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第01話:婚約破棄の報せ

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 王都ラヴィーニアの中央通りは、華やかな貴族や商人でいつも以上に賑わっている。
 だが、侯爵令嬢セシル・ラインハートの足取りは重く、肩からは小さなため息がこぼれ落ちそうだった。
 彼女は生まれつき優れた記憶力と計画能力を持ち、王太子レナードの雑務をすべて引き受け、幼い頃から尽くしてきた。
 レナードは周囲から将来を嘱望される人物とされていたが、実際のところは事務処理や書類整理を苦手としており、その負担をセシルに押しつけているのが現実だった。
 セシルは自分が役に立てるならばと、一心に働き続けた。公務の調整役もすべて引き受け、それこそ息つく間もなく支えてきたのだ。
 だが先日、突然「もうお前は必要ない」と告げられ、婚約破棄されてしまった。

 ◇

「……セシル様、たいへん失礼いたしますが、こちらの書類に王太子殿下のサインをいただかないと」

 城の廊下に立つ侍女の声が遠く聞こえる。
 それでもセシルはもう以前のように機敏に動けなかった。
 いまだ頭の中でぐるぐると回るのは、レナードから叩きつけられた一言――「お前はもう不要だ」という冷たい声だけだ。

「セシル様、殿下に直接確認に行きましょうか?」

 親しい侍女が心配そうに問いかける。
 セシルはかすかに微笑んで首を横に振った。

「いいえ。私が行っても、きっと同じです」

 そう口にしたとき、胸には言いようのない痛みが走った。
 あれほどまでに尽くしてきたのに――。

「殿下からお呼びがあったので参上しました」

 やがて、セシルは完全に仕事から外されるような扱いを受ける。
 なけなしの勇気を奮い起こし、直接レナードと対面しようと王宮の謁見室へ足を運んだ。

 ◇

「おや、ずいぶんと遅かったじゃないか、セシル」

 この場にはレナードと、その取り巻きとも言える貴族子息たちが集まっていた。
 レナードは艶やかな金色の髪を流し、あどけない笑顔のまま、執務机に片肘をついている。
 その姿を見慣れたセシルでさえ、今はその無邪気な表情にどこか寒気を覚えるほどだった。

「申し訳ございません、殿下。あれほどお忙しいのに、私が役目を果たせず――」

 必死に頭を下げようとしたセシルに、レナードは手を振ってさえぎった。

「まったく、もう必要ないと言ったのに、なぜまだここへ来る? お前の仕事は終わりだよ」

「……終わり、ですか?」

「そうだ。お前にやってもらう仕事は、もうない。そもそも書類仕事なんて雑用だし、別の人にやらせればいいだけだ。私にはもっと華やかな婚約者が相応しい」

「……っ」

 レナードのあまりに冷酷な一言に、セシルはうまく言葉が出ない。
 周囲の貴族たちから笑いが漏れる。

「それでは、正式に婚約は破棄ということでよろしいですか?」

 レナードはあっさりと頷き、嬉しそうな顔をしている。
 その様子を見て、セシルは心が張り裂けそうだった。

「はい。それで、構いません……」

 言葉を振り絞ったあと、セシルは震える足取りで謁見室を去った。
 視界がじんわりと滲む。だが、涙を見せたくはないと、必死に自分を支える。

 ◇

 そして、その日の夜。
 セシルはラインハート侯爵家の屋敷に戻り、家族に今回の件を打ち明けた。
 父は憤慨し、母は落ち込んだが、セシル自身が思うほどには怒りも悲しみも大きくないようで、どこか空っぽの感情しか湧いてこない。

「私、少しだけこの国から離れます。隣国グリーゼに行ってみようかと……」

 そう言うと、父は戸惑いながらもうなずいた。

「いいだろう。お前はずっと働き詰めだった。少しは休んでくるといい。きっと気分転換にもなるはずだ」

「ありがとう、お父さま」

 セシルは寂しそうに微笑んだ。
 たしかに自分にとって、隣国への旅は気分転換になるかもしれない。

「殿下がこれまで押し付けてきた雑用も、誰かが継いでくれるならば、それが一番だと思います。私の手はもう、必要ないのでしょうし……」

 口にしてから、虚しさを拭えない自分に気づく。
 思考が上手くまとまらず、ただ明日の朝に王都を発つ準備を進めるのが精一杯だった。

「セシル。お前はよくやったよ。ラインハートの誇りだ」

 家族の温かい言葉に、彼女はもう一度微笑む。
 それでもその笑顔に本当の明るさは感じられない。
 徹底して尽くしてきたのに、こうして“破棄”という形で追い出されたのだから、仕方ないのかもしれない。

 ◇

 翌朝、まだ日が昇りきらないうちから、セシルは小さな馬車で城下町を抜け、隣国グリーゼへと向かった。
 その道中、彼女はまるで身体から力が抜け落ちるような感覚に襲われていた。
 悔しさや悲しみが混在して、もはや何も考えられない。

「……でも、きっと、どこかに私を必要としてくれる場所があるはず」

 心の底からそう願いながら、セシルは静かに馬車の揺れに身をまかせるのだった。
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