あなたを守りたい

蜜柑マル

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マリアンヌ編

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「おかえり、ノーマン君。長かったね」

「お待たせして申し訳ありません」

ナディールに続き入った部屋は先ほどジークハルトに連れられて飛んできた部屋だった。エイベル家の応接室だというその部屋には、ノーマンの父であるガイアス・ジェンキンスも座っていた。それを見たノーマンの顔が一瞬で能面のようになり、冷気が洩れだした。

「大変だったな、ノーマン」

「他人事でようございましたね、父上」

刺々しく言葉を吐き出す息子をチラリと見たガイアスは何も答えず、ナディールに視線を移した。

「で、長官。事件として発表する前に俺はあの女と離縁させてもらえるんだろうな」

「そういう約束だからね」

「思っていたより早く済んでしまって正直なところ、拍子抜けだよ。もう少し海軍で楽しませてもらえるかと思ったんだがなぁ」

そう言ってガイアスは、ソファに背中を預けた。

「そうやって一人だけ楽をしていた父上に、不肖の息子からたってのお願いがございます」

「なんだ」

ガイアスをこれ以上ないくらい鋭く睨み付けたノーマンは、

「侯爵家が歴史ある建物だということは重々承知の上での発言です。あれはぶっ壊してください。できるなら俺自身の手で燃やしたいのが本音です。やって構いませんか」

「…だいたいの事情は聞いたし、リセットしてぇんだろ。ただな、かまわねぇんだが、ちょっとだけ待て」

「…なぜです」

するとナディールが、「とりあえず落ち着いて、座りなよ、ノーマン君」とノーマンをソファに座らせた。

「さっき言っただろう。ゾーン伯爵家の罪状及び懲罰を決めるんだよ。結論から言えばゾーン伯爵家は取り潰す」

「…もう決まってるじゃないですか」

ナディールは呆れたような視線をノーマンに向けると、「まったく、待てができない男だな、キミは」と嘆息した。

「伯爵家がひとつなくなる。その功績者は誰でもないキミだ。ノーマン君、キミはマリアンヌちゃんの話を覚えているかな。キミとマリアンヌちゃんの娘が第1王子殿下の婚約者に選ばれた、それはどこだったかな」

「第1王子殿下の12歳の誕生日パーティーです。…長官、本当にずっと部屋の前にいらしたんですね」

ノーマンがバツの悪そうな顔をする。そのあたりから聞いていたということはノーマンとマリアンヌの閨ごとに近い行為の声も聞こえていたのだろうと。クスリの影響で朦朧としていた上に、今まで見せてもらえなかったマリアンヌの新しい一面に夢中になっていたノーマンは、事が始まりそうになってすぐにナディールが部屋にドームを張ってくれたことには気付いていなかった。

「そうだよ。そしてそこに呼ばれたのは公爵、侯爵家の令嬢だったんだろう。マリアンヌちゃんが恐れる未来を回避するならばこれから生まれてくる子どもは、侯爵家から外れたほうがいい」

「…っ、俺は、離縁はしません…リアも、…リアも、俺と離縁しないと、…言って、くれました…っ」

ナディールは心底呆れた顔になると、「キミのポンコツ具合は本当にハルト君とおんなじだね。さすが変質者仲間だ」と何故かジークハルトに視線を向けた。

「ナディール叔父上、人を変質者呼ばわりするのはやめてください!失礼ですよ!」

「本当のことだから失礼には当たらない。いいかい、ノーマン君。もう一度言うよ。キミの母親の実家、ゾーン伯爵家は取り潰し、伯爵家がひとつ空くんだよ。そして、その悪の巣窟を暴き出したのは誰でもないキミだろう。キミは今父親から爵位を譲られて侯爵だが、マリアンヌちゃんの不安を払拭してあげたいなら侯爵位から外れたほうがいい。できるならば未来永劫。だから、空位になる伯爵位を賜ったらどうか、と言っているんだよ。侯爵よりは下になるが、キミにとってみればマリアンヌちゃん以上に優先したいものなどないのだろう?アズちゃんには既に話は付けてあるよ。さあ、どうする」

ノーマンはザッ、と立ち上がると「是非にもお願いいたします」と直角以上に頭を下げた。

「ようやく話が通じたようで安心したよ。じゃあガイアス君、そういうわけだから爵位を早々に戻す手続きしてね」

「長官、俺は妻がいない、文字通り独身貴族になるんですよ。我が家にはこいつしか跡継ぎがいないのにどうしろって言うんです」

こいつしか、と親指でノーマンを指し示すガイアスに、

「ノーマン君とマリアンヌちゃんにたくさん子どもを作ってもらって一人養子にもらえばいいんじゃないの。ノーマン君、マリアンヌちゃんの話だと前回マリアンヌちゃんはひとりしか子どもを産んでいないんだろう。いまお腹にいる子どもだけでなくもっと作ればその点でも未来は変わる。まあこれに関してはマリアンヌちゃんの赦しが出ることが前提だが」

「未来を変えるためにもと、リアを必ず口説き落としてみせます」

直立不動のままそう言って、ノーマンはいきなり顔を覆ってしゃがみこんだ。

「あー…可愛かった、リア…絶対これで終わらせない、終わらせてたまるか、長官、さっさと害虫を消しましょう」

「バカも休み休み言いなよ。クスリの原料の出所もまだだし流してる先もすべて判明したわけじゃないんだよ。ただゾーン伯爵家がクスリを作って捌いて金儲けしてた、ってことが判明しただけなんだから。ノーマン君、明日から忙しくなるからね。今日休んだ分はしっかり働くように」

ナディールに何時ものごとく冷たく言われ、ノーマンは「…はい」と俯いた。

「その代わり、残業とかもしないように。まっすぐ定時でここに帰ってきて、マリアンヌちゃんと関係を修復するようにね。ガイアス君もしばらくここで過ごすように。キミの家、保全対象だから」

「俺までお邪魔するわけにはいきませんよ」

素っ気なく返すガイアスに「もう決まってるから」とナディールも素っ気なく返す。

「だからノーマン君がさっき言った、壊して建て直す云々はもう少しいろんなことが落ち着いてからもう一度話し合うといい。わかったね」

ナディールの言葉に親子は頷いてみせた。

「じゃ、そういうわけだからハルト君、ジェンキンス一家がしばらくお世話になるよ」

「…乗り掛かった…いや、無理矢理ナディール叔父上に乗らされた舟ですから仕方ないですよね。わかりました。ノーマン君もお父上も、遠慮する必要はないので。部屋は限られますが、お好きなところでお過ごしください。食事もぜひご一緒に」

そう言ってジークハルトは立ち上がると、

「ガイアスさんの部屋を案内します」

とガイアスを促した。

二人が連れ立って出て行った後、ナディールはノーマンをソファに座らせると、自分も向かいに腰を降ろし、

「ノーマン君」

と呼んだ。

「はい」

「マリアンヌちゃんが言っていた、ハルト君の代わりに魔術師団の団長になるというモロゾフ公爵なんだが、今のところ特に報告は上がっていない。本人はまだ公爵位は継いでいないし、ゾーン伯爵家のような悪どいことをやっている様子もないんだが、ひとつだけ。探ってみてわかったことがある」

「なんでしょうか」

ナディールは「キミは、僕の兄、サヴィオン・エイベル海軍顧問を知っているか」とノーマンを真っ直ぐに見つめる。

「…お名前だけは」

うん、と頷いたナディールは、

「実は、そのモロゾフ公爵家子息にサヴィオン兄さんの長女が嫁いで、いままさに妊娠しているらしいんだが、その子息には学園の頃から思い合っている相手がいたらしい。相手は平民で、本当はその女性と結婚するつもりだったらしいんだが…兄さんの娘が横恋慕して無理矢理婚姻したらしくてね。王族と繋がりを持てるんだからむしろ喜んで受けるべきだって」

「…サヴィオン海軍顧問は、そんなことをお許しになるような方でしたか?俺は確かにお名前を知る程度ですが、そういう類いのことは忌み嫌う方だと勝手な認識を抱いておりました」

ノーマンの言葉に「そうだね」と頷いたナディールは、

「どうやら兄さんの奥方と長女が勝手に進めてしまったらしい。兄さんはほら、顧問なのに海軍に入り浸ってガンガン現役並みに働いてるもんだから、何にも知らないうちに決まっちゃってたみたいでね。長女は一応妊娠はしたものの夫婦仲は早くも冷え切ってるみたいだし、兄さんも奥方に対して今までのように手放しで愛情を向けられなくなってしまったようでね。王族だから、なんて兄さんが一番嫌うやり方だから」

珍しく感情を乗せた赤い瞳は、侮蔑の色を纏っていた。

「キミをモロゾフ公爵家の監視に付けるつもりはないが、とりあえず現状については頭に入れておいてくれ」

「わかりました」

ノーマンが頷いてみせるとナディールも頷き返し、

「しばらくはゾーン伯爵家の取り調べに専念してもらう。…そうだ、そういえば。マリエラの腹の子どもだが、子どもに罪はないからこのまま産ませる予定にしている。可哀想だが罪人の子どもだと後ろ指をさされるよりはいいだろうから、生まれたらすぐ孤児院に引き取ってもらう。ゾーン伯爵家の汚れた私財はすべて没収だから、各孤児院に王家から寄付という形で与える予定だ。それで十分ではないだろうけどね」

と最後は呟くように言って瞳を閉じた。この「冷酷無比」と呼ばれる諜報部の長官が、実は情に厚く面倒見がいいことをノーマンはよくわかっていた。マリエラが産む子どもについても、できる限りの便宜を諮ってやるつもりなのだろう。ノーマンからすれば今回の騒動の原因となった憎き相手だが、赤ん坊の意思で引き起こされたことではないのだから諦めるしかない。願わくば、あの害虫に似ることなく、幸せな生涯を送って欲しい。

「わかりました」

「それから、マリエラ本人は子どもを産んでカラダが戻ったら娼館で働かせる。伯爵は、…あの年で需要があるかどうか謎だが、男性向けの娼館に入れる。性行為が好きなんだからぴったりの職場だろうと満場一致で決まった。唯一決まってないのがキミの母親だ」

「もう母親ではありません。俺を息子だと思っていないからこそ、あんな非道な真似ができたんでしょう。父も離縁しますし、もう親でも子でもない」

憎しみに溢れた声で吐き出すように言うノーマンに、ナディールは「そうだね」とだけ返した。

「今回の爵位簒奪を画策したのがキミの元母親…本人はまったくそんなつもりはなかったって言うけど知らなかったで済まされるレベルの話ではないからね。重罪だし、死罪はないにしても日の目は見られない一生になるだろう」

そう言われてもノーマンは何とも感じなかった。きちんと一線を引くべきだと常に苦言を呈してきたのを聞かなかったのはあの女だ。自業自得だとしか思えなかった。もう金輪際関わりたくない。苦々しい思いで、思わず舌打ちが洩れた。
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