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第二十話/ありがとう

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それから蓮は様々な方法で「早見 蓮」の倫理のトリガーである絢音に殺され続けた。 その回数、千に及ぶ。

理性が摩耗するほどの激痛を伴う殺害をされては、意識と体の状態が戻って、また殺されてを千回近く繰り返されて、蓮はもう痛みを乗り越えるだけで精一杯で、何か打開策を考えるということは、とてもできなかった。

その間、色々な真実が絢音の口から打ち明けられた。

蓮の見ている世界は集合的無意識にあるという知識の泉(イデア)から成り立っている、あったかもしれない世界であること。
それはつまり、現実世界にもアビスや悪魔の類が存在していることを意味している。

ちなみに絢音は現実世界のアビスのとある悪魔か人間の形を借りている存在らしい。

蓮の意識の中という限定的な空間でのみ、絢音の持つ「改編能力」が作用しており、様々な人間や機関を洗脳し、蓮を指名手配にしたてあげたこと。

W.O.Uを影から支配していた人物A.Hとは「早見 絢音」であること。

などが告白された。

もっとも、痛みに耐えるのが手一杯というのと、それらは全て夢の話で、それらに情緒を突き動かされる、驚きに目を剥くということはなかったのだが。

千五回目の殺害の時に、絢音はチェンソーの電源を入れるのに手こずっていて、少しだけ考える時間ができた。 こんな時に考えるべきことは「なにをするべきか」なのだろうけど、蓮は「なんでこうなってしまったのか」について考えた。

現実世界の早見 蓮は植物状態になっている。 と聞かされているが、その記憶はない。
物心ついた時から、今に至るまで記憶は一直線に繋がっていて、いつから夢の世界に入門していたのか、想像もつかない。

かくして、そんなことを考えるのは無駄だと悟る。
しかし、蓮には少女の膂力を押し返す力もないし、仮に絢音を退けられても、公安ハンターなんかを派遣されたら勝ち目は皆無、何をどう考えても、この状況から逃れるのは不可能に思える。

だったので、アリスとの辛くも楽しかった逃亡劇について思いを馳せることにした。三人の悪魔やアリスに出会うまでは、辛いことしかなかったからだ。 

先の辛いことを考えるよりも、楽しいことを考えた方がいいという単純な考え方であったが、それは思ったよりも良い効果を発揮した。

アリスは死んでしまった。 なんなら、実在しない存在なのかもしれない。
しかし、彼女との思い出は、確実に蓮の中に残っている。

そう考えたら、虚無感から抜け出すことができた。
もっとも、それは絶えず与えられている激しい痛みが忘れさせただけのことなのかもしれないが。

アリスの笑顔を鮮明に思い出した辺りで、首を黄色を基調とした、アメリカのB級ゾンビ映画に出てくるようなチェンソーで切断されて頭と体が離れ離れに、そうして蓮は千六回目の死を迎えた。



耳から長い錐のようなものを突き刺されて、脳を掻き回されて殺されるという、非常に狂った殺害の次、千六百七回目の殺害の時に、蓮は一つの疑問に突き当たる。

逆に今までなんで、気付けなかったのか。
蓮は気付いていないが、答えは明白であった。

アリスの死を乗り越えたことで、自然、生きようと考えられるようになったのである。

千数百回と殺されれば、流石に痛みも多少は飼い慣らせる。 突き当たった疑問について、ひたすら考える。

ただ、無念にその思考だけを加速させていく。

「なぜ、絢音は自分とアリスを引き合わせたのか」

絢音の話を聞く限りでは、アリスの心臓に「早見 蓮の意識を統率する役割」があり、それを内面化している絢音はこの夢の世界を自由に作り替えられているということらしい。

なら、なぜ蓮よりも先にアリスを捕獲しに行かなかったのか。

公安の人間に任務を遂行させれば、確実であっただろうに。

アリスと自分を引き合せる、その行為に必然性がないことに気付いた蓮は、そこから思考を広げていく。

あくまで何の論拠もない、想像ではあるがアリスの心臓は最初は何の意味も持たなかったのではなかろうか。

自分と旅を続け、彼女が自分にとってかけがえのない存在になることで「早見 蓮」という人間の意識を統率させるくらい重要な存在になったのではないか。

アリスとの仲が深まったことで、初めて彼女の心臓は「意識を統率する」という役割を課せられたのではないか。

そして、なぜあのタイミングでなければいけなかったのか。
公安ハンター第二課という強力な駒があれば、アリスが蓮にとってかけがえのないものになった時に奪えばいい。

W.O.Uの計画を阻止するその日に、蓮の中のアリスの重要度が及第点に達しているという保証はあったのだろうか。

違うだろう。

もしかしたら、アリスが意識を統率する役割を持ったのは━━━━

思考がそこまで加速したところで、洋式トイレに頭を沈められ、そこに尻を乗せられる形で脱出不可にされた後に窒息死した。



殺害回数が二千回に近くなる頃には、蓮は痛みをある程度、飼い慣らすを超えて、「痛みに悶絶すること」と「思考すること」を分けて行えるようになっていた。

時間にして初めての殺害から四時間ほどが経過、風呂場の窓から見える空はどどめ色と赤黒い血の色をお互いの色を殺さない程度に混ぜたような、ありえない色彩に染まり、外からは絶えず人間の高低様々の悲鳴に混じって、悪魔の出すような甲高い笑い声の混じった奇声が聞こえてくる。 絢音の言った通り、彼女が意識の統率権を獲たことで、世界が狂ったものに変えられてしまった様子。

眼前に大振りの斧が迫る幕間、蓮は一つの仮説に辿り着く。

「自分を絶望させることに、なんらかの意味があったのではないか?」

アックスは蓮の壁に思いっきり沈み込み、割れた頭蓋から潰れた脳がはみ出し、風呂場の四割ほどが血色に染まる。

再び意識が戻ると、今度は最初は白く、汚れ一つなかったが、殺害を重ねるうちに己の血と潰れた贓物に塗れている、世界で一番狂っているであろうベッドの上に寝転んでいた。

ぎぃ、とベッドの軋む音がして、首を動かして音のした方を見ると、不思議なことに、狂気と血液と贓物に染まって、より一層美しくなった絢音の姿があった。

どくん、と心臓の跳ねる音がする。

そうか、俺は━━━━

そうなると、絢音の存在意義は━━━━

それは、半ば半狂乱の考えであったのかもしれない。

蓮はほとんど考えなしに半ば欲望の成すままに、こちらに銃身を構えている絢音に抱きついた。

一秒、二秒と無言の時が続く━━━━

刹那の静寂が蓮には無限にも思えた。

明らかに一分以上が経過する━━━━

ふふ、と実に幸せそうな絢音の笑い声が漏れる。

「やっと、気付いてくれたんだ」

その一言で、蓮は全てを理解する。

時は遡ること、十年前。

家庭内暴力が原因で父と別れた母が新しく、チンピラのような男を連れてくる。
半年ほどの交際を経て蓮の義父になったその男は、自分は家庭内暴力や反社会行為を繰り返しているくせして、蓮には誠実で、勤勉であることを強制した。

当時の蓮は、彼の圧政に対抗する術はなく、殴られるのが嫌で、ただ黙って、誠実であることが正しいのだと言い聞かせて生きていた。

そして、いつか、気付けば、それが自分の本質へと変わっていた。

蓮は、常識や倫理を信仰するあまりに、自分の中の好奇心、欲望を無理やりに押し殺し、否定していたのだ。 欲望が、欲望に忠実な絢音がこんなに好きであるにも関わらず。

絢音は、否、自分の中の欲望は必死に、植物状態の自分にそれに気付かせようとしてくれていた。

「……ありがとう」

するすると、絢音が蓮の腕の中から抜けていくのかと思ったが、違う。

絢音が百二十センチほどに縮んでいたのだった。

「いいよ。 けど、あっちでは優しくしてね」

幼くなった声色で、しかし少女の姿の時から変わらない、子どもを安心させるような優しい話し方で蓮にそう言ってくれる。

「あぁ、じゃあな……また、会おう」

「うん……じゃあね」

ちゅ、と蓮はいきなり絢音に唇を奪われて、殺されていた時よりも驚く。 そして、そんな自分を可笑しいと思う。

蓮の中の矮躯の温もりは、意識がブラックアウトしてもしばらくは残っていた。
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