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早見家の絆

第四話/逃亡者、早見 蓮

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逃亡者という言葉が蓮の頭を何度も反芻していた。 どうしても、その言葉の示す意味と自分の名前が結び付かない。

しかし、時間は待ってくれない━━先頭の、リーダーと思わしき男が、腰に携えた刃渡り四十センチほどの段平刀を大きく振り上げ、蓮に駆けてくる。

「お兄さん!」

「うおおおおおおおおお!」

蓮はすんでのところで男の攻撃を避け、経験則に基づき上体を反らす。 男は刀を蓮に向けて突き出すが、鼻の頭の数センチ先で止まる。 蓮は距離を取っておいて、正解だったと思う。 結果的に男の追撃を躱せたのだから。

「……チッ、腕が鈍ったか」

男はそう言って地面に人相の悪い顔をすると、刀を天蓋に振りかざす。 これは、突撃の合図だろうか、と蓮は考えて次の行動を予測、黒艶の日本刀を斜めに構える。

蓮がアリスに目配せすると、頷く。 交戦は、避けられない。

後ろに控えていた男六人が蛮声をあげながら、各々の武器を構えながらアリスに向かい、先頭の男は蓮の首を狙い、刀を横に切り払う━━━━が、刀を構え直し、しっかりとガード。 鍔迫り合いという形になる。

この男……装備品のグレードの割には、中々の手練と見える。  思った以上に腕の立つ相手に、蓮の身体に改めて緊張感が走る。 冷や汗が頬を濡らす。 蓮の刀が押される。 それもそのはず、つい最近まで、栄養もろくに取れていなかった細身の男子と、脂肪の下に筋肉を隠した大男では、力量は比較にならないだろう。

蓮の扱うグレードの高い黒艶の日本刀は、切れ味と耐久性こそ優れていれど、使用者の膂力を底上げするような、ファンタジーな性能は備わっていないのだ。

蓮の頭に死が過ぎる━━━━その刹那。

ブゥンと、羽虫が耳元を過ぎていくような音がして、浮遊感を覚える。 それは形容すると、まるで臓器が無くなったかのような感覚だった。 蓮は刀を取り落とさないようにするのに必死で、状況の把握まで時間を要した。

目に映る風景が、目まぐるしく変化する。 前から来る風が、頬に痛いくらいに当たる。 追え! と言う、男達の蛮声が遠くから聞こえる。

そうか、アリスが「紫電一閃(しでんいっせん)」という、生命力を消費する代わりに高速で移動、勢いをつけて対象を攻撃する剣技の応用で、蓮を運んだのか。 蓮は自分を肩におぶり、二人分のリュックサックを肩にかけている器用なアリスを見て、やっと状況の把握に至る。

「重くないか? アリス」

アリスを心配して声をかける。

「いえ、大丈夫です」

しかし、蓮の心配とは裏腹に、アリスは息切れの一つもなく、顔色は至って正常。 変わらぬスピードでアビスを駆けていた。

「もう大丈夫だ。 降ろしてくれ」

それでも少女におぶられているのは、気が引けたのと、激しい振動で目が回ってきたので、連中から充分に距離を置けたことと、自分達の現在の居場所が以前、休憩に使った部屋であることを確認すると、降ろしてもらって、アリスの肩から自分のリュックサックを取って背負う。

ずっしりとしたリュックサックを背負ったことと、張り詰めた緊張感から開放されたことで、蓮に急激に疲れが押し寄せてくる。

しかし、その疲弊をも吹き飛ばすほどの不安が脳を過ぎる━━━━アパートに残してきた三人が危ない!

蓮は降ろしてもらったばかりで、気が引けるのを押し殺し、再びアリスにおぶって入口まで走ってもらうことにした。



第十一区アビスの入口で再び降ろしてもらう。 アビス外での悪魔の能力(スキル)の行使は禁止されている為だ。 家に向かう途中で警察に捕まってしまっては、致命的な失速になってしまう。

二人、電車に揺られること数十分。 最寄り駅に到着する。 改札を通ると、不安でバクバク鳴っている心臓を抑えて、アパートに向けて全速力で走り出す。



駅からアパートまでの道を二人で走っていった。 

気付けば蓮はアパートの前に立っている。 ここに辿り着くまでの記憶はなかった。 信号を守ったかすら、定かではない。
それほどまでに不安で、生きている心地がしなかった。 一秒でも早く、不安を拭いたかった。
家に帰って、いらぬ心配だと笑われたかった。

「きっと、タチの悪いイタズラかなにかだ。 そうに決まってる」

部屋の前に辿り着いたところで、そんな希望的観測は打ち砕かれる。

周囲が焼け焦げ、大穴が貫通し荒れ果てた玄関が見える、役割を果たしていないドア。

絶望に意識を奪われかけるが、一途の希望に賭けて部屋に向かっていく。

いつも、五人で布団を広げて眠っていた居間。 自分達は大抵そこにいた。 彼女達がいるなら、きっとそこだ。

そこには━━━━

顔面の左側が抉り取られていて骨と筋肉が露出、残りは焼け焦げており、臍の辺りから頭蓋まで深い裂傷が刻まれ、切断された腸や脂肪の断面が見えているエナの姿。 顔のほとんどは原型を保っていない。 服装で彼女をエナと認識することかできた。

その隣にはアサヒの頭蓋が置かれている。

原型こそ保たれているものの、滅茶苦茶に歪められた顔は普段のおっとりした彼女からはとても、想像できないものだ。  首の凄惨な断面からは、鋸のような凶器によって、乱雑に切り離されたことが伺える。 身体はどこだろう、と酸鼻極まる居間を睨め回すと、ベランダの窓ガラスに骨と皮だけの、全裸に剥かれた死体を見つけた。 あれがアサヒの身体だ。

となると、消去法で部屋の真ん中に転がっている光を反射しない漆黒の焼死体がリタだろう。

一緒にいた期間が最も長いからか、生きたまま焼かれ、苦しみ悶えながら死んでいく彼女の姿を容易に想像できてしまった。 天井に伸ばされた、指先の欠けた両手は、誰に助けを求めて伸ばしたのだろう。 考えるまでもない、他ならぬ、自分である。

三人の死体から流れる血で、畳は焼け焦げた部分を除くと一面、真っ赤に染まっている。 以前、小説で読んだように、露出している腸から腸内で発酵した食べ物の激臭がするなどということはなく、血と肉の焼け焦げる臭いだけがするのは何故だ、 と思ったが、悪魔が栄養として体内に摂取するのは血だけだと思ったら、納得できた。

このように、思考が、彼女達の死に向かない。 これは理性が現実を受容しようとしないという、自己防衛のケースであることだけを理解している。

少し遅れて部屋にやってきたアリスが惨状に目を剥くと、反射的に透明な吐瀉物を地面に撒き散らした。

それから、少しして涙が澎湃と溢れてくる。 呼びかけて、誰一人として言葉を返さない。 蓮は三人が二度と、戻ってこないことを改めて理解した。

アリスは、嗚咽を漏らして泣きじゃくっているが、蓮はなにもしてやれない。

絶望の沼に嵌り、まるでこの世の物事の全てが些事のよう。 蓮には、そう思えた。 この世の全てのものと切り離された感覚すら覚える。

世界は自分を、自分は世界を拒んでいる。

誰が、こんなことを……

悲しみ。 怒り。 憎しみ。 絶望。 ただ処理しきれない感情がなだれ込んできて、涙だけが流れて、蓮は服が血に濡れることにも無関心で、畳に膝をつく。

「もう、生きていたくない」



どれくらいの時間、そうしていただろう。 玄関のフローリング床が軋む音で意識が現実に戻る。

誰かが、部屋に侵入してきたのだ。 十中八九、自分を追ってきた警察か民間ハンターだろう。 いっそ殺してくれ、と蓮は本気でそう思った。

アリスは没我する蓮の肩を揺らして、正気に戻そうとする。 しかし、蓮は何の反応も示さない。

それから時を待たずして、居間に警官と思しき男性三人が入ってくる。 筋骨隆々で浅黒く焼けた肌の、若い警官は蓮の腕を拘束、血で制服が汚れるのを懸念してか、居間と台所に挟まれたフローリング床の上で手錠をかけようとする。

残りの二人の中年警官はアリスの方に向かったかと思うと、一人は無抵抗なアリスの腕を拘束。 もう一人は顔面を激しく殴打。 無抵抗に殴られているのは、蓮が人を傷付けてはいけないと、教育したためだ。

アリスは鼻を正面から殴打され、鼻から出血。 顔が涙と血でグシャグシャになる。

それを見て、蓮の心に再び炎が灯る。 いくら人を殺しても尽きない憎悪の業火。 その業火が蓮の爆発力に火をつけた。

無抵抗の蓮に油断していた警官の股間を後ろ蹴りで狙い撃つ。 効果はてきめん。 フローリング床で股間を両手で抑えて悶絶している。 そこで後頭部に蹴りを入れて気絶させる。

蓮の突然の反抗に驚愕した警官の一人は腰のホルスターに装備した拳銃に手を伸ばす。 しかし、蓮は構えの動作を取る前に突進。

警官は肺から空気を全て吐き出すと、再び拳銃に手を伸ばす。 が、すぐに蓮の飛び蹴りが右手を直撃━━━━━男は痛苦に悶える。 この様子だと、右手は封じられていそうだ。

もう一人の警官が遅れてアリスの頭蓋に銃口を突きつけて人質に取る━━━━しかし、それは愚策だった。

蓮が男に向かって駆ける、と男は引きつった顔でトリガーを引く。パァンと乾いた音がして、アリスの頭蓋から放した銃口から煙が上がる。

しかし、銃撃を喰らったアリスは倒れることもなく、頭部から血も流さず、ただ男を睥睨している。 彼女は蓮が反撃をした時から、生命力を充填していたのだ、SSSレートの防御力を貫通するなら、最低でもロケットランチャーを持ち出さなければなるまい。

驚き、戸惑う警官の防御はガラ空きだ。 蓮の勢いをつけた蹴りが男の顎を破砕音を立てて砕く。 それもそのはず、この靴は踵部と先端にメタルを内蔵した武器会社の靴。 人間の顎を砕くくらい容易い。

若い警官とアリスを人質に取った警官は痛みのショックで気絶、もう一人は呻き声をあげながら、腹這いになって家の外に出ようとしていた。 しかし蓮はそれを見逃すはずはなく、踵で後頭部を死なない程度に蹴り、気絶させる。



蓮とアリスはそれから部屋着に着替えることにした。 先程のやり取りで服は三人の血に濡れてしまっている。 こんな姿で外に出るよりは、部屋着の方がまだ怪しまれないだろう。

蓮とアリスは三人の死体を片付けてやりたい気持ちを抑えて、居間に布団を二枚敷き、三人の死体を並べて布団を被せて簡易な別れを済ませる。 本当はもっと時間をかけたいところだが、いつ追っ手が来るとも分からない。 いつか、やるべき事が片付いたら、必ず墓を立ててやるからな。 蓮は心にそう誓った。

二人がアパートを出る頃には夕方になっていた。 次にやることは決まっている。 帽子やサングラス等の印象を変えるアイテムを手に入れなければならないのだ。

警察に捕まってしまっては、目的は実行できない。

そう、蓮には目標が出来ていた。

「証拠を集めて、自分の無罪を表明する」

スマートフォンで調べてみたところ、蓮は昨晩の殺人事件の犯人として国際単位で指名手配されていた。 彼は生まれてから一度も人を殺めたことはない。 そして、昨晩はアビスを攻略していたというアリバイがある。
それに殺人程度で国際級の指名手配、警察に持っていくのは死体でもいい。 というのも、何かおかしい。

これを機に、蓮はきっと黒い陰謀に巻き込まれる。 しかし、彼は怖気付くことはしなかった。
この先、近いうちに否応なしに、あの三人のように殺されるくらいなら、少しでも真実に近付いて死んだ方がマシだ。蓮はそう考えていたのだ。

そして、何より自分には心強い仲間がついている。 SSSレートの亜人属の悪魔、アリス。 彼女がいるのといないのとでは、全く話は違うだろう。
また、この事件が解決したら、彼女には三人が送るはずだった人生の分まで、いい生活をさせてやろう。 愛を注いで育てようと思った。

かくして三人の復讐、そしてアリスに人並みの生活をさせてやることを誓った蓮は、どこまでも残酷な世界の暗部に、足を踏み入れていくこととなった。

第一章「早見家の絆」 完
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