亡国のマニフェスト 3️⃣ 十六歳の論文

第十二話 血で洗われる

  サナーは暇さえあればリッケを撮影しているけれど、その気持ち、よくわかるよ。

  僕は、乃那とリギュールの写真をリギュールから見せてもらった。エシュアが撮影したものらしい。写真の中ではふたりは永遠だ。

  尤も、世の中が変わればいずれ死んだ者は天使のような存在として甦るから、神官職を目標にしているリギュールにしてもそれを褒美のように期待して頑張れるわけだ。

  まあ、そうなったら僕は運命の恋人に夢中になってて、他のカップルのことなんか忘れているんだろうな。

  リギュールが復活を遂げて感動した僕は、人間用カリカリカヤクのアイデアを話した。

「東洋ではあるみたいだよ。フリカケって言うのかな。ドライフードもシリアルも、それよりも大きな具材のものものあるみたいだから、探してみたら」

わかってない。僕が言っているのはだね、リギュール・ジルコン。冷凍野菜みたいな一口大のモノをドライフードにするんだよ。どんな料理にも使えるから、野菜を買ったり洗ったり刻んだり面倒なことを省ける。何ヵ月も持つ保存食だから、自然災害とか独り暮らし引きこもりとかに必須だよね。電気代かからないし。

  美しすぎて女の子に一目惚れされて政略結婚の婚約者が受動的に出来てしまうような奴には一生キッチンは似合わないよな。だから真剣に考えてくれないんだな。あー、カリカリも似合わないか。

 君はアレだ、内閣大臣の落とし胤だからヒエラルキートップのエリートコースを歩けるんだ。この神学コースからでもどんな者にでもなれるんだ。

   わかったよリギュール。君に憧れていた僕がバカだってことは僕もよーくわかったから、そんな生暖かい眼差しはやめてくれ。乃那がお前と一緒に死にたくなった気持ちがわかる気がする。

  そうだよ、リギュール。お前は攻めってヤツだろう。僕もだよ。それなのにお前って奴は同じスタンスの僕までも溶かそうとするのかよ。

  いろいろ理屈や屁理屈並べようが若すぎる僕たちには一人相撲のような時間がたっぷりとあって、どんなに忙しくしていても一日は長いし、どんなにやることなくてもあっという間に夜になる。そんな風に過ぎていく今が一番大切な時期なのかもしれない。

  いや、人生には大切ではない時期なんてないのかもしれないけれどね。

  悪魔の授業が始まった。運天泰通と皇深音がそれぞれの席に着く。リッケとサナーはギリギリまでくっついていたが、やっと着席した。僕は緊張して、用意したレポートをファイルケースから出す。

  レポートタイトル
「キリストの完全な血で
     僕たちの不完全なDNAを洗う」

  現代は、ISP細胞に期待が寄せられて、科学で永遠に近づけるのではないかと人類の寿命延命に希望が持てる時代になった。

  だが、科学で肉体的な問題はクリアできそうでも、この世の闇から刷り込まれた霊的な問題をどうやってクリアするのだろう。

  僕が聖書で学んだことは、その日が来れば肉体の不完全さは一瞬で完全にされるが、精神の不完全さが完全になるには千年かかるということだ。

  そのことを知って、イエスの使命についての短絡的な考えが正された。

  イエスは、僕たちと社会の罪深さを憐れみ、僕たちの罪を贖うために自己犠牲の血を流してくれた。

  最初、アダムがしでかした損失をイエスの命で支払うという考えは、僕には受け入れ難いものだった。アダムから受け継いだ人間の罪深さを、イエスの完全な血で払拭する。その意味も「等価の対価」の意味もわからなかった。

 最近は、ISP細胞やゲノム編集のことを重ねて理解できるようになったけど、やっぱり人間の科学力で人間を瞬時にして完全な肉体にするのはまだまだ実現しそうもない。

 この地上で惑い悩む僕たち人類を救うためにイエスは地球に転移して、父神のご意思を果たす使命のために悪魔の策略である世の試練に耐えたのだから、イエスの贖いとは、人類の不完全なDNAを完全なのものに戻すことなのだろう。

  敢えて言うなら、完全な螺旋状リボンだったものが壊れ、その欠落部分にイエスのDNAを足すことで完全な螺旋状に戻せるとしたら、僕たちの不完全なDNAをイエスの完全な血で洗うということになる。

  僕は、僕の病んだ部分を綺麗に洗われ修復されて、永遠を手に入れたい。

【キメラの聖なる野辺】に「神が創造の時点で意図的に人類に付与した完全性を再び得ることが、個人として望める真の贖罪だ」と書かれていた。そして「それは神のアガペーによってしか達成できない」とも。

  イエスに課された使命と、それを遂行するために負うことになった試練は、僕個人にも贖罪を行わせるためのアガペーだったのだと感謝できます。

               神学科一年  ゲラン・ミラー


  悪魔のジェイド・デュアルメンは、蒼白い顔に伏せた睫毛の影を落として「ほう。魔塔に行ったのか。見直したな」と言ってくれた。

「ISP細胞やゲノム編集と贖罪を繋げるとは。吉村悠子の【キメラの聖なる野辺】は魔導書の類いだぞ。魔塔でも、貸し出し禁止指定だ。いつ禁書指定を受けるかわからないから、今のうちに全巻読破しておくんだな」

  僕はまだ壱の巻の必要な部分しか齧っていないから、キルケゴールを諦めて「キメラの聖なる野辺」の全巻読破を卒業までの目標にしよう。

  学園では、リギュールの復活によって小手毬乃那のドッペルゲンガーを見たという噂も立ち消えて、僕は無事に進級した。

  悪魔のジェイドにジェルと薄くて強いゴムを売ろうとする不届き者ジャンには天罰とも思える笑いが下った。

  ジャンの手元には「縦オル」から取り戻したひと箱と後からエルゲラー舎官長から買い足した三箱が残り、彼は何とジェルと薄くて強いゴム四箱と一緒に進級したのだ。

「何の天罰だぁぁぁ」

  絶叫するジャンだが、リッケとエシュアのイチャLOVEにも慣れたら、今にふたりの熱に当てられてこっそり使うかもしれない。

  ジャンは無事に神官になれるだろうか。押し売りされないように、ジャンとは目を合わせないでおこう。そして三十名の元気なジェイツは、今日も悪魔からの新たな課題に頭を抱えて取り組んでいる。

  先生、これ、ジェルと薄くて強いゴムなんですけど、必要ありませんか。あぁ、じゃなかった。僕、何でしたら使い方を教えて差し上げ、あっ、先生は大人ですもん、わかりますよね。ああもう僕ったら、売り口上を練習してきたのに上手く言えない。そうなんです。先生のためなら僕は一肌脱ぐつもりでっ、違うっ。あの、その、先生ぇぇ、ジェルと薄くて強いゴッ、僕と一緒に使いませんかっ、 じゃない、何でこうなるんだよぉぉ。これっ、これっ、これはっ、はぁはぁ、あの、これはっ、これは先生にプ、プレゼントしますっ。

「いや、気持ちは有り難いが、間に合っているんだよ」