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四章 レイブン
レイブン.7
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知らせを聞いて一時間後、私とリリーはニライカナイのメンバーらと共に古月の入り江へと向かっていた。
山のように荷物を積まれた馬車は息苦しそうではあったものの、何台かに分けたことでなんとか問題なく動き、真っすぐ目的地へと向かっていた。
初めは、馬車を守るためにその周囲をゆっくり進んでいたが、風を切って進むうちに、他のメンバーから、馬車の警護はもういいから、先に行けと命じられた。
「レイブン」風を切る音に混じってリリーの声が聞こえてくる。「怖くはないわね?」
「はい、お嬢様」
「それならいいわ。しっかり掴まったままでいなさい。落ちたら下手すると怪我をするわよ」
そういうものか、と私はリリーの背中にしがみつく。
古月の入り江までは、数十キロ以上離れているため、徒歩で向かおうものなら陽が暮れてしまいかねない。そのため、馬を扱える者は馬車を使わず自力で移動することとなっていたが、一同はリリーが馬を扱えると名乗り出たときは驚いていた。
リリーは――アカーシャ・オルトリンデは大貴族の人間だ。令嬢として相応しい家に嫁ぐために知識や所作を磨く者は多いが、馬術や魔導、剣術を磨く者はそういない。もちろん、メンバーたちは良いとこ出のエルトランド人くらいにしか思っていないだろうが、それでも驚かずにはいられないはずだ。
「お嬢様」背中にひっつき、言葉が聞こえるよう告げる。「馬の扱い、とてもお上手でございますね」
「これくらい、当然のことよ」
つっけんどんな物言いではあったが、怒ってのことではない。きっと、本当に『当然』のことだと考えているのだろう。
複数の馬が地を駆けるなか、私たちは黙々と先頭の馬について行っていた。
エルトランドが攻めてくる。
あまり現実味がなかった。だって、あの国はつい一ヵ月ほど前までは私がいる国だったからだ。
おそらくだが、リリーだってそうなのではないだろうか。
ストレリチア自身については恨みに思っていても、他の人は?
我が身を賭してまで想っていた国と戦う…彼女に、本当にその覚悟があったのだろうか。
私は、知りたいと思った。
リリーが本当に、アカーシャ・オルトリンデという名前を、存在を捨て去ってまで復讐を成そうと思えるのかどうかを。
じっと、彼女の背中を見つめる。針金でも通っているみたいに、どこまでも真っ直ぐと伸びた背中だった。
不意に、リリーが口を開いた。
「きっと、あの女は出て来るわ」
それが誰のことなのか、すぐにピンときた。
「ストレリチア様、ですか」
「レイブン」間髪入れずに彼女が私の名前を呼ぶ。「貴方は私の奴隷でしょう。私が憎んでいる相手を、そんな呼び方しては駄目」
普段は全く奴隷扱いしないリリーが珍しくそんなことを言うものだから、よっぽど嫌なんだと私は思い、大人しくそれを受け入れる。
「…あいつは、必ず来る。何があっても、私の前に現れる…」
独り言みたいに呟くリリーの言葉の端々に、怒りとか、憎しみとか、激しく瞬く感情が宿っている。決して大きな声ではないのに、どうしてだろう、風泣きにもかき消されない強さがあった。
「お嬢様の顔を見るため、ですか」
おそるおそる言葉を紡ぐ。会話するのに許可は要らない、とリリーが繰り返し言うものだから、分からないなりに言葉数を増やすようにしていた。
主人が違うと望まれることも変わる、と私は一ヵ月ほど経ってからようやく理解し始めている。
お嬢様は奥様と違って、夜伽を命じるようなことは一切ない。そのせいで、夜、同じベッドに入るよう言われたときの過ごし方がよく分からなかった。話すだけでいい、と言われるが、逆に不安になる。
「いいえ、違うわ。あいつは預言者よ、レイブン。つまり、自分の未来が見えているの」
「未来が、見える…」
「あいつには、今もハッキリ見えているはずよ」
そっと、リリーは左手の薬指にはめられた指輪に触れた。まるで壊れ物を扱うような仕草に、私はギャップを覚えた。
「自分を殺しにくる、私の姿が」
リリーはそう言った。そう言いながら、酷く苦い顔をしているのが、顔を見ずとも私には想像できてしまっていた。
「だから、それを止めに前線へと出て来るはず」
リリーは、いや、アカーシャは、もっと違う理由でストレリチアが行く手を阻むことを確信しているのではないだろうかと、私は感じた。
「…せいぜい、怯えて待つといいわ。ストレリチア…!」
古月の入り江に到達したときには、すでに日が沈み始めていた。
入り江はその名が冠しているように、大きく湾曲していて、浅瀬が続くような場所だった。
白い砂浜は赤く燃える夕日によって焦がされ、近くの草むらには血のように赤い花がところ狭しと咲いていて、どうしてもおどろおどろしいものに見える。一方で、この世とあの世の狭間にあるようで、うっとりする気持ちにもさせられた。
いつか自分たちが還る場所を、輪廻の環を風景として生まれ変わらせているかのようだった。
「綺麗…」
馬から降りた私は、無意識的にそう呟いていたのだが、鞍から荷物を下ろしながらそれを聞いていたリリーは、信じられないと顔を歪める。
「そうかしら。私にはおぞましいものにしか見えないわ。どれもこれも、血に塗れたように真っ赤じゃない」
「まあ、そうですが…お嬢様は、赤色、嫌いですか?」
「ええ。嫌いよ。だから私、自分の目も嫌いなの」
お嬢様の、目。
真紅だ。
ガーネット、ルビー、レッドムーン…どんな宝石でも比肩できない、赤。
アカーシャ・オルトリンデの瞳。
私は頭のなかで色んなものを想像し、最後に、お嬢様の顔を思い浮かべてから、得心した。
「…あぁ、だから、綺麗と思ったんだ…」
「はぁ?」理解できないものを見るみたいに、リリーが私を見下ろす。「レイブン、貴方、大丈夫なの?」
「何がでしょうか」
「いや、だって…」
すると、リリーが言葉を紡ぎ終わる前に、一緒に来ていたメンバーが声をかけてきた。なんでも、前線基地のほうに人が集まっているとのことで、砂浜を陸地側に進んですぐの棚田を上がっていくそうだ。
リリーはそれを承諾してから、私のほうを心配そうに見やったが、「まあいいわ」と切り替えて、先を行くメンバーの後をついて上がっていった。
私はその背中を見つめながら思った。
どうして、あんなにも美しいものをあの人は嫌いだと言うのだろうか。そして、どうして、あの人が憎むストレリチアという人は、あの美しいものを歪めてみせようというのだろう。
きっと、あの人はあるがままが一番美しいのに。
山のように荷物を積まれた馬車は息苦しそうではあったものの、何台かに分けたことでなんとか問題なく動き、真っすぐ目的地へと向かっていた。
初めは、馬車を守るためにその周囲をゆっくり進んでいたが、風を切って進むうちに、他のメンバーから、馬車の警護はもういいから、先に行けと命じられた。
「レイブン」風を切る音に混じってリリーの声が聞こえてくる。「怖くはないわね?」
「はい、お嬢様」
「それならいいわ。しっかり掴まったままでいなさい。落ちたら下手すると怪我をするわよ」
そういうものか、と私はリリーの背中にしがみつく。
古月の入り江までは、数十キロ以上離れているため、徒歩で向かおうものなら陽が暮れてしまいかねない。そのため、馬を扱える者は馬車を使わず自力で移動することとなっていたが、一同はリリーが馬を扱えると名乗り出たときは驚いていた。
リリーは――アカーシャ・オルトリンデは大貴族の人間だ。令嬢として相応しい家に嫁ぐために知識や所作を磨く者は多いが、馬術や魔導、剣術を磨く者はそういない。もちろん、メンバーたちは良いとこ出のエルトランド人くらいにしか思っていないだろうが、それでも驚かずにはいられないはずだ。
「お嬢様」背中にひっつき、言葉が聞こえるよう告げる。「馬の扱い、とてもお上手でございますね」
「これくらい、当然のことよ」
つっけんどんな物言いではあったが、怒ってのことではない。きっと、本当に『当然』のことだと考えているのだろう。
複数の馬が地を駆けるなか、私たちは黙々と先頭の馬について行っていた。
エルトランドが攻めてくる。
あまり現実味がなかった。だって、あの国はつい一ヵ月ほど前までは私がいる国だったからだ。
おそらくだが、リリーだってそうなのではないだろうか。
ストレリチア自身については恨みに思っていても、他の人は?
我が身を賭してまで想っていた国と戦う…彼女に、本当にその覚悟があったのだろうか。
私は、知りたいと思った。
リリーが本当に、アカーシャ・オルトリンデという名前を、存在を捨て去ってまで復讐を成そうと思えるのかどうかを。
じっと、彼女の背中を見つめる。針金でも通っているみたいに、どこまでも真っ直ぐと伸びた背中だった。
不意に、リリーが口を開いた。
「きっと、あの女は出て来るわ」
それが誰のことなのか、すぐにピンときた。
「ストレリチア様、ですか」
「レイブン」間髪入れずに彼女が私の名前を呼ぶ。「貴方は私の奴隷でしょう。私が憎んでいる相手を、そんな呼び方しては駄目」
普段は全く奴隷扱いしないリリーが珍しくそんなことを言うものだから、よっぽど嫌なんだと私は思い、大人しくそれを受け入れる。
「…あいつは、必ず来る。何があっても、私の前に現れる…」
独り言みたいに呟くリリーの言葉の端々に、怒りとか、憎しみとか、激しく瞬く感情が宿っている。決して大きな声ではないのに、どうしてだろう、風泣きにもかき消されない強さがあった。
「お嬢様の顔を見るため、ですか」
おそるおそる言葉を紡ぐ。会話するのに許可は要らない、とリリーが繰り返し言うものだから、分からないなりに言葉数を増やすようにしていた。
主人が違うと望まれることも変わる、と私は一ヵ月ほど経ってからようやく理解し始めている。
お嬢様は奥様と違って、夜伽を命じるようなことは一切ない。そのせいで、夜、同じベッドに入るよう言われたときの過ごし方がよく分からなかった。話すだけでいい、と言われるが、逆に不安になる。
「いいえ、違うわ。あいつは預言者よ、レイブン。つまり、自分の未来が見えているの」
「未来が、見える…」
「あいつには、今もハッキリ見えているはずよ」
そっと、リリーは左手の薬指にはめられた指輪に触れた。まるで壊れ物を扱うような仕草に、私はギャップを覚えた。
「自分を殺しにくる、私の姿が」
リリーはそう言った。そう言いながら、酷く苦い顔をしているのが、顔を見ずとも私には想像できてしまっていた。
「だから、それを止めに前線へと出て来るはず」
リリーは、いや、アカーシャは、もっと違う理由でストレリチアが行く手を阻むことを確信しているのではないだろうかと、私は感じた。
「…せいぜい、怯えて待つといいわ。ストレリチア…!」
古月の入り江に到達したときには、すでに日が沈み始めていた。
入り江はその名が冠しているように、大きく湾曲していて、浅瀬が続くような場所だった。
白い砂浜は赤く燃える夕日によって焦がされ、近くの草むらには血のように赤い花がところ狭しと咲いていて、どうしてもおどろおどろしいものに見える。一方で、この世とあの世の狭間にあるようで、うっとりする気持ちにもさせられた。
いつか自分たちが還る場所を、輪廻の環を風景として生まれ変わらせているかのようだった。
「綺麗…」
馬から降りた私は、無意識的にそう呟いていたのだが、鞍から荷物を下ろしながらそれを聞いていたリリーは、信じられないと顔を歪める。
「そうかしら。私にはおぞましいものにしか見えないわ。どれもこれも、血に塗れたように真っ赤じゃない」
「まあ、そうですが…お嬢様は、赤色、嫌いですか?」
「ええ。嫌いよ。だから私、自分の目も嫌いなの」
お嬢様の、目。
真紅だ。
ガーネット、ルビー、レッドムーン…どんな宝石でも比肩できない、赤。
アカーシャ・オルトリンデの瞳。
私は頭のなかで色んなものを想像し、最後に、お嬢様の顔を思い浮かべてから、得心した。
「…あぁ、だから、綺麗と思ったんだ…」
「はぁ?」理解できないものを見るみたいに、リリーが私を見下ろす。「レイブン、貴方、大丈夫なの?」
「何がでしょうか」
「いや、だって…」
すると、リリーが言葉を紡ぎ終わる前に、一緒に来ていたメンバーが声をかけてきた。なんでも、前線基地のほうに人が集まっているとのことで、砂浜を陸地側に進んですぐの棚田を上がっていくそうだ。
リリーはそれを承諾してから、私のほうを心配そうに見やったが、「まあいいわ」と切り替えて、先を行くメンバーの後をついて上がっていった。
私はその背中を見つめながら思った。
どうして、あんなにも美しいものをあの人は嫌いだと言うのだろうか。そして、どうして、あの人が憎むストレリチアという人は、あの美しいものを歪めてみせようというのだろう。
きっと、あの人はあるがままが一番美しいのに。
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