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85 ごめんなさい

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足音が聞こえたような気がした。

今のやり取りをメガンサが聞いていたのかも、後でメガンサに注意しなければならない、メガンサは変わったよ、理知的だったメガンサがお酒に酔って、少し変わった
いきなり激しい感情をぶつけられると
真っ当な話なんてできやしないよメガンサ、メガンサの怒りにしたって、ナベを傷つけたからってそれで気が済む訳ではないだろう、それで解決とかメガンサにはあり得ないよね
僕たちがしっかりした絆で結ばれていることを自覚してもらわなければ、メガンサは苦しみ、周りも傷つく、メガンサに他人を傷つけさせてはならない、僕たちは夫婦めおとになるのだから、ちゃんと目標を持って協力しよう

ライラは水瓶みずがめを渡し棒で肩に担ぐと、屋敷の敷地に入った。売れなかった水を台所に運ぶ。

「カメおばぁ。人の手伝いに行くから、この水を使って」

カメは驚いた顔でライラを見た。

「あば、お金を出して貰っている水だろうに、ぬうんち何だから使えと」

「今日は売れそうもないから」

「あがじゃ。だいずがだいず。ライラの酒と水が売れなかったらだいずさ。ピンナギおかしいことは続くね。ライラ、あんた、包丁知らないか」

「包丁……」

「さっきまで使っていたさあね。何処に置いたか、探しているけど、おばぁもボケてきたかね。だいずがだいず。ピンナギさぁ」

カメは身の回りを隈無く探したらしく、台所から外に出て、ぶつぶつ呟いている。

ライラは気にも止めずに「直ぐに見つかるはずよ。誰も取らないから」と、台所からぐるっと回ってメガンサの裏庭に向かう。

「メガンサ」

格子になった嵌め殺しの無双窓に声を掛ける。

「メガンサ……」

格子に顔をつけて覗く。

綺麗に片付いた部屋に人影はない。

「包丁……」

いきなり不穏な妄想が迸る。

「まさか……」

まさか、メガンサ……包丁を持ち出してどうするんだ、わざと人を傷つけるようなメガンサではない、だったら、白子が嫌だと……違う、僕のせいだ、忘れていた、御者になったとき親父さんから言われたことを、メガンサを守ってくれ、何があっても死なせるな、死ぬことを考えさせるな




メガンサは包丁を手首に当てた。鼓動が早い。耳までぼうっと熱くなる。目がチクチク痛んで涙が溢れた。鼓動が静まるまでじっと待つ。

ライラ、さようなら、お父さん、ごめんなさい、ごめんなさい、私はやっぱり先立ちます、白子に生まれてごめんなさい、世界を変えるなんて大口叩いて何もできなかった

でも、もうそんなことはどうでも良い、背負ってきたものは、私独りで背負ってきたのではない、わかっている、周りが助けてくれたからだ

お父さん、ごめんなさい、今まで、我が儘に育てて貰って幸せでした、何の親孝行もできなかった……ごめんなさい……ごめんなさい

ナベが身を売る……私がライラを奪ったから、ナベはライラの嫁になれずにお金も工面できずに身を売るしかない

ライラはきっと私のお父さんに相談してお金を借りるんだ、見捨てられない女だから

私がナベでナベが私だったとしても、同じだっただろうか、ナベが酒造りの家に生まれて、私がナベの家に生まれていたら、私とライラは結ばれたかしら

あり得ない話だ、私はきっと幼い頃に狩人に拐われて死んでいる、目玉をくり貫いて手足を切って腸を引きずり出すと言われた
私が生きてこれたのは、親が金持ちだったからだ

私がライラと一緒にいられたのは、酒造りの家に生まれたからだ、手足を切られて目玉をくりぬかれた私など恐ろしくて、ライラは見たくもないはずだ

私はとうに死んでいた身だ、私は白子だから、お金持ちの家に生まれた白子だから、ライラは混血だから、優しくしていたのだ

メガンサは絶望した。白子アルビノの自分に絶望した。私は一生白子。絶望は、幼馴染の懐かしい相手だ。いつも死の影を連れて頭の眼の端に佇んでいた。



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