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最終章 折れた翼で鴉は舞う

折れた翼で鴉は舞う.1

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「サリアあぁっ!」

 マルグリットの、夕暮れを揺さぶる激しい慟哭が木霊する。それによって、ワダツミとルピナスの戦いも一時休戦の形となっている。

 悲哀をまとい、咽び泣くマルグリット。彼女はずっと、言葉にならない言葉を紡ぐことでいっぱい、いっぱいになっているようだったが、それを聞いている私自身も、重々しい水圧に耐えられず、がくりと膝を折って見守ることしかできずにいた。

 一つの復讐が成った。

 サリアも、私を助けてくれなかった者の一人だ。

 ストレリチアとの確執が顕著になってからは、廊下ですれ違おうと目を伏せるばかりだったし、時折、マルグリットから私の文句を聞かされて頷いている姿も見られていた。

 陰で私を非難するような人間だ。その相手に殺されても仕方がないじゃないか。

(…仕方がない?)

 ぽつり、と疑問が浮かび上がる。そしてそれは、一度浮かび上がってしまうと、水底から無数に昇る泡沫のように次々と湧き上がってしまう。

 殺されても仕方がない人間って、なんだ。
 悪人のこと?
 じゃあ、悪人ってなんなの?
 誰が決めるの。
 私?
 そうだ。ずっとそうしてきた。
 それなら、今回もそうすればいい。

 サリアを悪人にしてしまえばいい。それなら、私がやったことは間違いじゃない。復讐を成すために、一人の悪人を葬ったに過ぎない。

 これで私が気に病むことはなくなる…。

 なくなる?本当に?

(サリアを…殺したのに?)

 サリアは非主張的な人間だったけれど、本当に良い子だった。

 誰かの傷を治癒し、苦しみから救うことを自分の存在意義としていた少女は、そのために自らが嫌う痛みと苦しみの世界へと足を踏み入れる…そんな献身的な、誇り高い人間だったのだ。

 マルグリットやルピナスだってそうだ。

 自分を持っていて、信じたもののためなら死力を尽くせて、それを鼻にかけないマルグリット。冷血になりきれない、優しいマルグリット。

 呑気で楽天的な雰囲気で、険悪なムードになりがちな私とマルグリットを諌めてくれていた、いわば、チームの潤滑剤的な存在だったルピナス。ここ一番というときは、誰よりも決断力があって、勇敢なルピナス。

(私は)

 泣き崩れたままのマルグリットを見下ろし、私は自らに問う。

(私はどうかしら…?)

 大を取り、小を捨てる、冷血非道なアカーシャ・オルトリンデ。

 その真逆を行く、小すらも取ろうというストレリチアを疎んだのは、本当にリスクリターンの問題だっただろうか?単に羨ましかったのではなかっただろうか?

(私は本当に――サリアを殺してでも生きる価値のある人間だった…?)

 ふと、終わらない自問自答の渦の中で息を荒げている私を、マルグリットが鬼の形相で睨んだ。

「アカーシャ…っ!」

 憎悪だ。

 私がストレリチアに抱いた感情と同じ。

 私は震える唇で何かを紡ごうとした。しかし、それが謝罪の言葉であると気がついたとき、慌てて飲み込んだ。

 それはあまりに酷く、情けがない。

 マルグリットに恨ませないことは、何よりも許されないことだと思った。

「お前が」

 太刀を取る気力もないまま、彼女の言葉を待つ。

 それこそが、あの日、私が受け損なった断罪そのものだという確かな予感があった。

「お前が、あのときちゃんと死んでいればよかったんだ」

 ずどん、と心に鉄杭が撃ち込まれる。

 分かっていたことだ。こういうものになってしまうことは。

 自分が望んで歩き始めた修羅の道…それなのに、どうにももう気力を奮い立たせることができず、私は項垂れるしかなかった。

「そうすれば、サリアが死ぬことはなかった」

 ゆらり、とマルグリットが剣を手に立ち上がる。もはや、私から受けた一太刀の重みも感じさせることはない。

 私は、他人事みたいに彼女を見つめていた。

 マルグリットの言っていることを否定する力は、今の私にはもうない。

(――無理だ)

 言葉を発することもせず、私はその断罪を待つ。

「罪を贖え、アカーシャ…!」

 一歩、一歩と迫りくる死刑執行人。最初から、こうしていればよかったと今さらながらに私は後悔した。そうしていれば、サリアが死ぬことも、あの賊と子どもが死ぬこともなかった。

(…私は、不幸を生み出す温床なのかもしれない)

 そのとき、マルグリット目がけていくつかの黒い光が飛翔した。

「お嬢様!」

 レイブンだ。彼女の呪いが、彼女の必死な声と共に夕暮れを縫っているのだ。

「雑魚が」とマルグリットは容易くそれらを剣先で弾き落とす。

 なにぶん、経験が違い過ぎる。レイブンは確かに才能を持っているようだが、それを開花させるのにはまだ長い時間がいる。今の彼女では、マルグリットに傷一つ負わせることはできないだろう。

「何をしているんですか、お嬢様っ!」

 駆けつけた彼女が、私の腕を取って動かそうとするも、私はそれを振り払った。

「きゃっ」その反動で、レイブンが尻もちをつく。「り、リリーお嬢様…どうして…」

 私はマルグリットが憎悪の眼差しを向けてきているのを確認してから、一度だけ、ほんの短い時間だけ、レイブンのほうへと視線を投げた。

 困惑し、息も荒げている。当然だ、今、彼女の中では果たすべき命令が定まっていないのだから。

「いいのよ…レイブン」

 体と心を蝕む虚無が、私の視界いっぱいに広がる。

「私にはもう、剣も盾もいらないの…」

 大きく見開かれた瞳に、この空っぽになりつつある心が締め上げられて、最期の悲鳴を上げていた。

「こんな場所に連れてきて、ごめんなさい」

 きらり、と視界の端でマルグリットの振りかぶった剣先が光り輝いた。

「そんなの駄目だ!」

 ドンッ、ととっさにレイブンが私を突き飛ばした。そのせいで、私は剣撃を受けることはなかったが、代わりにレイブンが――レイブンの左手の指が、五本揃って鮮血をまとい切り落とされる。

「あ、あああっ!」

 頭に響く悲鳴。

 もうたくさんだ。

 早く、終わらせてほしい。

 そうでなければ、また私は誰かを不幸にする。

 目を閉じて、眠るように終われればもうそれでいい。ストレリチアのことも忘れてしまおう。そうすれば、私は終われる。

「う、あ、あぁ…お嬢、さま…!」

 足元でレイブンが呻く。その声から逃げ出したくなった私は、マルグリットを睨みつけてこう言った。

「早く、殺しなさい。もう疲れたわ」

 一瞬だけ、驚きの表情に変わったマルグリットだが、すぐにまた憎悪を蘇らせると、「言われなくても!」と剣を振りかぶった。

 これでいい。

 そんなふうに私が思ったとき、その足元で、何か黒い火花が散った。
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