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14 秘密の地下室

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 この日、朝からローレントはひどく落ち込んでいた。

 昨晩、急に辺境伯から「しばらく居館から出るな」と言われたのだ。なぜかと聞けば、使用人に悪影響だからだ、と一言。
 自分の存在が使用人に悪影響……。とてもショックな言葉だった。まるで、ものすごく悪者にでもなったような気分だ。

 いや、実際悪者なのは間違いない。ここに来た経緯が経緯だ。領民だって、まさか我が領主の結婚相手が廃太子だなんて、思いもよらなかっただろう。まるで自分の住む土地が流刑地のように扱われたのだから、怒って当然だ。

 実際、声をかければなぜかみんな固まって、何を聞いてもしどろもどろだし、目をあわせれば目をそらす。
 塔の部屋に行ったら行ったで、塔番兵があからさまに部屋の周囲をうろつき、それとなく見張られていることだって分かっていた。

(……それならいっそのこと、護衛なりなんなり理由をつけて監視をつければいいんだ)

 ローレントは〝辺境伯の妻〟というお飾りの肩書だけがついた、ただここにいるだけの存在だ。誰の目にも触れさせたくないのならば、行動を制限するなり、牢に繋ぐなりすればいい。そのほうがお互いスッキリするだろう。

「……はぁ…………。せっかく塔の小部屋をきれいにしたのに」

 いつかはここにも馴染めるときが来ると思っていたが、ここまで拒絶されては……。もう塔に行きたいとも思えなくなった。
 
 ——そして当然のことながら、辺境伯の顔も見たくない。
 ハルカのために耐えてはいるが、拷問のようなセックスはもう嫌なのだ。

 そんな状況なのに昨日はしかも、セックスの間、名前で呼べなどと言い始めた。誰が呼んでやるものかと、ことが終わるまでローレントは喘ぐ以外口をきいてやらなかった。

(あー……もう嫌だ。寝室にも行きたくない……)

 ローレントの部屋には、普段使う広い部屋の続きに、ドアのない小さな小部屋がいくつか連なっている。それはクローゼットが置いてある衣装部屋である他に、趣味に使う部屋だったり、専属使用人の控え室だったり、そういう利用ができる部屋だ。
 ローレントには専属使用人もいないから空き部屋ばかりで、好きなように使うことができる。だが、どの部屋にも家具など何もなく、がらんとしている。家具や装飾品を取り寄せたくても、逐一辺境伯にお伺いをたてなくてはならないから、したくないのが本音だ。

(ここに、小さくていいからベッドがあったらよかったんだけどな)

 そうしたらここで、自由にひとりで寝られるのに。……まあ、そんなこと辺境伯が許すとは思えないけど。
 ローレントは、小さな木の長椅子に腰掛け、重く息を吐いた。

 ここに来て毎日暇だから、もってきた本もほとんど読み終えてしまった。話し相手の侍従がひとりでもいれば話は違ったのに、それも全部辺境伯が追い返してしまったし、ラミネットに至ってはどこにいるかも分からない。

(……2階に書庫があるって言ってたな)

 でも2階は辺境伯の縄張りだ。絶対に行きたくない。それに辺境伯のことだから、本といってもどうせ軍記ものや兵法の技術書とかだろう。ローレントの好きそうな、物語だったり芸術書のような本をもっているとは思えない。

(やっぱり、もってきた本をもう一度読み返そう)

 ローレントはそう思い直し、椅子から立ち上がった。そして棚の前に行ったとき、ふと今日朝食をとってそのままになっているテーブルが目に入った。

(……そう言えば、今日はまだ朝食を片付けに来ないな)

 テーブルの上には、食べ終わって空になった皿が置かれたままだ。いつもなら、下げに来ているくらいの時間だ。

(おかしいな。思えば今日は、廊下で靴音もしない)

 普段どおりであれば、この時間は掃除の時間だから、廊下では靴音や箒の音が響いているはず。

(まさか僕がずっとこの部屋にいるから、ここの使用人たちも出入りを禁止されてるとかじゃないよな)

 ローレントはそっとドアを開けると、やはり廊下は静かで物音ひとつしない。
 そのまま廊下に出ると、ローレントはキョロキョロしながら階段を降りた。

 2階はも静かだが、まだ人の気配はする。おそらく事務官たちだろう。使用人たちがいるわけではなさそうだ。ここでウロウロして辺境伯にでも見つかると面倒なので、ローレントは足早に1階へと降りた。

 やはり1階にも誰もいない。奥には居館の大きなキッチンがあり、たいがいそこにいるのだが、やはり誰もいないのだ。
 いつもは誰かしら気配のする廊下が、シーンと静まり返っている。
 
(おかしいな)

 ローレントが廊下をウロウロしていると、キッチンのある側の廊下の奥の奥に、かなり古い木製のドアがることに気がついた。

(かなり古そうだな。ここ、なにかに使われているのか?)

 木の表面になにか装飾や文字のようなものが刻まれている。だが、朽ちてボロボロになっていて判読できない。
 この城のドアはすべて新しいものに付け替えてあったが、これだけ古いままになっているようだ。鉄製の金具はまだしっかりと付いているのを見ると、まだ使えると判断して、付け替えせずそのまま使用しているのかもしれない。

 ちょっとした好奇心で、ローレントはドアが開くか試しに押してみた。重そうに見えたが、意外にもギッと音を立てながらたやすく開いた。

「地下室だ」

 一瞬目の前にモヤのようなものが舞い上がったが、暗闇に舞った埃へ光が反射したのだろう。暗闇に目を凝らすと、古い石の階段が下へ下へと伸びているのが見えた。
 少しひんやりとした空気が地下から漂い、肌を撫でる。

(へえ、貯蔵庫かな)

 食料庫だろうか。もしかすると、ここで製造したワインの貯蔵庫かもしれない。当てつけに、貯蔵庫の中のワインをくすねて、ひとりで飲んでやろうか。

 ふとそんな悪戯心が芽生え、ローレントは、明かりの代わりにドアを開けたまま、ウキウキと階段を下りていった。

 コツーンコツーンと、慎重に階段を降りるローレントの足音が響く。地下は下に行くにつれ真っ暗になっていく。やっぱりランタンでも持ってくるべきだったなと後悔し始めたとき、なんとカーブを描いた階段の先に、光が見えた。

(あれ? 明かりだ。貯蔵庫なのに、明り取り用の天窓があるのか?)

 不思議に思いながらローレントは階段を下り、光の先へ足を踏み入れた。
 すると、なんとそこは貯蔵庫などではなく、素晴らしく整備された空間だった。

「なんだここは……!」

 ヒビの入ることもなく、ピカピカに磨かれた床。壁も柱も天井も、上の大ホールのように朽ちてなどおらず、素晴らしい模様が描かれた色鮮やかなタイルや彫刻で装飾されている。そして、その美しい壁や天井は、豪華な金色のシャンデリアの光で燦爛としていた。

 王宮の意匠とはまったく違う、見たことのない異国的な装飾に息を呑む。ここへ来る前に本で見たサルース王国時代の意匠とよく似ている。

「……すごい! 地下だから昔の装飾が朽ちたりせず、そのまま残っているのか?」

 素晴らしい芸術品が詰まった部屋。こんな場所があるなら、言って欲しかった。そうしたら塔ではなく、誰の邪魔もせずここで毎日ひっそりと過ごしたのに。

 夢中で部屋の中を見ていると、奥には、びっしりと本が敷き詰められた本棚のある小部屋があった。

「す、すごい! これ全部古い時代の書物なのか?」

 植物が絡み合う複雑な文様で飾られた表紙に、見たことのない言葉で書かれた書名。おそらくこれもサルースが国だった頃のものだろう。一冊手に取ってパラパラとめくってみるが、不思議なことに傷みはそれほどない。挿絵も細かく見事で、文字を読めはしないが、この絵を見るだけでも退屈しそうにない。

 夢中でページをめくっていると、背後からいきなり「その本は面白いだろう」と声がかかった。

「——……!」

 あまりに驚き、ローレントの体がビクンと大きく跳ね、勢いよく振り返った。そこには見たことのない男が立っていた。

「え……」
「ん?」

 ローレントの緊張した声に、男は笑顔で返す。
 その柔和な笑みに、緊張し強張ったローレントの体から力が抜けた。
 
「す、すみません。誰もいないのかと思って……!」
「いや、こちらこそ驚かせてしまって、申し訳ない」

 年の頃は60歳前後。白い髭を豊かに生やし、肌は辺境伯よりも浅黒く、彫りの深い顔立ち。髪は長く、後ろでひとつに束ねているが、その髪は髭と同じく白い。茶色が混じっているから、元は茶色の髪なのだということが分かる。
 そして、衣服はこのサルースのものに似ている。だがここのような質素なものではなく、密度の高い地文様入りのいかにも高価そうな織生地のチュニックは、複雑な刺繍が入った襟や帯で飾られ、かなり上等なものだと分かる。

 こんな上等な衣服を身につけられるのは、身分が高い人物だけだ。辺境伯よりも格が高い衣服を身につけるこの男は、一体何者なのだろうか。

「ああ、すまない。自己紹介がまだだったね。私はアサセル・サルースだ」

 物腰柔らかく、優雅にお辞儀をした。

「サルース? サルースというのか。このサルースとなにか関係が?」

 もしかして辺境伯の身内だろうか。だとしたら納得がいく。親族がここに住んでいるとは聞いていなかったが。しかもこんな品格のある男性が。

 だがそんなローレントの推測はよそに、返ってきた答えは、意外なものだった。

「私はここサルースの王族だよ。その生き残りさ」
「え……? ええ!? お、王族!? サルースの!?」
「おや、やけに驚くね。ははっ」

 驚愕するローレントに、アサセルは手を口に置き、おかしそうに声をあげた。
 驚くもなにも、サルースの王族はとっくに途絶えたと記録されている。まさかこの地に、ひっそりと暮らしている末裔がいるとは……! 本来ならば、国へ報告せねばならない案件だが……。

「すまないね。私がここにいることは黙っていてくれるかな。ひっそりと暮らしたいんだ」

 しーっと、まるで子どもに頼むかのように、アサセルは茶目っ気たっぷりな笑顔で、口に立てた指を当ててローレントにお願いした。
 威厳のある佇まいで一見怖そうに見えるが、とてもチャーミングな人だ。

 サルース王族が生きているなど知れ渡れば、かなりおおごとになる。王都からアサセルを迎えに使者がくるだろう。だからきっと、この城の地下で、誰にも会わないようひっそりと暮らしているのだろう。……まるで今のローレントのように。

(辺境伯も、僕に知れると厄介だと思って、黙っているんだろうな)

「分かりました。では、今回は見逃しましょう」

 そう微笑むと、アサセルも優しく微笑み返す。
 
「悪いね。そうしてくれると助かるよ。……ところで美しい方。君は? 自己紹介をお願いできるかな」
「あ、これは失礼を。私は、ローレント・レイク・ソワイエ……」

 思わず婚姻前のフルネームを言いかけ、「……ローレントです」と言い直した。
 そんなローレントにアサセルは察したように「……ああ」とだけ頷き、そして何も聞かず「ではローレント、とお呼びしても?」と胸に手を当て、人懐こくにっこりと笑った。

「ええ、ぜひ! では私もアサセルとお呼びしても宜しいですか」
「勿論。喜んで」
「ではアサセル。この本には何が書かれているのでしょう。これは古いサルースの言葉ですよね。私に教えて頂けませんか」
「ああ、いいとも。これは、サルースのお伽噺で、昔この地に悪魔を……」

 年齢は大きく違うが、ローレントはここではじめて友人のようなものができた。しかも相手は、この地を治めていたサルース国王族の末裔だ。穏やかで教養もあり、ローレントと話があう。

 粗暴な辺境伯とは違い、博識かつ優雅なこのアサセルに、ローレントはすっかり夢中になっていた。

 この日以降、ローレントは誰にも内緒で、この地下へと潜るようになっていった。
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