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第28話:静かなる包囲と夜陰の潜入
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日が傾き始めた頃、オズワルドとアーロンは動き出した。
セシルの証言に基づいて作成した簡易地図を元に、ラヴィーニア軍の秘密拠点(テント)へ向かう小隊を編成する。
隊員はアーロンを含む十数名の精鋭兵と、グリーゼの護衛兵から選抜された数名。
オズワルドは村の防衛とラヴィーニア王子一行への対応を担い、村に残ることにした。
◇
「セシル殿、我々の隊に同行していただけませんか? 現場で詳しい地形を確認したいと思います。戦闘が起きないように注意しますが、万一の際は兵が守りますので」
「わかりました。お役に立てるなら一緒に行きます。でも、私がいることで足手まといにならないか心配です……」
「いいえ、むしろ現地での状況把握や資料整理にはあなたの力が必要です。危険な場面ではこちらにお任せを」
アーロンが毅然とした口調で言うと、セシルも腹をくくって頷く。
同時に、オズワルドが心配そうな表情で近寄ってきた。
「本当にいいのか、セシル。俺は村に残るから、一緒に行けないぞ。正直、危険が大きい」
「はい、承知しています。でも私、あのテントを確認しないと気が済みません。どんな物資があるのか、この目で見ておきたいんです」
「……わかった。万が一のときはアーロンを頼れ。俺もすぐ駆けつけられるよう準備しておく」
「ありがとうございます。将軍こそ、王子一行の対応をしっかりお願いしますね。彼らに怪しまれないように……」
セシルとオズワルドは視線を交わし、互いにうなずき合った。
短い別れの後、セシルはアーロン率いる小隊の後方に加わり、静かに村を出発する。
◇
時間帯は夕刻。
村を離れて崖下へのルートに差しかかる頃、夜の帳がゆっくりと降りてきた。
ラヴィーニア公務官らが戻る前に、テントへ到達し、状況を把握する――それが今回の作戦の要だ。
「足元に気をつけてください。暗闇に慣れるまで数分はかかります。ランタンや松明は極力使わずに移動を……」
アーロンの指示で、兵たちは月明かりや雪の反射を頼りに足音を消して進んでいく。
セシルもできるだけ音を立てないように注意を払うが、緊張で手のひらが汗ばんでくる。
「(昨夜は私一人だったけど、今夜はこれだけの兵がいるから……きっと大丈夫)」
自分に言い聞かせながら、セシルは前方を行くアーロンの背中を見つめる。
彼は軍副官として優れた統率力を持ち、いつも柔和な雰囲気とは裏腹に、いざというときには冷静沈着な判断を下す。
今回も彼が指揮してくれることは心強い。
◇
しばらく雪道を踏みしめていくと、やがて昨夜セシルが目撃した空き地に近い場所へ出た。
木々が密集する一帯を抜けた先に、再び簡易テントの薄い明かりが見える。
どうやらまだ撤収はされていないようだ。
「間違いありません、あのテントです……」
セシルが耳打ちすると、アーロンが手を挙げて小隊に合図を送る。
兵たちは三方向から包囲するように動き、テントの出入り口を視認できる位置で待機する。
セシルとアーロンは少し距離を置いた茂みに身を潜め、相手の出方を探った。
「数はどれくらいかな……。見張りが二人、奥に数人いそうだ。先に交渉するか、それとも一気に取り押さえるか……」
アーロンが小声でつぶやき、セシルは注意深くテントを観察する。
中に積み上げられた木箱の山が、影絵のようにシルエットを浮かび上がらせているのがわかる。
もしあの中身が軍備や違法物資なら、現行犯で抑えてしまいたいところだ。
「……どうやらラヴィーニアの兵らしき姿も見えますね。そこに立っている男、胸当てにラヴィーニア紋章が……」
セシルが確認していると、突然テントの奥から人影が出てきた。
それはあのラヴィーニア公務官の一人――昨夜セシルが後を追った人物に間違いない。
「やっぱり……! 公務官が直々に指示しているんだ」
「よし、どう動くか……。このまま行けば、夜陰に乗じて一気に踏み込める」
アーロンは部下に合図を送り、全員が配置を再確認する。
しかし、そのときテント周辺で別の動きが起こった。
「……ん? あれは誰だ? 見張りの兵が急に慌ただしくなったぞ」
セシルが目を凝らすと、どうやら馬に乗った集団が近づいてきているらしい。
暗闇の中で馬の嘶きと灯りが揺れ、見張りの兵たちが応対に向かっている。
「しまった、新手が来たか……。援軍かもしれない。数が多いと面倒だな」
アーロンが苦々しく唇を噛む。
もしラヴィーニア側がさらに兵力を投入してきたのなら、こちらの小隊では不利になりかねない。
しかし、馬の足音からすると数は多くないようだ。
「このタイミングで到着するなんて……。もし彼らがここと繋がっているのなら、重要な取引かもしれませんね」
セシルが言うと、アーロンは首肯し、「様子を見よう」と目線で合図をする。
◇
馬に乗ってきた男がテント前で下馬し、兵に何か言葉を掛けている。
しかし距離があり、こちらまで声が届かない。
続いて馬車らしきものも停車し、数人が荷台を降りるのが見えた。
「箱……さらに物資を運び込んでいるのか? それとも受け渡し?」
アーロンが息を詰めて見守る中、テントの中から公務官が出てきて、馬車の荷物を確認しているようだった。
ランタンの光が箱の側面を照らし、一瞬だけ何かのマークが浮かび上がる。
セシルの目にはそれが見覚えのある紋章に見えた。
「(ラヴィーニア王家の紋章……? でも、王子の所有物とは限らないわね。貴族派閥の誰かかも)」
一方で、誰かの指示でその箱がテントの中に運び込まれ、代わりにテント内に積まれていた別の箱が馬車へと乗せられ始める。
どうやら物々交換のような取引が行われているらしい。
「……これは現行犯だな。違法な取引であることはほぼ間違いない」
「アーロン、副官……踏み込みましょうか?」
セシルが意を決して尋ねると、アーロンは短く頷く。
「そうしよう。このまま見逃すわけにはいかない。皆、静かに突入の準備を――」
アーロンが兵たちに合図を送ろうとした、その刹那。
馬車の後方から、突如矢が放たれた。
◇
「伏せろ!」
アーロンの警告と同時に、セシルは地面に身を沈める。
どうやら敵の迎撃態勢が予想より早かったようだ。
ラヴィーニア兵がこちらに気づいたか、それとも別の勢力が乱戦を狙っているのか――まだ定かではない。
「小隊、散開! 敵の位置を確保しろ! テント周辺も押さえるぞ!」
アーロンが指示を飛ばし、兵たちが木立や茂みに隠れていたが、一気に姿を現して攻撃に転じる。
ラヴィーニア側も慌てた様子で兵を繰り出し、あちこちで剣戟の音が響き始めた。
「うわっ……!」
セシルは飛んできた矢を間一髪でかわし、足元を滑らせそうになる。
兵たちが敵兵と交戦を始め、激しい斬り合いの音が耳をつんざく。
「くそっ、思ったより大きな勢力だな……! セシル殿、下がってください!」
アーロンがセシルを庇う形で剣を抜き、敵兵の一人をはねのけた。
夜闇の中、薄いランタン光と月明かりが乱反射し、どこに何人いるのか把握しづらい。
「やはり周到に準備していたのね……。こんな山奥で、大がかりな密輸を……!」
セシルは懸命に身を低くしながら、混乱の中心にあるテントを見やる。
もしあの物資の中に兵器や危険な品が含まれているなら、グリーゼ王国全体にとって大打撃となり得る。
なんとしてでも確保しないと――その思いが彼女の足を奮い立たせた。
「アーロン副官、私テントのほうへ行きます! 何か証拠を押さえたい!」
「危ないですよ、セシル殿! ここは我々が――」
「大丈夫、絶対に怪我はしません! 兵の方々にテント周辺を抑えてもらえれば……!」
セシルの必死の訴えに、アーロンは一瞬逡巡しながらも、「わかった、急げ!」と返す。
彼が敵兵を引きつけてくれる間に、セシルは隙を突いてテントの側面に回り込む。
◇
テントの布をめくり、中へ身を滑り込ませると、箱や樽がずらりと並んでいた。
いくつもの紋章やラヴィーニア語の刻印が施されているのが見える。
「やはり……完全にラヴィーニア軍のものじゃない。これは……毒かしら? 薬品のような瓶もある。こっちは……剣や槍?」
箱の蓋をこじ開けてみると、そこには鋭い刃を備えた短剣が何十本も詰まっていた。
さらに別の箱には、火薬のような粉末が詰め込まれている。
これが量産されてグリーゼに持ち込まれれば、内乱や破壊行為につながる可能性は高い。
「(やっぱり軍事侵略の準備……? それとも何か別の陰謀?)」
セシルは混乱しながらも、証拠として小さなメモ用紙に刻印内容を写し取り、瓶のラベルなども記録していく。
誰がこれを指揮しているのか、はっきりわからないが、ラヴィーニア王家の一部か貴族派閥が関与しているのは明白だろう。
「ひとまず、これで決定的な証拠になるはず……!」
セシルがそう思った瞬間、テントの入口が荒々しく開き、黒い影が飛び込んできた。
「ぐっ……誰だ、貴様!」
ラヴィーニア兵らしき男が剣を構えて迫ってくる。
セシルは悲鳴を上げそうになるが、すでに兵は剣を振りかぶっている――避ける暇もない。
「くっ……!」
身を捻って何とか剣先を避けようとするが、鋭い切っ先が横を掠め、衣服の袖を裂く。
冷や汗がにじむ中、男が次の一撃を繰り出そうとする――。
「そこまでだ!」
また別の人影がテントに飛び込んでくる。
アーロンが素早い剣捌きでラヴィーニア兵を牽制し、セシルのほうへさっと体を寄せる。
「セシル殿、下がってください!」
「アーロン、副官……!」
兵との激しい剣戟が始まり、金属音がきんきんと響き渡る。
アーロンは驚くほど優れた剣術で相手を翻弄し、やがて一瞬の隙を突いて相手の腕を切り払った。
ラヴィーニア兵は痛みに唸りつつ剣を落とし、そのまま膝をつく。
「ふう……危ないところでしたね」
「ありがとうございます。私、もう少しで……」
セシルが震える声で答えると、アーロンは手早く兵を拘束し、テントの外へ投げ出すように引きずっていく。
外ではまだ激しい戦いの音が鳴り響いている。
「セシル殿、ここにいたら危険です。証拠は十分に押さえたんですよね? なら、兵を呼んで確保作業を進めましょう!」
「はい、わかりました!」
セシルは急いで周囲を見回し、残っている箱に目星をつける。
そして蓋を閉じ直し、外で待機している兵たちに「ここの箱を押さえてください!」と叫ぶ。
◇
戦闘は数分ほど続いたが、こちらの小隊が有利だった。
慌てたラヴィーニア兵の援軍は間に合わず、事前の包囲と精鋭の戦力で相手を圧倒できたのだ。
結果として多数の箱や兵器、薬品などが現場に残され、ラヴィーニア公務官数名が捕縛された。
「……どうやら計画はここまでだな。グリーゼ王国に対して何を企んでいたのか、すべて吐いてもらおうじゃないか」
アーロンが拘束した公務官に鋭い視線を送る。
相手は苦悶の表情を浮かべながら、必死に言い訳しようとするが、それを兵士が無言で封じていた。
「セシル殿、あなたがいなければこの拠点は見つけられなかったかもしれません。見事です」
「いえ……私も怖かったです。でも、これで少しは安心ですね。あとは村に戻って、将軍にも報告を――」
そう答えた矢先、遠くから馬の嘶きが聞こえた。
どうやらラヴィーニア公務官の一部が逃走したらしい。
暗い夜道を駆け抜け、どこかへ消え去る影が見えた。
「くっ、逃げたか……。追うべきか?」
兵が焦りを帯びて問いかけるが、アーロンは冷静に首を振る。
「いや、下手に追いかけて山中で遭難しては意味がない。まずはここで押さえた証拠を確保し、王都へ報せる。逃げた奴らの行方は、別途将軍が手を打つはずだ」
「わかりました」
こうして静かなる潜入作戦は、ひとまず成功に終わった。
テントにあった大量の物資と捕虜となった公務官たちを手中に収め、グリーゼ王国としては大きな前進となるだろう。
「(これで……ラヴィーニアの本格的な侵略計画は未然に防げたかもしれない。けれど、この件で王子殿下はどうなるの?)」
セシルは息を整えながら、ふとレナードの顔を思い浮かべる。
彼がどの程度関わっていたのか、今はまだ分からない。
しかし、これだけの物資が動いていたのなら、必ずしも王子一人だけの思惑ではないだろう。
「セシル殿、あなたの迅速な行動に感謝します。さ、寒いですから、いったん村へ戻りましょう。怪我をしていないか、もう一度確認を」
「はい……ありがとうございます」
夜の冷気が身に染みるが、セシルの心は一つの正義を貫いた達成感と、新たな不安とで大きく揺れていた。
セシルの証言に基づいて作成した簡易地図を元に、ラヴィーニア軍の秘密拠点(テント)へ向かう小隊を編成する。
隊員はアーロンを含む十数名の精鋭兵と、グリーゼの護衛兵から選抜された数名。
オズワルドは村の防衛とラヴィーニア王子一行への対応を担い、村に残ることにした。
◇
「セシル殿、我々の隊に同行していただけませんか? 現場で詳しい地形を確認したいと思います。戦闘が起きないように注意しますが、万一の際は兵が守りますので」
「わかりました。お役に立てるなら一緒に行きます。でも、私がいることで足手まといにならないか心配です……」
「いいえ、むしろ現地での状況把握や資料整理にはあなたの力が必要です。危険な場面ではこちらにお任せを」
アーロンが毅然とした口調で言うと、セシルも腹をくくって頷く。
同時に、オズワルドが心配そうな表情で近寄ってきた。
「本当にいいのか、セシル。俺は村に残るから、一緒に行けないぞ。正直、危険が大きい」
「はい、承知しています。でも私、あのテントを確認しないと気が済みません。どんな物資があるのか、この目で見ておきたいんです」
「……わかった。万が一のときはアーロンを頼れ。俺もすぐ駆けつけられるよう準備しておく」
「ありがとうございます。将軍こそ、王子一行の対応をしっかりお願いしますね。彼らに怪しまれないように……」
セシルとオズワルドは視線を交わし、互いにうなずき合った。
短い別れの後、セシルはアーロン率いる小隊の後方に加わり、静かに村を出発する。
◇
時間帯は夕刻。
村を離れて崖下へのルートに差しかかる頃、夜の帳がゆっくりと降りてきた。
ラヴィーニア公務官らが戻る前に、テントへ到達し、状況を把握する――それが今回の作戦の要だ。
「足元に気をつけてください。暗闇に慣れるまで数分はかかります。ランタンや松明は極力使わずに移動を……」
アーロンの指示で、兵たちは月明かりや雪の反射を頼りに足音を消して進んでいく。
セシルもできるだけ音を立てないように注意を払うが、緊張で手のひらが汗ばんでくる。
「(昨夜は私一人だったけど、今夜はこれだけの兵がいるから……きっと大丈夫)」
自分に言い聞かせながら、セシルは前方を行くアーロンの背中を見つめる。
彼は軍副官として優れた統率力を持ち、いつも柔和な雰囲気とは裏腹に、いざというときには冷静沈着な判断を下す。
今回も彼が指揮してくれることは心強い。
◇
しばらく雪道を踏みしめていくと、やがて昨夜セシルが目撃した空き地に近い場所へ出た。
木々が密集する一帯を抜けた先に、再び簡易テントの薄い明かりが見える。
どうやらまだ撤収はされていないようだ。
「間違いありません、あのテントです……」
セシルが耳打ちすると、アーロンが手を挙げて小隊に合図を送る。
兵たちは三方向から包囲するように動き、テントの出入り口を視認できる位置で待機する。
セシルとアーロンは少し距離を置いた茂みに身を潜め、相手の出方を探った。
「数はどれくらいかな……。見張りが二人、奥に数人いそうだ。先に交渉するか、それとも一気に取り押さえるか……」
アーロンが小声でつぶやき、セシルは注意深くテントを観察する。
中に積み上げられた木箱の山が、影絵のようにシルエットを浮かび上がらせているのがわかる。
もしあの中身が軍備や違法物資なら、現行犯で抑えてしまいたいところだ。
「……どうやらラヴィーニアの兵らしき姿も見えますね。そこに立っている男、胸当てにラヴィーニア紋章が……」
セシルが確認していると、突然テントの奥から人影が出てきた。
それはあのラヴィーニア公務官の一人――昨夜セシルが後を追った人物に間違いない。
「やっぱり……! 公務官が直々に指示しているんだ」
「よし、どう動くか……。このまま行けば、夜陰に乗じて一気に踏み込める」
アーロンは部下に合図を送り、全員が配置を再確認する。
しかし、そのときテント周辺で別の動きが起こった。
「……ん? あれは誰だ? 見張りの兵が急に慌ただしくなったぞ」
セシルが目を凝らすと、どうやら馬に乗った集団が近づいてきているらしい。
暗闇の中で馬の嘶きと灯りが揺れ、見張りの兵たちが応対に向かっている。
「しまった、新手が来たか……。援軍かもしれない。数が多いと面倒だな」
アーロンが苦々しく唇を噛む。
もしラヴィーニア側がさらに兵力を投入してきたのなら、こちらの小隊では不利になりかねない。
しかし、馬の足音からすると数は多くないようだ。
「このタイミングで到着するなんて……。もし彼らがここと繋がっているのなら、重要な取引かもしれませんね」
セシルが言うと、アーロンは首肯し、「様子を見よう」と目線で合図をする。
◇
馬に乗ってきた男がテント前で下馬し、兵に何か言葉を掛けている。
しかし距離があり、こちらまで声が届かない。
続いて馬車らしきものも停車し、数人が荷台を降りるのが見えた。
「箱……さらに物資を運び込んでいるのか? それとも受け渡し?」
アーロンが息を詰めて見守る中、テントの中から公務官が出てきて、馬車の荷物を確認しているようだった。
ランタンの光が箱の側面を照らし、一瞬だけ何かのマークが浮かび上がる。
セシルの目にはそれが見覚えのある紋章に見えた。
「(ラヴィーニア王家の紋章……? でも、王子の所有物とは限らないわね。貴族派閥の誰かかも)」
一方で、誰かの指示でその箱がテントの中に運び込まれ、代わりにテント内に積まれていた別の箱が馬車へと乗せられ始める。
どうやら物々交換のような取引が行われているらしい。
「……これは現行犯だな。違法な取引であることはほぼ間違いない」
「アーロン、副官……踏み込みましょうか?」
セシルが意を決して尋ねると、アーロンは短く頷く。
「そうしよう。このまま見逃すわけにはいかない。皆、静かに突入の準備を――」
アーロンが兵たちに合図を送ろうとした、その刹那。
馬車の後方から、突如矢が放たれた。
◇
「伏せろ!」
アーロンの警告と同時に、セシルは地面に身を沈める。
どうやら敵の迎撃態勢が予想より早かったようだ。
ラヴィーニア兵がこちらに気づいたか、それとも別の勢力が乱戦を狙っているのか――まだ定かではない。
「小隊、散開! 敵の位置を確保しろ! テント周辺も押さえるぞ!」
アーロンが指示を飛ばし、兵たちが木立や茂みに隠れていたが、一気に姿を現して攻撃に転じる。
ラヴィーニア側も慌てた様子で兵を繰り出し、あちこちで剣戟の音が響き始めた。
「うわっ……!」
セシルは飛んできた矢を間一髪でかわし、足元を滑らせそうになる。
兵たちが敵兵と交戦を始め、激しい斬り合いの音が耳をつんざく。
「くそっ、思ったより大きな勢力だな……! セシル殿、下がってください!」
アーロンがセシルを庇う形で剣を抜き、敵兵の一人をはねのけた。
夜闇の中、薄いランタン光と月明かりが乱反射し、どこに何人いるのか把握しづらい。
「やはり周到に準備していたのね……。こんな山奥で、大がかりな密輸を……!」
セシルは懸命に身を低くしながら、混乱の中心にあるテントを見やる。
もしあの物資の中に兵器や危険な品が含まれているなら、グリーゼ王国全体にとって大打撃となり得る。
なんとしてでも確保しないと――その思いが彼女の足を奮い立たせた。
「アーロン副官、私テントのほうへ行きます! 何か証拠を押さえたい!」
「危ないですよ、セシル殿! ここは我々が――」
「大丈夫、絶対に怪我はしません! 兵の方々にテント周辺を抑えてもらえれば……!」
セシルの必死の訴えに、アーロンは一瞬逡巡しながらも、「わかった、急げ!」と返す。
彼が敵兵を引きつけてくれる間に、セシルは隙を突いてテントの側面に回り込む。
◇
テントの布をめくり、中へ身を滑り込ませると、箱や樽がずらりと並んでいた。
いくつもの紋章やラヴィーニア語の刻印が施されているのが見える。
「やはり……完全にラヴィーニア軍のものじゃない。これは……毒かしら? 薬品のような瓶もある。こっちは……剣や槍?」
箱の蓋をこじ開けてみると、そこには鋭い刃を備えた短剣が何十本も詰まっていた。
さらに別の箱には、火薬のような粉末が詰め込まれている。
これが量産されてグリーゼに持ち込まれれば、内乱や破壊行為につながる可能性は高い。
「(やっぱり軍事侵略の準備……? それとも何か別の陰謀?)」
セシルは混乱しながらも、証拠として小さなメモ用紙に刻印内容を写し取り、瓶のラベルなども記録していく。
誰がこれを指揮しているのか、はっきりわからないが、ラヴィーニア王家の一部か貴族派閥が関与しているのは明白だろう。
「ひとまず、これで決定的な証拠になるはず……!」
セシルがそう思った瞬間、テントの入口が荒々しく開き、黒い影が飛び込んできた。
「ぐっ……誰だ、貴様!」
ラヴィーニア兵らしき男が剣を構えて迫ってくる。
セシルは悲鳴を上げそうになるが、すでに兵は剣を振りかぶっている――避ける暇もない。
「くっ……!」
身を捻って何とか剣先を避けようとするが、鋭い切っ先が横を掠め、衣服の袖を裂く。
冷や汗がにじむ中、男が次の一撃を繰り出そうとする――。
「そこまでだ!」
また別の人影がテントに飛び込んでくる。
アーロンが素早い剣捌きでラヴィーニア兵を牽制し、セシルのほうへさっと体を寄せる。
「セシル殿、下がってください!」
「アーロン、副官……!」
兵との激しい剣戟が始まり、金属音がきんきんと響き渡る。
アーロンは驚くほど優れた剣術で相手を翻弄し、やがて一瞬の隙を突いて相手の腕を切り払った。
ラヴィーニア兵は痛みに唸りつつ剣を落とし、そのまま膝をつく。
「ふう……危ないところでしたね」
「ありがとうございます。私、もう少しで……」
セシルが震える声で答えると、アーロンは手早く兵を拘束し、テントの外へ投げ出すように引きずっていく。
外ではまだ激しい戦いの音が鳴り響いている。
「セシル殿、ここにいたら危険です。証拠は十分に押さえたんですよね? なら、兵を呼んで確保作業を進めましょう!」
「はい、わかりました!」
セシルは急いで周囲を見回し、残っている箱に目星をつける。
そして蓋を閉じ直し、外で待機している兵たちに「ここの箱を押さえてください!」と叫ぶ。
◇
戦闘は数分ほど続いたが、こちらの小隊が有利だった。
慌てたラヴィーニア兵の援軍は間に合わず、事前の包囲と精鋭の戦力で相手を圧倒できたのだ。
結果として多数の箱や兵器、薬品などが現場に残され、ラヴィーニア公務官数名が捕縛された。
「……どうやら計画はここまでだな。グリーゼ王国に対して何を企んでいたのか、すべて吐いてもらおうじゃないか」
アーロンが拘束した公務官に鋭い視線を送る。
相手は苦悶の表情を浮かべながら、必死に言い訳しようとするが、それを兵士が無言で封じていた。
「セシル殿、あなたがいなければこの拠点は見つけられなかったかもしれません。見事です」
「いえ……私も怖かったです。でも、これで少しは安心ですね。あとは村に戻って、将軍にも報告を――」
そう答えた矢先、遠くから馬の嘶きが聞こえた。
どうやらラヴィーニア公務官の一部が逃走したらしい。
暗い夜道を駆け抜け、どこかへ消え去る影が見えた。
「くっ、逃げたか……。追うべきか?」
兵が焦りを帯びて問いかけるが、アーロンは冷静に首を振る。
「いや、下手に追いかけて山中で遭難しては意味がない。まずはここで押さえた証拠を確保し、王都へ報せる。逃げた奴らの行方は、別途将軍が手を打つはずだ」
「わかりました」
こうして静かなる潜入作戦は、ひとまず成功に終わった。
テントにあった大量の物資と捕虜となった公務官たちを手中に収め、グリーゼ王国としては大きな前進となるだろう。
「(これで……ラヴィーニアの本格的な侵略計画は未然に防げたかもしれない。けれど、この件で王子殿下はどうなるの?)」
セシルは息を整えながら、ふとレナードの顔を思い浮かべる。
彼がどの程度関わっていたのか、今はまだ分からない。
しかし、これだけの物資が動いていたのなら、必ずしも王子一人だけの思惑ではないだろう。
「セシル殿、あなたの迅速な行動に感謝します。さ、寒いですから、いったん村へ戻りましょう。怪我をしていないか、もう一度確認を」
「はい……ありがとうございます」
夜の冷気が身に染みるが、セシルの心は一つの正義を貫いた達成感と、新たな不安とで大きく揺れていた。
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とある子爵家の長女であるエルミーユは、家長の父と使用人の母から生まれたことと、常人離れした記憶力を持っているせいで、幼い頃から家族に嫌われ、酷い暴言を言われたり、酷い扱いをされる生活を送っていた。
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