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四章 雨溶
雨溶.8
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互いに答え合わせするみたいに言葉を重ねていると、そのうち、私の携帯が鳴った。
何事かと画面を見やれば、仕事中のはずのお母さんからの電話だった。
「もしもし?なに、どったの」
『あぁ、祈里?夜重ちゃんは見つかったの?』
「夜重?あぁ、うん」
そんなふうに軽く返事をしたところ、お母さんは烈火の如く憤り、夜重のお母さんが心配しているんだから、ちゃんと連絡するように夜重に言わなきゃいけないだろう、と説教してきた。
謝りながらお母さんからの電話を切った私は、怪訝そうな夜重に事情を説明した。すると彼女は青い顔をして、マナーモードにしていた携帯をすぐさま開くと母親に電話した。そして、今の私以上の勢いで𠮟りつけられていた。
雨宿りしていた、なんて言い訳も虚しく、合理的に詰められたらしい夜重はそのうち単調な相槌しか返せなくなっていった。
「…こんなに叱られたのは、いつぶりかしら」
辟易とした口調で夜重が言う。
「一緒に田んぼの中に落ちたときくらいじゃない?」
「…そうかもしれないわね」
疲れた感じで笑う夜重を横目にしてから、私は、「さてと」と立ち上がり、体にぴったりと張り付いた衣服から水を搾り取った。
電話している間に雨も小康状態に入っている。どのみちずぶ濡れであることに変わりはないが、どうせ帰るなら今がチャンスだろう。
「今のうちに帰ろうか、夜重」
「…ええ」
そんなふうに返事をしたくせに、夜重は立ち上がろうとはしなかった。それを怪訝に思い、首を傾げて見せれば、夜重は言いづらそうにモゴモゴと口を開く。
「き、今日の結論を確認したいのだけれど…」
「結論?」
何を言ってるんだ。夜重。
「祈里は私のことを好き…で、いいのよね」
「え?あ、うん…なんか、恥ずかしいね!」
「どうして嬉しそうなのよ…」と独り言を漏らしつつも、夜重は続ける。「そ、それで…まぁ、私も、祈里のことをある程度は好きなのだけれど…」
「はぁ?大好きでしょ」
「ば、馬鹿を言わないで」
「馬鹿を言ってんのは、夜重のほうだよ。…ったく、なにを今さら恥ずかしがってんの?」
「ぐっ…」
やった。言い負かした。普段だったら、私のほうが『ぐぬぬ』って馬鹿みたいに歯ぎしりしてるのに…うーむ、気分がいい。
「…一先ず、そういうことにしておいてあげるわ。話が進まないから、しょうがなくよ?いいわね」
「はいはい。で?確認したいのはそれだけ?」
真正面からそう問いかけると、夜重はすっ、と瞳を逸らして、まだ確認したいことがあると言った。
さっき携帯を確認したところ、時刻はもう七時前だった。夜重の家はとっくに夕飯の時間だし、山際というだけあって、この辺り一帯も日が沈んで暗くなりかけている。無防備な女子高生二人がうろうろしていていい時間でも、場所でもなさそうだ。
だから、私はさっさと確認するように夜重へと促した。すると夜重は、「そもそも、これを明確化しない状態で今日のこの話を終わりにするというのが、異常なことよ」とぶつぶつ言いながら、肝心のところを質問してきた。
「祈里――わ、私たちの関係は、今はどうなったの?」
「え?幼馴染」
「お…」
絶句する夜重。ちょっと意地悪がすぎた。
「で――恋人…のつもり。私は」
うーん…さすがの私もこれは恥ずかしい。ついつい、視線を逸らしてしまう。
夜重のほうはというと、明確化したかったものが、理想の形をもって表現されたらしく、ほっと胸を撫でおろしている様子だった。
「…私も、そうありたいと思うわ」
「よかった。両思いだね、私たち」
私はえへへ、と笑う。一度素直になったら、思っていたより単純なことだって分かった。要するに、過ぎていく時間の中で私と夜重がどういう関係になりたいか…ただそれだけのことだったんだ。
時に、私たちと同じような立場にあっても、友人のまま、幼馴染のままであろうとする人たちもいるだろう。あるいは、関係が壊れてしまうことも。
だけど、それも一つの変化なんだと思う。肝心なのは話し合ってそうなったかどうかってこと。どちらかが押しつけたものなら、なんだって不健全でしょ。
これにて一件落着――と、私は考えていたんだけれど…どうやら、夜重はそうじゃないらしかった。
悩み顔で石畳を見つめる夜重に、私はしょうがないなぁ、と内心でぼやきつつ近寄る。
「夜重、言いたいことあるなら言いなよ。今日ぐらいは、もうすれ違わなくてよくない?」
「祈里…」
不安げに揺れていた夜重の瞳が、私を見てしっかりと定まった。
こくり、と頷いた夜重が、そうして言葉を紡ぐ。
「祈里と恋人になれる…私が望んでいたことなのにまるで現実味がなくて、今も夢幻の中の出来事なんかじゃないかって、不安なの」
「えぇ?これはちゃんと現実――」
「言葉ではダメなのよ。祈里」
切実な光を宿す瞳が、真っすぐ私を貫く。きっと、本気で不安なんだろうし、本気でどうにかしたいんだろう。
「もう一度、祈里と…キスしたいの。今、ここで…初夏の夢ではないと、確信が欲しいのよ」
泣き濡れて赤くなった瞳や、朱に染まる頬が、蒼井夜重という芸術品をよりいっそう磨き上げる。そうすることで、蛹から蝶になろうとしている夜重の後押しをしているようだった。
夜重が蝶になったなら、絶対に黒いアゲハチョウだ。
美しい夜に染まる翼で、花の間を飛び回る蝶。できることなら、私はその唯一の花になりたい…なんちゃって。
「しょうがないなぁ」と揺さぶられている心のことを悟らせないよう、余裕たっぷりといった感じで私は夜重のお願いを許可する。「いいよ、おいで」
両手を広げてみせれば、夜重は赤らんだ顔で頷き、一歩近づいてきた。
私より十センチほど高い夜重の目線。距離が離れていかないようにと一生懸命、某背丈が伸びる飲み物を飲んできたが、相性が悪かったのか効果がなかった。
今までは、それが不安だった。夜重と一緒に過ごした時間と風景が、彼女の成長によって変わっていくようだったから。
だけど…今はもう怖くない。
見た目の差なんて、心と心の親密さに比べれば本当にたいしたことなんてないんだって、分かったから。
(つまり、夜重が美少女で私が平凡だろうと、関係ないってこと)
ふふん、と胸を張る。
こういうことに関しては、どうやら勢いのある私がリードできそうだったからだ。
…いや、私も全く知らないんだけど。まあ、なんとかなるはず。たぶん。
「よしっ。じゃあ、目をつむ――」
私が夜重に目をつむらせて、ちゅっ、ってしてやろうとした次の瞬間だった。
そっと、彼女の柔らかな指先が私の首の後ろに回される。
「えっ」と間抜けな声が漏れた直後、夜重の顔があっという間に迫ってきて、気がつけば私は夜重に唇を塞がれていた。
(いや、夜重からするんかいっ!)
なんてことを心の中で考える余裕があったのは、ほんの数秒だけ。なぜかというと、すぐに予期せぬ感触が私の口の中で蠢いたからだ。
「んっ!?」
ざらざらした、得も言われぬ感覚。
え、なにこれ。
雨のせいで冷えた肌や唇、それとは明らかに質の違う何かが私の舌の上をうねり、なぞる。
(これ――べ、ベロ!?)
なんちゅうことだ、と困惑から夜重の体を押し返そうとするも、すごい力で抱きしめられていて、それも叶わない。
こ、呼吸ができない。それに、なんか、なに、この感じ…。
ドラマとかで見る整えられたキスに対し、現実のキスはそうじゃないんだって、頭がじゃなくて体で理解した瞬間だった。
荒っぽくて、ただ、何かをぶつけられているような感じ。
そうして口の中を貪られているうちに、足から力が抜けていく。背筋とか腰の辺りがぞくぞくして勝手に動いたが、とにかく、立っていられなくなった。
あわや、倒れるというときに、夜重の手が私の体を支える。それからゆっくりと社の床に背中から倒された私は、しばらくの間、夜重の好きなようにされていた。
呼吸ができなくて死にそう、と思ったときには、良いタイミングで夜重が少しだけ唇を離した。そうして、慌てて水面に顔を出して呼吸する私の唇に夜重がまた吸い付く。酸欠でぼうっとしているせいか、ろくな抵抗もできなくて、だらしなく突き出した舌先を吸い上げられるだけだった。
どれくらいの時が経ったんだろう…気づいたら、私の腰の辺りに乗った夜重がじっとこちらを見下ろしていた。
「…はぁ…はぁ…」
朧げな頭で見上げる夜重の白い顔は、今の私の目には幽玄な月のように映った。
その中で瞬く、黒い星。艶やかで煽情的な光が、真っすぐに私を貫き、射止める。
「やえの、ばか…」
かろうじて言葉を紡げば、夜重はぺろり、と唇を舐めて言った。
「なんとでも言うことね――私を選んだこと、今さら後悔しても遅いわよ」
何事かと画面を見やれば、仕事中のはずのお母さんからの電話だった。
「もしもし?なに、どったの」
『あぁ、祈里?夜重ちゃんは見つかったの?』
「夜重?あぁ、うん」
そんなふうに軽く返事をしたところ、お母さんは烈火の如く憤り、夜重のお母さんが心配しているんだから、ちゃんと連絡するように夜重に言わなきゃいけないだろう、と説教してきた。
謝りながらお母さんからの電話を切った私は、怪訝そうな夜重に事情を説明した。すると彼女は青い顔をして、マナーモードにしていた携帯をすぐさま開くと母親に電話した。そして、今の私以上の勢いで𠮟りつけられていた。
雨宿りしていた、なんて言い訳も虚しく、合理的に詰められたらしい夜重はそのうち単調な相槌しか返せなくなっていった。
「…こんなに叱られたのは、いつぶりかしら」
辟易とした口調で夜重が言う。
「一緒に田んぼの中に落ちたときくらいじゃない?」
「…そうかもしれないわね」
疲れた感じで笑う夜重を横目にしてから、私は、「さてと」と立ち上がり、体にぴったりと張り付いた衣服から水を搾り取った。
電話している間に雨も小康状態に入っている。どのみちずぶ濡れであることに変わりはないが、どうせ帰るなら今がチャンスだろう。
「今のうちに帰ろうか、夜重」
「…ええ」
そんなふうに返事をしたくせに、夜重は立ち上がろうとはしなかった。それを怪訝に思い、首を傾げて見せれば、夜重は言いづらそうにモゴモゴと口を開く。
「き、今日の結論を確認したいのだけれど…」
「結論?」
何を言ってるんだ。夜重。
「祈里は私のことを好き…で、いいのよね」
「え?あ、うん…なんか、恥ずかしいね!」
「どうして嬉しそうなのよ…」と独り言を漏らしつつも、夜重は続ける。「そ、それで…まぁ、私も、祈里のことをある程度は好きなのだけれど…」
「はぁ?大好きでしょ」
「ば、馬鹿を言わないで」
「馬鹿を言ってんのは、夜重のほうだよ。…ったく、なにを今さら恥ずかしがってんの?」
「ぐっ…」
やった。言い負かした。普段だったら、私のほうが『ぐぬぬ』って馬鹿みたいに歯ぎしりしてるのに…うーむ、気分がいい。
「…一先ず、そういうことにしておいてあげるわ。話が進まないから、しょうがなくよ?いいわね」
「はいはい。で?確認したいのはそれだけ?」
真正面からそう問いかけると、夜重はすっ、と瞳を逸らして、まだ確認したいことがあると言った。
さっき携帯を確認したところ、時刻はもう七時前だった。夜重の家はとっくに夕飯の時間だし、山際というだけあって、この辺り一帯も日が沈んで暗くなりかけている。無防備な女子高生二人がうろうろしていていい時間でも、場所でもなさそうだ。
だから、私はさっさと確認するように夜重へと促した。すると夜重は、「そもそも、これを明確化しない状態で今日のこの話を終わりにするというのが、異常なことよ」とぶつぶつ言いながら、肝心のところを質問してきた。
「祈里――わ、私たちの関係は、今はどうなったの?」
「え?幼馴染」
「お…」
絶句する夜重。ちょっと意地悪がすぎた。
「で――恋人…のつもり。私は」
うーん…さすがの私もこれは恥ずかしい。ついつい、視線を逸らしてしまう。
夜重のほうはというと、明確化したかったものが、理想の形をもって表現されたらしく、ほっと胸を撫でおろしている様子だった。
「…私も、そうありたいと思うわ」
「よかった。両思いだね、私たち」
私はえへへ、と笑う。一度素直になったら、思っていたより単純なことだって分かった。要するに、過ぎていく時間の中で私と夜重がどういう関係になりたいか…ただそれだけのことだったんだ。
時に、私たちと同じような立場にあっても、友人のまま、幼馴染のままであろうとする人たちもいるだろう。あるいは、関係が壊れてしまうことも。
だけど、それも一つの変化なんだと思う。肝心なのは話し合ってそうなったかどうかってこと。どちらかが押しつけたものなら、なんだって不健全でしょ。
これにて一件落着――と、私は考えていたんだけれど…どうやら、夜重はそうじゃないらしかった。
悩み顔で石畳を見つめる夜重に、私はしょうがないなぁ、と内心でぼやきつつ近寄る。
「夜重、言いたいことあるなら言いなよ。今日ぐらいは、もうすれ違わなくてよくない?」
「祈里…」
不安げに揺れていた夜重の瞳が、私を見てしっかりと定まった。
こくり、と頷いた夜重が、そうして言葉を紡ぐ。
「祈里と恋人になれる…私が望んでいたことなのにまるで現実味がなくて、今も夢幻の中の出来事なんかじゃないかって、不安なの」
「えぇ?これはちゃんと現実――」
「言葉ではダメなのよ。祈里」
切実な光を宿す瞳が、真っすぐ私を貫く。きっと、本気で不安なんだろうし、本気でどうにかしたいんだろう。
「もう一度、祈里と…キスしたいの。今、ここで…初夏の夢ではないと、確信が欲しいのよ」
泣き濡れて赤くなった瞳や、朱に染まる頬が、蒼井夜重という芸術品をよりいっそう磨き上げる。そうすることで、蛹から蝶になろうとしている夜重の後押しをしているようだった。
夜重が蝶になったなら、絶対に黒いアゲハチョウだ。
美しい夜に染まる翼で、花の間を飛び回る蝶。できることなら、私はその唯一の花になりたい…なんちゃって。
「しょうがないなぁ」と揺さぶられている心のことを悟らせないよう、余裕たっぷりといった感じで私は夜重のお願いを許可する。「いいよ、おいで」
両手を広げてみせれば、夜重は赤らんだ顔で頷き、一歩近づいてきた。
私より十センチほど高い夜重の目線。距離が離れていかないようにと一生懸命、某背丈が伸びる飲み物を飲んできたが、相性が悪かったのか効果がなかった。
今までは、それが不安だった。夜重と一緒に過ごした時間と風景が、彼女の成長によって変わっていくようだったから。
だけど…今はもう怖くない。
見た目の差なんて、心と心の親密さに比べれば本当にたいしたことなんてないんだって、分かったから。
(つまり、夜重が美少女で私が平凡だろうと、関係ないってこと)
ふふん、と胸を張る。
こういうことに関しては、どうやら勢いのある私がリードできそうだったからだ。
…いや、私も全く知らないんだけど。まあ、なんとかなるはず。たぶん。
「よしっ。じゃあ、目をつむ――」
私が夜重に目をつむらせて、ちゅっ、ってしてやろうとした次の瞬間だった。
そっと、彼女の柔らかな指先が私の首の後ろに回される。
「えっ」と間抜けな声が漏れた直後、夜重の顔があっという間に迫ってきて、気がつけば私は夜重に唇を塞がれていた。
(いや、夜重からするんかいっ!)
なんてことを心の中で考える余裕があったのは、ほんの数秒だけ。なぜかというと、すぐに予期せぬ感触が私の口の中で蠢いたからだ。
「んっ!?」
ざらざらした、得も言われぬ感覚。
え、なにこれ。
雨のせいで冷えた肌や唇、それとは明らかに質の違う何かが私の舌の上をうねり、なぞる。
(これ――べ、ベロ!?)
なんちゅうことだ、と困惑から夜重の体を押し返そうとするも、すごい力で抱きしめられていて、それも叶わない。
こ、呼吸ができない。それに、なんか、なに、この感じ…。
ドラマとかで見る整えられたキスに対し、現実のキスはそうじゃないんだって、頭がじゃなくて体で理解した瞬間だった。
荒っぽくて、ただ、何かをぶつけられているような感じ。
そうして口の中を貪られているうちに、足から力が抜けていく。背筋とか腰の辺りがぞくぞくして勝手に動いたが、とにかく、立っていられなくなった。
あわや、倒れるというときに、夜重の手が私の体を支える。それからゆっくりと社の床に背中から倒された私は、しばらくの間、夜重の好きなようにされていた。
呼吸ができなくて死にそう、と思ったときには、良いタイミングで夜重が少しだけ唇を離した。そうして、慌てて水面に顔を出して呼吸する私の唇に夜重がまた吸い付く。酸欠でぼうっとしているせいか、ろくな抵抗もできなくて、だらしなく突き出した舌先を吸い上げられるだけだった。
どれくらいの時が経ったんだろう…気づいたら、私の腰の辺りに乗った夜重がじっとこちらを見下ろしていた。
「…はぁ…はぁ…」
朧げな頭で見上げる夜重の白い顔は、今の私の目には幽玄な月のように映った。
その中で瞬く、黒い星。艶やかで煽情的な光が、真っすぐに私を貫き、射止める。
「やえの、ばか…」
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