。一人じゃない」
昨日の男とはブーフのことだろうか。
何でさっきからブーフのことが話に出るのか。レイズンは無性に腹が立った。
「ブーフとはなんでもありません!! 何も聞かなかった癖に勝手に勘違いしないでください!! 俺は小隊長殿のことが好きなんです!! だからここにいるんです!! 他の誰とも住む気はありません!!」
バンッと机を鳴らし、レイズンは憤り思わず声を荒らげた。
……そしてしばらくして気がついた。
自分が今、何を言ったのかを。
(し、しまった……。勢いで思わず小隊長殿のことが好きだって、はっきり言ってちゃった…!)
顔がカーッと熱くなるのを感じた。
まずい。ここで言うつもりはなかったのに。
レイズンはそのままガタンと椅子に座り、頭を抱えて机に突っ伏した。
……しかし、これもいい機会だ。全て話してスッキリしよう。今ならハクラシスの言う通り山を下りることができる。受け入れて貰えないなら、それこそ出ていけばいいのだ。
レイズンは勇気を出した。
突っ伏した状態から顔を上げることはできた。でもハクラシスの顔を直視できず、視線を逸らし俯いたままだ。
「その……小隊長殿、いきなり大声を出してすみません。俺、本当に小隊長殿のことが好きで……ずっと言えなくて。
昨日もブーフにそのことを相談してて遅くなってしまって。いや、ブーフとは昨日知り合って、肉屋の親父さんとこの……、いえそんなことはいいんです。
ともかく、俺が言いたいことはブーフとは本当に何もなくて、俺は小隊長殿のことが好きで。……でも小隊長殿は俺のことそんな目で見てないの分かってるんです。奥さんのことまだ好きなの知ってますし。
だから気持ち悪いとか俺の気持ちが負担で面倒だって思うなら、……そういうことなら、今日出ていきます」
レイズンは勢いに任せて一息で話した。
興奮したせいで耳が熱い。
——あとはもうハクラシスの反応次第。拒否されればそれまで。
沈黙が続き、ストーブのパチパチという薪の爆ぜる音がやけに耳に残る。
レイズンはこの空気に耐えきれず、大声で喚いてどこかに走って消え去りたくて仕方がなかった。
しばらくして少し遠くでカタンと音がし、ハクラシスが椅子に座る気配がした。
それはきっとハクラシスの部屋のドア近くにある、作業用の丸椅子に座る音だ。
「……いつからだ」
「え」
ハクラシスが感情の見えない声で、レイズンに問いかけた。
「いつから俺を好きだったのか聞いている」
「え……と、いつからかは分かりません。その、自覚したのは少し前です。……すみません」
俯く頭がさらに低くなる。
「謝らなくていい。……最近やけに態度がおかしいと思ったら……そういうことか」
「……え"っ」
まさかハクラシスに気づかれていたとは。レイズンは驚いて顔を上げた。
ハクラシスは壁に背を凭れ、腕を組み、レイズンを目を細めて据えていた。
「たまにぼんやりしていただろう。普段なら気にしないようなことを気にしたり、やけに俺を避けるような態度をとったり。妙だとは思っていた」
「き、……気付いていたんですか」
「当たり前だ。ずっと一緒にいるのに気づかん訳がないだろう。……最近やけに街に行きたがるし、てっきり街に気になる者でもできたのかと思っていた。それに昨日二人で抱き合っていたから、てっきりそいつがそうなのだと」
「だ、抱き合ってなどいません!!」
「俺が見たときには抱き合っていた」
「(なにそれ)!!」
レイズンは否定しようとしたが、驚きすぎて言葉にならない声しか出なかった。
おそらく寝ているレイズンをブーフが抱き起こそうとでもしたのだろう。だが酔って寝ていたレイズンは、記憶がぼんやりできっぱりと否定のしようがない。
真っ赤な顔で口をパクパクさせているのを見て、ハクラシスが呆れたように大きくため息を吐く。
「それで本気なのか」
「ほ、本気とは……」
「俺を好きだという話だ」
「!! 本気です!」
「なぜ俺なんだ。30も年が違う。まるで父と子だ。どう考えても無理がある」
「な、なんでって……」
レイズンはゴニョゴニョと口籠った。なんでと言われても自分でも分からない。気がついたら好きになっていたのだ。
「レイズン、お前はおそらく俺に依存しているだけだ。生まれたてのヒヨコのようなものだ。ここを親鳥が守る巣のように感じているんだ」
「違います!」
「お前は優しくされて勘違いしているだけだ」
「違います!! 俺は小隊長殿を見るとムラムラするんです!! 体が反応するんです!! 勘違いでそうなりますか? なりませんよ!!」
ここまで言ってレイズンはまたもやハッとなって口を押さえた。
(しまった……また口が滑った)
しかし言ってしまったものは仕方がない。これで自分の気持ちが本気だと信じてくれるだろうと、レイズンはハクラシスをチラッと見た。彼は額に手をやり、顔を俯かせていたので表情が見えない。
「……レイズン、俺はお前の親よりも年上だろう。それなのに俺がいいというのか」
「小隊長殿がいいんです。……俺ではだめですか」
考え込むように吐かれる小さな吐息。
「…………少し、考えさせてくれ」
そういうと椅子から立ち上がった。
そして自室のドアのノブに手をかけ扉を開くと、すぐに中には入らず少しまた考えこむように目をつむり、しばらくして今度は大きく息を吐いた。
そして——
「レイズン、来なさい」
中には入らず開けたドアを閉めると、ハクラシスはレイズンに向かって手を差し出した。
その声にレイズンは、ハッと顔をあげた。
そしてピョンと飛び上がるように立ち上がると、椅子を蹴倒しながら走り寄り、しがみつくようにハクラシスの手を取った。
酔いはすっかりと覚め、もうよろけず歩けるのに、ハクラシスは腕をしっかりと掴んだまま離してくれない。
レイズンはほとんど引っぱられるようにして、山道を歩いていた。
以前は生い茂る草木で獣道同様だったこの道も、寒くなった今は立ち枯れて、広く歩きやすい。
おかげでレイズンは、ハクラシスに腕を掴まれたままでも、草木に足を取られずに済んだ。
(まずい。小隊長殿すごく怒ってるな……。なんでここまで飲んじゃったんだ俺は)
腕を掴んだまま無言でずんずん歩くハクラシスを見ながら、レイズンはどう謝るべきかとそのことばかりを考えていた。
少し飲んで帰る程度ならハクラシスも怒らなかっただろう。
だがまさか時間を忘れ、酔い潰れるまで飲んでしまうとは……。しかも家の仕事を放置して遊び呆けるなんて、そりゃ怒られて当たり前だ。
……それにこんなに遅くなって、きっとひどく心配したに違いない。
「あ、あの、……小隊長殿、すみません、俺……」
「…………」
レイズンが何かを言ってもハクラシスは無言のままだ。とても気まずい。
道が開けて小屋が見えてくる。
暗闇に魔獣避けの斧がぼんやりと光り、その家の周囲にはハクラシスが用意した戸板が立て掛けられているのが分かった。
ハクラシスは小屋のドアを開け、レイズンをぐいと室内に押し込んだ。
明かりを灯すと、おろおろするレイズンを尻目に、自分はいつも座る椅子にドカッと腰を下ろし、気を鎮めようとするかのように細く息を吐いた。
レイズンは、持っていた肉とドライフルーツの入った袋をテーブルの上にそっと置いた。
「小隊長殿……、その……」
もう一度あらためて謝罪しようと口を開くと、ハクラシスがそれを遮った。
「……謝罪はいい。レイズン、金をたかられたとか、本当にそういうことも何もなかったんだな?」
「はい、何もありません。ただ……ちょっと一人で街へ出て浮かれてしまっただけです」
「それならいい。……俺はお前にああしろこうしろと言うつもりはないし、ルールで縛り付けるつもりもない。だから今日みたいに、一人で街へ出て酒場で飲んだり、誰かに会ったりするのはお前の自由だ。好きにすればいい。……ただ何も知らされていないと、何かあったのかと心配する」
「はい……すみませ……」
「謝罪はいい」
怒りを隠し諭すように話すハクラシスに、レイズンはシュンとして肩を落とした。
もしかして呆れられてしまったのだろうか。
……これ以上聞きたくないし話しもする気がない、そんな突き放したような言い方だ。
もう何も言いたくないほどガッカリさせてしまったのだとしたら……。レイズンは泣きたくなった。
どうせなら小隊にいた頃のように、ガミガミと怒られたほうが、謝罪し挽回する余地がある分まだマシだった。
「レイ……」
レイズンがしゅんとした顔で黙って突っ立っていると、ハクラシスが何か言いかけた。
呼ばれた気がしてレイズンが顔をあげると、ハクラシスは何も言わず口をつぐんでしまった。
そしてしばらくの沈黙のあと、もうこの話は終わりだと言わんばかりに、ハクラシスが就寝の時刻を告げた。
「…………レイズン、夜も遅い。酒が入っているから眠いだろう。もう寝なさい」
「……はい……。おやすみなさい」
きっと本当はまだ怒っているのだろう。
ハクラシスは他所を向いたまま、一度もレイズンを見なかった。
こんな気まずい雰囲気で一日を終えるのは初めてで、言い訳することも許されなかったレイズンは、肩を落としたまま自室に入った。
酒はまだ体に残ってはいたが、酔いなどもう体のどこにも残ってない。頭はいつも以上に冷えて醒めている。
(俺、小隊長殿に見放されたのかな)
もっと何かいろいろ言われるかと思ったのだ。
レイズンを連れてきたブーフのことや、なんでこんな時間になったのかとか、根掘り葉掘り聞かれるかと思ったのに。
結局何も聞かれず『自由にしろ』と突き放されたのだ。
こんなしょうもないことで嫌われるか? とも頭の片隅で考えたが、信頼とはほんの些細なことで失うものなのである。
ブーフには、また後日飲もうと断っていればこんなことにならなかったのだ。
ブーフは悪くない。
……いや、そんなこともない。事の発端はブーフだ。
ブーフにも責任の一端はある。
でも久々にできた年の近い友人に、浮かれた自分が一番悪い。
枕に顔をグリグリと押し付け、レイズンは反省と後悔を織り交ぜながら、一人唸り悶々とした。
——そんなふうにレイズンが眠れぬ夜を過ごしたこの夜、この山には今年最初の雪がハラハラと舞い落ちた。
小さな花弁のようにふわふわと舞い落ちる雪は、二人の住むこの小さな家を冷たく包んだ。
「小隊長殿、雪が降っていますね」
朝起きるなり、レイズンは部屋から顔を出し、キッチンのある部屋にいたハクラシスにそう声をかけた。
昨晩のことをまだ引きずってはいたが、雪のおかげで何気なさを装い声をかけることができた。
だがハクラシスの返事はそっけなく、「ああ、そうだな」と、それだけだった。
いや、いつも言葉数は少ないのだが、それでももう少し「はしゃぐんじゃないぞ」とか「今日は暖かくしておきなさい」とか、そんなことを言ってくれたり、嬉しそうなレイズンの様子に少し笑ってくれたりとかしてくれるのだが。
(……やっぱりまだだめか……。これ以上嫌われないように大人しくしないとな……)
これ以上言うべき言葉が見つからず、すごすごと自室に引っ込み、肩を落としながら服を着替えた。
窓の外を見ると、ハラハラと雪が舞い降り、さきほどよりも量を増した雪が窓に貼り付いては消えていく。雪は止む気配もなく、冷えた室内で着替えている間、冷気に触れた肌へうっすらと鳥肌が立つ。
この様子だとおそらく今日中には雪が積もりだし、外には出られなくなるだろう。
雪によって外部と遮断された完全密閉の空間の中、二人だけで過ごす冬ごもりが始まるのだ。
(あー……そっか、今日から完全に冬ごもりか……)
豪雪の経験のないレイズンは、まだ冬ごもりがどんなものかピンときていない。
しかし
気まずすぎる。気まずすぎてどうしたらいいか、レイズンには分からない。
確かに距離を置きたいとは思ったが、こんな雰囲気になることは望んでいなかった。
これから一週間。いや、雪解けや天候の悪化を加味し、さらに冬ごもりの期間が延びると考えると……
その間に関係を修復できないと、非常に辛い冬ごもりになることだけは、いやでも分かった。
(冬ごもりのために、いろいろ準備したのになぁ)
これまでハクラシスとともに、冬ごもり期間でも普段通りに鬱々とせず過ごせるよう、いろいろと準備をしてきた。
薪を割ったり、野菜を干したり、水や肉の確保、雪から家を守るための対策。
レイズンだって果実酒を仕込んだり、ジャムを作ったり、暇になれば二人でゲームをしようと街でゲーム盤を買ったり、密かにこのはじめての冬ごもりを楽しみにしていた。
それなのにゲームどころじゃなくなってしまった。
のろのろとズボンを履き替えると、部屋を出た。そして朝食を作るためにキッチンに立つ。そこにはすでにハクラシスが湯を沸かすために立っていた。
気まずさを押し殺して、パンを取り出しながら「今日はサンドイッチでもいいですかね」とわざと明るく声をかけると「ああ」とだけ返ってくる。
レイズンはハムを切り、それをパンに乗せ野菜と挟み、皿に盛って出す。ハクラシスは湯が沸くと、茶葉を入れたポットに湯を注ぎ、机に置く。レイズンは何も言えず、その間二人とも無言だった。
「……レイズン」
ギスギスとした雰囲気の中、朝食を食べ始めてからしばらくすると、やっとハクラシスが口を開いた。
「はい! なんでしょう」
目一杯サンドイッチを口に詰め込んでいたレイズンは、不意打ちに驚いて口からボロッと野菜を落としながらも、慌てて返事をした。
「窓の外を見れば分かるが、もう雪が積もる種類のものに変わった。数時間もしないうちに、積もった雪で歩くのが困難になるだろう。……もし雪の間、街で過ごしたいのなら、出るなら今のうちだ」
「……え?」
レイズンは最初、ハクラシスが言っている意味が分からなかった。
(街で過ごしたいなら今のうち?)
それはどういう意味なのか。
ハクラシスがレイズンともう一緒に居たくないから、出て行けということなのか。
「小隊長殿、それは、……俺に出て行けということですか」
「いや、そういうことじゃない。……雪の間、ここに居たら何もできない。街なら多少の雪でも店は開いているし、昨日の男とも自由に会える」
「は……?」
レイズンの動揺とはうらはらに、ハクラシスは動じる様子なく残ったサンドイッチを口に入れる。
髭についたパンクズを手巾で払うと、畳んで皿の横に置いた。
「俺とここにいても鬱屈するだけだろう。俺のことはいい。宿代も出してやるから、そうしなさい」
もう決まったような口ぶりだった。
レイズンが茫然としている間に、ハクラシスは食べ終わった食器を持って席を立った。
「雪の時期が終わって、ここに戻りたくなったら戻ってくればいい。街が気に入ったなら、ずっといてもいい。誰と暮らそうがお前の自由だ。ここに縛るつもりは毛頭ない」
それだけ言い、使った食器をざっと洗うとハクラシスは自室に戻ろうとした。
「小隊長殿!!」
ドアを開けようとノブに手をかけた時、レイズンが焦ったように声をかけた。
ハクラシスが振り向くとレイズンは、食べかけのサンドイッチを皿に散らばせ、椅子から立ち上がっていた。
その表情はきっと今にも泣きそうで、まるで道に置いて行かれた子供のように見えただろう。
「小隊長殿! 意味が分かりません! 俺に出ていけということですか? なんで俺がここより街のほうがいいと思うんです? これまで冬支度を一緒に整えたじゃないですか! 昨日のことは謝ります。出ていけなんて言わないでください」
顔をくしゃくしゃにしてそう必死にハクラシスに懇願した。
「俺はここに居たいんです……。街で一人で住むなんてできません」
「……街の者はお前に親切だ。あそこなら移住しても歓迎してくれるだろう。住む場所も働く場所もある。……それに昨日の男だっているだろう。一人じゃない」
昨日の男とはブーフのことだろうか。
何でさっきからブーフのことが話に出るのか。レイズンは無性に腹が立った。
「ブーフとはなんでもありません!! 何も聞かなかった癖に勝手に勘違いしないでください!! 俺は小隊長殿のことが好きなんです!! だからここにいるんです!! 他の誰とも住む気はありません!!」
バンッと机を鳴らし、レイズンは憤り思わず声を荒らげた。
……そしてしばらくして気がついた。
自分が今、何を言ったのかを。
(し、しまった……。勢いで思わず小隊長殿のことが好きだって、はっきり言ってちゃった…!)
顔がカーッと熱くなるのを感じた。
まずい。ここで言うつもりはなかったのに。
レイズンはそのままガタンと椅子に座り、頭を抱えて机に突っ伏した。
……しかし、これもいい機会だ。全て話してスッキリしよう。今ならハクラシスの言う通り山を下りることができる。受け入れて貰えないなら、それこそ出ていけばいいのだ。
レイズンは勇気を出した。
突っ伏した状態から顔を上げることはできた。でもハクラシスの顔を直視できず、視線を逸らし俯いたままだ。
「その……小隊長殿、いきなり大声を出してすみません。俺、本当に小隊長殿のことが好きで……ずっと言えなくて。
昨日もブーフにそのことを相談してて遅くなってしまって。いや、ブーフとは昨日知り合って、肉屋の親父さんとこの……、いえそんなことはいいんです。
ともかく、俺が言いたいことはブーフとは本当に何もなくて、俺は小隊長殿のことが好きで。……でも小隊長殿は俺のことそんな目で見てないの分かってるんです。奥さんのことまだ好きなの知ってますし。
だから気持ち悪いとか俺の気持ちが負担で面倒だって思うなら、……そういうことなら、今日出ていきます」
レイズンは勢いに任せて一息で話した。
興奮したせいで耳が熱い。
——あとはもうハクラシスの反応次第。拒否されればそれまで。
沈黙が続き、ストーブのパチパチという薪の爆ぜる音がやけに耳に残る。
レイズンはこの空気に耐えきれず、大声で喚いてどこかに走って消え去りたくて仕方がなかった。
しばらくして少し遠くでカタンと音がし、ハクラシスが椅子に座る気配がした。
それはきっとハクラシスの部屋のドア近くにある、作業用の丸椅子に座る音だ。
「……いつからだ」
「え」
ハクラシスが感情の見えない声で、レイズンに問いかけた。
「いつから俺を好きだったのか聞いている」
「え……と、いつからかは分かりません。その、自覚したのは少し前です。……すみません」
俯く頭がさらに低くなる。
「謝らなくていい。……最近やけに態度がおかしいと思ったら……そういうことか」
「……え"っ」
まさかハクラシスに気づかれていたとは。レイズンは驚いて顔を上げた。
ハクラシスは壁に背を凭れ、腕を組み、レイズンを目を細めて据えていた。
「たまにぼんやりしていただろう。普段なら気にしないようなことを気にしたり、やけに俺を避けるような態度をとったり。妙だとは思っていた」
「き、……気付いていたんですか」
「当たり前だ。ずっと一緒にいるのに気づかん訳がないだろう。……最近やけに街に行きたがるし、てっきり街に気になる者でもできたのかと思っていた。それに昨日二人で抱き合っていたから、てっきりそいつがそうなのだと」
「だ、抱き合ってなどいません!!」
「俺が見たときには抱き合っていた」
「(なにそれ)!!」
レイズンは否定しようとしたが、驚きすぎて言葉にならない声しか出なかった。
おそらく寝ているレイズンをブーフが抱き起こそうとでもしたのだろう。だが酔って寝ていたレイズンは、記憶がぼんやりできっぱりと否定のしようがない。
真っ赤な顔で口をパクパクさせているのを見て、ハクラシスが呆れたように大きくため息を吐く。
「それで本気なのか」
「ほ、本気とは……」
「俺を好きだという話だ」
「!! 本気です!」
「なぜ俺なんだ。30も年が違う。まるで父と子だ。どう考えても無理がある」
「な、なんでって……」
レイズンはゴニョゴニョと口籠った。なんでと言われても自分でも分からない。気がついたら好きになっていたのだ。
「レイズン、お前はおそらく俺に依存しているだけだ。生まれたてのヒヨコのようなものだ。ここを親鳥が守る巣のように感じているんだ」
「違います!」
「お前は優しくされて勘違いしているだけだ」
「違います!! 俺は小隊長殿を見るとムラムラするんです!! 体が反応するんです!! 勘違いでそうなりますか? なりませんよ!!」
ここまで言ってレイズンはまたもやハッとなって口を押さえた。
(しまった……また口が滑った)
しかし言ってしまったものは仕方がない。これで自分の気持ちが本気だと信じてくれるだろうと、レイズンはハクラシスをチラッと見た。彼は額に手をやり、顔を俯かせていたので表情が見えない。
「……レイズン、俺はお前の親よりも年上だろう。それなのに俺がいいというのか」
「小隊長殿がいいんです。……俺ではだめですか」
考え込むように吐かれる小さな吐息。
「…………少し、考えさせてくれ」
そういうと椅子から立ち上がった。
そして自室のドアのノブに手をかけ扉を開くと、すぐに中には入らず少しまた考えこむように目をつむり、しばらくして今度は大きく息を吐いた。
そして——
「レイズン、来なさい」
中には入らず開けたドアを閉めると、ハクラシスはレイズンに向かって手を差し出した。
その声にレイズンは、ハッと顔をあげた。
そしてピョンと飛び上がるように立ち上がると、椅子を蹴倒しながら走り寄り、しがみつくようにハクラシスの手を取った。
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