24 / 30
第24話:山間の集落での遭遇と疑惑の視線
しおりを挟む
夕刻に差しかかった頃、セシルたちの一行は次なる目的地である山間の集落へと足を進めていた。
先ほど立ち寄った雪国の村と比べると、やや標高の低い場所に位置しているものの、あちこちの崖や峠が入り組んでおり、移動には依然として時間がかかる。
荷馬車の車輪が雪と泥を踏みしめるたびに大きく揺れ、護衛兵たちが慎重に誘導する姿が見られた。
◇
「セシル、今日はもう宿を探すか、それとも少しだけ現地を見て回るか。どちらを先にする?」
馬を先導しながら、オズワルドが問いかける。
地図によれば、この近くにはいくつかの小集落が点在しており、その中でも一番規模の大きい場所に一行は向かっていた。
だが、道の状態によっては夜間移動が危険になることもあり得る。
「そうですね……。この辺りの地形や魔物の出没情報を早めに把握したいので、少しだけ視察をしてから宿を取れればと思います。護衛兵の皆さんの負担も大きいでしょうし、暗くなる前に大まかな状況だけでも確認できれば十分かと」
「了解だ。では、とりあえず村の入り口付近で馬車を止めて、人々に挨拶してみよう。宿や役場があるなら案内を頼めばいいしな」
「はい」
セシルが笑顔で頷くと、オズワルドは軽く手綱を引き、馬車の速度を落とさせた。
◇
一方、ラヴィーニア王太子レナードや公務官の一団は、相変わらず微妙な空気をまとっている。
彼らは「災害対策を学ぶ」との名目で同行しているが、実際のところ地形や被害状況に深く関心を持っている様子はない。
時折メモを取る振りをしてはいるが、どうにも演技めいていて、セシルの不信感をさらに募らせていた。
「(何が狙いなのか、まだ掴めない……。北部のルートを探りつつ、別の動きをしているのかもしれないわね)」
セシルは馬車の窓越しにレナードを見やりながら、胸の内で考える。
レナード自身が何も知らされていない可能性もあるし、逆に当事者かもしれない。
しかし、彼の取り巻きたちの視線を観察すると、決してレナードを中心に動いているわけではないように思えた。
それが、より一層ややこしい。
◇
やがて薄暗い山道を抜け、小川のせせらぎが聞こえる開けた場所に出た。
そこが次の目的地となる集落で、数十軒ほどの家が広がっている。
村外れには畑や家畜を飼う厩があり、中央部にある広場は小さな市場になっているようだった。
「人の気配はあるな。あそこにいるのが村の代表だろうか」
先頭を行く護衛兵が指し示す先に、中年の男性が腕を組んで立っているのが見えた。
雪や泥を払いながら近づくと、男性は不安げな顔つきでセシルたちを迎えた。
「……旅の方ですか。こんな辺鄙な場所に用事とは、何かの間違いでも?」
「私たちはグリーゼ王国の官吏で、各地の災害対策を調べるために巡回しているんです。もしよろしければ、この集落の被害状況などを伺いたいのですが」
セシルが言葉を選びながら伝えると、男性は僅かに目を見開いた。
「災害対策、ですか。確かに、ここ最近、雪崩や崖崩れもあり、苦しんでいます。魔物の被害も多いので、何とかしたいと思っていましたが……」
「では、村長さんか役場のような場所はありますか? お話を伺わせていただきたいのですが」
「……村長はまだ若い者でして、私がいちおう代理を任されているんです。家はあちらになります。今夜は日が暮れるので、よければ泊まっていってください。馬車を止めるなら、裏手に広いスペースがあります」
「ありがとうございます。ぜひお言葉に甘えさせていただきますね」
セシルはほっと安堵する。この集落にも宿屋らしい建物はあるが、数が限られているようなので、村の代表が受け入れを申し出てくれたのは助かる。
◇
荷馬車を回し、集落の一角へ移動すると、村の人々がちらほら顔を出す。
見るからに険しい山道に囲まれた生活をしているのだろう。どの顔も強ばっているように見え、セシルは胸が痛んだ。
災害管理局として、こうした地域のインフラや安全対策を整えていくことが急務であると、改めて思い知らされる。
「よかったら暖を取っていってください。私の家は大きくありませんが、人数が多いなら別棟に通しますよ」
「ありがとうございます。あ、もし魔物の被害についてわかることがあれば、教えていただけると助かります。どんな種類がいつ頃現れるか……」
「ええ、最近はゴブリンやコボルトの群れが夜に出没することが増えました。前はオークが現れたこともありますね。狭い崖の隙間を通り抜けて来るんですよ。恐ろしい話です……」
聞けば聞くほど、この地形ゆえに魔物が隠れ住みやすく、侵入を防ぎにくいという問題が浮かび上がる。
セシルは地図を広げ、崖の位置関係や主要な通り道をメモしていく。
その横でオズワルドが神妙な顔つきで地形図を覗き込む。
「崖沿いの警備を強化するしかないか。しかし、ここは王都からも遠いし、支援を回すには時間がかかる……」
「はい。でも、このあたりの村が連携して自衛の仕組みを作れるようなら、そこに援軍を派遣しやすくなるかもしれません。拠点を一箇所に集中させるのではなく、複数地点で見張りを置くなど……」
「うむ。なるほど」
二人が打ち合わせを進めていると、背後から妙な視線を感じた。
振り向くと、ラヴィーニア側の公務官の一人が、うっすらと笑みを浮かべながらこちらを見ている。
その視線は、あたかもセシルとオズワルドの会話を盗み聞きするかのように、じっと注がれていた。
「(……何が目的?)」
セシルは眉をひそめるが、相手は言葉を発することなく視線を外し、レナードたちの方へ去っていく。
◇
夕飯時、村の代表が用意してくれた囲炉裏端に集まり、セシルたち一行は簡素だが温かい食事を頂くことになった。
澄んだ山の水で煮込んだ野菜スープ、狩猟で仕留めた獣肉の燻製、そして香ばしい麦のパン。
豪華ではないが、しみじみと体に染みるような味わいで、長旅の疲れを癒してくれる。
「うまいな。こんな険しい地形なのに、よくここまで食材を集められるものだ」
オズワルドが感心したように言うと、村の代表はやや誇らしげに胸を張る。
「みんなで力を合わせないと生きていけませんからね。狩猟、畑仕事、薪割り……役割を分担してなんとかやっています。とはいえ、魔物が怖いんですよ。大雪で閉ざされている時期ならまだしも、融雪の季節になるとどこから侵入してくるか……」
「なるほど……。ここも早急に対策が必要ですね」
セシルがそう応じたとき、部屋の隅に控えていたラヴィーニア側の公務官たちがひそひそと何かを話し合い、立ち上がった。
「殿下、少し外を見回ってきます。夜の気温や雪解けの具合を把握しておきたくて」
そう言って、二人ほどが勝手に出ていく。
レナードは燻製肉を頬張りながら、面倒そうにそれを見送った。
「ふーん、あいつらも熱心だな。まあ好きにさせてやるか」
「殿下、あなたは行かれないのですか? 雪道を調査したいのなら、今がチャンスですよ」
セシルが半ば皮肉まじりに言うと、レナードは「いや、寒いし……」と口を濁し、再び食事に没頭する。
その姿にあきれ半分、安堵半分を覚えつつ、セシルは目の前の仕事、つまり村との打ち合わせに集中することにした。
◇
食事を終えたあと、セシルとオズワルドは村人たちからさらに詳しい地形や気候の情報を聞き出し、必要な支援策をノートにまとめていく。
そうしているうちに夜も深まり、外は月明かりもわずかに雪山を照らす程度になった。
「今日のところは、このあたりで失礼させてください。明日は朝から集落内や近隣の崖道を見て回りたいので……」
「ええ、いつでも声をかけてください。明日は若い者に案内を頼みましょう」
村の代表がそう答え、二人は客間として用意された部屋へ戻る。
隣の離れにはラヴィーニア一行が泊まっているはずだが、先ほど外に出ていった公務官たちはどうしているのか、セシルには気がかりだった。
「セシル、しばらくは夜間も警戒が必要だろう。念のため、兵を巡回に出してあるが、いつ何があるか分からんからな」
「はい。ありがとうございます。将軍こそ、お疲れでしょう。少し休んでくださいね」
そう言い合って部屋を分かれ、セシルは自分の寝床に入る。
だが、頭の中にはまだラヴィーニア公務官たちの不審な行動がちらついて、どうにも落ち着かない。
◇
深夜――。
部屋の外でわずかな足音がした。
セシルははっとして目を開く。まだ数時間しか経っていないはずだが、不穏な気配に睡魔は吹き飛んでしまった。
「(こんな時間に、誰……?)」
そっと布団から抜け出し、外の様子をうかがう。
村の家屋は木造で、廊下のきしむ音が響きやすい。
明かりをつけぬまま、こっそり障子を開けてみると、廊下の先に人影があるのが見えた。
真っ暗な中でもわかる。あれはラヴィーニア側の公務官の一人ではないだろうか。
その人物は廊下を抜け、外へ続く扉を静かに開けて出ていく。
ただの散歩にしては不自然な時間だ。
セシルは心臓をどきどきさせながら、もう少し様子を見るべきか、それとも誰かに知らせるべきか迷う。
「(……ここで見逃すと、後で何をされるかわからない)」
ひとまず、オズワルドやアーロンたちに声をかけたいが、下手に騒ぎ立てて相手に警戒されるのも困る。
しばし逡巡した末、セシルは自分のコートを羽織り、足音を殺して外へ続く扉へ近づいた。
「(せめて、どこへ行くのか確認するだけでも)」
◇
吐く息が白く染まる夜の寒気の中、セシルは建物の陰に隠れながら、公務官の後をそっと追う。
相手は手元に小さなランタンを持っているようで、かすかな明かりを頼りに村外れへ向かっている。
足取りは慣れたもの。まるで、あらかじめ知っていたかのような迷いのなさが感じられた。
「(やはり、何か裏の目的が……)」
セシルはそう確信する。
万が一、ラヴィーニアがこの集落で秘密裏に何か取引をしているのだとしたら、今が証拠を掴むチャンスかもしれない。
だが、下手をすれば相手に気づかれ、こちらが危険に晒される可能性もある。
「……とりあえず、慎重に」
セシルは息をのんで歩を進める。
月明かりが雪に反射して、足下を僅かに照らしてくれるのが救いだった。
公務官の背中を見失わぬよう、木の影や物陰に身を隠しながら追跡を続ける。
◇
村外れの雑木林を抜けた先に、段差のある崖が広がっていた。
そこからさらに少し下った場所に、小さな空き地のような平坦地が見え、誰かが設営したらしき簡易テントが見えている。
公務官はそこで待ち受けていた人間と合流するようだ。
「(……誰かいる。あれは……?)」
セシルは木陰からそっと様子を窺う。
薄暗がりの中に複数の人影があり、その中には鎧らしき光を反射するものも見える。
剣か槍のような武器を帯びているのだろうか。
その姿はどう見ても、グリーゼ王国の護衛兵でも村人でもない。
「やっぱりラヴィーニアの兵……? こんなところで何をしているの?」
公務官と何人かが言葉を交わしているらしいが、セシルの位置からは小声で聞き取りにくい。
それでも、明らかに普通の“夜の散歩”などではない。
大量の荷運びをしているのか、箱のようなものがいくつも積まれているのが見える。
「(これが“北部でラヴィーニアが大量物資を運んでいる”という噂の正体?)」
セシルの心臓が早鐘を打つ。
もしこれが軍事目的の武器や薬物、あるいはグリーゼ王国への侵略準備の一環だとしたら、大変な事態になる。
何としてでも情報を持ち帰らねばならないが、今ここで不用意に姿を見せれば捕まる危険もある。
「……まずはオズワルド将軍に報告しないと」
セシルは急いで村に引き返そうと身を翻す。
しかし、その刹那、背後から凄まじい気配を感じ、反射的に地面に伏せた。
「誰かいるのか……?!」
暗闇を裂くような声が上がり、そこにいたラヴィーニアの兵らしき人影が手にしたランタンを高く掲げた。
林の木々の間に光が照らされ、セシルの姿が見つかるまであと一歩のところ。
「(まずい、気づかれたかも……!)」
セシルは必死に息を殺し、雪の冷たさをこらえながら地面に伏せ続ける。
もしここで捕まったら、どうなるか。敵の実態を暴くどころか、自分が人質にでもなればグリーゼ王国に不利なことになるかもしれない。
◇
「誰もいないか……風の音か? ここは夜になると冷え込むし、早く戻ろう」
警戒した声が徐々に遠ざかり、どうやら兵たちは再び簡易テントのほうへ引き返したようだった。
セシルはじりじりと這うように姿勢を低くしながら、さらに遠回りして村への帰路を探る。
「(急がなくちゃ。将軍やアーロンに知らせないと)」
雪の冷気で体温を奪われ、手足がかじかんでくる。
それでもセシルは歯を食いしばり、一歩一歩慎重に移動する。
テントで見た光景――あれは紛れもなく、ラヴィーニアの兵や物資と思しき箱が多数あった。
もし彼らが北部で拠点を作ろうとしているのだとすれば、グリーゼ王国の主権を脅かす重大な問題だ。
今のうちに、しっかり対策を立てなければならない。
「(絶対に見過ごすわけにはいかない。何があっても知らせるんだから……!)」
セシルは強い決意を胸に、暗闇の中を走る。
彼女がこの事実をオズワルドに伝えたとき、果たしてどう動くのか。
そしてラヴィーニア王太子レナードや、その背後にいる勢力は、どのような反応を示すのだろう。
疑惑と恐怖の入り混じる夜が、深く静かに山間の集落を覆っていた。
先ほど立ち寄った雪国の村と比べると、やや標高の低い場所に位置しているものの、あちこちの崖や峠が入り組んでおり、移動には依然として時間がかかる。
荷馬車の車輪が雪と泥を踏みしめるたびに大きく揺れ、護衛兵たちが慎重に誘導する姿が見られた。
◇
「セシル、今日はもう宿を探すか、それとも少しだけ現地を見て回るか。どちらを先にする?」
馬を先導しながら、オズワルドが問いかける。
地図によれば、この近くにはいくつかの小集落が点在しており、その中でも一番規模の大きい場所に一行は向かっていた。
だが、道の状態によっては夜間移動が危険になることもあり得る。
「そうですね……。この辺りの地形や魔物の出没情報を早めに把握したいので、少しだけ視察をしてから宿を取れればと思います。護衛兵の皆さんの負担も大きいでしょうし、暗くなる前に大まかな状況だけでも確認できれば十分かと」
「了解だ。では、とりあえず村の入り口付近で馬車を止めて、人々に挨拶してみよう。宿や役場があるなら案内を頼めばいいしな」
「はい」
セシルが笑顔で頷くと、オズワルドは軽く手綱を引き、馬車の速度を落とさせた。
◇
一方、ラヴィーニア王太子レナードや公務官の一団は、相変わらず微妙な空気をまとっている。
彼らは「災害対策を学ぶ」との名目で同行しているが、実際のところ地形や被害状況に深く関心を持っている様子はない。
時折メモを取る振りをしてはいるが、どうにも演技めいていて、セシルの不信感をさらに募らせていた。
「(何が狙いなのか、まだ掴めない……。北部のルートを探りつつ、別の動きをしているのかもしれないわね)」
セシルは馬車の窓越しにレナードを見やりながら、胸の内で考える。
レナード自身が何も知らされていない可能性もあるし、逆に当事者かもしれない。
しかし、彼の取り巻きたちの視線を観察すると、決してレナードを中心に動いているわけではないように思えた。
それが、より一層ややこしい。
◇
やがて薄暗い山道を抜け、小川のせせらぎが聞こえる開けた場所に出た。
そこが次の目的地となる集落で、数十軒ほどの家が広がっている。
村外れには畑や家畜を飼う厩があり、中央部にある広場は小さな市場になっているようだった。
「人の気配はあるな。あそこにいるのが村の代表だろうか」
先頭を行く護衛兵が指し示す先に、中年の男性が腕を組んで立っているのが見えた。
雪や泥を払いながら近づくと、男性は不安げな顔つきでセシルたちを迎えた。
「……旅の方ですか。こんな辺鄙な場所に用事とは、何かの間違いでも?」
「私たちはグリーゼ王国の官吏で、各地の災害対策を調べるために巡回しているんです。もしよろしければ、この集落の被害状況などを伺いたいのですが」
セシルが言葉を選びながら伝えると、男性は僅かに目を見開いた。
「災害対策、ですか。確かに、ここ最近、雪崩や崖崩れもあり、苦しんでいます。魔物の被害も多いので、何とかしたいと思っていましたが……」
「では、村長さんか役場のような場所はありますか? お話を伺わせていただきたいのですが」
「……村長はまだ若い者でして、私がいちおう代理を任されているんです。家はあちらになります。今夜は日が暮れるので、よければ泊まっていってください。馬車を止めるなら、裏手に広いスペースがあります」
「ありがとうございます。ぜひお言葉に甘えさせていただきますね」
セシルはほっと安堵する。この集落にも宿屋らしい建物はあるが、数が限られているようなので、村の代表が受け入れを申し出てくれたのは助かる。
◇
荷馬車を回し、集落の一角へ移動すると、村の人々がちらほら顔を出す。
見るからに険しい山道に囲まれた生活をしているのだろう。どの顔も強ばっているように見え、セシルは胸が痛んだ。
災害管理局として、こうした地域のインフラや安全対策を整えていくことが急務であると、改めて思い知らされる。
「よかったら暖を取っていってください。私の家は大きくありませんが、人数が多いなら別棟に通しますよ」
「ありがとうございます。あ、もし魔物の被害についてわかることがあれば、教えていただけると助かります。どんな種類がいつ頃現れるか……」
「ええ、最近はゴブリンやコボルトの群れが夜に出没することが増えました。前はオークが現れたこともありますね。狭い崖の隙間を通り抜けて来るんですよ。恐ろしい話です……」
聞けば聞くほど、この地形ゆえに魔物が隠れ住みやすく、侵入を防ぎにくいという問題が浮かび上がる。
セシルは地図を広げ、崖の位置関係や主要な通り道をメモしていく。
その横でオズワルドが神妙な顔つきで地形図を覗き込む。
「崖沿いの警備を強化するしかないか。しかし、ここは王都からも遠いし、支援を回すには時間がかかる……」
「はい。でも、このあたりの村が連携して自衛の仕組みを作れるようなら、そこに援軍を派遣しやすくなるかもしれません。拠点を一箇所に集中させるのではなく、複数地点で見張りを置くなど……」
「うむ。なるほど」
二人が打ち合わせを進めていると、背後から妙な視線を感じた。
振り向くと、ラヴィーニア側の公務官の一人が、うっすらと笑みを浮かべながらこちらを見ている。
その視線は、あたかもセシルとオズワルドの会話を盗み聞きするかのように、じっと注がれていた。
「(……何が目的?)」
セシルは眉をひそめるが、相手は言葉を発することなく視線を外し、レナードたちの方へ去っていく。
◇
夕飯時、村の代表が用意してくれた囲炉裏端に集まり、セシルたち一行は簡素だが温かい食事を頂くことになった。
澄んだ山の水で煮込んだ野菜スープ、狩猟で仕留めた獣肉の燻製、そして香ばしい麦のパン。
豪華ではないが、しみじみと体に染みるような味わいで、長旅の疲れを癒してくれる。
「うまいな。こんな険しい地形なのに、よくここまで食材を集められるものだ」
オズワルドが感心したように言うと、村の代表はやや誇らしげに胸を張る。
「みんなで力を合わせないと生きていけませんからね。狩猟、畑仕事、薪割り……役割を分担してなんとかやっています。とはいえ、魔物が怖いんですよ。大雪で閉ざされている時期ならまだしも、融雪の季節になるとどこから侵入してくるか……」
「なるほど……。ここも早急に対策が必要ですね」
セシルがそう応じたとき、部屋の隅に控えていたラヴィーニア側の公務官たちがひそひそと何かを話し合い、立ち上がった。
「殿下、少し外を見回ってきます。夜の気温や雪解けの具合を把握しておきたくて」
そう言って、二人ほどが勝手に出ていく。
レナードは燻製肉を頬張りながら、面倒そうにそれを見送った。
「ふーん、あいつらも熱心だな。まあ好きにさせてやるか」
「殿下、あなたは行かれないのですか? 雪道を調査したいのなら、今がチャンスですよ」
セシルが半ば皮肉まじりに言うと、レナードは「いや、寒いし……」と口を濁し、再び食事に没頭する。
その姿にあきれ半分、安堵半分を覚えつつ、セシルは目の前の仕事、つまり村との打ち合わせに集中することにした。
◇
食事を終えたあと、セシルとオズワルドは村人たちからさらに詳しい地形や気候の情報を聞き出し、必要な支援策をノートにまとめていく。
そうしているうちに夜も深まり、外は月明かりもわずかに雪山を照らす程度になった。
「今日のところは、このあたりで失礼させてください。明日は朝から集落内や近隣の崖道を見て回りたいので……」
「ええ、いつでも声をかけてください。明日は若い者に案内を頼みましょう」
村の代表がそう答え、二人は客間として用意された部屋へ戻る。
隣の離れにはラヴィーニア一行が泊まっているはずだが、先ほど外に出ていった公務官たちはどうしているのか、セシルには気がかりだった。
「セシル、しばらくは夜間も警戒が必要だろう。念のため、兵を巡回に出してあるが、いつ何があるか分からんからな」
「はい。ありがとうございます。将軍こそ、お疲れでしょう。少し休んでくださいね」
そう言い合って部屋を分かれ、セシルは自分の寝床に入る。
だが、頭の中にはまだラヴィーニア公務官たちの不審な行動がちらついて、どうにも落ち着かない。
◇
深夜――。
部屋の外でわずかな足音がした。
セシルははっとして目を開く。まだ数時間しか経っていないはずだが、不穏な気配に睡魔は吹き飛んでしまった。
「(こんな時間に、誰……?)」
そっと布団から抜け出し、外の様子をうかがう。
村の家屋は木造で、廊下のきしむ音が響きやすい。
明かりをつけぬまま、こっそり障子を開けてみると、廊下の先に人影があるのが見えた。
真っ暗な中でもわかる。あれはラヴィーニア側の公務官の一人ではないだろうか。
その人物は廊下を抜け、外へ続く扉を静かに開けて出ていく。
ただの散歩にしては不自然な時間だ。
セシルは心臓をどきどきさせながら、もう少し様子を見るべきか、それとも誰かに知らせるべきか迷う。
「(……ここで見逃すと、後で何をされるかわからない)」
ひとまず、オズワルドやアーロンたちに声をかけたいが、下手に騒ぎ立てて相手に警戒されるのも困る。
しばし逡巡した末、セシルは自分のコートを羽織り、足音を殺して外へ続く扉へ近づいた。
「(せめて、どこへ行くのか確認するだけでも)」
◇
吐く息が白く染まる夜の寒気の中、セシルは建物の陰に隠れながら、公務官の後をそっと追う。
相手は手元に小さなランタンを持っているようで、かすかな明かりを頼りに村外れへ向かっている。
足取りは慣れたもの。まるで、あらかじめ知っていたかのような迷いのなさが感じられた。
「(やはり、何か裏の目的が……)」
セシルはそう確信する。
万が一、ラヴィーニアがこの集落で秘密裏に何か取引をしているのだとしたら、今が証拠を掴むチャンスかもしれない。
だが、下手をすれば相手に気づかれ、こちらが危険に晒される可能性もある。
「……とりあえず、慎重に」
セシルは息をのんで歩を進める。
月明かりが雪に反射して、足下を僅かに照らしてくれるのが救いだった。
公務官の背中を見失わぬよう、木の影や物陰に身を隠しながら追跡を続ける。
◇
村外れの雑木林を抜けた先に、段差のある崖が広がっていた。
そこからさらに少し下った場所に、小さな空き地のような平坦地が見え、誰かが設営したらしき簡易テントが見えている。
公務官はそこで待ち受けていた人間と合流するようだ。
「(……誰かいる。あれは……?)」
セシルは木陰からそっと様子を窺う。
薄暗がりの中に複数の人影があり、その中には鎧らしき光を反射するものも見える。
剣か槍のような武器を帯びているのだろうか。
その姿はどう見ても、グリーゼ王国の護衛兵でも村人でもない。
「やっぱりラヴィーニアの兵……? こんなところで何をしているの?」
公務官と何人かが言葉を交わしているらしいが、セシルの位置からは小声で聞き取りにくい。
それでも、明らかに普通の“夜の散歩”などではない。
大量の荷運びをしているのか、箱のようなものがいくつも積まれているのが見える。
「(これが“北部でラヴィーニアが大量物資を運んでいる”という噂の正体?)」
セシルの心臓が早鐘を打つ。
もしこれが軍事目的の武器や薬物、あるいはグリーゼ王国への侵略準備の一環だとしたら、大変な事態になる。
何としてでも情報を持ち帰らねばならないが、今ここで不用意に姿を見せれば捕まる危険もある。
「……まずはオズワルド将軍に報告しないと」
セシルは急いで村に引き返そうと身を翻す。
しかし、その刹那、背後から凄まじい気配を感じ、反射的に地面に伏せた。
「誰かいるのか……?!」
暗闇を裂くような声が上がり、そこにいたラヴィーニアの兵らしき人影が手にしたランタンを高く掲げた。
林の木々の間に光が照らされ、セシルの姿が見つかるまであと一歩のところ。
「(まずい、気づかれたかも……!)」
セシルは必死に息を殺し、雪の冷たさをこらえながら地面に伏せ続ける。
もしここで捕まったら、どうなるか。敵の実態を暴くどころか、自分が人質にでもなればグリーゼ王国に不利なことになるかもしれない。
◇
「誰もいないか……風の音か? ここは夜になると冷え込むし、早く戻ろう」
警戒した声が徐々に遠ざかり、どうやら兵たちは再び簡易テントのほうへ引き返したようだった。
セシルはじりじりと這うように姿勢を低くしながら、さらに遠回りして村への帰路を探る。
「(急がなくちゃ。将軍やアーロンに知らせないと)」
雪の冷気で体温を奪われ、手足がかじかんでくる。
それでもセシルは歯を食いしばり、一歩一歩慎重に移動する。
テントで見た光景――あれは紛れもなく、ラヴィーニアの兵や物資と思しき箱が多数あった。
もし彼らが北部で拠点を作ろうとしているのだとすれば、グリーゼ王国の主権を脅かす重大な問題だ。
今のうちに、しっかり対策を立てなければならない。
「(絶対に見過ごすわけにはいかない。何があっても知らせるんだから……!)」
セシルは強い決意を胸に、暗闇の中を走る。
彼女がこの事実をオズワルドに伝えたとき、果たしてどう動くのか。
そしてラヴィーニア王太子レナードや、その背後にいる勢力は、どのような反応を示すのだろう。
疑惑と恐怖の入り混じる夜が、深く静かに山間の集落を覆っていた。
1
お気に入りに追加
39
あなたにおすすめの小説
恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ
棗
恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。
王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。
長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。
婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。
ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。
濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。
※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています
私が妻です!
ミカン♬
恋愛
幼い頃のトラウマで男性が怖いエルシーは夫のヴァルと結婚して2年、まだ本当の夫婦には成っていない。
王都で一人暮らす夫から連絡が途絶えて2か月、エルシーは弟のような護衛レノを連れて夫の家に向かうと、愛人と赤子と暮らしていた。失意のエルシーを狙う従兄妹のオリバーに王都でも襲われる。その時に助けてくれた侯爵夫人にお世話になってエルシーは生まれ変わろうと決心する。
侯爵家に離婚届けにサインを求めて夫がやってきた。
そこに王宮騎士団の副団長エイダンが追いかけてきて、夫の様子がおかしくなるのだった。
世界観など全てフワっと設定です。サクっと終わります。
5/23 完結に状況の説明を書き足しました。申し訳ありません。
★★★なろう様では最後に閑話をいれています。
脱字報告、応援して下さった皆様本当に有難うございました。
他のサイトにも投稿しています。
【完結】婚姻無効になったので新しい人生始めます~前世の記憶を思い出して家を出たら、愛も仕事も手に入れて幸せになりました~
Na20
恋愛
セレーナは嫁いで三年が経ってもいまだに旦那様と使用人達に受け入れられないでいた。
そんな時頭をぶつけたことで前世の記憶を思い出し、家を出ていくことを決意する。
「…そうだ、この結婚はなかったことにしよう」
※ご都合主義、ふんわり設定です
※小説家になろう様にも掲載しています
婚約破棄を兄上に報告申し上げます~ここまでお怒りになった兄を見たのは初めてでした~
ルイス
恋愛
カスタム王国の伯爵令嬢ことアリシアは、慕っていた侯爵令息のランドールに婚約破棄を言い渡された
「理由はどういったことなのでしょうか?」
「なに、他に好きな女性ができただけだ。お前は少し固過ぎたようだ、私の隣にはふさわしくない」
悲しみに暮れたアリシアは、兄に婚約が破棄されたことを告げる
それを聞いたアリシアの腹違いの兄であり、現国王の息子トランス王子殿下は怒りを露わにした。
腹違いお兄様の復讐……アリシアはそこにイケない感情が芽生えつつあったのだ。
【完結】私のことを愛さないと仰ったはずなのに 〜家族に虐げれ、妹のワガママで婚約破棄をされた令嬢は、新しい婚約者に溺愛される〜
ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
とある子爵家の長女であるエルミーユは、家長の父と使用人の母から生まれたことと、常人離れした記憶力を持っているせいで、幼い頃から家族に嫌われ、酷い暴言を言われたり、酷い扱いをされる生活を送っていた。
エルミーユには、十歳の時に決められた婚約者がおり、十八歳になったら家を出て嫁ぐことが決められていた。
地獄のような家を出るために、なにをされても気丈に振舞う生活を送り続け、無事に十八歳を迎える。
しかし、まだ婚約者がおらず、エルミーユだけ結婚するのが面白くないと思った、ワガママな異母妹の策略で騙されてしまった婚約者に、婚約破棄を突き付けられてしまう。
突然結婚の話が無くなり、落胆するエルミーユは、とあるパーティーで伯爵家の若き家長、ブラハルトと出会う。
社交界では彼の恐ろしい噂が流れており、彼は孤立してしまっていたが、少し話をしたエルミーユは、彼が噂のような恐ろしい人ではないと気づき、一緒にいてとても居心地が良いと感じる。
そんなブラハルトと、互いの結婚事情について話した後、互いに利益があるから、婚約しようと持ち出される。
喜んで婚約を受けるエルミーユに、ブラハルトは思わぬことを口にした。それは、エルミーユのことは愛さないというものだった。
それでも全然構わないと思い、ブラハルトとの生活が始まったが、愛さないという話だったのに、なぜか溺愛されてしまい……?
⭐︎全56話、最終話まで予約投稿済みです。小説家になろう様にも投稿しております。2/16女性HOTランキング1位ありがとうございます!⭐︎
言いたいことはそれだけですか。では始めましょう
井藤 美樹
恋愛
常々、社交を苦手としていましたが、今回ばかりは仕方なく出席しておりましたの。婚約者と一緒にね。
その席で、突然始まった婚約破棄という名の茶番劇。
頭がお花畑の方々の発言が続きます。
すると、なぜが、私の名前が……
もちろん、火の粉はその場で消しましたよ。
ついでに、独立宣言もしちゃいました。
主人公、めちゃくちゃ口悪いです。
成り立てホヤホヤのミネリア王女殿下の溺愛&奮闘記。ちょっとだけ、冒険譚もあります。
【完結】「異世界に召喚されたら聖女を名乗る女に冤罪をかけられ森に捨てられました。特殊スキルで育てたリンゴを食べて生き抜きます」
まほりろ
恋愛
※小説家になろう「異世界転生ジャンル」日間ランキング9位!2022/09/05
仕事からの帰り道、近所に住むセレブ女子大生と一緒に異世界に召喚された。
私たちを呼び出したのは中世ヨーロッパ風の世界に住むイケメン王子。
王子は美人女子大生に夢中になり彼女を本物の聖女と認定した。
冴えない見た目の私は、故郷で女子大生を脅迫していた冤罪をかけられ追放されてしまう。
本物の聖女は私だったのに……。この国が困ったことになっても助けてあげないんだから。
「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します。
※小説家になろう先行投稿。カクヨム、エブリスタにも投稿予定。
※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる