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第1話 ジョニーに会いたい
しおりを挟む「立川駅に行きたいのです。お願いです。百円、百円恵んでください」
若いのか年なのかわからないが、結構なイケメンなのに一目でホームレスと分かるモジャモジャ頭に無精髭。USアーミーのジャケットに股から踵まで裂けてヒラヒラとそよぐズボンからはトランクスの端が見え隠れする。
異臭を振り撒きながらも咎め立てされないよう静かに話しかける彼に、人々は見向きもせずそっと背を向けたり仲間同士でわざと高い声を上げて話が弾んでいるふりをして往き過ぎる。
「お願いします。百円でいいんです」
アメリカ軍がベトナム戦に本格的に介入した年、彼はまだ高校生だった。
大学入試のために親戚を頼って上京し、こっそり向かった外人クラブでジョニーに出会った。生まれ初めて自分の性癖をさらけ出せた出会い。
ジョニーは米軍立川基地の戦闘機乗りで、日本語が堪能だった。
本国にいた頃からゲイシャとサムライに憧れて日本語を学んだと笑う。ワンナイトでは終わらないよとジョニーは連絡先を教えた。
受験に失敗して親戚宅から予備校に通う浪人生活に入った。彼はこっそりジョニーに連絡を取り、予備校近くにアパートを借りて二人で暮らし始めた。1ドル360円の時代。彼にとっては夢のような甘い生活だったが、長くは続かなかった。
半年が過ぎ、ジョニーは沖縄の基地からベトナムに向かった。二ヶ月後に東京に帰還して更に甘く密着するジョニーだったが、再びベトナムへ行くと二度と帰還ってこなかった。
彼は待った。待ちながらバイトに励み、ジョニーがいつ戻ってきても居心地良く過ごせるように部屋を整えた。料理も上手くなった。
ジョニーと同じ空母に残っていたという兵士がやって来た。
ジョニーの戦闘機は撃ち落とされた、遺品は本国の家族の元に送られる、これは空母に残っていたジャケットだ、と手渡された。
ジョニーのものに違いなかった。こっそり裏に刺繍した下手クソなハートマーク。
彼は崩れ落ちそうにふらついたが、暫くして静かにドアを閉めた。
刺繍を手放しで喜んだ顔が浮かぶ。
泣いた。
泣きつかれて眠り、目覚めてまた泣いた。
彼はバイトを辞めて引きこもり、鬱々と過ごしてアパートを解約させられ、親戚の行方も知れず行く宛もなくなったが、実家を頼る気にはなれなかった。
野垂れ死にしようと森の中に行くと、ブルーシートと板切れと段ボールでこさえた小屋があった。
近くに火を起こした後がある。
近づいて何を思うでもなく眺めていると、小屋の中からホームレスAが出てきた。
「坊主、死にに来たのか」
「あ、ええ。いえ、えっと」
「隠さなくても良い。こんなところに来る奴は死ぬつもりで来るんだ。どうだ。一緒に暮らしてみるか。そしたら坊主も出直す気になれるかも知れないぞ」
そうして一緒にいるうちに、彼の方から誘って関係をもった。
「ジョニー、ジョニー、ああ、ジョニー」
ホームレスAは、俺はジョニーと言うのではないがねと、胸の裡で寂しく思いながら笑う。
誰も死なない国に
行ってみたいものだね
病気にもならないのさ
年も取らない
罪も事件も事故もない
喧嘩も戦争もない
お金に追われることもない
貧乏なんて笑い話さ
遊んで幸せに暮らす
そんな国がどこかにあれば
誰も罪など犯さないだろうに
夢を語るホームレスAとの生活は、人間はどうなっても生きていけるものなのだと彼に教えた。
ジョニーが死んでも自分はまだ生きている。
厭世感にまみれて気力も体力も失って生きることに飽き飽きしていたけれど、どうにか笑えるようになった。
「神の手によって創造られたからさ」とホームレスAは破れた古い聖書を投げ寄越した。
「読まないよ。神様がいたらあんたがここにいるわけがない」
「ほう。俺を、お前を助けるために前もってここにいるようにされた者だとは思えないか」
「僕を助けるためなら、ジョニーを死なせなかったはずだ」
「まあ、俺には俺なりの理由があるからな」
そんなやり取りもできるようになったある日、ホームレスAの不法住居を撤去させるために、警察官がやって来た。
二人は逃げた。昼間は逃げて夕方戻って笑いあう。そんな暮らしは夏の間なら何とか凌げる。
秋も深まって寒さの厳しくなった頃の深夜、ラーメンを分け合って食べ、肌を重ねて温まっていると、不穏な声が聞こえてきた。
警察官だとばかり思って緊張していた二人が、強張った肩を緩めたとき「ここだ。ここだ。男同士でやってやがる」と不躾にもドア代りの筵を引き抜かれ板切れと段ボールの壁を蹴り飛ばされた。
彼とホームレスAの上に落ちてくる数本の角材と段ボール、ブルーシート、屋根を形成していた全てのものが、音を立てて崩れた。
三人の学生が大笑いしている。笑いながら二人を引きずり出してホームレスAを蹴り始めた。サッカーボールのように思い切り蹴る。
「やめてっ。何をするんだ」
叫んだ彼にズボンの前を開きのし掛かる者。口を塞がれ押さえつけられて、ホームレスAが蹴られている横で代わる代わる何度も何度も犯された。
男のGスポットは案外届きやすい地点にある。執拗に攻められてとうとうあえぎ声が上がった。
ホームレスAが意識を失っているようにと願う気持ちがどこかにあったが、口からは「ジョニー、ジョニー、ああ、ジョニー」と漏れる。
ホームレスAは、誰でもジョニーになれるのか、と思ったのが最後だった。
警察が撤去を促すためにやって来たとき、灰色になったぼろぼろのホームレスAと唇の真っ青な彼が木漏れ日の中で倒れていた。
ホームレスAは冷たくなっていた。彼の身体も冷えきっていたが、弱々しくても心臓は動いていると言えた。
犯人は三人の学生だと訴えたが、深夜だったし、バックでやられたから顔は見えなかった、特徴となるようなものなどわからない、覚えていない。
事件性があるとして、検査のために近くの病院に入院させられた。
しかし何とか歩けるようになると、診察代を払えないことが不安になり、逃げた。
それから弁当屋の廃棄物やレストランのゴミ箱漁りをして、何となく生きて夏になった。
深夜の公園のベンチで、三人に出くわした。
学生同士の乱闘で怪我をしたらしい。その帰り道なのだろう。特徴など何も覚えていなかったのに、歩いてくる声や雰囲気に戦慄した。
間違いなくホームレスAを殺し自分を輪姦した奴らだと、彼は目を凝らす。
ベンチを離れた。
白シャツの血塗れになった三人がベンチに向かってまろびつ歩み、離ればなれに崩れた。ベンチに座る者、ベンチの前に倒れ込むように座る者、大の字で寝る者。
チャンスだ、復讐だ、どうする、見回せば花壇の煉瓦が一つ内側に落ちている。
ああ、神様……
僕は、僕はどうしても許せないのです。
彼は悩まなかった。
「それで二人を殺したと言うのか。残った一人、意識不明だった奴が、目覚めたそうだ。あのな、自分達を襲ったのは大男だった気がすると言っている」
ジョニーはアメリカ人だから、体格が良かった、そのジョニーのジャケットを着ていたから、大男だと思ったのかな……
ベンチ後ろの木陰から頭部目掛けて打ち下ろした煉瓦。上半身に体重をかけて思い切り打ち込んだ一打で煉瓦にヒビが入り、二人目への打撃で割れた。
大の字になっていた三人目は、鋭く割けた煉瓦で額を打った。何度も何度も打ち付けた。煉瓦が粉々になり、呻き声が聞こえなくなって完全に動かなくなるまで。
それを警察官に伝えると「煉瓦で殴ったと。血のついた煉瓦の欠片はどこに捨てたか記憶にないと。あのな、奴らはナイフで刺されて死んだんだ。失血死だよ。そのナイフは刃渡りどのくらいでどこに捨てた」と蔑む目付きになった。
彼は、自分が立ち去った後に喧嘩相手が追って来て、ナイフで止めを刺した可能性があると考えた。
「そんなに刑務所に入りたいのか。ホームレスはみんなそうだ。喧嘩を目撃しただけなら目撃したと正直に言え」
彼は事情聴取の二日間、店屋物の丼飯に与って、思考が明晰になったような気分でいた。
人を殺せば刑務所に入れる……そうだ、二人殺せば一生入っていられる、無期懲役か、死刑になるのも悪くない、ホームレスAを殺した奴らだ、僕のことも踏みつけにした……あんなに酷いことをする奴らだもの、その奴らを誰かが殺してくれたとしたら、僕が犯人になってあげてもいい、僕の代わりに復讐してくれたのだから、それに、死刑になったらジョニーに会える
ジョニーは喜ぶかな、人殺しの恋人なんて要らないと言うかも知れない
でも、ジョニーだってベトナムで沢山のベトナム人を殺したんでしょう、だったら……だったら……
いや、違う
ベトナム戦はアメリカが悪いんだよね、兵士に罪はないんだよね、だったらジョニーに会えないのかな、僕は人殺しだもの
なんで……なんでこうなったんだよ……戦争さえなければ……神様、本当に神様は……
いや、無駄な問いかけだ、神様がいたら戦争なんか……
違う、神様がいても人間は殺しあう
「僕は人を殺しだ。殺意があった。ちゃんと動機がある」
「あいつらに強姦されたことがあるから、殺すべきだと思ったってのか。ホームレス殺人事件の犯人だと。その話が真実だとしても、それでも君は正常とは思えないし、刑務所には入れないぞ。奴らの喧嘩は、人目のある場所でナイフを振り回しての大乱闘だったんだ。逃げた三人を追いかけてきた二人が殺ったんだ。犯人たちが自首してきた。取り調べも終わっている。君には精神鑑定を」
「お願いします。百円でいいんです。立川に行きたいんです。ジョニーに会いたい。ジョニーに会いたいんです」
街にはフォークソングが流れる。スマホもパソコンもない時代のひとつのLOVESTORY。
この大空に翼を広げ
飛んで行きたいよ
悲しみのない自由な国へ
「翼をください」赤い鳥 1971年
やがて19年も続いたベトナム戦争は終焉を迎え、立川基地も撤去された。
痩せっぽっちのホームレスが、すっかり様変わりした立川駅付近で
「お願いします。百円ください。立川に行きたいんです」
と、警察に追い払われないように少し離れた場所から、人の流れに向かって頼んでは
「ここが立川だよ」
と無下に断られていた。
「ここは違う。米軍基地のある立川に行きたいんだ。ジョニーに会いたい」
そう呟いて、ある雪の降る夜に彼は静かに息を引き取った。
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